JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
1991年版(1)
1999年10月28日更新

エホバの証人の年鑑1991年版発行される

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会は、「エホバの証人の年鑑」1991年版を発行した。

この年鑑によると、エホバの証人の伝道者数は1990年度(9月から8月)中、212の国とエリアで401万7213人(月ごとの平均は384万6311人)に増加し、それらの伝道者が実際に報告した聖書伝道時間は延べ8億9522万9424時間(124万3374人月/10万2195人年)に達した。
これは、前年度に対して23万0025人(22万1538人)の伝道者の増加と、5980万2886時間の伝道時間の増加を意味している。
さらにこの年鑑は、1990年に東ドイツがエホバ証人に対する禁令を解除したことについても触れ、東ヨーロッパにおけるエホバの証人の活動がめざましいことを報告した。

特別伝道活動が計画される

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「わたしたちの王国宣教」1991年1月号は、1991年4月6日にエホバの証人による特別な聖書伝道計画を実施する予定であることを明らかにした。


「ものみの塔」誌の発行部数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、1991年1月1日号において、「ものみの塔」誌のこれまでの発行言語数と平均発行部数をそれぞれ108から111、1395万部から1529万部に更新した。


「目ざめよ!」誌の発行部数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は、1991年1月8日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数と平均発行部数をそれぞれ62から64、1193万部から1298万部に更新した。


旧共産圏においてエホバの証人が飛躍

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、東ヨーロッパにおける政治変動とそれに伴うエホバの証人の飛躍を紹介する特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がサウジアラビアを特集

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、ニューヨークで開かれたサウジアラビア政府による展示会を紹介する記事を掲載した。

この記事は、この展示会がサウジアラビアの宗教にあまり触れていないことを残念だとしている。

ソ連のエホバの証人がポーランドを訪問

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、ポーランドのワルシャワ・ボイス紙に載せられた、「ソ連から来たエホバの証人−前途には明るい日々」という記事を紹介する記事を掲載した。

これは、ポーランドで開かれたエホバの証人の「清い言語」地域大会に出席するための訪問で、1万6000人のソ連人がこの大会に出席したという。

「目ざめよ!」誌が不要な輸血に関する論文を紹介

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、「アメリカ医師会ジャーナル」誌から、医師の多くが輸血を行うようにという圧力にされられており、また屈していることを明らかにする論文を紹介した。

この論文によると、様々な医療分野に携わる122人の医師を対象にした調査の結果、「輸血の危険性や、輸血の必要性を示す兆候に関する知識が多くの医師の間で不足している」ことが判明し、さらに、多くの医師が仲間からの圧力のために不要な輸血を行っていることが明らかになったという。

ルルドの泉が枯渇しかける

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、フランスのルルドの泉からわき出る「奇跡の水」が干ばつのために少なくなり、巡礼者に対する取水制限が行われていることを報じた。


アメリカとカナダにおいてプロテスタントが減少

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、「1990年アメリカ・カナダ教会年鑑」より、アメリカとカナダにおいてプロテスタントの勢力が衰えていることを紹介した。

同年鑑は、そのような状況の中で伸長した教派としてエホバの証人を挙げているという。

バビロン遺跡の再建が延期される

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、イラク政府が計画していたバビロン遺跡の再建計画が延期になったことを報じた。


ドイツで教会税の支払い拒否が行われる

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、ドイツにおいて教会税の支払いを拒否した人が裁判にかれられ、敗訴した事件を報じた。


オーストラリアでエホバの証人が救援活動

「目ざめよ!」誌1991年1月8日号は、オーストラリアのエホバの証人が、クイーンズランド州において生じた洪水災害の救援活動を行ったことを明らかにした。


クリスチャンを対象とした聖書知識の調査が行われる

「ものみの塔」誌1991年1月15日号は、クリスチャニティー・トゥデー誌がクリスチャンを対象に聖書の知識に関する調査を行ったことを明らかにした。

その結果、聖書偽典である「トマス書」を聖書の聖典の一部だと答えた人が22パーセントに上るなどの自称クリスチャンの嘆かわしい実体が明らかになったという。

「ものみの塔」誌がマタイ26章26節の意味について注解

「ものみの塔」誌1991年1月15日号は、聖書のマタイによる福音書26章26節でイエスの語った「これ(最後の晩餐のパン)はわたしの体です」という言葉の意味を解説する記事を掲載した。

この記事は、この聖句に関してカトリックの主張する、ミサのパンは人の口の中で実際にイエスの肉に変化するという教理を示した後、エホバの証人の用いる新世界訳聖書と「イエスの友の会の教授陣による聖句の注解付き新約聖書」とから、ここでイエスの用いたギリシャ語の表現が文法的に「これはわたしの体を表しています」と訳出できることを指摘し、そのような文法の例として、聖書から、「わたしは羊の戸口です(ヨハネによる福音書10章7節)」、「わたしは真のぶどうの木です(同15章1節)」、「この杯は新しい契約です(ルカによる福音書22章20節)」という言葉を引用した。

エホバの証人の地域大会が開催される

「ものみの塔」誌1991年1月15日号は、昨年中エホバの証人により世界中で開催された「清い言語」地域大会の報告を行った。

今回の報告は、特に西ドイツで行われた大会の様子を紹介するものだった。
この大会には、西ドイツのエホバの証人のみならず、ポーランドと東ドイツから、それぞれおよそ4500人、3万人のエホバの証人の出席があったとこの記事は報告している。
さらにこの記事は、この大会において、ものみの塔聖書冊子協会の発行する新しい出版物として、「血はあなたの命をどのように救うことができますか」と題する小冊子と、「神を探求する人類の歩み」と題する書籍が発表されたことを明らかにした。

