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エホバの証人出版情報
1992年版(1)
2000年4月1日更新

エホバの証人の年鑑1992年版発行される

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会は、「エホバの証人の年鑑」1992年版を発行した。

この年鑑によると、エホバの証人の伝道者数は1991年度(9月から8月)中、211の国とエリアで427万8820人(月ごとの平均は407万1954人)に増加し、それらの伝道者が実際に報告した聖書伝道時間は延べ9億5187万21時間(132万2041人月/10万8661人年)に達したという。
これは、前年度に対して26万1607人(22万5463人)の伝道者の増加と、5664万597時間の伝道時間の増加を意味している。
またこの年鑑は、ものみの塔協会に翻訳サービス部門という新しい部門が設置されたことを報告している。
さらにこの年鑑は、新世界訳聖書の翻訳が、現在刊行済みの13の言語に加え、現在20の言語で進行中であることを明らかにした。
さらにこの年鑑は、昨年中フィジー、ギリシャ、香港、ニューカレドニア、フィリピンにおいてものみの塔聖書冊子協会の支部が新たに献堂されたと報告している。
さらに年鑑の報告するところによると、昨年中ベニンにおいてエホバの証人の没収資産が返却され、モザンビークにおいてエホバの証人の認可が与えられたという。
この年鑑には、種々の報告に加えて、ベニンと周辺諸国、ソロモン諸島におけるエホバの証人の歴史が収録されている。

「ものみの塔」誌の発行部数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、1992年1月1日号において、「ものみの塔」誌のこれまでの発行言語数と発行部数を、それぞれ、110から111、1529万部から1557万部に更新した。


「ものみの塔」誌がリベリアのエホバの証人を紹介

「ものみの塔」誌1992年1月1日号は、リベリアのエホバの証人が内戦のさなかにあっても立派に信仰を守っている様子を報告する記事を掲載した。

この報告によると、リベリアに住むエホバの証人たちは、部族間の抗争において虐殺されようとしている人たちを命を賭して守り、みなで食料を分け合っているという。

死海写本が完全公開

「ものみの塔」誌1992年1月1日号は、これまで公開されることのなかった400点ほどの死海文書が、1991年9月に独創的な方法で再現され、これがきっかけで実際の写本が公開されることとなったと報じた。


「目ざめよ!」誌の発行部数が増加する

ものみの塔聖書冊子協会が発行する「目ざめよ!」誌は、1992年1月8日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数と発行部数を、それぞれ、64から65、1298万部から1311万部に更新した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、オーストラリアで生じた王国会館爆破事件に居合わせたピーター・シュルツとスー・シュルツによる回顧の記録を掲載した。


チリでエホバの証人が救援活動

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、チリで生じた地滑り災害の際にエホバの証人が行った救援活動を報告する記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が同棲を否定

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、聖書は同棲を認めていないので、同棲をしている人は結婚するとよいと読者に勧める論説を掲載した。


教会の器物の盗難や破壊が増加

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、エコノミスト誌からの引用として、近年教会内部に収められている器物がプロの骨董品泥棒たちにねらわれており、年およそ10億円の被害が報じていると報じた。

これらの泥棒たちは、オルガンのパイプ、寄付箱、棺を置く台、窓のステンドグラスに加えて、教会のドアまで盗んでいくことさえあるとこの記事は述べている。

根本主義の諸教会が伸長

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、近年著しく成長している根本主義の“巨大教会”の活動を報じた。

これらの教会の特徴となっているのは、信仰治療や異言、そして子供を引き寄せるための種々の気のきいた方策だという。

オプス・デイの聖人が列福される

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、カトリックの秘密集団であるオプス・デイの設立者であるホセ・マリア・エスクリバ・デ・バラゲルの列福が行われたと報じた。


「目ざめよ!」誌がヘミングウェーによるキリスト教批判を紹介

「目ざめよ!」誌1992年1月8日号は、アーネスト・ヘミングウェイが1938年に行った教会批判を紹介する記事を掲載した。

この記事によると、ヘミングウェイは、スペインの軍隊が旧正規軍式で敬礼しているときにそこに居合わせた、サンティアゴの大司教、同聖堂参事、マドリードの司祭などといった人たちが行った敬礼を問題にした。
それは、スペインのそれではなく、ナチとイタリアで用いられたファシズム式の敬礼であったとこの記事は説明している。

「ものみの塔」誌がノアの洪水を特集

「ものみの塔」誌1992年1月15日号は、聖書に記されているノアの洪水の物語を扱った特集記事を掲載した。


エホバの証人の地域大会が開催される

「ものみの塔」誌1992年1月15日号は、昨年中エホバの証人により世界中で開催された「自由を愛する人々」地域大会の報告を行った。

この大会では、「多くの人の要望にこたえて」ものみの塔聖書冊子協会から新しく発行された「これまでに生存したもっとも偉大な人」の本が発表されたとこの記事は報告している。

「ものみの塔」誌が聖地を否定

「ものみの塔」誌1992年1月15日号は、真のクリスチャンはエルサレムの聖墳墓教会のような聖地をあがめたりはしないとする小記事を掲載した。


道徳は回復するか

「目ざめよ!」誌1992年1月22日号は、「道徳の崩壊−元に戻すことは可能か」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、正しい道徳規準の源として神を示し、やがてすべての人が神の支配のもとで神の教えにしたがって生きるようになるという聖書の希望に読者の注意を促している。

