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エホバの証人出版情報
2001年版(1)
2001年5月1日更新

エホバの証人の年鑑が発行される

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会は、「エホバの証人の年鑑」2001年版を発行した。
この年鑑はエホバの証人の2000奉仕年度(9月から8月)の活動を報告するものとなっている。
この年鑑によると、2000奉仕年度中、エホバの証人の法人団体は、「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」をハンガリー語とルーマニア語とアルバニア語とショナ語の4つの言語で、「聖書 新世界訳(全巻)」をコーサ語で、「参照資料付き聖書 新世界訳」をチェコ語で発行した。
また、新たに22の言語で聖書文書を発行するようになり、点字書籍も11の言語で発行するようになったという。
ものみの塔聖書冊子協会はクレオール語での出版にも力を入れており、そのために新たな文字を作成することもしている。
注目すべき点として、2000年1月、全世界のエホバの証人の法人組織が「完全寄付制」に移行したと年鑑は報告している。
これにより、貧しい国々のエホバの証人は、自分のための出版物と配布用の出版物とを事実上無償で手に入れることができるようになり、それらの国々における出版物の出荷量は倍以上になったという。
さらに年鑑は、アゼルバイジャン、ベニン、ルーマニア、スウェーデンといった国々において、エホバの証人が宗教団体として認可されたと報告している。
一方で、宗教上の偏見による、エホバの証人に対する妨害行為も世界中で見られている。
グルジア共和国における偏見は、正教会の過激派信徒たちが裁判所を占拠し、エホバの証人や、エホバの証人に支持を表明する弁護士、ジャーナリスト、人権擁護団体の代表者に暴力を振るうほどである。
ロシアでは、エホバの証人の法的認可を取り下げることを求めた裁判が、証拠がないためにいまだに結審していないため、必要とされているにもかかわらず、モスクワのエホバの証人は王国会館を建てる認可をもらうことができないでいる。
フランスでは、エホバの証人に対する課税を巡る裁判において、最高裁が「エホバの証人は(公認できる)宗教である」と認定したのに対し、その11日後には地方裁判所がそれを否定する、矛盾した判決を出している。
ギリシャ正教会がエホバの証人に公然と敵対しているギリシャでは、司祭たちがエホバの証人の活動を妨害し、王国会館建設の建築資材を納入する業者を脅したりしている。
王国会館の建築中には、正教会の鳴らす鐘の音を合図に地元の司祭を先頭に立てた暴徒が建設現場に押し寄せてくるというありさまで、カッサンドラでは300名の警官が警備にあたったという。
イスラエルでは、ユダヤ教の過激派が、聖書伝道を行うエホバの証人のあとについてまわって会話を妨害し、伝道者の写真を大きく引き伸ばして街頭での妨害宣伝を行っているという。
2000奉仕年度は、裕福な国のエホバの証人の寄付により、貧しい国々における王国会館の建設が進んだ年でもある。
さらに年鑑は、2000奉仕年度中、ミャンマー、ベニン、南アフリカ、日本の4カ国で、ものみの塔聖書冊子協会の支部が新築、増築されたと報告している。
全体として、2000奉仕年度のエホバの証人の活動は好調で、エホバの証人は成長している。


“日々の聖句”が発行される

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会は、「日ごとに聖書を調べる」2001年版を発行した。
この小冊子の前書きは、「日々直面する試練や難題に首尾よく対処するうえで本当に必要な強さや不屈の精神を身につける」ために、「神の言葉聖書を定期定期に読む」ことを読者に勧め、さらに、この小冊子を毎日検討することも勧めている。
またこの冊子は、2001年のエホバの証人の年句についても解説し、現代の世は敬虔な生き方をしたいと願うクリスチャンにとっては試練であるが、聖書のコロサイ人への手紙4章12節を思いに留め、「全き者として、また神のご意志全てに対する揺るがぬ確信を抱くものとして立つ」べきことを説いている。


エホバの証人の光

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会の発行する「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、聖書のマタイによる福音書 5章16節のイエスの命令に基づく、『あなた方の光を輝かせなさい』と題する教訓的な記事を掲載した。
この記事は、エホバの証人の輝かせる光とは、「クリスチャンとしての生活における輝くような手本」や「心を込めて物事に取り組む態度、誠実さ、真理に対する熱意といった特質」であり、それは「日常生活と宣教奉仕」の両方において示されると説いている。


よく聖書の言葉に耳を傾ける

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、クリスチャンの集会においてどのように講話に耳を傾けるかをアドバイスする記事を掲載した。
この記事は、集会において子供に聞く訓練を施すよう読者を指導し、集会に「おもちゃや塗り絵を持って行って子供たちを遊ばせておくのは賢明ではない」と指摘している。


主の記念式の日時が告知される

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、2002年(来年)の記念式は2002年3月28日に行われると告知した。


新しいビデオテープが発行される

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、ものみの塔聖書冊子協会が「わたしたちの世界的な兄弟関係」と題するビデオテープを発行したと告知した。


ものみの塔聖書冊子協会が点字書籍を発行

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、ものみの塔聖書冊子協会が「あなたも神の友になれます」と題する点字の書籍を発行したと告知した。


ものみの塔聖書冊子協会の新しい書籍

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、すでに発表済みの、「イザヤの預言 ― 全人類のための光」第一巻が入手可能になったと告知した。


子供を訓練する

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、聖書に基づいた教育と訓練を行うようエホバの証人の親たちを励ます記事を掲載した。
この記事は、「有益な習慣は生まれつき備わってくるものでも、たまたま身に着くものでもありません」と述べ、子供を教えるためには「親の側の終始一貫した態度」が必要だと論じている。


根気強く聖書伝道を行う

「わたしたちの王国宣教」2001年1月号は、読者が聖書伝道に喜びを見いだすよう励ます記事を掲載した。
この記事は、出会う人々の「大多数が無関心であるとしても、集められなければならない羊のような人々は今でもやはりいる」と述べ、読者を励ました。
またこの記事は、世の中には「偽りの宗教が残したいかがわしい記録に幻滅している」人や、「痛めつけられ、放り出されている」人など様々な人がいるが、「こうした点を理解することが、たゆみなく業を続けてゆく助けになる」と論じている。


「ものみの塔」誌の発行部数が増加

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、2001年1月1日号において、「ものみの塔」誌の発行言語数と平均発行部数を、それぞれ、137から139、2293万8000部から2304万2000部に更新した。


聖書の教えは戦争の痛手を癒す

「ものみの塔」誌2001年1月1日号は、「戦争の痛手 ― いやせるのはだれか」と題する特集記事を掲載した。
この記事は、かつて兵士として闘っていた人たちが、聖書の教えによってどのように癒されたかを紹介するものとなっている。


正しい愛とは

「ものみの塔」誌2001年1月1日号は、愛とはどのようなものかを論じる一連の研究記事を掲載した。
愛には知性が関係しているとはいえ、それは基本的に心から生じるものである。
それどころか、もし愛が欠けているなら、人は知識や立場を得て思い上がり、堕落するだろう。
そこでこの記事は、聖書から「あなた方の愛が正確な知識と十分な識別力に伴っていよいよ満ちあふれる」べきことを説いている。
たとえば、長老の職にある人々は、愛ゆえに、権威を帯びたり名を成したりすることを喜ばず、兄弟たちの中で「実力者」になろうとなどしないはずである。
また、愛を動機にせずに、ただ「救われたい」という一心でエホバに仕える人はどうだろうかとこの記事は問いかけ、「確かに、将来の祝福を受けたいという願いを持つのは正しくて自然のことですが……愛は自分の利を求めません」と答えている。
また、この記事は、クリスチャンがエホバと隣人を愛すべきことを強調し、この点でのエホバの証人の努力がどのような成果を生みだしているか、様々な事例を紹介している。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年1月1日号は、メキシコからアメリカに渡り、エホバの証人になった後、メキシコに戻って同国のエホバの証人を強めた、ロドルフォ・ロサーノによる手記を掲載した。
彼がメキシコに帰還した当時、同国のカトリック教会が同棲を認めていた影響で、エホバの証人の中にも結婚を合法化していない者が多数おり、この問題は半年で解決されたという。
また、彼は同国でエホバの証人が行っていた識字学校を再編し、政府に登録した。
識字率の低い同国において、この学校の生徒(エホバの証人でなくても生徒になれる)はのべ14万3000人に達しているという。
また、1993年にはエホバの証人はメキシコにおいて正式に登録された宗教団体となり、エホバの証人に対する政府の嫌がらせもなくなったという。
彼は現在病気を患っており、十分に活動できないが、それでも、「何をしていても、人にではなく、エホバに対するように魂を込めてそれに携わりなさい」という聖書の言葉に従って生活しているという。


イストミア競技祭と聖書

「ものみの塔」誌2001年1月1日号は、イストミア競技祭のマラソンをクリスチャンの生き方に例えている聖書の記述を解説する論考を掲載した。
この記事によると、クリスチャンの「命を目ざす競走」には、「聖書に示されている神の道徳規準と神の要求」という規則があり、クリスチャンは皆、その規則に従って走らなければならない。
また、聖書が「あらゆる重荷をすてて」走るよう勧めていることからすると、「ぜいたくなライフスタイル」などの“重荷”は取り除かなければならないとこの記事は述べている。
しかし、同時にこの記事は、「イエスは不可能なことを求める方ではない」ということを指摘し、クリスチャンの生き方が決して無謀な生き方でないことを示している。


平和の国際文化年

「ものみの塔」誌2001年1月1日号は、国連が2000年を『平和の国際文化年』と宣言したことに触れる小記事を掲載した。
この記事は、宣言とは裏腹に2000年は平和にはほど遠い年となったと指摘し、「人間には戦争や暴力を阻止する力がない」と述べている。


「目ざめよ!」誌の発行部数が増加

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は、2001年1月8日号において、「目ざめよ!」誌の発行言語数と平均発行部数を、それぞれ、82から83、2038万1000部から2068万2000部に更新した。


夫婦の愛を取り戻す

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、「夫婦の愛を取り戻せるだろうか」と題する教訓的で実際的な特集記事を掲載した。
この記事は、結婚の破綻する主な原因が、個々の問題よりもむしろその対処の仕方にあることを明らかにしている。
この記事は、家庭問題の専門家の見解を引用し、「健全な結婚生活を送っている場合でも、夫婦は遠慮なく不満を口にするものである。しかし、かっとなっている時は、相手の人格を攻撃するという有害な方法で不満を表明することがあまりにも多い……口論がエスカレートして制御不能になっていく場合に起こる極めて有害な事柄は、結婚生活の根幹を脅かす言葉を口にするようになることだ」と指摘した。
そこでこの記事は、「結婚生活に愛を取り戻すには、会話の中で『出て行ってやる!』とか『もっと大事にしてくれる人を探すわ!』といった脅し文句を言わないようにしなければならない」と読者を教え諭している。
また、結婚相手を皮肉ったり、侮辱したり、こきおろしたりしないことも必要だとこの記事は指摘した。
そのようなことをするなら、「相手に徹底抗戦の構えを取らせかねない」からである。
この記事は、聖書が結婚の問題についてどのように考えているかについても注解し、このように述べている。
「結婚に関して聖書が述べていることは現実的です。聖書は夫婦が「患難」に遭う、また「新共同訳」によれば「苦労」を負うことを認めています。しかし聖書は、結婚が喜びの源となるだけでなく、陶酔の源ともなり得ること、またそうあるべきであることも述べています。この二つの考えは矛盾するものではありません。深刻な問題が起きようとも、夫婦は親密で愛に満ちた関係を得られるということを示しているにすぎません」。