「目ざめよ!」誌が元日本兵の経験談を紹介

「目ざめよ!」誌1991年1月22日号は、元日本兵で回天特攻隊の一人だったエホバの証人の経験談を掲載した。


たばこ会社がたばこの害を否定

「目ざめよ!」誌1991年1月22日号は、ウガンダ・ブリティッシュ・アメリカンたばこ会社が、ウガンダの保険省に対して「たばこを吸うことは健康に有害だとは思わない」との文書を送ったことを批判する論説を掲載した。


「目ざめよ!」誌が宗教と家庭の問題についての記事を掲載

「目ざめよ!」誌1991年1月22日号は、「若い人は尋ねる−宗教的に分裂した家庭でどうすればうまくやってゆけるだろう」と題する記事を掲載した。

これは、子供の親が異なる宗教を持っているという場合に、その子供はどのように問題に対処すればよいかをアドバイスするもので、そのような子供たちに対してこの記事は、キリスト教の信仰の価値を強調しつつも、「気持ちや感情に基づいて選択を行うよりも聖書に照らして両親の信じている事柄を調べて、自分自身で責任をもって選択を行うように」と励ましている。

統一教会の文鮮明が宗教会議で発言

「目ざめよ!」誌1991年1月22日号は、統一教会の教祖である文鮮明が「世界宗教会議」を開催し、そこで「自分は第二のメシアである」と述べてその会議に出席した宗教関係者を驚かせたことを明らかにした。


「血」のブロシュアーのための質問集が発行される

ものみの塔聖書冊子協会は「わたしたちの王国宣教」1991年2月号の折り込みとして、「「血はあなたの命をどのように救うことができますか」のブロシュアーの研究用の質問」を発行した。


劇のテープが入荷する

「わたしたちの王国宣教」1991年2月号は、「飢きんの時に命を保つ」と題する聖書劇のテープの英語版が日本のものみの塔聖書冊子協会に入荷したことを告知した。


「ものみの塔」誌が宗教を特集

「ものみの塔」誌1991年2月1日号は、「宗教について真剣に考えるのはなぜですか」と題する特集記事を掲載した。


「ものみの塔」誌がペテロ第二1章19節の翻訳について注解

「ものみの塔」誌1991年2月1日号は、英文新世界訳聖書のペテロによる第二の手紙1章19節の翻訳がほかの英訳聖書の翻訳と異なっているのはなぜかという質問を扱った記事を掲載した。

この記事は、英文新世界訳聖書の訳文の句読点の打ち方を問題としたもので、「夜があけて明けの明星が上がるまで」という句が前後の句読点によってわざわざ区切られているのにはわけがあり、それはこの句を、それを挟んでいる「暗いところに輝くともしびのように・・・心の中で」という句と区別するためであると述べている。
しかし多くの翻訳は、「心の中で」という表現を「輝く」にではなく「上がる」に結びつけており、問題があるという。
さらにこの記事は、英文新世界訳聖書のような訳出を支持する神学者の論文と、それに基づいた訳出を行っている聖書翻訳を3つ指摘している。

「ものみの塔」誌が列王第二11章12節の翻訳について注解

「ものみの塔」誌1991年2月1日号は、聖書の列王記第二11章12節にある、「王冠と証を彼の上に置いた」という表現の意味と訳し方について注解する記事を掲載した。

この記事は、ここで用いられている「証」という表現が聖書の律法を指していることを指摘した上で、この表現を「契約の写しを与えた」という具合に訳し換えている聖書翻訳があることを指摘し、ここで律法を「与えた」と訳出することには問題があると指摘している。
というのは、この表現はおそらく象徴的な意味を帯びており、王になる者が「王冠と共に律法を頭に載せられた者」と見なされたことを示すものにすぎないからであるとこの記事は述べている。
またこの記事は、この「証」という表現を聖書のサムエル記第二1章10節の表現にあわせて「腕飾り(腕輪)」と訳し換える問題についても触れている。

エホバの証人の大会ホールが献堂される

「目ざめよ!」誌1991年2月8日号(日本語版)は、日本において「エホバの証人の千葉大会ホール」が完成し、献堂式が行われたことを報告した。


「目ざめよ!」誌がナイトクラブに対して否定的な記事を掲載

「目ざめよ!」誌1991年2月8日号は、「若い人は尋ねる−ナイトクラブはどうなのだろう」と題する否定的な記事を掲載した。

この記事は、ナイトクラブの中にはよく管理されたものもあり、そういったものについてはかまわないとしながらも、多くのナイトクラブで見られているのはクリスチャンにふさわしくない破廉恥騒ぎと過度の飲酒と性的不道徳であると指摘し、そういった事柄が公然と行われるような所にクリスチャンは出かけるべきではないと結論している。

「目ざめよ!」誌が子供の死と神の責任についての論考を掲載

「目ざめよ!」誌1991年2月8日号は、子供の死に関して神には責任があるかという問題を扱った記事を掲載した。

この記事は、子供の死を「神の召し」と見なすキリスト教一般の見方に触れた後、神は愛であることを指摘し、取り去る目的のために子供を与えるような残酷なことを神はどの親に対しても行わないと論じた。
この記事はさらに、子供が死ぬのはそもそも人類が神から疎外されているからであり、子供を失った親は聖書の約束である復活に希望を置くことができると述べている。