長老派教会が女性司祭を禁じる

「目ざめよ!」誌1992年1月22日号の報じたところによると、1975年に女性が僧職位につくことを認めた長老派教会が、1991年9月11日に行われた総会においてその決定を覆したという。

しかしながら、この撤回された決定によりすでに僧職に就いている女性たちには、引き続き僧職についてもよいという「譲歩」が示されたという。

王国会館建設のガイドラインが示される

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「わたしたちの王国宣教」1992年2月号は、1990年に設置された「地区建設委員会」による、新しい王国会館建設計画を特集する折り込み記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が偽預言者を特集

「ものみの塔」誌1992年2月1日号は、「偽預言者に気をつけなさい」と題する特集記事を掲載した。


教父たちは三位一体を教えたか

「ものみの塔」誌1992年2月1日号は、連載記事「初期の教会は、神は三位一体であると教えましたか」の第2部、「使徒後教父は三位一体の教理を教えましたか」と題する記事を掲載した。

この記事は、「ディダケー(十二使徒の教訓)」や、クレメンス、イグナティウス、ポリュカルポス、ヘルマス、パピアスの言葉から、神やみ子、聖霊に関する使徒教父たちの見方を示している。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年2月1日号は、70代にしてエホバの証人となり、105歳の現在に至るまで熱心に奉仕を続けているホセ・ベルガラ・オロスコの手記を掲載した。


ブルーノがドイツのエホバの証人を称賛

「ものみの塔」誌1992年2月1日号は、心理学者のブルーノ・ベテルハイムがナチの収容所でのエホバの証人の忠誠を称賛したことを宣伝する記事を掲載した。

彼は、「証人たちは人間の威厳をまれなほど高く保ち、道徳的に優れた行動を取っただけでなく、私の友人である精神分析学者や私自身が心身共に均衡のとれた人物と見なしていた人々の人格を簡単に破壊したような強制収容所の経験をしても、それから保護されているかのように思えた」と語っている。

「目ざめよ!」誌が離婚を特集

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、離婚を扱った特集記事を掲載した。


兵庫大会ホールが完成する

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、エホバの証人の兵庫大会ホールの完成と献堂の様子を報告する記事を掲載した。

この記事によると、はじめ地元の住民たちはこの大会ホール建設を歓迎しなかったが、やがて、建設チームの若者たちの振る舞いを見てこれらの人たちもエホバの証人に対する態度を改め、最後には地元の町長や寺の住職から称賛の言葉をもらえるまでになったという。
町長は「エホバの証人の教育の成果はその目の輝きに見られます。人々の人格に現れています」と述べ、住職は「エホバの証人はうそをつかない、正直な人々だ。自分の宗教は冠婚宗教になってしまって情けない」と述べている。

エホバの証人がフィリピンで救援活動

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、ピナトゥボ火山の噴火のために生じた砂塵による災害と、その災害に対するエホバの証人の救援活動を報告する記事を掲載した。

この記事は、この災害に直面したフィリピンの一般市民の様子に関しても報告し、「そのような災難に冷静に立ち向かうフィリピン国民の驚くべき精神は称賛に値します」と述べている。

災害は神のせいか

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、「災害−神が下す懲罰ですか」と題する論考を掲載した。

この記事は、聖書が現代について、世界的な災いの時が来ると予告していると指摘しつつも、「自然災害は被災地に住む人々に対する懲罰として全能の神が直接下されたものであるというのは正しくない」と結論している。

道徳の問題が広がる

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、“道徳的文盲”とも言えるべき状態が若者たちの間に広がっていることを指摘するオンタリオ道徳価値観教育教会の会長の言葉を紹介した。


教会の鐘はうるさいか

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、トロント・スター紙から引用し、西武トロントの教会の鐘の音を「騒音公害」とみなす住民から、市役所に苦情がもたらされていることを明らかにした。


神やキリストと冒とく的表現

英語には神やキリストといった単語を用いた冒とく表現が見られるが、「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、オーストラリアの僧職者がそのような問題を憂慮する提言をしたと報じた。

問題となっているのは、Good God, Oh God, By God, By Christ, Oh Christなどの表現である。

同性愛者の神学生が教会に抗議

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号の伝えるところによると、フィンランドのヘルシンキ大学神学部には「ゲイ神学生」と呼ばれる同性愛者のグループがあり、フィンランドの教会が同性愛者に聖職位を与えないことに抗議しているという。

ちなみに、このグループの代表者は、フィンランドの神学生と教会役員には、そのほかの人たちと代わらないくらいの同性愛者がいると説明している。

日本の男性と家事

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、最近東京で行われた調査の結果を紹介し、男性の6割が「家事を手伝うべきだ」と考えているなど、日本人男性の家庭に対する意識が変化してきていると指摘した。

