新世界訳
エホバの証人の聖書

ホーム >> NWT INFORMATION >> 『イエス―道、真理、命』 聖書解説



「イエス ― 道、真理、命」の本では、一足早く、新世界訳聖書改訂版の訳稿が用いられています。
証人たちの中には、この本に引用される新しい訳文を見て首をかしげる方もたくさんおられると思います。そこで、会衆の聖書研究のスケジュールに合わせる形で、この本についての解説を掲載していきたいと思います。



○ お知らせ

新世界訳聖書改訂日本語版の発行により、この文書は内容が古くなっています。
最新の情報は「新世界訳聖書改訂日本語版の特徴」のほうにあります。



○ お断り

解説には推測に基づいているものがあります。内容に誤りがあるかもしれません。
聖書の訳文は版によって変更されている可能性があります。





◆ タイトルページ/発行者ページ

【 但し書き 】 「聖句は,特に注記がない限り,現代語による「新世界訳聖書」改訂版(英語)からの翻訳です。」とありますが、これは「新世界訳聖書改訂日本語版の訳稿からの引用です」という意味です。改訂日本語版は多くの個所で英語版と訳文がそろわなくなりますので注意が必要です。「これは英語からの翻訳なので訳文が違うんだ」とは思わないようにしましょう。



◆ 道,真理,命

【 マルコ 1:1 】 「良いたより」は「良い知らせ」になりました。これは英語ではどちらも“Good news”です。訳文の表現がより平易になっただけで、訳文の意味が変わったわけではありません。



◆ 1章 神からの2つの知らせ

【 ルカ 1:19 】 改訂版では「み言葉」、「み使い」などの接頭句「み」の使用は廃止されます。

【 ルカ 1:30-33 】 改訂版では文末の「のです」という言い回しの使用が控えられています。このことにより場合によって文意が不明瞭になる場合がありますから、あらかじめ留意が必要でしょう。「見よ」は訳文から省かれています。改訂版で「見よ」がしばしば省かれるのは、これを接続詞と同様にとらえているからだと思われます。聖書の接続詞は、翻訳された聖書では必ずしも訳出はされません。



◆ 2章 イエスは生まれる前から敬意を払われる

【 ルカ 1:36 】 「見よ」は「何と」と訳されています。

【 ルカ 1:38 】 「見よ」は「ご覧ください」と訳されています。

【 ルカ 1:46-50 】 「わたしの霊」は「私の心」と訳されています。これは一般の読者に配慮したものと思われます。「見よ(ご覧ください)」は訳文から省かれています。



◆ 3章 道を整える者が生まれる

【 ルカ 1:60 】 【 ルカ 1:74-75 】 改訂版では文末の「のです」の使用が控えられていますが、全くというわけではありません。

【 ルカ 1:74-75 】 参照資料付き聖書には訳文が分割されることを嫌う傾向があり、構文が長くなりがちでしたが、逆に改訂版では積極的に訳文が分割されるようです。読みやすさを優先しているためだと思われます。補語(原典にはないが訳文を組みあげるために付け加えられた語)「特権」は、一部に議論を生じさせていましたが、なくなりました。「義」は平易な「正しい」になりました。

【 特権 】 エホバの証人は「特権」という語を徹頭徹尾謙遜な意味で用いますが、世の中はそうではありません。エホバの証人が考える特権とは「これは自分の身分からは考えられないくらいの優遇だ。私のような者がこんな待遇を受けるなんてとんでもない。これはもう頭が上がらない。」というような意味ですが、この語のもともとの意味は、「自分は他人よりも格上だ。他人よりも優遇される身分だ。それは当然のことだ。」というものです。