自称メシアが逮捕される

「目ざめよ!」誌1991年2月8日号は、「ヤハウェの国民」という宗教団体のリーダーであり、自分はメシアであると唱える人物が、教団の他の12人のメンバーと共に殺人の罪などの疑いで逮捕されたことを明らかにした。


「ものみの塔」誌が贖いの教理を特集

「ものみの塔」誌1991年2月15日号は、「どうして一人の人がすべての人のために死ぬことができたか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、贖罪の教理に関する神学上のジレンマを扱ったもので、現在まで贖いに関して神学者たちが唱道してきた様々な教理解釈を引き合いに出して問題を明確にした後、聖書から、そういったジレンマに対する答えを提示している。
たとえば、「贖いの代価は誰に支払われるのか、悪魔か神か」という神学上の論争に関しては、人間の罪を裁く権利はあくまで神の側にあるので、支払われるのは神に対してであるとこの記事は結論している。

「ものみの塔」誌がキリスト教のマリア伝承を批判

「ものみの塔」誌1991年2月15日号は、聖母マリアに関するキリスト教の伝統的教理を批判する記事を掲載した。


「ものみの塔」誌がエホバの証人の地域大会に読者を招待

「ものみの塔」誌1991年2月15日号は、1991年中世界中で開催されるエホバの証人の地域大会の主題が「自由を愛する人々」となることを告知し、読者にその大会への参加を促した。


「目ざめよ!」誌が世界教会運動を特集

「目ざめよ!」誌1991年2月22日号は、世界教会(エキュメニカル)運動に対して批判的な特集記事を掲載した。

この記事は、エキュメニズムに関するカトリックの難しい立場に焦点をあてたもので、世界教会の達成は「カトリックこそが唯一まことの教会である」という主張をカトリック教会が本当に放棄し、ローマ法王の不謬性などの教理を撤回するかにかかっているとしている。

タイで宗教教育が衰退

「目ざめよ!」誌1991年2月22日号は、タイの教育省が学校教育のカリキュラムを改正して仏教の授業を少なくし、それに対する反対運動が生じていることを明らかにした。


トンネルで女性が差別される

「目ざめよ!」誌1991年2月22日号は、日本のあるトンネルの貫通式において、それを取材に来た一人の記者が、その人が女性であるという理由で取材を拒否されるという事件が起きたことを明らかにした。

このトンネルの工事にあたっている人たちの主張によると、トンネル工事中に女性が現場に現れると、山の神を怒らせることになり、こうして事故が起きるのだという。

「目ざめよ!」誌が大学で用いられる。

「目ざめよ!」誌1991年2月22日号は、「読書の声」として、アメリカの一大学教授の称賛の手紙を紹介した。

この大学の教授は、国文法を教えるに際して7年にわたり「目ざめよ!」誌を教材として用いてきたことを明らかにし、「「目ざめよ!」誌の記事はおもしろくてためになるだけでなく、文法的な質も最高です」と感想を述べている。

劇のテープが入荷する

「わたしたちの王国宣教」1991年3月号は、「無法な人々に対するエホバの裁き」と題する聖書劇のテープが発行されたことを告知した。


「ものみの塔」誌が「宇宙論争」についての特集記事を掲載

「ものみの塔」誌1991年3月1日号は、(エホバの証人が「宇宙論争」と呼ぶ、)神と悪魔、そして人間を巡る論争を扱った特集記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が「新世界訳聖書」を称賛

「ものみの塔」誌1991年3月1日号は、「「新世界訳」−学究的で正直な訳」と題する記事を掲載した。

この記事によると、新世界訳は他の多くの訳と異なり、ギリシャ語のシュンテレイアとテロス、コスモスとアイオーンとオイクーメネー、グノーシスとエピグノーシス、タフォスとムネーマとムネーメイオンとハーイデースなどの語を翻訳の際に区別し、厳密に訳出しているという。
また、ギリシャ語の時制についても厳密な訳出を行っているため、たとえばヨハネによる第一の手紙2章1節と3章6節の訳文の間にも矛盾は見いだせないという。
ほかにもこの記事は、神名の発音の問題、ギリシャ語聖書(新約聖書)中における神名の復元の問題などにも触れている。

チェコでエホバの証人が称賛される

「目ざめよ!」誌1991年3月8日号は、40年にわたって国家による迫害を受けてきたチェコスロバキアのエホバの証人が、1990年5月にようやく自由に大会を開くことができ、その様子が新聞においても好意的に報道されたことを明らかにした。


「目ざめよ!」誌が子供の死に対する神の見方に関する論考を掲載

「目ざめよ!」誌1991年3月8日号は、子供が死ぬのをなぜ神は放置されるのかという質問を扱った記事を掲載した。

これは同誌1991年2月8日号の記事を補足するもので、神は子供の死を望んではおらず、死んだ子供たちを復活させられるとこの記事は論じている。

カトリックが深刻な司祭不足にあえぐ

「目ざめよ!」誌1991年3月8日号は、カトリック教会の司祭不足が深刻になっていることを実際の数字を挙げて指摘した。

この記事によると、神学校で司祭になる訓練を受ける者の数は1960年の4万人から現在の4500人足らずと89パーセントも減少しており、その結果現役の司祭はいくつもの教区を抱えこんであえいでいるという。

