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「エホバに対する愛は真の崇拝を鼓舞する」
1999年11月13日更新

エホバの証人は非常に熱心に聖書伝道を行うことで知られています。
そのため、エホバの証人に反対する人たちは、エホバの証人がそのようにして熱心に神に仕える動機を疑い、「彼らが伝道を熱心に行うのは、神に対して愛や信仰を抱いているからではなく、ただ自分が救われたいと思っているからにすぎない」と主張します。
彼らは、「エホバの証人の世界では、信者たちは「もっと伝道しなければ救われない」と絶えず教え込まれており、こうして救われないことに対する恐怖が彼らを聖書伝道に駆り立てているのだ」とさえ述べます。
また彼らは、「エホバの証人の世界では、聖書伝道をどれほど行うかによって人の価値が判断されており、家庭の事情などで多くの伝道を行うことのできない人は常に差別を受け、長老たちから圧力を受けもしている」と主張し、そのような虚偽をまことしやかに説明する実例を挙げることさえします。
では、事実はどうでしょうか?
このことがエホバの証人の間でどのように教えられているかを見れば、答えはおのずと明らかになるでしょう。

「エホバに対する愛は真の崇拝を鼓舞する」
『そのおきてを守り行なうこと、これがすなわち神への愛です』―ヨハネ第一 5:3。
 日本から訪れた80人のグループが、米国カリフォルニア州にあるエホバの証人の大会ホールを見学していました。とても気持ちの良い環境の中にアオカケスやハトやハチドリのいる見事な庭園があり、訪問者たちは自分たちの偉大な創造者エホバ神をずっと身近に感じました。見学案内者は、そのグループのほとんど全員が開拓者として全時間奉仕を行なっているということにすぐ気づきました。それで、後ほどこのグループの人たちは、「日本にはどうしてそんなに大勢の開拓者がいるのですか」という、幾度も尋ねられたことのある質問を受けました。ちょっとの間沈黙があった後、一人の若い女性が、「エホバを愛しているからです」と自分から進んで答えました。
 エホバに対する愛―それは、エホバへの奉仕において熱心であるよう何と強力にわたしたちを駆り立てるのでしょう。確かに、だれでも開拓奉仕を行なえるというわけではありません。実際、わたしたちの400万人以上の王国伝道者の大多数は、今のところこの特権にあずかるための都合をつけることができません。しかし、事情の許す大勢の人はその特権を得ようと努力します。他の人たちも、弟子を作る業にある程度あずかることにより愛を示し、『エホバに依り頼み、善を行なう』ことができます。(詩編 37:3,4) また、エホバの献身した崇拝者たちは皆、開拓奉仕を行なっている人たちに愛ある支えを差し伸べ、共に開拓者精神を抱くことができます。―マタイ 24:14; 28:19。
 自称クリスチャンの大半は、宗教は生活上の単なる添え物に過ぎないという都合の良い考え方をしていますが、それとは対照的にエホバの証人は、『王国と神の義を[いつも]第一に求める』よう彼らを動かしている、神に対する熱烈な愛を実際に示します。そのためには犠牲を払うことが必要ですが、そのような犠牲は払うだけの価値が十分にあります。(マタイ 6:33; 16:24) そのような犠牲は、モーセが最初に述べ、イエス・キリストが繰り返された大きなおきての最初のものと一致しています。「わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり、あなたは、心をこめ、魂をこめ、思いをこめ、力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」―マルコ 12:29,30。申命記 6:4,5。
 確かに、多くの人はエホバへの奉仕においてもっと多くのことを行ないたいと願っていますが、その中には聖書的な責任や健康上の問題によって幾らかの制限を受けている人もいるでしょう。しかし、開拓奉仕を行なえない人を、あまり忠実でない人とみなすべきではありません。非常につらい状況のもとで忠節を保ってきた人もおり、多くの場合長年にわたってそうしてきました。そうです、そのような人たちは忠実なのです。彼らはエホバに対する愛を示し、神の神権的な取り決めを心から支持して勤勉に仕えてきました。彼らは開拓者たちの活動に深い関心を抱くとともに、他のすべてに勝る生涯の仕事として開拓奉仕を目ざして努力するよう、開拓者になる可能性のある人たち―多くの場合自分の子供―を励ましてきました。―申命記 30:19,20と比較してください。
 今日の神の民すべての行動における愛ある一致は、サムエル第一 30章16節から25節の記述に例示されていると言えるかもしれません。アマレク人に対する戦いの際に、「ダビデは朝の暗いうちから夕方まで彼らを討ち倒し」、多くの分捕り物を手に入れました。宿営に戻ると、ダビデの兵士たちのうちの幾人かが、自分たちと共に戦いの真っただ中に進軍してゆかなかった者たちには分捕り物を何も与えないよう要求しました。しかし、ダビデはこう答えました。「だれが、この言われたことについてあなた方の言うことを聴くだろうか。戦いに下って行った者の分け前も、荷物のそばに座っていた者の分け前も同じだからだ。皆一緒に分け前にあずかるのだ」。
 同じ原則が今日にも当てはまります。開拓者たちはわたしたちの霊的な戦いの最前線に出ています。しかし、会衆の他のすべての人たちは心からの忠節な支持を与えます。

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