JWPC - Jehovah's Witnesses Press Club
エホバの証人出版情報
2004年版(2)
2004年10月1日更新

引用文は適宜語尾等を修正しています

宗教と政治

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、「聖職者は政治について説くべきか」と題する特集記事を掲載した。
 記事は、キリスト教はもともと政治に関わりを持たないことを主義とする宗教だったと指摘した。
 さらに記事は、キリスト教がどのように政治とかかわってきたかについて概説し、このように続けた。
 「キリスト教世界は、世界全体はおろかヨーロッパにさえ平和をもたらしませんでした」。
 「キリスト教を説くと唱える多くの人が、善意から政治に手を出し、結果として悪に荷担してしまいました」。
 「とはいえ多くの人は、クリスチャンが世の悪に染まるべきでないことは認めても、政治に的に中立の立場を取ることには反対します。そのような中立の立場はクリスチャンが他の人への愛を積極的に表わすのに妨げになる、と主張します」。
 しかし、そのような考えに対して記事はこのように答えた。
 「イエスは政治的な事柄への介入や支持を求められましたが、それを拒みました」。
 「イエスは政治的な救済運動の組織者としてではなく、教師として知られるようになりました」。
 「イエスは、政治機構の改善策を説くためにではなく、『王国の良いたより』を宣べ伝えるように弟子たちを教えました」。
 最後に記事はこのように強調している。
 「真のクリスチャンは、人類の唯一の希望を宣べ伝えるために政治にはかかわりません。だからといって、人々に実際的な助けを与えられないわけではありません」。


霊的パラダイス

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、クリスチャンが霊的なパラダイスの状態にとどまり続けるべきことを説く研究記事を掲載した。
 その一つの点として、記事はこのように述べている。
 「知覚力を訓練して有害な交わりを見分け、そのような交わりをきっぱり避けるようにしましょう。もしパウロが今日地上に生きているとしたら、どうでしょう、不道徳や暴力を呼び物とした映画や暴力的なスポーツを見るクリスチャンに何と言うでしょうか。インターネットで見ず知らずの人との交友を求める兄弟には、どのように助言するでしょうか。また、テレビゲームで遊ぶこと、あるいはテレビを見ることには何時間も費やしながら、良い個人研究の習慣を持っていないクリスチャンのことをどう思うでしょうか」。


クリスチャンの人生の選択

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、若いクリスチャンに対し、良い人生の選択をするよう勧める研究記事を掲載した。
 「青春時代は神からの贈り物です。あなたはそれをどのように用いますか。将来のことを考えずに、次々と楽しみを求める放縦な生き方に、その体力や熱意すべてを費やしますか」。
 「将来とその希望は、あなたが行動や考えや決定においてエホバを念頭に置いているなら、良いものとなることでしょう」。
 「聖書の言葉を読んで自分に当てはめてゆくにつれ、義と廉直さを培うことになります。判断力、明敏さ、知識、思考力を培えば培うほど、良い決定ができるようになります」。
 さらに記事は、鋭くこのように指摘した。
 「残念なことに、有望な若いクリスチャンの中にも賢くない交わりによって悪い習慣を損なってしまった人が少なくありません」。
 「そこに関係するのは人々だけではありません。テレビを見る、音楽を聴く、小説を読む、映画を見に行く、あるいはインターネットで情報を得る時、それが暴力的な傾向や不道徳な傾向を助長しているなら、分別のない者と交わっていることになります」。
 また、記事は就職についても述べ、「世俗の職業を重視するあまりエホバへの奉仕が二の次になるようであってはなりません」と忠告の言葉を述べた。
 現代人の大半が精神的に腐敗していることを指摘し、このように続けている。
 「霊的な物の見方を持っていれば、就職について、他の人には理解できないような決定を下すことになるでしょう。例えば、ある若い男性のクリスチャンは、音楽に秀でており、学校のどの科目でも優等生でした。卒業した時、自分の選んだ全時間福音宣明者つまり開拓者の業に専念できるよう、父親の窓ガラスの仕事を手伝うことにしました。学校の先生方には、そのように決定した理由が理解できませんでしたが、あなたがエホバに近づいているのであれば、あなたには理解できるでしょう」。