◆ 4章 結婚していないのに妊娠しているマリア

解説はありません。

【 コラム 】 新しい聖書翻訳
現在、日本を代表する聖書刊行団体は、日本聖書協会、新日本聖書刊行会、ものみの塔聖書冊子協会の3つです。この3団体で9割を超える需要が満たされていると思われます。面白いことに、このところ*、これら3団体によって一斉に新翻訳の訳業が行われるという状況が生じています。3団体は教派的背景が異なることもあり表向き互いに不干渉という態度を取っていますが、実際には互いを参考にしていると思われます。新日本聖書刊行会は『新改訳聖書第三版』を全面改訂した『新改訳聖書2017』を2017年10月に刊行したばかりです。日本聖書協会は現在の主力である『新共同訳聖書』の後継に位置づけされる新翻訳『聖書協会共同訳聖書』の訳業を進めているところで、すでに訳稿の公表を行っており、2018年12月の刊行を目指しています。ものみの塔聖書冊子協会は新翻訳の刊行時期を公表していませんが、2017年5月に『イエス―道、真理、命』を刊行して訳稿を公表しました。これとは別に、いのちのことば社は2016年5月に『リビングバイブル新版』を大幅改訂した『リビングバイブル改訂新版』を刊行していますから、日本においてメジャーな聖書は2010年代のうちにすべて刷新されることになります。兄弟姉妹たちの中には、今では古くなってしまった『文語訳聖書』や『口語訳聖書』は持っているけどそれ以降の聖書翻訳は、という方がたくさんおられると思います。組織は研究用に各種の聖書の入手を勧めていますから、購入を検討されるとよいでしょう。また、王国会館の図書を担当している兄弟は、現在図書に置かれている聖書は全部古くなるわけですから、聖書の蔵書を刷新することを怠らないようにしたいものです。(*このコラムの情報は2018年1月1日時点のものです。)



◆ 5章 イエスはいつ,どこで生まれたか

【 ルカ 2:10-14 】 「見よ」は「聞きなさい」と訳されています。「あなた方」は「あなた方」と訳されたり「皆さん」と訳されたりしています。文末の「からです」は削減するようです。「善意の人々」は「善意を示す人々」の意に読まれる問題がありましたが「神から善意を受ける人々」の文意になるよう正しく修正されました。



◆ 6章 約束されていた子

【 ルカ 2:29-32 】 「諸国民」という表現は「非イスラエルの人々」の意味で用いられており、「異国の人々」と訳されています。

【 ルカ 2:34 】 「また」は「その後」の意に読むことも可能でしたが「あるいは」に修正されました。ここで「立ち上がる」と訳されているギリシャ語はアナスタシスで、「復活」の意味があります。この聖句は『多くの人が死んで復活するため』の意味に読むことも可能だったのですが、その読みは排除されています。



◆ 7章 占星術師たちがイエスに会いにやって来る

【 コラム 】 柔軟な字義訳となった新世界訳
改訂版の新世界訳聖書はたいへん読みやすくなっていて、ところによっては大胆な意訳も見られるようになっています。それで、「新世界訳聖書は字義訳の聖書から意訳の聖書へと転じたのだ」と考える方もおられることでしょう。しかし実際のところはそうでもないようです。聖書原典と読み合せてみると、訳文の原典との対応は保たれていることに気づかされます。改訂版は、字義訳の聖書の範疇で認められている翻訳の手法をより積極的に活用することにより読みやすさを実現しているようです。ですから、改訂版は“柔軟な字義訳”を特徴とする聖書だと言うことができるでしょう。



◆ 8章 邪悪な支配者から逃げる

【 マタイ 2:13 】 【 マタイ 2:20 】 文末の「からです」がなくなりました。



◆ 9章 ナザレで成長する

【 コラム 】 削減される代名詞
聖書のギリシャ語には“代名詞が隠れてしまう”という特徴があります。「私」、「あなた」、「彼」、「彼女」というような語は、変化形の形で単語の中に格納されます。参照資料付き聖書では隠れている代名詞は頻繁に“復元”されていますが、この手法について、代名詞がほとんど省略できない英訳聖書の影響であるからやめるべきという指摘があります。改訂版の新世界訳では、代名詞の使用が大幅に控えられています。



◆ 10章 イエスの家族はエルサレムに旅をする

【 ルカ 2:48 】 「子供よ」、「ご覧なさい」は省かれました。



◆ 11章 バプテストのヨハネは道を整える

【 バプテスマ 】 「バプテスマ」は一般には知られていない語ですが、そのままになるようです。「浸礼」とはなりませんでした。

【 マタイ 3:7-10 】 「まむし」は「マムシ」になりました。改訂版では動物の表記はほとんどカタカナになります。「実」は一か所で「行動」になりました。「あなた方に言っておきます」はなくなりました。



◆ 12章 バプテスマを受ける

【 マタイ 3:15 】 改訂版は、読みやすさと理解のしやすさが向上するよう、句読点を増やして文の内容を細かく区切る方針のようです。「義」は「正しい」になりました。

【 ヨハネ 1:33 】 参照資料付き聖書は訳文の分割を避けていますが、改訂版ではふつうに分割されています。「霊」は聖霊を指している場合には「聖霊」と訳されるようです。