子供に野菜を

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、子供に野菜を積極的に食べさせるよう読者に勧める記事を掲載した。
この記事は、「野菜を食べる人たちは、親から野菜や豆類や果物を食べることの大切さを教えられた、と言います。一方、野菜嫌いの人は、子供のころ野菜を食べる習慣がなく、むしろスナック菓子の方を好みました。とはいえ、野菜嫌いの人も、健康を維持する上で野菜が重要であることを認めています」と述べ、そこで、「親のみなさん、野菜を食べるようお子さんをしつけましょう」と勧めている。


ロイダから得られる教訓

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、同誌2000年5月8日号が掲載した、「ロイダが沈黙を破るまで」と題する記事に対する読者の反響を紹介した。
その多くは、病気や他の困難を抱える読者からのもので、この記事にはとても勇気づけられた、そこから教訓が得られたといった感謝の言葉を述べている。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、生まれつきベータサラセミア(クーリー貧血)にかかっている、ジーアマンティ・ザツェリースによる手記を掲載した。
ベータサラセミアにかかると、体内の赤血球が十分なヘモグロビンを持たず、しかも肝臓と脾臓がその赤血球を破壊するため、患者は死に至る。
この患者に対する有効な治療法は定期的な輸血しかないとされているが、それでも、輸血による鉄分の過剰摂取により、患者は30歳になる前には死亡するという。
彼女はエホバの証人と聖書を勉強するようになって輸血を拒否する決死の覚悟を決め、なんとそれから10年間も輸血なしで生き続け、結婚さえしている。
その後、ベータサラセミアを煩う友人たちは汚染血液の輸血によって死亡していったが、彼女は30歳を超えた今もまだ生きており、体調は良好だという。
この手記の中で彼女は、死の恐れを乗り越える信仰の力について語り、「死は敵ですが、恐れるほどの敵ではないことを学びました」と述べている。


腹話術

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、腹話術をインタビューした教育記事を掲載した。
この記事によると、腹話術とは、もともと心霊術者が死者と話している振りをするために考え出されたもののようである。
しかし、やがて腹話術の秘密は暴露され、それは演芸において用いられるようになったという。
インタビューに応じた腹話術師のナチョ・エストラダは、腹話術を学ぶ人は、正しい目的をもってそれを習得し、間違った目的のためにそれを用いない決意をあらかじめしておくべきであるとアドバイスを述べている。


聖書と医療

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、“クリスチャンと医療の選択”をテーマにした論考を掲載した。
クリスチャンは、「医療上の決定を迫られる時、健康になりたいという願いと、神との健全な関係を保ちたいという願いの両方を反映した選択を行うべき」である。
そこでこの記事は、聖書の教えに基づいて、「真のクリスチャンは、明らかに心霊術に関係した診断法や治療法はどんなものであれ退ける」と述べ、また、「エホバの証人は『血を避けるように』との禁止令に留意する決意を抱いており、血を避けることを求める聖書の命令に反する医療処置は退けます」と指摘している。


薄れゆく友情

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、ブラジルにおける生活様式の変化が友情に危機をもたらしていると述べた。
サンパウロのアドベンティスト・ヘルシー・ライフ・センターの所長であるセーザル・バスコンセーロス・ジ・ソウザによると、最近のブラジル人は、「だれかと気持ちを通わせたいと思っているが、そうすることを恐れている。面倒なことになるぐらいなら、薄っぺらな友情にとどめておくほうがましだと考えている」のだという。


12歳の少女がビデオを紹介

「目ざめよ!」誌2001年1月8日号は、12歳の少女が学校で、エホバの証人のホロコースト迫害を取り上げたビデオを教師に紹介したという話を紹介した。
教師はそのビデオを見てたいへん感銘を受け、他の教師にもそれを見せていたという。


徳とは何か

「ものみの塔」誌2001年1月15日号は、「特性を培うのはなぜですか」と題する特集記事を掲載した。
この記事は、ニューズウィーク誌から、「道徳哲学の有力な学派によれば、正邪に関するあらゆる考えは、啓蒙主義から生まれた懐疑主義により、個人の趣味もしくは感情的な好みや文化的な選択の問題ということにされてしまった」という言葉を引用した後、このような考え方を否定し、徳に関する基準は確かに存在し、それは神の言葉聖書であると述べている。
またこの記事は、専門家の「徳は、頭だけでなく心でも学ぶ必要がある」という言葉を引用した後、そのためには、聖書をただ読み、研究し、知識を蓄えるのではなく、「祈りのこもった黙想を、聖書や聖書に基づく出版物の研究の肝要な部分とすべきです」と述べた。


創造の写真劇

「ものみの塔」誌2001年1月15日号は、エホバの証人が1914年に公開した、「創造の写真劇」と題する映画作品を紹介する記事を掲載した。
この映画作品は、上映時間8時間の大作であり、しかも、当時としては画期的な、カラー上映、音声付きである。
この映画は無料で公開され、その年だけで900万人の観客を動員したという。


ものみの塔聖書冊子協会の年次総会

「ものみの塔」誌2001年1月15日号は、エホバの証人の主要な法人団体である「ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会」の年次総会が2000年10月7日に開催されたと報告した。
この総会には1万3082名が出席したとこの記事は述べている。
またこの記事は、この総会における、6つの国(ハイチ、韓国、メキシコ、シエラレオネ、南アフリカ、ウクライナ)からの報告を簡潔に紹介している。


エホバの証人の組織

「ものみの塔」誌2001年1月15日号は、2000年のものみの塔聖書冊子協会の総会において行われた発表内容に基づいて、現在のエホバの証人の組織の概要を示す一連の記事を掲載した。
最初の記事はまず、監督や奉仕の僕といった人たちを選出する方法について説明し、それは民主的な選挙という方法ではなく、聖書的な任命という方法でなければならず、もしこのやり方に「この世が干渉しようとする場合」にも、「エホバの民は妥協はしない」と述べた。
さらにこの記事は、任命された監督が「聖霊に導かれる」べきことを強調し、彼らが「自分に聖霊が働いている証拠」を行状において示さなければならないと述べた。
またこの記事は、聖書の使徒たちの活動の書6章1節から3節とテトスへの手紙1章5節とから、任命のためには「推薦する者」と「任命する者」と「任命権を委任される者」とが必要であることを示し、このことが現在のエホバの証人の組織にどのように適用されているかを指摘した。
現在、任命者であるエホバの証人の統治体は、ものみの塔聖書冊子協会の支部委員を全て直接任命し、これら支部委員に、長老と奉仕の僕の任命とを委任しているという。
続く記事は、エホバの証人の前進の歴史を簡潔に取り上げ、教理の進歩、宣教の進歩、組織の進歩という3つの要素から考察を行った。
興味深い点として、この記事は、エホバの証人に関する「統計的な数字が神に感銘を与えることはない」と述べ、重要なのは神のご意志に従って行動することであると強調している。
3番目の記事は、「統治体は法人とどのように異なるか」と題するもので、これまでエホバの証人の組織の抱えていた問題と、それに対する対処とを紹介している。
過去においては、エホバの証人の統治体とはものみの塔聖書冊子協会の理事会そのものであったため、いくつかの問題が生じていた。
1971年には、その問題がひとつの解決を見、エホバの証人の統治体はものみの塔聖書冊子協会の理事会とある程度分離された。
それでもなお、統治体はものみの塔協会の理事や役員を兼任することができた。
それが今回、エホバの証人の統治体とものみの塔聖書冊子協会の理事職とが完全に切り離されることになり、こうして統治体とものみの塔協会の関係を巡る問題は根本から解消されることとなった。


若者と聖書

「ものみの塔」誌2001年1月15日号は、「こうして仲間の圧力に抵抗した」と題する小記事を掲載した。
この記事は、「人に受け入れられたいという願望に影響されて、多くの人が仲間と同じように考え、行動しようとします。特に若い人の場合、薬物の乱用や性の不道徳といった有害な習慣をきっぱりと拒むためには確かに強さが必要です」と述べ、若者がその強さを得るためのすぐれた助けとして、「ものみの塔」誌を紹介している。


病気や身体障害に陥ったとき

「目ざめよ!」誌2001年1月22日号は、不治の病や障害を抱えてしまった人を助ける特集記事を掲載した。
障害や病気にかかった人が抱える問題の一つに、コミュニケーションの不足による孤立化の問題がある。
中には、「友人たちが遠ざかるのを見ると心が痛むので、自分の方から人を避けるようになる」人もいる。
この記事は、そのような問題に陥ることのないよう努力すべきであることを読者に示し、励ましている。
またこの記事は、「身体的な能力が衰えたとしても、精神的、感情的、霊的な特質が必ずしもその影響を受けるわけではない」点について触れ、読者がまだ残された能力を最大限に活用すること、また「食べるにも、眠るにも、息を吸うにも、病気のことばかり考える」人とはなってはならないことを指導している。
さらにこの記事は、進行する障害を抱えながらもそれに立ち向かっている、ウィリアム・マイナーズ夫妻の、励みとなるインタビューを収録している。
この人は、障害を抱えるようになったとき、教会でそれが「神からの罰」であると教えられた。
しかし、エホバの証人と聖書を学ぶようになってから、彼はそのような考え方を克服し、それ以来、神に対する信仰は彼にとって生きるための力となっているという。


親がデートに反対するとき

「目ざめよ!」誌2001年1月22日号は、「若い人は尋ねる―デートは早すぎると親が思っているなら、どうすべきだろうか」と題する指導的な記事を掲載した。
若者の多くは、親がデートに反対すると、「これほど理不尽なことはない」という態度を示す。
しかし、それは本当だろうか、と記事は読者に問いかけている。
この記事は、「ごく若い子供のデートが多くの親を不安にさせる」と指摘し、その理由を挙げている。
一つに、「非常に多くの場合、早すぎるデートは結婚前の性関係に至る」。
そういう問題が起こらない場合でも、自分は結婚する用意ができているだろうかという問いは、たいていの若者にとって深刻な問題となるはずである。
この記事は、早くからデートをすると必ず直面する問題について述べた、二人の若者の言葉を紹介している。
「学校の友達は皆わたしにボーイフレンドの話をしました。でもそれらの友達は、まだ早すぎるのに結婚してしまうか、結婚の段階に進む用意ができていなかったためにひどい別れ方をするかのどちらかでした」。
「だれかに誓いを立てる用意はできていないと気づいたとき、自分はデートをしているのだからすでにその誓いをしてしまったのだと思うと、とても重苦しい気持ちになります。相手を傷つけずに手を引くことなどででるでしょうか」。
最後にこの記事は、「待つことの価値」について触れ、読者が早いデートを控え、その間人格陶冶に励むなら、いつの日か親も喜んでデートを認めるようになるだろうと述べている。


