新世界訳
エホバの証人の聖書

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今のところ、日本において主流と呼べる聖書翻訳は5つあります。これらの訳本を紹介しますので、聖書を入手する際の参考にしてください。

聖書翻訳が主流と呼ばれるには以下の基準を満たしている必要があるでしょう。

1.全訳であること
 ここで言うところの全訳とは、聖書全巻にわたって一貫した方針のもと訳業が行われ、かつ訳文が完成の状態にあるという意味です。聖書の訳業においては、聖書を部分ごとに分割してそれを複数の翻訳者に振り分けて翻訳させ、訳文が出来上がった順に分冊で出版するということが広く行われていますが、このようなやり方で聖書の訳文をすべて揃えたとしても、それは全訳とはみなされません。どうしてでしょうか。訳文がすべてそろった段階ではまだ、全体の調整が行われていないからです。
 それは、1冊の聖書としての体裁の整ったものであっても、全訳であるとは言えない聖書があることを意味しています。バルバロ訳聖書(カトリック)は形式的には全訳の聖書となっていますが、実際には全訳とみなされていません。これは、カトリックの神父バルバロとデル・コルとが聖書を2つに分けて訳したものを1冊にまとめただけだからです。そのようなことをしたため、バルバロとデル・コルとで翻訳の仕方に食い違いが生じています。この聖書は一度改訳され、その際に翻訳のムラはかなり解消されたとされていますが、まだひどい部分が残っています。
 全訳の聖書は、訳文が聖書全巻にわたって一貫していますし、そのうえたいていは間違いが少ないので、安心して読むことができます。
 日本にも個人訳の聖書はたくさんありますが、全訳と呼べるものはわずかしかありません。

2.字義訳であること
 聖書を翻訳するからには、正確でなければなりません。
 聖書の語句を正しく反映することよりも、読みやすさを優先するような翻訳はどうしても主流にはなり得ません。現代訳聖書(尾山令仁訳聖書)(ファンダメンタル)などがその例です。この聖書は、聖書が読者にとって読みやすく理解しやすいということを考えて至るところで訳文を変えていますし、そのうえ大胆にも、翻訳者の個人的趣味に合わせて聖書の内容を変更することまでやっています。これを翻訳した尾山令仁氏は「謝罪運動」でよく知られており、とても良い方です。現代訳聖書の訳業にも良い動機で取り組まれたのだと思いますが、主流にはなれません。
 ただし、字義訳の聖書には、訳文がぎこちなくなって読みづらいという問題があります。そのため、字義訳の聖書を嫌う人も多くいます。新世界訳聖書の批評に顕著にみられるように、字義訳の聖書はひどくたたかれることがあります。

3.最新の学術研究が反映されていること
 聖書の意味を厳密に知らない人が聖書を翻訳すると、字義通りに聖書を訳していても、正しい訳語、訳文の選択や、文脈の調整が行われなかったために、訳文自体が矛盾してしまったり、考古学上の事実や地理、系図などといった知見と比較したときにつじつまが合わなくなったりしてしまうものです。そういう問題は聖書全巻にわたって至るところにありますから、聖書の訳業は、そのような問題をしらみつぶしに解決していく作業になります。
 これを行うには、翻訳者の相当な学術知識と、時間と労力が求められるでしょう。
 これから挙げる5つの翻訳は、いずれもこの基準に一応合格してはいるんですが、厳密には、新共同訳聖書と新世界訳聖書とで「二人勝ち」の状態になっています。これは調査能力の差というものです。新共同訳聖書は日本聖書協会から、新世界訳聖書はものみの塔聖書冊子協会から出版されています。この両者には世界規模での資料集めを行う能力があり、それを聖書の訳業に存分に活用できるという強みがあります。
 最新の学術研究を反映していると言えば、岩波書店新旧約聖書(新約・旧約翻訳委員会訳)(エキュメニカル)がありますが、これは実質的には個人訳の寄せ集めであり、翻訳者の考え方がバラバラですので、主流にはなれません。

4.訳文の日本語が優れていること
 これには2つの要素があります。訳文の語法が原典の語法に調和しているか、それから、訳文の日本語がへたくそでないかです。
 少し断っておくと、語法に関して言えば、日本の聖書はどうも成績がよくありません。これはどうにも解決が難しい問題のようです。
 読みやすさについては、人によって意見が分かれるかと思います。