【 マタイ 3:16 】 「はと」は「ハト」になりました。

【 ルカ 3:23-38 】 系図の部分は、参照資料付き聖書ではかなりくどい訳し方となっていましたが、シンプルになりました。



◆ 13章 人々を弟子とする活動を始める

【 マタイ 4:8-10 】 アオリスト時制が用いられているため訳文に「1度」を加えました。



◆ 14章 誘惑に抵抗したイエスから学ぶ

【 ヨハネ 1:29-30 】 訳文は分割されました。「前を進んだ」は「優れた」になりました。

【 ヨハネ 1:32-34 】 訳文は分割されました。

【 ヨハネ 1:43 】 「追随者」は平易な「弟子」になりました。

【 ヨハネ 1:45-51 】 訳文は分割されています。ユダヤ人は「預言書」のことを「預言者たち(ヘブライ語で“ネビイーム”)」と言います。これは「預言者の書」と訳されました。「いちじく」は「イチジク」になりました。「ラビ」はそのままです。「きわめて真実にあなた方に言います」は「はっきり言っておきます」になりました。「み使い」は一般には理解されないため「天使」になりました。



◆ 15章 最初の奇跡を行う

【 ヨハネ 2:4 】 慣用句「わたしはあなたとどんなかかわりがあるのでしょうか」は直訳すると誤解されることがあるため意訳になりました。



◆ 16章 真の崇拝への熱心さを示す

【 ヨハネ 2:17-19 】 【 ヨハネ 2:20 】 改訂版では数は基本的に英数字で表記します。



◆ 17章 夜にニコデモを教える

【 ヨハネ 3:16 】 多くの聖書注解と訳本は、このギリシャ語表現には「神は……与えるほどに愛した」のニュアンスがあると述べています。そのニュアンスの通りの訳文になりました。

【 ヨハネ 3:19-21 】 古語「いとうべき事柄」は「悪」になりました。「(罪を)習わしにする」という訳はなくなり「行っている」になりました。



◆ 18章 イエスは盛んになっていき,ヨハネは衰えていく

【 コラム 】 分割される訳文
参照資料付き聖書には訳文が分割されることを嫌う傾向があります。「私は春が待ち遠しい。」という文は、英語にしたものを日本語に直訳すると「私は待ち遠しい、春が。」となります。日本語では動詞が文の後方に現れますが英語では前方に現れるからです。聖書の翻訳にも同じ問題があり、このような訳文は素人であり日本語の文章としてはできそこないだと翻訳者は考えたようです。しかし改訂版では読みやすさのほうが優先され、積極的に訳文が分割されるようになりました。



◆ 19章 サマリア人の女性を教える

【 ヨハネ 4:9-12 】 「賜物」は平易な「贈り物」になりました。

【 ヨハネ 4:19-20 】 ここでは珍しく、訳文が結合されています。

【 ヨハネ 4:21 】 ここのイエスの言葉のうち、最初の「父」は「天の父」になっています。聖書に不慣れな読者の誤解を防ぐだめだと思われます。

【 ヨハネ 4:42 】 「世」は「人類」と訳されています。



◆ 20章 カナでの2度目の奇跡

【 ヨハネ 4:52 】 時刻の表記は現代の表記になりました。



◆ 21章 ナザレの会堂で

【 ルカ 4:21 】 「成就」は平易な「実現」になりました。

【 ルカ 4:22-23 】 イエスの言葉が分割されています。



◆ 22章 4人の漁師が人を集める漁師になる

【 マタイ 4:19 】 古語「すなどる」は「集める」になりました。



◆ 23章 カペルナウムで大勢の人を癒やす

【 マルコ 1:24-25 】 「わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか」は慣用表現であり、意訳になりました。

【 マルコ 1:27 】 「汚れた霊」は誤解されやすいので「邪悪な天使」になりました。聖書の引用部分には出てきませんが、解説部分で、「悪霊」も「邪悪な天使」になっています。

【 悪霊 】 ほとんどの人は、「悪霊(あくれい)」という言葉を見るとそれを「あくりょう」と読みます。イエスが神の聖霊の力を用いて悪霊を追い出したという記述を読むと、最近はアニメやゲームの影響がありますから、イエスが“法力(ほうりき)”や“魔力”のような力を行使して悪霊(あくりょう)を退治、あるいは退散させたのだというような捉え方をします。改訂版ではそのような問題が回避されています。