しかしながら、この調査に関連してマイニチ・デーリー・ニューズ紙は、「しかし、若い夫たちの手伝おうとするこの態度は長続きしない」とも指摘しているという。

バレンタインデーのなぞ

「目ざめよ!」誌1992年2月8日号は、バレンタインデーの起源についてコメントする小記事を掲載した。

この記事が文献より引用するところによると、バレンタインとは、迫害されていたクリスチャンを援助したために投獄されたローマの祭司の名前であるという。
しかし、バレンタインデーの習慣は彼とは関係がなく、それは古代ローマのルペルカリア祭の名残であるとこの記事は指摘している。
さらにバレンタインとキューピットとの関係についてこの記事は触れ、キューピッドとはラテン語で「欲望、愛」を意味し、(キリスト教の天使ではなく)ローマの「愛の神」、もしくはギリシャの神エロスを指していると指摘した。
これらの異教神話において、キューピッドは、目隠しをして弓矢を持つ、翼のある美しい男児として描かれており、それが現在も用いられているのである。
しかし、現在のバレンタインデーの直接的な起源については種々の説があり、この記事は、その一つを指摘した後、「真の起源がどこにあるとしても、明らかにこの習慣は古代の異教の信条やキリスト教世界のいわゆる“聖人”の列福に由来していることは明白です」と述べるにとどまっている。

崇拝に像を用いるのは正しいか

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、「像を用いれば神に一層近づけるか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、歴史を通じて様々な人たちが像の使用に反対してきたことを明らかにし、そのような人たちとしてイレナエウス、オリゲネス、カエサリアのエウセビオス、エピファニオス、アウグスティヌスなどを挙げ、また8世紀から9世紀の“聖像破壊論争”についても言及した。
さらにこの記事は、初期キリスト教と像の使用について注解した歴史家の記述を多数引用し、カトリックが行っているような、崇拝に際する像の使用は、神の敵である悪魔サタンに彼らが惑わされた結果生じたのであり、間違ったことであると結論している。

ものみの塔聖書冊子協会の新しい出版物が好評を博す

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、同協会が昨年発刊した「これまでに生存した最も偉大な人」と題する、聖書の四福音書を総合的に解説した書籍に対する読者の反応を紹介し、「ものみの塔」誌の読者がその本を存分に活用するよう提案する記事を掲載した。


インド洋の島々における伝道活動

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、インド洋の各島々において行われた、特別集会の様子を報告する記事を掲載した。


パピルス写本の発見

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、エジプトのベナサにおいて発見された一連のパピルス写本を紹介する記事を掲載した。

この写本の発見は、聖書の書かれたギリシャ語がごく一般の日常語であり、特殊なものではないことを証明づけるものとなったとこの記事は解説している。

イエスはヨハネの死を予期していたか

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、イエスはバプテストのヨハネが自分よりも早く死ぬことを予期していたかという読者の質問に答えた。

マタイ 11章11節からするなら、その通りであるとこの記事は答えている。

神名四字が復元される

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、ドイツのシュワルツベルダー・ボーテル紙から引用し、1934年にナチ党の議員により消し去られた、ホルブの公会堂正面の神のみ名が復元されたと報じた。


「ものみの塔」誌が読者を地域大会に招待

「ものみの塔」誌1992年2月15日号は、「光を掲げる人々」地域大会に出席するよう読者を招待した。


「目ざめよ!」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は1992年2月22日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数を65から66に更新した。

なお、現在の「目ざめよ!」誌の平均発行部数は1311万部となっている。

子供に対する性教育は不可欠

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、子供に対する性教育の重要性を説く特集記事を掲載した。

この記事は、子供の性教育を行う責任は親にあると指摘し、親がいつからどのようにそれを行うことができるかについてアドバイスを述べている。
また、この記事は、子供たちに純潔の価値を教えることの大切さを強調し、「子供を愛している親の皆さんは、それを教えるために特に努力しなければなりません」と読者に強く勧めている。

摂食障害者の助けとなる

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、摂食障害にかかった人たちに対する援助をどのように行うとよいかをアドバイスする記事を掲載した。

この記事は、「多食症の人に、単に大食してはもどすことをやめるようにと言うのは、肺炎の人にせきをするのをやめるようにと言うようなものです」と述べて、摂食障害者に対する理解を示し、さらに、無理強いをすることを避け、摂食障害者が自信を持つように助け、彼らに愛を示すようにと読者に勧めている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、ヒトラーの青年隊員であり、戦後シベリアの収容所に送られ、帰国した後にエホバの証人となった、ゲルト・フェヒナーによる手記を掲載した。


貧しさと戦う

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、「若い人は尋ねる−どうすれば貧しさに対処できるだろう」と題する記事を掲載した。


司祭が闘牛場に

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、スペインのエル・パイス紙から引用し、資金集めのために闘牛士となった司祭を紹介した。


クーデターにも関わらず大会を実施

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、1991年8月にソ連で起きたクーデターの混乱にもかかわらず、エホバの証人のオデッサ大会が無事に開催されたことを報告する記事を掲載した。

オデッサ市の執行委員会のシモネンコ氏は、この大会を高く評価し、「オデッサ市ができてこのかた、これほどすばらしい行事は見たことはありません」と述べたとこの記事は報告している。
また、この記事によると、1991年中にソビエト連邦で開催された7つの大会の合計出席者数は7万4252人、バプテスマを受けた人の数は7820人であるという。

ソビエトの大会において新しい文書が発表される

「目ざめよ!」誌1992年2月22日号は、1991年中ソビエトで行われた各大会において、「これまでに生存したもっとも偉大な人」と題する書籍が、7万人を超える出席者に無料で頒布されたと報告した。