ギリシャ正教会がIDカードの変更に反対

「目ざめよ!」誌2001年1月22日号は、Newsroom.orgから引用し、ギリシャ正教会が、国民のIDカード(身分証明書)から“所属宗教”欄を削除するというギリシャ政府の決定に強く反対していると報じた。
ギリシャ正教会が少数派宗教に対して絶え間ない嫌がらせを行っているギリシャでは、IDカードに宗教欄が存在することは直接的に、種々の嫌がらせや脅迫行為に結びついている。
ギリシャ正教会は、そのような迫害行為を“キリスト教の信仰を守る正統な活動”と断言しており、今回のギリシャ政府の決定に対しても、それは「邪悪な勢力」の仕業であると主張している。


コピオプテリクス・イェホワ

「目ざめよ!」誌2001年1月22日号は、ハーマン・ストレッカーという昆虫学者と、彼が命名したカイコとを紹介する小記事を掲載した。
彼は、南アメリカ産の巨大で美しいカイコガに、神の名前を含めた「コピオプテリクス・イェホワ(エホバ)」という名をつけた。
このことはある学者たちの反発を招いたが、それでも彼は、「神聖な事柄、つまり至高者の威光や力の証拠を熟考するに勝ることなどほかにあろうか」と述べて反論したという。


エホバの証人とりっぱな業

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、「りっぱな業によってエホバの栄光をたたえる」と題する記事を掲載した。
この記事は、エホバの証人の日々の行いが、「サタンの体制からの逃れ場が魅力のある所であることを人々に示す」りっぱなものとなるべきことを説いている。
またこの記事は、「人々は、わたしたちが自分の住む所で、職場や学校で、さらにはレクリエーションの時にどのように行動するかを見て、わたしたちとその宗教を評価する」と指摘し、エホバの証人各自が、「自分や自分の家族はどうみなされているだろうか。自分の家や庭は近所の人から見て、清潔で手入れができているだろうか。職場の仲間や学校の友達から、時間をよく守る、勤勉な人とみなされているだろうか。身だしなみは、周りの人から見て、慎みと敬意が表れているだろうか」と自問すべきであると述べている。


パウロを手本とする

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、エホバの証人が人に聖書を教える際に、より説得力のある教え方をするにはどうすればよいかを指導する記事を掲載した。
この記事は、よく相手の言葉を聞き、相手の反応を引き出す質問をし、筋の通った推論を示すことが、人を説得して聖書の真理に引き入れる秘訣であると説いている。


4月の特別活動

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、今年の4月8日の“主の記念式”の開催にあわせて、4月にすべてのエホバの証人が熱心に活動を行うよう勧める記事を掲載した。
またこの記事は、「真理を捨てたわけではないものの、失意や個人的な問題、その他生活上の思い煩いのために、不活発になったエホバの証人」のことを長老たちが気にかけるべきことについても触れ、会衆の奉仕委員が率先して、不活発な人すべてを牧羊訪問するよう指示している。


電話による聖書伝道

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、電話を用いた聖書伝道の益を強調し、読者が電話伝道に加わることを勧める記事を掲載した。
エホバの証人の間には電話伝道に消極的な向きもあるが、実際にやってみるとかなりの手応えがあることがわかるとこの記事は指摘している。
また、この記事は電話伝道に携わるときの注意点についても触れ、電話でセールスをしていると間違われないように、伝道者がまず、自分の名前と住所を明らかにするようにと指示している。


ものみの塔協会が新しいパンフレットを発行

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、「イエス・キリスト―どのような方ですか」と題するパンフレットを発行したことを告知した。


信仰を強くするには

「わたしたちの王国宣教」2001年2月号は、読者が強い信仰を保つために助けとなる6つのアドバイスを紹介する記事を掲載した。
そのアドバイスとは、神の言葉を研究すること、祈ること、集会に出席すること、聖書伝道に参加すること、長老の援助を受けること、忠実な人たちを手本とすることである。


聖書と安定した生活

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、生活の中に潜む様々な危険から自分を守るために、聖書の教えがどのように役立つかを紹介する特集記事を掲載した。


ラトビアのエホバの証人

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、ラトビアのエホバの証人から寄せられた3つの報告を紹介する記事を掲載した。


真理を自分自身のものとする

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、「真理を自分自身のものとしていますか」と題する教訓的な研究記事を掲載した。
この記事は、現代社会そのものが、聖書の教えに従って生きようとするクリスチャンにとって試練となっていることを指摘し、「クリスチャンにとって課題は、信仰の道にしっかりとどまること」であると指摘した。
信仰の道を歩み続けるには、自分の信仰を本当の意味で自分のものとする必要があるので、クリスチャンは、自分の心の中にある疑問の答えを得るために聖書の研究に励む必要がある。
たとえば、「イエスの教えた崇拝の方式を実践しているのは自分たちである」という点に疑問を持ち始めたならどうだろうか。
答えを求めて聖書を調べるべきである。
聖書を調べるなら、「真のクリスチャン」には、真の愛を実践している、御名をあがめている、御名をふれ告げている、聖書に敬意を払う、聖書伝道を行う、世の腐敗から離れているなどの特質が示されているはずであることがわかる。
「今日、こうした判断基準に本当にかなっているのはだれでしょうか。事実からすれば、答えは一つしかありません。それはエホバの証人です」とこの記事は指摘している。
またこの記事は、最近の傾向として、エホバの証人の親に育てられた子供たちのよくない行動についても触れた。
これら子供たちの中には、制約の多いエホバの証人社会にうんざりし、「何を得損なっているかを知ろうとして、この世の(不道徳の)毒を味見してみようとする」者もいるという。
この記事は、そのような子供たちの振る舞いに警告を発し、子供たちが「理性を働かせ」、「真理を持っていることを自らわきまえ知る」よう励ましている。


神に対する献身とは

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、「献身にふさわしい生き方をしていますか」と題する教訓的な研究記事を掲載した。
この記事は、クリスチャンの献身が神への誓約であることを指摘し、「わたしたちは感情に流されて気まぐれに献身したのではなく、理性を働かせて、注意深く祈りのうちに熟考した上で献身した」ので、その献身を人生半ばにして放棄することはないと述べた。
一方でこの記事は、エホバの証人の中には、「家族の身体的また霊的な必要を顧みることで手一杯」な人もいることについて触れ、「それらの人が毎月宣教に費やす比較的にわずかな時間は、全時間の僕が費やす多くの時間と比べてあまり価値がないとエホバはご覧になるでしょうか。いいえ、神はわたしたちが持っていないものを要求されることはありません。……救いは、何かわたしたちが行なう事柄にではなく、主であるキリスト・イエスを通して示される神の過分のご親切に依存しています。……わたしたちは、神への奉仕に費やした時間、配布した聖書文書の数、司会している聖書研究の数などを他の人と比べる必要はありません」と述べている。
さらにこの記事は、エホバの証人が神に仕える動機についても考察し、「エホバへの奉仕で成し遂げた事柄によって人に感銘を与えるためにエホバに仕えているのではありません」と指摘した。
最後にこの記事は、クリスチャンが直面する道徳上の問題について読者に警告を発し、エホバの証人が「行状においても宣教においても正しい良心を保つことを固く決意すべき」ことを諭している。


落胆と信仰

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、落胆のために信仰が弱ってしまった人たちを励ます記事を掲載した。
この記事は特に、仲間の兄弟姉妹に感情を傷つけられた人と神の奉仕における特権を手放してしまった人に焦点を当てている。
記事は聖書から、ハンナ、マルコ、エリヤの3人の模範について触れ、落胆した読者を励ましている。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、エホバの証人であるという理由で繰り返し暴徒に襲われた、ジェームズ・B・ベリーによる手記を掲載した。
アメリカに住む彼は、クリスチャンとしてのりっぱな活動のゆえに、白人優位主義者と攻撃的な愛国主義団体とに目をつけられ、繰り返し暴行を受けたという。
その後彼は、ギレアデ聖書学校の第2期クラスを卒業し、西インド諸島のバルバドスに派遣された。
バルバドスはエホバの証人の活動を禁止しており、文書類も発禁になっていたが、彼が派遣された数ヶ月後には禁令は解除されてしまったという。
その後彼はアメリカに戻り、結婚し、4児の父となった。
4児のうち3人までは、エホバの証人にはならなかったため、親としては苦しんだが、1人は父に倣ってギレアデ聖書学校を卒業し、今は西アフリカのシエラレオネで宣教者として奉仕しているという。
彼は最後にこう述べている。
「強風にあおられる1本の樹木のように、私たちは遭遇する様々な苦難や問題に対処しなければなりません。だんだん年を取り、以前犯した間違いに気づく時、私は努めて物事の明るい面を見るようにします。結局のところ、忠実を保ってさえいれば、そうした経験は自分自身の霊的な成長に資するものとなります。経験から学ぶなら、人生の好ましくない面の中にも好ましい面を幾らか見いだせるものです」。


イスラエルのロシア語会衆

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、イスラエルにおける、ロシア語を母国語とするエホバの証人を紹介する記事を掲載した。
イスラエルにおける、ロシア語を話すエホバの証人の歴史は、ウクライナのリボフに住んでいた若い女性が、当時ウクライナがエホバの証人の活動を禁じていたにもかかわらず、エホバの証人との聖書研究に応じたところから始まる。
彼女はイスラエルに移住し、そこでロシア語を話す人たちに聖書伝道を開始した。
この女性は1994年に出血性潰瘍により、ヘモグロビン値が7.2にまで下がったが、エホバの証人の医療機関連絡委員会の援助により、無輸血で手術を受けられたという。
また、彼女が聖書を教えた人の一人にサーシャという男性がいたが、彼は成績優秀な生徒であったにもかかわらず、軍事予備訓練の授業を受けることを拒否したため、放校されてしまった。
イスラエルの高等裁判所はサーシャに有利な判決を下し、サーシャは高校に復学し、卒業することができたという。
現在、イスラエルには、ロシア語を話すエホバの証人の聖書伝道者120名からなる会衆がある。


“へそ”とは

「ものみの塔」誌2001年2月1日号は、聖書の箴言3章7節から8節を解説する小記事を掲載した。
ここで興味深いのは、エホバへの恐れが「へそのいやし」であるという言葉である。
ここで“へそ”と訳されているヘブライ語の意味については論議があり、へそではなく体の器官全体を表しているとか、へその緒を表している、筋肉と腱を表しているといった主張がある。
この記事は、その単語の意味がいずれであっても、文全体の意味するところは同じであり、「神の基準に従うなら、わたしたちの身体的福祉は向上する」ということであると解説している。


このごろ忙しいのはなぜか

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、「現代の慌ただしさに対処する」と題する特集記事を掲載した。
この記事によると、今は、テレビやパソコンの普及によって人々の睡眠時間が減少し、ノートパソコンや携帯電話などの普及によって家庭とオフィスとの区別がつかなくなり、ほかの様々な理由も加わって、人々の生活はあわただしくなっている。
それによって人々のストレスは高まり、睡眠障害が多発し、種々の問題が生じている。
この記事は、このような問題に対処するには生活を簡素なものにするしかないことを指摘し、読者がどのように生活を調整できるかを提案している。


聖書クイズ

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、21問の聖書クイズを掲載した。
例えば、17番目の質問は、『ヘブライ語の名前にしばしば付いている、「息子」を意味する接頭語は何ですか』というもので、答えは、『ベーン』、20番目の質問は、『パウロを処刑したのはどのカエサルであると思われますか』というもので、答えは『ネロ』である。