自助組織としてのエホバの証人

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、エホバの証人社会において弱者がどのように支えられるかを論じる研究記事を掲載した。
 「エホバはご自分の羊すべてを大切にし、愛しておられます。羊のような人をほとんど価値がないかのようにみなしたりせず、誰についても漂い出ることを望んだりはされません」。
 そこで記事はこのように読者に勧めている。
 「子どもたちも含め、会衆内のだれでも、他の人を強めるために何かを行なえます」。
 「あなたはそのような助けを差し伸べることができますか」。


エゴン・ハウサーの手記

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、医師でありエホバの証人でもあるエゴン・ハウサー(男性)による手記を掲載した。
 彼はもともとカトリック教徒であった。
 「両親がカトリックを信仰していたので、私は10歳の時に教会の侍者になりました。成人してからは地元の小教区で働き、教区の司祭の顧問の一人になりました。それから、医師になる道を選んびました」。
 彼は、当時のいわゆる「輸血神話」のために苦しんだという。
 「多くの人が亡くなるのを目にしました。そうした人々が輸血を受けたためになくなったことを残念に感じていました。たいていの場合、遺族は、輸血によって愛する家族が死亡したとは知らされず、別の理由を聞かされました」。
 「私はやがて輸血には問題があると考えるようになりました」。
 「やがて、私はサンタルシアの医療センターの責任者になりました。それ以前の経験を踏まえ、輸血治療を退け、幾千もの手術を無輸血で行ないました」。
 「エホバの証人を知るようになったのは、無輸血手術を受けるために彼らが私たちの病院に来るようになった1960年代のことです」。
 「証人たちが、入院中のクリスチャンの兄弟を世話する際に示す愛や気遣いに、私はいつも感心していました」。
 やがて、彼の妻がエホバの証人となった。そして彼も、両目が網膜剥離にかかり、一時的に目が見えなくなったとき、聖書を研究することを考えるようになったという。
 「文字どおりの盲目状態を経験した結果、私の心の目は、その時まで注意を向けることのなかった聖書の真理に対して開かれました。エホバとその愛ある目的を知ることにより、私の生き方全体が変わりました」。
 現在、彼は無輸血治療の調査研究を行い、その成果を学会などで発表するなどの活動を行っているという。
 彼はエホバの証人になってからの自分の経験についてこのように語っている。
 「自分自身が入院患者になって分かったことがあります。それは、輸血を拒否して医師からの強い圧力に面しながら信仰を守り通すのは簡単ではない、ということです。私は、重度の心臓発作に見舞われた時、自分の立場について2時間以上かけて外科医に説明しなければなりませんでした。その外科医は私の親友の息子さんで、輸血をして命が助かると思える状況なら、私を死なせるわけにはいかない、と言いました」。
 また彼は現在の医療倫理についてこのように述べている。
 「国際生命倫理協会の一員である私は、患者の権利に対する医療関係者や法曹界の権威者たちの態度が変化していることを喜んでいます。エホバの証人は、医療を受けるに値しない狂信者とはもはや思われていません」。
 「医学セミナーやテレビ番組で、著名な教授たちが次のように述べています。「エホバの証人の尽力のおかげで、今わたしたちは……理解しています」。「わたしたちは、エホバの証人から……学んできました」。「証人たちから、改善するよう教えられました」」。
 「これまで一般に言われてきたのは、まず命が重要なのであり、それがなければ自由も尊厳も無意味だということでした。今や多くの人々は、いっそう優れた法的見解を受け入れており、その理解によれば、尊厳、選択の自由、宗教的信念が優先的なものとされます」。


