JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
1991年版(2)
1999年10月28日更新

モザンビークのエホバの証人が認可される

「わたしたちの王国宣教」1991年7月号は、1991年2月11日付でモザンビーク政府がエホバの証人の組織を合法と認可したことを明らかにした。


無輸血医療のための委員会が拡充される

「わたしたちの王国宣教」1991年7月号は、日本国内の医療機関連絡委員会が24から48に増強され、合計188名の委員によって運営されていることを明らかにした。


エホバの証人の建設組織の活動が紹介される

「わたしたちの王国宣教」1991年7月号は、日本国内に8つ存在する地区建設委員会の活動を掲載する記事を掲載した。

この委員会の活動により、エホバの証人の王国会館は4日ないし5日で建設が行われているという。
またこの記事は、この建設のための資金の調達についても指示を与えている。

「ものみの塔」誌がクリスチャンの子供の教育に関する論考を掲載

「ものみの塔」誌1991年7月1日号は、「子供たちのうちにクリスチャンの人格を築く」と題する記事を掲載し、クリスチャンの親が子供をどのように教育すべきかを論じた。

この記事は、クリスチャンの親が子供に対して行える事柄を示した後、「親が子供にクリスチャンの人格を築こうと一生懸命努力するとしても、(生き方を選択する)責任は子供自身にあり、最終的には子供自身がエホバに仕える決定を自分自身で下さなければならない」と述べている。

クリスチャンに自己防衛は許されるか

「目ざめよ!」誌1991年7月8日号は、「自己防衛−クリスチャンにはどの程度まで許されますか」と題する論説を掲載した。

この記事は、イエスが剣に関して語った事柄など、この問題に関わる幾つかの聖句を考慮した後に、結論として、クリスチャンにはどんな場合にも抵抗してはならないということが求められているということはないが、それでも、性急に自己防衛を行うことは許されていないとしている。

アルゼンチンにものみの塔聖書冊子協会事務所が設置される

「目ざめよ!」誌1991年7月8日号は、アルゼンチンの8万4000人のエホバの証人の必要を満たすための、ものみの塔聖書冊子協会の事務所と関連施設が完成したことを明らかにした。


アメリカで宗教調査が行われる

「目ざめよ!」誌1991年7月8日号は、アメリカで行われた宗教調査の結果を紹介した。

その結果アメリカ国民の86.5パーセントがキリスト教徒であり、同26パーセントがカトリック信徒であることが判明した。
また、同国民の90パーセントは「自分は信心深い」と回答し、アメリカの宗教事情がヨーロッパなどとは大きく異なっていることが示されたという。

ハンガリーで悪魔崇拝が問題化

「目ざめよ!」誌1991年7月8日号によると、ハンガリーでは若者たちを中心に悪魔崇拝がブームとなっており、国中が唖然としているという。

ユーロピアン紙が伝えるところによると、若者たちに対する調査の結果、多くの子供たちがオカルト雑誌を通して悪魔崇拝に引き寄せられており、儀式的殺人も行われているという。

カトリックが“集合ミサ”を廃止

「目ざめよ!」誌1991年7月8日号によると、バチカンは1991年2月22日に布告を発表し、いわゆる集合ミサを廃止した。

この集合ミサもしくは蓄積ミサとは、一度のミサで複数のミサを済ませてしまうというものであるが、それは一度のミサと引き替えに司祭が受け取る寄付金の水増しにつながるため、バチカンはそれを問題視し、廃止したという。

ソビエトがエホバの証人を認可

「ものみの塔」誌1991年7月15日号は、ソビエトにおいてエホバの証人の活動が認可されたことを報告する記事を掲載した。

この記事は、これまでのソ連におけるエホバの証人の活動を紹介し、その活動が今年でちょうど100年目になることを指摘した。
なお、この認可は新ソビエト政府の最初の認可になるとこの記事は述べている。

「ものみの塔」誌が若者の信仰の弁明に関する論説を掲載

「ものみの塔」誌1991年7月15日号は、しばしば若いクリスチャンが学校などで直面する信仰の問題について、どのようにそれに対処できるかについて論じる記事を掲載した。