免疫機構を理解する

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、人体の免疫機構を紹介する科学的な教育記事を掲載した。
この記事は、白血球の、単球、好虫球、リンパ球、B細胞、T細胞(ヘルパーT細胞およびナチュラルキラー細胞)の働きを取り上げ、説明している。


シチリアブラットオレンジ

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、シチリアブラットオレンジを取り上げた、教育記事を掲載した。


結婚に対する神の見方

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、「聖書の見方―結婚は生涯の結びつきですか」と題する論考を掲載した。
この記事は、結婚に関する神の見方が昔から変わっていないことを強調し、読者が神の見方にかなう結婚生活を送るべきことを諭している。


流刑地だったオーストラリア

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、オーストラリアがどのようにして開拓されていったかを紹介する教育記事を掲載した。


津波

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、津波を取り上げた教育記事を掲載した。
もともと英語には「津波」に相当する語はなく、「高波」に相当する語のみがあったため、津波を説明する文章はどうしても煩わしくなり、津波に対する誤解も多かった。
そこで津波の多い日本から“tsunami”つまり「津波」という語が導入された。
この記事は、津波のあまり知られていない性質を読者に紹介するものとなっている。


インターネットとオカルトブーム

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、インディペンデント紙からの引用として、インターネット上の、オカルトを題材にしたホームページによって子供たちが危機にさらされていると報じた。
イギリスの教員講師連合の調査によると、11歳から16歳の子供の半数がオカルトに興味を持ち、4分の1が強い関心を示し、6分の1が恐ろしいオカルト体験を経験しているという。
そのような問題の背景には、「魔術、まじない、瀉血(しゃけつ)の方法などを扱う幾百ものサイト」を子供たちが見ていることが関係しているようである。


消えゆくスズメ

「目ざめよ!」誌2001年2月8日号は、イギリスのスズメの減少の問題を取り上げた小記事を掲載した。
イギリスのスズメは、ここ数年で、農村部において65パーセント、都市部において92パーセントも減少しており、王立鳥類保護協会による原因の調査が行われているという。


死海写本の真実

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、死海文書を取り上げた特集記事を掲載した。
死海文書は1947年から1956年までの間に、死海のそばのクムラン洞窟群から発見された文書群を指す。
それらの文書は、西暦前3世紀から西暦1世紀ごろのもので、聖書の写本も含まれている。
この記事は、死海写本の聖書写本が「ヘブライ語聖書の異なる版」の存在を示唆していることを指摘し、「従来、学者たちは、セプトゥアギンタ訳における相違点は、その翻訳者たちの取り違えや、意図的な創作なのかもしれない、と考えていました。死海写本は今、それらの相違点が、実のところヘブライ語本文のバリエーションによるものも少なくないことを明らかにしています。この点は、ある場合には、初期クリスチャンがヘブライ語聖書の聖句をマソラ本文とは異なる言い回しで引用したことの説明ともなるようです」と解説している。
エホバの証人によって翻訳された新世界訳聖書の訳文も、死海写本をもとにマソラ本文を修正したものとなっているという。
最後にこの記事は「死海文書の多くに関しては、いっそう詳細な分析が必要です」と述べ、死海写本に対する今後の研究に期待を表明した。


ケニアのエホバの証人

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、ケニアにおけるエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。
ケニアのエホバの証人は40以上の民族や言語グループに聖書伝道を行っているという。
近年、聖書伝道を行う点で問題となっているのは、人々が忙しくなり、ほとんどの人が家にいなくなってしまったことである。
そのため、ケニアのエホバの証人は伝道のやり方を調整し、忙しい人々にも聖書の教えが広まるように努力しているという。
この記事によると、ケニアには現在1万5000人を超えるエホバの証人の伝道者がおり、昨年のキリストの死の記念式には4万1000人を超える出席があったという。


エホバの裁き

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、エホバの裁きをテーマにした一連の研究記事を掲載した。
この記事は、聖書のゼパニヤ書の記述を一つ一つ引用しながら、その現代における摘要を詳述するものとなっている。
ゼパニヤ書は、異教の崇拝者のみならず、「エホバとマルカム」の崇拝者に対するエホバの裁きについて述べているが、「真の崇拝を偽りの宗教と混ぜ合わせようとする」彼らの行為は、現代においては、「偽りの崇拝と占星術にどっぷり浸かっているキリスト教世界を連想させる」。
このような背教的な者たちは『異国の装いを身に着けている者』と呼ばれているが、「同様に今日でも多くの人は、自分がエホバの組織に属していないことを様々な形で明らかにする」。
また彼らは『エホバは善いことをしてくれないが、悪いことをもたらすわけではない』と言うが、それらの人々は「神が人間の物事に介入するというどんな知らせにも煩わされたくない」ので、「今が『終わりの日』であることを認めない」。
しかしこの記事の読者は「エホバの裁きが邪悪な者たちに執行されるのは遠い将来のことだ、などと考えてはならない」。
この記事は、特にゼパニヤ書 2章3節に注目し、エホバの裁きを逃れるには、読者が(1)エホバを求める、(2)義を求める、(3)柔和を求めるという3つの条件を満たさなければならないと強調している。
また記事は、ヨシヤ王の治世中とその後に人々が示した日和見主義を例に挙げ、読者が救われる条件を満たすだけでなく、満たし続けることも重要であることを強調している。
ゼパニヤ書は、エホバから背教する人たちに対する神の裁きについてだけでなく、そのような人々に囲まれても屈せず、エホバを崇拝し続ける者の救いについても記述しているが、この記事は、その救いにあずかる者がエホバの証人となることを強調して、このように述べている。
「この終わりの日において、エホバのみ名を呼び求め、破れることのない愛のきずなにより一致して、神に仕えているのは、エホバの証人です。支配者としての神にあらゆる面で進んで従おうとしている[キリスト教の教派]はエホバの証人だけです。」
しかし、この記事は同時に、エホバの証人となった人だけが救われるのではなく、エホバの証人となることなく死んでいった人々すべてをも神は救われるということを指摘し、このように述べている。
「これまでに、無数の人々がエホバに関する正確な知識を得ることなく生涯を終えました。神は秩序正しくそれらの人々を生き返らせます」。


ソフトウェアは複製しない

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、コンピューターソフトウェアの複製に関してエホバの証人の読者に忠告する記事を掲載した。
コンピューターソフトウェアの中には、フリーソフトのようにコピーや再配布が許されるものもあるが、その多くはコピーも再配布もできない。
この記事は、「クリスチャンは、自国の法律に従うことが求められています」と述べ、クリスチャンの読者が違法なソフトウェアコピーを行ったり、そのようにしてコピーされたソフトウェアを利用したりしないよう求めている。
エホバの証人は、法律で守られているソフトウェアの正しい利用法を知るために、ソフトを購入するたびにその使用許諾契約書の内容を「確認すべき」である。
また、著作権が取得された資料を掲示板に転載したり、転載されている資料をダウンロードしたりもしてはならないとこの記事は指示している。


死海の話

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、死海を取り上げた小記事を掲載した。


2001年の地域大会

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、エホバの証人の2001年「神の言葉を教える者」地域大会の開催場所と日時を告知した。
この記事によると、今年の地域大会は、34の場所および日時で開催される。
なお、大会は、手話、英語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、コリアン、カンボジア語でも開催される予定である。


貧困はなくなるか

「ものみの塔」誌2001年2月15日号は、国連が貧困の問題と闘っていることを取り上げた小記事を掲載した。
この記事は、そのような問題を解決する手段として、国連ではなく、神の王国を支持するものとなっている。


保険制度を活用する

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、保険を取り上げた特集記事を掲載した。
神に信仰を抱くクリスチャンは、自分は神にだけ頼っていればいいので、保険には入らなくてもよいと考えるべきだろうか。
ものみの塔聖書冊子協会の初代会長のラッセルはこの問いに回答し、このように述べた。
「妻や子どもを養う父親は、特に子どもがまだ幼く生計を立てられないのであれば、彼らに対してある種の責任を負っています。家族に必要な物を備えるために資金を取り分けておくことができない場合、生命保険という形で自分の務めを果たすことができるかもしれない」。
そこでこの記事は、「経済的なゆとりのある時期に、まさかの事態に備えて取り分けておく」ことを読者にまず勧めている。
さらにこの記事は、保険は「賭博ではない」、それは損失に対する保障であると述べ、読者がそれを宝くじのような、「一攫千金のチャンス」と見なすことをいさめた。
さらに記事は、保険に加入する際に読者が守るべき正直さについても触れ、「真のクリスチャンは、保険の申込書に記入するとき、あるいは保険金を請求するとき、保険会社に虚偽の申告をすることはしません」、「事業を営んだり車を運転したりする際、ふさわしい保険への加入が法律によって定められたいるのであれば、わたしたちはそれを守ります」と述べた。
さらに記事は、保険の種類や、保険の加入に伴うリスクについも取り上げ、エホバの証人の読者が保険に加入するにあたっては、「図書館、書店、あるいはインターネットで、保険会社の格付けガイドを探し、会社の記録や財務状況をチェックできる」と指導を与えている。


マルファン症候群

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、マルファン症候群を取り上げた医学記事を掲載した。
マルファン症候群は遺伝性の疾患で、この病気にかかると、遺伝子の欠陥のために体内でのフィブリリンの生成が行われず、負荷に耐えられなくなって、体が「異常に伸びてしまう」。
こうして、体中の関節が外れるようになったり、体が湾曲したりするようになるという。
痛みも耐え難いものである。
この記事は、マルファン症候群にかかったと考えられる人たちの中に、バイオリニストのパガニーニがいることを指摘している。
「パガニーニの手の大きさは普通と特に変わらないが、手全体に独特の弾力性があって、いっぱいに広げると親指の先から小指の先までの幅は普通の2倍もある」。
さらにこの記事は、マルファン症候群にかかっているエホバの証人の一姉妹のインタビューを収録しているが、この姉妹は、病気と闘ううえで自分の夫が果たした役割、そして信仰の役割について語っている。


衝撃のエイズ統計

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、アフリカのエイズ問題を取り上げた記事を掲載した。
この記事によると、1999年における、15歳から49歳のHIV/エイズ感染者は、北アメリカが89万人、カリブ諸国が35万人、中南米が120万人、西ヨーロッパが52万人、中央・東ヨーロッパが41万人、北アフリカ・中東諸国が21万人、南・東南アジアが540万人、東アジア・太平洋諸国が53万人、オーストラリア・ニュージーランドが1万5千人であるが、南アフリカはなんと2340万人である。
この南アフリカの感染率を国別に見てみると、多い順に、ボツワナが35.8パーセント、スワジランドが25.2パーセント、ジンバブエが25.0パーセント、レソトが23.5パーセント、ザンビアが20.0パーセント、南アフリカが20.0パーセント、ナミビアが19.5パーセント、マラウイが16.0パーセント、ケニアが14.0パーセント、中央アフリカ共和国が14.0パーセント、モザンビークが13.2パーセント、ジプチが11.7パーセント、ブルンジが11.3パーセント、ルワンダが11.2パーセント、コートジボワールが10.7パーセント、エチオピアが10.6パーセントである。
これらの人たちが今後次々と死んでいくことによって、これらの国々の平均寿命は、10年後には30歳にまで落ち込むとこの記事は指摘している。