ギリシャ競技会

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、ギリシャ競技会をテーマとしてローマのコロセウムで開催された「競技会と勝利」と題する展覧会を紹介する記事を掲載した。
 古代ギリシャにおいては、4つの重要な競技会があった。オリンピックのルーツとしてよく知られているオリンピア祭を含め、これら4つはギリシャの神々に奉納されたものであった。
 「祭典のおもな行事は犠牲と祈りでしたが、神をたたえるために最高の運動競技や芸術コンテストも行われました」。
 競技祭には残酷な面も多々あったようである。たとえば、当時のボクシングは顔面の潰し合いでもあった。
 「ボクシングは極めて暴力的で、選手が死ぬこともありました。こぶしに巻いた帯状の堅い革には、破壊力をますように、金属製のびょうが付けられていました」。
 「ローマ社会は暴力的な見せ物を好んだので、特にボクシング、レスリング、パンクラティオンが人気を集めました」。
 記事には、当時のものである、ボクサー像の顔部分が掲載されている。
 「いちずに追い求めて得た勝利は、まさに神々から賜った恵みでした」。
 「神々への感謝を表わす奉納物として勝利者の像が建てられました」。
 最後に記事は、初期クリスチャンがこれらの競技祭にかかわらなかったことを指摘した後、鋭くもこのように問いかけている。
 「確かに、現代のスポーツは異教の神々をたたえるものではないでしょう。しかし、古代の人々が抱いたものと似た宗教的熱狂に近い雰囲気の中で行なわれるスポーツもあるのではないでしょうか。さらに、最近の報道から分かるように、勝つためには、健康や命までも脅かす運動能力増進剤に進んで手を出す選手たちもいます」。


聖句を覚える

 「ものみの塔」誌2004年5月1日号は、読者が聖書の言葉をいろいろと覚えておくよう勧める記事を掲載した。
 記事はこう述べている。
 「わたしたちが困難に直面する時、好きな聖句を思い起こすなら慰められ、力づけられます」。
 「適切な聖句を覚えるようにするなら、神の言葉が生活に力を及ぼします。そのような好きな聖句は力と慰めを与えてくれるでしょう」。


職場での嫌がらせ

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、職場での嫌がらせをテーマとした特集記事を掲載した。
 記事は、モビングと呼ばれる嫌がらせの手法が一般的になっていることを指摘した。
 「それは、心理的恐怖を抱かせる組織的行動であり、その目的は標的とする人をのけ者にすることです」。
 「標的にされた人は、人格を否定される、辛らつな言葉を浴びせられる、無視されるなどの仕打ちを受けます。とんでもない量の仕事を押しつけられる人もいれば、みんなが嫌がる仕事をいつも一人でさせられる人もいます」。
 「多くの場合、上役も承知の上で嫌がらせが行なわれています」。
 「職場での集団いじめは、被害者の結婚生活や家庭生活にまで悪影響を与えることもあります」。
 「嫌がらせの被害者にとって仕事は悪夢となります」。
 記事は、「事態に一人で対処するのは不可能でしょう」と述べ、そのうえで、個人として努力できること、他者に援助を求めることを示した。
 最後に記事はこう述べている。
 「あなたがどんな状況に置かれているとしても、職場でよい人間関係を求めてゆくよう最善を尽くしてください。だれに対しても、悪に悪を返してはなりません」。


人口統計学

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、人口統計学と歴史人口学を取り上げた教育記事を掲載した。


日本の国際大会

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、2003年10月に日本において開かれたエホバの証人の国際大会の様子を報告する記事を掲載した。
 記事によると、大会には40の国から7000人近くの代表者が出席したという。


疝痛

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、赤ちゃんの4人に一人がかかるといわれる疝痛(せんつう)という病気を取り上げる記事を掲載した。


結婚を神聖視する

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、クリスチャンが結婚を神聖なものとみなすべきことを示す論考を掲載した。
 「今日でも大抵の人は、「結婚は神聖なものと思っている」と言うことでしょう。では、非常に多くの結婚が離婚に終わっているのはなぜでしょうか」。
 記事はこう述べている。
 「問題が生じても、結婚関係を尊重するクリスチャンは性急に別居したり離婚したりしません」。
 「幸福な結婚生活を送るには努力と粘り強さが求められます。結婚の神聖さを軽視する人は、結婚生活にあっさり終止符を打ってしまいます。あるいは、不幸な結婚生活にただ甘んじるかもしれません。他方、結婚の神聖さを認めている人たちは、二人がずっと連れ添うよう神が望んでおられることを知っています」。