この記事は、若いクリスチャンはただ信仰を実践するだけではなく、それについて反対を受けた時に自分の信仰を弁明できるよう備えをしている必要があると論じ、実際の例を挙げながら読者を励ました。

オランダの新聞が「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を称賛

「目ざめよ」誌1991年7月22日号は、オランダの「NRCハンデルスブラッド」紙が「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を称賛する記事を掲載したことを明らかにした。

その記事によると、「この二つの雑誌は、時事解説書の凝縮版とも言える」ほどのものであり、また、「非常に大勢の読者にとって計り知れない科学の情報源となっている」という。

「目ざめよ!」誌が読書を推薦

「目ざめよ!」誌1991年7月22日号は、「視野を広げるために読書をしましょう」と題する記事を掲載した。

この記事は、読者に「健全な読み物」を選ぶように勧め、「選択するなら、実際的な面でも、知的な面でも、霊的な面でも益が得られます」と述べている。

イタリアで宗教調査が実施される

「目ざめよ!」誌1991年7月22日号は、イタリアで十代の若者たちを対象とした宗教調査が行われたことを明らかにした。

その結果は、「ラ・レプブリカ」紙の表現を用いるなら「開いた口がふさがらない」というほどのもので、調査の対象となった学生たちのうちの56パーセントは聖書を一度も読んだことがなく、83パーセントは旧約聖書と新約聖書との違いを説明することができず、36パーセントは、「ジェネシス」を聖書の創世記ではなくイギリスのロックバンドの名称と答えたという。

ものみの塔協会がカレンダー他を発行

「わたしたちの王国宣教」1991年8月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、1991年の製本した「ものみの塔」、同「目ざめよ!」、1992年の年鑑、同「日ごとに聖書を調べる(日々の聖句)」、同カレンダー、ならびに「ものみの塔」雑誌ファイルケース、「目ざめよ!」雑誌ファイルケースを発行する予定であることことを告知した。

特にカレンダーは、約束の地の風景と聖書に関連した挿し絵が組み合わさっており、魅力的かつ教訓的なものとなっているという。

1992奉仕年度の日本の目標が決まる

「わたしたちの王国宣教」1991年8月号は、1991年9月(1992奉仕年度)から1年間、日本のエホバの証人の持つ目標が「教える技術を向上させる」となったことを告知した。


ニカラグアでエホバの証人に対する禁令が解かれる

「わたしたちの王国宣教」1991年8月号は、1991年5月1日付けで、ニカラグアにおけるエホバの証人の活動制限が解かれたことを明らかにした。


「最後の審判」とは何か

「ものみの塔」誌1991年8月1日号は、「最後の審判を恐れるべきですか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、最後の審判に関するキリスト教諸教派の教理について言及したあと、聖書の「裁き」について論じ、結論として、最後の審判の日は希望の日であり、「わたしたちは裁きの日について考えるとき、恐れたり嫌悪感を持ったりすべきではありません」と結論している。

「ものみの塔」誌が使徒5章42節の翻訳について注解

「ものみの塔」誌1991年8月1日号は、ドイツのエホバの証人反対派たちが新世界訳聖書の使徒5章42節の訳出に反対し、「家から家へとたゆみなく教え」という訳文は間違っていると主張していることを明らかにし、その批判に対する反論を述べた。

この批判は、エホバの証人がこの聖句を戸別聖書伝道の根拠として引き合いに出していることに意義を唱えるものであるが、「ものみの塔」誌は実際にドイツの神学者の言葉を引用しながら、この表現は「配分的な意味」で用いられており、翻訳は間違っていないと論じている。

「ものみの塔」誌がホロコーストの経験談を掲載

「ものみの塔」誌1991年8月1日号は、エホバの証人であるという理由でザクゼンハウゼン強制収容所に収容された人物の経験談を掲載した。


「ものみの塔」誌が「ものみの塔」誌を宣伝

「ものみの塔」誌1991年8月1日号は、最も広く読まれているのは「ものみの塔」誌であるとする内容の宣伝を掲載した。


「目ざめよ!」誌が「堅信」について論じる

「目ざめよ!」誌1991年8月8日号は、カトリックの秘跡である堅信の儀式について、それは聖書に根拠がなく、間違いであるという論説を掲載した。

この記事は、堅信の儀式は聖書にではなく、やはり聖書に基づかないカトリックの幼児洗礼に由来があることを明らかにし、また、しばしば堅信の根拠として持ち出される聖書の使徒8章14節から17節および19章1節から6節の内容について反証を行っている。

