JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
2000年版(2)
2001年1月1日更新

心の平安

「ものみの塔」誌2000年7月1日号は、聖書に対する信仰と知識が、心の平安を得るのに有用であることを説く特集記事を掲載した。


聖書伝道に邁進する

「ものみの塔」誌2000年7月1日号は、クリスチャンが神と隣人に対する愛の表明として行う聖書伝道を扱った一連の研究記事を掲載した。


良い模範を得る

「ものみの塔」誌2000年7月1日号は、読者が、聖書に記されているパウロやイエスといった人に加え、自分たちの身近にいるりっぱなクリスチャンたちを模範とするように勧める教訓的な記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が伝記を掲載

「ものみの塔」誌2000年7月1日号は、エホバの証人の説教者として世界各地へ赴いた、ジョージ・ヤングの伝記を掲載した。


心の広い長老

「ものみの塔」誌2000年7月1日号は、エホバの証人の長老が心の広い人となるべきことを諭す教訓的な記事を掲載した。

この記事は特に、長老が個人の家を訪問することによって示す気遣いの必要を説くものとなっている。

“死の文化”が訪れる

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、メディアなどの影響により、人々が死に対して無感覚になっていることに警笛を鳴らす特集記事を掲載した。

この記事は、そのような環境の犠牲となりやすい子供たちに焦点を当てて、「親は愛ある関心に動かされて、音楽やテレビ番組、ビデオ、小説、テレビゲーム、映画などの好みについて子供たちと話し合う」と述べ、これらのものに含まれている不適切な表現に親の注意を引いている。

笑顔は益となる

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、笑顔の益を示し、笑顔を生み出す方法についてアドバイスする、教訓的な記事を掲載した。


インダス川とガンジス川

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、インド亜大陸の二つの川、インダス川とガンジス川を紹介する記事を掲載した。

この記事は、この二つの川には二つの宗教が関わっていることなどを紹介している。

テロメアの研究

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、細胞の遺伝子の両端にある、“テロメア”と言われる部分の研究を紹介する記事を掲載した。

テロメア、人間の細胞の分裂の回数に影響を及ぼすと考えられているため、テロメアの研究は、人間の不老不死の研究とも言われているが、この記事は、そのような見方を安易なものとして退けている。

サンテリアとは

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、キューバに昔からあるサンテリアという宗教を紹介する記事を掲載した。

この宗教の特徴となっている要素の一つには、カトリックの慣習との融合があるという。
またこの記事は、サンテリアの音楽に読者の注意を引き、クリスチャンはこのようなものから離れているのが賢明であると述べている。

奉仕者とは誰か

「目ざめよ!」誌2000年7月8日号は、「奉仕者とはどんな人のことですか」と題する教訓的な論考を掲載した。

この記事は、聖書の示す「奉仕者」の概念が、キリスト教世界においてどのように変容していったかに読者の注意を引き、一方で、真の奉仕者であったイエスとパウロを模範とするように勧めている。

満ち足りた人生を歩む

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、人生を意味深いものとするために信仰が果たす役割を示す特集記事を掲載した。


台湾からの報告

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、台湾におけるエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。


復活の希望

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、クリスチャンの希望である復活を扱った、一連の研究記事を掲載した。


皮肉な考え方と戦う

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、皮肉に満ちた考え方をする傾向から離れているよう読者に勧める記事を掲載した。

この記事は、「イエスの追随者たちは、皮肉な考え方ではなく、兄弟愛によって見分けられます」と述べている。

アンティオキアとパウロの知られざる歳月

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、アンティオキアと、“パウロの知られざる歳月”とを考察する記事を掲載した。


貞潔を守る

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、この不道徳な世の中にあって貞潔を守るよう読者に勧める、教訓的な記事を掲載した。


エホバの証人に賞が贈られる

「ものみの塔」誌2000年7月15日号は、エホバの証人の活動が制限されているある国において、エホバの証人が受けた賞を紹介する小記事を掲載した。


心霊術は危険

「目ざめよ!」誌2000年7月22日号は、心霊術の危険に読者の注意を引く特集記事を掲載した。

近年、人々の心霊術に対する関心は高まっているが、この記事は、心霊術の背後には悪魔が関わっていることを明らかにしている。

南極大陸は警告する

「目ざめよ!」誌2000年7月22日号は、「南極大陸―最後のフロンティア」ならびに「南極大陸―悩める大陸」と題する記事を掲載した。

この記事は、南極の際だった特徴と、その問題とを扱うものとなっている。

偶像が川を汚染する

「目ざめよ!」誌2000年7月22日号は、儀式のために偶像を川に浸すヒンズー教徒の習慣によって、川が汚染されていると報告している。


始祖鳥はニセモノ

「目ざめよ!」誌2000年7月22日号が指摘したところによれば、中国の遼寧(りょうねい)省で発見され、真の始祖鳥として注目された化石は、鳥の化石に恐竜の化石を継ぎ足した作り物であったという。


二歳の活仏

「目ざめよ!」誌2000年7月22日号は、中国政府によって、チベット宗教の活仏(レイティン・ラマ)が選ばたと報じた。

しかし、選ばれた二歳の男児は、正統性の問題のために、チベットの人々から退けられる可能性があるという。

権威に敬意を払う

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、権威に対する敬意と従順の価値を読者に説く特集記事を掲載した。

