JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
2001年版(2)
2001年10月5日更新

聖書伝道はクリスチャンの責任

「わたしたちの王国宣教」2001年5月号は、聖書伝道を行うことが、クリスチャンにとって重い責任であることを説く記事を掲載した。
「わたしたちは、クリスチャン宣教奉仕の先頭に立って精力的に働いたパウロの模範から学ぶことができます。パウロは、すべての人が良いたよりを聞く機会を与えられて救われるように、宣べ伝えることに関して、責任を負っていると感じました。それで、人々のためにたゆまず働くよう動かされたのです」。
それでこの記事は、読者がパウロの模範に倣って、聖書の教えを広めるためにできる限りのことを行うよう励ましている。


人々に愛を示す

「わたしたちの王国宣教」2001年5月号は、エホバの証人が外部の人たちに愛を示すべきことを説く記事を掲載した。
この記事は、証人たちが自分の近隣に住む人たちに純粋な関心を示し、困っているなら助けを差し伸べることを勧め、そのようにするなら、人々はエホバの証人の振る舞いに感銘を受けてエホバを賛美するようになるだろうとしている。


エホバの証人の地域大会に備える

「わたしたちの王国宣教」2001年5月号は、この夏に全国において開催される地域大会に証人たちを備えさせる一連の記事を掲載した。
毎年、大会におけるエホバの証人の振る舞い、雰囲気は、外部の人たちからの賞賛を集めてきた。
たとえば、エホバの証人を観察した様々な立場の人たちが、このように述べている。
ホテルの幹部「本当にいつもみなさんの礼儀正しさには感心させられます。子どもたちも含め、若い人々も礼儀正しいので驚きます」。
別のホテルの幹部「これまでお迎えした大きなグループの中で、エホバの証人ほど見事に自分たちの信条を実践した団体はなかったと思います」。
ある新聞「何よりも際だっていたのは、エホバの証人のマナーである。あれほど大勢の人があのように品位あるりっぱな態度で行動するのは、大いにさわやかであった」。
しかし、一方で、心ない人たちによる不規則な行為も問題になっていると記事は鋭く指摘した。
「毎年、大会におけるふさわしい行状に関して親切な諭しが与えられています。なぜでしょうか。世の人たちの態度や服装や振る舞いは退廃しつづけていますが、それに影響されないためです」。
今年の大会を前に、エホバの証人一人一人は何をするよう決意を固めるべきだろうか。
大会期間中、ホテルを予約する人は、予約を正確に行い、予約をキャンセルしないようにするべきである。
ホテルから、タオルなどを“記念品”として持って帰るようなことはしてはならない。
ホテルの施設を利用するときは、親たちは子どもたちをきちんと監督しなければならない。
あるホテルでは、ホテルが用意した氷をエホバの証人たちが使い切ってしまったため、今年はそうならないようにすべきである。
大会には、プログラム開始前に到着するようにし、大会中ふさわしく振る舞うべきである。
大会会場付近で自動車の違法駐車を行ってはならない。
もちろん、大会におけるよい振る舞いだけが大切なのではない。
大会において最も重要なのは、自分自身がそこで学び、教訓を得ることである。
「与えられる霊的な教訓と実際的な提案をあてはめるなら、わたしたちが幸福となり、エホバとの良い関係を保ち、永遠の命に至る道にとどまるための助けが得られます」と記事は強調している。


聖書の言葉を人々に差し伸べる

「わたしたちの王国宣教」2001年5月号は、エホバの証人たちが、聖書伝道において積極的に聖書を読むよう勧める記事を掲載した。
エホバの証人の中には、伝道中あまり聖書を用いず、ただ雑誌を配っているだけの人たちもいる。
しかし、聖書こそが証人たちのふれ告げるべき神の言葉であり、すべての証人たちは「良いたよりを伝える際、少なくともひとつの聖句を紹介するよう真剣な努力を払う」べきである。
そのための方法として、記事は、実際に聖書を開いて読むこと、パンフレットに引用されている聖句を読むこと、あるいは、聖句の書かれたカードを自分で作って、家の人にプレゼントすることを提案している。


頻繁に訪問されている地域での聖書伝道

「わたしたちの王国宣教」2001年5月号は、すでに十分に聖書伝道が行われている地域に住む証人たちを指導する記事を掲載した。
それらの地域では、より効果的な聖書伝道を行い、人々を引き寄せることが不可欠である。
「区域を頻繁に奉仕することが困難に思える理由は、訪問を受ける側の人が作り出しているとは限りません。わたしたち自身に理由がある場合もあります」。
この問題をどのように改善できるだろうか。
証人たちは、伝道において人々に話しかける際には、堅苦しい雰囲気を避ける努力をするべきであると記事は述べている。


夫を亡くした人の慰め

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、夫に先立たれた女性の慰めになるにはどうすればよいかを指南する特集記事を掲載した。
夫を亡くした女性の多くは何か必要なことがあっても援助を求めない。
そのため、「はっきりした具体的な方法で援助するものの、押しつけないようにすること」が求められると記事は述べている。
クリスチャンについていえば、もしも、夫を失った女性に身寄りがいないような場合には、仲間の信者が援助を行うべきであると記事は指導している。


困難にあっても幸福

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、クリスチャンが気落ちしたり、困難につまずいたりしたときにも、信仰を守り、幸福を維持するよう励ます、一連の研究記事を掲載した。
クリスチャンはまじめな生き方を追及しているため、他の人に比べても、気落ちする理由は多い。
しかし、「真のクリスチャンすべては、どんな状況にあるとしても、「幸福な神」エホバと、「幸福な唯一の大能者」イエス・キリストを知ることができた特権を、歓びとする」だろう。
クリスチャンは神に祈り、仲間の信者のことを考えるとき、困難にあっても強められる。
クリスチャンが直面する特有の困難には、聖書伝道を行って疲れを覚えること、信仰のゆえに反対や迫害に直面することが挙げられる。
そのような困難に直面するとしても、聖書の真理のことばに耳を傾ける人は必ずいることや、困難を耐え忍ぶことは自分の人格を向上させる力となることを思い起こすべきである。
この記事は、クリスチャンの幸福のいわれが何であるかに読者の注意を引き、「疲労を覚えたとき、個人の聖書研究、野外奉仕、集会への出席を削れば圧力を減らして歓びを取り戻せる、などと考えることのないようにしましょう」と勧めている。


ザンビアからの報告

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、ザンビアで起きた一つの事件を紹介する記事を掲載した。
あるエホバの証人が窃盗の容疑をかけられたものの、真犯人が見つかったため、その一帯で広がっていたエホバの証人に対する非難は拭われたという。


リバーユの心霊術

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、ブラジルで400万人もの信奉者を持つ、リバーユの心霊術を取り上げた記事を掲載した。
リバーユは、キリスト教と心霊術とを一つに体系化した人物であり、「霊の書」、「霊媒の書」、「心霊術による福音」という著書を、アラン・カルデックという名で執筆した。
彼によると、輪廻はキリスト教の教えであり、「輪廻を否定することは、キリストの言葉を否定することになる」という。
しかし記事は、キリストは「「輪廻」という言葉を一度も用いませんでしたし、そのような概念に言及することもありませんでした」と指摘している。
また彼は、先天性の欠陥を持つことについて、それは罪の罰であると論じ、「その過ちが現世のものでなければ、過去の存在におけるものに違いない」と述べたが、記事は、「イエスはそのようなことを教えませんでした」と答えている。
この記事は、「心霊者に頼っても、真の意味で霊的な必要を満たすことはできません」と指摘し、読者が心霊術ではなく、聖書の教えを導きとするよう諭している。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、エホバの証人の信仰のゆえに投獄された経験を持つ宣教者、ルイージ・ヴァレンティーノによる手記を掲載した。
彼は、第二次大戦中、兵役拒否のために投獄され、釈放後、結婚し、ギレアデ聖書学校を卒業して、ブラジルへと宣教奉仕に旅立った。
21年宣教奉仕を行った後、妻の病気のためにアメリカに帰国したが、妻の病状は悪化し、とうとう、輸血なしでは治療は行えないと病院から告げられた。
しかし、そのようなときにたまたま会うことができた、著名な医師が親切に援助を申し出、「お二人の宣教者としての働きは称賛に値します。奥さんを無料で、輸血をせずに治療してあげましょう」と述べたという。
妻はこの医師の働きのおかげで快復し、彼は再び、今度はアメリカ国内での巡回奉仕に携わることができるようになった。
4年間、巡回の奉仕を行った後、彼はマサチューセッツ市にあるポルトガル語会衆を援助し、多くの実りをもたらしたという。


カッシオドルス

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、聖書聖典を一冊にまとめるという偉業を最初に成し遂げた、フラウィウス・マグヌス・アウレリウス・カッシオドルスを紹介する、好意的な記事を掲載した。
彼は、西暦5世紀から6世紀の人物で、「ラテン語の聖書を一冊にまとめたおそらく最初の人」である。
彼が完成した全巻聖書のうち、唯一現存しているのはアミアティヌス写本で、重さは34キロもあるという。
現在、その聖書は、イタリアのフィレンツェにある、メディチ家のローレンティア図書館に所蔵されている。


エホバの証人の統治体が死去

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、エホバの証人の統治体の一員である、カール・F・クラインが2001年1月3日に死去したと通知した。
彼は、陽気で音楽好き、また子供の持つような素直さゆえに、たいへん親しみやすい、そして愛される人であった。
彼が当時のものみの塔会長であるラザフォード氏を中傷しているという誤解が生じたとき、彼のことをよく知るラザフォードは、それを聞いても何事もなかったかのように彼を許したという。
統治体の成員に選ばれてからも、彼のそのような特質は変わらず、多くの人から愛され、幸福のうちにその地上での生涯を終えた。