666が欠番になる

「目ざめよ!」誌1991年8月8日号は、イギリスにおいて、交通事故との因果関係を主張する人たちのために自動車のナンバープレートには666の数字が使われないようにすることが決定されたと報じた。

しかしこの記事はその決定に疑問を投げかけ、実のところ666という数字を用いた聖書の啓示(黙示録)13章18節は事故とは関係がないと述べている。

大学の教授が「目ざめよ!」誌を称賛

「ものみの塔」誌1991年8月15日号は、「目ざめよ!」誌を「超一流」と形容して称賛するアメリカの一大学教授の手紙を紹介した。

この手紙によると、その大学教授はこれまで7年間、大学の教材として「目ざめよ!」誌を用いており、内容のみならず、その文法的な質も「最高」だと感じているという。

15歳の少年が輸血を拒否

「目ざめよ!」誌1991年8月22日号は、15歳で輸血を拒否した少年の経験談を掲載した。

この輸血拒否を受けて、医師たちは強制輸血の法廷命令を取り付けようとしたが、それは却下されたという。
この少年は、食道静脈瘤と血友病を併発しているため、それ以降も何度も出血を繰り返し、そのたびに回復していたが、この雑誌の印刷直前にさらに出血を起こし、ついに死亡したという。

イタリアで輸血に関する法令が施行される

「目ざめよ!」誌1991年8月22日号は、イタリアにおいて輸血にはインフォームド・コンセントが必要条件であるとする法令が施行されたことを明らかにした。


法王が聖母マリアに感謝

「目ざめよ!」誌1991年8月22日号は、カトリックの法王ヨハネ・パウロ2世が、10年前に自分がローマで銃撃を受けた際に無事に命を長らえることができたことを聖母マリアに感謝し、ファティマの聖母マリア聖堂に滞在したと報じた。


小児性愛の司祭を教会がかばう

「目ざめよ!」誌1991年8月22日号は、ナショナル・カトリック・リポーター紙からの引用として、カトリック教区の中には小児性愛者の司祭をかばう教区が存在していることを明らかにした。

この問題の専門家である一弁護士によると、「教会は組織としての十分な対応を故意に避けており、責任逃れを延々と続けている」という。

オーストラリアで宗教調査が行われる

「目ざめよ!」誌1991年8月22日号は、オーストラリアにおいて国勢調査が行われ、その結果、オーストラリアにおいて急速に宗教離れが進んでいることが明らかになったと報じた。


ポルトガル語会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1991年9月号は、1991年8月1日付で日本に4つのポルトガル会衆が発足したことを明らかにした。


「ものみの塔」誌の発行言語数が減少

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、1991年9月1日号において、「ものみの塔」誌の発行言語数を111から110に更新した。

なお、「ものみの塔」誌の現在の平均発行部数は1529万部である。

「ものみの塔」誌に台湾灯台社の経験談が掲載される

「ものみの塔」誌1991年9月1日号は、台湾でエホバの証人になり、日本政府の弾圧を受けた出井みよ姉妹の経験談を掲載した。


「目ざめよ!」誌がポルノを否定

「目ざめよ!」誌1991年9月8日号は、ポルノに対して否定的な論説を掲載した。

この記事は、ポルノは夫婦間において思いやりのない自己中心的な性関係を助長し、不健全な性的倒錯への道を開くと述べ、クリスチャンがその影響から逃れるために、「淫行に関してあなたの体を死んだものとしなさい」という聖書の言葉を実践するようにと読者に勧めた。

スペインのカトリック教会への経済援助が不調

スペインのカトリック教会は政府から税金の一部を援助金として受け取っているが、そのためには各納税者の同意が必要である。

「目ざめよ!」誌1991年9月8日号は、カトリック教会に対するこの資金援助への支持が不調であることを明らかにした。
この記事は、カトリックへの資金拠出に同意する旨を記入する納税者の割合は全体の38パーセントであると述べ、「カトリックがほぼ100パーセントを占める国でこの有様である」と述べている。