UFO研究家が「目ざめよ!」誌に感謝状を贈る

「目ざめよ!」誌1991年3月8日号は、「読者の声」として、天空異常現象中央研究ネットワークのメンバーの手紙を紹介した。

これは同誌1990年11月8日号に掲載されたUFOについての記事に関するもので、この人物は、「皆さんの記事は変わり種とはいえ、なかなか優れたものでした」、「この記事にはお礼を申し上げたいと思います」と述べている。

「目ざめよ!」誌が過激なロックグループを批判

「目ざめよ!」誌1991年3月8日号は、「2ライブ・クルー」などのロックグループをあまりにも卑猥だとして批判する記事を掲載した。

この「2ライブ・クルー」のアルバムは、オラールセックスを表現した部分が87箇所、性器を表現した部分が116箇所出てくるなどきわめて卑わいであり、その内容を巡って裁判も行われているという。

「ものみの塔」誌が告白に関する特集記事を掲載

「ものみの塔」誌1991年3月15日号は、カトリックの告白の習慣を批判する特集記事を掲載した。

この記事によると、クリスチャンには自分の罪を明らかにする責務というものがあるが、カトリックの場合、そのやり方に問題があるという。
さらにこの記事は、カトリックの司祭に果たして告白を受けたり人を許したりする資格があるのかという点について論じ、マタイ18章18節などの聖句に関するカトリックの主張に対する反論を行っている。

「ものみの塔」誌が天への召しについての論考を掲載

「ものみの塔」誌1991年3月15日号は、「天への召しを本当に受けているのはだれですか」と題する論説を掲載した。

この記事は、天への召しは純粋に神の選びに依存しており、霊の力によって当人に知らされるものなので、それが各個人の意志や決定に依存しているということはないとしている。
そういうわけで、たとえば、現在の地上での生活に不満がある人が天に召されることを切実に願ったとしても、実際に神に召されたのでなければそれはただの空想であり、その人は自分が精神障害に陥っていないか考える必要があるとこの記事は述べている。

「ものみの塔」誌および「目ざめよ!」誌が主の記念式に読者を招待

「ものみの塔」誌1991年3月15日号および「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、キリストの死の記念式が3月30日に執り行われることを告知し、読者にその記念式への参加を促した。


カトリックの枢機卿が神学生に戸別伝道を教えることを提案

「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、エル・パイス紙からの引用として、カトリックの一枢機卿が「エホバの証人が行っているように」カトリックも神学生に聖書伝道をやらせるのがよいと提言していることを明らかにした。


モンゴル語訳の新約聖書が完成

「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、イギリスの聖書学者であるジョン・ギベンズの18年の努力により、ついに新約聖書のモンゴル語訳が完成したことを明らかにした。

しかしながら、モンゴル国民220万人のうち聖書を信じている人の数はわずか10人程度であるという。

フランスでカトリック教徒の意識調査が行われる

「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、フランスにおいてカトリック教徒の意識調査が実施されたと報じた。

この調査の結果、同国のカトリック教徒の69パーセントが結婚関係外の性交渉にカトリック教会が関わるべきでないと考えているなどの、カトリック教会の影響力の衰退ぶりが明らかになったという。

カナダで悪魔主義が問題になる

「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、カナダにおいて悪魔崇拝が盛んになり、問題になっていると報じた。

この記事によると、悪魔主義者たちは自分たちの礼拝において性的虐待や人肉嗜食や人身供儀などの危険な行為を行っており、すでにそのような行為に関する報告が2000件に達しているという。

英国国教会が財政難に

「目ざめよ!」誌1991年3月22日号は、英国国教会が聖堂の管理費を調達するために、訪問者から入場料を集めたり関連店舗の賃貸料を上げたりせざるを得なくなっており、この件に関して政府に支援を求めていることを明らかにした。


特別開拓者が任命される

「わたしたちの王国宣教」1991年4月号は、この4月1日付で100人の特別開拓者が新たに任命を受けたことを告知した。


新しいパンフレットが発行される

「わたしたちの王国宣教」1991年4月号は、「楽園への道を見いだす方法」と題する英語のパンフレットが発行されたことを告知した。

このパンフレットはイスラム教の背景を持つ人たちのためのものであるという。

ものみの塔聖書冊子協会が新しい書籍を発行する

「ものみの塔」誌1991年4月1日号は、1990年中世界各地で開かれたエホバの証人の「清い言語」地域大会において発表された、ものみの塔聖書冊子協会が発行する新しい書籍を紹介する記事を掲載した。

この新しい書籍は「神を探求する人類の歩み」と題するもので、エホバの証人が世界中の様々な宗教に対する理解を深め、またその宗教を実践する人たちに聖書の教えを宣べ伝えるための助けとして発行されたという。

東ヨーロッパでキリスト教団体による政治活動が盛んになる

「ものみの塔」誌1991年4月1日号は、近年東ヨーロッパにおいてキリスト教団体の政治化が進んでおり、カトリックもプロテスタントも歩調を同じくしていることを紹介する記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がレム不全症に関する記事を掲載

「目ざめよ!」誌1991年4月1日号は、ナルコレプシー(睡眠発作もしくはレム不全)という難病を扱った記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がキリスト教の蛇を使った儀式を批判