時を買う

「ものみの塔」誌2001年5月1日号は、「『よい時を買い取って』いますか」という題の小記事を掲載した。
これは、聖書の中でパウロが述べた助言である。


刑務所と更生

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、刑務所の問題を取り上げた特集記事を掲載した。
刑務所は現在、深刻な問題を抱えている。
刑務所は、犯罪者を更生させることに失敗し、しかも、よりかたくなにさせているようである。
その結果、刑務所は、犯罪の危険から短期的には人々を守るが、長期的にはその役割を果たしていないと記事は指摘する。
受刑者たちが非人道的な環境にいることは、犯罪者が更生できない理由の一つである。
こういった事情により、何が明らかになっているだろうか。
犯罪者を閉じこめるだけでは更生は得られない。
必要なのは心のケアである。
この点で大きな役割を果たしうるものに、聖書の教えがあると記事は指摘する。
では、刑務所における聖書教育活動はどのようにして行われているだろうか。
エホバの証人は、世界中の刑務所で更生のためのプログラムを実施している。
その教訓者たちに対するインタビューは、刑務所でのキリスト教教育活動の実体を明らかにしている。
一つの問題は、受刑者の中には、ただ単に刑期を短縮するために聖書教育に応じる者がいることであるが、そのような問題に、エホバの証人の教訓者たちは、厳しいやり方で対処している。
「裁判についていろいろ助けてほしいと言ってくる人もいました。でもいっさい取り合いません」、「わたしたちは一緒に聖書を研究するだけです。研究に応じる人たちは、聖書について教えられるのであって、それ以上のことは何もないということをすぐに悟ります」、「そのため、研究のグループに参加して、ある程度の期間とどまるのは、本当に聖書について学びたい人たちだけです」。
しかし、それでも聖書の研究に応じる人たちには変化が見られているという。
「[受刑者たち]は、自分の生活の何が間違っていたのか理解するようになります。そして、変化できるという希望があることも理解します。そう、希望の窓が開かれるのです」。
このようなやり方によって、エホバの証人は多くの受刑者たちを教え、更生させているという。


ブラジルマツの保護

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、「燭台の木」とも呼ばれる、ブラジルマツの保護活動を紹介する小記事を掲載している。
この木は、アオサンジャクという鳥がいなければ絶滅してしまうが、アオサンジャクも、森林の破壊により減少しているという。
現在、ブラジルマツの植林が行われており、この記事は、「燭台の木もやがて日の出の勢いを得て繁茂するようになるでしょう」と述べている。


ホロコーストフォーラム

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、2000年1月に開かれた、「ホロコーストに関するストックホルム国際フォーラム」を取り上げた記事を掲載した。
主催者であるスウェーデンの首相は、この会議でこのように訴えた。
「ロマニー[ジプシー]の大量虐殺、身体障害者の大量殺戮、同性愛者・反体制派・エホバの証人に対する迫害や殺害について、人々に知らせよう」。
これと調和して、スウェーデン政府は、「お子さんに話してください」と題する本を、子どものいる全国の家庭すべてに無償で配布した。
この本はこのように述べている。
「エホバの証人は、ヒトラーとナチス・ドイツに対する忠誠の誓いを立てることを拒みました。こうした抵抗は異例なことでした。なぜなら、忠誠を尽くすことを言明する書面に署名さえすれば、迫害は終わることになっていたからです。それでも、署名した人はほとんどいませんでした」。
この記事は、このエホバの証人が強制収容所内でどのように振る舞ったかを紹介し、このように述べている。
「[虐殺収容所の]囚人となった証人たちは、ユダヤ人その他を含め、仲間の囚人たちが忍耐できるよう助けました。聖書に基づく希望を教えたり、何であれ、持っているものを、多くの場合、最後の一切れのパンなどをわずかでも病気の人や弱っている人と分かち合ったりして人々を助けました」。
ストックホルム国際フォーラムでは、「ナチズムが復活するのではないか」という危惧が表明されたと記事は指摘し、記事を締めくくっている。


モレ国立公園

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、モレ国立公園を取り上げた教育記事を掲載した。
余談になるが、この記事の執筆者によると、モレ国立公園をあとにし、ロビ族の取材を行いにソーラにまで行ったところで、ロビ族の原語に聖書を翻訳するためにやってきた白人と出くわしたという。


日本の寄せ木細工

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、日本の畑宿の寄木細工を紹介する教育記事を掲載した。


エホバは部族神か

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、エホバはユダヤ人の部族神かという問いに答える論考を掲載した。
今では「エホバという名前は、すぐに現代のエホバの証人の組織と結びつけて考えられがち」である。
しかし、そのような認識は間違いである。
では、エホバがユダヤ人の部族神であるという意見はどうだろうか。
そのような考えも間違いであると記事は指摘している。
記事は、一般的な部族神とエホバとの違いを説明している。
まず、エホバはイスラエル人によって選ばれた神ではなく、エホバがイスラエルを選んだのである。
そして、エホバの立場は、イスラエルという部族の敗北に左右されるものではなかった。
エホバはしばしばイスラエルに対して“反国民的”になり、ついにはイスラエルを捨て去った。
そして、エホバ自身、自分が全人類の神であることを聖書によって明らかにしている。
エホバが特定宗教の神でも、特定部族の神でもないことは、そのような事実によって明らかである。


チェラプンジ

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、世界屈指の多雨地帯である、インドのチェラプンジを取り上げた教育記事を掲載した。
この地域は、多雨地帯であるにもかかわらず、水がすべてはけてしまうため、水不足も生じているという。


モントリオール国際モザイクカルチャー2000展

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、モントリオール国際モザイクカルチャー2000展を取り上げた教育記事を掲載した。


パナマ帽

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、パナマ帽を取り上げた教育記事を掲載した。
この記事は、本物のパナマ帽はパナマではなくエクアドル産であることなどを紹介している。


宗教史を教えるべきか

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、フランスで行われた宗教調査によって、フランスでは、公立の学校で宗教史を教えることに賛成する人が57パーセントであることが明らかになったと報じた。


世界展望

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、「目ざめよ!」誌に毎号掲載されている、「世界展望」を学校で活用した生徒を紹介する小記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が賞賛される

「目ざめよ!」誌2001年5月8日号は、パプアニューギニアから寄せられた、「目ざめよ!」誌を賞賛する手紙を紹介する記事を掲載した。


なぜ神は苦しみを許しているのか

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、神はなぜ人々の苦しみを許しておられるのだろうかという疑問を取り上げた特集記事を掲載した。
この記事は、なぜ今の世の中に苦しみが存在するのか、なぜ神がそれを許しているのか、神はどのような行動を起こされるのか、という問いに答えるものとなっている。


エホバを賛美する

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、クリスチャンが神を賛美するのはなぜかを示す研究記事を掲載した。


“大群衆”の理解への歴史

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、聖書の“大群衆”についてのエホバの証人の理解がどのように発展していったかを示す記事を掲載した。
この記事によると、大群衆の理解の先駆けは、1918年にまでさかのぼることができる。
この年から1922年までにエホバの証人が開催した、「現存する万民は決して死することなし」という公開講演は、救われる者たちの中には、天に行かず、地上で救いを受ける者たちがいることを明らかにした。
さらに、1923年には、イエスの語った「羊とやぎ」のたとえが解説され、“羊”がキリストの統治を受ける者であることが明らかになった。
1931年には聖書のエゼキエル書 9章に記されている人々が、イエスの述べる羊であることが明らかにされた。
1932年には、この“羊”は聖書に記されている“エホナダブ”によって予表されていたと説明された。
こうして、1935年までに、“大群衆”の教理が誕生する機運ができあがっていたという。


結婚について考える

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、結婚と子育てについて考える、一連の研究記事を掲載した。
「大きく揺れる空中ぶらんこから曲芸師がぱっと飛び出し、体を二つに折って見事な宙返りをします。回転した後、体をさっと伸ばして両手を差し出すと、反対側から来たぶらんこ乗りが逆さになったままその手をつかみます。アイススケートのペアが、リンクを流れるように並んで滑っています。男性のほうがさっとパートナーを抱え、空中にほうり上げます。女性は回転して、片足で優雅に着地し、そのまま男性と一緒に氷上に弧を描きます。こうした演技はどちらも楽々とできているように見えます。しかし、練習もせず、技量のあるパートナーもなく、そして何より、ふさわしい導きや指示も受けずに、こうしたことを試してみようと思う人が一体いるでしょうか。同様に、しっかりした結婚生活も、たまたまそうなっているように見えるかもしれませんが、実際には、良いパートナー、息のあった努力、そしてとりわけ、賢明な助言に依存しています。適切な導きが不可欠なのです」。
まず最初に、人は、自分がだれと結婚するかを考えなければならない。
「結婚相手の選択は、わたしたちが踏み得る段階の中でもとりわけ厳粛なものであり、軽々しく考えるべきものではありません」。
この点について、記事は、実際にエホバの証人の若者たちの生じている問題を取り上げ、事実をこのように指摘している。
「配偶者を選ぶことに関して、結婚の創始者が述べておられる事柄に留意するのは知恵の道です。ところが、聖書に基づく助言を親やクリスチャンの長老から与えられると反発する人がいます。自分のことを十分理解してくれないと感じ、強い感情的欲求に流されて心の傾向に従ってしまうのです。しかし、やがて現実に直面し、自分のためを思って与えてくれた賢明な助言に留意しなかったことを悔やむかもしれません。気がつくと、愛のない結婚生活を送りながら子育てに苦労しているかもしれず、未信者と結婚している場合もあるでしょう」。
この記事は、クリスチャンが非信者と結婚することをいさめ、さらに、若すぎる結婚にも警笛を鳴らしている。
「かなり若いうちに急いで結婚する人は、往々にして、円熟するにつれて、自分の必要なものや欲するものが変わってゆくことに気づきます。そして、初めは望ましいと思ったものが、もはやあまり重要ではなくなっていることを悟ります」。
「永続するパートナー関係を維持していくための身体的、精神的、霊的な用意ができていて初めて、結婚に進むことができます」。
「結婚について考えるときに、おもに念頭に置くべきなのは、将来の配偶者となる人の徳性と霊性です。クリスチャンとしての人格、加えて神に対する愛、また神に対する魂のこもった専心の態度は、身体的な魅力よりはるかに価値のあるものです」。
結婚したなら、やがて子供が生まれるだろう。
しかし、結婚相手を選ぶときと同様、慎重に検討を行うべきである。
「子どもは、毎日個人的に注意を向けてもらうと、すくすく伸びてゆきます。愛と関心を惜しみなく示してもらう必要があります。夫婦は、子供を持つかどうかを決める前に、この大切な責任を真剣に考慮すべきです。そうすれば、子育てを単なる仕事と考えるのではなく、むしろ、祝福された特権と見なすようになるでしょう」。
記事は、子供を持つ家庭にあって親が行うべき事柄を指導している。
それは、聖書の教えに従って子どもを道徳的に育てることである。
「非常に複雑な、この危機の時代にあって、子どもたちが、本当に『悪を憎み』、「エホバを愛する者」となるには、多大の努力が求められます」。
「子供と共に時間を、とりわけ霊的な事柄を中心にした時間を過ごすことは、努力を払う価値が十分にあり、家族の一致を保つ非常によい方法です」。
「エホバを愛することをお子さんに教える出発点は、エホバに対するあなた自身の愛です。……子どもはすぐに矛盾を見抜くので、口頭による教えは、霊的な物事に対するあなた自身の深い認識を反映する行状や態度によって裏打ちされていなければなりません」。
また、記事は、親が聖書伝道に子どもを連れて行くことについて、それがまたとない道徳教育となることを指摘している。
「親子が一緒に宣教奉仕を行なうと有益なのはなぜでしょうか。それによって、子どもは親の良い手本を見て、それに倣うことができるからです。一方、親は、子どもの態度、行状、能力を観察できます」。
最後に記事はこう述べて親である読者を励ましている。
「お子さんを教えて訓練できる機会はいつまでもあるわけではなく、やり直しはきかない、ということを忘れないでください。最善を尽くして神の言葉の助言をあてはめてください。そうすればエホバは、霊的に強い家族を築こうとするあなたの努力を祝福してくださるでしょう」。


