JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
2004年版(1)
2004年10月1日更新

引用文は適宜語尾等を修正しています

エホバの証人の年鑑2004年版刊行される

 エホバの証人の法人団体であるものみの塔聖書冊子協会は、「エホバの証人の年鑑」2004年版を刊行した。この年鑑はエホバの証人の2003奉仕年度(9月から8月)の活動を報告するものとなっている。
 年鑑の報告によると、現在エホバの証人が活動している国とエリアは235、支部の数は109、会衆の数は9万5919である。さらに、聖書伝道者の数は2.2パーセント増加し642万9351名に、費やされた聖書伝道の時間は12億3479万6477時間(14万0959人年)となった。エホバの証人最大の祝祭であるキリストの死の記念式には1609万7662名が出席したという。
 出版面の業績として、「地上での生活を永遠に楽しんでください」の冊子が299の言語で累計1億3900万冊、「永遠の命に導く知識」の書籍が161の言語で累計9300万冊、「神はわたしたちに何を求めていますか」の冊子が267の言語で累計2億冊発行された。また、18の手話言語で聖書研究のビデオが発行された。現在、ものみの塔聖書冊子協会が発行する出版物の言語数は390になるという。
 また、世界各地において32の国際大会が開催されたという。この大会や他の地域大会においては、聖書地図や子供向けの教育書が発表された。
 5月20日にコソボが、22日にルーマニアがエホバの証人を認可した。6月17日には、アメリカの最高裁において信教の自由に関する「歴史的な判決」が下された。エホバの証人の行う聖書伝道を自治体が制限することはできないことが示されたという。また、2月1日には、ヨーロッパ人権裁判所がエホバの証人によって提出された新たな人権侵害の訴えを受理した。
 一方で、エリトリア、グルジアなどの国ではエホバの証人に対する迫害が続き、証人たちは投獄されたり暴徒に襲われたりしているという。
 年鑑は、エホバの証人の印刷施設群の再編事業、支部施設、大会施設、教会施設の建設事業についても報告した。
 年鑑は、世界各国からの様々な報告を掲載している。また、モルドバ、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国(ザイール)におけるエホバの証人の活動の詳細な記録を掲載している。


「ものみの塔」誌が発行部数を更新

 ものみの塔聖書冊子協会の発行する「ものみの塔」誌は、2004年1月1日号において、毎号の平均発行部数を2520万3000部から2561万8000部へと更新した。また、同誌の発行言語数を147から148に更新した。


平和の希望

 「ものみの塔」誌2004年1月1日号は、平和の希望をテーマとした特集記事を掲載した。
 記事は、「真の平和のためには地上の一地域だけではなく世界中で戦争が終わらなければならない」と述べ、さらに、鋭くこのように指摘した。
 「結局のところ戦争の炎を燃え上がらせているのは、銃弾やライフルというより、憎しみや貪欲です。こうした破壊的な感情を除き去るために、人々は自らの考え方を変えなければなりません。平和な生き方を教育される必要があるのです」。
 記事は、現代人が「平和の尊さではなく戦争の華々しさを教えられている」と指摘した。どのようにしてであろうか。暴力的な娯楽を通してである。
 「我々の感覚は鈍くなっており、人に痛みや苦しみを与えることを娯楽とするところまで来ている。嫌悪感を抱くどころかそれを疑似体験して楽しむようになっている。我々は殺人を学んでいるのであり、殺人を好むようになっている」。
 記事は、そのような過ちを避けるために聖書に基づく教育が有用であることを説き、また、聖書の描く平和な未来像を紹介している。


神の栄光を広める

 「ものみの塔」誌2004年1月1日号は、神の栄光を広めるというクリスチャンの果たすべき神聖な役割に焦点をあてた研究記事を掲載した。
 記事は、神の栄光を広めるためには「単なる言葉以上のものが必要」と指摘した。心がこもっていることと、その心が行動に表れていることが重要である。聖書伝道に携わり、「聖霊によってわたしたちのうちに生み出される神の至上の特質」を培わなければならない。
 「本当のクリスチャンは、宣べ伝える業に加わらねばなりません。その業は信仰と不可分の関係にあるからです。真のクリスチャンすべては主イエス・キリストに対する生きた信仰を培い、その信仰を他の人たちに公に宣明するよう動かされます。そうでなければ、その人の信仰は死んだものです」。
 記事は、エホバの証人はまさにそのような信仰を実践していると指摘し、エホバの証人の読者を鼓舞している。


トム・クックの手記

 「ものみの塔」誌2004年1月1日号は、ウガンダ、パプアニューギニア、そしてソロモン諸島で宣教者として奉仕した、トム・クック(男性)による手記を掲載した。
 彼は信仰に基づいて兵役を拒否し、12カ月の刑を宣告されたという。その後、結婚して英国からウガンダへと渡り、聖書伝道に勤しんだ。
 1971年に独裁軍事政権が樹立されるとエホバの証人の活動は禁止されてしまった。それでも彼は妻と友に聖書伝道に従事したという。
 8年の活動の後、パプアニューギニアへ移転した。その後、オーストラリア、ソロモン諸島で宣教活動を行った。
 ソロモン諸島では2000年に軍事クーデターが生じた。その時の様子について彼はこのように語っている。
 「数週の間、大会ホールは避難民収容センターになりました。対立する部族から来たクリスチャン兄弟たちが大会ホールの屋根の下で一つの平和な家族として暮らしているのを見て、当局者は驚きました。過激派でさえエホバの証人の中立を尊重しました。そのため、わたしたちは一人の指揮官を説得して、敵陣の背後で孤立してしまった少人数の兄弟たちにトラックで文書や他の物資を届ける許可を得ることができました」。
 彼は最後にこう述べている。
 「わたしたちは宣教者精神を保つことによって、祝福の多い、実り豊かな人生を楽しんできた、と心から思います」。


創世記の要約

 「ものみの塔」誌は2004年1月1日号から、聖書全巻の解説を行う連載記事の掲載を開始した。
 第一回は創世記1章1節から11章9節までを扱っている。


神に祈りによって近づく

 「ものみの塔」誌2004年1月1日号は、祈りによって神に近づくよう読者に勧める小記事を掲載した。


「目ざめよ!」誌が発行部数を更新

 ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌は、2004年1月8日号において、毎号の平均発行部数を2275万5000部から2253万0000部へと更新した。また、同誌の発行言語数を85から87に更新した。


気分障害

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、気分障害を取り上げた特集記事を掲載した。
 記事は、現代の気分障害の広まりについて指摘した後、「生化学的な要因」について触れ、「うつ病は単に積極的な見方をするだけでは治せないことがある」と述べた。また、双極性障害について「それを本人としてはほとんど制御できない」と述べた。
 記事は気分障害に対する理解が大きく前進してきたことを指摘し、その理解に基づいて、「うつ病は医学的な問題であって霊的(精神的)な問題ではありません」と述べた。
 記事は、気分障害を抱えている人が助けを求めるべきこと、そのような人に対しても聖書が慰めとなること、人々がどのようにその人の助けとなるかを説いている。


温泉

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、日本の温泉を取り上げた教育記事を掲載した。


車の整備と修理

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、車の整備と修理の技術を身につけるよう指南する教育記事を掲載した。


ナバホ族のエホバの証人

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、アメリカのナバホ族の保留地でのエホバの証人の活動を取り上げた記事を掲載した。
 記事によると、現在この保留地にはエホバの証人の会衆が4つある。証人たちはナバホ語の聖書文書を用いて一族への聖書伝道を行っており、王国会館(教会施設)もあるという。


デイデスミレ

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、悪条件に耐えて成長するデイデスミレの強さをクリスチャンの信仰の強さに例える小記事を掲載した。


外交と平和

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、平和を達成するための一手段としての外交に焦点をあてた考察を掲載した。
 「聖書の記述は、顔を合わせて交渉するなら平和を実現できるということを例証しています」。
 しかし、実際にはそのようにならないことの方が多いと記事は指摘した。それはなぜだろうか。記事は聖書から答えた。
 「聖書は、今の時代が問題の多い時代になることを予言していました。悪魔サタンの邪悪な影響力のゆえに、人々は、容易に合意することなく、粗暴な者、善良さを愛さない者、裏切る者、片意地な者、誇りのために思い上がる者となるのです」。
 「外交官たちは衝突を回避しようと尽力するかもしれませんが、それぞれの外交官の主な目的は自国の利益を図ることです」。
 「世界の外交官たちには、その動機はどうあれ、恒久的な解決策を生み出す能力も力量もありません」。
 最後に記事は、「平和実現のための外交に期待しても失望する結果に終わるだけです」と述べている。