◆ 24章 ガリラヤ中で伝道する

【 マルコ 1:38 】 古語「宣べ伝える」は一般には理解されないので「伝道する」になりました。



◆ 25章 思いやりに動かされて重い皮膚病の人を癒やす

【 ルカ 5:12 】 「らい病」は差別語ですので「重い皮膚病」になりました。

【 詩編 72:13 】 改訂版では「魂」は意訳になります。ここの「魂」は「命」になりました。



◆ 26章 「あなたの罪は許されています」

【 コラム 】 「らい病」表記の問題
聖書には「らい病」に関する記述がいくつかあります。しかし、日本では「らい病」という語がハンセン病患者を指す差別語として用いられたため、もう使用すべきでないということになっています。そこで、「らい病」に代わってどのような訳語を用いるかということが課題になりました。厄介なことに、これを「ハンセン病」とすることはできないと考えられています。聖書の「らい病」はハンセン病ではないという研究があるからです。そこでいろいろな方がたくさんの論議をしましたが、いつまでたってもよい訳語が見つからず、結局、日本聖書協会が新共同訳聖書を刊行するにあたり、暫定的な処置として「重い皮膚病」が採用される運びになりました。ところが、この方針は強い批判にさらされました。特に、聖書が「全身らい病になっている人」を取り上げた記述でこれが「全身重い皮膚病にかかった人」と訳されることが問題になりました。こんな言い方では聖書のらい病の悲惨さが伝わらないじゃないかというわけです。聖書のらい病に比べれば症状の浅いアトピー性皮膚炎の患者たちの感情を逆なでするというような問題も生じました。そこで日本聖書協会はこのように言いました。「これはとてもじゃないですけど良い訳語でありません。ですので、これは適正な訳語が発案されるまでの暫定的な採用になります。皆さんもこの語の訳をどうしたらいいか考えてください。もし、良い訳語の提案がありましたら、どなたからの提言でも喜んで聞きますし、検討して採用させていただきます。」 ところが、新共同訳聖書の刊行から30年ほどがすぎても、だれも「重い皮膚病」に代わる訳語を思いつくことができず、訳語を検討しようにも候補がないという状況が続きました。そのうち日本聖書協会は新しい聖書翻訳の準備に取り掛かり、いよいよタイムリミット*が近づいてきました。そこで、状況を打開すべく「(身体の)深刻な腐食」という訳語の提言がある人物*によって行われましたが、日本聖書協会は何を思ったかこれを完全に無視してしまいました。この人物がエホバの証人サイドの人物であるということが響いたようで、日本聖書協会を含むキリスト教界では“そんな提言は存在しない”ということになっているらしいです。そのようなわけで、タイムリミットを目前にして、聖書のらい病に関する議論は停滞を余儀なくされているようです。ものみの塔聖書冊子協会も日本聖書協会に追従するつもりのようですので、このままでは彼の提言はほんとうになかったことになってしまいそうです。(*日本聖書協会は2018年末に新翻訳を刊行する予定です。*あえて名前を出して誰ということを言いはしませんが、提言を行ったのは宮原崇とかいう人物らしいです……。*このコラムの情報は2018年2月1日時点のものです。)



◆ 27章 マタイが加わる

【 マタイ 9:9 】 「追随者」は平易な「弟子」になりました。

【 マタイ 9:11 】 「収税人」は「徴税人」になりました。



◆ 28章 イエスの弟子たちが断食をしない理由

【 コラム 】 敬語はひかえめに
聖書の原典には敬語がほとんどありません。「神よ祈りを聞いてください」というような表現は、原語では「神よ祈りを聞きなさい」だったりします。邦訳聖書では、これをそのまま訳すのはまずいというところがあります。しかし、改訂版の新世界訳聖書では敬語の使用がかなり控えられています。訳文がくどくなることを防ぐためだと思われます。



◆ 29章 安息日に良いことを行えるか

【 コラム 】 語義から文意へ
改訂版ではギリシャ語の語義が日本語の文意へと変換されています。“He has many friends.”は語義の通りに訳すと「彼はたくさんの友達を持っている」となりますが、文意に従って適正に訳すと「彼にはたくさんの友達がいる」となります。参照資料付き聖書では文意への変換は少な目でしたが、改訂版では逆になりました。