聖の聖なる所

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、聖書のダニエル 9章24節に記されている「聖の聖なる所」が油をそそがれるという預言に関する、読者からの質問に答える記事を掲載した。


知恵の道を歩む

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、聖書の箴言 9章を解説する記事を掲載した。
まずこの記事は、動機が悪いとは言えないが未熟な人たちに、円熟に向かうよう勧めた。
続いてこの記事は、箴言 9章7-8節について興味深い注解を行っている。
聖句の内容はこうなっている。
「あざける者に矯正を施している者は自分の身に不名誉を得ており、邪悪な者に戒めを与えている者は、自分に欠陥を[与えている]。あざける者を戒めてはならない。その者があなたを憎むようにならないためである」。
記事はこのように述べている。
「あざける人は、自分の道筋をまっすぐにしようと助けてくれる人に対して恨みや憎しみを募らせます。邪悪な人は、戒めの価値を全く認識しません。真理を憎む人、あるいは真理をあざけろうとする人に、神の言葉の美しい真理を伝えるのは実に愚かなことです」。
「[聖書伝道の際は]あざける人との論争や議論に巻き込まれないよう注意深くありたいものです」。


エホバの証人と信教の自由

「ものみの塔」誌2001年5月15日号は、USAトュデー紙から引用し、信教の自由についてエホバの証人が得ている高い評価を紹介した。
「証人たちが修正第1条の核心に触れる問題を提起するケースがあまりにも多かったので、ハーラン・フィスク・ストーン判事は次のように書いている。『エホバの証人が市民の自由に関する法的な諸問題の解決に助力していることを考え、彼らに特典を与えるべきである』」。


変貌するテロリズム

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、近年のテロリズムの変貌を取り上げた特集記事を掲載した。
近年のテロリズムは、細菌、毒ガス、インターネットを用いて攻撃を行っている。
また、テロリストによる核兵器の使用も懸念されているという。
この記事は、新たなテロの形態として、エコテロリズムを取り上げた。
記事が列挙した、最近の主要なテロ事件の一覧には、オウム真理教が起こした、松本サリン事件、地下鉄サリン事件が含まれている。
この記事は、テロの原因についての興味深い分析を行っている。
記事によると、テロの原因は、憎しみ、圧制による絶望、抗しがたい社会の不正に対する挫折感、社会の不公正である。
記事は、テロをなくすには、そのようなもろもろの不正を正さねばならないと論じ、その手だてとして、聖書に記されている、次の神の約束を紹介している。
「不当な扱いを受けたり虐げられたりしてきた人、挫折感を味わっている人は、聖書の確かな約束に慰めを見いだすことができます。「廉直な者たちが地に住み、とがめのない者たちが地に残されるからである。邪悪な者たちは地から断ち滅ぼされ、不実な者たちは地から引き抜かれるのである」。」


祖父母と親しくなるよう努力する

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、若者たちがどのようにして祖父母との交友を深めることとができるかを教える、指導的な記事を掲載した。
この記事は、「若者の多くが、老人は世情に疎く、自分たちとは見方や価値観や関心事が違うといった消極的な見方を持っている」と指摘し、今、若者たちには、祖父母に対して「愛情を広げる」努力が必要であると訴えた。
まず、若者たちは、祖父母に定期的に会いに行くことを目標とすることができる。
続いて、祖父母に話をしてもらい、耳を傾けることである。
その後、自分の話題も話すようにするとよい。
一緒に何かを行うことも大切なことである。
この記事は、祖父母が遠くにいるような場合には、電話や電子メールを用いて交友を持つことができることを述べつつも、このようにも指摘している。
「Eメールや電話にはそれなりのよさがありますが、昔ながらの手書きの手紙が持つ力をみくびってはなりません。多くの若者は、自分が子どものころから書き送った手紙を、祖父母が一つ残らず取っているのを知って驚きます。手紙は何度も読み返すことができ、大事に取っておくことができます。ですからぜひ、手紙を書きましょう」。


青いチョウと赤いアリ

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、共生関係にある、オランダのチョウとアリの共生関係を紹介する教育記事を掲載した。


国際電話の仕組み

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、国際電話の仕組みを紹介する教育記事を掲載した。


ニューグレンジの謎

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、アイルランドの墳墓のひとつであるニューグレンジを取り上げた教育記事を掲載した。


カールズバード・キャンバーズ

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、アメリカ有数の大鍾乳洞、カールズバード・キャンバーズを紹介する教育記事を掲載した。


イギリスで改宗の勢いが増す

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、サンデー・テレグラフ紙からの引用として、イギリスでは宗教を取り替える人たちがかつてなく増えており、イスラム教、仏教、ニューエイジ、異教信仰が信者を獲得していると報じた。


セルフヘルプ

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、宗教の影響力の減少に伴い、「自己肯定、前向きな思考、自分なりの成功を説くセルフヘルプ専門家」が人気を博していると報じた。
この記事によると、カナダの人々の80パーセントは神を信じているが、クリスチャンを公言する人のうちの22パーセントは、どの教会の教えよりも自分個人の信条を重んじていることが、調査により判明したという。


排斥者の復帰

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、排斥された人物が復帰したことを述べる読者からの手紙を紹介した。
排斥されたのは、ドイツでエホバの証人の活動が禁止されていた頃、裏切り者となった人物である。
最近になって、その人物は復帰したが、手紙の主は、「現在、何ら恨みの気持ちを抱くことなく、この兄弟にあいさつできる」ので、エホバに感謝していると述べている。


こはく

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、琥珀を取り上げた小記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が地域大会に読者を招待

「目ざめよ!」誌2001年5月22日号は、2001年の「神の言葉を教える者」地域大会が、世界のおよそ150カ国、2000の会場で行われること、また、その大会のメインイベントとなる公開講演の主題が「あらゆる国の民に真理を教えているのはだれですか」となっていることを告知し、読者を地域大会に招待した。


りっぱなことを行う

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、現在立派にクリスチャンとして生きている読者たちに、引き続きその状態にとどまるよう勧める記事を掲載した。
この記事は、今は世の中が悪いので、クリスチャンがその質を保つには真剣な努力が求められると指摘している。


耳の聞こえない人にいっそうの援助を

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、耳の聞こえない人に対する聖書伝道を強化するよう求める記事を掲載した。
この記事によると、ろう者のエホバの証人は拡大しており、ここ9年間に、国内に20の会衆と11の群れが発足している。
この記事は、耳の聞こえない人が見いだされた場合、最寄りの手話会衆に連絡を行い、確実にその人に対する訪問が行われるようにすべきとしている。


夏の計画

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、エホバの証人たちが、今のうちから夏の活動の計画を立てておくよう勧めた。


若い人と人生の目標

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、「若いみなさん―自分の生涯の仕事を賢明に選んでください」と題するプログラムの筋書きを掲載した。


エホバの証人の年鑑

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、ものみの塔協会が在庫として持っている、「エホバの証人の年鑑」を、読者が注文するよう勧めた。
ものみの塔協会には現在、1995, 1996, 1997, 1999, 2000, 2001年の年鑑が在庫しており、各国版の年鑑も在庫している。


イザヤ書の研究

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、2001年7月から予定されている、群れの書籍研究の教材である、「イザヤの預言―全人類のための光」第1巻の研究予定表を掲載した。


「目ざめよ!」誌のカセットテープ

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、「目ざめよ!」誌の日本語朗読カセットテープが入手可能であることを告知した。
現在、「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の朗読テープが入手可能であり、点字ラベルつき版も入手可能である。


研究生の心を動かす

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、聖書研究の司会者が、どのように研究生の心に信仰を植え込むかを考える記事を掲載した。


「堅く立つ」ビデオ

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、「ナチの猛攻撃に対して堅く立つエホバの証人」と題するビデオから何を学べるかを扱った記事を掲載した。
現在の日本人はたいへん平和な境遇を得ているが、それゆえに欠けているものがある。
記事はこのように述べている。
「「堅く立つ」のビデオの中で描かれているエホバの証人たちの素晴らしい手本は、エホバの証人であってもなくても、若い人たちが不寛容や仲間の圧力や良心の関係する重大な問題に立ち向かう助けとなります」。


ベテル奉仕を捕らえよう

「わたしたちの王国宣教」2001年6月号は、若者たちがベテル(ものみの塔支部での)奉仕を捕らえるよう勧める記事を掲載した。
現在、日本のものみの塔聖書冊子協会支部では、611名の奉仕者が働いており、なお働き手を必要としている。
ベテルに申し込むには資格が必要である。
基本的な資格は、バプテスマを受けてから1年経過していること、エホバとその組織に対して深い愛のある霊的な人であること、霊的・身体的・感情的・身体的に健康であること、国語を上手に読み、書き、話すことができること、19歳から35歳であることである。
それに加えて、進んで勤勉に働き、聖書の教えにあるように「快楽を愛する者でない」こと、個人の聖書研究の良い習慣を持っており、聖書に基づく知覚力を持っていること、生活のあらゆる面で円熟性を示していること、などが求められている。
さらに、ベテル奉仕者になる人は、エホバに仕える者として清くなければならず、ポルノやマスターベーションなどの、聖書的には罪ではなくても、明らかによくない習慣を克服していなければならない。
このような資格が求められているため、ベテル奉仕を捕らえることを目標とする者は、クリスチャンとして円熟するよう促され、それは本人にとって益となるという。
またこの記事は、結婚とベテル奉仕との関係についても触れ、あまり早く結婚してしまうと、聖書的な特権を捕らえる機会がなくなると指摘している。


規準の低下について考える

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、近年広く見られる、道徳などの規範の質の低下を取り上げた特集記事を掲載した。
今日、商業や政治、宗教、家庭において、信頼は裏切られていると記事は指摘した。
道徳の弱体化は憂慮すべき事態である。
そこでこの記事は、聖書の規準が助けになることを指摘し、読者に、聖書の教えに頼り、信仰を実践するよう勧めている。


キプロスからの報告

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、キプロスのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。


神の後ろ盾はだれに?