皮膚

 「目ざめよ!」誌2004年1月8日号は、皮膚の抗菌ペプチドを取り上げた小記事を掲載した。


地域大会を振り返る

 「わたしたちの王国宣教」2004年1月号は、昨年開かれた国際大会もしくは地域大会での教育内容を振り返る記事を掲載した。
 記事はこのように述べて読者を励ましている。
 「大会で提供されたすばらしい霊的教えについて黙想すると、学んだ事柄を実行するよう動かされます」。


王国会館の管理

 「わたしたちの王国宣教」2004年1月号は、エホバの証人の教会施設である王国会館の維持管理について指導する記事を掲載した。


集会の時間

 「わたしたちの王国宣教」2004年1月号は、集会を予定通りの時刻に開始し、予定通りの時刻に終えることの大切さを説く記事を掲載した。


時間の用い方

 「わたしたちの王国宣教」2004年1月号は、賢い時間の用い方をすることに焦点をあてた記事を掲載した。
 「時間と労力を節約できる様々な機械の普及したこの時代にあって、なすべきことが以前よりも増え、それをするための時間が足りないように感じている人は少なくありません」。
 「わたしたちは皆、時折、時間の用い方を吟味してみるべきです」。
 「漫然とインターネットを閲覧したり、テレビを見る時あてもなく次々とチャンネルを変えたりしていないでしょうか。コンピューター・ゲームに没頭していないでしょうか」。
 記事は、そのような時間の幾らかを削って聖書の研究に振り向けるように読者を諭している。


約束

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、約束と信頼をテーマとした特集記事を掲載した。


神の偉大さ

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、神の愛と偉大さを考える研究記事を掲載した。
 記事によると、神の偉大さはひとつに、「罪ある者に憐れみを示す謙遜さ」に見られているという。記事はこう述べている。
 「エホバの善良さと義にかなった支配の仕方のゆえに、神の崇拝者たちは大きな喜びを感じ、賛美をほとばしらせずにはいられなくなります」。


地域大会

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、昨奉仕年度中世界各地で開かれた「神に栄光」地域大会の内容を振り返る記事を掲載した。


創世記の要約

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、聖書を要約する連載記事を掲載した。
 記事は創世記11章10節から36章43節までを扱っている。


ユダの罪

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、聖書の創世記に記されているユダの罪についての考察を掲載した。
 記事は、神殿娼婦と関係を持とうとしたユダは間違ったことをしようとしたが、結果的には罪にならなかったと述べている。


鋳物の海

 「ものみの塔」誌2004年1月15日号は、聖書にでてくる「鋳物の海」について注解した。
 この鋳造物は巨大だったため、製作にはたいへんな技術力が必要だったようである。記事はこう述べている。
 「この鋳造工程はロストワックス法に似たものであったに違いない」。
 「おそらくその工程では、溶かした金属を鋳型に流し込むために、幾つかの溶鉱炉を連結して使うことが必要だったでしょう」。


神の名前

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、神の名前に注目する特集記事を掲載した。
 記事は、「聖書の神を信じているという多くの人が神の固有の名を用いていない」と指摘した。しかし、過去には神の名前が普通に使われた時期があった。
 「1934年に造られたドイツの硬貨にはエホバという名がはっきりと刻まれていました」。
 「アメリカ独立革命時、アレンは敵軍に対し、「偉大なるエホバの名において」降伏するよう要求しました」。
 記事は、なぜ神の名前“エホバ”が用いられなくなったのかを詳しく説明し、神の名前を使用する意義についても述べている。


宿題

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、宿題をする時間を作るよう学生の読者を諭す教育記事を掲載した。
 記事は、「勉強の時間を作るには、何かをあきらめる必要がある」と率直に指摘した。インターネットやテレビや電話などに費やす時間はそのような要素であるという。


築地魚市場

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、築地魚市場を取り上げた教育記事を掲載した。


オールトン・ウィリアムズの手記

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、原子物理学者でありエホバの証人でもある、オールトン・ウィリアムズ(男性)による手記を掲載した。
 「わたしの人生における二つの大きな出来事が1978年に生じました。9月に原子物理学者として学位を受け、12月にエホバの証人の奉仕者として叙任されたのです」。
 「たいていの人は、わたしが科学者であると同時にエホバの証人であることを知ると、科学の知識と聖書に対する信仰をどのように両立させているのかと不思議がります」。
 彼は自分がエホバの証人になったいきさつをこう語っている。
 「妻が宗教に入りたいと思うのは構いませんでしたが、エホバの証人だけはだめでした。聖書を使って人をだますあやしい団体だという先入観を持っていました。妻は証人たちに言いくるめられていると思ったので、科学の知識でエホバの証人の教えの間違いを明らかにして妻を救い出してやろうと考えました」。
 「証人が置いていった本を読み始め、正直なところ、その内容に感銘を受けました。論理的に書かれており、進化に関する科学文献からの引用が数多くなされていたのです」。
 彼はエホバの証人になった後、1983年からNASAのマーシャル宇宙飛行センターで働き、チャンドラX線天文台のプロジェクトに従事したという。
 「その間ずっと、X線天文物理学の研究に基づく新情報を次々と科学雑誌に発表していました。それと並行して、クリスチャン会衆でも活発に奉仕していました」。
 彼は、エホバの証人としての活動を拡大するために、NASAに勤務時間を調整するよう申し入れを行った。NASAでは異例の申し入れだったが、それは尊重され、彼は「喜ぶと共に驚いた」という。
 最後に彼は、「神に対する信仰は感情的な体験に過ぎない」という意見に反論し、「神と聖書に対する信仰は検証可能な事実に基づいている」と述べている。


ナマカランドの花畑

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、南アフリカの乾燥地域ナマカランドの雨期と植物群を取り上げた教育記事を掲載した。


外来語だらけ

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、日本語に大量の外来語が流れ込んでいるため、現在の日本語が年寄りには理解できないという状況が発生していると指摘した。


スロベニアの“エホバ”

 「目ざめよ!」誌2004年1月22日号は、スロベニアの教会施設に彫刻された神の名“エホバ”を幾つか紹介する記事を掲載した。


霊的福祉と幸福

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、人の宗教的な必要を説く特集記事を掲載した。
 記事はまず、「健康の維持には、単に身体的必要を満たす以上のことが関係しています」と指摘した。
 「医学研究が示すところによれば、身体的健康は霊的健康、つまり霊性の有無と密接に関連しています」。
 記事の指摘によると、宗教心を持つ人はそうでない人に比べて血圧やコレステロール値が低くなるようである。さらに記事は、宗教を信じる人の自殺率は低いと指摘した。
 一方で、記事はこのようにも指摘している。
 「世俗化の進んだ社会では、若者たちの多くも宗教と霊性との間の隔たりに気づいています」。
 宗教であればかならず霊性を備えているわけではないので、人は宗教をよく考えなければならない。記事は、聖書に基づく宗教には霊性があると説いた。
 「神は、わたしたちが正しい決定を下して、身体的にも霊的にも有害な慣行を退ける助けとなる良心、つまり内なる声を与えてくださいました。わたしたちの良心は、正常に機能するためには、健全な霊的食物で養われる必要があります」。
 記事は、補足的な点としてこのようにも指摘している。
 「聖書に根ざした真の宗教は、不寛容で分裂を引き起こすのではなく、非常に受容的であるのです」。


クリスチャンの祈り

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、祈りに焦点をあてた一連の研究記事を掲載した。
 祈りにおいて非常に大切な要素は、祈りの対象である天の父が持っている愛と、その神に対する信者の愛である。この愛に動かされて、クリスチャンは「エホバの聖なる名にそしりをもたらすようなことは何もしたくないという気持ち」になると記事は論じた。
 「献身したクリスチャンであるわたしたちは、イエスのように、神のご意志を行なうことを喜びとします。そして、エホバのご意志に反すると分かっていることはしないように努めます」。
 さらに記事は、クリスチャンが祈りによって神の王国の到来と神のご意志の遂行とを求めるべきことを説いた。
 「わたしたちは、神の王国が来てサタンの邪悪な事物の体制を倒すのを見たい、と切に願っています」。
 「暴力、不正、病気、死などに悩まされている今日の地上でエホバのご意志がなされている、と言えるでしょうか。とてもそうは言えません。ですから、神のご意志が地上でも行なわれることを真剣に祈り求めるべきなのです」。
 クリスチャンは他にどのようなことを祈るだろうか。パンを求める祈り、罪の許しを求める祈り、試練からの救いを求める祈り、邪悪な者から守られることを求める祈りが挙げられる。
 「わたしたちは、エホバがみ子を通して供給してくださる霊的食物で日ごとに自分を養う必要があります。そのためにイエスは、「忠実で思慮深い奴隷」を任命して信仰の家族に『時に応じた食物』を備えてこられました」。
 「わたしたちは、一日の間に罪をおかしたことに気づくかどうかにかかわりなく、日ごとの祈りの中で罪の許しをお願いする必要があります」。
 「祈りの誠実さを証明するためには、許しを求める願いを「悔い改めにふさわしい業」によって裏書きしなければなりません」。
 最後に記事は、クリスチャンが「祈りのうちに目覚めているべき」という聖書の概念の意味するところ(この概念はハルマゲドンの教理の発展的概念である)に触れ、エホバの証人の読者に励ましの言葉を述べている。


