JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
1992年版(2)
2000年12月1日更新

ものみの塔協会が「ものみの塔」誌を再版

「わたしたちの王国宣教」1992年7月号は、ものみの塔聖書冊子協会が1960年代の「ものみの塔」誌を再版する計画であることを告知した。


ものみの塔協会が点字書籍を発行

「わたしたちの王国宣教」1992年7月号は、「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」と題する書籍の点字版が発行されたことを告知した。


中国語の群れとスペイン語の会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1992年7月号は、1992年6月1日付で、東京に中国語のエホバの証人の群れとスペイン語の会衆が発足したことを明らかにした。


地域大会の開催場所と日時が変更される

「わたしたちの王国宣教」1992年7月号は、地域大会の開催予定が一部変更されたことを告知した。


聖書は希望

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、聖書の希望に焦点を当てた特集記事を掲載した。


クリスチャンの長老の「裁き」

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、「長老たち、義をもって裁きなさい」と題する教訓的な研究記事を掲載した。

この記事は、長老たちが、聖書的な罪を犯した人を裁く「審理委員会」を開く事態を減らすためにできる事柄を強調し、また、その「聴聞会」に際して長老が示す態度が「エホバの羊を扱う牧者」としてのものであるべきことを説く内容となっている。

東ヨーロッパからの報告

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、近年エホバの証人の活動に大きな進展が見られる東ヨーロッパからの活動の報告を紹介する記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、リベリアで熱心に奉仕し、国旗敬礼を拒否したために国外追放となった、ウィニフレッド・レミによる手記を掲載した。


クリスチャンの生き方とは

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、「死んだ業、それともエホバへの奉仕−どちらに忙しくしていますか」と題する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、聖書のヘブライ6章1節と2節に記されている、「死んだ業からの悔い改め」について解説したもので、クリスチャンがそのような業から離れ、神への奉仕という良い業に励むべきことを示している。

モザンビークでエホバの証人の大会が開催される

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、戦時中であるモザンビークにおいて、危険があったにもかかわらずエホバの証人の大会が開催され、無事成功したことを報告する記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が箴言30章19節を解説

「ものみの塔」誌1992年7月1日号は、箴言30章19節の中で述べられている、「乙女との強健な人の道」について解説する記事を掲載した。

聖書はこの「道」を「くすしい」と述べているが、これは決して誉め言葉ではなく、むしろ、20節に示されているような悪行をとがめているのだとこの記事は説明している。

女性に敬意を

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、「女性―敬意を受けるに値する」と題する特集記事を掲載した。


年寄りに敬意を示す

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、孫の立場にある子供たちに、祖父母に敬意を払うよう諭す、教訓的な記事を掲載した。


教会は福音伝道に失敗する

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、開かれた東ヨーロッパへの伝道のために諸教会が行った会議を批判する記事を掲載した。

この会議の問題点は、旧共産圏の国々に福音を広める具体的な方策が示されなかったところにあるという。

ヨーロッパで宗教調査が行われる

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、カトリックのラ・クロワ紙からの話として、ヨーロッパの20を越える国において行われた広範囲な宗教調査の結果を明らかにした。

この調査により、人々の宗教離れの実体が明らかになったという。

ブルンジの司祭は虐殺を認める

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、世界教会新聞社よりの話として、アフリカのブルンジとルワンダの司教15人が、同国内のキリスト教信者たちが虐殺に関わったことを認めたと報じた。


性教育の記事は反響を呼ぶ

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、同紙1992年2月22日号の、「性教育―誰が行うべきですか」と題する特集記事に対する読者からの反応を紹介した。


「目ざめよ!」誌はデスメタルを批判する

「目ざめよ!」誌1992年7月8日号は、デスメタルミュージックについて、その内容を批判する小記事を掲載した。


聖書は矛盾しているか

「ものみの塔」誌1992年7月15日号は、聖書は矛盾しているという批判に答える特集記事を掲載した。

この記事は以下の“矛盾”に答えている。
カインはどこで妻を得たか。ヨセフはミディアン人に売られたのか、それともイシュマエル人に売られたのか。神罰によって死んだのは2万3,000人かそれとも2万4,000人か。アガグはいつの時代の人物か。ダビデに民を数えさせたのはエホバかサタンか。その時ダビデは何人を数えたのか。シャルテルの父はだれか。イエスは何人から悪霊を追い出して豚に送り込んだのか。イエスは亡くなった晩に何色の服を着ていたか。イエスの杭を運んだのはイエスかシモンか。ユダはどのようにして死んだのか。

キリストは不法を憎んだ

「ものみの塔」誌1992年7月15日号は、クリスチャンと「憎しみ」について扱う研究記事を掲載した。

この記事は、聖書を引用しながら「憎しみ」を3種類に分類し、その一つとして、「不法を憎むこと」を挙げた。
この記事は、クリスチャンが不法を憎むべき理由を示している。

信仰の苦悩に対処する

「ものみの塔」誌1992年7月15日号は、クリスチャンが経験する苦悩に対してアドバイスを述べる記事を掲載した。


ポーランドからの報告

「ものみの塔」誌1992年7月15日号は、ポーランドにおけるエホバの証人の活動を報告する記事を掲載した。

ポーランドはカトリックが優勢な国だが、オカルトの影響力も強く、その原因は主に、専制的で、「人々を助けることではなく霊的に非難することしかできない」、ポーランドのカトリック教会の体質にあるという。
一方のエホバの証人は、人々の罪悪感に訴えてではなく、実際に罪人を助けることにより、新しい信者を獲得しているという。
この記事は、ポーランドにおいて、エホバの証人の機関誌である「目ざめよ!」誌が一部学校で教材として用いられている一方、カトリックによる反対活動が激しく、カトリック信徒からエホバの証人へと転向した人がリンチに遭うという事件がいくつも起こっていることを指摘している。

愛とは

「ものみの塔」誌1992年7月15日号は、愛について解説した、聖書のコリント人への第一の手紙13章を解説する記事を掲載した。


家族を亡くしたとき

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、「家族の者を亡くした時」と題する特集記事を掲載した。


放射能とは

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、放射能の危険を指摘する記事を掲載した。

この記事は、特にラドンガスから出る放射能の危険について読者の注意を促している。

アメリカの大学は税金を浪費する

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、アメリカの大学で次々と明らかになった、税金の不正使用を批判する記事を掲載した。