この記事によると、この書籍は現在、60ほどの言語で1200万部以上印刷されているという。

ものみの塔聖書冊子協会が宣教者を募る

「わたしたちの王国宣教」1992年3月号は、エホバの証人の統治体が、日本の支部に対し、外国における宣教奉仕を行える人がいるか問い合わせてきたと告知した。

この宣教奉仕のための資格にかなう人は会衆の長老たちを通して申し込みをすることができるという。

国際平和は達成されるか

「ものみの塔」誌1992年3月1日号は、国際平和を目指す諸国家の動きと、それに対するキリスト教世界の動きを指摘する特集記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年3月1日号は、ギレアデ聖書学校を卒業し、モロッコとアフリカの国々で宣教者として奉仕した、サンドラ・カウアンによる手記を掲載した。


ヘルシンキ大学とエホバ

「ものみの塔」誌1992年3月1日号は、フィンランドのヘルシンキ大学の校章にヘブライ語で神名が記されているのはどうしてかを紹介する小記事を掲載した。

この記事によると、この大学の歴史は350年あるが、大学の設立された時代には、“エホバ”という名はヨーロッパ全土で広く知られ、使われていたという。

新大陸発見から500年

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、コロンブスの大陸発見以来の歴史の光と影を紹介する特集記事を掲載した。


若い人が敬意を得るには

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、若い人が他の人から敬意を得るにはどうすればよいかをアドバイスする記事を掲載した。

この記事は、敬意とは努力して得るものであると読者を諭し、そのための方法として、人々の手本となること、自分から年上の人たちに敬意を示すことなどを教えている。
また、この記事は、読者の持つ宗教上の信条についても触れ、自分の信条に敬意を払ってもらうには、独立的、また反抗的な行動をとらず、誠実でまじめな生き方をすると良いとアドバイスしている。

格言から益を得る

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、アフリカのズールー族の格言を紹介する記事を掲載した。

この記事は、紹介した格言について、「聖書の中にある格言のように神の霊感を受けてはいないものの、人生で成功する助けになる健全な価値観を言い表わしている」と評価している。

神と秘義

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、「聖書の見方−神は秘義ですか」と題する論考を掲載した。

この記事は、秘義の代表例である三位一体について否定的な意見を載せた後、秘義に相当するギリシャ語のミステリオンについて注解し、それは長い間隠されていたものの、イエスの到来と共に明らかになったと指摘している。

信仰が無実化する

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、昨年10月にトリノで開かれた宗教会議についてふれ、ヨーロッパ人は依然自分たちは信心深いと唱えているとしながらも、一方で信仰の実践は過去のものとなっていると指摘した。


オーストラリアで教会による出席者調査が行われる

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、オーストラリアで行われた“出席者調査”に際してウィークエンド・オーストラリアン紙が掲載した批判的記事を紹介した。

この調査は、オーストラリアの人たちがどの宗派に属しているかを調査するものだが、この記事の筆者はこれまでこのような調査のための教会の訪問を3回受けたものの、それ以外の訪問を教会から受けたことはなく、そのようなことをしているのはモルモン教かエホバの証人くらいであると指摘した上で、「残念ながら福音宣明について言えば、分派のほうがよくやっている」と述べている。

アパルトヘイトと教会

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、南アフリカのアパルトヘイト政策に関してオランダ改革派教会が公式の謝罪を行ったと報じた。

しかし、この謝罪は、主に白人から構成される教会信徒たちの反発を買い、こうして教会内には深刻な分裂が生じていると「目ざめよ!」誌は指摘している。

カトリック教徒の教会離れが進むのはなぜか

「目ざめよ!」誌1992年3月8日号は、近年のカトリック教会の衰退に関してカトリックの僧職者たちがなんと述べているかを紹介する小記事を掲載した。

彼らの言うところによると、現在「もっとも広まっている偽クリスチャンの宗派はエホバの証人とモルモン教である」という。
この記事は、カトリック教会がこれらの少数宗派に対して劣勢になっている理由に関する意見も紹介し、その意見からもわかるように、大切なのは聖書を実際に読み、研究することだと結論を述べている。

神の王国とは何か

「ものみの塔」誌1992年3月15日号は、「あなたにとって神の王国は何を意味しますか」と題する特集記事を掲載した。


クリスチャンの楽しむ自由

「ものみの塔」誌1992年3月15日号は、クリスチャンにとって自由とはどのようなものであるかを聖書から示す、一連の研究記事を掲載した。


カボベルデにおけるエホバの証人

「ものみの塔」誌1992年3月15日号は、アフリカ西岸に位置するカボベルデ共和国におけるエホバの証人の活動を紹介する記事を紹介した。

この記事は、1990年11月30日にカボベルデはエホバの証人を法的に認可したと報告している。

「ものみの塔」誌がユスティヌスを紹介

「ものみの塔」誌1992年3月15日号は、西暦2世紀のキリスト教の擁護者、殉教者であるユスティヌスを紹介する好意的な記事を掲載した。


エホバの証人がウクライナで救援活動

「ものみの塔」誌1992年3月15日号は、ウクライナで生じた食糧難に際して、エホバの証人が救援活動を行ったことを報告した。

このためにデンマークで組織された救援隊は、襲撃される危険を顧みずにウクライナへ向かい、無事に救援物資を届けることができたとこの記事は報告している。

「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が主の記念式に読者を招待

「ものみの塔」誌1992年3月15日号および「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、今年執り行われるキリストの死の記念式が4月17日であることを告知し、読者にその記念式への出席を促した。


「目ざめよ!」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は1992年3月22日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数を66から67に更新した。