インディアの場合

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、幼くして潰瘍性大腸炎などの難病にかかり、苦労を重ねたインディア(女性)の両親による回顧談を掲載した。
 父親は、インディアのためにエホバの証人の共同体が果たした役割を高く評価し、このように述べている。
 「物質に対する見方が大きく変わりました。自分の子が病気だと、そうしたものは取るに足りない小さなものに見えます。人生において本当に価値があるのは、エホバ神との、また愛情深い仲間の兄弟たちとの絆でしたし、今でもそうです」。


食虫植物

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、食虫植物と食肉植物を取り上げた教育記事を掲載した。
 記事には、さまざまな食虫植物の写真が掲載されている。


主婦とインターネットとギャンブル

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、イギリスからの報告として、インターネットのギャンブルにはまってしまう主婦が増えていると指摘した。


エホバの証人とたばこ

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、エホバの証人の一少女が作詞したたばこの害についての詩が米国ミズーリ州医師会の賞を獲得したことを紹介する小記事を掲載した。
 エホバの証人はたばこの危険を人々に知らせる教育活動を行っている。少女はその内容をもとに詩を作り、その内容が高く評価され、賞が与えられたという。


聖書地図

 「目ざめよ!」誌2004年5月8日号は、ものみの塔聖書冊子協会から発行されている聖書地図の宣伝記事を掲載した。
 「目ざめよ!」誌の読者はこの聖書地図を無料で手に入れることができる。


神の奉仕者

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、神の奉仕者であることの価値を説く記事を掲載した。
 記事はこう述べている。
 「ある人たちはわたしたちの宣教奉仕を取るに足りないものとみなします。それでも、わたしたちの行なうこの聖書教育の業は、世界中で幾百万もの人たちに慰めと希望を与えてきました」。


身体障害者の奉仕

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、身体障害者であるエホバの証人がどのように宣教活動を行えるかを提案する記事を掲載した。
 記事は、「重度の障害者でさえ他の人に大いに貢献できる」ということをわかりやすく示し、障害者の読者を励ましている。
 また、宗教活動を行う際には、会衆のメンバーや長老(牧師に相当)の援助を遠慮なく求めるようにと勧めている。


大会での行状

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、エホバの証人のイベントに出席する信者たちが、ホテルやレストランにおいて「すべての行状において聖なる者」となるべきことを説く記事を掲載した。
 「わたしたちの良いマナーは、力強い証言となります。一方、監督されていない子どもたちがホテルのプールで泳いでいた、という例も小数ながらあったようです。親は子どもをしたい放題にさせるべきではありません」。
 記事はさらに、クリスチャンの聖なる行状には、大会会場にてカメラのフラッシュをたかないこと、携帯電話をマナーモードにすることなどが含まれると述べている。


子供向けの教育書を配布する

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、ものみの塔聖書冊子協会から発行されている「偉大な教え手から学ぶ」と題する子供向け教育書を配布するための提案を掲載した。
 たとえば、このように話すことができる。
 「最近、若い人が関係する問題が多くなりましたね。一つの原因として、健全な価値観が幼いころから十分教えられていないことが考えられるのではないでしょうか。幼い時から健全なルールや知恵を教えることはとても大切です」。


手話ビデオの配布

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、エホバの証人でない人にエホバの証人の手話ビデオを配布する場合についてのガイドラインを掲載した。


ものみの塔聖書冊子協会公式サイトが拡充

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、ものみの塔聖書冊子協会の公式サイト(http://www.watchtower.org)において、「神はわたしたちに何を求めていますか」のコンテンツが220の言語で掲載されていると告知した。
 [一覧はこちら→http://www.watchtower.org/languages/languages.htm]


会衆の親密さを増し加える

 「わたしたちの王国宣教」2004年5月号は、エホバの証人の各会衆が、友情を深め、親しさを増し加えるよう勧める教訓的な記事を掲載した。
 記事はこう指摘している。
 「よく知り合うにつれ、仲間の信者の持つ信仰や忍耐、その他の優れた特質についていっそう知ることができるようになります。その人の欠点は小さく見えるようになり、友情の絆は強まります」。