この記事は、「道徳の退廃はお金の問題よりもはるかに深い」とする、ボストン・ヘラルド紙の言葉を引用し、大学の教養ある人たちの不正の背後にあるものを明らかにしている。

祖父母との暮らしに順応する

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、同紙7月8日号に引き続き、孫たちに祖父母を敬うよう勧める記事を掲載した。

この記事は、祖父母と同居している孫たちに、祖父母との友情を育み、気遣いを示すように励ましている。

人前で上手に話す

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、「あなたも人前で話すことができます」と題する、アドバイスが豊富に収められた記事を掲載した。


記憶力を伸ばす

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、記憶力を伸ばす方法を指南する記事を掲載した。


東ヨーロッパにおいて諸教派は争う

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、信教の自由がもたらされた東ヨーロッパで、カトリックと正教会が、教会の所有権を巡る闘いを繰り広げていると指摘した。


聖書配布の記録的な年

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、世界教会新聞社からの話として、1991年が聖書配布の記録的な年となったことを報告した。

報告によると、1991年中、新たに32の言語で聖書が発行され、その総数は1978となった。
また、聖書の販売数は1600万部に達した。

南アフリカの魔女狩り

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号が報じたところによると、南アフリカのベンダで地元住民による大規模な魔女狩りが行われている。

ベンダの村々では、魔女だと告発された女性たちが毎日何人も火あぶりにされているという。

老化は予防できるか

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、南カリフォルニア大学の教授が「消費者リポート」誌において述べた点に基づいて、老化を予防すると唱える商品の使用に警笛を発した。


社会の信頼と正直さ

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、ヨーロッパにおける人々の正直さに関する調査が行われたと報じた。

人々の正直さは、その国における社会への批判の度合いによって低下するという傾向が示されたとこの記事は指摘している。

地獄発見騒動

「目ざめよ!」誌1992年7月22日号は、ノルウェーの一男性のいたずらがもとで始まった、“地獄発見騒動”を紹介する記事を掲載した。

アメリカのキリスト教のテレビ局や、出版物などが報じたところによると、シベリアでボーリング調査をしていた科学者たちが、地下数キロのところに空洞があり、そこの温度が摂氏1000度を超えているのを発見した。
学者たちがそこにマイクを降ろしたところ、なんと、そのマイクからは苦痛にもだえて絶叫する幾百万もの人々の声が聞こえてきた。
科学者たちは非常に狼狽してこの調査から身を引いていったが、中には、この経験がもとでキリスト教の信徒になった者も現れているという。
この記事は、このような話がもっともらしく教会関係者たちによって報じられたことは、「信じたいことを信じる宗教組織があまりにも多いという嘆かわしい事実」を反映していると述べている。

ものみの塔協会が年鑑を発行

ものみの塔協会は「わたしたちの王国宣教」1992年8月号において、1992年の製本した再版「ものみの塔」誌、同「目ざめよ!」誌、1993年のエホバの証人年鑑、同「日ごとに聖書を調べる」、同カレンダーを発行する予定であることを告知した。


命は神からの贈り物

「ものみの塔」誌1992年8月1日号は、神から命を受けたことを感謝し、その感謝にふさわしく生きることを読者に説く特集記事を掲載した。


インドからの報告

「ものみの塔」誌1992年8月1日号は、インドのエホバの証人の活動の報告を掲載した。


「ものみの塔」誌が経験談を掲載

「ものみの塔」誌1992年8月1日号は、誇り高い性格の持ち主であったものの、エホバの証人になって、謙遜さを学んだ、ベラ・ブランドリーニによる経験談を掲載した。


不活発なエホバの証人たち

「ものみの塔」誌1992年8月1日号は、不活発になったエホバの証人を気遣い、不活発になってしまったことを後悔している証人たちに対して、再び活発な証人となるよう励ます記事を掲載した。


ヨブは唯一の義人だったか

「ものみの塔」誌1992年8月1日号は、聖書のヨブ記1章8節についての読者からの質問に答える記事を掲載した。

ヨブの時代、エホバに忠実な人はヨブしかいなかったのか、という問いに対し、この記事は「そうではない」と答えている。

アフリカのエイズは拡大する

「目ざめよ!」誌1992年8月8日号は、アフリカに広がるエイズの問題を扱った特集記事を掲載した。


クリスチャンは称号を用いるか

「目ざめよ!」誌1992年8月8日号は、「クリスチャンは宗教的な称号を用いるべきですか」と題する論考を掲載した。

この記事は、「師」、「司教」、「主教」、「枢機卿」、「主」、「モンシニョール」、「父」、「神父」の称号について、聖書の教えに照らすなら、それはクリスチャンが用いるにふさわしくないものであると述べている。

エホバの証人の統治体が日本を訪問

「目ざめよ!」誌1992年8月8日号は、エホバの証人の統治体の一人、アルバート・D・シュローダーが日本を訪問し、聖書講演などを行ったと報告した。


アルコール依存症の親を持つ若者

「目ざめよ!」誌1992年8月8日号は、アルコール依存症の親を持つ子供たちに対するアドバイスを述べる記事を掲載した。


オーストラリアの僧職者と性犯罪

「目ざめよ!」誌1992年8月8日号は、オーストラリアの国営放送からの引用として、オーストラリアの僧職者の15パーセントが性犯罪を起こしていることを明らかにした。


異言とは何か

「ものみの塔」誌1992年8月15日号は、聖書に記されている「異言」とは何であるかを特集する記事を掲載した。

この記事は、現代キリスト教が異言と呼ぶものについて警笛を発し、クリスチャン会衆にはもはやそのようなものは必要ないと述べている。

王国会館が観光名所に

「ものみの塔」誌1992年8月15日号によれば、オーストラリアのクックタウンの王国会館が、地元の観光名所になっているという。

この記事によると、この王国会館は、1879年に建設された、オーストラリアの由緒あるクックタウン病院の建物をそっくりそのまま使用している。
観光シーズンには、毎週600人から1000人の観光客が訪れ、この歴史的建造物を見学し、地元のみやげ屋にある“クックタウン病院王国会館”のTシャツやタオルを買っていくという。
またこの記事は、この王国会館の施設を報じるクックタウンの「聖公会会報」の記事を引用している。
「私は批判されるに違いない。しかし、教会を見回して、どれだけ空席があるかを見よ。そして、このグループを見回して、いかに満員になっているか、いかに聖公会やローマ・カトリックの教会員で一杯になっているかを見よ。ある団体が、全員を収容するのに学校では狭すぎるからと古い病院を購入し、彼らなりの教会に改造するなどということを聞いたことがあるだろうか」。