「目ざめよ!」誌1991年4月8日号は、キリスト教の教会においてしばしば行われる、蛇と毒とを使った儀式を批判する記事を掲載した。

これは、聖書聖典の中に後代に加えられた間違った記述に基づく習慣であり、この記事は、そのような儀式を行う者たちのことを甚だしく信仰が欠けているとして強い調子で非難した。

イタリアで患者の権利を尊重する判決が下される

「目ざめよ!」誌1991年4月8日号は、イタリアのラ・レプブリカ紙からの引用として、イタリアにおいて初めて、医療過誤に関して医師に殺人罪が適用されたことを明らかにした。

この出来事は、患者の同意なしに医師がメスを振るうことは殺人罪と見なされるという従来からの医療倫理を改めて確認するものとなった。

「ものみの塔」誌が世界平和を特集

「ものみの塔」誌1991年4月15日号は、世界平和の達成は人間の政治家によらず「平和の君」であるイエス・キリストによって得られるとする特集記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が死海写本を紹介

「ものみの塔」誌1991年4月15日号は、死海写本を紹介する特集記事を掲載した。

この記事は、死海写本とマソラ本文との異文の知識を得るために、参照資料付き新世界訳聖書の幾つかの聖句の脚注を参照するよう読者を促した。

「ものみの塔」誌が黙示録1章10節の翻訳について注解

「ものみの塔」誌1991年4月15日号は、聖書の啓示の書(黙示録)1章10節の「わたしは霊感によって主の日に来た」という言葉における「主の日」の意味と訳出について注解する記事を掲載した。

この記事は、この「主の日」が今で言うところの「日曜日」であり、日曜礼拝の習慣はこのころには確立されていたという教会の伝統的解釈に対して異議を唱え、その証拠として提出されている二つの聖句はどちらも確定的ではないと主張した。
さらにこの記事は、聖書の同様の表現が常に終末思想に結びついていることを指摘し、さらに啓示の書の文脈を考慮に入れるなら、むしろこの句は啓示の書全体が扱っている終末の日を指して用いられている可能性の方が高いことが分かると結論している。

「目ざめよ!」誌が離婚家庭における子供の問題を特集

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、「離婚家庭の子供たちを助ける」と題する特集記事を掲載した。


コロンビアでものみの塔協会支部施設が建設される

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、エホバの証人の「国際建設自発奉仕者計画」の一環として実施されたコロンビアにおけるものみの塔聖書冊子協会支部施設の建設の様子を報告する記事を掲載した。

この建設計画は大規模なものであったにもかかわらず、国外からボランティアで駆けつけた技術者の指導のもと、地元のエホバの証人たちの手によって建設が行われ、最終的に、これらの奉仕者たちの仕事の質もまずまずの満足できるものだったという。

「目ざめよ!」誌が子供に対する親の束縛を扱った記事を掲載

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、「若い人は尋ねる−なぜ親はわたしの生活を束縛しようとするのだろう」と題する記事を掲載した。

この記事は、例えば門限のような、親が子供に課す制限事項に対して子供たちがどのように対処するのが最善であるかを事例を挙げながら説明している。
この記事はさらに、「親に信頼してもらい、自由になるため」に親に対して嘘をつくことをとがめ、「それは自分がどれほど正直かを証明しようとして盗みを働くのと同じ事だ」と述べた一人物の言葉を引用した。

日本においてハイテク伝道が盛んになる

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、文化庁からの話として、近年日本において、ビデオ、コンピューター・ネットワーク、ファックスなどによる宗教伝道が盛んになっているという話を伝えた。

このようなやり方が日本において盛んになっている背景には、日本のテレビ局が規制を受けており、宗教団体がテレビを用いて寄付を求めたり非科学的な信条を広めたりすることを禁じているという事情があるのだという。

アメリカにおいて同性愛者の子育てが流行

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、ニューズウィーク誌からの引用として、アメリカの子供たちのうち700万人は同性愛者の親に育てられていることを明らかにした。


バチカンが既婚司祭を承認

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、法王ヨハネ・パウロ二世が二人の既婚男性を司祭として叙階したことを明らかにした。

この二人の司祭はいずれもブラジル人で、結婚してはいるが、「妻とは性関係を持たない」という誓約書を提出し、それによって叙階を認められた。
なお、これはカトリックの司祭不足を補うための処置であるという。

孤児院における児童虐待事件に州が賠償を約束

「目ざめよ!」誌1991年4月22日号は、ナショナル・カトリック・リポート紙からの引用として、ニューファンドランド州政府が孤児院で生じた児童虐待事件に対する損害賠償を支払うことを宣言したと報じた。

この事件は、クリスチャンである8人の男性による児童虐待に関わるもので、州側はふさわしい時に子供たちを保護する務めを怠った賠償は支払うが、その主な責任は当人たちにあるとコメントしている。

新しいパンフレットが発行される

「わたしたちの王国宣教」1991年5月号は、「わたしたちの問題−それを解決するよう助けてくれるのはだれか」と題する英語のパンフレットが発行されたことを告知した。

このパンフレットはヒンズー教の背景を持つ人たちのためのものだという。

地域大会の開催場所が告知される

「わたしたちの王国宣教」1991年5月号は、1991年の「自由を愛する人々」地域大会の開催場所と日時を告知した。

それによると、今年は43の場所と日時において大会が開催されるという。

エホバの証人がアフリカで救援活動

「ものみの塔」誌1991年5月1日号は、南アフリカのエホバの証人が行った、近隣のとある国に対する救援活動の内容を報告する記事を掲載した。

名前の伏せられているこの国は現在エホバの証人の活動を非合法化しているが、干ばつの被害を受けており、エホバの証人がこの国に救援物資を運び込むのを快く許可してくれたという。
またこの記事は、この国におけるエホバの証人の活動の困難な状況についても報告し、現在このような問題が解決されようとしているとも述べている。