神を喜ばせる

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、神を喜ばせることをテーマとした特集記事を掲載した。
 「善良な生活を送ってさえいれば神の恵みは得られる、と信じる人もいれば、神の是認を得るには、貧しい人々のために慈善活動をする必要があると考える人もいます。ほかにも、宗教的な儀式や儀礼を重要視する人が大勢います」。
 記事は、聖書から、ノア、アブラハム、ダビデの例を引き合いに出し、どうすれば人が神を喜ばせる者となることができるかを読者に説いている。


 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、川の壮大さや美しさを取り上げた小記事を掲載した。
 記事には、利根川の見事な写真が掲載されている。


高齢者たちを敬い、支える

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、高齢のクリスチャンに対する敬意を説く一連の研究記事を掲載した。
 記事は、「お年寄りへの虐待が全地球的な問題となっている」と指摘した。しかし、クリスチャン社会においてそのようなことがあってはならない。
 「エホバ神は、ご自分の忠節な僕である高齢の人たちを宝のようにみなしておられます。人の身体的限界よりも、「内なる人」に、つまり霊的な状態に注目しておられます」。
 記事はまず、お年寄たちのクリスチャン会衆に対する貢献は大きいと指摘した。それゆえに高齢者はクリスチャン会衆のお荷物ではなく宝であり、会衆は彼らに対して感謝を示さなければならない。
 「感謝の念が甚だしく欠けた今日の世界では、お年寄りに注意を向けることが少なくなっています。注目するとしても、それはたいてい過去の業績に関してであり、その人が何をしているかではなく、何をしたかという点だけです」。
 記事は、エホバの証人の会衆が具体的にどのようにして年寄りたちに報いることができるかを詳細に指導している。


レビ記の要約

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、聖書要約の連載記事の新記事、レビ記の要約を掲載した。
 記事はレビ記についてこのように述べている。
 「今日エホバの証人は、神がモーセを通して与えた律法のもとにはありません。とはいえ、レビ記に収められている規定はわたしたちの益となり、エホバ神の崇拝について多くのことを教えています」。


アブラハムとサラ

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、アブラハムとサラの信仰の模範を取り上げた記事を掲載した。
 記事はこのようなことを述べている。
 「わたしたちはアブラハムのように神に従うために自分の家を捨てるよう求められているのではありません。しかし、全時間の福音宣明者の中には故国を後にして別の国で良いたよりを宣べ伝えている人もいます」。
 「わたしたちは、自分の権利に固執するか平和を保つために譲歩するかを選ばなければならないような時に、次の点に留意できるかもしれません。すなわち、アブラハムがロトに配慮したために損失を被ることをエホバは許されなかった、という点です」。
 「わたしたちの文化において、さまざまな状況のもとで特定の行ないが正しいとされているかもしれません。しかし、エホバがそれに同意しておられるとは限りません。わたしたちの状況についてのエホバの見方は、全く異なっているかもしれません。ですから、神の導きを求め、わたしたちがどう行動することを望んでおられるかを示してくださるよう祈る必要があります」。


聖霊を悲しませる

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、聖書にでてくる「聖霊を悲しませる」という表現についての論考を掲載した。
 記事は、「パウロは神の聖霊を人格的な存在だと考えていたわけではありません」と指摘した。
 また記事は、まだ罪にまでは至っていないものの罪へ至るであろう道を歩むことが聖霊を悲しませると説明している。