ユーカリの木

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、ユーカリの木を取り上げた教育記事を掲載した。
日本ではコアラの食料程度にしか知られていないユーカリの木だが、実に有用な植物であることが示されている。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、フィリピンで戦争と迫害の中、熱心に聖書伝道を続けた、レオデガリオ・バルレイアンによる手記を掲載した。
彼は第二次大戦中、エホバの証人は日本のスパイであるというデマのために、アメリカ軍に繰り返し逮捕され、尋問されたという。
エホバの証人に対する誤解が解けた後も、このような理由で彼は引き続き拘留された。
「では、君たちを釈放するわけにはいかない。もし釈放したら、君たちは伝道を続けて人々を改宗させるだろうし、改宗した人々は中立を保つからだ。それに、もしみんながそうするなら、戦う者は一人もいなくなるだろう」。
その後、友人が日本人スパイの容疑で処刑されるという悲しみがあったが、彼はそれでもくじけず、釈放後再び聖書伝道に励み、再びスパイとして捕らえられた。
「私たち囚人は毎朝、『神よ、アメリカに祝福を』と『神よ、フィリピンに祝福を』という愛国的な歌を歌うよう要求されました。証人たちはそうする代わりに『主の側に立つのはたれぞ(誰ぞ)』という歌を歌いました。するとすぐに、担当の将校がこう叫びました。「『神よ、アメリカに祝福を』を歌わない者は、あのアカシアの木につるされるぞ!」しかし、そのように脅されたにもかかわらず、私たちはだれも殺されませんでした」。
戦争が始まる前、フィリピンのエホバの証人の数はたったの380人だったが、これらの人たちが聖書伝道に傾けた努力により、現在その数は13万人に達しているという。
彼は最後にこのように述べている。
「私たちの願いは、神の王国こそ地上で真の平和と幸福を享受するための唯一の希望であることを認識するよう、もっと多くの人々を援助することです」。


家を抜け出す若者たち

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、親に隠れて家を抜け出し、夜遊びをする子供たちを諭す、教訓的な記事を掲載した。
この記事は、「ほとんどの若者は悪い目的で家を抜け出すのではない」ことを認めつつも、このような習慣のために「深刻な問題に陥る若者は少なくありません」と指摘している。
特に、親の言いつけに背いて家を抜け出す若者は、「一度言いつけに背くと、さらに重大な悪行へと容易に移って行く」だろう。
「行なったことはいずれ発覚し、あなたに対するご両親のそれまでの信頼は損なわれるかもしれません。それはどんな結果になるでしょうか。あなたが望んでいたもの、つまり自由を、かなり失うことになるでしょう」。
そこで記事はこう読者を諭している。
「自由を手に入れるには、親の信頼を獲得しなければならないということを覚えていましょう。その最善の方法は、親に従順であることです」。


ストロンチウムの拡散

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、カナダのグローブ・アンド・メール紙からの引用として、1990年以降に生まれた子どもの乳歯に含まれるストロンチウム90(Sr90)のレベルが、地上核実験が行われていたころのレベルに達していると報じた。
このストロンチウムの発生源はよくわかっていないという。
ストロンチウムは骨癌や白血病の原因となる。


「目ざめよ!」誌が賞賛される

「目ざめよ!」誌2001年2月22日号は、スリランカの「青少年と人的資源の開発協会」の書記から送られた、「目ざめよ!」誌に対する感謝の手紙を紹介する小記事を掲載した。
手紙の中でこの書記は、「この雑誌は不純な動機でキリスト教の教理を広めていると言う人がいる」、しかし「それは間違いです」と指摘している。


記念式と誉れ

「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、4月8日に執り行われる、イエスの死の記念式典に向けて、その式典に出席するエホバの証人や外部の人たちが、どのようにエホバとイエスに栄光を帰すことができるかを扱った記事を掲載した。
この記事は、それらの人たちが「愛に基づき、またエホバやみ子がしてくださったすべての事柄に対する感謝に基づいて、忠実に従う」べきこと、「すべての道においてエホバとイエスを認めつつ、敬虔な恐れと崇敬の念を示す」べきことを説いている。


自分の輸血拒否の信条を法的に確立する

「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、3月12日に始まる「奉仕会」のプログラムにおいて、エホバの証人の守る輸血拒否の信条を守るための法的措置を示すプログラムが行われると告知した。
このプログラムでは、輸血を拒否するエホバの証人が、自己決定権を行使するために十分な情報を取り入れるべきこと、また前もって輸血に関する自分の意志を明確にしておくべきことが強調される。
また、輸血拒否のためにものみの塔協会が準備した法律上の文書に関する解説も行われる予定である。


4月の聖書伝道キャンペーン

日本のエホバの証人にとって春は聖書伝道キャンペーンの時期になるが、それに合わせ、「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、最近聖書伝道をやめてしまった人、若い人、研究生に、聖書伝道に携わるよう援助するための取り組みを扱った記事を掲載した。


記念式に招待する

「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、4月8日に行われる主の記念式にたくさんの人を招待するよう勧める記事を掲載した。


愛を動機とした聖書伝道

「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、愛を動機として聖書伝道を行うことの価値を強調する記事を掲載した。
この記事は、「わたしたちは、何に動かされてそうした挑戦となる活動に携わるのでしょうか。強制されたり、物質上の利益に誘われたり、特別の誉れが約束されたりしているというのではありません」と述べ、エホバの証人は「エホバを知って愛するようになり、光を人々の前に輝かせるよう動かされる」と述べている。


人々を集会に招待する

「わたしたちの王国宣教」2001年3月号は、エホバの証人の集会に人々を招待するよう読者を励ます記事を掲載した。


「ものみの塔」誌の発行言語数が増加

エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、2001年3月1日号において、「ものみの塔」誌の発行言語数を、139から140に更新した。
なお、現在の「ものみの塔」誌の平均発行部数は、2304万2000部である。


幸福を得る

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、「どうすれば真の幸福を見いだせますか」と題する特集記事を掲載した。
多くの人々は、人間関係といった重要な事柄を犠牲にするような仕方で富を得ようとしていると記事は指摘する。
しかし、「わたしたち人間は本質的に仲間といるのを好むため、自分を孤立させたり絶えず周囲の人々と対立していたりすれば、真に幸福にはなりません。愛されていると感じ、また他の人々を愛することによってはじめて幸福になれるのです」。
「もしわたしたちが富や権力、または人々が自分のために設ける他の目標のいずれにせよ執拗に追及するとすれば、より重要な事柄を見逃してしまいます」、「人生を単に富を蓄える機会としか見なさない人は、人生の本質的な喜びを得損なっているのです」。
それに対し、「物質面で簡素な生活を送り、霊的な事柄の占める場所を空けておくようにというイエスの助言に従う人は、真の幸福を見いだす可能性がずっと高い」と記事は強調する。
またこの記事は、人の幸福に、神への信仰がどのように寄与するかについて、このように述べている。
「神の見地から自分を見ることを学んでください。神がご自分を愛する者たちを望ましい者と見てくださり、信頼してくださるということ―その人たち自身は自分を価値のないものとみなしていたとしても―を知るなら、幸福は大いに増し加わることでしょう」。


霊的パラダイス

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、エホバの証人のしばしば用いる、『霊的パラダイス』という語に焦点を合わせた記事を掲載した。
エホバの証人の言うところの霊的パラダイスはどのようにしてもたらされるのだろうか。
「エホバの証人を際だたせている一つの事柄は聖書の知識に対する認識です。証人たちは、自分たちの宗教の基本的な教えを知るだけでは満足しません」、「エホバの証人は完全ではありませんが、問題を抱えることがあっても、互いを本当に愛しています」。
この記事は、「ものみの塔」誌の読者も、この霊的パラダイスに貢献できることを示し、読者たちを励ましている。


エホバの証人の光

エホバの証人にとって、神からの光とはどのようなものだろうか。
「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、この点を扱った一連の研究記事を掲載した。
まず、この記事は、聖書が霊的な『闇』の到来を予告していることに注意を引いた。
「それが今日、さらに大規模な成就を見ているということに真剣な注意を払うべきです」。
霊的な闇に関する聖書の予告が「最初に成就したのは、ユダが荒廃し、その民がバビロンへ流刑に処されていた時のことです」。
「イザヤの時代の状況は、今日の状態と非常によく似ています。キリスト教世界の宗教指導者たちは、自分たちの羊の群れを欺いてきました。それら指導者は、神に仕えていると唱えますが、実際のところ、そのほとんどは、国家主義、軍国主義、富、著名人など、この世界の神々を後押ししています。そのうえ、異教の教理を唱道しています。キリスト教世界の諸宗派は民族浄化その他、身の毛もよだつ事柄の行なわれる戦争や内乱に、そこかしこで加担してきました。さらに、多くの教会は、聖書に基づく道徳を堅持するところか、淫行や同性愛などの不道徳な習わしを大目に見、それを積極的に支持することさえしています」。
しかし、「忠実なクリスチャンは、柔和な人々のために闇を照らして、命を得る機会を差し伸べることができます」。
これがエホバの証人の光である。
この後、記事は、聖書のイザヤ書25章から27章をもとに、神からの光の恩恵を論じている。


イザヤ書の解説書

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、エホバの証人が2000年から2001年にかけて世界各国で開催した地域大会で、「イザヤの預言―全人類のための光」全2巻の第1巻が発表されたと告知した。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、カナダにおいて迫害を受け、後に宣教者としてアフリカで活躍した、フォレスト・リーによる手記を掲載した。
まだ彼が10歳の時、彼の父は、エホバの証人であり、聖書を伝道したという理不尽な理由で警察に逮捕された。
しかし、父は「我々はそう簡単にはやめない。伝道するようエホバは私たちに命じておられるのだ」と語ったという。
彼自身も、学校で国旗敬礼や校歌斉唱を行わなかったために学校を放校された。
彼は、逮捕されたときの父の言葉が忘れられず、それがその後の彼の人生を決定づけていったという。
結婚後、1970年に、彼は宣教のためにニカラグアに渡った。
1975年には、7人目の子供が生まれ、経済的に余裕がなくなったために、彼はやむなく祖国へ帰ったが、働いて十分な資金を蓄え、1981年には再び、今度はコスタリカに渡った。
1985年には、子どもの病気のために再びカナダに戻った。
彼は再びアフリカで宣教を行うつもりだったが、1993年に屋根から落ちて全身が麻痺してしまい、それはかなわない夢となった。
しかし、かつて彼自身がそだったように、そのような彼の志は子供たちに受け継がれていた。
彼の娘のミリアムは、ニカラグアから彼が去らなければならなかったときに、自らニカラグアに居続けることを決意し、ニカラグアで宣教奉仕を行った後、77期ギレアデ聖書学校に入校して、卒業後はドミニカ共和国で奉仕している。
息子のマークも、108期ギレアデ聖書学校を卒業し、宣教者としてニカラグアに渡ったという。
残りの子供たちも、全員が全時間宣教に携わっており、動けない彼にとってそのことはたいへんな励みとなっているという。