カトリックの魔女が人気

「目ざめよ!」誌1991年9月8日号は、メキシコにおいて依然、カトリックの魔女が生活の中で一定の役割を果たしていることを明らかにした。

(注:カトリックの魔女とは、メキシコの魔女がカトリックに改宗することによって誕生した、従来の魔女の家と風習とを守りつつも、同時にマリア崇拝などのカトリックの習慣を取り入れた者たちのことである。
これらの魔女たちは、やってくる人たちに対して薬草の調合を行う際、マリア像と聖書の置かれた祭壇の前で異教の呪文を唱えるという。)

「ものみの塔」誌がイザヤ11章6節について注解

「ものみの塔」誌1991年9月15日号は、聖書のイザヤ書11章6節にある、「おおかみはしばらくの間、雄の子羊と住む」という表現の意味について注解した。

この記事によると、ここで「しばらくの間住む」と訳出されているヘブライ語は、他の翻訳ではただ単に「宿る」と訳されることが多いが、厳密には「しばらくの間」という意味が伴っているという。
この記事は、楽園の地においておおかみと子羊とは共に暮らすが、生態の違いのため、常にそのような状態が見られるわけではないのだろうと推論している。

3歳の子供が強制輸血を逃れる

「目ざめよ!」誌1991年9月22日号は、エホバの証人の親が3歳半の子供の輸血を拒否した事件を紹介する記事を掲載した。

この記事によると、この輸血拒否を受けて医師たちは強制輸血の法廷命令を取り付けようとしたが、両親が機転を利かせてそれより前に子供を転医させ、別の病院で治療を受けさせたという。
新しく転院した先の医師の話では、この子供の病例では輸血はかえって危険であり、結果としてこの子供は難を逃れることとなった。

電子聖書が出版される

「目ざめよ!」誌1991年9月22日号は、ハンディータイプの電子聖書が発売されたことを明らかにした。

この装置は1つ400ドルし、3つの聖書翻訳が収録され、検索も可能であるという。

「ものみの塔」誌の再版が行われる

「わたしたちの王国宣教」1991年10月号は、まもなくものみの塔聖書冊子協会が「ものみの塔」誌の1976年版を再版することを明らかにした。


新しいカセットテープが発行される

「わたしたちの王国宣教」1991年10月号は、「王国の調べ」と題する賛美の歌のカセットテープの第3巻の改訂版が発行されたことを告知した。


神の辛抱が続いているのはなぜか

「ものみの塔」誌1991年10月1日号は、「神の辛抱がそれほど続いているのはなぜか」という特集記事を掲載した。

この記事は、現在の人類が抱える苦しみについて述べた後、神は確かに人々を気遣っておられるとし、それでも神が現在の状態が続くのを許している理由があることを指摘した。
最後にこの記事は、神の辛抱はもはやそれほど長くは続かないと述べ、その辛抱から益を受けるようにと読者に勧めた。

「ものみの塔」誌が真のキリスト教を論じる

「ものみの塔」誌1991年10月1日号は、「真のキリスト教のかぎは何ですか」と題する論考を掲載した。

この記事は、現在クリスチャンと自称する人々の間で信条が相容れないことなどを指摘し、そのことからするなら、彼らの多くは「真のクリスチャン」とは言えないはずだと述べ、真のキリスト教とは何かについて聖書から論じた。
この記事はその条件として、正しい動機、世における愛、会衆における愛などを挙げている。

「ものみの塔」誌が父親の教育を論じる

「ものみの塔」誌1991年10月1日号は、クリスチャンの父親がどのように子供を教育できるかについての論考を掲載した。

この記事は、「父親は子供をいら立たせてはならない」という聖書の言葉を当てはめるように読者に勧め、この聖書の命令は、子供に与える父親の懲らしめは不当であってはならないという意味であると論じた。
また、この記事は父親が子供を批判したり非難したりすることを戒め、むしろ信頼を表明するようにと勧めている。