この記事は、「世の中では権威に対する敬意が急速に失われているとしても、わたしたちはクリスチャンとして、地域社会においても、家庭内においても、クリスチャン会衆内においても、わたしたちの益のために立てられたふさわしい権威を認めます」と述べている。

レバノンからの報告

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、レバノンからのエホバの証人の活動の報告を掲載した。


せん越と慎み

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、クリスチャンがせん越さを避け、慎みを身に着けるように勧める一連の研究記事を掲載した。


アフリカで子供を持たないということ

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、子供を持たない、特にアフリカに住んでいるクリスチャンの問題を扱った論考を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、アメリカで宇宙開発と兵器開発の仕事に携わっていたものの、聖書を学ぶうちに良心の呵責を感じるようになり、ついにその仕事をやめてエホバの証人に転向した、イシドロス・イスマイリディスによる手記を掲載した。


道理にかなった期待を抱く

「ものみの塔」誌2000年8月1日号は、「過度の期待を抱くべきでないのはなぜですか」と題する教訓的な論説を掲載した。

この記事は、過度の期待を抱くことにより完璧主義に陥ること、年をとり、衰えることによって失意に陥ることなどの問題を取り上げ、聖書から、「進んでする気持ちがまずあるなら、持っていないところに応じてではなく、持っているところに応じて特に受け入れられるのです」と励ましの言葉を述べている。

シックハウス症候群

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号は、シックハウス症候群などの、化学物質過敏症を取り上げた特集記事を掲載した。

この記事は、読者が化学物質過敏症の患者にどのように気遣いを示せるか、聖書からのアドバイスを述べている。

言語学

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号は、言語を扱った記事を掲載した。

この記事は、言語というものがどのように分類できるかを紹介している。
またこの記事は、聖書に記されている、バベルにおける言語の混乱に言及し、「聖書の記録は、すべての言語が最初の一つの言語から派生したとは述べていません。ですから、すべての言語の起源となった元々の一つの言語をたどろうとする努力は徒労に終わってきました」と指摘している。

死者のために悲しみを表す

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号は、愛する子供が死んだとき、父親が泣くことは正しいことであると述べる論説を掲載した。

この記事は、そのようにして泣くことは、決して父親の弱さのしるしではないと述べている。

身体装飾

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号は、ボディーピアスや入れ墨などの身体装飾を扱った論考を掲載した。

この記事は、「クリスチャンは自分で身に着ける装飾品のタイプに関して、節度を超えない範囲で個性を表現できます」と述べている。

パトモス島

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号は、現在のパトモス島を紹介する記事を掲載した。


聖書の翻訳数が増える

「目ざめよ!」誌2000年8月8日号が報告したところによると、1999年は聖書の新しい翻訳言語が21増加した年となり、こうして、聖書は2233の言語で入手可能となっているという。


世界から憎しみはなくなるか

「ものみの塔」誌200年8月15日号は、「憎しみのなくなる時は来ますか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、憎しみを根絶する唯一の方法として、聖書の教え、ならびに神の王国を示している。

太平洋の島々で建設を行う

「ものみの塔」誌2000年8月15日号は、建築資材も資金も十分に調達できない太平洋の島々で、オーストラリアを中心とする世界中のエホバの証人が国際協力し、集会などに用いる施設を建設していることを報告する記事を掲載した。


意見の相違に対処する

「ものみの塔」誌2000年8月15日号は、「意見の相違にどう対処しますか」と題する教訓的な論説を掲載した。

この記事は、意見の相違が生じた場合、「他の人に対して批判的になるのではなく、どうすれば、見方や背景が様々に異なる人たちとの友情を培い、維持できるかを考えるべきです」、「ほかの人は、怒りが込み上げてくると、わたしたちに敵意を抱くかもしれません。そうした感情を認めて、相手の見方を理解するように努めてください」と読者に助言している。

理解力の点で十分に成長した者となる

「ものみの塔」誌2000年8月15日号は、クリスチャンが円熟して忠節な人となるとはどういうことかを具体的に示す、教訓的な記事を掲載した。


エホバの喜び

「ものみの塔」誌2000年8月15日号は、聖書のイザヤ53章10節についての読者からの質問を取り上げた。

この聖句は、エホバがメシアを「打ち砕くことを喜ぶ」と述べている。
この記事は、これはエホバがみ子を文字通り喜んで苦しめたことを意味するのではなく、イエスの死によって成し遂げられた神の目的の益のゆえに、その過程となった苦しみを喜ばれたという意味であると解説している。

素粒子の世界

「目ざめよ!」誌2000年8月22日号は、「目には見えないものを見る」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、普通の顕微鏡では見えないような極微の世界の謎の解明のための努力と、その結果分かってきた事柄を紹介している。
この記事は、この分野の研究において学者たちを悩ませる種々の疑問の一つとして、水分子の持つ性質に関わるものを挙げている。
本来気体であるべき構造を持っている水分子が実際には液体であり、しかも、他の物質と異なり、凍結する際にわずかに軽くなるのはなぜか、このことは生命の存在と深く結びついており、神の設計の存在を暗示するものだとこの記事は述べている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌200年8月22日号は、ブラジルの水泳のオリンピック候補でありながら、出場のために練習をするよりも、クリスチャンとしての奉仕に専念することを決意した、グスターボ・シスンによる手記を掲載した。