なお、現在の「目ざめよ!」誌の平均発行部数は1311万部となっている。

宇宙の謎を解明する

「目ざめよ!」誌1992年3月22日号は、「宇宙のなぞを解明する」と題する特集記事を掲載した。


ハルマゲドンと義戦論

「目ざめよ!」誌1992年3月22日号は、神の戦いであるハルマゲドンを、現代キリスト教の義戦論と比較する論考を掲載した。


直感とは何か

「目ざめよ!」誌1992年3月22日号は、しばしば当たる、人間の直感について考察する論考を掲載した。

この記事は、直感は限られた条件のもとでしか信頼できるものとはならないことを指摘している。

クリスチャンの若者と純潔

「目ざめよ!」誌1992年3月22日号は、「若い人は尋ねる−純潔を保つのは正常なことですか」と題する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、結婚外のセックスが感情面での痛手の原因となりうることや、神がそれを喜んでいないこと、それが他の人の権利を害することもあることを指摘し、独身の読者に純潔を保つよう諭している。

“世の終わり時計”がもどされる

「目ざめよ!」誌1992年3月22日号が報じたところによると、「原子科学者会報」の表紙に載せられている世の終わり時計が“終わり”の17分前まで戻されたという。


パラグアイからの報告

「ものみの塔」誌1992年4月1日号は、パラグアイのエホバの証人による活動の報告を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年4月1日号は、フィンランドで兵役を拒否し、投獄されたものの、信仰を保ち、釈放後も熱心に奉仕した、エルッキ・カンカーンパーによる手記を掲載した。


「ものみの塔」誌がモルモン教を批判

「ものみの塔」誌1992年4月1日号は、共産圏でのモルモン教の活動を批判する小記事を掲載した。

この記事によると、共産圏におけるモルモン教の成功には、ダンスグループなどによる音楽活動や、ダムの建設などの慈善活動が関係しているという。
この記事は、金や音楽に訴えるモルモン教のやり方は聖書の方法ではないと述べている。

復活祭とは何か

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、「復活祭−あなたにとって何を意味しますか」と題する特集記事を掲載した。

この記事によると、復活祭はクリスマスに次ぐキリスト教の重要な祝祭日であるにもかかわらず、ほとんどの人は、それをただの祝日と考えるようになってきているという。
また、この記事は復活祭における卵やうさぎの使用が、多産を意味する異教の儀式に由来するなどの問題について指摘し、また聖書から、クリスチャンの祝うべきなのはキリストの死であって、復活ではないと論じている。

勉強することは大切

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、学校に通う若者たちに、学校で勉強することの価値を説く記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、オランダ領インドネシアに生まれ、戦争と、日本軍の捕虜になった苦しみを経て、現在はエホバの証人となっている、ターンクレッド・E・ヴァンホイツによる手記を掲載した。


児童虐待の傷がいやされる

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、同誌1991年10月8日号に載せられた特集記事、「児童虐待の記事をいやす」に対する読者の反応を紹介する記事を掲載した。

その記事に紹介されているように、特集記事に対する児童虐待経験者の反応はたいへん大きなもので、「わたしは涙を流しながらそれを読みました」、「今では生きる力がわいてきました」などの声がたくさん寄せられているという。

悪の責任は誰にあるか

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号は、「悪−誰に責任がありますか」と題する論考を掲載した。

この記事は、犯罪などの悪行の責任は神にはないと論じ、その原因は悪魔サタンにあると指摘したうえで、神がやがて悪を終わらせるという聖書の希望に読者の注意を向けている。

カナダにおいて宗教離れが進む

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号が、バンクーバー・サン紙から伝えたところによると、カナダでは宗教離れが進み、教会に全く出席しない人や、年に1度しか出席しないというような人が増えているという。


ドイツにおいてキリスト教僧職者の信頼が低下

「目ざめよ!」誌1992年4月8日号が世界教会新聞社からの話として伝えたところによると、ドイツではキリスト教僧職者に対する人々の信頼が「ひどく低下」しており、今では信頼できる職業のリストのトップ10に入らなくなっているという。


神は祈りを聞かれるか

「ものみの塔」誌1992年4月15日号は、神がどのようにして祈りに答えられるかを示す特集記事を掲載した。


ロッテルダムよりの報告

「ものみの塔」誌1992年4月15日号は、ライン川の河口に位置するロッテルダムにおけるエホバの証人の活動を報告する記事を掲載した。

ロッテルダム港は国際港であり、様々な国から水夫が船に乗って訪れるが、地元のエホバの証人たちは、停泊する船をひとつひとつ訪問してさまざまな言語で伝道し、聖書文書を配布し、しばしば船の中で聖書講演も行っているという。
また、この記事は、船乗りの読者たちのために、ハンブルク、香港、マルセイユ、ナポリ、ニューヨーク、ロッテルダム、東京、バンクーバーにある、同様の活動を行っている拠点の住所と電話番号を記載している。

「ものみの塔」誌がフィレモンの手紙を紹介

「ものみの塔」誌1992年4月15日号は、フィレモンの手紙から読者がどのような教訓を得られるかを示す教訓的な記事を掲載した。

この記事は特に長老の立場にある人たちに教訓を述べ、長老は権威主義的なやり方で人を従わせたりせず、権威を行使する時も、むしろ愛に基づいて懇願すべきであると教えている。