終わりの日とハルマゲドン

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、終わりの日とハルマゲドンとに注目する内容の研究記事を掲載した。
 記事は、この時代に人類はたくさんのよい変化を遂げてきたと指摘した。
 「幾つもの国で平均寿命が延びました。ラジオ、テレビ、ファックスが普及しました。教育、輸送と交通、人権などの面でも進歩しました」。
 しかし、記事はその一方にある悪い変化にも注目した。
 「犯罪発生率の上昇、道徳的価値観の低下、麻薬乱用の広まり、離婚率の急増、物価の高騰、テロの脅威の増大などを無視することはできません」。
 記事は、エホバの証人の支持する、1914年終末説の概要を説明した。聖書によると、ユダヤ人のバビロニア捕囚の期間は(学者たちがおよそ50年と言うのに対して)70年である。そこで、まず、西暦前537年から70年をさかのぼった年代を算出しなければならない。そこから、聖書が「諸国民の定められた時」とする2520年を計算する。すると西暦1914年という年代が計算される。
 記事は、「1914年以来の世界の出来事は、聖書の年代計算に基づく上記の理解が正しいことの確証となります」と論じた。
 では、ハルマゲドンはいつ来るのだろうか。記事は率直に、「それがどの日、どの時刻なのかは分かりません」と述べた。
 そこで記事は、クリスチャンが「一日一日を意味あるものにしなければならない」と説いている。ハルマゲドンは今日にも明日にも来るかもしれないからである。


フェイ・キングの手記

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、宗教をいろいろと調べ、エホバの証人の信仰に至ったというフェイ・キング(女性)による手記を掲載した。
 「1950年に朝鮮戦争が勃発して、いろいろと考えさせられました。自分の国が侵略されれば、敵を愛するようにというイエスのご命令にどのように従えるでしょうか」。
 「福音伝道師ビリーグラハムの集会で、わたしは幾人かの聖職者に質問しました。「戦争に行って敵を殺しておきながら、どうしてクリスチャンであり敵を愛することができるでしょうか」。その場は突如、騒然となりました。どうやら皆がその疑問に悩まされていたようです。しばらくしてやっと聖職者が言いました。「その疑問の答えは分かりません。まだ考えているところなのです」。」
 「ある日、英国国教会の牧師を引退した人に出会い、同教会が世の終わりについて何と述べているかを訪ねました。その人の答えには驚きました。「エホバの証人ほど聖書をよく知らないので、それについては時間を取って調べてみなければなりません」と答えたのです」。
 彼女はやがてエホバの証人となり、宣教奉仕を志してパキスタン、インドへと渡った。また、中国で聖書伝道を行ったために逮捕投獄された後に釈放された宣教者と結婚した。
 1976年にはひどい病気にかかり、輸血を拒否したために苦境に陥ったという。その時の様子について彼女はこのように回顧している。
 「看護婦たちは、命を捨てる権利はあなたにないと言いました。その日に予定されていた手術は12件あり、そのうちの10件は堕胎手術でした。しかしその妊婦たちに、自分の赤ちゃんの命を奪うことについて話す人は誰もいませんでした」。
 彼女は転院し、そこで無輸血の手術を受けたという。
 現在、彼女はイギリスで中国語での聖書伝道に励んでいるという。


不安に対処する

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、不安に対処するということを考える記事を掲載した。
 記事はまず、現実の不安に対処する間違った方法があることを読者に紹介した。
 「「この先どうなるか心配してもしょうがないでしょう。今日は今日、明日は明日」。このように、運命論的で「ただ食べたり飲んだりしよう」という態度は、失望と苦難に、そして最終的には死に至るだけです」。
 そこで記事はこのように説いた。
 「神の言葉聖書を調べるなら、生活上の不確かな事柄に対処するための健全な助言や指針を見いだすことができます」。
 「聖書は人生に対する現実的な見方を示しており、不確かな事柄や変化に対するふさわしい態度を培うのに役立ちます」。
 記事は、キリスト教の正しい信仰と不安との関係について、興味深くもこのように述べている。
 「真のクリスチャンであるわたしたちは、狂信的あるいは独断的な人となるのではなく、謙遜で道理になかった人でありたいと思います。しかし、だからといって、自分の信じている事柄や将来に期待する事柄に関して不安を抱いているわけではありません」。


エホバの証人は正直

 「ものみの塔」誌2004年2月1日号は、エホバの証人が正直者の宗教であることを宣伝する記事を掲載した。


睡眠不足

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、睡眠不足から生じる「睡眠負債」という症状を扱った特集記事を掲載した。
 睡眠負債が生じる理由の一つとして、「多くの国々で、睡眠を取るはずの時間帯に人々はテレビの深夜番組を見たりインターネットにつないだりしています」と記事は指摘している。


聖書クイズ

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、21問の聖書クイズを掲載した。


 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、雨をテーマとした教育記事を掲載した。


血液型と人格

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、血液型と人格との関連性について考える批判的な論考を掲載した。
 記事は、血液型がどうであろうと、人は努力して自分の人格特性を変えることができると指摘した。また、人と付き合うときに「“相性のよい”血液型」という概念に影響されることは一種の差別思想であることをやんわりと指摘している。


オーストラリアの野生ネコ

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、オーストラリアに生息する野生のネコを取り上げた教育記事を掲載した。


花火

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、花火を取り上げた教育記事を掲載した。
 花火は中国で発明されたが、軍事目的で用いられることはなかった。しかし、花火がヨーロッパに入ると、その技術は戦争のために転用されるようになった。また、ヨーロッパのキリスト教は、花火職人の守護聖人を立てたという。


メキシコの服飾

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、メキシコの先住民族の服飾を取り上げた教育記事を掲載した。
 補足的な点として、記事は、「メキシコには、先住民族の言語を用いるエホバの証人の会衆が219あります」と述べている。


スペインの子供番組

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、スペインにおいて、テレビの午後の番組から子供向け番組がなくなってしまったと指摘した。「子どもはテレビ局にとって十分あてにできる視聴者ではない」からである。「その結果児童は、もはやアニメのキャラクターの話をせず、代わりに人気歌手やゴシップ番組について話す」ようになっているという。


無条件の愛

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、「目ざめよ!」誌の過去の号において、「無条件の愛」という表現が用いられたことに対する一読者の意見を掲載した。
 これまで、エホバの証人の出版物は「無条件の愛」という表現をあまり用いず、代わりに「無私の愛」などの表現を用いてきた。
 読者は、「無条件の愛」という表現が用いられたことについて、「子どもと大人が、愛し愛される権利があるかのような態度を取る場合、価値観は低下するのが常です」と指摘した。それに対して「目ざめよ!」誌はこう答えている。
 「「無条件の愛」という言葉を用いたのは、親の愛は、何か失敗をしたら愛されなくなるとか、何でも完璧に行なわなければ愛してもらえないと子どもが感じるようなもろい、または不安定なものであってはならないということを示すためでした」。


国連環境計画

 「目ざめよ!」誌2004年2月8日号は、国連環境計画(UNEP)について考える小記事を掲載した。
 人間によって引き起こされている「人災」が地球環境を損なっているが、これに対して国連環境計画は一定の成果を上げてきた。しかし、いまだに環境破壊の脅威は強力である。
 記事は、環境破壊の問題を解決する神の力に読者の注意を引き、「神はやがて地のすべての生き物を祝福することを保証しておられる」と述べている。


集会への出席

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、クリスチャンの集会に出席することの重要性を説く記事を掲載した。


非信者を助ける

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、夫婦の片方が信者で片方が非信者であり、非信者が信仰において進歩し損なっている傾向が見られる場合に、信者である側がどのように非信者の側にアプローチすべきかを考える記事を掲載した。
 そのような人は、たいてい、クリスチャンが克服するべきとされる幾つかの習慣(タバコなど)がやめられなかったり、聖書伝道に参加する勇気がなかったりするようである。
 記事は、信者である側が、そのような配偶者に思いやりと実際的な助けとを示すべきことを説いている。