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、神がどのような宗教を是認し、祝福されるかというテーマを扱った、一連の研究記事を掲載した。
「だれでも、個人の問題を自分で選択できることの価値を認めており、それにはどの宗教に入るかの選択も含まれます。しかし、選択の自由があるからといって、その人が正しい選択をするという保証はありません。この件に関する肝要な問いは、どの宗教が追随者に神のご意志を行なうように促し、神の後ろ盾の確かな証拠を持ち、それゆえに信奉者たちが確信を抱いて『神はわたしたちの見方です』と言えるか、という点です」。
この記事は、そのような宗教の条件として、聖書に基づく教えを持っている、神のみ名を用いている、喜びに満たされているなどの条件を挙げている。
「こう自問してください。『多くの人の信じている事柄とは異なる教えであっても、神の言葉を堅く守ることで知られているのは、どの宗教グループか。神の固有の名の重要性をはっきり述べ、自分たちがどういう者かを示すためにもそれを用いているのはだれか。人間の抱える問題すべての唯一の解決策として、前向きの楽観的な態度で神の王国を指し示しているのはだれか。時代後れと見なされようとも、聖書の行動規範を擁護しているのはだれか。有給の僧職者を持たず、信徒全員が伝道者であることで知られているのはどのグループか。政治には関与しないながらも、法律を守る市民として賞賛されているのはだれか。神とその目的について学ぶよう人々を助けるため、愛のうちに時間と金銭を費やしているのはだれか。されに、こうした好ましい面すべてを持ちながら、それでも見下げられ、あざけられ、迫害されているのはだれか』」。
記事は、近年になってエホバの証人に関する多くの誤解が正され、エホバの証人が信教の自由に貢献していることについて触れた後、それでもエホバの証人に対する社会の偏見と迫害はやまないだろうと述べている。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、バハマで宣教者として働いた、ナンシー・E・ポーターによる手記を掲載した。
彼女は、バハマにおける、最初のエホバの証人宣教者であった。
彼女のことを快く思わなかった地元のキリスト教指導者たちが、彼女が共産主義者であるとの虚偽の告発を行ったため、彼女は国外退去を命じられたという。
しかし、彼女が国内にとどまることを求める署名運動により、彼女はなんとかバハマにとどまることができた。
その後もキリスト教界による彼女に対する嫌がらせは続いたが、それでも彼女の努力が成果を上げるのを阻止することはできなかったという。


告白

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、「告白はいやしをもたらす」と題する、教訓的な記事を掲載した。
クリスチャンが罪を告白するのはなぜだろうか。
それは、罪を隠すことから生じる良心の苦しみ、あるいは、罪を隠そうとすることによって生じるかたくなな心を避けるためである。
「[重大な罪を犯した]ダビデは許されましたが、懲らしめや罪の結果を免れることはありませんでした。しかしエホバは、罪を深く悔いている人を、ご自分の愛ある親切から締め出すことはされません。人をさわやかにする冷たい水のような神の憐れみは、過ちを犯した人が罪の結果を耐え忍ぶ助けになります。罪がどんなに重大なものであろうと、誠実に悔い改めるなら、喜ばしい結果を得ることができます」。
記事は結論としてこう述べている。
「一時は苦痛や屈辱を耐え忍ばなければならないとしても、そのほうが、沈黙を保つがゆえに苦悶を味わったり、反逆の歩みに凝り固まるままになって悲惨な結果を迎えたりするより、ずっとよいのです」。


長老に告白するのはなぜか

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、先の記事に関連して、なぜ罪の告白は長老に対して行われるべきなのか、という質問を扱う記事を掲載した。


聖書研究は貴重

「ものみの塔」誌2001年6月1日号は、近年カトリック教会の行っている聖書研究セミナーが好評であることを紹介する小記事を掲載した。
このセミナーに参加した人の多くは、そこで学んだことに感銘を受け、「今までよいものを得損なっていた」と述べているという。


すべての人に健康を

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、世界のすべての人に健康をもたらすための人間の努力の歴史を紹介する特集記事を掲載した。


聖書クイズ

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、聖書クイズを掲載した。
クイズの内容は、例えばこのようである。
エホバの名を呼び求めることが始まったのはいつか、パウロによって「天と地のあらゆる家族がひざをかがめる」とされる方はだれか。
答えは、エノシュの時代、「父」であるエホバ神である。


大聖堂とは

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、大聖堂の歴史、由来を取り上げ、その意義を考える論考を掲載した。
大聖堂すなわちカテドラルは、カテードラすなわち司教座から派生した概念であり、基本的に「司教の権力の座」を体現するものである。
司教たちが互いに権力を競い合う形でカテドラルを建設したため、カテドラルはどんどん豪華になっていき、ついに大聖堂となった。
大聖堂はあまりにも費用がかかるものであるため、時代を通して非難の対象となってきた。
この記事は、最後にこう述べている。
「大聖堂は、建設した人々のための記念となっているかもしれませんが、神の栄光をたたえるものとはなっていません」。


「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、ガを取り上げた教育記事を掲載した。
一般に信じられていることに反して、ガの成虫は特に無害である。
「ガにはかみ型の口器がありませんし、恐水病その他のどんな病原菌も運びませんし、刺すこともありません」。
それに、ガは美しいと記事は指摘している。


「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、詩を取り上げた教育記事を掲載した。


赤潮

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、赤潮を取り上げた教育記事を掲載した。
記事は、赤潮はたいていの場合無害であるが、魚などを大量に死なせることがあるため、漁業が影響を受けることがあると述べている。


どの宗教も同じか

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、「宗教はどれも神に通ずる道ですか」と題する論考を掲載した。
この記事は、「宗教はどれも神に通ずる道である」という考え方に異論を唱え、どの宗教を選ぶかは大切なことであると指摘した。
「実際、もし宗教がどれも永遠の命と神の恵みに通ずる道にすぎないのであれば、イエスが、弟子を作る業をゆだねるために追随者たちを訓練する必要はなかったはずです」。
記事は、「宗教は、聖書を注意深く調べることによって得られた十分な情報に基づいて選ぶべきものです」と述べている。


子供のうた

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、子どもたちから「子供の歌」が失われつつあると指摘した。
今の幼い子どもたちは、親や十代の子どもたちと同じ音楽を聴くようになっており、その結果、これらの子どもたちは、冒とく、性、暴力といったものを強調する歌詞にさらされているという。


コロンブスとカトリック

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、コロンブスを聖人とする動きがカトリック教会にあると報じた。


イエスの誘惑は幻か

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、イエスがサタンから受けた誘惑は幻によるものかという読者からの質問に答えた。
記事は、「聖書のこの記述を文字通りに解釈するとすれば、問題になる状況が幾つかある」と述べ、「何らかの幻が関係していたかもしれない」と指摘した。
しかし、記事は極端な見方を退け、「それがどのように行なわれたにせよ、サタンは実際にキリストを誘惑したのです」と述べている。


レッドリスト

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、世界自然保護連合レッドリスト2000年版の内容を紹介する小記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が読者を地域大会に招待。

「目ざめよ!」誌2001年6月8日号は、エホバの証人の2001年「神の言葉を教える者」地域大会に読者を招待した。
日本では32の場所と日時で大会が行われるため、読者は最寄りの開催地を選ぶことができる。
プログラムは毎朝9時30分から始まると記事は告知している。
扱われるプログラムは一部、以下の通りである。
歓迎の話 ― 講話「王国について教えることは、りっぱな実を結ぶ」、講話「『神の壮大な事柄』によって奮い立たされる」 ― 講話「エホバの義を喜びとする」 ― 基調講演「神の言葉の教え手として、全く整えられた者となる」 ― 講話「りっばな業のための民として清められる」 ― シンポジウム「自分自身を教えつつ他の人を教える」 ― 講話「ポルノという世の疫病を憎悪しなさい」 ― 講話「エホバは光をもってご自身の民を美しくされる」 ― 講話「キリストのくびきのもとで、さわやかさを見いだす」 ― 講話「偉大な教え手に倣う」 ― 講話「あなたは進んで他の人に仕えますか」 ― シンポジウム「信者となるよう他の人を助ける奉仕者」 ― シンポジウム「神権的な教育からいっそう益を得る」 ― バプテスマの話 ― 講話「霊的に進歩するための新しい備え」 ― 聖書時代劇上演 ― 講話「あらゆる国の民に真理を教えているのはだれですか」


幸福な人生はお金から?

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、人生におけるお金の役割について論じる特集記事を掲載した。
この記事は、「今日のほとんどの社会悪の根底に、実際には精神面の問題である事柄を物質上の繁栄によって解決しようとする傾向がある」と鋭く指摘した。
「聖書が金銭そのものやその基本的な用い方をすべて非としていると結論するのは間違い」だが、お金に対する正しい見方を培い、正しくお金とつきあわなければ、人は金に隷従する者となってしまうだろう。
この記事は、クリスチャンの正しいお金の用い方として、孤児ややもめといった、艱難に遭っている人たちに対する援助を強調している。


忘れる者とならない

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、「聞いてすぐに忘れる人となってはなりません」そして「見えない方を見ているように確固としていなさい」と題する、たいへん教訓的な一連の研究記事を掲載した。
記事はまず、モーセと共にエジプトを脱出し、紅海を渡ったイスラエル人が、すぐに神を忘れる者となったことを指摘した。
今日のクリスチャンも、一度は神に信仰を抱く者となっても、その後信仰を忘れ、否定してしまう可能性がある。
そこで、このような傾向にエホバの証人はみな気をつけるべきである。
「人は朝起きると、たいていは鏡で自分を見て、整える必要のある箇所を調べます。それから、様々な活動に携わり、他の事柄に注意が向くと、鏡で見た事柄については考えなくなります。霊的な意味でも、そういうことがあり得ます。神の言葉を調べて、自分の実際の姿とエホバが期待しておられる姿とを比較することができます。したがって、自分の弱点を直視することになります。弱点が分かると、人格を改めようという気持ちになるはずです。ところが、日々の活動で慌ただしく様々な問題に取り組んでいると、とかく霊的な事柄は考えなくなってしまうことがあります」。
さらに記事は、クリスチャンがどのようにして神の道から離れてしまう可能性があるかを詳しく論じ、読者がそのような問題に陥らないよう諭している。