「ものみの塔」誌が地域大会に読者を招待

「ものみの塔」誌1991年5月1日号は、その年のエホバの証人の地域大会が「自由を愛する人々」という主題で行われることを告知し、読者にその大会への出席を促した。


「目ざめよ!」誌が宝くじを批判

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、宝くじに対して否定的な特集記事を掲載した。

この記事は加えて、カトリック教会が教会内において行うビンゴやラッフルは宝くじと同じだと批判し、宝くじやギャンブルは人々に隣人愛に欠けた精神を広めてしまうと警告した。

「目ざめよ!」誌がイタリアのワールドカップを批判

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、「ワールドカップ・サッカー−スポーツ、それとも戦争?」と題する批判的な記事を掲載した。

この記事は、イタリアで開催されたワールドカップ・サッカー選手権を批判したもので、その開催期間中にサッカーファンたちが数々の暴力行為に走ったことに強い不快感を表したうえで、それは決して平和や友好の祭典とはならなかったと結論している。

「目ざめよ!」誌が異性との交渉に関する論説を掲載

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、「若い人は尋ねる−異性との悪ふざけにはどんな害があるのだろう」と題する記事を掲載した。

この記事は、年頃の男女が性的な悪ふざけを行うことの危険性を指摘したうえで、そのような悪ふざけをするよりも、自尊心に基づいた、異性との健全な関係を培う方がよいと読者に勧めている。

「目ざめよ!」誌がカトリックの伝承を否定

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、「カトリックの巡礼−事実と神話、そのどちらに基づいていますか」と題する否定的な論説を掲載した。

この記事は、スペインのサンティアゴ大聖堂とそれに関わる種々の聖遺物を取り巻く歴史を紹介したもので、それらについて、宗教上のこういった伝承は真の信仰に代わるものではないと結論している。

「目ざめよ!」誌が一夫多妻を否定

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、一夫多妻を否定する論説を掲載した。

この記事は、聖書中に記されている一夫多妻の幾つかの事例にはそれなりの事情があったことを指摘したうえで、それでも聖書に記されたこれらの一夫多妻の記録は決して良いものではないことや、そもそも神が人間に望んだのは一夫一婦制であるという聖書の教えを指摘し、もし、読者の中に一夫多妻を実践している人がいれば、その人は努力を払って2人目以降の妻を去らせるのがよいと助言している。

モザンビークにおいてエホバの証人が合法化される

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、長年にわたってエホバの証人の活動を禁止していたモザンビーク当局がその禁令を解除し、その活動を合法化したことを明らかにした。

この後開催されたエホバの証人の地域大会には、およそ6000人のエホバの証人の出席があったという。

スペイン系カトリック教徒が減少

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、ヒスパニック誌からの引用として、アメリカで過去15年間におよそ100万人のスペイン系住民がカトリック教会を去ったことを明らかにした。

これらの人たちは、自分たちに対するより多くの霊的援助を求めて、カトリックから他のキリスト教派に転向しているのだという。

議員が「目ざめよ!」誌を議会で推薦

「目ざめよ!」誌1991年5月8日号は、「読者の声」として、「目ざめよ!」誌を称賛する市議会決議を求めて運動を行っている一市議会議員の言葉を紹介した。

この議員は自分の手紙の中で「目ざめよ!」誌のことを称賛し、「われわれの社会にとって非常に重要な論題を集めた出版物でありながら、非政治的な立場をたもち、重々しくない宗教的なタッチで、本の中に本に基づいた説明を加えているそのような出版物を見つけるのはたいへん困難です」との評価の言葉を述べている。

「ものみの塔」誌がチリにおける伝道活動を紹介

「ものみの塔」誌1991年5月15日号は、チリ南部におけるエホバの証人の伝道活動を紹介する記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がテレビの害を警告

「目ざめよ!」誌1991年5月22日号は、テレビのもたらす精神的弊害について警告する特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がMEPSを紹介

「目ざめよ!」誌1991年5月22日号は、ものみの塔聖書冊子協会が開発、運用を行っている多言語電算写植システム(MEPS)を紹介する記事を掲載した。

これは、ものみの塔聖書冊子協会が出版業務を行う際にしばしば直面する、少数言語用の写植システムは営利企業によっては開発すらされていないという問題に対処するため、世界中のエホバの証人たちの協力によって開発されたもので、一つのシステムであらゆる言語が用いられるという画期的な機能が備わっているという。
このコンピューター本体を含めたシステム全体はエホバの証人による独自仕様で、現在このシステムは200を越える言語の写植業務に用いられているという。

米国監督教会の主教が暴走?