マプトからの報告

「ものみの塔」誌1992年8月15日号は、モザンビークの首都マプトで聖書伝道に邁進するエホバの証人の様子を紹介する記事を掲載した。

モザンビークのエホバの証人は1991年に政府からの法的認可を得たが、それ以来エホバの証人は順調に発展しているという。
また、12年以上モザンビーク北西部の収容所に収容されていた証人たちも、今や解放され、近隣諸国からの経済援助を受けているという。

宗教か仕事か

「ものみの塔」誌1992年8月15日号は、読者が世俗の仕事に没頭してクリスチャンとしての仕事をおろそかにすることがないようアドバイスする教訓的な記事を掲載した。


エホバの証人に対抗できないロシアの教会

「ものみの塔」誌1992年8月15日号は、カトリック教会のコンシストリウム(枢機卿公会議)において、新しい宗教運動の問題が取り上げられたと報じた。

また、ロシアのスモレンスクの大司教キリールがバチカンを訪れ、「エホバの証人その他のグループの太刀打ちできないような成長に対処するため、教会を挙げての援助を要請した」とも報じた。

慢性疲労症候群

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、慢性疲労症候群を扱った特集記事を掲載した。


会話かデートか

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、若いクリスチャン向けに、異性との会話の問題を扱った記事を掲載した。

この記事は、異性同士が会話することは悪いことではないが、そのことをデートとは区別するようにと勧めている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、小さな頃から、家族を重んじるゆえにあえて不利な生き方を選んできた、セザール・A・ギマラエンスによる手記を掲載した。


僧職者の性虐待騒動

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、カトリック教会が、司祭たちの児童性愛の問題に取り組み始めたと報じた。

この記事は、例えばシカゴでは、ここ9ヶ月間に7人の司祭が教区を移動させられたと報告している。
これは、小児愛者の司祭をカトリック教会がかくまう標準的なやり方であり、こうして、これらの司祭たちは解任などの処罰を免れてきた。
しかし、司祭たちによる児童虐待があまりにも多く、しかも加害者が罰せられていないため、アメリカやヨーロッパのカトリック教会はマスコミによる一連の非難キャンペーンの対象になってきた。
今後、カトリック教会はこのような問題を根絶すべく、真剣な努力を払う模様である。

福音派教会の偽善は暴露される

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、カリスマ的な福音派教会の認める「奇跡的ないやし」に対する調査が行われ、教会の偽善が明らかになったと報じた。

この調査を行ったイギリスの医師は、英国国教会の教会会議の席において、「“治療師”たちが行なったと主張する様々な奇跡の証拠を本人たちから手に入れようと何年にもわたって努力したが、大抵は何も提出してこなかったし、提出された事例も見かけ倒しだった」と報告している。

ローマと悪魔崇拝

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号が、カトリックの「悪魔払い」専門職の司祭であるガブリエレ・アモルトの話として伝えたところによると、「法王の住んでいる都市が世界で一番悪霊に取りつかれている都市で、そこには悪魔崇拝者の集団が100以上ある」という。

彼はさらに、「ローマで多くの子供たちが失そうしており、悪魔崇拝の儀式に用いられているということをすべての人は知っておくべきである」とも述べている。

インドと若者の自殺

「目ざめよ!」誌1992年8月22日号は、インドにおいて若者の自殺が急増しており、その原因の一つはインドの伝統的家庭の崩壊にあると述べた。


ものみの塔聖書冊子協会が点字書籍を発行

「わたしたちの王国宣教」1992年9月号は、ものみの塔聖書冊子協会が「あなたの家族生活を幸福なものにする」と題する点字の書籍を発刊したことを告知した。


ポルトガル語の会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1992年9月号は、1992年8月1日付で、岐阜市にポルトガル語会衆が発足したと告知した。


新しい宣教者が派遣される

「わたしたちの王国宣教」1992年9月号は、日本からパラグアイへ1組の夫婦が宣教者として派遣されたと報告した。


ルワンダのエホバの証人が認可される

「わたしたちの王国宣教」1992年9月号は、1992年4月13日付で、「ルワンダのエホバの証人協会」が国に登録され、認可されたことを告知した。


子供と輸血拒否

「わたしたちの王国宣教」1992年9月号は、エホバの証人の親による子供の輸血拒否を取り扱った記事を掲載した。

この記事は、このように述べている。
「医師は、輸血を施す許可がない限り、年若い子供や特に幼児を治療することを拒否するかもしれません。実際、子供を治療する際、どんな状況でも血を用いないという100%の保証を与えてくれる医師はごくまれです。医療上および法律上の理由のため、ほとんどの医師はそのような保証を与えることはできないと感じています。こうした点を考えると、自分の子供のためにふさわしい医師を探している親が、エホバの証人によく協力してくれた前例があり、これまでにも他のエホバの証人のために同様の無血処置を施してきたものの、血を用いないという絶対的な保証を与えることは法律上許されないと感じている医師を見つけた場合は、どうしたらよいでしょうか。こうした状況のもとでは、治療を進める許可を与えることができると決断することができます。とはいえ、子供のための治療を許可するとはいっても、輸血を許可しているのではないという点をはっきり伝えてください。その点をはっきり伝えることは、あなたの決定が妥協とみなされることを避けるために、あなたが果たさなければならない責任なのです」。

アフリカとキリスト教

「ものみの塔」誌1992年9月1日号は、アフリカにおけるキリスト教世界を取り上げた特集記事を掲載した。

この記事は、アフリカにおける宣教者の激しい対立の歴史、宣教と植民地化の歴史、 異教の風習にどっぷりつかったアフリカ独特のキリスト教、さらに奴隷貿易への諸教会の関与などを取り上げている。

マダガスカルからの報告

「ものみの塔」誌1992年9月1日号は、マダガスカルのエホバの証人から寄せられた報告を紹介する記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年9月1日号は、ニュージーランドのマオリ族出身の、サルン・ワレラウによる手記を掲載した。