「目ざめよ!」誌でコンテストに入選

「ものみの塔」誌1991年10月1日号は、イタリアに住む10歳の少女が、「目ざめよ!」誌の記事をもとにした作文を書き、入選したことを紹介した。

このコンテはストでは、1等と2等の作品は共に「目ざめよ!」誌の記事がもとになっていたという。
彼女は入選のためにこの雑誌が貢献したことに感謝し、コンテストの賞金をすべてものみの塔協会に寄付したという。

「目ざめよ!」誌が学校での異性からの圧力に対処するよう若者に勧める

「目ざめよ!」誌1991年10月8日号は、学校に通うクリスチャンの男子が受ける、異性からの性的な誘惑という問題にどのように対処するかを扱った記事を掲載した。

この記事は、異性同士の悪ふざけのような行為に対して抵抗するのを難しく感じる若者に対し、どのように対処できるかをアドバイスしている。

カナダの教会が衰退

「目ざめよ!」誌1991年10月8日号は、カナダ最大のプロテスタント教派であるカナダ合同教会の会員が昨年中2万1000人も減少し、過去20年の間で最も減少したことを明らかにした。


フランスで子供たちの意見調査が行われる

「目ざめよ!」誌1991年10月8日号は、フランスの12歳から15歳までの子供たちを対象にした意識調査が行われたことを明らかにした。

この調査によると、神はいる、あるいはたぶんいると答えた子供は57パーセント、祈りをすると答えた子供たちは59パーセントであった。

「ものみの塔」誌が運命論を特集

「ものみの塔」誌1991年10月15日号は、運命論を否定する特集記事を掲載した。

この記事は、わたしたちの運命は定められていないゆえに、ひとりひとりは自分の力で神の救いを選ぶことができると結論している。

「ものみの塔」誌が教皇制度を批判

「ものみの塔」誌1991年10月15日号は、「教皇制度−キリストが設けたもの?」と題する批判的な記事を掲載した。

この記事は、教皇制度がカトリックの主張するようにペテロより始まったものではないこと、そもそもペテロは教皇ではなく、ローマの司教でもなかったこと、そして歴代のカトリックの教皇の中には人格欠陥者も多数いたことを指摘し、最後に、そもそも教皇制度はイエスによって設けられたというカトリックの主張には裏付けがないと論じている。

「ものみの塔」誌がクリスチャン同士のお金の貸借をアドバイス

「ものみの塔」誌1991年10月15日号は、「仲間のクリスチャンにお金を貸す」と題する記事を掲載した。

この記事は、クリスチャンには「あなた方は、互いに愛し合うことのほかには、だれにも何も負ってはなりません」という聖書の言葉が課されているゆえに、お金の貸し借りは必要な場合にのみ愛のある仕方で行い、たとえば仲間の兄弟の苦境につけ込んで利息を取るようなことはしないようにといったアドバイスを与えている。

「ものみの塔」誌がルカ23章43節の翻訳について注解

「ものみの塔」誌1991年10月15日号は、新世界訳聖書のルカ23章43節の訳出が他の翻訳と異なっているのはなぜかを論じる記事を掲載した。

問題となっている聖句は新世界訳聖書では「今日あなたに真実にいいますが、あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」となっているが、他の翻訳では大抵の場合、「あなたに真実にいいますが、今日あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」となっている。
この記事は、その違いの理由として聖書のギリシャ語本文の句読点の問題を挙げ、そもそも聖書原典には句読点がなかったため、この表現はどちらの意味にも読めたこと、そして、新世界訳聖書が示しているような読みに対する反対意見が現れたのは西暦4世紀以降であることを指摘し、聖書自身が死者とその復活について述べている事柄を考えるなら、新世界訳のような読みをするのが正しいと結論している。

エホバの証人の統治体が葬式についての見解を発表

「ものみの塔」誌1991年10月15日号において、エホバの証人の統治体は、葬式に花束を用いるのはふさわしいかという質問に対する見解を公表した。

この件について統治体は、問題なのは葬式で用いられている花束に宗教的な意味が込められているかどうかにあるゆえに、その点で問題が生じないのなら、花束を用いるのはもちろん、香をたいたり、木を飾ったり、ハート型の装身具を身につけたりしてもかまわないと論じ、ある人たちはそういった習慣を退けるだろうし、またある人はそういった習慣を支持するだろうと述べた。