ギレアデ宣教者学校の卒業式

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、2001年3月10日に行われた、ギレアデ宣教者学校の第110期卒業式の様子を報告する記事を掲載した。
第110期ギレアデ聖書学校は、8つの国の生徒48名からなっており、18の国に宣教者を送り出した。
今回の卒業生の中には日本人も含まれている。


マカベアからキリストまで

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、ハスモン家(マカベア家)の歴史を取り上げた記事を掲載した。
ハスモン家の一族マカベアは、ギリシャ人の手から神殿を開放したが、「エホバの神殿における崇拝を回復するという宗教的な目標を達成した後、政治的な目標を抱くようになった」。
その結果、権力抗争や侵略戦争、内戦が生じ、ある時期には、ハスモン家とパリサイ派との内戦によって5万人のユダヤ人が死亡したという。
ハスモン王朝が終わりを迎えたのは西暦前37年である。
エルサレムは再び、今度はローマの支配下に入り、しばらく後に、キリストが誕生することになる。


新しい天と地

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、聖書に複数回用いられている、「新しい天と地」という表現について、単数形と複数形があるのはなぜかを論じる記事を掲載した。
この記事は、聖書原典や、ギリシャ語セプトゥアギンタ訳からその問題を論じ、結論として、これは文法上の些細な点で、意味の違いはないようであると述べている。


友人に正されるとき

「ものみの塔」誌2001年6月15日号は、クリスチャンが善意により、仲間の兄弟を「傷つける」ことがあることを示す小記事を掲載した。
それは、だれかが聖書の正しい教えから離れたときに示される、「教理上の誤りやクリスチャンらしくない振る舞いを明らかにしてとがめる聖書の真理をゆがめない」態度であると記事は指摘する。
それは、兄弟に対する「真の関心」であり、「誠実な友人として、矯正のための助言を述べることをためらわない」態度である。
この記事は、バルバロ訳聖書の箴言 27章6節から引用している。
「友人から受けた傷は誠実さの証拠である」。


安全な水が不足

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、世界中で年々深刻になっている水不足を取り上げた特集記事を掲載した。
地球上の水の97パーセントは海水である。
残りの水のうち68.7パーセントは永久氷雪であり、地下水は30.1パーセント、永久凍土と地下氷が0.9パーセント、湖、河川、沼地が0.3パーセントである。
利用可能な淡水が非常に少ないにもかかわらず、水の需要は急速に増加しており、さらに、汚染などによって水の供給は危ぶまれていると記事は指摘している。


ダルマティン聖書

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、スロベニアの最初の聖書翻訳、ダルマティン聖書とその翻訳者、ダルマティンとトルバルの訳業を取り上げた記事を掲載した。


フィンボス植物区

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、ケープ植物圏フィンボス区を取り上げた教育記事を掲載した。
世界は6つの植物王国(植物圏)に分類されているが、その中でもケープのフィンボス区は種の多様性の点で特異であると記事は説明している。
フィンボス植物区も環境の破壊にさらされており、フィンボス産の植物は31パーセントまでに減少しているという。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、アイルランド生まれで、カトリックの修道院で育てられた、バーナデット・フィンによる手記を掲載した。
彼女はカトリックの勢力が強力なアイルランドに生まれ、3歳の時に修道院に預けられた。
修道院の生活について彼女はこう回顧している。
「修道院は、親の面会を勧めていなかったようです。ですから、父や母と会うことはほとんどありませんでした」。
「修道院にいた12年間に外出したのは2回だけです。2回とも近くの田園地帯へ出かけたのですが、いろいろな樹木や動物を見てとても興奮しました。修道院にいた私たちは、こうした時以外、車やバスや商店を見ることなどありませんでしたし、司祭以外に男の人を見ることも滅多にありませんでした」。
「修道院にはたくさんの規則がありました。その中には道理にかなったものもありましたが、ささいなことを問題にした不当に思える規則や、人を当惑させ打ちのめすような規則もありました。そうした規則の一つに、おねしょをしたら罰するというものがありました。また、夜トイレに行きたくなったら罰するというものもありました」。
「ある日、階段を上りながら隣の子に話しかけると、修道女に呼び戻され、おしゃべりをしたということで罰せられました。どんな罰だったでしょうか。アイルランドの厳しい冬の間じゅう夏服で過ごさなければならなかったのです」。
「私は病弱で、よく喘息や扁桃腺を患っていました。とても具合が悪くなり、修道院にいた少女の多くがそうであったように、結核にかかってしまいました。隔離部屋に寝かされましたが、治療は受けられず、私の親友を含め何人かの少女が亡くなりました」。
「規則にちょっと違反しただけで、ひどく打ちたたかれた人もいました。ある女の子は生徒全員が出席する集会の時、私たちの見守る中で修道女に2時間以上たたかれました。私たちは皆泣いていました」。
「16歳で修道院を去ることは、恐ろしい経験でした。バスに乗った時のこと、バス代を払うように言われましたが、バス代とは何か全く分かりませんでした。またある時には、バスに乗りたかったのですが、バスは1台も来ませんでした。バス停に行かなければならないことを知らなかったのです」。
このような経験を得て、閉ざされた修道院から社会に復帰した彼女は、やがて結婚し、エホバの証人となって、現在に至っているという。


コオロギ

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、コオロギを取り上げた教育記事を掲載した。


若者と祈り

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、クリスチャンの若者たちが神に祈るよう勧める記事を掲載した。


地雷もどき

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、対人地雷を禁止するオタワ条約のために生じている問題を指摘した。
幾つかの国が、地雷の代わりになる兵器の開発を行っているのである。
例えば、日本では、“指向性散弾地雷”の代わりに“指向性散弾”と呼ばれる兵器が用いられる。
これは、指向性散弾地雷にリモートコントロール機能をつけたもので、日本政府の主張では地雷にはあたらないのだという。


コンピューターから目を守る

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、コンピューターのディスプレイを見ている目は特にロドプシンを消費するため、ロドプシンを補うため、ビタミンAもしくはベータカロチンを摂取すべきであると述べた。


駅で携帯電話

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、朝日新聞からの引用として、携帯電話に関連した事故が駅のホームで多発しており、死者も出ていると報告した。


カイロプラクティックについて

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、読者からの指摘を受け、同誌2000年10月22日号の、カイロプラクティックに関する記事の一部を訂正した。


パスワード

「目ざめよ!」誌2001年6月22日号は、コンピューターで用いるパスワードをどのように決めるとよいかを指南する記事を掲載した。
人の名前や、車のナンバー、電話番号、生年月日、住所、辞書に載っている語、あるいは数字だけのパスワード、英字だけのパスワードは使わないようにすべきである。
「最低でも6文字から8文字を使い、その中に大文字、小文字、数字、特殊記号を組み合わせるとよい」。
というのも、パスワードクラックソフトウェアというものがハッカーによって用いられており、そのプログラムは既知の単語を網羅した辞書をもとに様々な新しいパスワードを生成し、それを試すからである。


聖書伝道が試みとなるとき

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、聖書の良いたよりを伝えることをちゅうちょしないよう、エホバの証人の読者を励ます記事を掲載した。


イザヤの書の研究

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、まもなく始まる、会衆の書籍研究でのイザヤ書の研究に備えるよう読者に求める記事を掲載した。


新しい講演

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、9月以降、巡回監督によって行われる公開講演の主題が「真のクリスチャンはどのように神の教えを飾るか」というものになると告知した。


ものみの塔協会がカレンダーを発行

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、ものみの塔聖書冊子協会が2002年の「日ごとに聖書を調べる」とカレンダーを発行する予定であることを告知した。


新しい巡回大会

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、2002年度の巡回大会の主題が、「神を恐れ、神に栄光を帰せよ」になると告知した。


必要の大きなところで奉仕する

「わたしたちの王国宣教」2001年7月号は、可能なら、奉仕者の必要の大きな区域に引っ越しするよう読者に求める記事を掲載した。


聖書を理解する

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、聖書を理解するためには何が必要かを取り上げた、研究記事を含む特集記事を掲載した。
この記事は、聖書の研究は、その基本的な教えから始めて系統的に行うのが効果的であり、また、そのためには手引き書も必要だと指摘している。
また記事は、聖書を研究することによって人が培う「神への恐れ」を取り上げ、このように注解している。
「意味のある人生にどうしても欠かせない神への恐れは、病的な怖れとは異なります。残酷で危険な犯罪者に脅されれば怖れを感じるかもしれません。しかし神への恐れ、つまり敬虔な怖れは、創造者に対する畏敬の念であり、深い崇敬の念です。エホバは、神に対して畏敬の念を覚えるというだけの理由で、人々が自分に仕えることを望んではおられません。エホバ神は人類に対して非常に愛情深く接してこられ、人々がそれにこたえてご自分を愛することを望んでおられます」。
続く研究記事は、人が聖書の言葉を受ける者となった後、与える者となるべきことを論じた。
「エホバはわたしたちの限界や状況に気づいておられ、神に仕えようとする真剣な努力ゆえに愛してくださいます。できることが他の人より少ないとしても、それは変わりません」。
「宣教奉仕に費やす1時間、1回の再訪問、関心のある人と王国会館で交わす一度の会話はどれも、それだけではごく小さなことに思えても、エホバが成し遂げておられる大々的な業の一端をなします」。
この記事は、このようにしてクリスチャンが与える者となることによって、神とのよい関係を築き、自尊心を得ることができると読者を教えている。


信仰と疑念

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、信仰と疑念との関係を論じる記事を掲載した。
疑念は有益なこともあれば、有害なこともある。
「真実を立証するために諸事実を正直かつ謙虚に調べることは、多くの場合に必要な事柄です。しかしこれは、根拠のない有害な疑念が自分の思いや心に育つのを許すこととは違います」。
このような種類の疑念をなくすために、クリスチャンは、聖書を日ごとに調べ、知識を得ておく必要があると記事は指摘している。


時の試練に耐える

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、クリスチャンが時の試練に耐えることを勧める記事を掲載した。
記事は、クリスチャンが試練に耐えるのは、「イエス・キリストにしっかりと根ざしている」からであり、それは試練の内容に左右されないと論じている。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、アメリカで宣教者として奉仕した、ポール・スクリブナーによる手記を掲載した。


神への奉仕と喜び

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、神への奉仕と喜びの関係を取り上げた小記事を掲載した。
記事は、クリスチャンが神への奉仕を楽しむべき理由を挙げた後、「そうでないなら、心からの感謝がどこか欠けているのです」と指摘している。