エホバの証人が誕生日を祝わないのはなぜか

「ものみの塔」誌1992年9月1日号は、読者からの質問として、「エホバの証人が誕生日を祝わないのは、古代においてその慣行に宗教的な意味があったからですか」という質問を取り上げ、それに対して返答した。

この記事は、「誕生日の祝いは迷信と偽りの宗教に由来しますが、そのことはエホバの証人がその慣行を避ける唯一の理由でも主な理由でもありません」と答え、エホバの証人が誕生日を祝わないことには、もっとほかの理由があることを示している。

宇宙探査

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、宇宙の探査をテーマとした特集記事を掲載した。

この記事は、最初の宇宙飛行士カガーリンからはじめて、計画中のステーション、「フリーダム」や、火星有人探査といったテーマを扱っている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、カトリックの修道院を出て、カトリックの政治団体の指導的人物になったものの、最終的にはエホバの証人に転向した、エウヘニア・マリア・モンソンによる手記を掲載した。


ブランド服はどうか

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、ブランド服に対するクリスチャンのふさわしい見方を説く記事を掲載した。


むちは時代遅れか

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、懲らしめのむちは時代遅れかという質問に答える論考を掲載した。

この記事は、むちについて述べているからといって、聖書がバランスのとれない見方を示しているのではないことを、聖書自身から説明している。

カトリックの奇跡のまやかし

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号の報じたところによると、1991年12月、コロラド州のあるカトリック教会の聖堂に聖母マリアが現れたとの噂が生じ、6000人の巡礼者が押し寄せる騒ぎになったという。

巡礼者の中には、聖母マリアを一目見ようとして太陽をあまりに見つめ続けたために、目に治癒不可能なほどの損傷を受けた者もいるという。

フランスのイエズス会のナチについてのレポート

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、最近になって、48年前に一神学者によって作成された、フランスのカトリック教会のナチ支持を非難する文書が公表されたと報じた。


「エホバの証人の日」が制定される

「目ざめよ!」誌1992年9月8日号は、米国ジョージア州ゲーンズビル市が1991年11月23日を、市民が「エホバの証人を認めて温かく歓迎し、手本とすべき証人たちの霊的献身と個々の人の礼儀正しさを見習う」、『エホバの証人の日』と定めたと報じた。


善人が苦しむのはなぜか

「ものみの塔」誌1992年9月15日号は、「善人が苦しむのはなぜですか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、人が苦しむのは決して神の責任ではいと論じ、神が苦しみを除き去る日が来ることに読者の注意を引いている。

ハワイのエホバの証人

「ものみの塔」誌1992年9月15日号は、ハワイにおけるエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。


欲求不満と闘う

「ものみの塔」誌1992年9月15日号は、様々な欲求不満を具体的に取り上げ、アドバイスを述べる記事を掲載した。


ベイ聖歌集とエホバ

「ものみの塔」誌1992年9月15日号は、1960年にアメリカで最初に印刷された本である「ベイ聖歌集」に神の名「エホバ」が登場していることを指摘する小記事を掲載した。


子供と性教育

「目ざめよ!」誌1992年9月22日号は、「子供のために親にできる最善の事柄」と題する教訓的な特集記事を掲載した。

この記事は、このごろの子供たちが、親の見るテレビ、ビデオなどを通して性についての知識を得て、“セックスごっこ”を行う実態を指摘し、そのような問題に対処するには、子供が物心つく頃から十分な性教育が必要だと述べている。

エホバの証人と親権

「目ざめよ!」誌1992年9月22日号は、エホバの証人の親権を巡る裁判において、エホバの証人の側が立て続けに勝利したことを報じる記事を掲載した。

エホバの証人に反対する勢力が、エホバの証人の絡んだ離婚訴訟に荷担し、エホバの証人である親から親権を奪い取ろうとすることはしばしば見られているが、近年、ものみの塔協会の法律部門の努力により、この状況は改善されている。
特に、オハイオ州最高裁判所の勝利判決は、「元エホバの証人の心理学者」の提出した、「一般市民よりもエホバの証人たちの間に精神的な病気が多い」とする論文を詭弁として退け、この論文を頼りにしている反対者たちに大きな打撃を与えたという。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年9月22日号は、盲目であるために悲痛な経験を数多くしたものの、エホバの証人としての信仰をりっぱに保った、コレット・ヌーニシュによる手記を掲載した。


法王がヤーウェを認める

「目ざめよ!」誌1992年9月22日号は、カトリックのローマ法王が、「ヤハウェはただひとりであり、唯一の神にほかならない」と語ったと報じた。


フランス系カナダ人のカトリック離れが進む

「目ざめよ!」誌1992年9月22日号の報じるところによれば、フランス系カナダ人のカトリック離れが進み、今では教会に通っている人の割合が30パーセントに落ち込んでいるという。


青森に英語会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1992年10月号は、9月1日付で、青森県三沢市英語会衆が発足したと告知した。


「ものみの塔」誌が再版される

「わたしたちの王国宣教」1992年10月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、1961年から1964年までの「ものみの塔」誌を再版する予定であることを告知した。


世界はメシアを必要としているか

「ものみの塔」誌1992年10月1日号は、「世界はメシアを必要としていますか」と題する特集記事を掲載した。


アフリカの開拓者学校

「ものみの塔」誌1992年10月1日号は、アフリカで開催された開拓奉仕学校の様子を紹介する記事を掲載した。


従順の価値

「ものみの塔」誌1992年10月1日号は、子供が親に従順であることの価値を説く、教訓的な論考を掲載した。

この記事は、「子供が自分なりの考えや基準を持ち、外部の大人の干渉を受けずに生きられるようにすべきである」と考える大人たちに対して、「発意機の初期の子供にとっては、親から禁じられることが『悪いこと』であり、親から勧められたりほめられたりすることが『良いこと』なので、道徳に沿って生きるよう子供を導くのは従順という特質しかない」という学者の言葉を引用し、反駁を行っている。

エホバの証人のビデオが好評を博す

「ものみの塔」誌1992年10月1日号は、ものみの塔聖書冊子協会が発行した、「エホバの証人―その名前の背後にある組織」と題するビデオテープに対する視聴者の反応を紹介する記事を掲載した。


消極的な感情を克服する

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、「あなたも消極的な感情を克服できます」と題する特集記事を掲載した。