キュリロスとメトディオス

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、スラブ語の文字を創出し、聖書を翻訳した、キュリロスとメトディオスにまつわる話を紹介する記事を掲載した。
今日、スラブ語派の言語を話す人たちは4億3500万人いるが、そのうち3億6000万人がキリル文字を用いている。
この「キリル」とは、キュリロスのロシア名である。
キュリロスが創出したのは、おそらくグラゴール文字であり、キリル文字ではなかったようだが、いずれにせよ、彼がスラブ語のアルファベットを創出したのである。
彼は文字を創出し、聖書を翻訳しはじめたが、聖書を翻訳することに反対するカトリックの聖職者たちに迫害され、最後には病に倒れ、死んでしまった。
彼の後を継いだのは、彼のよき協力者、メトディオスである。
ついに聖書全巻が翻訳され、二人によるその偉業は今でも高く評価されているという。


カナダで無輸血手術が前進

「ものみの塔」誌2001年3月1日号は、カナダにおける無輸血手術の普及を取り上げた小記事を掲載した。
輸血や血液製剤による薬害が深刻な問題をもたらしたカナダでは、今や無輸血手術は「医学界の大きな流れ」とさえ呼ばれている。
この国においては、無輸血手術はエホバの証人だけでなく、エホバの証人でない多くの人の益となっているという。


歴史書としての聖書

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、歴史をテーマにした特集記事を掲載した。
この記事は、歴史に関する記述にはなにかと偏見が入り込んでいると指摘した。
「歴史の書物がそれとなく、あるいは公然と国家主義や愛国心に訴えている場合にも、記述の動機が疑われることは明らかです。残念なことに、この種のことはしばしば、学校用の教科書に見られます」。
そこで、「時の権力者によって語られた歴史はどれも、最大の疑念をもって見なければならない」。
聖書の歴史記述はどうだろうか。
「(聖書を書いた)ヘブライ人は、悪人にも英雄にも、敵対者にも自分たち自身にも、容赦のない態度で臨んだ。それは、神の前で書いているという意識があり、偽ったところで得るものはなく、失うものが多かったからである」、そのため、「シリアやエジプトの戦闘的な王たちの年代記が退屈なものであるのに対し、神に選ばれた民の患難や勝利に関する記述は読み手を魅了する」と記事は指摘する。
この記事は、人々が歴史から学ぶことの重要性についても触れ、人間の歴史から、人間が歴史から何も学んでいないということがわかる、と述べている。


教会とは

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、聖書において「教会」とも「会衆」とも「集会」とも訳される、ギリシャ語エクレシアについて考える論考を掲載した。
もともとこの語は、人々の集まりを指して用いられていた。
後代になって、この語は人々にではなく、場所や建物、特に教会を指して用いられるようになったが、それは聖書の言うところのエクレシアの意味ではない。
この記事は、その点について解説した後、聖書を引用しつつ、このように読者に勧めている。
「教会堂の中で神を崇拝するのではなく、教会と共に、つまり「生ける神の会衆」、または、『霊と真理をもって崇拝する』人々と共に神を崇拝することを、聖書は勧めています」。


人々は平和を学ぶか

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、平和を求めることについて考える小記事を掲載した。
ニューヨークの国際連合には、人が剣を農具に作り直す様子をかたどった彫像があるが、これは、聖書のイザヤ書 2章4節とミカ書 4章3節にある預言の言葉をもとにしたものである。
このように書かれている。
「神は諸国民の中で必ず裁きを行ない、多くの民に関して事を正される。そして、彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」。
この記事は、「20世紀に起きた二つの世界大戦や、他の多くの大規模な戦争で、何億人もの死傷者が出たことを考えると、「諸国民は一体いつになったら戦いではなく平和を学ぶのだろう」という疑問がわきます」と述べている。


アザラシは生き残れるか

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、絶滅寸前のチチュウカイモンクアザラシとその保護活動を取り上げた教育記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が闘病記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、間質性膀胱炎と闘っている、ターニャ・サーレイによる闘病記と、間質性膀胱炎を解説する医学記事を掲載した。
間質性膀胱炎とは、膀胱内に炎症が生じる病気であり、今のところ治療方法は見つかっていない。
この病気はひどい痛みをもたらすことがあるという。
この女性は、けいれんと排尿の回数の増加、それに伴う痛みがあまりにもひどかったため、様々な薬に頼り、入退院を繰り返しているが、神に対する信仰があり、また夫と息子がいつも支えてくれるので、今日まで耐えてこられたと述べている。
この記事は、間質性膀胱炎にかかった患者が避けるべき食物の一覧を挙げているが、その中には、イチゴ、お茶、醤油、酢、炭酸飲料、豆腐、バナナ、ぶどう、マヨネーズ、ヨーグルトなどが含まれている。


ドイツ統一の光と影

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、統一後のドイツを取り上げた記事を掲載した。
ドイツの統一は、東ドイツの人々になによりも自由をもたらした。
東ドイツの人々は、自由に旅行し、秘密警察に盗聴されることなく会話し、宗教を自由に実践できるようになったが、一方で、そのような自由を得てもなお、全体主義のもとにあった過去を懐かしむ人たちがいる。
というのも、東ドイツの人々は、西側の経済と文化にさらされて、経済的に困窮し、また生活がさびれてしまったからである。
この記事は、アンスバッハ世論調査研究所の、「専制支配は国民に、優れた道徳観と安心感を与えるものであった」という言葉を引用している。
この研究所は、多くの人が「自由競争経済と計画経済の二つの選択肢の間に第三の方法があればよいのに」と考えていると述べているが、この記事は、聖書が予告しているキリストによる王国の到来は、そのような不満に応えるものになるだろうとしている。


日本で自殺が増加

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、日本の自殺について解説したニューヨーク・タイムズ紙の記事から引用した。


口論と結婚

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、タイム紙からの引用として、「互いの相違点について批判的でなく、むしろ寛容な夫婦のほうが、結婚生活で成功している」と述べた。


サマータイムはよいか

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、サマータイムについての読者からの質問に答えた。
この答えは、神が季節を定められたこととサマータイムの採用とは関係がなく、サマータイムを採用したからといって、神の定めた季節を否定していることにはならないと述べている。


スペインの大学教授が「目ざめよ!」誌を賞賛

「目ざめよ!」誌2001年3月8日号は、スペインのある大学教授から送られた、「目ざめよ!」誌賞賛の手紙を紹介する小記事を掲載した。


イエスの復活

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、「イエスの復活 ― 事実か、伝説か」と題する特集記事を掲載した。
この記事が指摘している通り、「近年、クリスチャンと称える一部の学者は、イエスの復活を作り事として退ける本や記事を出している」が、この記事は、聖書に記された3つの根拠から、そのような考えに反論している。


エホバの証人はナチスの迫害に打ち勝つ

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、ナチスによるホロコースト迫害を簡単に紹介する小記事を掲載した。
この記事によると、1939年までに、ドイツのエホバの証人およそ6000人が投獄され、およそ2000人が死亡したという。


肉と霊

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、肉と霊をテーマとした一連の研究記事を掲載した。
聖書の中でパウロは、自分の肉の弱さに言及し、「私は実に惨めな人間です」と述べたが、それでもパウロは肉の誘惑に屈したりはしなかった。
同様、「腐敗した欲求に影響されずにすむ人はいない」ため、クリスチャンは、聖書の中でパウロの発した警告に注目し、誘惑に抵抗する必要がある。
そこで記事は、クリスチャンが肉の誘惑に抵抗するための実際的な提案を幾つか示し、読者を指導した。
続く記事は、クリスチャンが肉に抵抗する一方で、神の霊に頼るべきであることを示した。
それは「自分の考えや傾向や願望を、進んで、全面的に神の聖霊の影響下に置くことを意味している」。
そのためには、聖書を勤勉に学び、祈ることが不可欠である。
また記事は、霊的な目標をクリスチャンが定めることの益を説き、こう述べている。
「そのような霊的な人は、物質追及のために、あるいは罪を犯せば必ず得られるとされる何らかの楽しみのために、霊的な目標が達成できなくなるのを、賢明でないこと、いえ、愚かなことと見なすでしょう」。
最後にこの記事は、クリスチャンの、肉に対する勝利がただイエス・キリストによってもたらされることを強調した。


ベテル奉仕

エホバの証人の法人組織の本部施設ならびに支部施設は、“ベテル”という愛称で呼ばれるが、「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、そこでの奉仕の特権を捕らえるよう読者を励ます記事を掲載した。
この記事によると、現在、全世界でおよそ1万9500人がベテルで奉仕しており、ベテルの学校、聖書通読のプログラムから益を得ているという。
またこの記事は、クリスチャン親たちに、自分の子どもがベテル奉仕者となるよう励ましてやるよう勧めている。


箴言8章の注解

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、聖書の箴言 8章を1節ごとに注解する記事を掲載した。
この記事は、「真の知恵は、だれにとってもすぐに手の届くところにあるが、だれもがそれを見いだすわけではない」と述べ、読者が聖書の知恵を真剣に求めるよう勧めている。
さらに記事は、箴言 8章の中で擬人化されている『知恵』がイエス・キリストを表していることも指摘し、読者がイエスの教えに従うことの重要さを説いた。


1世紀クリスチャンの寄付

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、1世紀に使徒パウロによって行われた、寄付集めの活動を取り上げた記事を掲載した。
パウロは、困窮したエルサレムのクリスチャンたちのために、諸外国のクリスチャンの寄付を集めたが、この記事は、「クリスチャンが経済的な必要について知らされるのは正しいことです。困窮している人たちに対する寄付はみな、自発的に、また神と仲間の人間に対する愛を動機として行なわれるべきです」、「そうした寄付の管理は、良い組織のもとに、細部にわたって正直に行なわなければなりません」と述べている。


宗教サミットが開催される

「ものみの塔」誌2001年3月15日号は、昨年8月に国連本部で「宗教・精神指導者のミレニアム世界平和サミット」が開催されたと報じた。


世界的な武器の氾濫

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、近年の世界紛争の特徴となっている、小型兵器の問題を取り上げた、啓発的な特集記事を掲載した。
現在の戦争の中心となっているのは、「トランジスターラジオや乾電池とさほど変わらない費用で作れる、安価な大量生産の兵器や小口径の銃器」であるという。
これらの小型兵器は、世界中に5億丁ほど存在し、人々の命を脅かしている。
アメリカでは、銃の規制に関する複雑な議論が生じている。
この記事は、「人が人を殺すという問題は、単に殺人を企てる人の手から銃を取り除くだけでは解決されません」、「人々の態度や性向そのものを変化させなければなりません」と述べ、そのための力となる聖書の教えに読者の注意を引いている。


結婚を断るとき

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、結婚の申し出を断らなければならなくなったときにどうすればよいかを指南する記事を掲載した。


太陽は特別

天文学に関する本の多くは、大きさや質量などの限られた観点から太陽を論じ、太陽はありふれた恒星であると結論づけているが、「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、そのような定説に異論を唱える記事を掲載した。
銀河系の恒星の85パーセントは双子星であるのに対し、太陽は単独星である。
また、太陽は太陽系の全質量の99.87パーセントを有している。
さらに、太陽には、他の恒星よりも重元素が50パーセントも多い。
太陽の銀河上の軌道は、他の恒星よりも円に近い。
太陽は他の恒星に比べて輝度の変化が極めて少ない。
太陽の銀河上の軌道は、銀河面に対してわずかに傾いているだけである。
これらの事実を根拠に、この記事は、生命の生存に適した環境はそう簡単に得られるわけではないことを示している。