◆ 30章 イエスは神の子

【 ヨハネ 5:17 】 ここでも「父」は「天の父」になっています。聖書の表現に不慣れな読者に配慮しています。

【 ヨハネ 5:33 】 「証しする」は「証言する」になりました。「証し」という表現は聖書の日本語である、あるいはキリスト教特有の表現であるという意見があります。正しくは「証」と書くべきであって「証し」という書き方はおかしいと言う人もいます。「証を立てる(身の潔白を証明することを指す慣用句)」という表現はあっても「証しする」などという表現はないという指摘もあります。「証し」という語には問題が多いため使用が控えられたと考えられます。

【 ヨハネ 5:36-37 】 「証し」は「証拠」また「証言する」になりました。



◆ 31章 安息日に穀物をむしる

【 コラム 】 可算名詞は控え目に
日本語ではほとんどの単語が非可算名詞で、かつ可算名詞の語形に一貫性がありません。たとえば、「人」の複数は「人々」になりますが、「馬」や「牛」に同じ語形はありません。「家」の複数は「家々」ですが、「教会」の複数は「諸教会」です。そのため、日本語の聖書では複数は単数に訳されることが多々あります。改訂版では、単数に訳される語が増えているようです。



◆ 32章 安息日に関する正しい見方

【 コラム 】 変換される三人称代名詞
日本語の聖書では、聖書の三人称代名詞はなるべく人名もしくは称号等に置き換えることになっています。たとえば、神を指す「彼」はみな「神」に置き換えられます。参照資料付き聖書はこのような場合角括弧をつけた「[神]」という表記をしますので、比較的容易にそのような箇所を把握できます。改訂版ではこの変換がより積極的に行われています。



◆ 33章 イザヤの預言を実現する

【 マタイ 12:18-21 】 「わたしの魂」は「私」になりました。ヘブライ語聖書は基本的に「聖霊」という語を用いませんが、ヘブライ語聖書からの引用部分でも「聖霊」が用いられています。文末の「であろう」はなくなりました。



◆ 34章 12使徒を選ぶ

【 コラム 】 意訳になった“魂”
参照資料付き聖書では聖書の「魂」は必ず「魂」と訳出されていますが、改訂版では意訳になりました。これによって、聖書の考える「魂」の厳密な定義が訳本から失われるという大きな問題が生じますが、それでも、聖書に不慣れな一般の読者に対する配慮のほうが優先されています。この点は脚注にも記されないことになりそうですので、十分な注意が必要でしょう。



◆ 35章 有名な山上の垂訓

【 マタイ 5:3-12 】 「自分の霊的な必要を自覚している人たち」は一般に理解されないため「神の導きが必要であることを自覚している人たち」になりました。この句についてはこちらに解説があります。「幸い」は「幸福」になりました。

【 ルカ 6:24-26 】 「災い」は「悲惨」になりました。

【 マタイ 5:17 】 ユダヤ人は「預言書」のことを「預言者たち(ヘブライ語で“ネビイーム”)」と言います。これは「預言者の言葉」と訳されました。

【 マタイ 5:19 】 ここのイエスの言葉は意訳になりました。「天の王国に関連して『一番小さい者』」は「天の王国にふさわしくない者」になっています。この句についてはこちらに解説があります。

【 マタイ 5:27-28 】 「と言われたのをあなた方は聞きました」は慣用表現であり、「あなたたちは,こう言われているのを知っています。」と訳されました。

【 マタイ 5:29-30 】 「つまずかせる」はここでは「罪を犯させる」になりました。「肢体の一つ」は「体の一部」になりました。「ゲヘナ」はそのままです。

【 マタイ 5:44-45 】 「邪悪な者」また「善良な者」は「悪人」また「善人」になりました。

【 マタイ 6:7 】 「諸国の人々」は非ユダヤ人を指す慣用句であり、「異国の人々」になりました。

【 マタイ 6:22-23 】 「目が純一であれば」は誤解の多い表現であり「目の焦点が合っていれば」になりました。

【 マタイ 6:31-33 】 ここでの「神の義」は“神にとっての義”の意味であり、「神から見て正しい事」と訳されました。「加えられる」は「与えられる」になりました。

【 ルカ 6:39-42 】 「盲人」は「目の見えない人」になりました。「垂木」は誰にでも理解できる「材木」になりました。

【 マタイ 7:12-14 】 「広く」のところで文意が正しく修正されました。

【 マタイ 7:15 】 「羊の覆いを付けて」は「羊の格好をして」になりました。

【 マタイ 7:24-25 】 ここの「岩塊」は誤解されやすい表現ですが、単に「岩」になりました。ここでの「岩」は「岩盤層」の意味、「砂」は「軟弱地盤」の意味です。