アフリカの貧しい人たち

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、アフリカのスラムと、それに対する政府の取り組みの現状を報告する記事を掲載した。


雲仙普賢岳災害

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、1年にわたり噴火している雲仙普賢岳災害にどのようにエホバの証人が対応しているかを報告する記事を掲載した。


高圧酸素を用いて治療を受ける

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、手術中に出血多量で危機的状態に陥ったものの、2.5気圧の高圧酸素室に7日間滞在し、治療を受けた、ドリーン・ストローンによる経験談を掲載した。


オリーブ油

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、聖書に記されており、現代も用いられる、オリーブ油を紹介する記事を掲載した。


高校にコンドーム

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、オーストラリア政府のエイズ調査委員会が、エイズ蔓延を防止するため、学校にコンドーム販売機を設置するよう勧告したと報じた。


従軍慰安婦

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号は、日本の従軍慰安婦問題を取り上げた。


大聖堂でファッションショー

「目ざめよ!」誌1992年10月8日号が報じたところによると、ブラジルのメトロポリタン大聖堂で、聖堂主宰のファッションショーが行われ、物議を醸しているという。


家族生活

「ものみの塔」誌1992年10月15日号は、平和な家族生活に焦点を当てた特集記事を掲載した。

現代の家庭は、どちらかというと平安よりも苦難の多いところとなっており、暴力などの問題も増えている。
そのような状況にあって、聖書の教えを実践することは事態の改善に役立つと記事は教えている。

父と子と聖霊の名におけるバプテスマ

「ものみの塔」誌1992年10月15日号は、エジプトから出土したパピルス文書や、ユダヤ人の古文書の語法から、聖書のマタイによる福音書 28章19節を論じる興味深い論考を掲載した。

これらの資料から分かるのは、古代においては「・・・の名において」という表現は、もっぱら「帰属」を意味するということである。
このことから、マタイの福音書の、「父と子と聖霊との名においてバプテスマを施す」という言葉には、(「父と子と聖霊の権威に基づいてバプテスマを受ける」ではなく)「父と子と聖霊の権威を認めてバプテスマを受ける」という意味があることが分かるとこの記事は指摘している。

他の人に仕事をゆだねる長老たち

「ものみの塔」誌1992年10月15日号は、「長老たち―他の人にゆだねなさい」と題する、長老たちを教える教訓的な記事を掲載した。

長老たちの中には、多くの責任を自ら背負い込んだり、熱心さのあまり多くの仕事を独占してしまう人がいる。
この記事は、そのような長老に対し、自分の仕事を進んで他の人に譲り、その際にはむやみにその仕事のやり方に干渉しないことによって、その人に創造力を発揮させるようにと諭している。

ラベにおけるエホバの証人

「ものみの塔」誌1992年10月15日号は、ベイルートから約130キロ離れた、ラベという都市におけるエホバの証人の発展を紹介する記事を掲載した。

ラベは現在、人口の8人に1人がエホバの証人であるが、エホバの証人の数がこれほどになると、対立宗派の扇動による嫌がらせなどもなくなり、むしろエホバの証人と他の人たちとの関係もとても良くなって、「巡回監督の訪問や記念式といった特別な時には通りに人影がなくなり、王国会館がすし詰めになる」ほどだという。

アレッポ写本

「ものみの塔」誌1992年10月15日号は、アレッポ写本を紹介する記事を掲載した。


血液由来の食品添加物

「ものみの塔」誌1992年10月15日号において、エホバの証人の統治体は、血液に由来する食品添加物についての見解を発表した。

この記事は、「動物の血液がその土地の食品に明らかに使用されていると考えてもよいほど確かな根拠がある場合、クリスチャンはふさわしい注意を払うべきです。しかし、単なる疑いによって動揺したり、根拠もなく心配しながら生活したりするのは賢明なことではないでしょう」と見解を述べている。
そのような見解の根拠として、統治体は、「イスラエルの律法も、1世紀のクリスチャンの統治体の布告も、神の民が多大の時間や労力を費やして肉について尋ね、手にはいる肉に血が入っている疑いがわずかでもあれば菜食主義者にさえならなければならない、とは述べていません」と述べている。
一方で統治体は、この問題と「偶像にささげられた肉」の問題について聖書が述べている事柄との違いについて、「パウロが言おうとしていたのは、(異教の)神殿から出された肉は本質的に(つまりその肉自身は)悪いわけでも、汚れているわけでもないという点でした」と述べ、そこで聖書の述べる「何でも肉市場で売っているものは、あなた方の良心のために、何も尋ねないで食べなさい」という言葉を、この問題に直接当てはめたりしないようにと読者の注意を促している。
また統治体は、補足的に、血液を肥料や飼料に加工する技術の開発が行われていることにも言及し、今のところそれは気にするほどのことでもないようだと述べている。

新しい世界

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、「すべての人を満足させる新しい世界」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、聖書の言葉と魅力的な挿し絵を用い、聖書の約束する新しい世界では、「暴力と犯罪がなくなる」、「戦争を排除する」、「良い食べ物がすべての人に豊富に供給される」、「すべての人がりっぱな家と楽しめる仕事を持つ」、「人間と動物との間に平和がある」、「病気、老化、死はもはやない」、「亡くなった家族が復活する」といった点を、それぞれ説明している。

出血多量のエホバの証人が一命を取り留める

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、エホバの証人の世界本部に所属する、無輸血治療のアドバイザーが、アルゼンチンにおいて、出血多量で死にそうになった事件を取り上げた記事を掲載した。

この患者には、赤血球の数値を上げるためにエリスロポエチンが投与されたが、エリスロポエチンの単独での投与はあまり効果を上げず、加えて鉄デキストランなどの投与が必要である。
ところが、当時はちょうど湾岸戦争のためにアメリカ軍が大量の鉄デキストランを発注した後で、鉄デキストランは入手困難だった。
鉄デキストランがようやく入手できたとき、この患者はすでに危機的状況にあり、かろうじて命を救われることになったという。

反響を呼ぶエホバの証人の若者の死

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、同誌1991年8月22日号に掲載された、ウィンダム・クックという少年の闘病記に対する読者の反響を掲載した。