「目ざめよ!」誌1991年5月22日号は、アメリカの監督教会の一主教であるジョン・S・スポングが、「真剣な聖書研究」によって使徒パウロが同性愛者であることが判明したとする内容の著書を発行したことを伝えた。

この主教は、これまでにも女性聖職者の叙任や同性愛者の司祭の叙任を求めて活動した経歴があり、今度は、「教会は古くさい」と考える人たちを教会に引き留めるためにこのような研究成果を公表しているのだという。

ものみの塔聖書冊子協会の本部見学の取り決めが発表される

「わたしたちの王国宣教」1991年6月号は、アメリカにあるものみの塔聖書冊子協会本部を見学する際の注意点を掲載した。


「ものみの塔」誌の長期連載記事が終了

「ものみの塔」誌1991年6月1日号は、「イエスの生涯と宣教」と題する連載記事の最後の記事が載せられる号となった。

この連載は1985年4月1日号以来連続149号にわたって連載され続けたものであり、イエスの生涯中のあらゆる出来事を挿し絵と解説によって網羅してきた。

ギレアデ聖書学校の卒業式が行われる

「ものみの塔」誌1991年6月1日号は、ものみの塔聖書冊子協会の運営するものみの塔ギレアデ聖書学校の第90期卒業式が行われたことを報告した。

第90期クラスが送り出した卒業生の数は24名、6カ国の出身者たちから構成されており、任命される国の数は10カ国となるとこの記事は報告している。

エホバの証人の統治体が装飾具や化粧品の使用についての見解を発表

「ものみの塔」誌1991年6月1日号において、エホバの証人の統治体は、「クリスチャンの女性が装飾具や化粧品や毛染め剤を用いるのは妥当なことか」という質問に対する回答を発表した。

この記事において統治体は、「クリスチャンは化粧品をしたり装身具を身につけたりせずに全く飾りのない姿でいるべきだと考えている人々は聖句を間違って適用している」と述べ、さらに、「聖書はある種の化粧を認めて別の化粧は禁じるということをしない」と指摘している。
しかし、聖書はその一方でクリスチャンの女性がクリスチャンにふさわしい身なりをすべきことを命じていると統治体は指摘し、クリスチャン各自が自分の化粧の程度について吟味することを勧めた。

「ものみの塔」誌が地域大会に読者を招待

「ものみの塔」誌1991年6月1日号は、その年のエホバの証人の地域大会が「自由を愛する人々」という主題で行われることを告知し、読者にその大会への出席を促した。


「目ざめよ!」誌が創造の記述について注解

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、聖書の創造の記述に示されている創造の順序について、それは大まかなものであり、創造の個々の過程は実際には創造の複数の日にまたがっているとする注解を掲載した。


女子学生が「目ざめよ!」誌を称賛

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、最近一女子学生からの称賛の手紙が「目ざめよ!」誌宛に届けられたことを明らかにした。


第七回世界教会協議会が開催される

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、第七回世界教会協議会がオーストラリアで開催されたことを明らかにした。

US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌によれば、この協議会には300余りのキリスト教会の代表者たちが参加したが、その協議会の終わりは始めよりも悪く、種々のトラブルの末、教会の一致ではなく不一致が促進されたという。

ローマ法王が聖書伝道を強く呼びかける

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、「教会の宣教に関する勅命」と題する回勅を発行したことを伝えた。

この勅命の中でローマ法王は、カトリック教徒にしばしば見られる、他の宗教に対する遠慮から改宗活動を敬遠する向きを厳しく否定したとこの記事は報じている。

イサベラ一世は聖人か?

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、近年カトリック教会内で、15世紀のスペインの女王イサベラ一世を聖人にしようとする動きが見られていることを明らかにした。

彼女はコロンブスを支援してアメリカ大陸を発見させたことで有名だが、同時に彼女はスペインの異端審問の創始者でもあり、特にユダヤ人とイスラム教徒を激しく弾圧していることから、彼女を聖人化することにはこれらの人たちから批判が出ているという。

新しい言語の聖書翻訳が刊行される

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、1990年中に新たに4つの言語で聖書が刊行されたことを明らかにした。

これにより、現在聖書は1946の言語で入手可能となったという。

科学ハラカー研究所が紹介される

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、ウォールストリート・ジャーナル紙の報道からの引用として、エルサレム郊外にある「科学ハラカー研究所」の研究内容を紹介した。

この研究所は、ユダヤ人のハラカーつまり律法体系と現代社会の生活とをいかに調和させるかを研究しているという。
この研究所の取り組む問題の多くは安息日に関するもので、安息日にエレベーターに乗るための方法や電話をかけるための方法など、律法上問題となる様々な障害をこの研究所は克服してきたという。

「目ざめよ!」誌が地域大会に読者を招待

「目ざめよ!」誌1991年6月8日号は、その年のエホバの証人の「自由を愛する人々」地域大会の開催日時と場所とを告知し、読者にその大会への出席を促した。

この記事によると、今回の大会は43の場所と日時で開催される予定である。

「ものみの塔」誌が輸血に関する研究記事を掲載

「ものみの塔」誌1991年6月15日号は、エホバの証人の輸血拒否を扱った一連の研究記事を掲載した。

この一連の研究記事は、聖書の中には400回あまり血に関する言及があるという点を指摘した上で、旧約においても新約においてもその教えが重要な立場を占めていることを示し、その内容について論じた。
この記事は、聖書が血について論じているのは健康のためではなく贖いの教理のためであることを指摘し、命を救う役割としての血は、輸血によるものが一時的なものであるのに対し、贖いによるものは永遠であると論じた上で、それゆえに、贖いを認めるエホバの証人はその根拠として血を「命」とみなし、こうして輸血を拒否すると結論づけている。
また、この研究記事はエホバの証人の子供の輸血拒否の問題についても触れ、エホバの証人の親が輸血拒否について子供に教える際には、あくまで信仰がその理由であることを納得させ、輸血の副作用を強調したりして子供に恐怖心を抱かせないようにと教えた。