エホバの証人の統治体メンバーが死去

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、エホバの証人の統治体の一員であるライマン・アレクサンダー・スウィングルが、2001年3月14日に90歳で死去したと告知した。


エホバの証人は清潔

「ものみの塔」誌2001年7月1日号は、モザンビークのエホバの証人の清潔さを取り上げた小記事を掲載した。
エホバの証人は「身体的な清さ」を重んじているが、モザンビークにおいてもそれは例外ではない。
モザンビークで開かれたエホバの証人の大会には、清潔でよい身なりをした証人たちが集い、また、トイレには石鹸や鏡も用意されたと記事は報告している。


薬物乱用の問題

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、薬物の乱用を取り上げた特集記事を掲載した。
この記事の指摘するところによると、不法な薬物の使用は、1980年代には減少したかに見えたが、今や再び、世界的に増加しているという。
スポーツ界や芸能界に薬物が蔓延しているため、若者たちはその影響を受けやすくなっている。
また、経済な問題、人間関係の問題、生き甲斐の欠如といった要素も、薬物蔓延に一役買っている。
現在の社会は、そして宗教は、こういった問題を解決する力とはなっていないと記事は鋭く指摘している。
記事は、薬物中毒になって苦しんでいる人たちにとって、聖書の教えが、立ち直るための助けとなることを指摘している。


死者を悼む

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、死者を悼むことの是非について論じる論考を掲載した。
「アブラハム、ヤコブ、ダビデ、そしてイエスも、皆エホバとその約束に強い信仰を働かせていましたが、それでも嘆き悲しみました。死を悼むそうした気持ちは、霊的な弱さの表われだったのでしょうか。悲嘆は、復活に対する信仰の欠如のしるしだったのでしょうか。断じてそうではありません。死を悼むことは、愛する人の死に対する自然な反応なのです」。
「とはいえ、クリスチャンであるわたしたちは、死のゆえに嘆くことはあっても、「希望を持たないほかの人々のように」悲しむことはありません」。
「死者の状態に関する理解があいまいではないので、度を越した悲嘆にくれることはないのです」。
最後に記事はこう述べている。
「ですから、もしあなたが今嘆き悲しんでおられるのでしたら、エホバがあなたの苦しみを理解しておられることを知って、慰めを得てください。この知識と、復活に対する希望とが、あなたの悲嘆を和らげ、喪失感に対処する助けとなりますように」。


イタリアの観光名所

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、イタリアの観光名所である、ローマとバーリを紹介する教育記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌は、ナバホ族であるにも関わらず、エホバの証人となった、サンディー・ヤッシー・ツォシーによる手記を掲載した。
彼女は手記の中でこう述べている。
「私は自分がアメリカ先住民であることをとても誇りに思っていましたから、白人の前で、何十年にもわたる弾圧について自分の意見を述べました。……私は聖書を持っている人をみな憎むようになりました。白人が私たちから、土地や、権利や、私たち独自の神聖な儀式を取り行なう自由を奪い去ることができたのは聖書のせいだ、と考えていました」。
しかし彼女は、エホバの証人と出会って聖書を学ぶようになり、慰めを得るようになったという。


ナイアガラの滝

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、ナイアガラの滝を取り上げた教育記事を掲載した。


マサダは二度と落ちず?

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、ユダヤ人にとって復興の象徴的存在であるマサダが、地震により再び「落ちる」かもしれない危機的状態にあると報じた。


嫌われる祭司職

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、ニューヨーク・タイムズ紙からの引用として、カトリック教徒の親が、子供が司祭になることを望まなくなってしまったと指摘した。
全米カトリック司教協議会の代表者、エドワード・J・バーンズによると、今は「結婚していない若いカップルが同棲していることを親族の集まりで公表しても非難されることはない」が、「司祭職に就くことを考えている若い男性は、家族にわきへ連れて行かれて、「どういうことか分かっているのか」と言われる」という。


セイヨウイチイと魂の教え

「目ざめよ!」誌2001年7月8日号は、イギリスの墓地にセイヨウイチイが植えられるという風習を取り上げた小記事を掲載した。
これは古代ドルイド教に由来している。
もともと異教の神殿に植えられていたイチイが、やがて教会により「聖なる象徴」として用いられ、それがまた、魂の不滅の象徴として墓地に植えられるようになったと記事は指摘している。


死後の命はあるか

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、人は死ぬとどうなるのかというテーマを扱った特集記事を掲載した。
この記事は、聖書の中で人間の「霊」がどのように説明されているかに注意を向けた。
聖書によると、人間は動物と同じで「皆ただ一つの霊を持っている」。
また、「霊のない体は死んだものである」。
記事は、現代訳聖書の伝道の書 9章5節と10節に読者の注意を引き、「疑問の余地なく、死んだ人はもはや存在していません」と結論している。


若い人のための助け

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、「時宜にかなった諭しによって若い人を助ける」と題する、エホバの証人の歴史を扱った記事を掲載した。
この記事は、エホバの証人の組織が、子どもたちの信仰を育むためにどのような備えを用意してきたかを振り返っている。


クリスチャンの行う“収穫の業”と喜び

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、クリスチャンが行う聖書伝道の業に注意を向けた一連の研究記事を掲載した。
記事は、「今日の収穫の業における喜び」に関係する三つの要素を挙げ、クリスチャンが喜びをもってこの奉仕に携わるべきことを説いている。
また記事は、クリスチャンの奉仕者がしばしば「好意的ではない反応」に直面する問題について触れ、このように読者を指導している。
「良いたよりを携えて人に近づくとき、わたしたちが快活に、また平和的な態度でそうするのは適切なことです。家の人が無関心な反応を示したり、苦情や冷たい言葉を述べたりしても、それは平和な音信を『わたしたちのもとに戻らせる』だけのこと(言い争ったりしないこと)です」。
「ののしられれば祝福し、迫害されれば忍び、名誉を損なわれても懇願するのです」。


寛容さを身に着ける

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、クリスチャンの持つべき寛容さを取り上げた、教訓的な記事を掲載した。
クリスチャンは、人間を扱うエホバとイエスの方法を知り、それに倣う必要がある。
「エホバは人間の罪深い性質をご存じなので、悔い改めた悪行者に対して「いつまでも過ちを捜しつづける」ことはなさいません。神は「(罪深い人間が)当然受けるべきもの」をわたしたちのもたらすのではなく、イエス・キリストの贖いの犠牲に基づき、慈しみをもって許しを差し伸べてくださいます。あなたは、ゆゆしい罪ではないものの、適切さに欠けると言えるかもしれない他の人の言動を許容する、あるいは我慢する性向を持っているでしょうか」。
「イエス・キリストは、ご自分の信条を暴力によって人々に押しつけようと意図されたのではありません。隣人と口論し、隣人にひどい仕打ちを与えることによって、わたしたちが正しく相手が間違っていることを認めさせようとするのはふさわしくありません。それはかえって、わたしたちにキリスト教の精神が宿っていないことを認めさせることになるでしょう」。
この記事は、自分が正しくて相手が間違っているような場合にも、クリスチャンは寛容さを示すべきだと読者に説いている。


義なる者となる

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、聖書の箴言 10章1節から14節に基づいて、義人とはどのような人であるかを論じる記事を掲載した。
記事はこのように述べている。
「心が純粋で義にかなっている人は、自分の義のしるしを豊かに示します。その言葉は親切で人を築き上げ、行動は積極的で寛大です。他の人たちから好意を持って受け入れられます。いっぽう邪悪な人は、憎しみないしは悪意を抱き、他の人に害を加えようとします。その話は心地よく聞こえ、心に秘めた「暴虐を覆い隠す」かもしれませんが、ついには身体的、また言葉による攻撃に出ます」。
「忠誠を保つ人は正直に行動します。他の人から尊敬され、信頼されます。利己的な益のために不正行為に手を染める人の場合、事情は異なります。欺く人は、曲がった話し方やしぐさで虚偽を隠すかもしれません。だまされて犠牲となる人に大きな精神的苦痛をもたらします」。
記事は、読者が義なる者となるためには、「学んでいる事柄をよく黙想する」ことが不可欠であることを指摘し、読者に聖書の研究と熟考を促している。


無法な偶像礼拝

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、聖書のペテロによる第一の手紙 4章3節で用いられている「無法な偶像礼拝」という表現について解説した。
記事によると、この語は二通りの意味に読むことができる。
ひとつの読みは、「法的制約のない偶像礼拝」、つまり、間違ってはいても法律によって禁止されないような種類の偶像礼拝である。
もうひとつの読みは、「法に反する偶像礼拝」、つまり、人間の自然な本性に反する、堕落した偶像礼拝である。


寛大さと勤勉さ

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、寛大であるためには勤勉でもあるべきであると指摘する小記事を掲載した。


オリゲネス

「ものみの塔」誌2001年7月15日号は、使徒的教父の一人、オリゲネスを取り上げた記事を掲載した。
オリゲネスには誉めるべき点も多いが、非難すべき点も見過ごすことはできない。
オリゲネスの最大の功罪は、キリスト教とギリシャ哲学とを融合させた、新しい形態のキリスト教を作ってしまったことである。
そこでこの記事は、オリゲネスを「信仰からそれてしまった者」と厳しく評価している。


ボランティア

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、ボランティアを取り上げた特集記事を掲載した。
2001年は、「国連ボランティア国際年」である。
この記事は、近年のボランティア活動の変貌と、エホバの証人によるボランティア活動を取り上げている。


若者と祈り

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、クリスチャンの若者にとって祈りがどのように助けとなるかを取り上げた記事を掲載した。
クリスチャンの若者は、神に祈るとき、「祈りによる奇跡」を期待してはならない。
「聖書時代でさえ、神の介入は決してありふれたことではありませんでした。ほとんどの場合に神は、奇跡的な介入によってではなく、「あらゆる知恵と霊的な把握力とにより、神のご意志に関する正確な知識に満たされる」よう助けることによって、ご自分の僕の祈りに答えられました。つまり、賢明な決定を下せるようご自分の民に知恵や知識を与え、霊的また道徳的に強めることによって、お助けになったのです。クリスチャンが困難な状況にあるとき、神は必ずしも試練を取り除くことはされませんでした。むしろ、試練を耐え忍ぶことができるよう、『普通を超えた力』をお与えになったのです」。
若者にとって、祈りの益の一つは、祈りにより感情を制御することができることである。
「残念ながら、今日、多くの人は極度の感情的な重圧のもとで生活しており、自制心を失いやすく、時には悲惨な結果を刈りとっています」。
しかし、クリスチャンの若者は、神に祈ることにより、そのような問題から守られると記事は指摘している。