彼は水泳競技者の立場を退いた後、医師となり、ブラジルにおける患者の権利の向上に大きな貢献を果たしたという。
特に、輸血を拒否した15歳の少女が死亡し、自身が医療審議会にかけられた時には、もっぱら技術的な面から弁明を行い、12対2の大差で患者の権利の勝利を得たと彼は回顧している。

医師や看護婦の良心

急性前骨髄球性白血病には以外にもヒ素の投与が効果的であり、これにより輸血療法は回避できるが、一般的な常識ではヒ素は毒物であり、医療に使うようなものではない。

このような事情のために困難に直面した患者による経験談が、「目ざめよ!」誌2000年8月22日号に掲載された。
エホバの証人であり、急性前骨髄球性白血病患者であるダーリーン・シェハードは代替療法としてヒ素の投与を望んだが、まず薬剤師がそれに応じなかったという。
薬剤師には必要な医学資料が提示され、最初の問題は克服されたが、続いて、治療に当たった看護婦たちがヒ素を点滴バックに入れること、点滴のためにそのバックを吊すことを拒否したという。
それでもなんとか治療は行われ、この患者は1年半ほどの治療を得て快癒したとこの経験談は述べている。

セクハラに遭う若者たち

「目ざめよ!」誌200年8月22日号は、「若い人は尋ねる−セクシュアル・ハラスメントにどう対処したらよいだろう」と題する記事を掲載した。

この記事は、特に学校で子供たちが直面るセクハラの問題を扱っている。
この記事は、セクハラにあった若者は、その行為に対する拒否の意志をはっきりと示すべきだと述べつつも、誤解が生じている場合に配慮を示し、「セクハラのように見えても実は、不器用な仕方で、あなたの気を引こうとしているのかもしれません。ですから、望まない誘いをやめさせるには自分も不作法に振る舞う必要がある、と考えないでください」と述べている。
さらにこの記事は、セクハラを未然に防ぐ現実的な方法として、体に人の注意を引くような服を着ないこと、良い友人を選ぶことを薦めている。

無輸血手術の記事は反響を呼ぶ

「目ざめよ!」誌2000年8月22日号は、同誌2000年1月8日号の「無輸血治療−高まる必要性」の記事に対する読者の反響を紹介した。

寄せられた手紙の中には、輸血拒否のせいで息子が医師に放置され、そのせいで後遺症が残ったという親からのものなどがある。

フランスの非行問題と戦うエホバの証人

「目ざめよ!」誌2000年8月22日号は、フランスにおける少年犯罪の問題と、それに対するエホバの証人の取り組みを紹介する小記事を掲載した。

フランスの若者たちの間には反社会的な思想が広がっており、それに応じて、警官が襲撃されるなどの犯罪があとを絶たない。
しかし、エホバの証人は、それらの問題を抱える人たちに聖書を教えており、「貧しい人々の住む区域−社会福祉事業、警察、政府から時には見捨てられているかに見える地域」でも盛んに活動しているとこの記事は述べている。

「ものみの塔」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は2000年9月1日号において、「ものみの塔」誌のこれまでの発行言語数を134から137に更新した。

なお、現在の「ものみの塔」誌の平均発行部数は2239万8000部となっている。

クリスチャンと待つ態度

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、「どんな態度で待ちますか」と題する特集記事を掲載した。

研究記事を含むこの一連の記事は、一般生活において待たされるときにどのような態度を示すとよいか、自分や信仰の仲間に欠陥があるときどのような態度を示すべきか、またクリスチャンがハルマゲドンをどのような態度で待つべきかを扱っている。

フランスのエホバの証人たたきに批判

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、フランスにおいて近年激しくなっているエホバの証人への攻撃に関して、地元の新聞が、一人の権威者による公開状を掲載したと述べた。

この公開状の中で、フランス議会の元議員であり、医師であるジャン・ボンノム氏は、『エホバの証人は人に害を及ぼさない。一部の世間離れした政治家の方がよっぽど社会の脅威だ』と主張している。

チリからの報告

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、チリのエホバの証人から寄せられた報告を紹介する記事を掲載した。

今チリでは、電話を用いた聖書伝道がよい成果を生みだしているとこの記事は報告している。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、熱心な聖書伝道者であるとともに、音楽家でもある、バーノン・ダンカムによる手記を掲載した。


アルメニアので経験

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、アルメニアで聖書の神エホバを知り、デンマークへ亡命した後、エホバの証人となった、シルビアの経験談を紹介する記事を掲載した。


ナチに抵抗したエホバの証人

「ものみの塔」誌2000年9月1日号は、「沈黙が承諾となるとき」という小記事を掲載した。

この記事は、ナチズムにはっきりと抵抗したエホバの証人が他のキリスト教派からどのような扱いを受けたかを、専門家の言葉を引用して示している。
記事によれば、「背信―ドイツの諸教会とホロコースト」という本は、「カトリック教徒やプロテスタント信者は、概してエホバの証人に同情よりも敵意を示した。彼らは、証人たちの平和主義者としての価値基準よりも、ヒトラーの残酷な価値基準に従った」と述べているという。

オリンピックの理想とは?