春の聖書伝道

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、春の時期に聖書伝道に励むよう読者を励ます記事を掲載した。
 「わたしたちは、エホバへの愛やエホバがしてくださったすべての事柄に対する感謝に動かされて、エホバについて他の人に告げ知らせます」。
 記事は、4月4日に予定されいるキリストの死の記念式に読者の注意を引いた。
 「エホバの愛の最大の表明は、み子をわたしたちのために贖いとして与えてくださったことです」。
 そこで記事は、特にこの時期に、人々を記念式に招待し、キリストへと導かれるよう援助すべきことを説いている。
 「この記念式の時期に、わたしたちは宣教奉仕を拡大するために特別な努力を払うことによって、エホバのくすしいみ業に対する感謝を示すことができます」。


エホバに近づく

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、2004年3月から始まる、群れごとの「エホバに近づきなさい」の本の研究のスケジュールを掲載した。


神権宣教学校の復習

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、この1月と2月の神権宣教学校の復習のための問題用紙を掲載した。


クリスチャンの責任を果たす

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、クリスチャンの責務について考える記事を掲載した。
 記事は、「聖書的な責任を果たそうとするときに、圧倒されるように感じることもある」と指摘した。
 しかし記事は、「エホバが道理にかなわない要求を課すことはない」と指摘し、「神に仕えるための最善の努力が、状況ゆえに限られたものであっても、神はそれを憐れみ深く受け入れてくださいます」と述べて読者を励ましている。


雑誌配布

 「わたしたちの王国宣教」2004年2月号は、2月の雑誌配布活動に際して、用いることのできる話題を提案した。
 「たいていの人は、宗教の名のもとに行なわれてきた悪い事柄のために心を痛めています」。
 「宗教団体には幻滅を感じていると言う方もいます」。
 記事は、伝道者が人々にこのように語りかけ、聖書を開いて人々に訴えるよう指導している。


宗教の果たす役割

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、宗教が社会に与えた影響について考える特集記事を掲載した。
 「偏狭、邪悪さ、非人道的行為、頑迷さなどは、歴史を通じて世界のおおかたの宗教に見られる、という人は少なくないでしょう。その人たちは、宗教は人類の恩人のふりをしているだけで、徳や神聖さという仮面をはがせば、うそや偽善でいっぱいだと考えます」。
 「新聞を見ると、宗教指導者が愛や平和や同情心を説きながら憎しみの炎をあおり、神の名を唱えて残忍な闘争を正当化している、という記事が数多く載っています。多くの人が、宗教は生活において破壊的な力になることのほうが多い、と思うのも不思議ではありません」。
 記事は、このような意見にある程度同意し、「宗教は人を啓発し鼓舞するはず」だが「実際には争いや不寛容や憎しみを生むことの方が多い」と指摘した。
 「それらの体制は「“宗教”の外観」を有してはいても、生み出す悪い実によって自らの実態をあらわにしています。宗教は、人類の諸問題を解決する助けになるどころか、実際には問題の一部となっています」。
 そこで記事は、キリスト教の正しいありかたを説いた。
 「イエスの教えは、人の良心を麻痺させたり、頭を現実逃避的な幻想で満たしたりするようなものではありません」。
 「真のクリスチャンは、単なる口先の信心深さによってではなく、神の聖霊が生み出す数々の魅力的な特質を反映した信仰によって見分けられました。それらの特質の中でも特に際立ち、本物のキリスト教を見分けるしるしとなるのは、愛という崇高な特質です」。
 さらに、記事は厳しく次のように述べた。
 「まやかしのキリスト教は、数世紀にわたる全くの蛮行や、それに続いてこれまで幾世紀もキリスト教世界を包んできた霊的(精神的)な闇に対する責任を負っています」。
 結論として記事は、「人類の諸問題のすべての源は宗教にあると言うことはできません」と述べている。


祈りと慰め

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、祈りによって神に語りかけ、慰めを得ることをテーマとした論考を掲載した。
 記事は、困難な状況には、「ある程度耐えていく必要がある」と指摘した。
 神に祈ることにより、人は苦痛の中でも「精神の平衡を保つ助け」を得られると記事は指摘している。


心の貞潔さを守る

 今の時代、心の貞潔さを守っているという人はいったいどれほどいるだろうか。「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、「心を守って貞潔を保ちなさい」と題する教訓的な研究記事を掲載した。
 「今日では、自分の貞潔さを軽く見る人があまりにも多くなっています。貞潔さという財産のほんとうの価値に気づいた時にはもう手遅れ、という人が少なくありません」。
 記事はこのように読者を教えた。
 「貞潔さを保つかぎは、心を守ることです。自分の心を守らない人は、内面の欲望や衝動に振り回され、破滅に至る人生を送ることになります」。
 記事は、「貞潔さの真の価値を熟考する」よう読者に求めている。


欺きの教えに警戒する

 この世の中には様々な価値観があふれている。そのことは何を意味しているだろうか。「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、「欺きに警戒しなさい」と題する研究記事を掲載した。
 「今日の世界では、偽りや欺きがごく普通になっています」。
 「クリスチャンであるわたしたちは、人を惑わして真理からそらせかねない考えに用心しなければなりません」。
 記事は、クリスチャンが特に避けるべき偽りとして、“背教者”の教えに読者の注意を引いた。
 記事は、エホバの証人に反対する人たちが、「目的を遂げるために、事実の歪曲、半面だけの真実、あからさまな虚偽といった方法に訴え」、「疑うことを知らない子どもを家族から連れ去る誘拐犯のように、人を信じやすい会衆の成員をえじきにし、群れから連れ去ろうとしている」と指摘した。
 では、どのうようにこれに対処できるだろうか。記事は、「背教者の語る論議に近づかないようにする」ことを読者に勧め、同時に、興味深くもこのように語った。
 「それと同時に、神の目的に関する自分たちの知識が完全なものではないこと(エホバの証人には間違いがあるということ)をわたしたちは認識します」。
 記事は話題を変え、自己欺瞞のわなに読者の注意を引いた。
 「自己欺瞞は容易にわなとなりかねません。不実な心は、理屈をこねて人格上の重大な欠陥をごまかしたり、由々しい罪の言い訳をしたりします」。
 そこで、記事は鋭くこのように読者を諭した。
 「人間の良心は必ずしも信頼できるものではないということを銘記する必要があります」。
 また記事はこのように指摘した。
 「サタンは様々な偽り(この世界のさまざまな価値観)を用いて、、快楽を求める人々がしばしば苦い結果を刈り取っているにもかかわらず、不道徳なライフスタイルを追求しても何も害はないという考えを広めています。しかし、賢い人は、他の人の失敗から学びます」。
 最後に記事は、「わたしたちは聖書および「忠実で思慮深い奴隷(ここでは、エホバの証人の統治体の意)」による聖書に基づく出版物によって警告を与えられているので、あらかじめ備えを固めておくことができます」。


イースター島の大会

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、イースター島で開催されたエホバの証人の大会の様子を紹介する記事を掲載した。
 記事によると、現在、イースター島には32人の聖書伝道者がいるという。そこに島外からの訪問者が加わって大会が開催された。
 イースター島でエホバの証人が大会を開いたことはいろいろな意味で宣伝になったようである。
 「車で大会に向かう途中、幾人かの代表者は自分たちの訪問について地元の司祭が話しているのをラジオで聞いて、驚きました。世の終わりが近づいているという話をするために大陸から来た観光客が家々を訪問するだろう、と司祭は言いました。そしてそれら訪問者の話に耳を傾けないようにと教区民に強く勧めました」。
 記事によると、イースター島の人々は親切で友好的であるため、そのような宣伝にもかかわらずエホバの証人の話を聞いてくれるという。


信仰の戦い

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、クリスチャン信仰の戦いの幾つかに焦点をあてた記事を掲載した。
 記事は、クリスチャンが退けるべきものとして、背教者の宣伝、不道徳なテレビや映画などを挙げている。


オリーブの木

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、ノアの大洪水の物語の中に出てくるハトとオリーブについての論考を掲載した。
 ハトはどのようにしてオリーブの葉を得たのだろうか。
 記事はオリーブの木は標高の高いところでは生き続けることができないと指摘し、比較的低いところにあったオリーブが、洪水による水没に耐えて新芽を吹き出したのだろうと推論した。
 興味深いことに、記事に添えられた挿し絵は、よく見るような、ハトがオリーブの枝をくわえる様子ではなく、その葉をついばむ様子を描いている。オリーブの枝は岩から少しだけ生え出ており、まだ新芽である。


エホバの証人の訪問

 「ものみの塔」誌2004年2月15日号は、「エホバの証人が何度も訪問するのはなぜか」という問いに答える小記事を掲載した。
 記事には、エホバの証人を毛嫌いしていたというあるロシア人女性が紹介されている。彼女は、それでもエホバの証人の雑誌をいくつか読み、こう語っている。
 「この雑誌の最も大切なところは、読むと世界に対する見方が変わることです」。
 記事は、エホバの証人の雑誌は「今の時代に大いに必要とされている雑誌」であるとする別の意見も紹介し、証人たちがそれらの雑誌を持って人々を訪問することの意義を示している。