「ものみの塔」誌が連載記事を掲載

「ものみの塔」誌は、同誌1992年4月15日号より、「エホバは禁令下で顧みてくださった」と題する連載記事を掲載した。

第1部では、ヘルマン・ラウベによって、旧東ドイツのエホバの証人の、1961年までの活動が報告されている。

統治体に援助の取り決め

「ものみの塔」誌1992年4月15日号は、同誌に掲載された特集記事と連動して、重要な、「統治体の委員会への援助」と題する発表を掲載した。

この発表は、エホバの証人の“油そそがれた者たち”12人による“統治体”が運営している各委員会に、“大群衆”の中から援助者が加えられ、拡充されるとしている。

人生の目的とは

「目ざめよ!」誌1992年4月22日号は、人生の目的は何かを示す特集記事を掲載した。


ダウンジング探査は危険

「目ざめよ!」誌1992年4月22日号は、ダウンジング探査に読者が注意するように勧める論説を掲載した。

また、この記事は副記事の中で、「モーセは水脈探査師でしたか」という質問を扱っている。

「目ざめよ!」誌が闘病記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年4月22日号は、度重なる脳腫瘍のため、5度も脳の手術を無輸血で受けた、ハンス・アウグスチンによる闘病記を掲載した。


純潔は貴重

「目ざめよ!」誌1992年4月22日号は、「若い人は尋ねる−なぜ純潔を守るべきなのですか」と題する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、いくつかの学術的な書物の中から、純潔を守る人たちの方が結婚で成功する可能性が高いことを指摘し、純潔を守ることが賢明な生き方であると読者を諭している。
また、この記事は、強姦や児童虐待にあって純潔を失った人たちや、淫行により純潔を失ったものの、悔い改めている人たちに対してそれぞれ配慮を示し、「それでも神がそうした人たちを「とがめのない純真な者」とみなしておられることを知って慰めを得ることができます」、「誠実に悔い改めて立ち直ったクリスチャンも、神の前に清い立場を得ることができます」と述べている。

ブルガリアのエホバの証人が認可

ブルガリアのエホバの証人は政府によりその活動を禁止されてきたが、「目ざめよ!」誌1992年4月22日号は、昨年7月17日に、ブルガリアにおいてその活動が合法化されたことを明らかにした。


日本の未割り当て区域がなくなる

「わたしたちの王国宣教」1992年5月号は、1992年4月1日付で、エホバの証人の会衆に対する割り当てのない伝道区域がなくなり、日本の全ての区域が割り当て区域となったことを告知した。


新しい外国語の会衆と手話の会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1992年5月号は、2月1日付けで埼玉県にポルトガル語の群れ、3月1日付で神奈川県に英語会衆、4月1日付で千葉県にスペイン語の群れ、5月1日付で兵庫県に英語会衆、また4月1日付けで福岡県と熊本県に手話会衆が発足したことを明らかにした。


「ものみの塔」誌が1914年を特集

「ものみの塔」誌1992年5月1日号は、1914という年を特別な年として紹介する特集記事を掲載した。


終わりの時にあって目覚めている

「ものみの塔」誌1992年5月1日号は、今は聖書の予告した終わりの日であり、クリスチャンは「エホバの日」をしっかり思いに留め、目覚めているべきであるとする、一連の研究記事を掲載した。


ドイツのエホバの証人と迫害

「ものみの塔」誌1992年5月1日号は、「エホバは禁令下で顧みてくださった」と題する連載記事の2番目の記事を掲載した。

この記事は、ヘルムート・マルティンによる、彼がエホバの証人と交わりはじめた1953年ごろから1965年以後までの期間の、旧東ドイツにおけるエホバの証人の活動の報告となっている。

ボリビアの修道女がエホバの証人に

「ものみの塔」誌1992年5月1日号は、修道女からエホバの証人になったというボリビア人女性の経験談を紹介した。

この女性の話すところによると、彼女は修道院で虐待を受け、十分な食事が与えられず、また、修道女たちの笑い声の響く中、部屋の拭き掃除を舌でなめて行わせられたこともあったという。

「ものみの塔」誌が読者を地域大会に招待

「ものみの塔」誌1992年5月1日号は、「光を掲げる人々」地域大会に出席するよう読者を招待した。


移住する外国人の問題

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、他国に移住する人々の問題を扱う特集記事を掲載した。


たばこと医師の責任

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、医師には喫煙に関して警告する責任があるとするアメリカ医師会ジャーナル誌の記事を紹介した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、日本兵として中国やシンガポールに渡り、広島の原爆、敗戦を経験して一度は信仰を失ってしまったものの、エホバの証人との出会いを通して信仰を取り戻した広中富治さんによる手記を掲載した。

彼は、自分の心の重荷がどのように取り払われたかを説明し、こう述べている。
「それは中国での、そして特にシンガポールでの戦闘で自分が犯した流血の罪のことでした。自分のように血にまみれて汚れた人間が偉大な宇宙の主権者に仕えることなど、どうしてできるでしょうか。宣教者のエードリアン・トムソン兄弟はただ一言、「あなたは西暦1世紀のローマの士官コルネリオが歩んだ道を歩んでいるのです」と言われました。この言葉で、最後まで胸につかえていたものが下り、翌日私は妻と共にバプテスマを受けました」。

子どもと門限

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、親の決めた門限を守るように子どもたちを諭す教訓的な記事を掲載した。