この少年は、食道静脈瘤と血友病を煩っていながら、エホバの証人としての信仰を保ち、度重なる出血のために、時にはヘモグロビン値が2を切るほどになったことさえあったが、それでも信仰を保ち、しかも生きながらえてきた。
しかし、1991年に闘病記が「目ざめよ!」誌に掲載される少し前に少年は出血を起こして死に、「目ざめよ!」誌には闘病記とともに死亡通知が掲載された。
寄せられた多くの反響は、ウィンダムの信仰の強さに感銘を受け、自分も信仰をウィンダムのように守りたいというものであった。

親が道を外れたとき

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、人生の道を踏み外した親を持つ子供たちにアドバイスを述べる記事を掲載した。

この記事は、親が道を踏み外したのは決してあなたのせいではないと述べ、そのような親を持つ子供たちに、自分はそのような親とは違うということを証明するようにと励ましている。

忘れ去られつつある地獄の教理

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、近年のカトリック教会の、地獄の教えを避けて通るという傾向に、イエズス会士たちが危惧を表明し、「地獄は実在し、不変である」という内容の記事を、機関誌である「ラ・チビルタ・カットリカ」に掲載したと報じた。

この記事は、カトリック教会の司祭たちに、若者たちに地獄の教えを教えるようにと勧告しているという。

ポルノコミック

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、日本におけるポルノコミックの犯罪への影響を取り上げた。


カヤファの墓が発見される

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、イエスの殺害に関与した大祭司カヤファの墓が発掘されたと報じた。


愛情の正しい示し方

「目ざめよ!」誌1992年10月22日号は、「あなたは優しい親ですか」と題する記事を掲載した。

この記事は、統計から、「冷淡で、突き放すような親を持った者たちはその後の人生のあらゆる面で、つまり仕事、社会への適合、心理的な幸福感などの面で非常に苦労した」と指摘し、一方で、「優しく愛情深い親を持った子供たちのほうが大人になってからうまく暮らしてゆく傾向がある」と指摘している。

英語会衆が発足

「わたしたちの王国宣教」1992年11月号は、10月1日付で、長崎県佐世保市英語会衆と山口県岩国市英語会衆が発足したと告知した。


ものみの塔協会がビデオソフトのライセンスを受ける

「わたしたちの王国宣教」1992年11月号は、イギリスのテレビ局が作成した「パープル・トライアングル」と題するビデオの頒布権をものみの塔協会が取得し、発行したと告知した。

このビデオは、ナチの迫害にも屈しなかったクセロウ一家の軌跡を取り上げたものである。

王国会館の図書室

「わたしたちの王国宣教」1992年11月号は、王国会館の図書の運営指針を掲載した。

この記事は、各王国会館が、様々な聖書翻訳、辞書、ものみの塔出版物索引、再版された「ものみの塔」誌などを所蔵するように指示している。

罪がなくなるとき

「ものみの塔」誌1992年11月1日号は、罪のない世界が実現するという聖書の希望を紹介する特集記事を掲載した。


聖書と教育

「ものみの塔」誌1992年11月1日号は、聖書と教育というテーマを特集した一連の研究記事を掲載した。

特に、「目的のある教育」と題する記事では、クリスチャンの若者が、クリスチャンとして成功を収めるためには、国によっては義務教育以上の高等教育が必要だということが指摘された。

アフリカのエホバの証人は自由を得る

「ものみの塔」誌1992年11月1日号は、最近になってエホバの証人に対する禁令が解除されたり、制限が解かれたりした、アフリカの13の国の喜びを取り上げた記事を掲載した。

1989年から1992年までに、エホバの証人が信教の自由を勝ち得た国々は、ガンビア、ベニン、カボベルデ共和国、モザンビーク、ガーナ、エチオピア、コンゴ、ニジェール、トーゴ、チャド、ケニア、アンゴラ、ルワンダである。
これらの国々のエホバの証人は、ただ自分がエホバの証人であるというだけで非人道的な扱いを受けていた。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年11月1日号は、ハワイに移住した日本人である、桃原真一による手記を掲載した。

この手記によると、桃原兄弟(“兄弟”は敬称)がはじめて聖書に接したのは、ちょうど日本軍が真珠湾を攻撃した後のころで、信仰を抱いた桃原兄弟が聖書について語ると、両親は息子の気がおかしくなってしまったと考えたという。
桃原兄弟は、戦後日本に宣教者として里帰りし、そののち沖縄に派遣され、現在は、東京にあるものみの塔協会の事務所に在駐している。

エホバの証人が賞を獲得

「ものみの塔」誌1992年11月1日号は、日本交通安全協会の作文コンクールで、エホバの証人の高校生の書いた作文が特選に選ばれたことを紹介する小記事を掲載した。

この作文は、ものみの塔聖書冊子協会が発行する「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌といった出版物の豊富な資料を用いて書き上げられたものであると、受賞者の高校生は述べている。

クリスチャンと娯楽

「目ざめよ!」誌1992年11月8日号は、読者が娯楽に対して健全な見方を持つよう勧める、教訓的な特集記事を掲載した。

この記事は、娯楽にはいろいろな益があることを示す一方で、バランスを欠くなら、娯楽は悪影響を及ぼすという点に読者の注意を引いている。

イエズス会

「目ざめよ!」誌1992年11月8日号は、イエズス会の歴史や理念を取り上げた批判的な論考を掲載した。

イエズス会は1773年には当時の法王クレメンス14世によって一度は解散され、1981年には、カトリックの法王ヨハネ・パウロ二世によって会長を鞍替えさせられている。
なぜ、カトリックの守護者であるはずのイエズス会にこういった問題が生じるのだろうか。
イエズス会の度の過ぎた熱心さは、日本でも有名なフランシスコ・ザビエルの、「私は聖なる教会が禁ずるならば、福音書を信ずることさえしない」などといった過激な発言に表れている。
また、この記事は、イエズス会がカトリックの拡大のためなら手段を選ばなかったことも指摘し、その聴罪司祭が、フランスのルイ15世に、王の寝室と愛人の寝室の間に秘密の階段を作るよう勧めた一方で、その曾祖父ルイ14世にはプロテスタントの権利を保障するナントの勅令を廃止させ、プロテスタント虐殺を行わせたと述べている。
日本の豊臣秀吉がキリシタン禁令を公布したのも、ひとつにはイエズス会が中国を征服して植民地化する計画を実践していたからである。
現在、イエズス会は盛んに政治に影響力を及ぼそうとしているという。
この記事は、イエズス会は真にイエズス会と言えるだろうかと読者に問いかけている。