らくだと針の穴

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、「らくだが針の穴を通る」という聖書の表現についての論考を掲載した。
 「いくつかの参考資料には、この「針の穴」はエルサレムの大きな門の一つに付随する小さな門であるとの見方が示されています」。
 記事はこの考えが間違っていることを示した。というのも、ここで用いられいる「針の穴」という語は、聖書の別のところでは「縫い針の穴」と言い直されているからである。
 記事はこのように述べている。
 「イエスは縫い針のことを語っておられたに違いありません」。
 「『針の穴』が小さな門を指しているとするのは、新しい考え方のようです」。
 続いて記事はらくだについても注解した。
 「一部の人たちは、これらの聖句で「らくだ」を「綱」と訳すべきだとの見方を示しています」。
 これについても、記事はそれを間違いであるとした。
 聖書の中でイエスは、「これはどうやっても無理」という話を強調するために「らくだが針の穴を通るようなものだ」という表現を用いられた。しかし、その文意を理解しない者が、「らくだが針の穴を通ることなどないではないか、これはおかしい」と考え、その意味の修正案をいろいろと考えたということのようである。


定年後も永く生きる

 「ものみの塔」誌2004年5月15日号は、クリスチャンの生き方が、定年後の幸福と長生きとにつながることを指摘する小記事を掲載した。
 記事はこう述べている。
 「多くの人は、定年が近づくと、自由な時間が増えたり責任が軽くなったりすることを心待ちにします。その半面、生きがいがなくなるのではないか、役立たずになるのではないかという不安も感じます」。
 「長く幸福に生きるための処方箋には、活動的であることや、自分を用いて他の人の生活を豊にすることが関係しています」。


医学の戦い

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、病気と闘う医療の戦いを取り上げた特集記事を掲載した。
 記事によると、医療技術が格段に進歩した今日にあっても、多くの致命的な病気が猛威を振るっているという。たとえば、一年につき200万人が結核で死亡しているという。また、マラリアの感染者は毎年3億人にも達する。エイズの犠牲者数はかつてのペストの犠牲者数に達しそうである。
 技術は進歩し、病気に打ち勝つための根本的な手法が次々発見されているが、皮肉なことに「むしろ状況は悪化している」と記事は指摘した。
 記事は、何が問題の要因となってるかを指摘し、聖書からの慰めを述べている。


スコティッシュ・フォールド

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、スコティッシュ・フォールド(ネコ)を取り上げた教育記事を掲載した。


ベネチア様式

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、ムラノ島のガラス製品、ならびにベネチア様式を取り上げた教育記事を掲載した。


デート・バイオレンス

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、デート・バイオレンスを取り上げた記事を掲載した。
 デート・バイオレンスとは、交際相手から暴力を振るわれることである。研究によると、男女ともに5人に1人がデート・バイオレンスに遭うという。
 記事は、この問題についての聖書的な見方、対処の方法について詳しく論じている。


モダマ

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、モダマ(リアナの種)を取り上げた教育記事を掲載した。


花粉症

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、花粉症の原因についての二つの仮説を紹介する記事を掲載した。
 一つの仮説は、ディーゼルエンジンが原因であるとするものである。
 もう一つの仮説は、現代の清潔な衛生環境がアレルギー物質への耐性を弱らせているとするものである。


国連のせいで大災害

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、バングラデシュとインドで国連が行った間違った指導のために、1億5千万人もの人が汚染された水を飲んでヒ素中毒にかかっていると報じた。


テレビと自殺

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、自殺とテレビや映画との関連について言及した。
 記事によると、「テレビや映画、テレビゲーム、本の中で、死があまりにも日常的なものになってしまったため、子どもたちは命の価値について間違った考えを抱いている」という。


一度でタバコ中毒

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、「ニコチン中毒は徐々に生じる」という一般論は間違っていたことが分かったと報じた。
 特に十代の若者の場合、最初のたばこ1本でニコチン中毒になってしまうことがあるという。


燃え尽きる医師

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、カナダ医師会からの話として、医師の45.7パーセントが「かなりの燃え尽き状態」にあると報告した。


下にくつわをかける

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、「舌にくつわをかける」という言い回しの意味を考える小記事を掲載した。


人生の正しい道

 「目ざめよ!」誌2004年5月22日号は、「この不穏な時代にしっかりと立ち、正しい道からそれずに人生の旅を続ける」ためには、「神と共に歩む」ことが不可欠であるとする宣伝記事を掲載した。
 記事は、同年7月から8月にかけて各地で開催されるエホバの証人の地域大会に出席して、そのことについて学ぶよう読者を招待している。


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