5.十分に頒布されていること
 頒布数の多いことは、信頼されていることの証しであり、普及していることの証しです。そもそも普及していない聖書が主流となることはあり得ません。少なくとも100万冊は頒布されているべきです。
 
では、この条件に合う5つの聖書を紹介していきたいと思います。

◆ 文語訳聖書 (プロテスタント)

 これは、「ヘボン式ローマ字」で有名な宣教者のヘボンと、ブラウン、グリーンが中心となって翻訳したもので、5つの中では一番古くなります。
 訳文が文語体であることが大きな特徴となっています。神名は「エホバ」となっています。
 歴史ある聖書ですが、さすがに古くなってきて今ではほとんど使われていません。
 訳文はジェームズ王欽定訳聖書という英訳聖書に準じています。また、大正改訳は改正訳の影響を受けているようです。

◆ 口語訳聖書 (プロテスタント)

 日本聖書協会が文語訳聖書の改訳という触れ込みで出した新しい翻訳です。
 文語訳聖書と違って訳文を口語体にしました。神名は「主」に置き換えられています。
 訳文は英語の改訂標準訳聖書に準じています。
 この聖書は非常に多くの点で模範的な聖書で『日本の標準訳』とも呼べるものです。残りの3つの翻訳もその後を追っています。

◆ 新改訳聖書 (ファンダメンタル)

 口語訳聖書に不満を持った福音主義(ファンダメンタル)の神学者たちによって、口語訳聖書に対する批判という触れ込みで出された翻訳です。
 訳文がていねいで、親しみが持てます。神名は「主」に置き換えられています。
 多くの教会が口語訳聖書よりも新改訳聖書を用いてきました。
 ただ、過剰に三位一体論に走るという傾向が見られます。「神とイエス」といった表現が、三位一体論に合わせて「神であるイエス」というふうに訳出されたりしていますので、学術的には信頼できないものと評価されています。

◆ 新世界訳聖書 (エホバの証人)

 エホバの証人による聖書です。
 訳文は英語版の新世界訳聖書に準じています。神名は「エホバ」です。
 訳文にぎこちなさが少ないという特徴があります。よい翻訳ですが、エホバの証人しか使いません。
 エホバの証人の聖書であるということでキリスト教世界からの偏見が強く、よく「改竄聖書」と言われます。また、エホバの証人に反対する人たちによって「欠陥翻訳」であるとも宣伝されています。この手の疑惑については本サイトでくわしく紹介していますのでご参照ください。

◆ 新共同訳聖書 (カトリック・プロテスタント)

 日本聖書協会が口語訳聖書に代わるものとして出した聖書です。5つの中では最も新しくなります。
 神名は「主」に置き換えられています。
 カトリックとプロテスタントの神学者たちが共同で訳業にあたったという点が高く評価され、ほとんどの教会で使用されるようになりました。
 いくらか保守的な傾向が見られますが、全体的にはすぐれた訳本であると評価されています。

 




 この文書をご覧になる方の中には王国会館の図書を担当している方がおられるでしょう。その方は「わたしたちの王国宣教」1992年11月号の内容を承知しておられるはずです。



◇ 「わたしたちの王国宣教」1992年11月号, ものみの塔聖書冊子協会

聖書の知識を収めた聖書文書を中心とした王国会館の図書は,会衆の成員はもとより研究生にとっても貴重な備えです。充実した図書が設けられることにより,3,000近くの会衆が益を受けることになります。この図書の目的は,聖書を研究したり特別の情報を調べたりするために,ほかでは入手できない協会の出版物や参照用書籍を利用できるようにすることです。―使徒 17:3。
含めるべきもの: 王国会館の図書に何を含めるべきでしょうか。まず最新のものを含む協会の種々の出版物,可能であれば幾種類かの翻訳聖書や辞書などを図書棚に備えることができるでしょう。調べたり研究したりすることを意図して準備された「ものみの塔出版物索引」や,最新の情報を収めた「洞察」の本(英文)は神権図書を充実させるのに不可欠です。



 ものみの塔聖書冊子協会としては、どの訳本を図書に加えるべきかを具体的に指示しているわけではありません。そうすると、具体的に指示のないことはなんとなく行わないという消極的な方針に基づいて新規の聖書の購入を全く行わない会衆があったりします。うちには新世界訳聖書しか置いていないというずさんな王国会館もあります。
 そこであえて私からひとこと言っておきますが、上記の聖書は図書に揃えておくべきです。特に新共同訳は必要です。

 