カトリックの行進と聖書の見方

「目ざめよ!」誌1992年11月8日号は、カトリックの礼拝の行進に関する神の見方を論じる批判的な論考を掲載した。

この記事は、カトリックが大々的なミサのあとなどに行う行進について、この記事は、ブリタニカ百科事典などから、起源が4世紀頃にあること、由来は異教にあることなどを指摘している。

信仰のないカトリック教徒

「目ざめよ!」誌1992年11月8日号は、フランスにおいてカトリック教徒を対象とした宗教調査が行われたと報じた。

この調査によると、フランス人の84パーセントはカトリック教徒であるが、そのうち、ミサに定期的に出席するのは12パーセント、祝祭日ならミサに出席するのは24パーセントであった。
また、それら信者たちのうち、イエスの復活を信じていない人は25パーセント、イエスの奇跡を信じていない人は30パーセント、三位一体を信じていない人が38パーセント、煉獄を信じていない人が59パーセント、地獄を信じていない人が60パーセント、サタンの存在を疑問視する人が62パーセントいることが明らかになった。

襲撃される教会

「目ざめよ!」誌1992年11月8日号は、南アフリカで、教会を標的とした強盗事件が多発していると報じた。


「ものみの塔」誌が復活を特集

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、聖書の復活を取り上げた特集記事を掲載した。


18世紀の十字架論争

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、18世紀にキリスト教に生じた十字架の起源を巡る論争を取り上げた小記事を掲載した。

この論争は、キリスト教国がアステカといった中南米に侵攻していった時に生じた、すでにそこの原住民が十字架を崇拝していたのはなぜだろうかという疑問に端を発している。
ある人たちは、コロンブス以前に誰かがキリスト教をアメリカ大陸に伝えたのだという説を唱えたが、それは間違いであったとこの記事は指摘している。

エホバと人との関係

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、エホバとクリスチャンとの関係を取り上げた一連の特集記事を掲載した。


ナミビアからの報告

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、ナミビアにおけるエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。

ナミビアは多言語国家であり、ヘレロ族、ナマ族、オンバボ族、カバンゴ族、ツワナ族、カプリビ族、ヒンバ族、ブッシュマン、ダマラ族といった人々が、それぞれ独自の言語を持っているが、ナミビアにいる600人のエホバの証人は、特に翻訳業において努力し、それらの人たちに神の言葉を伝えているという。

長老たちは温和さを示す

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、罪を犯した人をどのように長老が扱うべきかを取り上げた、指針となる教訓的な記事を掲載した。

このようなとき、長老は、温和さを示し、相手の良いところを誉め、罪を大げさに扱わず、罪に至った事情に理解を示し、その人の自尊心を傷つけず、聖書から助言し、問題は克服できるということをその人に示すべきであるとこの記事は長老たちに説いている。

モーセは油そそがれた者

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、聖書のヘブライ人への手紙 11章26節からすると、モーセは『油そそがれた者』であったと言えるとする論考を掲載した。


偽預言者を見分ける

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、聖書の福音書に記されている、葉をつけたいちじくの木についての記述から、宗教的な外見は人を欺きやすいという教訓を引き出す小記事を掲載した。


針の穴を通る?

「ものみの塔」誌1992年11月15日号は、「富んだ人が神の王国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」という、聖書のマタイによる福音書 19章24節の翻訳について注解する小記事を掲載した。


鉛中毒

「目ざめよ!」誌1992年11月22日号は、鉛中毒を取り上げた特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌1992年11月22日号は、ナチの政権下でも信仰を保ち、宣べ伝える業を続けた、エルビン・クローゼによる手記を掲載した。

彼は初めて参加した聖書伝道の途中にナチに逮捕され、4ヶ月間刑務所に入れられた。
その後、悪名高い強制収容所に収容され、釈放の後は、ドイツ軍への徴兵を逃れるためオランダへ渡ったが、今度はオランダでナチのスパイであるとして投獄されたという。
オランダがナチに占領されると、再びナチとの闘いが始まったが、彼は迫害のために棄教したり無活動になっていた証人たちを立ち返らせて伝道活動を再開し、その規模のゆえに、ある時などは新聞が一斉に「英国空軍がエホバの証人を支持するパンフレットを大量にばらまいた」と報じたほどだという。
さらに彼はベルギーに渡り、やはり幾多の困難に直面しながらも活動を続けたという。

法王が奴隷貿易について謝罪する

「目ざめよ!」誌1992年11月22日号は、法王ヨハネ・パウロ二世が奴隷貿易にカトリックが関わったことを認め、謝罪したと報じた。

とはいえ法王は、「教会は罪人も含む共同体であるゆえに違反行為があった、それはクリスチャンという名で自らを飾る個人や集団の失敗である」と述べて、奴隷貿易に関わった教会そのものの責任は巧みに回避したという。

特別活動が計画される

「わたしたちの王国宣教」1992年12月号は、1993年4月3日に、エホバの証人の春の特別活動が計画されていると告知した。


神の好意を得る

「ものみの塔」誌1992年12月1日号は、神から好意を得るということがどういうことかを論じる特集記事を掲載した。

この特集記事に続く一連の研究記事は、神に受け入れられ、祝福される人となるために必要な事柄が論じられている。

ギレアデ聖書学校の卒業式が執り行われる

「ものみの塔」誌1992年12月1日号は、1992年9月13に行われた、ギレアデ聖書学校の第93期卒業式の様子を報告する記事を掲載した。

この記事によると、93期生は18カ国から集まった48人で構成され、合わせて7の国へ任命されたという。
また、この記事は、ドイツのギレアデ分校の第4期卒業式についても触れ、この分校が24人の卒業生を送り出したと報告している。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌1992年12月1日号は、エチオピアに宣教者として派遣され、政府の禁令のもとで活動した、ジョージ・ブラムリーによる手記を掲載した。

この記事によると、禁令のさなか、アメリカのものみの塔協会の会長であるネイサン・H・ノアが彼を訪問し、助けを与えたこともあったという。
彼はそののちペルーに、そしてエクアドルに宣教者として派遣され、その後ガンに冒されて母国アメリカに帰っている。