ペット

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、ペットの飼い方について考える特集記事を掲載した。
 飼い主の中には、ペットを人間のように扱ったり、それ以上の扱いをしたりする者がいるようである。記事は、ペットへの愛は度を超すとマイナス面になると指摘した。
 一方で、愛を十分に受けず、使い捨てのようにされるペットも多い。
 「生き物が使い捨て商品のようになっている。かわいらしい間は抱きしめるが、手に負えなくなると捨ててしまう。動物の命を軽視するそのような傾向は、わたしたちの文化に徐々に浸透して有害な影響を与える」。
 「ですから、ペットを飼おうと考えている人は、以下の事柄を自問してみるとよいでしょう。『自分が飼う動物をきちんと世話できるだろうか。自分の生活様式は、ペットをほとんど一日中ほったらかしにすることにならないだろうか』」。
 記事はさらに、動物を虐待することについても論じ、このように読者に問いかけている。
 「神は人間を心から愛しておられるのですから、わたしたちも、神から世話と監督をゆだねられた動物たちに配慮を払い、愛着をかけるべきではないでしょうか」。


リッチモンド16

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、「リッチモンド16」というテレビのドキュメンタリー番組を紹介する記事を掲載した。
 この番組は第一次世界大戦中に逮捕された16人の良心的兵役拒否者を取り上げている。そのうちの5人がエホバの証人であった。


オラバ野外博物館

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、スロバキア北部のオラバ野外博物館を紹介する教育記事を掲載した。


ビクトリア滝

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、ザンビア・ジンバブエのビクトリア滝をはじめとする、ザンビアのさまざまな滝を紹介する教育記事を掲載した。


テレホンセックス

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、いわゆるテレホンセックスについての否定的な論考を掲載した。
 記事は、「テレホンセックスは異性に対する見方を堕落させ、ゆがめます」と指摘している。
 また記事は、これに関連して、「ある国国では、テレビの深夜番組を見ないようにするのが最善でしょう」と述べている。


モルドバのワイン貯蔵庫

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、モルドバのワイン貯蔵庫を取り上げた教育記事を掲載した。


ウォーキング

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、歩くことの益を説く教育記事を掲載した。


ラテン語存続の努力

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、バチカンによる「ラテン語の存続と現代化」の努力に言及した。


エホバの証人の宗教書

 「目ざめよ!」誌2004年2月22日号は、メキシコの著名な著述家カルロ・コッチョーリが、新聞の書評においてエホバの証人が発行している「神を探求する人類の歩み」の本を絶賛したことを紹介する記事を掲載した。
 彼はこう述べている。
 「これは並はずれた本である」。
 「分かりやすく言えば、この本はエホバの証人からの世界への贈り物である」。
 彼は大学で東洋の宗教に関する研究を専攻したが、その経験に基づいてこのように語った。
 「この本は宗教事象に関する深遠かつ重要な傑作である」。
 さらに彼はこのように述べている。
 「すべての家庭がこの本を持ち、時々開いて読み返すべきだと思う。この本には宗教の宣伝のようなものは全く含まれていない。むしろそれは、神についての複雑ななぞを探ろうとする人間の生んだ意義深い文化的作品である」。


大洪水

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、聖書に記されている大洪水の意味について考える特集記事を掲載した。
 記事は、大洪水についての聖書の記述が「人類に対する神からの(警告の)メッセージである」とし、「(大洪水の時も)警告が与えられましたが、おおむね無視されました」と指摘した。
 記事は「わたしたちはノアの時代と似た時代に生活しています」と指摘し、聖書が述べる終わりの日の預言に読者の注意を引いている。


聖書の光

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、聖書の「光」の概念をテーマとした研究記事を掲載した。
 記事は、クリスチャンが「霊的(精神的)な光」のうちを歩むべきことを説いた。
 霊的な光のうちにない人とはどのような人だろうか。
 「霊的な闇にいる人は、知覚力に欠け、霊的な意味でやがて方向感覚を失います」。
 「裁きの根拠はこれです。すなわち、光が世に来ているのに、人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。いとうべき事柄を習わしにする者は、光を憎んで、光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです」。
 記事は、読者がそのような人になるべきでないことを説き、さらにこのように語った。
 「わたしたちは、欺きの多いこの世界でおとりの光に引き寄せられ、誘われるままに霊的な破船を招くことのないように注意しなければなりません」。
 「自己満足に陥ってはなりません。そうするなら、闇から救い出されたのに、そこに逆戻りすることになりかねないからです」。


聖書の真理

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、聖書の「真理」の概念をテーマとした研究記事を掲載した。
 「聖書に基づく真理に接しても、意識的にそれを無視する人は少なくありません」。
 記事は、どのように人が真理を学び、獲得するかを論じたうえで、このように指摘している。
 「真理に基づく命の道に踏みとどまる点で、最終的な責任はわたしたち一人一人にあります」。


有珠山の噴火

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、2000年3月31日に起こった、北海道の有珠山噴火災害の際の救援活動を振り返る小記事を掲載した。


ドン・レンデルの手記

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、宣教者としてエジプト、キプロス、イスラエルで奉仕した、ドン・レンデル(男性)による手記を掲載した。
 彼の信仰の道はこのようにして始まったという。
 「母は、教区牧師が説教壇を新兵募集の演壇にしていると異議を唱えました。牧師は「家にお帰りください」と言いました」。
 「(後に)母は教会を去り、エホバの証人と交わるようになりました」。
 母の死後、彼は叔母のもとにあずけられ、大人になった。
 「戦争が始まって1年たった時、軍隊への召集令状が届きました。良心的兵役拒否者であった私は、3カ月の禁固刑を宣告されました」。
 しかし、彼は兵役を免除され、ギレアデ聖書学校の第8期生となることができたという。
 キプロスでの宣教奉仕について、彼はこのように回想している。
 「当時キプロスには100人ほどの証人がおり、信仰のために厳しい戦いをしなければなりませんでした。ギリシャ正教会の司祭の率いる暴徒たちが大会を妨害しました。また、田舎の区域での伝道で投石に遭うのは、私にとってはじめての経験でした」。
 やがて彼は病気にかかり、故郷のイングランドに帰って療養したが、それに満足することはなかったという。
 「イングランドに落ち着けば楽だったのでしょうが、少し休息を取った後、私は任命地に戻る義務があると感じ、自費でキプロスに戻りました」。
 1980年代になると、聖書伝道を「違法な改宗を行った罪」と定義するギリシャの法律により、エホバの証人は組織的に逮捕されるようになった(これは、ギリシャ正教会が他教派の伸長を阻止するために政府に制定させたもので、これによりギリシャ正教会以外の教派の行う聖書伝道は規制されていた。ヨーロッパ人権裁判所の判決により現在は解決済み。)が、そのような難しい時期に彼はギリシャ支部の役員となったという。
 現在、彼はある会衆の長老(牧師に相当)として奉仕しながら、姉の世話を行っているという。


クロービスのカトリック改宗

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、カトリックに改宗した、フランク族の王クロービスを取り上げた批判的な論考を掲載した。
 彼は西暦496年頃にカトリックに改宗した。これは「西洋史における決定的瞬間」と呼べる出来事であった。というのも、「クロービスの時代、ガリアのカトリック教会は危機的な状況に陥っていた」からである。政治的大人物であるクロービスの好意を得て、キリスト教の地位は確かなものとなった。
 記事は、この王が残虐な王であったことを指摘し、このように述べている。
 「クロービスの死後、彼を残忍な戦士から評判のよい聖人へと変える神話作りが始まりました」。
 「1996年のクロービス改宗1500周年の記念式典に先立だって、ランスの大司教ジェラール・デボワはクロービスのことを、「熟慮の末に行なわれた責任ある改宗の象徴」と描写しました。しかし、フランスの歴史家エルネスト・ラビスは、「改宗によって、クロービスの人格は全く変わらなかった。福音書の穏やかで平和的な道徳観は彼の心に達しなかった」と述べています」。


公正と憐れみ

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、読者からの質問に答えて、神の公正と憐れみについて表現上の問題があることを認めた。
 聖書の中において「公正」と訳されるヘブライ語には「裁き」の意味があることから、「エホバの憐れみがエホバの公正を和らげる」と言うことが可能であった。しかし記事は、「この表現はこれまで用いられてきましたが、それを避けるのが最善です」と述べた。
 聖書の「憐れみ」には「裁きの執行の際に抑制力を働かせる」という意味があるが、だからといって、「公正」という概念にこれを追加して適用すべきでないと記事は述べた。なぜなら、ここで言う「公正」とはそれ自体が憐れみの適用された裁きのことであり、これを憐れみと分離することはできないからである。
 記事は、このような結論の根拠として聖書のイザヤ書30章18節を挙げている。