◆ 36章 百人隊長の立派な信仰

【 ルカ 7:6-7 】 改訂版では訳文が短くなる傾向が顕著ですが、ここは極端に短くなっています。

【 マタイ 8:11-12 】 「投げ込まれる」は、文脈に沿った「放り出される」になりました。

【 マタイ 16:22-23 】 補語「運命」はなくなりました。「つまずかせる」は「邪魔をしています」になりました。



◆ 37章 やもめの息子を復活させる

【 コラム 】 複数の聖書を比較しよう
改訂版の新世界訳聖書が刊行されたら、エホバの証人のテキストでは基本的に改訂版が使用されることになります。改訂版は読みやすく解りやすい一方で、原典の語句に対して訳文が厳密でないという問題も持ち合わせています。そこで、公式アプリ“JW Library”を活用するようにしましょう。JW Library には複数の聖書を常に参照する機能があります。ここに参照資料付き聖書を登録するなら、改訂版の聖書を開きつつ、原典に対して厳密な訳文も同時に見ることができるようになります。余談ですが、JW Library には聖書の原典も収められています。ギリシャ語の本文は「英語」(ギリシャ語ではありません)の欄の“Kingdom Interlinear”に収録されています。ヘブライ語本文は「ヘブライ語」の、“התנ״ך על־פי המסורה”に収録されています。



◆ 38章 ヨハネはイエスに質問する

【 マタイ 11:4-5 】 「足なえの人」は「足が不自由だった人」になりました。「らい病」は「重い皮膚病」になりました。「よみがえる」は「生き返る」になりました。



◆ 39章 鈍感な世代は悲惨

【 マタイ 11:28-30 】 「わたしのくびきを負う」は「私と共に働く」になりました。ここで言う「くびき」は二頭の家畜を並べて仕事をさせる装着具のことです。何かの荷物を背負うというような誤ったイメージが払拭されています。



◆ 40章 許しについて教える

【 コラム 】 漢字は多い目
昔から、邦訳聖書には漢字に代えてひらがなを多用する傾向があるということが言われています。最近は聖書以外の日本語文書でもそのような傾向がみられるようになっていますが、それでも聖書に対する批判は収まっていません。改訂版では漢字で表記できる語にひらがなを充てることはやめています。



◆ 41章 奇跡は誰の力によるものか

【 ルカ 8:2 】 文意が変更になり、邪悪な天使に取りつかれた人と病気の人とが同一になりました。

【 マルコ 3:22 】 「ベエルゼブブ」はそのままです。

【 マルコ 3:28-29 】 ここの「人の子」はイエスを指してはいないので単に「人」になりました。罪と冒涜が明確に分けられました。



◆ 42章 パリサイ派の人々に強く警告する

【 マタイ 12:36-37 】 「言い開きをする」は「責任を問われる」になりました。



◆ 43章 王国に関する例え

【 マタイ 13:11 】 「奥義(おくぎ)」は平易な「秘密」になりました。

【 ルカ 8:12 】 「み言葉」は「神の言葉」になりました。一般の読者の誤解を防ぐためだと思われます。

【 マタイ 13:22 】 「事物の体制」は「体制」になりました。くどさを回避したためと思われます。

【 ルカ 8:15 】 「りっぱな良い心で」は「非常に良い心で」になりました。「み言葉」は「神の言葉」になりました。

【 マルコ 4:21-23 】 「ともしび」は「ランプ」になりました。「寝床」は「ベッド」になりました。ここではイエスの言葉が大幅に短くなっています。

【 マタイ 13:37-39 】 「りっぱな」は「良い」になりました。「事物の体制」は「体制」になりました。

【 マタイ 13:44 】 「畑」は「野原」になりました。



◆ 44章 海の嵐を静める

【 コラム 】 間引かれる語
改訂版では、できる限り訳文をシンプルにする努力が払われています。原典にある語であっても、二語をまとめて一語にしてしまう、場合によっては単に省略する、といった手法を駆使して、訳語の削減が行われています。このようなことをした聖書は字義訳の聖書ではなくなるのではないか、と思われるかもしれません。しかし、邦訳聖書においては、字義訳とされる他の聖書においてもこのような手法が用いられていますので、これは許容範囲であるということが言えるようです。