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、シドニーオリンピックの開催時期に合わせ、オリンピックの理想を特集した記事を掲載した。

この記事によると、現代オリンピックは当初、「オリンピック競技大会で最も重要なことは、勝つことではなく、参加することである。大切なのは、征服することではなく、りっぱに闘うことである」という理念のもとにあった。
しかし、たとえばオリンピックへのプロ選手の参加が許可されるようになったことなどの変化が、そのような理想を徐々に打ち砕いていったとこの記事は指摘している。

点字の歴史

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、点字の発明者であるルイ・ブライユの功績を取り上げた記事を掲載した。


黙想とは

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、正しい黙想とは何かを説く論考を掲載した。

この記事によると、正しい黙想とは、仏教で行われている瞑想ような、「すべての考えを除き去って頭を空にする」ことではない。
そのような黙想は無益であるが、聖書は黙想について「何であれ真実なこと、何であれまじめなこと、何であれ義にかなっていること、何であれ貞潔なこと、何であれ愛すべきこと、何であれよく言われること、また何であれ徳とされることや賞賛すべきことがあれば、そうしたことを考え続けなさい」と教えており、それは益となるとこの記事は述べている。

エホバの証人が台湾で救援活動

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、台湾で生じた大規模な地震災害における被害の状況と、エホバの証人が行った救援活動を報告する記事を掲載した。


アメリカ人の宗教観

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、アメリカにおいて宗教調査が行われ、アメリカ人の宗教観が明らかになったと報じた。

そのれよると、アメリカ人は宗教に伝統の価値を認めず、「一つの宗教に含まれるいくつかの考えを混ぜ合わせたり、複数の宗教をブレンドしたりして自分なりの信条体系を作ってしまうことが多い」ことが明らかになったという。

新生児の心臓手術

「目ざめよ!」誌2000年9月8日号は、生後4ヶ月で、大血管転移症の手術を無輸血で受けた少女を紹介する記事を掲載した。

この少女は現在17歳になっており、とても元気であるという。

自殺

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、自殺の問題を取り上げた特集記事を掲載した。

この記事は、自殺の原因となる苦痛に注意を向け、読者がその苦しみを乗り越えるために、聖書を毎日読み、また神に祈るよう勧めている。

フィジーからの報告

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、フィジー諸島のエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。

因習の強いこれらの島々では、異なる宗教を報じることは社会から断絶されることを意味している。
そのような困難な状況にも関わらず、フィジー諸島のエホバの証人たちは努力を払って信仰を実践しているという。

イエスと時

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、聖書の福音書に記されているイエスの障害を「時」の観点から考察する一連の研究記事を掲載した。

最初の記事は、『彼の時はまだ来ていなかった』と題するもので、イエスの死の時が来る以前のイエスの行動を論じている。
続く記事は、「時刻が来ました!」と題するもので、イエスの死が近づいたときのイエスの行動を論じている。
二つの記事を通して、日常のイエスと、死が近づいたときのイエスとの行動の違いがよく分かるようになっている。

自己犠牲の道

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、「自己犠牲の道を歩むのはなぜですか」と題する教訓的な記事を掲載した。


賢明な生き方をする

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、「あなたの名を汚さないようにしなさい」と題する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、聖書の箴言 6章を解説するもので、自分の人生を過失や罪によって台無しにしないよう読者を励ましている。

ヨシヤ王

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、模範的な王だったものの、非業の死を遂げたヨシヤ王に関する考察を掲載した。

この記事は、「確かにヨシヤ王はエジプト人と交戦して悲しむべき失敗を犯しました。とは言っても、その謙遜さと真の崇拝に対する確固たる態度は神の是認をもたらしました。ヨシヤの生涯は、謙遜な心を持つひたむきな僕たちにエホバが恵みを示されるということを、実に見事に例証しています」と述べている。

エホバの証人が家を建てる

「ものみの塔」誌2000年9月15日号は、トリニダード島のエホバの証人が、火事で家を失った友人たちのために自分たちで家を建ててプレゼントしたという美談を紹介する記事を掲載した。


デザイナーチャイルド

「目ざめよ!」誌2000年9月22日号は、遺伝子の研究が今もたらそうとしている医学の変化に警笛を鳴らす特集記事を掲載した。

これからは、子供を産もうとする夫婦が、自分の望む性質を持つ受精卵を選び、あるいは受精卵に手を加えて子供を産める時代が来ると言われている。
この記事は、このような考えが、いわゆる優生学の延長にあることを指摘するものとなっている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2000年9月22日号は、ポーランドでナチと闘った後、ロシアの強制収容所に送られ、さらにウクライナにおいて信仰を実践し続けた、ミハイル・ダーセビッチによる手記を掲載した。


最高裁でエホバの証人が勝訴

「目ざめよ!」誌2000年9月22日号は、日本の最高裁が、エホバの証人の輸血拒否を擁護する判決を下したと告知した。


宗教指導者の不足は深刻

「目ざめよ!」誌2000年9月22日号は、ニューヨーク・タイムズ紙からの引用として、アメリカではユダヤ教のラビやカトリック、プロテスタントの僧職者の不足が深刻になっていると報じた。


「目ざめよ!」誌が高く評価される

「目ざめよ!」誌2000年9月22日号は、「目ざめよ!」誌1998年6月8日号に掲載された、「繊維筋痛症を理解し、この病気と共に生きる」と題する記事が、各方面から好評を博したことを紹介する記事を掲載した。


死後の世界?