危機にさらされる個人情報

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、近年被害が増大している、個人情報関連の犯罪を取り上げた記事を掲載した。
この記事は、個人情報がどのように盗まれているかに読者の注意を引き、それからどのように自分を守ることができるかをアドバイスしている。


数年で自然公園に

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、わずか2,3年で造成された自然公園を紹介する記事を掲載した。
スペインのカンタブリア州のカバルセノ自然公園は、もともとは、採掘しつくされ、荒れ果てた鉱山であったが、「月面のような荒涼とした場所に自然公園を造る」ための努力が払われた結果、その計画は成功し、今ではいろいろな生き物たちがここに住み着いているという。


循環器系

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、人体の循環器系の仕組みを取り上げた教育記事を掲載した。


教皇ピウス9世は列福される

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、2000年9月に、法王ヨハネ・パウロ2世がピウス9世を列福したと報じた。
ピウス9世は、西暦19世紀の教皇であるが、「ヨーロッパ最後の専制君主」とも呼ばれ、人々を思想面で弾圧し、処刑も行った、評価の別れる人物である。


「目ざめよ!」誌が主の記念式に読者を招待

「目ざめよ!」誌2001年3月22日号は、2001年4月8日に全世界で執り行われる、イエス・キリストの死の祈念式に読者を招待した。
この記事によると、昨年は世界で1487万2086人が祈念式に出席したという。


聖書伝道は神の後ろ盾を得る

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、1世紀の、イエスやその弟子たちの活動の困難さと成功とを取り上げた記事を掲載した。
この記事は、現在のエホバの証人の活動にも同様の特徴があることを指摘し、自分たちには神の助けがあるので、「伝道するとき、臆病になったり、恐れを持ったり、能力がないと感じたりする必要はありません」とエホバの証人の読者を励ましている。


心をキリストに向けて計画する

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、クリスチャンが霊的な目標を定めることの重要さを説く記事を掲載した。
今の社会には、キリスト教の健全な生き方から人をさまよい出させる、様々な誘惑がある。
そこで記事は、クリスチャンが「将来に対する世の見方」を退け、心をキリストに向けることの必要性を指摘した。


ものみの塔協会が新しい書籍を発行

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、「イザヤ書の預言 ― 全人類のための光 I」の大文字版を発行したと告知した。


聖書伝道に携わる

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、4月中、エホバの証人や、エホバの証人と交わる人たちが、宣教奉仕に熱心に携わることをテーマとした記事を掲載した。


神権宣教学校の復習

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、4ヶ月に一度、エホバの証人の集会で行われる、「神権宣教学校の復習」の問題用紙を掲載した。
このテストの内容は、ここ4ヶ月の神権宣教学校のカリキュラムに準拠しており、たとえばこのような内容になっている。
「1世紀のクリスチャンは幼児洗礼を施したか」、「神に仕え、偽りの崇拝を日とするはっきりした態度を示す点で、ヨシヤの模範は今日の若者にとってどのように励ましとなるか」。
用紙には問題が記されているが、答えは記されていない。
神権宣教学校の出席者は、あらかじめ自分で答えを調べ、集会において自己採点を行う。


エホバの証人の集会

「わたしたちの王国宣教」2001年4月号は、エホバの証人の集会に出席することの益を示す記事を掲載した。
「今日、非常に多くの人が、種々の問題を克服して幸福に生活する方法を知りたいと願っている」と記事は指摘する。
それゆえに、聖書から学ぶためのエホバの証人の集会は、そのような人たちに対するエホバからの愛ある配慮であるという。
この記事は、エホバの証人の集会から人がどのように益を受けるかを事例を挙げながら説いている。
たとえばある子供は、嘘をついたあとに出席した集会で、嘘がなぜよくないのかを学んだため、教訓を得て態度を改めるようになったという。
興味深い点として、この記事は、集会に出席している人たちが、集会で教えている“人”を見るのではなく、その背後にある、教えの源である神を信仰を持って見ることの重要さを読者に説いている。


王国の良いたより

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、聖書の福音(王国の良いたより)を取り上げた特集記事を掲載した。
この記事は、神の王国の王となるイエスの支配に読者の注意を引き、その支配が人類に永遠の命という祝福をもたらすと指摘した。
この祝福にあずかる者となるためには、良いたよりがどんなものであるかを詳しく調べ、知識を取り入れて理解し、それを受け入れる選択を行い、神のご意志を行う者とならなければならない。
記事は、そのためにエホバの証人が行っている援助について言及し、読者がエホバの証人の助けを受けるよう勧めている。


インドからの報告

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、インドのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。
インドは多民族国家であるため、「多様性の中の一致」の達成が求められている。
インドのベテル(ものみの塔協会の支部施設)では、そのような一致が成し遂げられていると記事は述べている。


エホバの証人は伸張する

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、1世紀のキリスト教の伸張と、現代のエホバの証人の伸張とに焦点を合わせた一連の研究記事を掲載した。
真のキリスト教の伸張をもたらすのは、神の愛の表明としてもたらされる聖霊の力である。
それゆえにエホバの証人は、「神の聖霊と協調して、エホバに仕えるようにと人々を集めることにより、信仰を持っていない人々に対するエホバの憐れみと愛を反映させます」。
この記事は、1世紀のキリスト教においては、「信仰を伝達することは、非常に熱心な、あるいは正式に任命された福音伝道者の領域であるとは見なされていなかった。福音伝道はすべての教会員の特権、また義務であった」と指摘し、現代の「キリスト教世界に欠けているこうした特色が、エホバの証人の間では満ちあふれているのです。証人たちが持っているのは、生きた信仰、純粋な信仰、聖書の真理に基づく信仰です。それは、聴こうとするすべての人に伝えずにはいられないものです」と述べている。


誤解されたとき

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、だれかに誤解されて困ったときにどうすればよいかを指南する、実用的な記事を掲載した。
このような問題が生じたとき、クリスチャンの読者がまず最初に考えるべきことは、「愛の精神のうちに和睦すること」である。
そのためには、誤解の生じた理由を深く洞察し、場合によっては自分から誤解の原因を取り除くことも受け入れる心構えを持っておくことが必要である、と記事は指摘した。
話し合っても誤解が解けない場合はどうだろうか。
この記事は、「望みを失ってはなりません。最善を尽くしてクリスチャンの特質を培い続け、示し続けてください。りっぱなことを行ない続けるなら、あなたについて悪い印象を抱く人たちも、やがて自分の誤りに気づいて考えを変えるかもしれません」と述べている。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、日本で夫と共に宣教者として奉仕した、メルバ・バリーによる手記を掲載した。
彼女は1939年にバプテスマを受け、その9月にオーストラリアのベテルで働くようになった。
1942年には結婚した。
その後、第11期のギレアデ聖書学校に入校し、日本に宣教者として渡った。
日本での宣教奉仕は、質素で苦労の多いものだったようである。
「ある夏の暑い日、一人の聖書研究生がベテルの見学に来ました。その人は私がシャワー室をごしごし洗っているのを見て、「私がお金を払いますから、あなたの代わりにこの仕事をしてくれるお手伝いさんを雇うよう、責任者の方に話してください」と言いました。わたしは、そのお気持ちはありがたいですけれど、エホバの組織の中で割り当てられた仕事は何でも喜んでしたいと思っています、と説明しました」。
その後、彼女はもう一度、今度は39期のギレアデ聖書学校を卒業し、さらに、夫がエホバの証人の統治体の成員に選任されたので、夫と共にアメリカの本部に移り住んだ。
夫のロイド・バリーは、1999年にハワイで行われた大会の最中、演台で公演中に心臓発作で倒れ、死去した。
殉教の死であった。
彼女はそのような夫を持ったことを「大切に胸に収め」、引き続きエホバに熱心に仕えているという。


従順は必要か

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、子供の従順に関する啓発的な記事を掲載した。
現在の子育ての主流は放任主義であり、ある調査も、「家庭で子供に従順を教えるべきだ」と考えている人は22パーセントしかいないことを示している。
しかし、この記事は、子供に従順を教えることはとても重要なことであり、欠くことのできないことであると説いている。
記事はこう述べている。
「人間社会が円滑に、また生産的に機能するには協力関係が不可欠であり、そのためにはある程度の従順が必要です。例えば、結婚生活において平和や調和や幸福をもたらすのは、厳しい態度を取り、相手の権利や感情に無神経であることではなく、進んで譲歩することです。職場において、どんな事業や努力を成功させるにも必要不可欠なのは、従業員が従順であることです。政府の法律や条令に対して従順を示すなら、罰を受けずに済むだけでなく、少なくともある程度の安全や保護を得ることになります。権威に従わない若者たちは、往々にして社会に順応することができません。それとは対照的に、子ども時代に学んだ従順の教訓は、一生役に立ちます」。
この記事は、このようにして従順の有用性を強調した後、「ですから、人は子ども時代だけでなく生涯にわたって従順を学ぶ必要があります」と付け加えている。


「ものみの塔」誌が主の記念式に読者を招待

「ものみの塔」誌2001年4月1日号は、2001年4月8日に執り行われるキリストの死の記念式に読者を招待した。


都市の問題

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、都市の問題を取り上げた特集記事を掲載した。
この記事は、いわゆる発展途上国における巨大都市と、先進国における巨大都市とが抱える問題を指摘するものとなっている。


聖書クイズ

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、13問の聖書クイズを掲載した。
掲載されたクイズはこのようなものである。
「ヨブは、ほとんど何も持たずに逃れたことを示すと思われる、どんな表現を用いましたか」、「イエスは、収税人や罪人たちと一緒に食べたり飲んだりしていると書士やパリサイ人から非難された時、だれの家にいましたか」、「モーセの律法は、犠牲の動物のどの部分を食べることを禁じていましたか」。
答えはそれぞれ、「わたしの歯の皮」、「レビ、つまりマタイの家」、「脂肪」である。


天気予報

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、天気予報の歴史を取り上げた教育記事を掲載した。


オーストラリアで野生化した家畜

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、オーストラリアで野生化した、らくだと馬とロバを取り上げた教育記事を掲載した。
現在、オーストラリアには野生のらくだが20万頭、野生の馬が30万頭、ほぼ同数の野生のロバがいるとこの記事は述べている。


神からの夢はあるか

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、「神から夢によってメッセージを受け取ることがあるか」という質問を取り上げた論考を掲載した。
この記事は、聖書の中にはたしかにそのような事例が記されているものの、それは非常にまれで特別な場合であり、普通このようなことは起こらないと論じた。
聖書は、「占いをする者たちは無価値な夢を語り続ける」と述べて夢の効能を否定しており、クリスチャンは夢に頼ったりはしないと記事は述べている。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、芸術家の妻であった、ドロシー・ホルリーによる手記を掲載した。
彼女は結婚後エホバの証人になったが、夫は戦争をたたえる芸術作品を造っていたため、信仰を巡ってトラブルになり、一時は別居したという。
しかし、彼女は夫との関係を修復し、また姉と父と母を真理に導いたという。


髪の毛

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、髪の毛を取り上げた、実用的な教育記事を掲載した。
この記事は、髪の毛が体から栄養を吸収するというのは嘘である、髪が一夜にして真っ白になるというのも嘘であるといった、髪の毛に関する興味深い事実を指摘している。