レッドリスト

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、絶滅が危惧されている動物を紹介する教育記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が回顧録を掲載

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、2000年10月にアメリカ中を震撼させた殺人事件の遺族による回顧録を掲載した。


ミラノとトリノ

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、観光名所であるミラノとトリノを紹介する教育記事を掲載した。


エコノミークラス症候群

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、エコノミークラス症候群を取り上げた。


東京はナイロビに

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、温暖化によって、「1年に東京の気温が氷点下まで下がる平均日数は、20世紀中に95パーセント減少した」と報じた。
このままでは、東京の夏は現在のナイロビと同じくらいにまで熱くなってしまうという。


伝染病と軍事費

「目ざめよ!」誌2001年7月22日号は、伝染病を取り上げた小記事を掲載した。
「世界各国の政府が、一人につき5ドル(約600円)、つまり合計300億ドル(約3兆6000億円)を進んで保健医療に充てるなら、1999年の伝染病による死亡例1,300万件のほとんどは防げたはずです。これは相当な金額ですが、世界が他の活動に費やしている額と比較するなら、大した額ではありません。例えば、最近のある年の世界の軍事費は、一人につき144ドル(約1万7,300円)で、合計8,640ドル(約103兆7,000億円)に達しました」。
「軍備のための費用が、病気の蔓延予防の費用をどれほど上回っているか、考えてみてください。恐らく、伝染病の広がりを食い止めることは、全く人間の手に負えない問題でしょう。それは、資金不足のためではなく、もっと深いところにある理由のためです。結局、人間の政府は適切な優先順位を定めることすらできないのです」。


クリスチャンは「見せ物」

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、聖書のコリントへの第一の手紙 4章9節を論じる教訓的な記事を掲載した。
この聖句は、クリスチャンが、「み使いと人々」に対して「劇場の見せ物」となると述べている。
この記事は、その双方を読者が意識し、クリスチャンとしてりっぱに歩んでいくように勧めている。


クリスチャンの交友

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、「クリスチャンの交友はどれほど重要ですか」という記事を掲載した。


質問に備える

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、「もし、こう言われたなら」と題する話の筋書きを掲載した。
「宣教において、予期せぬことを言われたり、質問されたりしたとき、話題を終えたり会話を終わらせたりするのではなく、答えを述べるよう努めなければならない」と筋書きは指摘している。


「ものみの塔」誌がカレンダーを発行

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、アフリカーンス語、アルバニア語、アラビア語、アルメニア語、中国語、クロアチア語、チェコ語、デンマーク語、オランダ語、東アルメニア語、英語、フィンランド語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ヘブライ語、ヒンディー語、ハンガリー語、イタリア語、日本語、韓国語、ノルウェー語、ポーランド語、ポルトガル語、ルーマニア語、ロシア語、セルビア語、スロバキア語、スペイン語、スウェーデン語、トルコ語、ウクライナ語でカレンダーの発注を受け付けると告知した。


ものみの塔協会が大文字版の書籍を発行

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、ものみの塔聖書冊子協会が、「イザヤ書の預言」第1巻の大文字版を発行したと告知した。


クリスチャンとレジャー

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、「レジャーをふさわしい位置に保つ」と題する記事を掲載した。
クリスチャンに限らず、すべての人にとってレクリエーションはよいものである。
しかし、こういったものに「過度に時間をかける」なら、クリスチャンとしての健全な生活が損なわれてしまうと記事は指摘した。
そのような問題を抱えないためには、「節度と時制が必要です」と記事は論じ、レジャーを楽しむにあたっては、ものごとの優先順位を見定めるよう読者を諭している。


神への奉仕を拡大する

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、クリスチャンが奉仕の業を拡大することに焦点を合わせた記事を掲載した。


クリスチャンのスキル教育

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、「良いマナー―敬虔な民の特色」と題する教訓的な記事を掲載した。
「マナーの良さは、今日あまり見られなくなっています。クリスチャンは、敬虔な民として、他の人に対する敬意の欠けたこの世の態度を身に着けることがないように、用心しなければなりません」。
記事は、マナーが「神と隣人への愛に根ざしている」べきであると論じ、「その良いマナーは、作法の本に記されているような規則集から来るものではありません」と鋭く指摘している。


特別一日大会に備える

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、2001年9月以降、地域ごとに順次開催される、「エホバの証人の特別一日大会」のプログラムを告知する記事を掲載した。
大会の主題は、「神に服しなさい―悪魔に立ち向かいなさい」と題するもので、聖書のヤコブの手紙 4章7節に基づくものである。
記事によると、この大会では、クリスチャンが「(神の教えに対する)敬虔な服従」を示すことによって、悪魔に立ち向かえることが強調される。
特に、1.政府に対して、2.会衆で、3.職場で、4.家族の中で、クリスチャンが「服従」を示すべきことが諭されるという。


神権宣教学校の復習

「わたしたちの王国宣教」2001年8月号は、2001年5月7日から8月26日までの「神権宣教学校」の復習用紙を添付した。
復習では、生徒はこのような問題に答えなければならない。
「以下の文の正誤を答えてください―「会衆」という語は、ギリシャ語のエックレーシアを訳したもので、連帯や相互支援といった考えが含まれています」。
「以下の質問に答えてください―詩編 2編1節の、諸国の民が「つぶやき」つづけている「むなしいこと」とはどんなことですか」。
「正しい答えを選びなさい―モルデカイが「王の門に座っていた」(聖書のエステル記 2章19節から20節)ことは、彼が(a.王の護衛だった b.王に仕える役人の一人だった c.王に謁見するために待っていた)ことを示しています」。


「ものみの塔」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、2001年8月1日号において、「ものみの塔」誌のこれまでの発行言語数を、140から141に更新した。
なお、現在の「ものみの塔」誌の平均発行部数は2304万2000部となっている。


信仰と根拠

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、「確かな根拠があって信じていますか」と題する特集記事を掲載した。
この記事は、「宗教について言えば、誤った信条は過去の歴史において多大の害をもたらしてきました」と指摘した。
この記事は、宗教的な信条には危険が伴っていることがあることを指摘し、その危険を回避するために、幾つかの提案を行っている。
例えば、「以前の世代が信じていたことや行なったことに深く考えることなく固執するのは危険な場合もあります」と記事は指摘した。
あるいは、マスコミがよくない影響を与えることもあると指摘した。
人は「信じるための十分な根拠を見いだす」べきである。
記事は、「聖書はその教えに照らして自分の信条を調べるようわたしたちに勧めています」と述べ、読者に聖書を学ぶことを勧めている。


正しいことを見分け、円熟する

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、「あなたは『正しいことも悪いことも見分ける』ことができますか」ならびに「あなたの進歩が明らかになるようにしなさい」と題する、教訓的な研究記事を掲載した。
「日常の生活で行なう選択は、多くの場合、型どおりのもの、または些細なことと見なされがちです。しかし、献身したクリスチャンであれば、装いや身なり、食べるものや飲むもの、さらには語ることや行動で自分の選ぶものが、いつでも至高者エホバ神の僕にふさわしいものとなることに、深く心を用います」。
記事は、近年人々の間で見られている、善悪に対するゆるんだ見方に警告を発した。
「物事に寛容になって善し悪しを決めようとしないのが、この時代の趨勢になっています。どんなことも相対的に見られます。正邪の絶対の規範は、もはや存在しないとされるのです」。
「今日の社会で、裕福な人や有名人は尊敬すべき人と見られていますが、そのような人は往々にして、正直さや信義といった徳性に、ただ口で同意するにすぎません」。
一方、聖書は、「この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ、思いを作り直すことによって自分を変革しなさい」とクリスチャンを教えている。
そこで、クリスチャンは聖書を学び、「その教え、戒め、訓育から益を得るために、知力と思考力を働かせる」必要があると記事は指摘している。
続いて記事は、クリスチャンが身に着けるべき人格的な円熟について論じた。
「人の霊的な円熟は、さまざまな面で明らかになります。身体面では大人でも、話し方や行動の様子から、感情面や霊的な面で円熟していないことが現れる場合もあります。円熟の明確なしるしは、その人の行なう働き、つまり業と、生み出された結果から見て取れます。クリスチャンの円熟は、輝く光のようであり、内面だけの、あるいは隠れた特質ではありません」。
記事はさらに、クリスチャンの円熟とは、ただ単に個人の成長を意味しているのではないと指摘した。
「霊的に満ち満ちた状態は、個々の人が孤立していて達成されるものではありません。体全体が健全な成長を続けてゆくのでない限り、体のある部分が十分に発達することはありません」。
そこで、クリスチャンの個人の円熟をもたらすために、その会衆全体がまず健全でなければならない。
また、記事はこのように述べている。
「霊的に進歩するとは、ただ頭に知識を詰め込んで博学になることではありません。円熟したクリスチャンは、自分の優秀さを示して他の人をうならせようなどとはしません」。
「『信仰と正確な知識との一致』に達するのは重要ですが、自分の生活のあらゆる面で神の霊の実を表すことも同じく重要です。わたしたちが霊的な進歩を求めるのは、ただ精錬された印象を与えるためでも、体裁を飾るためでもありません。そうではなく、霊的に成長し、神の霊の導きに従うにつれ、わたしたちの態度や行動に素晴らしい変化が生じてくるのです」。


「ものみの塔」誌が小話を掲載

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、東南アジアに住むある女性が、どのようにしてエホバの証人となったかを紹介する記事を掲載した。


慣習は信仰の力

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、「良い慣習と悪い慣習」に焦点を当てた記事を掲載した。
聖書に出てくるヨブは、とがめがなく、廉直な人であり、「いつも」家族の祭司の務めを果たして罪を洗い流していた。
ダニエルは「常に」エホバに仕え、「いつも」エホバに賛美をささげていた。
一方、ディナは「いつも」異教徒たちのもとに遊びに行っていた。
どのような慣行を日頃から持っているかにより、人生は大きな影響を受ける。
では、クリスチャンは慣習の点でどうあるべきだろうか。
聖書は、クリスチャンが「同じ仕方で整然と歩む」べきと述べ、クリスチャンが聖書の教えを慣習とするよう命じている。
イエスの使徒たちは、「毎日」キリストの福音を宣べ伝えた。
イエスは「習慣に」聖書の朗読を行っていた。
クリスチャンはこの模範に倣うべきであると記事は読者を諭している。


「ものみの塔」誌が手記を掲載

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、イングランドの宣教奉仕者、ドルシラ・ケインによる手記を掲載した。


進歩の障害となるもの

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、「進歩の障害となるものを克服してください!」と題する、啓発的な記事を掲載した。
この記事は、エホバの証人と聖書を学び、聖書の言葉を神の言葉と受け入れるようになりながら、正式にバプテスマを受ける段階を踏めない人たちのために書かれてている。
この記事は、聖書研究生の読者が、「りっぱなことを行なう点であきらめない」よう勧め、「自分の考えや願いや言動を聖書の規準に合わせれば合わせるほど、自尊心や自信を培えるようになります」と述べて読者を励ましている。


ダニエルはどこに?