神の言葉を売り歩く者ではない

「ものみの塔」誌1992年12月1日号は、「神の言葉を売り歩く者ではない」という主題の、エホバの証人の資金運営を説明する記事を掲載した。

この記事は、エホバの証人が資金運用の点でパウロの模範に倣っていることを強調し、どのように資金が賄われているかをこのように述べている。
「長老や奉仕の僕は仕えている会衆から給料どころか、聖職給すら受け取っていません。それどころか、彼らは他のすべての人と同様、ほとんどは仕事に就いて家族を養っています。全時間の開拓奉仕者も、必要なものは自分で備え、開拓奉仕者の多くは基本的な必需品が賄える程度に働いています。証人たちの中には、良いたよりがたまにしか伝えられない遠隔の地域に毎年自費で出かけて行って、宣べ伝えている人もいます。その土地に住む家族から食事に招待されたり、宿泊を勧められたりする場合、彼らはそのことに感謝しますが、そのようなもてなしに付け込んだりしません」。
「宣べ伝えて教えるエホバの証人の活動はすべて自発的に行なわれており、証人たちが宣教に対して支払いを請求することは決してありません。しかし、世界的な宣べ伝える業のための少額の寄付は受け取っています。受け取った寄付は、ものみの塔協会に送られ、その業のために用いられます。エホバの証人の宣教は、どのような点においても商業を目的としたものではありません」。

コロンビアからの報告

「ものみの塔」誌1992年12月1日号は、コロンビアのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。

これまでコロンビアは、カトリックを公認の宗教としてきたが、それが改正された今、エホバの証人は急激に増加しているという。

子供の未来を考える

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、「子供たちにはどんな将来がありますか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、現在発展途上国にいる5歳未満の子供たちが毎日4万人死亡していることを指摘し、このような問題を解決するために1990年に国連が開催した「世界子供サミット」に読者の注意を引いた。
この記事は続けて、子供の労働問題、売春、病気、栄養不良、戦争など、世界の子供たちが直面している深刻な問題を列挙し、そのような問題を解決する神の王国に読者の注意を引いている。

親が子供を批判するとき

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、親に批判されたときにどのように応じるべきかを子供たちに指南する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、批判を聞き入れることは当人の益となることを指摘したうえで、あら探しをする親に対しては、「痛みは最小限に、益は最大限にする」ための対処が必要だと説き、その具体的な方法を示している。

アルコール依存症患者を持つ家族

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、アルコール依存症を持つ家族について特集した同誌1992年5月22日号の記事に対する読者からの反響を紹介する記事を掲載した。

この記事によると、アルコール依存症にかかった家族のために心に傷を負った人たちから、この記事を通して自尊心を取り戻し、平安を得ることができたという内容の感謝の手紙が相次いでいるという。

冒とく的な表現とクリスチャン

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、「クリスチャンが冒とく的な言葉を使ってはならない理由」と題する論考を掲載した。


アイルランドで教会が衰退

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、アイルランドのカトリック教会の僧職者が、1970年の750人から1989年の322人にまで減少し、衰退していると報じた。


イタリアの教会の政治不正疑惑

「目ざめよ!」誌1992年12月8日号は、イタリアの教会の僧職者たちが、教会が選挙運動を行うことと引き替えに立候補者から贈り物や便宜を受けていると報じた。


福音とは

「ものみの塔」誌1992年12月15日号は、「福音とは実際には何ですか」と題する特集記事を掲載した。

この記事によると、近年、福音の本質が誤解されている一因には、それを政治理念と結びつけようとする“解放の神学”の影響があるという。

ナイジェリアの最高裁はエホバの証人を擁護する

「ものみの塔」誌1992年12月15日号は、ナイジェリアのエホバの証人が最高裁で勝訴したと報じた。

ナイジェリア東部では、心霊術的な儀式を行う「成年組合」という共同体への参加が事実上の義務とされており、この共同体に参加しないエホバの証人は、「会費差し押さえ」の名目で家や畑を荒らされ、時には買い物をすることを拒否されることさえあるという。
しかし最高裁は、そのような風習に従って“差し押さえられた”物品の返還を成年組合に命じ、エホバの証人を擁護した。

うそ

「ものみの塔」誌1992年12月15日号は、うそを用いることについて考える論考を掲載した。


ベルギーのエホバの証人の活動

「ものみの塔」誌1992年12月15日号は、ベルギーのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。

この国に住んでいる人たちの約1割は外国人であり、言語も宗教も異なるそれらの人たちへ聖書伝道を行うためベルギーのエホバの証人は努力しているという。

ナッシュ・パピルス

「ものみの塔」誌1992年12月15日号は、ナッシュ・パピルスを紹介する記事を掲載した。


クリスマスプレゼント

「目ざめよ!」誌1992年12月22日号は、クリスマスの贈り物を取り上げた批判的な特集記事を掲載した。

この記事は、贈り物をすることの価値を認めつつも、クリスマスに贈り物をするという習慣には異議を唱え、特に、クリスマスの時期にその習慣が親子の関係に与える大きな影響に懸念を表明した。
この記事は、クリスマスの贈り物に勝る、健全な贈り物の贈り方があることを指摘し、読者がそれを実践することを勧めている。

アメリカのエホバの証人が救援活動

「目ざめよ!」誌1992年12月22日号は、アメリカのカリフォルニア州で起こった地震災害の被害と、それに際して行われたエホバの証人による救援活動を紹介する記事を掲載した。

エホバの証人が破壊された家の再建を行う様子は、マスコミの注目するところとなり、サン紙はその様子を第1面で報じたという。
さらに、エホバの証人はラジオ局に協力を依頼して、エホバの証人が無料で家の補修を行っていることを宣伝し、多くの人たちがその放送を聞いて援助を依頼してきたという。

ロシアでエホバの証人の国際大会が開かれる

「目ざめよ!」誌1992年12月22日号は、旧ソ連ではじめての国際大会の様子を報告する記事を掲載した。

大会はサンクトペテルブルクで開かれ、海外から招待された1万7千人の代表者と、国内の2万9千人のエホバの証人が出席したという。
出席者にとって意義深かったことの一つとして、これまでエホバの証人の活動を妨害していた警察が、大会を妨害しに来た反対者からエホバの証人を守っていたという。

聖書と左利きの人たち

「目ざめよ!」誌1992年12月22日号は、聖書が右側を好意の対象としていることによって左利きの人たちを差別しているかという質問に対し、そうではないと答えた。


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