キリスト教僧職者による罪

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、「僧職者が罪を犯した場合どうすべきですか」と題する論考の中で、近年アメリカなどのキリスト教国で生じているキリスト教僧職者の性スキャンダル渦に関するエホバの証人の意見を表明し、罪を犯した僧職者はその職を退くべきであり、教会は彼らを追放しなければならないと警告した。


イタリア人と聖書

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、ラ・レプブリカ紙から引用し、イタリアにおける人々の聖書離れを報告した。


バチカンが電話を使った寄付サービスをはじめる

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、バチカンが電話の課金制度を用いて寄付を集め始めたと報じた。

ただし、こうして集められた寄付金の半分ほどはラスベガスの娯楽会社の収入となっているという。

メキシコが教会を認可

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号がクリスチャン・センチュリー誌から引用したところによると、70年以上宗教に反対してきたメキシコ政府は、宗教団体を認可する新しい法律を制定し、特にローマ・カトリック教会に対して便宜を計るようになったという。


アメリカの紙幣に記された神

「目ざめよ!」誌1992年5月8日号は、タイム誌からの引用として、アメリカの貨幣や紙幣に刻まれている「我々は神を信頼する」という標語について、それが宗教的な意味を失っていると述べた。


聖書は神からの贈り物

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、聖書が神からのものであることを読者に示す特集記事を掲載した。


パウロと復活

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、聖書のコリント人への第一の手紙15章35節から58節、コリント人への第二の手紙5章1節から10節に記されている、パウロによる復活に関する論議とプラトン主義における不滅の魂の思想を比較する記事を掲載した。


結婚と幸福

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、クリスチャンの幸福と結婚との関連について論じる一連の研究記事を掲載した。

この記事は、人の幸福は必ずしも結婚に依存しているのではなく、むしろ真の幸福の鍵は神との関係にあることを聖書から示し、「独身か既婚かを問わず、わたしたちの幸福の最大の源は、エホバについての知識と、自分が神のご意志を行なっているゆえに神の祝福を得ているという確信であるはずです」と述べている。

クリスチャンの神の武具

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、聖書のエフェソス人への手紙に記されている、クリスチャンが心の中に持つ「神からの武具」とは何かを解説する記事を掲載した。


インディオとエホバの証人

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、コロンビアのビアヒロ・インディオたちに聖書伝道を行っているエホバの証人による報告を掲載した。


ドイツのエホバの証人と迫害

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、「エホバは禁令下で顧みてくださった」と題する連載記事の3番目の記事を掲載した。

この記事は、ホルスト・イュルスナーによる、彼がエホバの証人と交わりはじめた1950年代以降のエホバの証人の活動を扱っている。

オランダで大会ホールが再建される

「ものみの塔」誌1992年5月15日号は、焼失したオランダの大会ホールが再建されたことを報告した。


アルコール依存者とその家族

「目ざめよ!」誌1992年5月22日号は、アルコール依存者とその家族の問題を扱う特集記事を掲載した。


若者と門限

「目ざめよ!」誌1992年5月22日号は、クリスチャンの若者たちに、親の定めた門限を守ることの大切さを説く教訓的な記事を掲載した。

この記事は、読者の親が過保護になり、過剰に門限を要求するという問題に対処する方法についてもアドバイスしている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年5月22日号は、若いころから麻薬とオカルトと音楽に夢中になり、問題を抱えていたものの、真理を求めて自己を変革し、ついには立派なクリスチャンとなった、ウィリアム・ヨルダーンによる手記を掲載した。


日本のエホバの証人の格技拒否が裁判に

「目ざめよ!」誌1992年5月22日号は、神戸市立工業高等専門学校に通うエホバの証人の生徒5人が、剣道の実技の拒否のために進級できず、進級を求めて裁判を起こしていると報じた。


スペインで宗教調査が行われる

「目ざめよ!」誌1992年5月22日号が明らかにしたところによると、スペインにおいて行われた調査により、ローマ・カトリック教会が家庭生活の問題に十分な指導を与えていると考えている人が35パーセントしかいないなど、スペインにおける教会の無責任ぶりが明らかになったという。


島原半島のエホバの証人

「わたしたちの王国宣教」1992年6月号は、火山災害のため不自由を強いられている島原半島の48名のエホバの証人全員が、4月に開拓伝道奉仕に携わったと報告した。

この記事はまた、災害によって破壊された島原の王国会館が、この6月に再建される予定であることも明らかにした。

日本人宣教者が出立

「わたしたちの王国宣教」1992年6月号は、日本人4人の宣教者がソロモン諸島に派遣されたことを明らかにした。


コンゴのエホバの証人が認可される

「わたしたちの王国宣教」1992年6月号は、コンゴ人民共和国のエホバの証人が、1991年11月に認可されたことを明らかにした。


点字の出版物が発行される

「わたしたちの王国宣教」1992年6月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、「唯一まことの神の崇拝において結ばれる」ならびに「エホバに向かって賛美を歌う」の点字版を発行したと告知した。


信仰治療は正しいか

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、信仰治療を扱う特集記事を掲載した。

この記事は、現代の信仰治療師の治療と、聖書に載せられているイエスの治療との違いを示し、イエスのは癒しに失敗して「それはその人の信仰の足りないせいだ」と言うことはなかったことや、治療に際してお金をとることもしなかったことを挙げている。
この記事は読者に対し、現代のいかがわしい信仰治療の代わりに、聖書の王国の希望に期待を寄せるように勧めている。