「目ざめよ!」誌がメキシコの宗教を特集

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、今日のメキシコの人々が、クリスチャンでありながらも異教の習慣を守り続けている様子を紹介する記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が世界教会会議を批判

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、WWC(世界教会会議)の大会がオーストラリアで開催されたことを明らかにし、その大会に対する批判を述べた。

この記事は特に、WWCでの女性の扱いに関する論争、政治論争などの不一致を指摘し、それは「満たされない」内容のものだったと結論している。

ダーウィニズムが批判を受ける

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、しばしば科学者たちが進化論を理不尽な仕方で擁護するのはなぜかを明らかにした本が出版されたことを明らかにした。

この本は、「裁判にかけられるダーウィン」と題するもので、その著者は、彼らがそのような振る舞いに出るのは、進化論に対して否定的なことを言うと学者生命が絶たれるからだと述べている。

同性愛者と自殺との関係が明らかになる

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、若い同性愛者を対象にした調査により、それらの同性愛者の30パーセントが自殺経験者であることが判明したと報じた。


十代の子供の自己決定力が明らかになる

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、「青少年の発育に関するカーネギー評議会」の調査により、14歳から15歳の少年の自己決定能力は、18歳から25歳のそれとたいして変わらないことが判明したことを明らかにした。

このことは、輸血を拒否する十代の若者に関することでもあるとこの記事は述べている。

「目ざめよ!」誌が「ものみの塔」誌を宣伝

「目ざめよ!」誌1991年10月22日号は、「「ものみの塔」誌は、世界で抜きん出て広く配布されている宗教雑誌です」という内容の宣伝を掲載した。


「ものみの塔」誌が再版される

「わたしたちの王国宣教」1991年11月号は、ものみの塔聖書冊子協会が1977年から1979年の「ものみの塔」誌の再版を行う計画であることを明らかにした。


スペイン語会衆が発足する

「わたしたちの王国宣教」1991年11月号は、日本において3つ目のスペイン語会衆が発足したことを告知した。


「ものみの塔」誌が三位一体に関する連載記事を掲載

「ものみの塔」誌は1991年11月1日号より、「初期の教会は神は三位一体であると教えましたか」と題する連載記事を掲載し始めた。

第1部は「イエスとその弟子たちは三位一体の教理を教えましたか」と題するもので、主に聖書と聖書学者たちの著書から、その質問に対する答えを導き出している。

「ものみの塔」誌が神の地上の組織を論じる

「ものみの塔」誌1991年11月1日号は、「あなたはエホバの地上の組織に感謝していますか」と題する記事を掲載した。

この記事によると、エホバの証人の組織はちょうど上手にカットされたダイヤモンドに似ているという。
上手にカットされたダイヤモンドは見た目にはきれいでも、顕微鏡で見るなら傷やひびといった欠陥が見えるが、それはエホバの証人が世界的一致や兄弟関係を達成していながらも、個人レベルでは欠陥が見つかるということに似ており、小さな傷ばかりに注意を奪われてこの組織の価値を退けてはならないとこの記事は説いている。

「目ざめよ!」誌が賭け事を否定

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、賭け事はクリスチャンにはふさわしくないとする内容の記事を掲載した。

この記事が問題にしているのは、賭け事が助長している精神であり、かつ聖書は貪欲を非としているという点である。

「目ざめよ!」誌がアルコールの使用について注解

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、神がアルコールの使用についてどのように考えているかを扱った論説を掲載した。

この記事は、聖書は節度のない飲酒を退けているが、自制を働かせる人にはそれはよいものであり、健康にもよいと論じている。

ヨーロッパで意識調査が行われる

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、ユーロピアン紙から引用し、ヨーロッパの6か国において行われた調査の結果、ヨーロッパの人々が重んじていると回答したもののうち、宗教が最下位を占めたことを明らかにした。


カトリックの枢機卿が兵役拒否に反対

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、カトリックの枢機卿ジャコモ・ビーフィが良心的兵役拒否者たちに向かって「殺せ、それでもれっきとしたクリスチャンだ」と述べて兵役拒否の撤回を迫ったと報じた。