◆ 45章 大勢の邪悪な天使を追い出す

【 マルコ 5:7-8 】 慣用表現「わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか」は意訳になりました。「責め苦に遭わせる」は「罰する」になりました。(改訂英語版では従来通り「責め苦に遭わせる」です。) 「汚れた霊」は「邪悪な天使」になりました。

【 マルコ 5:9 】 「軍団(レギオン)」は「レギオン」になりました。

【 ルカ 8:31 】 「去って底知れぬ深みに行く」は「底知れぬ深みに去っていく」になりました。この点についてはこちらに情報があります。



◆ 46章 イエスの外衣に触って癒やされる

【 コラム 】 スタディー版に更新される改訂版
現在*、新世界訳聖書改訂英語版は、豊富な注釈を掲載した「スタディー版」への移行を進めているところです。将来的に「改訂版」という言い方はなくなり、「スタディー版」と呼ばれることになるようです。ちなみに、綴りは「スタディ」ではなく「スタディー」になるようです。(*このコラムの情報は2018年6月1日時点のものです。)



◆ 47章 少女が復活する

【 マルコ 5:36 】 「信仰を働かせる」は「信仰を抱く(いだく)」になりました。



◆ 48章 奇跡を行うが,ナザレで退けられる

【 マタイ 13:54-56 】 「兄弟」、「姉妹」は「弟」、「妹」になりました。

【 マタイ 13:57 】 二重否定「敬われないことはありません」は「敬われます」になりました。この種の表現は発達障害などの問題を抱えている方には理解しにくいということを考慮したかもしれません。



◆ 49章 ガリラヤで伝道し,使徒たちを訓練する

【 マタイ 9:35 】 「あらゆる疾患とあらゆる病」は「あらゆる病気や不調」になりました。

【 マタイ 10:5-7 】 「諸国民」は「異国人」になりました。「失われた羊」は「迷い出た羊」になりました。「宣べ伝える」は「伝道する」になりました。

【 マルコ 6:10 】 参照資料付き聖書には文意の問題があり、「その場所」と「そこ」がどちらも「家」を指しているように読めましたが、解決されました。



◆ 50章 迫害されても伝道を続けるための準備

【 マタイ 10:28 】 「魂」は「命」になりました。



◆ 51章 誕生パーティーの裏で行われた殺人

【 ルカ 9:7 】 「よみがえる」は「生き返る」になりました。



◆ 52章 少しのパンと魚で非常に大勢の人に食事をさせる

【 コラム 】 参照資料付き聖書はどうなる?
現行の新世界訳聖書は、すでに一部で「参照資料付き聖書」と呼ばれていて、改訂された新世界訳聖書に「新世界訳聖書」としての立場を譲りつつも、引き続き利用されることになっています。改訂版は『読みやすく理解しやすい聖書』、参照資料付き聖書は『原典に対して厳密な聖書』という住み分けが行われることになります。そこで問題となるのは、参照資料付き聖書はもう改訂されないのか、という点です。参照資料付き聖書にはいくつかの問題点があります。特に、差別語とされる「らい病」の表記が残っているのは非常に大きな問題です。ものみの塔聖書冊子協会は参照資料付き聖書改訂版の完成原稿を現行の改訂版の原稿とは別に持っているという話もありますから、改訂版の聖書の刊行に伴って、併せて参照資料付き聖書の改訂版が発表されるという可能性もあるのでしょう。



◆ 53章 風と海をコントロールする支配者

【 ヨハネ 6:19 】 「三,四マイル」は「5,6キロ」になりました。



◆ 54章 イエスは「命のパン」

【 ヨハネ 6:25-28 】 「滅びる」は「腐る」に、「永遠の命へとながく保つ」は「なくならないで永遠の命をもたらす」になり、原典の文意が明確になりました。参照資料付き聖書では、人が食物によって「滅びる」か「永遠の命へとながく保つ」か、ということを述べているようにも見えますが、「滅びる」のも「ながく保つ」のも食物のほうです。(「滅ぼす食物」とはなってません。)

【 ヨハネ 6:43-47 】 「つぶやく」は「不満を口にする」になりました。「つぶやく」という語は最近になって主な意味が“Twitterにコメントする”にすり替わってしまいました。今後のことも考えて、「つぶやく」は使用しないことにしたようです。「預言者たち」は「預言者の書」になりました。「神から出た」は誤解のある訳でしたが「神の所から来た」になりました。この句についてはこちらに解説があります。