「ものみの塔」誌2000年10月1日号は、死後の復活を取り上げた特集記事を掲載した。


聖書を朗読する

「ものみの塔」誌2000年10月1日号は、聖書を朗読することと研究することとの重要性を説く、一連の研究記事を掲載した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2000年10月1日号は、ものみの塔協会の発行した「聖書研究」7巻の執筆者であり、1918年に不当に投獄された、クレイトン・J・ウッドワースの孫娘に当たる、キャロル・アレンによる、クレイトンの活動の記録と自身の手記を掲載した。


調整されている宇宙

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、「宇宙―偶然に生じたのか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、宇宙の生成時に「微妙に調整された力」について説明し、電磁力、強い核力、重力、弱い核力が微妙に調整されているのはなぜかと読者に問いかけている。

メキシコのピラミッド

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、メキシコのピラミッドを取り上げた記事を掲載した。

この記事は、メキシコのピラミッドと、バビロンのジッグラトに似ていることを指摘している。

危険なスポーツに注意

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、過激なスポーツに対する警告となる論考を掲載した。

この記事は、「クリスチャンがレクリエーションの名のもとに不必要に危険を冒すなら、エホバとの貴重な関係に影響が及ぶことがある」だろうと述べている。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、ウクライナにおいて、ソビエト政府の弾圧のもとでエホバの証人として活動し、シベリアに流刑にされたものの、りっぱに信仰を保った、アレクセイ・ダヴイジュクによる手記を掲載した。

なお、この記事は、アレクセイ・ダヴイジュクが、この手記の掲載が準備されていた2000年2月18日に忠誠のうちに死去したと追記している。

株式に投資する

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、株に投資することに関して、読者が健全な見方をするよう勧める記事を掲載した。

この記事は、株に投資することを賭け事と同一視する必要はないとしながらも、株にはリスクが伴うことを指摘し、投資家たちが「健全な思いと生活に必要な物で満足するという精神に導かれる」者となるべきことを強調している。

ますます薄くなる友情

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号は、人々の間でますます友情が薄くなっていると指摘した。

その理由となるのは、仕事と娯楽である。
この記事は、「友人と一緒に過ごすことは、すでにびっしり詰まったスケジュールから貴重な時間を奪ってしまう、なくてもよい気晴らし」と見なされていると述べている。

ターミネーター2

「目ざめよ!」誌2000年10月8日号が、インディペンデント紙から引用したところによれば、若者たちに「自分の宗教信条に最も近かったのはどの映画か」と尋ねたところ、多くの若者が「ターミネーター2」を挙げたという。


見えない神を身近に感じる

「ものみの塔」誌2000年10月15日号は、見えない神を身近に感じるというテーマを取り上げた特集記事を掲載した。


偽教師に気をつけなさい

「ものみの塔」誌2000年10月15日号は、間違っていることが分かっている宗教に深入りすることがないように警告する論考を掲載した。

この記事は、エホバの証人に対して不当な攻撃を加える人たちについても警告している。
この記事は結論として、「真理を探し求めている誠実な人が、様々な宗教の述べる事柄を注意深く検討するのは良いことだが、真のクリスチャンはすでに聖書とクリスチャン会衆を通して結論を得ているので、もはやそのようなことをしない」と述べている。

神の王国

「ものみの塔」誌2000年10月15日号は、聖書に記されている、神の王国の希望を取り上げた一連の研究記事を掲載した。

興味深い点として、この記事は、救いと信仰とが密接に関連していることを指摘し、「イエスは、たとえ報いが得られなくても信仰を持ちなさい、とは言いませんでした。この世の中でさまざまな試練に遭うときの支えとして、楽園となる地上での永遠の命という希望をエホバが僕たちに持たせたいと願っておられることをご存じだったのです。ですから、報いを心待ちにすることは、クリスチャンとして耐え忍ぶ際の肝要な助けなのです」と述べている。

聖霊は助け手

「ものみの塔」誌2000年10月15日号は、聖書に記されている「助け手」である聖霊が、どのようにクリスチャンを助けるかを示す記事を掲載した。

この記事は、聖書から、助けとなる聖霊の働きを、(異言を除いて)3つ指摘している。

エホバの証人のルーツ

「ものみの塔」誌2000年10月15日号は、エホバの証人のルーツをたどる興味深い記事を掲載した。

エホバの証人のルーツは、18世紀のヘンリー・グルーというバプテスト派の人物にまでさかのぼることができる。
彼はメソジスト教会のジョージ・ストーズという人物に影響を与え、彼はエホバの証人の創始者ラッセルの師となった。
とはいえ、後にラッセルは「しかし我々は、いかに善良で博識な人物に対しても、その追随者になろうとはせず、『愛せらるる子供のごとく神にならう』ことに努めた」と回顧している。