新世紀のアレクサンドリア図書館

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、西暦47年に火災に見舞われ、7世紀に消失した、歴史的図書館であるアレクサンドリア図書館の再興を目指して、新しい図書館がエジプトのアレクサンドリアに建設されたと報じた。
この図書館は、火事になっても本をぬらすことなく消火を行えるなど、最新の設備を備えており、規模も「かつてのものをしのぐ」とされているが、悲しいことに、図書館の建設費がかさんだために、800万冊もある蔵書スペースに納める本を買う予算が底をついてしまい、本が買えない状態だという。


南アフリカで無輸血医療が進展

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、南アフリカのザ・マーキュリー紙からの引用として、南アフリカの主要な病院の一つが無輸血病院となったと報じた。


怒りを抑える

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、「今日の心理学」誌からの引用として、怒りをぶちまけることの危険を指摘した。
「メディアや通俗的心理学者は、怒りをぶちまけるのは有益だと言った考えを推奨している」。
しかし、怒りを表して発散する人は、そのせいで攻撃性が増し、かえって状態が悪くなると記事は指摘している。


オゾンホールが拡大する

「目ざめよ!」誌2001年4月8日号は、NASAからの話として、200年9月に、オゾンホールの大きさが過去最大になったと報じた。


神の驚嘆すべき業に注目する

「ものみの塔」誌2001年4月15日号は、聖書のヨブ記の記述から、神の創造の業に読者に注意を向ける、一連の研究記事を掲載した。
この記事は、「神の大いなる業に驚嘆する時、わたしたちは神について、また神が行なわれたことについて、さらにはこれから行なわれることについて語るよう動かされる」、「わたしたちは神について学んだ事柄を他の人に伝えることによって、神のくすしいみ業を謙虚に認めていることを表せます」、「創造者の活動について黙考し、人間の造り主のみ前における自分の立場と、その方に対する務めについて、結論を引き出すのはよいことです」と述べている。


「ものみの塔」誌が闘病記を掲載

「ものみの塔」誌2001年4月15日号は、急性リンパ芽球性白血病の娘を持つ、エホバの証人の両親による闘病記を掲載した。
この両親の娘は1歳半で急性リンパ芽球性白血病と宣告された。
通常、急性リンパ芽球性白血病の治療に輸血は不可欠である。
ものみの塔協会のホスピタル・インフォメーション・サービスは、ヨーロッパ中の医療機関に緊急の問い合わせを行い、数時間後には、彼女をスウェーデンからドイツの医療機関へ移送することが決定されたという。
そこで6年間、彼女は無輸血での治療受けたが、輸血を伴う標準的な治療を受けた子供たちが死亡していく中、彼女は奇跡的に全快し、今では病気の症状は全くみられなくなっているという。


使徒的教父たちの真実

「ものみの塔」誌4月15日号は、西暦2世紀から5世紀に活動した、キリスト教の教父たちと、ギリシャ哲学との関わりについて論じた論考を掲載した。
キリスト教の教父たちは、キリスト教の教えをより発展させようとして、ギリシャ哲学を積極的に取り入れた。
その里程標となるのが、オリゲネスの「原理論」や、ニカイア公会議である。
ニカイア公会議の後100年にわたり、教父たちは、三位一体論について激しい論議を展開したが、その時期にもっとも影響力を発揮したのはアウグスティヌスである。
これらの人たちは、魂の不滅の教えなどの、非聖書的な教えをギリシャ哲学からキリスト教に取り入れてしまった。
こうして教父たちによってもたらされた信条は、現代キリスト教に悪い影響を与えている、とこの記事は指摘している。


落胆の気持ちに対処する

「ものみの塔」誌4月15日号は、落胆に苦しんでいる読者を励ますための記事を掲載した。
この記事は、落胆にくれることには、「他の人やエホバとの関係を損なう恐れ」が伴っており、よいことではないと指摘した。
落胆した読者は、落胆から自分を救う様々な手だてを積極的に活用すべきである。
その方法として、記事は、エホバによく祈ること、よく聖書を学ぶことなどを挙げている。
特に、エホバの証人の長老たちは、落胆した人たちに対して、「(人を監視する)警察官ではなく(人を気遣う)牧者」として振る舞い、読者の助けになるという。


トラウマに対処する

「ものみの塔」誌4月15日号は、小さい頃に精神的打撃を受けて大人になったクリスチャンたちに、それでもりっぱなクリスチャンになることができることを諭す記事を掲載した。
この記事では、二つの事例が特に取り上げられている。
ひとつは、親が実践していた宗教のある信条が、その子供にとっては虐待となるものだったという事例、もうひとつは、父親がアルコール中毒者だったという事例である。
「幸せでなかった子ども時代の心の傷は深い場合があります。しかしその傷は、神の言葉の真理を受け入れて大きな幸福を見いだす見込みを、永久に閉ざしてしまうものでしょうか」。
この記事は、そうではないことを示すために、この二つの事例にあてはめることができる聖書の事例として、ヨシヤの生涯を取り上げている。


ものみの塔の復習

「ものみの塔」誌4月15日号は、最近の「ものみの塔」誌の内容を読者が思い返すよう励ます記事を掲載した。
記事は、9つの質問からなっている。
例えば、『「霊の思うこと(聖書のローマ人への手紙 8章6節)」とは、どういう意味ですか』という質問があり、答えは、聖書を読んで研究することにより、また心を込めて従うことにより、また神の霊を祈り求めることにより、神の霊が自分の上に働き、それによって心が制御される状態、となっている。


コンゴ共和国の難民たち

「ものみの塔」誌4月15日号は、コンゴ共和国から中央アフリカに逃れてきた難民たちに対するエホバの証人の救援活動を取り上げた記事を掲載した。
エホバの証人は、難民となった仲間の兄弟たちのために、宿舎を提供し、電気と水道を引き、行方不明者の捜索活動を行ったという。


インターネットとポルノ

「ものみの塔」誌4月15日号は、アメリカにおいて行われた調査により、、インターネットの利用者の3人に1人が、何らかの性的なサイトにアクセスしていたことが判明したと報じた。


ロシアの宗教

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、ロシアの宗教の歴史を取り上げた特集記事を掲載した。
ロシアにソビエト連邦が誕生したとき、最初の指導者レーニンは宗教を否定し、ロシア正教会を激しく弾圧した。
1920年代から始まった弾圧により、「1939年の時点で公式に活動していたのは、正教会の主教三、四人と100の教会のみ」となってしまった。
しかし、第二次世界大戦が起こり、ドイツ軍がモスクワ近郊まで押し寄せてくると、スターリンは「戦争に対する国民の支持を得るために、教会に譲歩する必要」を感じ、教会を利用するようになった。
こうして、正教会の積極的な協力により、1945年にはロシアは劇的な逆転によって勝利を収めることができた。
その後、正教会は急速に回復し、教会の数は25000、司祭の数も33000にまで達したが、1959年から1964年まで、今度はフルシチョフによって弾圧を受けるようになり、教会の数は10000以下にまで減少した。
正教会以外の宗教で、ソビエトに弾圧された最大規模の教派は、ウクライナ・カトリック教会であり、「10人中8人の主教と、何万人もの司祭や信者が、信仰のためにシベリアのグラーグ強制労働収容所で死亡した」。
一方、最も激しく弾圧された教派は、エホバの証人である。
特に1951年には、推定1万人以上がシベリアに送られたという。
ソビエト政府は、エホバの証人に最も激しい迫害を加えただけでなく、テレビや映画などを用いて、エホバの証人はアメリカのスパイであるから警戒するようにと常々国民に警告していた。
エホバの証人に反対する本も幾つも出版され、そのあるものは10万冊以上印刷されたという。
ソ連政府は、エホバの証人について広めた虚像に基づいて国民を脅すことさえしている。
「ソ連の当局者は、子供を怖がらせる時、人をさらう悪魔としてこの宗派を引き合いに出す」ほどである。
記事は、あるロシア人がロンドンにやってきて、「エホバの証人」の表示の掲げられた施設を見、恐れのため錯乱寸前になったという話を紹介している。
興味深いことに、エホバの証人は、旧ソビエト体制下にあって信者数が増加した唯一の宗教である。
しかし、1991年になって、状況は劇的に変化した。
宗教が認可されるようになったのである。
とはいえ1997年には、1991年以降劇的に政治的権力を増強したロシア正教会の影響により、正教会以外の宗教の活動を制約下に置くことを目的とした「良心の自由と宗教団体に関する法律(1997年宗教法)」をロシア政府が採択し、再びロシアの宗教は試練に直面するようになっている。
そして現在、エホバの証人はロシア正教会の主要な攻撃対象になっている。
しかし記事は、このような横暴な振る舞いに出るロシア正教会を引き合いに出しつつ、「これらのことから、エホバの証人が政治的な事柄による腐敗的影響から離れている理由を理解できるでしょう」と述べ、『政治にかかわらない“清い宗教”』としてのエホバの証人を読者に宣伝している。


祖父母との交友

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、若者の読者に対し、祖父母との交友を深めるよう勧める記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、盲ろう者(目が見えず、耳も聞こえない)のエホバの証人による手記を掲載した。
この女性は、アッシャー症候群という遺伝病により、子供の頃から耳が聞こえず、目もやがて見えなくなった。
それでも彼女は勉学に励み、大学を卒業し、エホバの証人となった後は耳の聞こえない人たちに聖書を教え、会衆の設立にも貢献したという。


モザンビークの洪水災害

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、モザンビークを襲った洪水災害に際し、エホバの証人が行った救援活動の内容を報告する記事を掲載した。
洪水被害は深刻なもので、多くの災害難民が出たが、エホバの証人の救援団が被災地に着いたとき、現場の状態はひどいもので、被災者は飢え、マラリアなどの病気が広がっていたという。
エホバの証人の救援団は、被災者に食料を届け、診療所も設けた。
また、洪水のために孤立した地域へ救援へ向かうチームも編成され、よい成果を上げたという。
また、エホバの証人の救援団は、人々の家や王国会館を再建する活動にも取り組み、270件の家と、5件の王国会館を再建したと記事は報告している。


ドイツの教会と強制労働

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、ドイツのカトリック教会とドイツ福音教会が、第二次世界大戦中、人々を強制労働に就かせていた問題について、両教会が、強制労働の生存者たちに補償金を支払うことになったと報じた。


司祭を“輸入”

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、カトリック教会が、先進国での司祭不足を補うため、他の国から司祭を“輸入”していると報じた。
これらの司祭は、南アメリカ、アジアの国々から、ヨーロッパや北アメリカの国々に移動している。
イタリアにおいて輸入司祭の割合は、司祭全体の3パーセントに達しているようである。


就労者のうつが増加

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、国連国際労働機関による国際的な調査によって、就労者の10パーセントが精神上の問題を抱えていることが明らかになったと報じた。


大善寺とキツツキ

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、国宝に指定されている大善寺が、キツツキの深刻な被害にあって、穴だらけになっていると報じた。


輸血なしで回復する

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、「読者の声」の欄において、急性前骨球性白血病にかかり、余命はあと数日であると告げられた読者からの手紙を掲載した。
この読者は無輸血で治療を受け、すでに3年間生存しているという。


クレストの塔

「目ざめよ!」誌2001年4月22日号は、中世のプロテスタント迫害において重要な役割を果たした、クレストの塔を紹介する小記事を掲載した。


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