◆ 55章 大勢の人がイエスの言葉に衝撃を受ける

【 ヨハネ 6:61-64 】 「つまずかせる」は「反感を抱いている」になりました。



◆ 56章 人を本当に汚すものとは何か

【 マタイ 15:3-6 】 「少しも敬ってはならない」は「敬わなくてよい」になりました。これは解説文にあるように「敬うことができない」の意味ですので、問題でしょう。改訂版は原典の文意を汲み上げる訳に努めていますが、間違えてしまうと大問題です。おそらく、刊行の後にこの種の問題の修正が繰り返されることになるでしょう。

【 マタイ 15:12-14 】 「つまずいた」は「反感を抱いた」になりました。「盲目」は「目が見えない」になりました。

【 マタイ 15:17-20 】 「腸」は「胃」になりました。



◆ 57章 女の子と耳が聞こえない人を癒やす

聖書の訳文とは関係ないかもしれませんが、ここの表題の「女の子」はちょっと問題です。参照資料付き聖書のガラテア 4:30などで生じている既知の問題ですので注意してもらいたいです。(*この記述は2018年6月(ごろ)に公表されました。)

【 マタイ 15:22 】 原典のニュアンスを考慮して、訳文に「ひどく苦しめられています」が加えられています。

【 マタイ 15:23-25 】 「失われた羊」は「迷い出た羊」になりました。「イスラエルの家」はそのままです。



◆ 58章 パンを増やし,パン種について警告する

【 マタイ 16:2-3 】 「空が火のように赤い」はそれぞれ「夕焼け」、「朝焼け」になりました。



◆ 59章 人の子とは誰のことか

【 マタイ 16:18-19 】 「ハデスの門」は「死の力」になりました。



◆ 60章 栄光のうちにキリストの姿が変わる

【 マタイ 16:28 】 否定文を用いた肯定は肯定文になりました。

【 マタイ 16:28 】 「書士」は「律法学者」になりました。



◆ 61章 邪悪な天使に取りつかれた男の子を癒やす

またまた表題が問題です。今度は「男の子」ですね。これはどっちの意味なんでしょう……。(*この記述は2018年6月(ごろ)に公表されました。)

【 コラム 】 日本手話版の新世界訳
新世界訳聖書の訳業は日本手話でも行われています。現在*、日本手話の聖書は、日本ろう福音協会手話聖書と新世界訳聖書日本手話版がありますが、どちらも完成していません。新世界訳のほうは、まずは抜粋で収録を行い、すでに聖書のほぼすべての章が網羅され、要約版と呼べる出来上がりになっています。いまは全訳に向けた訳業が進んでいて、ルカ福音書などいくつかの書は完成しています。「聖書協会世界連盟年次報告書2017年」によると、世界のどの手話言語においても「新旧約聖書すべてが手話に訳された例はまだない」そうです。(*このコラムの情報は2018年7月1日時点のものです。)



◆ 62章 謙遜さについての大切な教え

【 マタイ 17:27 】 「海」は「湖」になりました。「スタテル硬貨」は「銀貨」になりました。

【 マタイ 18:3-5 】 「身を転じて」は「心を入れ替えて」になりました。「迎える」は「受け入れる」になりました。



◆ 63章 信仰を妨げるものと罪について教える

【 マタイ 18:5 】 「名によって」は「名のために」になりました。「迎え」は「受け入れ」になりました。

【 マルコ 9:42 】 「信じる」は「信仰を持つ」になりました。「小さな者」は「目立たない人」になりました。「つまずかせる」は「信仰を妨げる」になりました。

【 マタイ 18:15-17 】 「兄弟を得た」は「兄弟を助けた」になりました。



◆ 64章 許すことの大切さ

【 コラム 】 期待される点字版
ものみの塔聖書冊子協会は、点字の出版物を出版し、点字ディスプレイ端末向けの電子データもリリースしていますが、聖書の点字版は出していません。改訂版の刊行にあわせて、点字版の刊行の期待も高まります。おそらく、電子データでの提供になるでしょう。

(追記:2019年7月に点字版の予約がアナウンスされました)



◆ 65章 エルサレムへの旅の途中で教える

【 コラム 】 ドラマ風になる朗読版
改訂版の新世界訳聖書の刊行後、朗読版が順次リリースされると思われます。改訂英語版では、ナレーションや台詞に配役があり、ドラマ風の出来栄えになっています。日本語版でも同様になることが期待できるでしょう。




( 途中ですが、この文書の連載は休止しました。)