エホバの証人の統治体が自己血輸血に関する見解を発表

エホバの証人の統治体は、「ものみの塔」誌2000年10月15日号において、自己血輸血に対する見解を発表した。

この記事において統治体は、術前自己血貯血は聖書から受け入れられるものではないことを指摘する一方で、循環式血液希釈については、「断言できない」としている。
また、この記事はこのようにも述べている。
「詳細は異なるかもしれませんし、今後も新たな医療処置や治療法や検査法が開発されてゆくに違いありません。相違点を一つ一つ検討して決定を下すことは、本誌の役割ではありません。クリスチャンは、自分の血液が外科的処置、医療検査、及び現行の治療においてどのように扱われるべきかを、自分で決定しなければなりません」。

代替療法ブーム

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、たとえばハーブの使用といった、従来の医療に代わる健康法や治療法がブームになっていることを取り上げた特集記事を掲載した。

この記事は、代替療法に伴う危険についても読者の注意を促し、読者が、自分の行う代替療法について十分な知識を得、医師に相談するようにと勧めている。

若者が憂鬱になるとき

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、憂鬱になった若者たちに、苦しみを他の人に打ち明けるように勧める記事を掲載した。

この記事は、若者にありがちな、同年代の友人たちを相談相手にすることには警告を発し、それはたいていの場合賢明なことではないと指摘している。

ベネズエラでエホバの証人が救援活動

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、ベネズエラを襲った洪水災害に際してエホバの証人が行った救援活動を報告する記事を掲載した。

エホバの証人は被災者に物資を送るだけではなく、家を失った人たちのために自分たちの家を解放し、また彼らのために新しい家を建てたという。

「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、ウクライナでエホバの証人となり、シベリアの強制収容所に送られたものの、信仰を保った、ステパン・コジェンバによる手記を掲載した。


「目ざめよ!」誌のおかげで命拾い

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、逃走する殺人犯に誘拐されたものの、そのようなときにどうすればよいか指南する「目ざめよ!」誌の記事を読んでいたために、一命を取り留めた、ウィリアム・ルイス・テレルの経験談を掲載した。


父親のいない家庭

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、同誌2000年2月8日号の、「父親のいない家庭―悪循環を断つ」と題する特集記事に対する読者の反応を掲載した。

ある読者はこのように述べている。
「シングル・マザーの私は、聖書の原則に従って息子を育てることに努めてきました。前の夫は、あの雑誌に述べられていたとおりの「冷たく無関心」な人で、自分の息子に少しも関心を示しませんでした。それでも私は、その記事の提案に従って、父親を愛し、父親に敬意を払うよう、息子を教えてきました。それが間違っていなかったことが分かってたいへん励みになりました」。

バチカンと国連

「目ざめよ!」誌2000年10月22日号は、近年、NGOが束になって、国連におけるバチカンの特別待遇を非難していると指摘する小記事を掲載した。

そのような動きの背後には、バチカンを国連のオブザーバーとして認めている限り、その宗教的信条のせいで「人口、避妊、女性の権利、性と生殖に関する健康などについての話し合いが暗礁に乗り上げる」という事情があるという。

ものみの塔協会が新しいブロシュアーを発行

「わたしたちの王国宣教」2000年11月号は、「エホバの証人―どんな人たちですか」と題するブロシュアーをものみの塔協会が発行したと告知した。


ものみの塔協会が手話ビデオを発行

「わたしたちの王国宣教」2000年11月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、「エホバに向かって賛美を歌う」と題する賛美歌の手話版のビデオの第1巻を発行したと告知した。


聖書と道徳

「ものみの塔」誌2000年11月1日号は、聖書の道徳を最高のものとして紹介する特集記事を掲載した。

続く研究記事は、聖書の清い道徳を学ぶだけでは不十分であり、有害な道徳に関する情報を避ける必要もあることを説き、「不道徳な内容の本から腐敗的な影響を受けることはないと言うのは、道徳的な内容の本からよい影響を受けることはないと言うのと同様です」と指摘している。
また研究記事は、不道徳に陥った人に対しては、「もし不道徳に陥ってしまうことがあるとしても、エホバは真に悔い改める人をいつでも許してくださる」と励ましの言葉を述べている。

人生の成功とは何か

「ものみの塔」誌2000年11月1日号は、人生の成功とは何かを論じる論考を掲載した。

この記事は、人生の成功とは神から好意を得る生き方をすることであると論じている。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2000年11月1日号は、オランダでナチスの迫害に耐えながら宣教奉仕に従事した、ヘルベルト・ミュラーによる手記を掲載した。


エホバの証人の寄付制度

「ものみの塔」誌2000年11月1日号は、エホバの証人の寄付制度を説明し、読者に寄付を促す記事を掲載した。

この記事は、教理上の観点から寄付とは何かを論じ、「寄付とは、張り合ったり比較し合ったりするようなものではない」ため、寄付の額の大小は重要ではないと述べた。

看護婦

「目ざめよ!」誌2000年11月8日号は、看護婦の職を取り上げた特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌200年11月8日号は、共産主義のポーランドにおいて信仰を保った、ヤン・フェレンツによる手記を掲載した。