ハルマゲドン

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、ハルマゲドンに読者の注意を引く小記事を掲載した。


懲らしめ

 「ものみの塔」誌2004年3月1日号は、懲らしめを取り上げた小記事を掲載した。
 「不完全な人間であるわたしたちは皆、時に痛みが伴うとしても、懲らしめや矯正をどうしても必要としています」。
 「確かに、懲らしめが好きな子どもなど、まずいません。何らかの罰が必要なとき、子どもは嫌がるでしょう。しかし、賢明で愛のある親であれば、子どもが感じる痛みよりも、その結果得られる益を考えます」。
 さらに記事はこのようにも述べている。
 「もちろん、懲らしめが必要なのは子どもだけではありません。大人も必要です」。


核の脅威

 冷戦の終結に伴って、最近は核に対する恐怖が遠のいてきている。「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、核の脅威を取り上げた特集記事を掲載した。
 記事は、冷戦が終結した今でも、「二つの核超大国は世界の全住民を数回殺りくできるほどの量の核兵器を保有している」と指摘した。他にも、インドとパキスタンが核を所有するようになり、北朝鮮も核の製造を行っていると考えられている。さらに、核によるテロの脅威は増大しているという。
 記事は、問題の解決には世界平和についての「新しい考え方」が必要であると指摘した後、「核兵器によって世界平和を脅かしている人々が新しい考え方を学ぶと期待するのは現実的でしょうか」と問いかけている。


高地での生活

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、標高の高いところでの生活を紹介する教育記事を掲載した。


アシニポ

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、古代アシニポ遺跡を取り上げた教育記事を掲載した。


気球

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、世界最大の気球イベントである、コダック・アルバカーキ・インターナショナル・バルーン・フェスタを取り上げた教育記事を掲載した。


アルコールの飲み過ぎ

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、アルコールの飲み過ぎを考える論考を掲載した。
 「タバコ中毒を別にすれば、アルコールの乱用は、他のどんな依存物質の乱用よりも多くの病気と死をもたらしていると言われています」。
 「こうした事実にもかかわらず、飲み過ぎを軽視する人はあとをたちません」。
 記事は、アルコールは人間への神からの賜物であり祝福であると指摘した後、「かぎは節度を保つこと」であると説いている。


バレン高原

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、アイルランドのバレン高原を取り上げた教育記事を掲載した。


オーストラリアの森林火災

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、オーストラリアのキャンベラを襲った森林火災を取り上げた小記事を掲載した。


アマテ

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、メキシコのパピルスであるアマテを取り上げた教育記事を掲載した。
 記事によると、スペインからの侵略者たちは宗教的な偏見によってメキシコ先住民のアマテを大量に焼却し、またアマテの製作を禁じてしまったという。そのため、メキシコ先住民の歴史文書の多くが失われてしまった。


カナダでキリスト教が衰退

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、カナダで世俗主義が伸長し、教会の出席者数が急速に落ち込んでいると報告した。


ウェルウィッチア

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、ウェルウィッチア(植物)を取り上げた小記事を掲載した。


愛する家族を亡くしたとき

 「目ざめよ!」誌2004年3月8日号は、「愛する家族を亡くしたとき」と題する小冊子が、ホスピスに役立っていることを紹介する小記事を掲載した。


記念式に先立って

 「わたしたちの王国宣教」2004年3月号は、キリストの死の記念式に先だって、読者の思いを整える記事を掲載した。
 記事は、記念式が近づいた今、読者が神とみ子の愛についてよく考えるよう勧めている。


エホバの証人と地域社会

 この世の中にはエホバの証人のことを地域社会にとっての弊害であるかのように考える人も多い。「わたしたちの王国宣教」2004年3月号は、エホバの証人がどのように地域社会に貢献しているかを考えるプログラムの筋書きを掲載した。
 エホバの証人は、聖書の道徳規準に従って生活するよう人々を教え、正直に振る舞い、自治体などによく協力し、災害時に救援活動を行うなどの理由によって、確かに地域社会に貢献していると言えると筋書きは指摘している。


善いことに熱心

 「わたしたちの王国宣教」2004年3月号は、キリストの死の記念式が近づいた今、クリスチャンが善い業に忙しくあるべきことを説く記事を掲載した。
 記事はこのように述べている。
 「わたしたちは、キリストの贖いという愛の表明に対する感謝に動かされて、善いことを忙しく行ないます」。
 「わたしたちは神と隣人に対する愛に動かされて毎月時間を買い取り、他の人に良いたよりを伝えます」。


真理と自由

 「わたしたちの王国宣教」2004年3月号は、聖書が説く「真理と自由」について考える記事を掲載した。
 記事は、「聖書の真理は人の考え方や人格を変化させることができ、避けることのできる問題からの自由をもたらします」と指摘している。


キリストの死の記念式

 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、キリストの死の記念式を取り上げた特集記事を掲載した。
 記事は、その式典で用いられるパンとぶどう酒の意義などをわかりやすく説明している。


 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、山をテーマとした小記事を掲載した。


聖書伝道

 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、クリスチャンの担うべき聖書伝道の務めに焦点をあてた一連の研究記事を掲載した。
 「神は、イエスの油そそがれた追随者たちに、全地で良いたよりをふれ告げる責務をお与えになりました」。
 記事は、聖書伝道に加わることが当人にとって益となることを説いた。
 「家から家に良いたよりを伝えることによって、わたしたちは謙遜さを培えます」。
 「愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制が示されるようになり、人々への接し方が変わります」。
 「福音宣明者であるわたしたちが受けるもう一つの祝福は、同情心の深い人になれるという点です」。
 また記事は、聖書伝道についてこのような指導を行った。
 「わたしたちが聖書の音信を携えて戸口を訪ねると腹を立てる人がいます。わたしたちは、人々の感情を害したいとは思いません」。
 「人々が、病気、失業、家庭内の悩みなど、自分の抱える問題について述べるとき、わたしたちは助言者のように振る舞ったりはしません。むしろ、励みと慰めを与え、気遣います」。


ウェストファリアの講和

 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、ヨーロッパの歴史の転換点となったウェストファリアの講和を取り上げた論考を掲載した。
 「中世において、ヨーロッパで最も強力な機関はローマ・カトリック教会と神聖ローマ帝国でした」。
 「しかし、16世紀と17世紀に、その確立された体制が揺らぎ、宗教改革により、神聖ローマ帝国の宗教は三つに分裂します」。
 「そしてついに、30年にわたる抗争が始まります」。
 記事は、その戦争についてこのように述べている。
 「人々は平和の君イエス・キリストの追随者であるはずでしたが、対立する宗派が激しく争うようになりました」。
 「兵士たちは「サンタ・マリア」もしくは「神は我らと共にあり」と叫びながら戦いに出ました」。
 結局、この戦争は講和によって終結した。しかし記事は、「ウェストファリア条約は永続する平和をもたらしませんでした」と指摘している。


出エジプト記の要約

 「ものみの塔」誌は2004年3月15日号は、聖書の出エジプト記の要約と解説を掲載した。


チッポラと割礼

 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、聖書の出エジプト記に出てくる、チッポラと息子の割礼にまつわる出来事の意味についてコメントした。
 記事は、「この記述には明快でないところがあり、その意味を断定することはできません」と述べつつ、その背後にある事情と意義を指摘している。


エフド

 「ものみの塔」誌2004年3月15日号は、聖書に出てくるエフドを取り上げた考察を掲載した。


社会の変革

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、社会を変革するための取り組みについて考える特集記事を掲載した。
 記事は、「イエス・キリストは改革者だったか」というテーマも扱い、このように述べている。
 「キリストは、腐敗した役人や不正直な商業家を世界から除く運動を起こしたりはしませんでした。不公正に対する街頭抗議を指導したりもしませんでした。ホームレスの援助に注意を引く圧力団体も創設しませんでした。イエスは、この世界の争いごとにおいて中立を保ちました」。
 「イエスが差し伸べたのは、他に例のない解決策でした。この改革は、天の王国によって実行に移されます」。
 さらに記事はこのように述べている。
 「きわめて高潔な目標を掲げる改革家でも、つまるところ、腐敗、不公正、貧困、略奪など人間社会の悪が表面に現れた部分に対処しようとしているにすぎません。根本の原因はずっと深いところにあります」。
 「社会から腐敗、不公正、貧困が一掃されるには、政府の側だけでなく、人民の側も変化しなければなりません」。
 「神の王国は、人間社会の改革よりはるかに多くのことを行ないます」。