「ものみの塔」誌が若者の忠節に関する論説を掲載

「ものみの塔」誌1991年6月15日号は、若いクリスチャンの忠節に関する論説を掲載し、信仰に関して裏表のある生活を送ることのないよう若い読者に勧めた。


エホバの証人の統治体が輸血の強制についての見解を発表

「ものみの塔」誌1991年6月15日号においてエホバの証人の統治体は、裁判所がエホバの証人への強制輸血を命令した場合、エホバの証人はどのようにそれに対処すべきかという質問に対する見解を掲載した。

この問題に関して統治体は、「状況はそれぞれ異なるので、この点に関する包括的な規則はありません」と述べ、この点に関して統治体が規則を作ることはないと明言したが、しかしクリスチャンは「人間より神に従う」ゆえに、そのような状況にあっても自分にできる最善のことを行うとし、その決意を述べた12歳の少女の言葉を引用している。
この記事の中でその少女は、「裁判所が輸血を許可しても、全力を振り絞って戦い、腕から注入器具を引き抜くつもりです」と自分の固い決意を言い表している。

ユダヤ教徒とキリスト教徒は和解できるか

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、「キリスト教徒とユダヤ教徒−和解は可能か」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、偶像崇拝や三位一体の教理、ナチスによるユダヤ人大虐殺など、両者の融和を妨げる要素について言及した後、ユダヤ人の希望としてのメシアの教理に読者の注意を引き、イエスこそがその希望の成就であることをユダヤ人が認めることこそが和解の手だてであると論じている。

「目ざめよ!」誌が学校の運動部に関する記事を掲載

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、「若い人は尋ねる−学校の運動部にはいるべきだろうか」と題する記事を掲載した。

この記事はスポーツには良い側面と悪い側面とがあることを指摘し、勝つようにという圧力にさらされるかもしれないこと、聖書が禁じているような卑わいな会話がそのクラブの特徴となっているかもしれないことなど、学校の運動部に入ることにより生じるかもしれない問題について論じた。
さらにこの記事は、エホバの証人の多くがこのような理由により実際に学校のクラブに通っていないことを指摘し、スポーツをするなら、学校のクラブを選択するより、レクリェーションとしてのスポーツを計画する方がよいと読者に勧めている。

障害者が聖書伝道

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、足の萎えた人と目の見えない人とが協力し、足の萎えた人は車椅子に座って目の役割を果たし、目の見えない人は車椅子を押して足の役割を果たして、こうして聖書伝道を行っているという話を紹介した。


ものみの塔協会に支持者から手紙が届く

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、エホバの証人の活動が禁止されているアフリカのある国から、エホバの証人を支持する手紙が届いたことを紹介した。


モザンビーク政府が聖書伝道を認可

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、モザンビークにおいてエホバの証人の行う聖書伝道活動が法的に認可されたことを明らかにした。

なお、現在モザンビークには5235人の伝道者がいるという。

ソ連政府がエホバの証人を認可

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、1991年3月28日に、エホバの証人の代表者がソビエト政府からエホバの証人の活動を合法化するという公文書を受け取ったことを明らかにした。

(注:ソビエトのエホバの証人は100年の歴史を持っており、政府の弾圧の下で活動を行っていた。)

ブーヘンワルト記念館がエホバの証人に注目

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、ブーヘンワルトの強制収容所記念館の館長が、ナチスドイツによってここで迫害を受けたエホバの証人について言及し、彼らにもっと注目すべきであるとの意見を述べたことを明らかにした。


女性僧職者のセクハラ問題が明るみになる

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、アメリカのユナイテッド・メソジスト教会の調査により、同教会の女性僧職者の4分の3以上が性的な嫌がらせを経験していることが明らかになったと報じた。

世界教会新聞社によると、同教会の女性僧職者の41パーセントが、性的嫌がらせを行ったのが同職者や他の牧師たちであることを証言したという。

キリスト教雑誌がメソジスト教会を批判

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、「今日のキリスト教」誌が、ユナイテッド・メソジスト教会の問題を紹介する内容の記事を掲載したことを明らかにした。

この記事は、メソジスト派神学校の調査報告に基づくもので、メソジスト教会の主教は無料の住宅に住み、年間約891万円の給料を受け取り、さらに553万円の職務手当をもらった上に、退職や移転の際にはお祝いとして540万円の現金を受け取っていると報告している。
「目ざめよ!」誌のこの記事はこれらの問題に関するコメントとして、「メソジスト教会は主教に多額の儲けを得させる以外の方法で誉れを帰す方法を何か見つけるべきである」と述べた。

盗まれる聖書

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー誌からの報告として、シカゴ公立図書館で最も盗まれる本は聖書であり、断然トップの数字を記録していることを明らかにした。


中国でキリスト教が伸長

「目ざめよ!」誌1991年6月22日号は、アメリカの中国語新聞「ワールド・デイリー」からの引用として、中国の農業社会は欧米の宗教に侵略されつつあるとする中国の国家副主席の言葉を紹介し、中国において近年キリスト教が伸長しつつあることを明らかにした。


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