イスラエルの宗教心が衰退

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、イスラエルが今、非ユダヤ人の移民の増加に加えて、非ユダヤ教ユダヤ人の移民の危機にさらされていることを明らかにした。

この記事によると、ソビエト圏からイスラエルに移民するユダヤ人の72パーセントは自分たちのことを非宗教とみなしており、悪びれた様子もないという。

アラム語がアラビア語に侵食される

「目ざめよ!」誌1991年11月8日号は、シリアの田舎で今日も用いられているアラム語が徐々にアラビア語に取って代わろうとしていることを明らかにした。


「ものみの塔」誌が遺物崇拝を特集

「ものみの塔」誌1991年11月15日号は、カトリックの聖遺物崇拝を批判する特集記事を掲載した。

この記事は、聖遺物のほとんどがまがい物であることは間違いないという事実を指摘し、また聖書から、遺物崇拝は正しい崇拝ではないと論じている。

エホバの証人の無輸血手術が普及

「目ざめよ!」誌1991年11月22日号は、「エホバの証人に対する無輸血手術の道を切り開く」と題する記事を掲載した。

この記事は、エホバの証人の世界本部が設立したHIS(ホスピタル・インフォメーション・サービス)部門と世界各地に存在する医療機関連絡委員会の開催したセミナーを紹介したものであった。
これらの機関の働きにより、今では輸血を拒否するエホバの証人が病院から追い出されるという例や、エホバの証人の子供が強制的に輸血されるような事態が話し合いにより平和裏に回避されるようになっているとこの記事は述べている。
さらにこの記事は、無輸血医療についてはエホバの証人が最も進んだ立場にあるゆえに、医師たちの中にはそのことに感銘を受けたり、感謝したりする人たちが多いことも紹介している。

オーストラリアの医師が輸血に異論

「目ざめよ!」誌1991年11月22日号は、オーストラリアのシドニー国立ノースショア病院の血液学主任が、オーストラリア医学ジャーナルの記事の中で輸血の危険性について論じ、「かつて輸血は命の贈り物とみなされていたが、事態は一変した」と述べて無輸血治療を推薦したことを明らかにした。


春の特別伝道活動が計画される

「わたしたちの王国宣教」1991年12月号は、1992年4月4日に、特別な伝道活動を行う計画であることを告知した。


日本のエホバの証人が伸長

「わたしたちの王国宣教1991年12月号は、1991奉仕年度(9月-8月)における日本のエホバの証人の増加を報告した。

その報告によると、1年間に205の新しい会衆が設立され、1万1877人が新たにバプテスマを受けたという。

「ものみの塔」誌が宗教を特集

「ものみの塔」誌1991年12月1日号は、正しくて清い宗教とは何かを論じる特集記事と研究記事とを掲載した。


ギレアデ聖書学校の卒業式が行われる

「ものみの塔」誌1991年12月1日号は、ものみの塔聖書冊子協会の運営するものみの塔ギレアデ聖書学校の第91期卒業式が行われたことを報告した。

第91期クラスが送り出した卒業生の数は24名、6カ国の出身者たちから構成されており、平均年齢は33.4歳、全時間宣教歴の平均は16.13年、任命される国の数は12カ国となるとこの記事は報告している。

「ものみの塔」誌が寄付に関する記事を掲載

「ものみの塔」誌1991年12月1日号は、ものみの塔聖書冊子協会の資金運用について説明し、読者に寄付を促す記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌がクリスマスを否定

「目ざめよ!」誌1991年12月8日号は、クリスマスの起源と、それがクリスチャンにふさわしくない理由とを説明した論説を掲載した。

この記事によると、クリスマスとは異教徒をキリスト教に改心させるためにその風習をキリスト教に取り入れた産物であり、クリスチャンはそのようなものを行うべきでないという。

ナショナル・ヒストリー・デーにエホバの証人が取り上げられる

「目ざめよ!」誌1991年12月8日号は、毎年ナショナル・ヒストリー・デイに伴って行われる「歴史における権利」をテーマとしたコンテストにおいて、学校において国旗掲揚を拒否したエホバの証人の権利が扱われたことを紹介する記事を掲載した。