人の苦しみと神

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、苦しんだり、悲惨な出来事に遭遇したときに、人は神の責任を問うことができるかというテーマを扱った論考を掲載した。
 記事は、神が「苦しみを許しておられる」と指摘し、だからといって神に対して怒りを抱くべきではないと読者を諭した。
 「わたしたちが苦しむのを神は望んでいるのだろうとか、神が自らわたしたちを試みに遭わせているのだなどと性急に結論しないでください。そうした考え方は、神の愛と知恵を度外視しています」。
 記事は、なぜそのように自己を制すべきなのかを説いて読者を励ましている。


メトセラ・ツリー

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、メトセラ・ツリーと呼ばれるイガゴヨウマツ(木)を取り上げた小記事を掲載した。


スウェビンスキ国立公園

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、ポーランドのスウェビンスキ国立公園を取り上げた教育記事を掲載した。


スイスの洪水災害

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、スイスにおいて2000年10月に生じた洪水災害を振り返る小記事を掲載した。


カーニオラン・ミツバチ

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、カーニオラン・ミツバチを取り上げた教育記事を掲載した。
 記事は、スロベニアの養蜂において盛んに用いられた宗教画とその役割についても紹介している。


乳糖不耐症

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、乳糖不耐症を取り上げた教育記事を掲載した。


グライコーム

 「目ざめよ!」誌2004年3月22日号は、近年生物学者たちが注目するようになったグライコームを紹介する小記事を掲載した。
 グライコームは、一言で言うなら細胞内の糖であるが、それがゲノムの何千倍も複雑なものであることが最近になって分かってきたという。


666

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、聖書の黙示録にでてくる“666”という数字の意味について考える特集記事を掲載した。


職場での聖書伝道

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、日本における職場での聖書伝道の事例を紹介する記事を掲載した。


世の霊

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、クリスチャンが「世の霊(精神)」を退け、清い生き方をするべきことを説く一連の研究記事を掲載した。
 記事は、この世の中においては「サタンが人々を欺いている」と指摘し、このように続けた。
 「悪魔のそうした欺きによる働きかけは、人々の内面に、聖書の律法や原則に対する反抗の精神を生み出してきました。聖書はこれを「世の霊」と呼んでいます。この霊は、神を知らない人たちの信じる事柄や態度や行動に強い影響を及ぼしています。現代において、「世の霊」はいよいよ明らかになってきました」。
 記事はその一例として、このごろは腐敗する一方である性道徳の問題を挙げた。
 「聖書は同性愛や淫行を行う人は神の王国を受け継がないと述べています。ところが多くの土地で、そうした性的慣行が容認されているだけでなく、書籍、雑誌、歌、映画、テレビのショーなどで美化されてさえいます。そのような慣行に反対を唱える人は、見方が狭いとか、批判がましいとか、開けた考え方に疎い、と見られます。世は神の基準を愛ある気遣いの表明と見るのではなく、個人の自由と満足を阻むものとみなします」。
 「神に逆らう立場をいよいよ固めてゆく世にあって、自分の態度とものの見方に注意を向けるのは賢明なことでしょう」。
 記事は、神の導きに人が頼り、貞潔に生きるべきことを説いた。
 「世の霊に惑わされている人たちとは違い、クリスチャンは神の聖霊に導かれます」。
 「神の霊を持つためには、世の霊に抵抗する以上のことをしなければなりません。自分の霊―自分の精神の意向―を神のお考えに合わせるようにもしなればなりません」。
 「神の聖霊を持つため、また、神の是認を受けるためには、謙遜さを培い、それを保たなければなりません」。
 「どんな能力、業績、特権があろうとも、決してごう慢になるべきではありません」。
 「つらい状況にあっても、仕返しをしてはなりません。聖霊の助けを求めつつ、エホバを待ち望んでください」。
 「懲らしめに聴き従うならエホバと和解できます。エホバの霊の継続的な祝福を教授するには、矯正を受け入れて神に是認されるようにしなければなりません」。
 「富をため込む人、貪欲に増やそうとする人、あるいは利己的に使おうとする人は少なくありません。わたしたちは、自分の物質の資産を用いてよいことを行ないたいものです。物質主義的な生き方をするより、神の是認を求めるほうが勝っています。それこそ神の知恵と幸福の道です」。


報い

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、聖書の述べる「報いを見つめる」という概念を扱った記事を掲載した。
 記事はこのように指摘した。
 「知らぬ間に徐々に文字どおりの視力を失うことがあるのと同じように、人はもっと貴重な視力、つまり霊的(精神的)な視力を失うこともあります」。
 では、この視力を失わない方法にはどのようなものがあるだろうか。その一つは聖書が示す報いを見続けることにある。
 「もちろん、クリスチャンが神に仕える最大の理由は、神への愛です。(利他的要素) それでも、エホバは、わたしたちが報いを心待ちにすることを望んでおられます。(利己的要素)」
 そのようなわけで、報いを期待することは決して間違ったことではない。
 報いを見つめるとき、気をつけなければならないのは、罪の呵責のような消極的感情にとらわれ、自分は報いを受けないと思うことである。それでは全くの逆効果である。そこで記事はこのように読者を励ました。
 「確かに、自信過剰にならないようにするのはよいことです。命の賞を頂けるかどうかは、終わりまで忠実を保かどうかにかかっているからです。とはいえ、神のご要求にかなうよう最善を尽くしているのであれば、報いを得られると確信するに足る十分な根拠があります。実のところ、神に喜んでいただこうと誠実に努力している人たちのあら探しをして不適格とすることは、神のご性格に反します」。


アルジャン夫妻の手記

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、アメリカで中国語での聖書伝道に取り組んでいる、ジョージ・アルジャン(男性)とアン・アルジャン(女性)による手記を掲載した。
 ジョージ : 「私はアルメニア系の家庭に生まれたアルメニア教会員で、アンのほうはローマ・カトリック信者でした。私たちは信仰の点で折り合いをつけ、1950年に結婚しました」。
 やがてジョージはエホバの証人に関心を持つようになった。
 アン : 「初めは激しく反対しました。とはいえジョージは、よき夫また父親として以前と変わらないどころか、さらに良くなりました。それで、私の態度も変わり始めました」。
 やがて二人はエホバの証人の特別開拓伝道者となった。
 「1979年、ニュージャージー州ハリソンという新たな地に任命され、そこで約12年間奉仕しました。その間に一人の中国人女性との聖書研究が始まり、それがきっかけで、さらに幾人もの中国人と研究を行ないました。そのうちに、私たちの区域に中国人の学生や家族が非常に多く住んでいることが分かり、中国語を学ぼうと思い立ちました」。
 それ以後、二人は中国語での聖書伝道に取り組んで現在に至っているという。


1000人の違い

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、聖書にでてくる数字の矛盾の一つについて解説した。
 聖書の民数記25章には神の裁きによって2万4000人が死んだことが記されている。しかし、聖書のコリント第一の手紙には2万3000人と記されている。これはどうしてだろうか。記事はこのように指摘した。
 「最も簡単な説明となるのは、実際の数字が2万3,000人から2万4,000人の間で、概数としてはどちらでも採用できるというものです」。
 しかし記事は、さらに高度な説明が可能であることを指摘した。
 「民数記のこの数字には、裁き人たちによって処刑された「民の頭たる者」たちと、エホバによって直接処刑された人たちとが含まれていたことでしょう。裁き人の手によって死んだ頭たる者たちは1,000人いたのかもしれません」。


リベリアにおけるエホバの証人

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、リベリアにおけるエホバの証人の活動を紹介する記事を掲載した。
 「リベリアは、10年以上にわたって激しい内戦に悩まされてきました。多くのエホバの証人が自宅から逃げることを余儀なくされ、所有物は何度も略奪されました」。
 「その危機的な期間中ずっと、エホバの証人のリベリアの支部事務所は、助けを必要とする人たちのために救援活動を組織しました。食料、生活必需品、医薬品などが提供されました」。
 記事は、国旗敬礼を拒否するエホバの証人の生徒を迫害してきた一人の校長がどのようにして変化したかを紹介した。
 「彼は、証人たちが重い病気を抱えた信者の世話をしているのを見ました。隣の国で治療を受けられるように手配することさえしていたのです。彼は、その病気の信者は証人たちの間で“大物”なのだろうと思っていましたが、普通の証人にすぎないことを知りました。彼は、証人たちに対する自分の見方が間違っていたこと、また自分は変わらなければならないということを悟りました」。
 最後に記事はこのように締めくくっている。
 「リベリアの兄弟たちは依然として非常に困難な状況に直面していますが、神を信頼しています。エホバは、それらの兄弟たちの勤勉な働きと、み名に示す愛とを決してお忘れになりません」。