キリスト教と星占い

「目ざめよ!」誌2000年11月8日号は、横道十二宮を用いた星占いを取り上げた記事を掲載した。

この記事は、「真のクリスチャンは楽しみのためであれ、好奇心からであれ、星占いにアドバイスを求めるべきではない」と述べている。

パフォスとパウロの遺跡

「目ざめよ!」誌2000年11月8日号は、パウロがパフォスに滞在したことを証明するかもしれない銘刻の断片が発見されたと報じた。


手書き聖書の製作が始まる

「目ざめよ!」誌2000年11月8日号は、米国ミネソタ州セントジョンズ大学のベネディクト会修道士の依頼により、6年がかりで、3億3000万円をかけて、手書きの聖書が作成されることになったと報じた。

聖書本文には新改訂標準訳が採用されることになったという。

エホバの証人が命を救う

「目ざめよ!」誌2000年11月8日号は、ベニンのエホバの証人が、加熱したセメントの下敷きになった3人の人を、自らやけどを負いながらも救出したという美談を紹介する記事を掲載した。


祈ることの益

「ものみの塔」誌2000年11月15日号は、「祈ることには益がありますか」と題する特集記事を掲載した。

この記事は、「祈りを聞いていただくためには、明らかに幾つかの条件を満たす必要があります。しかし、神に祈る人の多くは、神から求められていることを行なうという点に、ほとんど関心を示しません」と述べ、人は祈るだけでは不十分であることを示している。

アルチブラノのエホバの証人

「ものみの塔」誌2000年11月15日号は、ペルーのアルチブラノでのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。

この記事によると、ここでは地元のラジオ局がエホバの証人の出版物を番組にして放送しており、エホバの証人に対する人々の反応はよいという。

アダムとエバ

「ものみの塔」誌2000年11月15日号は、アダムとエバからクリスチャンが何を学べるかを論じる記事を掲載した。


おきてを守れ

「ものみの塔」誌2000年11月15日号は、聖書のおきてに従うことを説いた聖書の箴言7章を解説する記事を掲載した。


深海の謎

「目ざめよ!」誌2000年11月22日号は、深海の生態系を紹介する特集記事を掲載した。


離婚家庭の子供たち

「目ざめよ!」誌2000年11月22日号は、「若い人は尋ねる―お父さんはなぜ家を出ていったのだろう」と題する教訓的な記事を掲載した。

この記事は、もし父親が悪い理由によって家を出ていったとしても、子供である読者が父親との関係をよいものとするように励ましている。

ものみの塔聖書冊子協会が音楽CDを発行

「わたしたちの王国宣教」2000年12月号は、ものみの塔聖書冊子協会が「王国の調べ―9」と題する音楽CDを発行したと告知した。


ものみの塔聖書冊子協会が劇のテープを発行

「わたしたちの王国宣教」2000年12月号は、ものみの塔聖書冊子協会が「わたしたちの時代に対する警告の例」と題する劇のカセットテープを発行したと告知した。


聖書は人生の教科書

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、「聖書―単なる良書ですか」と題する特集記事を掲載した。


ネパールからの報告

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、ネパールのエホバの証人の活動を報告する記事を掲載した。

ネパールでは、現在でもカースト制度が大きな問題になっている。
しかし、エホバの証人はカースト問題を克服し、人々の手本となっているという。

エホバは信仰の力

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、読者がエホバに頼り、その助けと導きを受け入れるように勧める特集記事を掲載した。


よい友を得る秘訣

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、友人を作るための提案を載せた記事を掲載した。

この記事は、「永続する友情を築くための六つのステップ」として、自分から友になる、友情を育てるための時間を作る、相手が話すときに注意を払う、快く許す、他人のプライバシーを尊重する、寛大であることを挙げている。

「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、双極性気分障害を煩いながらも、エホバに仕え続けている、ハーバート・ジェニングスによる手記を掲載した。


聖書は信頼できる

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、聖書が信頼できる書物であることを説く記事を掲載した。


義認論争のその後

「ものみの塔」誌2000年12月1日号は、カトリックとプロテスタントの「義認の教理に関する共同宣言」が調印されて後の両者の関係を取り上げた小記事を掲載した。

この共同宣言が採択されたにもかかわらず、カトリックが2000年を聖年としたことなど、両者の不一致はあいかわらずだとこの記事は指摘している。

子供たちの問題

「目ざめよ!」誌2000年12月8日号は、世界の子供の問題を取り上げた特集記事を掲載した。

今世界中で、子供たちがその権利を奪われたり、虐待されたりしている。
この記事は、聖書の希望に基づき、そのような問題が将来解決されると述べている。

科学は永遠の命をもたらすか

「目ざめよ!」誌2000年12月8日号は、科学は死を克服するかというテーマを扱った論考を掲載した。

この記事は、科学が死を克服するという考えを否定し、それができるのは神だけであると述べている。

クリスマスの風習とクリスチャン

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、「クリスマスの風習―キリスト教のものですか」と題する啓発的な特集記事を掲載した。

この記事は、特にメキシコのクリスマスの風習に触れながら、クリスマスの問題点を紹介している。
この記事は「クリスマスの問題点」と題する本から、「今日、我々がクリスマスと結びつけている無数の風習のルーツは、教養のある文化的な敏感な現代人が、いったんそれらのルーツをより明確に理解すれば、その風習を捨て去る可能性を生むようなものがある」という言葉を引用している。

チアパスのエホバの証人

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、紛争地帯であるメキシコのチアパスのエホバの証人の、信仰の闘いを紹介する記事を掲載した。