聖職者が売春の合法化を要求

「目ざめよ!」誌1991年12月8日号は、オーストラリアの著名な2人の僧職者が売春の合法化を求めていることを明らかにした。

彼らは、売春は社会の安定のための非常に重要な役割を果たしていると述べ、クリスチャンが売春婦になることもよいことだと述べているという。

「ものみの塔」誌がクリスマスを特集

「ものみの塔」誌1991年12月15日号は、「クリスマス−これほど騒がれるのはなぜか」と題する特集記事を掲載した。

これは特に日本におけるクリスマスの祝いを扱ったもので、記事はそれに対する賛否両論とともに、その祝いをクリスチャンが祝うべきではないと考える根拠を示している。

「ものみの塔」誌が結婚に伴う服従を説く

「ものみの塔」誌1991年12月15日号は、「結婚生活における服従は何を意味しますか」と題する記事を掲載した。

これは、聖書が要求している夫に対する妻の従順を扱ったもので、従順な妻に対する夫の権威の行使の仕方や、教理的に見て妻が夫に従わなくてもよい場合などについて論じている。

「ものみの塔」誌がガリレオについての論説を掲載

「ものみの塔」誌1991年12月15日号は、天動説を否定し、地動説を唱えたために教会に迫害されたガリレオを扱った記事を掲載した。

この記事は、ガリレオはどのようにして地動説によって迫害されたのか、そこからクリスチャンは何を学べるかを論じている。

「ものみの塔」誌が聖書伝道を推奨

「ものみの塔」誌1991年12月15日号は、神はクリスチャンが自ら喜んで自分を差し出し、宣教者(伝道者)となることを望んでおられ、クリスチャンはその点で一層努力することができるとするとする記事を掲載した。


エホバの証人の統治体が学校における宗教教育に関する見解を発表

エホバの証人の統治体は、「ものみの塔」誌1991年12月15日号において、学校が宗教教育をエホバの証人の子供に義務づけた場合、どのようにそれに対処することができるかについての見解を発表した。

この記事において統治体は、クリスチャンである親は子供が偽りの宗教の教育を受けることを望まず、その免除を願い出るが、それが認められない場合でも、それがただ教育の範囲に限定され、崇拝や儀式といったものを要求されないのであれば、個人の決定によりそれを受け入れてもかまわないと論じている。
そもそもエホバの証人は、宗教教育があるかないかに関わらず、学校においては聖書の教えと調和しない様々な教育にさらされることになるという。
それらすべてを几帳面に避けるのは現実的ではなく、聖書的でもないというのが統治体の見解となっている。

旧共産圏においてエホバの証人が伸長

「目ざめよ!」誌1991年12月22日号は、東ヨーロッパにおけるエホバの証人の劇的な増加を紹介する特集記事を掲載した。

この記事は、それらの国々における禁令下中のエホバの証人の活動の内容なども紹介するものとなっている。

「目ざめよ!」誌がクリスマスに関する論考を掲載

「目ざめよ!」誌1991年12月22日号は、クリスマスに関する6つの間違いを紹介したニュージーランドのクライストチャーチ(キリスト教会)の刊行物の記事をそののまま転載した論考を掲載した。

その6つの間違いとは、サンタクロースとは何か、12月25日はイエスの誕生日か、最初のクリスマスはベツレヘムで祝われたのか、クリスマスの贈り物の習慣は聖書に由来するか、賢人たちと羊飼いは飼い葉おけの中のイエスを見たのか、クリスマスは地に平和と善意のもたらされる日なのかである。
転載されたこの記事はエホバの証人の教理と一致しており、「目ざめよ!」誌は「この種の記事はもう珍しくなくなった」と注解している。

血友病患者に朗報

近年血友病患者のエイズ感染が深刻になっているが、「目ざめよ!」誌1991年12月22日号は、血友病患者の治療に必要な第8血液因子(抗血友病因子)が合成によって製造され、まもなくスペインにて入手が可能になることを明らかにした。

(関連記事)

エホバの証人に靴が推薦される

「目ざめよ!」誌1991年12月22日号は、イギリスの科学雑誌ネイチャーが掲載した、最新技術を応用すればすり減らない靴が開発可能であるという記事の内容を紹介した。

このネイチャーの記事は、そのような靴は「伝道を行うエホバの証人に有利だ」と述べているという。

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