天使に頼る

 「ものみの塔」誌2004年4月1日号は、クリスチャンが天使に助けを求めることの是非について論じる小記事を掲載した。
 記事はこのように述べている。
 「(聖書によると)天使は人間の祈りを神のみ座に運ぶ仲介者ではありません。神は、祈りがみ子イエス・キリストの名を通して自分にささげられるよう定められました」。
 記事は、天使に助けを求めたり、天使を通して神に祈ることが神とキリストに対する違反であることを指摘するものとなっている。


モーセ

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、モーセに対する批評を取り上げた。
 モーセに対する様々な批評が起こる理由の一つは、モーセが実在したとか、イスラエル国民を連れてエジプトを脱出したとかいう聖書の話に考古学的証拠がないことである。記事は、そのような状況であっても、モーセは実在した人であり、聖書の記述は真実であると信じる充分の根拠があると論じている。
 加えて記事は、従来のモーセ像を刷新する新しい情報をいくつか掲載した。
 たとえば、一般に、モーセはユダヤ人の子であることを隠しつつファラオの娘の子として育てられ、ファラオの後継者候補となったと考えられている。しかし、当時のエジプト人の風習と聖書の記述を注意深く比較するなら、実はそうではなかったことが分かってくるという。
 「エジプトでは、女性も養子縁組をすることができました。養子縁組に関する古代のパピルス文書には実際に、あるエジプト人奴隷たちを養子にしたことが記録されています。モーセの実母に乳母としての報酬が支払われたことは、当時の養子縁組契約の取り決めと相通じます」。
 そのようなわけで、モーセは「ファラオの娘の養子とされたユダヤ人」という立場を得ていたと考えられるという。
 また記事は、聖書の中でイエス・キリストが「モーセのような預言者」と語られていることについても解説している。


脳性麻痺の子を育てる

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、脳性麻痺があり、難聴患者である子供(女性)を信仰のうちに育てたフォーブズー家の回顧談を掲載した。
 「娘の通うろう学校の校長先生はこうおっしゃいました。「お嬢さんに神について教えることは、他のどんな概念を教えるよりも難しいでしょう。神は目に見えないのですから」」。
 「校長先生はご親切にも、ろう者の子どもを育てている他の証人たちと連絡が取れるようにしてくださいました」。
 このような努力の結果、彼女は信仰においても他の面においても進歩を遂げ、現在、聖書伝道に励みながら、小学校でろう者の子どもたちを世話するまでになっているという。


バミューダシロハラミズナギドリ

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、バミューダシロハラミズナギドリを取り上げた教育記事を掲載した。


悪い習慣を克服する

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、神への信仰を培うなら、悪い習慣を克服することが可能であることを読者に説く記事を掲載した。


聖書クイズ

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、19問の聖書クイズを掲載した。


時間を守る

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、時間を守り、遅刻しないことの益を説く記事を掲載した。


ユリア島

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、1831年に噴火によって出現し、消滅したユリア島を取り上げた教育記事を掲載した。


韓国において自殺が増加

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、韓国において自殺の件数が増加の一方であると報告した。


モルダバイト

 「目ざめよ!」誌2004年4月8日号は、隕石の衝突によって形成されるガラス質であるモルダバイトの宝石を紹介する小記事を掲載した。


新しい学校

 「わたしたちの王国宣教」2004年4月号は、今年1月から海老名にある支部施設において、旅行する監督を対象にした新しいセミナーが行われていることを報告した。
 また、今年の夏から、開拓奉仕学校の新カリキュラムが実施されると告知した。


神に捧げる

 「わたしたちの王国宣教」2004年4月号は、神に対する奉仕について考える記事を掲載した。
 記事はこのように指摘した。
 「わたしたちの奉仕には、エホバに対する当然の崇敬の念が反映されていなければなりません」。
 「エホバに最善のものをささげることには、人々に対する神の愛に見倣うことも含まれます」。


若い人と聖書

 「わたしたちの王国宣教」2004年4月号は、若い読者に対し、聖書を読むように勧めた。
 記事はこのように読者を諭している。
 「聖書の助言に付き従うなら、罪深い道を拒む道徳的また霊的な力を持つことができます」。


神の意志

 「ものみの塔」誌2004年4月15日号は、聖書の「あなたのご意志がなされますように」という祈りの言葉の意味について考える特集記事を掲載した。


リベカ

 「ものみの塔」誌2004年4月15日号は、聖書に登場するリベカ(女性)を取り上げた教訓的な記事を掲載した。
 記事は、「リベカの信仰、神の導きに従う勇気、熱意、慎み深さ、寛大なもてなしの精神などは、クリスチャンの女性すべてが見倣うべき特質です」と述べている。


親切を追い求める

 「ものみの塔」誌2004年4月15日号は、親切の欠けたこの世の中においてクリスチャンが親切に富んだ者となるべきことを説く研究記事を掲載した。
 記事は、「神は感謝しない邪悪な者にも親切であられる」と指摘し、そのような親切をクリスチャンが示すよう読者を励ました。
 「神の親切は利己的なものではありません。何かを求めることも、代償として何かを期待することもありません。天の父に見倣ってわたしたちも、感謝しない人たちに害を加えないだけでなく、むしろ善を行なうようにします。わたしたちに敵対的なことを行なってきた人に対してもそうするのです」。
 それでも、親切を示すことがだんだん難しいことになっていると記事は認めた。
 「人から不親切な扱いを受けると、不親切には不親切で返そうと思ってしまうかもしれません」。
 「幾百幾千万もの人が最低限の衣食住や医療しかない貧しい生活を余儀なくされています。そのような将来に希望の持てない状況にあって親切を追い求めるのは易しいことではありません」。
 そのため、「親切をどのように示せるかを考える」ことが必要である。
 記事は、家庭における親切、職場における親切、学校における親切、近隣に対する親切、聖書伝道における親切、信仰の仲間に対する親切をテーマとして取り上げた。
 「夫と妻は毎日の生活で、互いに対して、また子どもに対して、親切で気遣いのある精神を表わすべきです。そのような親切が、互いに対する家族の話し方に明らかに表われている必要があります。子どもを褒めることに早く、とがめることに遅くありましょう」。
 「従業員同士の対抗心があり、同僚の欺きやたくらみがあっても、エホバの僕は、可能な限り仲良くやっていこうと努力します」。
 「若いクリスチャンは、同級生を不親切に扱う子をまねないように気をつけなければなりません」。
 「先生をいらいらさせて楽しむ生徒が少なくありません。若い人は、先生に接するときにも親切であるべきです」。
 最後に記事は、「引き続き親切を示してゆく」ことの大切さを説き、聖書から次の言葉を引用している。
 「神の選ばれた者、また聖にして愛される者として、優しい同情心、親切、へりくだった思い、温和、そして辛抱強さを身に着けなさい」。


メキシコにおける英語での聖書伝道

 「ものみの塔」誌2004年4月15日号は、メキシコにおける英語での聖書伝道の様子を紹介する記事を掲載した。


コンプルトゥム多国語対訳聖書

 「ものみの塔」誌2004年4月15日号は、コンプルトゥム多国語対訳聖書(ポリグロット聖書)を取り上げた教育記事を掲載した。
 記事は、「コンプルトゥム多国語対訳聖書」の編纂に携わった人々の学術的な努力は、聖書学の進展に大きく寄与したと指摘している。


希望

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、希望をテーマとした特集記事を掲載した。


古代ペルーの墓

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、古代ペルーの墓を取り上げた考察を掲載した。
 記事は最後のところでこのように指摘している。
 「謎めいた死後の世界があるという信念に基づいて埋葬の儀式を行なうのは、こうしたペルーの古代文明だけではありません。現代の文化も、死後の世界という概念にとらわれていることを様々な形で示しています」。


タコ

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、タコを取り上げた教育記事を掲載した。


ブラーニー・ストーン

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、アイルランドのブラーニー城とそこにある石を取り上げた教育記事を掲載した。


ヒポクラテスの誓い

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、ヒポクラテスの誓いを取り上げた教育記事を掲載した。


羽根のつくろい

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、鳥の羽根の構造と、それを維持する鳥の身繕いとを紹介する教育記事を掲載した。


ダンスクラブ

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、ダンスクラブの危険に読者の注意を引く記事を掲載した。


フランスで宗教が衰える

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、フランスでキリスト教の衰退が進んでいると報告した。


エホバの証人の宗教画

 「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、ドイツのカッセルで行われた国際美術展において、ガイドが、エホバの証人の雑誌の挿し絵を絶賛していたという小話を掲載した。


子供たちへの贈り物

 問題の多い現代社会における子育ては道徳教育という面で大きな壁にぶつかっている。「目ざめよ!」誌2004年4月22日号は、ものみの塔聖書冊子協会から、すぐれた教育書である「偉大な教え手から学ぶ」と題する書籍が発行されたことを告知した。


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