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、読者からの質問に答えて、「3人のヘブライ人が試みにあっていた時、ダニエルはどこにいたのか」という疑問点を論じた。
記事は、その答えは「断定できない」としている。


信仰と金

「ものみの塔」誌2001年8月1日号は、聖書が信仰を金と比較していることを取り上げた小記事を掲載した。
記事はこう述べている。
「信仰はまさに、金よりもはるかにすぐれた価値があります。しかし、信仰がそれほどのすぐれた価値を持つためには、証明される、つまり試される必要があります。事実、金に勝る価値があるのは、(聖書の中で)ペテロが言った「信仰の試された質」なのです」。


「目ざめよ!」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は、2001年8月8日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数を、83から85に更新した。
なお、現在の「目ざめよ!」誌の平均発行部数は2068万2000部となっている。


憎しみという疫病を断つ

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、「憎しみの悪循環を断ち切る」と題する特集記事を掲載した。
憎しみは世界的な疫病の様相を示している。
特に、見過ごすことのできないのは、憎しみをあおる点での宗教の果たした役割である。
「1990年代の大きな矛盾の一つは、親切や人間味のある思いやりを生み出すはずの宗教が、先頭に立って、憎しみ、戦争、テロリズムなどを助長する際だった要素となったことです」。
記事は、聖書から「あなた方の敵を愛しなさい」という言葉を引用し、読者一人一人が、聖書の教えによって憎しみの感情を克服できることを示している。


「目ざめよ!」誌が聖書クイズを掲載

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、聖書クイズを掲載した。
たとえば、このような問題が出題されている。
「ヤコブによれば、天的な知恵は個々の人の中にまずどんな特質を生み出しますか」。
「天幕や祭司の衣に用いられた染料の色にはどんなものがありますか」。
「アマサはアブサロムの側に付いてダビデに敵対したのに、なぜダビデは彼にヨアブの軍の長の地位を与えましたか」。


南北再会

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、新しく始まった、南北朝鮮の交流を取り上げた記事を掲載した。


アフリカハゲコウ

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、アフリカハゲコウを取り上げた教育記事を掲載した。


反キリストとは誰か

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、「反キリストとはだれですか」と題する論考を掲載した。
記事はまず、「反キリスト」について広く言われてきた誤解を正し、聖書が予告した反キリストとは、特定の個人を指しているのではないと指摘した。
記事によると、反キリストの定義は広く、キリストに関する真理に逆らう者すべてを指し、その中には偽キリストも含まれている。
最も広い定義における「反キリスト」とは反対者のことである。
記事は最後に、クリスチャンが反キリストに警戒し、信仰を弱められないようにする必要があると述べている。


「目ざめよ!」誌が闘病記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、強皮症という難病にかかり、死の淵を乗り越えて、現在も病気と闘いながら信仰のうちに生きている、マーク・ホーランドによる闘病記を掲載した。


日記をつけよう

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、日記をつけることの益を読者に教える記事を掲載した。


自分流の宗教

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、カトリック筋の話として、フランス国民が宗教よりも「自由な時間、仕事での成功、個人の自由、文化的生活、性生活、物質面での成功など」を重んじ、「自分流の宗教」を実践しているとの調査結果を明らかにした。


高齢者に対する見方を正す

「目ざめよ!」誌2001年8月8日号は、高齢者に関して読者の抱いているかもしれない誤解を正す記事を掲載した。
記事は、世界保健機関が高齢者を有用な人的資産と見なしていることを指摘し、高齢者の地位の向上に努めている。


若者と聖書

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、若者にとって聖書の教えがどれほど役に立つかを示す特集記事を掲載した。
例えば、このごろの若者は人間関係の問題を抱えがちなようだが、そのような問題に対処する上で聖書の教えは「本当に助けになります」と記事は指摘している。


ドイツのエホバの証人が勝利

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、ドイツの連邦憲法裁判所(最高裁に相当)において、エホバの証人が勝訴したと報じた。
エホバの証人は「政治的中立」を信条としているが、そのことが原因でドイツ政府は、エホバの証人のことを「国家に忠節でない危険な宗教団体」と考えるようになった。
しかし判決は、エホバの証人はクリスチャンの中立を実践するとき、民主主義の原理を攻撃してはおらず、民主主義を他の形態の統治と交代させたいと願っているのではないと認定し、エホバの証人の政治的立場を擁護した。


パリのエホバの証人

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、パリのエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。
パリでは、人々のライフスタイルの変化に伴い、家から家への聖書伝道では人々に会うことが難しくなっている。
そこで、パリのエホバの証人は、電話を用いた伝道活動を行うなどの工夫を行っているという。
フランスでは、エホバの証人に対する政府による攻撃が続いており、状況は難しいが、それでも、誤解を取り除くための特別なキャンペーンによって、事態は改善されているようである。


アブラハムの信仰

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、アブラハムの信仰を取り上げた一連の研究記事を掲載した。
クリスチャンがアブラハムの信仰から学べることは多くあると記事は指摘している。


記事を振り返る

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、「ものみの塔」誌の最近の記事の内容を振り返る記事を掲載した。


ヨブの試練の期間

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、読者からの質問に答えて、聖書に記されているヨブの試練はどれほどの期間続いたのかを考察した。
記事は、幾つかの根拠と推察に基づき、「ヨブの苦しみとそれからの解放は、数ヶ月ほどの内、長くても1年以内ではなかったかと考えられます」と述べている。


コンゴ・アフリカ記者協会優秀賞

「ものみの塔」誌2001年8月15日号は、エホバの証人が、「発展のためのコンゴおよびアフリカ記者協会」によってその教育活動の成果を認められ、「優秀賞」を受賞したと報告した。


心的外傷後ストレス

「目ざめよ!」誌2001年8月15日号は、心的外傷後ストレスを取り上げた特集記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌の発行言語数が増加

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は、2001年8月22日号において、「目ざめよ!」誌のこれまでの発行言語数を、85から86に更新した。
なお、現在の「目ざめよ!」誌の平均発行部数は2068万2000部となっている。


高齢者に対する見方を変える

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、高齢者に対する誤解を取り上げた教育記事を掲載した。


メテオラの修道院

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、ギリシャのメテオラにある修道院を取り上げた教育記事を掲載した。
ギリシャのメテオラは、平均300メートルの高さのある切り立った岩が林立する所で、その幾つかの頂上には修道院がある。
この修道院がどのようにして建築されたかは現在でもよくわかっていないという。


「目ざめよ!」誌が手記を掲載

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、日本人画家の川端静子による手記を掲載した。
この画家の作品の特徴は、聖書にある。
彼女は聖書をテーマとした絵画を描き続け、こうして著名になったが、それまでには様々な心の葛藤があったという。
「私にとって問題だったのは、聖書の言う事柄はみな正しいということや、聖書の導きに従うべきだということが分かってはいた、ということでした。心の葛藤のため、私の絵は駄目になっていきました。展覧会に出品しても、人目につかない片隅に追いやられてしまうようになったのです」。
しかし、彼女はこの問題を乗り越え、絵も素晴らしいものとなっていった。
「現在、私は、聖書の音信を他の人に伝える活動に自分の時間の多くを用いており、定期的に伝道に携わっています。み子イエス・キリストの支配のもとで地上を楽園にするという神の素晴らしい目的や、神の特質について話すと大きな喜びや満足感を覚えます。聖書の教えに基づくこうした活動は私を高揚させ、絵筆を取ってその感情を表現せずにはいられなくなります。私のその幸福感は年を追うごとに増し加わっているので、私の絵もいっそう明るくなっています」。
その結果、彼女の絵は世界的に注目されるようになった。
「パリのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの専門家たちは、「どうして日本人が聖書やキリスト教に感動し、これまでの宗教画に全く見られなかったような喜びを表現できるのか」と述べました」。
彼女は、「神の言葉の真実さを感じて喜びと幸福感で満たされているからこそ、私には絵が描けるのです」と述べている。


聖書通読を楽しむ

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、聖書通読を楽しむ秘訣を若者のクリスチャンに教える記事を掲載した。


シロアメリカグマ

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、シロアメリカグマを取り上げた教育記事を掲載した。


偽の化石

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、ウェールズ国立博物館に展示されていた、2億年前のものとされるイクチオサウルスの化石が偽物だったと報じた。


高地の湖が汚染される

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、標高の高いところにある湖は大気の汚染の影響を受けやすく、特にDDTの蓄積が激しいと報じた。


変わった墓

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、フランスのレクスプレス誌からの引用として、オートバイの形をした墓といった、ユニークな墓の需要が高まっていると報じた。


ロシアのエホバの証人が勝訴

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、エホバの証人の活動の禁止を求めて行われていたモスクワの裁判の判決が2001年2月23日に下され、エホバの証人が勝訴したと報じた。


寄贈された衣類は?

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、ドイツにおいて、貧しい人のためにと慈善団体に寄贈される毎年50万トンもの衣類が、実際には貧しい国には送られず、しかも売られていると報じた。


テレビとコンピューターと子供たち

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、ベルリナー・モルゲンポスト紙からの引用として、テレビとコンピュータが子供のコミュニケーション能力や他の能力の発達の妨げとなり、20代や30代でひどい物忘れをする人や、重要なこととそうでないこととを区別できない人を生み出していると指摘した。


家庭を選択する父親

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、仕事よりも家庭を優先する父親たちを取り上げた小記事を掲載した。
この記事は、そのようにして家庭を選んだ父親に育てられた子供は、問題行動が減り、社交性は向上し、学績も向上すると指摘している。


しつけと家出と性的虐待

「目ざめよ!」誌2001年8月22日号は、イギリスにおいては毎年10万人もの子供が家出をし、その7人に1人が、暴力や性的暴行の犠牲になったと報じた。
記事は、親たちが子供のために世話をしたりしつけたりすることの必要性を説き、ものみの塔聖書冊子協会の発行する「幸せな家庭を築く秘訣」の本の、「幼いときから子供をしつける」、「伸び伸びと成長するよう十代の子供を援助する」、「ご家族を破壊的な影響から守ってください」といった記事を考慮するよう読者に勧めている。


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