ナイジェリアからの報告

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、ナイジェリアのエホバの証人の子供たちが、学校での国旗崇拝の問題にどのように対処しているかを紹介する記事を掲載した。


クリスチャンと自由

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、クリスチャンにとって自由とは何を意味するかを聖書から示す、一連の研究記事を掲載した。


ギレアデ聖書学校の卒業式が行われる

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、ものみの塔聖書冊子協会の運営するものみの塔ギレアデ聖書学校の第92期卒業式が行われたことを報告した。

第92期クラスが送り出した卒業生の数は22名、7カ国の出身者たちから構成されており、平均年齢は33.4歳、全時間宣教歴の平均は11.8年、任命される国の数は11カ国となるとこの記事は報告している。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、反政府活動家としてドイツのブーヘンワルト強制収容所に収容され、そこでエホバの証人を知り、解放された後にエホバの証人に転向した、ルネ・セグラによる手記を掲載した。


一角獣は存在するか

「ものみの塔」誌1992年6月1日号は、古いいくつかの聖書翻訳に見られる「一角獣」という訳語について、原語が意味しているのはおそらく、Bos primigenius という学名の、角のある野牛であると指摘する記事を掲載した。

そのため、多くの英訳聖書はこの語を wild ox と訳しているが、これだと「去勢された雄牛」という意味になってしまい、これもまた不適切な訳語だとこの記事は指摘している。
この記事は、この語に、新世界訳聖書が採用している wild bull という訳語を用いることを推奨している。

賭け事は有害

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、賭け事の有害性を訴える特集記事を掲載した。

この記事は、賭け事と信仰との関連についても触れて、「運に頼ることは、まことの神エホバを無視することと同じです」と述べ、クリスチャンが賭け事を頼りとすることのないように警告している。

人と異なる生き方

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、「若い人は尋ねる−なぜ人と違っていなければならないのだろう」と題する教訓的な記事を掲載した。

クリスチャンとしての生き方は世のそれとは異なっているため、クリスチャンの子供たちはしばしばストレスにさらされるが、それでもこの記事は、人々と違った立派な生き方をすることは、自尊心や清い良心をもたらすと読者を諭している。

ものみの塔協会が感謝状を受け取る

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、ものみの塔聖書冊子協会日本支部の受け取った2つの感謝状を紹介する記事を掲載した。


クリスチャンと祈り

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、聖書と祈りをテーマにした論考を掲載した。


メキシコの教会でガス中毒事故

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、メキシコのエルチャルキヨにあるペンテコステ派の教会で、礼拝用のがスランプから出た有毒ガスのために、教会内にいた信徒30人が死亡したと報じた。

ガスが蔓延し、信徒たちの気分が悪くなったとき、牧師は「教会にキリストが臨在したからだ」などと述べ、信徒たちが教会から出るのを引き留めてしまったとこの記事は述べている。

フランスで宗教調査が行われる

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、マダム・フィガロ誌からの引用として、フランスで行われた宗教調査の結果を報じた。

この記事によると、フランスには4,500万人のカトリック信者がいるが、その3分の2は聖体拝領を行ったことがなく、5分の4は告白をしたことがないなど、人々の教会離れが明らかになっているという。

聖書翻訳言語数が増加

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、1991年に新たに32の言語で聖書が翻訳され、合計1978の言語で聖書が入手できるようになったと報じた。


占星術者が敗北

「目ざめよ!」誌1992年6月8日号は、1991年にドイツの「非科学的現象の科学調査教会」が行った、占星術者たちの預言能力の調査の結果を報告した。

調査の結果は占星術者たちにとってさんざんなものであった。

「ものみの塔」誌が贖いを特集

「ものみの塔」誌1992年6月15日号は、キリストの贖いをテーマとした特集記事を掲載した。


スペイン語聖書の闘い

「ものみの塔」誌1992年6月15日号は、「スペイン語訳聖書の生き残るための闘い」と題する記事を掲載した。

この記事は、カトリックによる16世紀の異端審問により、聖書を読んだりあるいは所持したりした者が次々火刑に処せられる中で、どのように聖書が生き残ったかを紹介するものとなっている。

ディオクレティアヌスとキリスト教

「ものみの塔」誌1992年6月15日号は、西暦4世紀の皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害を紹介する記事を掲載した。


盗品を買うのはどうか

エホバの証人の統治体は、「ものみの塔」誌1992年6月15日号において、クリスチャンが盗まれたものを買うことについての否定的な見解を発表した。


子供の教育と道徳

「目ざめよ!」誌1992年6月22日号は、ますます不道徳になってゆくこの世において、どのように子供たちを道徳的に育てられるかを論じる特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年6月22日号は、ダンサーとして成功を収めたものの、道徳的に退廃した生活を行い、その後悔い改めてエホバの証人に転向した、エドビジェ・ソールダリーによる手記を掲載した。


クリスチャンの若者と勇気

「目ざめよ!」誌1992年6月22日号は、前号に引き続き、クリスチャンが世と違っているという問題について若者を諭す記事を掲載した。

この記事はクリスチャンの若者が勇気をだして信仰を貫くことの価値を諭している。

中絶を拒むエホバの証人

「目ざめよ!」誌1992年6月22日号は、風疹と診断され、奇形の子供を堕胎するよう求められたものの、それを拒否したエホバの証人とその子供を紹介する小記事を掲載した。


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