政治的に中立の立場をとるエホバの証人は、非常に不利な環境の中にあるが、それでも大胆に振る舞い、紛争地域内で聖書伝道に従事し、集会も開いているという。

問題を抱えるクリスチャンへの励まし

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、生活上の問題のために、自分はだめな人間だと思い、打ちひしがれている読者を慰める記事を掲載した。


コロサイ人への手紙から学べる教訓

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、聖書のコロサイ人への手紙から教訓を得る一連の研究記事を掲載した。

この記事は、コロサイ人への手紙のあいさつの部分について、「多くの学者は、パウロが教理上の指示や実際的な助言を与えた後、単にだれそれによろしくとの個人的なあいさつを添えたに過ぎないという見方をしています」と指摘した後、そうではないと述べ、その記述から多くの教訓を引き出している。
また、この記事は、2001年のエホバの証人の年の聖句がコロサイ人への手紙 4章12節であることを告知し、その解説を行っている。

ギレアデ聖書学校の卒業式が執り行われる

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、2000年9月9日に行われた、ギレアデ聖書学校の第109期卒業式の様子を報告する記事を掲載した。

その式の中で行われた講話の一つは、「生徒、それとも卒業生―どちらですか」というもので、講演者は、ギレアデを卒業した生徒たちは自分のことを「宣教奉仕について何でも知っている卒業生」と考えてはならない、むしろ「宣教者たちは、任命地で出会う人はどの人も自分に何かを教えてくれるという見方をすべき」だと指摘したという。
この記事によると、109期生は10カ国から集まった48人で構成され、合わせて20の国へ任命された。

エホバの証人の離婚

エホバの証人の統治体は、「ものみの塔」誌2000年12月15日号において、「クリスチャンである忠実な妻は、夫が離婚しようとしてとる行動にどの程度まで抵抗するべきですか」という質問に対する見解を発表した。

クリスチャンの妻は、聖書の教えるところに従い、淫行以外の理由では離婚はできず、やむを得ない理由により法的な離婚に至ることがあるとしても、「結婚(再婚)しないでいる」べきである。
しかし同時に、聖書は「信者でない夫が自ら妻を離れていく場合」については、それはやむを得ないとの立場をとっており、この記事はその教えを再確認するものとなっている。
またこの記事の中で統治体は、国ごとに異なる扶養義務関連の法律についても触れ、エホバの証人のこの問題への対応についてアドバイスを述べた。

エホバの証人がツバル語の普及に貢献

「ものみの塔」誌2000年12月15日号は、エホバの証人のツバル語の宣教者たちが作成した、最初のツバル語−英語辞書が賞賛を受け、ツバル国語委員会が作成する国語事典にも活用されることになったことを紹介する小記事を掲載した。


エホバの証人の行う教育活動

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、エホバの証人が世界中で実施している聖書教育活動を紹介する特集記事を掲載した。

エホバの証人は現在、新世界訳聖書を37の言語で1億冊頒布し、353の言語で聖書文書を発行しているとこの記事は報告している。
また、エホバの証人は非識字と闘う点で多大な貢献を果たしてきた宗教でもある。
この記事は、例えばメキシコではこれまでに14万3000人がエホバの証人の設置した識字訓練を受講したと報告している。

フランスのガレー船

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、中世フランスのガレー船の奴隷たちを取り上げた記事を掲載した。

ガレー船のこぎ手は犯罪者や奴隷たち、そしてカトリック教会に迫害されたプロテスタントの信者たちから成っていたが、カ国の労働条件のために多くの死者が出たという。
この記事は、1686年に書かれた絵を紹介しているが、それはプロテスタントを信じる「異端者をカトリックの信仰に連れ戻す確実な正統な方法」を示すために描かれたもので、中央にプロテスタントの信者とカトリックの審判者、周囲に牢獄、火、種々の処刑具、そしてガレー船が描かれている。

ものみの塔聖書冊子協会の支部

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、ものみの塔聖書冊子協会の最初の支部が設立されてから100年を振り返る記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、心霊術の影響のために、母を失い、さまざまなつらい経験をした、タチヤナ・ビレスカによる手記を掲載した。

彼女は、エホバの証人となった後、心霊術の影響で彼女の母を殺害した親戚を助けようとしたが、うまくいかなかったという。
彼女は現在、ものみの塔出版物をウクライナ語に翻訳するスタッフとして働いている。

家庭の崩壊から若者を守る

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、父親が家を出てゆき、悲しみのあまり自暴自棄になった若者を教え諭すための記事を掲載した。

この記事は、父親が出ていったからといって、読者が自分を責める必要はないと論じ、また、できることなら、出ていったとしても父親を思いやるようにと励ましている。
またこの記事は、残された母親のために読者が力になれることに言及し、励ましている。

信仰と寿命

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、サイエンス・ニューズ誌からの引用として、宗教活動に参加することが健康や寿命によい影響を与えると述べた。


インターネットの教会

「目ざめよ!」誌2000年12月22日号は、カナダのマニトバ州ウィニペグのカトリック大司教管区がインターネット上に教会を設置することを計画していると報じた。

これは、クリスチャンと数えられている人たちのうちの75パーセントもの人が、一度も教会に行ったことがないという状況を打開するためであるという。

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