 購入前に訳文の比較を行いたいという方のために、聖書から有名な個所やくどい箇所や面白い箇所を選んで、新改訳、新共同訳、新世界訳の訳文を示します。



出エジプト 15:1-3

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。主はいくさびと。その御名は主。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し 馬と乗り手を海に投げ込まれた。主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。主こそいくさびと、その名は主。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
その時モーセとイスラエルの子らはエホバに向かってこの歌を歌い,次のように言いはじめた。「エホバに向かってわたしは歌う。[神]はまことに高められたから。馬とその乗り手とを海の中に投げ入れられた。わたしの力,[わたしの]偉力はヤハ。わたしの救いとなってくださるからだ。これがわたしの神,わたしはこの方をたたえよう。わたしの父の神,わたしはこの方を高めよう。エホバは雄々しい戦人。エホバがその方のみ名。



申命記 30:1-3

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
「そして,これらのすべての言葉,すなわちわたしがあなたの前に置いたこの祝福と呪いがあなたに臨む時,あなたの神エホバがあなたを離散させたそのあらゆる国民の中にあってそれをあなたの心に思い返し,あなたの神エホバのもとに立ち返り,あなたもあなたの子らも,わたしが今日命じるすべてのことにしたがい,心をつくし魂をつくしてそのみ声に聴き従ったなら,あなたの神エホバもまた必ずあなたの捕らわれ人たちを連れ戻し,あなたに憐れみを示し,あなたの神エホバがあなたを散らしたそのあらゆる民のもとから再びあなたを集めてくださるであろう。



詩編 23:1-4

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
エホバはわたしの牧者。わたしは何にも不足しません。[神]は草の多い牧場にわたしを横たわらせ,水の十分にある休み場にわたしを導いてくださいます。[神]はわたしの魂をさわやかにしてくださいます。そのみ名のために義の進路にわたしを導いてくださいます。たとえ深い陰の谷を歩もうとも,わたしは何も悪いものを恐れません。あなたがわたしと共にいてくださるからです。あなたのむち棒と杖は,わたしを慰めてくれるものなのです。



伝道(コヘレト) 1:1-5

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう。一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
エルサレムの王ダビデの子,召集者の言葉。「何とむなしいことか!」と召集者は言った,「何とむなしいことか! すべてはむなしい」。人が日の下で骨折って働くそのすべての骨折りに何の益があろう。代は去り,代は来る。しかし,地は定めのない時に至るまで立ちつづける。そして,日もまた輝き出,そして日は没した。それは自分の輝き出る場所へ,あえぎながら来るのである。



マタイ 6:9-13

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を 赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
「そこで,あなた方はこのように祈らなければなりません。 「『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください。また,わたしたちに負い目のある人々をわたしたちが許しましたように,わたしたちの負い目をもお許しください。そして,わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください』。



使徒 17:24-27

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
世界とその中のすべてのものを造られた神,この方は実に天地の主であり,手で作った神殿などには住まず,また,何かが必要でもあるかのように,人間の手によって世話を受けるわけでもありません。ご自身がすべて[の人]に命と息とすべての物を与えておられるからです。そして,一人の[人]からすべての国の人を造って地の全面に住まわせ,また,定められた時と[人々]の居住のための一定の限界とをお定めになりました。人々が神を求めるためであり,それは,彼らが[神]を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ[神]は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません。



ローマ 8:31-34

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
では,これらのことに対してわたしたちは何と言えばよいでしょうか。もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか。ご自身のみ子をさえ惜しまず,わたしたちすべてのためにこれを引き渡してくださったその方が,どうしてそのご親切によって,[み子]と共にほかのすべてのものをも与えてくださらないことがあるでしょうか。神の選ばれた者たちに対してだれが訴えを提出するでしょうか。神が[彼らを]義と宣しておられるのです。罪に定める者はだれですか。キリスト・イエスは死んでくださった方,いえ,死人の中からよみがえらされて神の右におられる方であり,この方はまた,わたしたちのために願い出てくださるのです。



ガラテア 2:15-16

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
生来のユダヤ人であって,諸国民の罪人でないわたしたちも,人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,ただキリスト・イエスに対する信仰を通してであることを知っているので,このわたしたちでさえキリスト・イエスに信仰を置き,こうして,律法の業によってではなく,キリストに対する信仰によって義と宣していただけるようにしたのです。律法の業によっては,肉なる者はだれも義と宣せられないからです。



コリント第一 13:4-7

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。