新世界訳
エホバの証人の聖書

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 ギリシャ語 εἰς (エイス) は、基本的には「……のために」という意味を持つ語です。
 この語の意味を決定する要素はいくつかあります。一つは「目的か結果か」です。もう一つは「現在か将来か」です。さらに、エイスが将来を指している場合には確実性ということが関係するかもしれません。
 聖書においてギリシャ語エイスが救いに関連して用いられている場合、その語は神学的な意味合いを帯びます。そのため、訳文の是非をめぐる論争が生じることもあります。



○ 救いを示唆するギリシャ語 εἰς の問題

目的を示すのか結果を示すのか

現在の行為なのか将来の行為なのか



 この文書では、ギリシャ語エイスが翻訳された聖書においてどのように扱われるか、いくつかの例を見ていきます。

 まず最初に、ギリシャ語エイスが聖書翻訳においてどのような課題を生じさせるかを示す代表的事例として、ローマ 10:10に注目しましょう。



ローマ 10:10

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。



 この句において、新世界訳聖書はエイスを目的の意味にとり、新共同訳聖書は結果の意味にとりました。この句においてエイスは目的と結果の両方の意味を帯びているのでしょう。翻訳ではそのどちらかの意味を選択しなければならず、その印象は大きく異なることになります。

 続いて、ローマ 5:21が挙げられると思います。



ローマ 5:21

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
何のためですか。罪が死を伴って王として支配したのと同じように,過分のご親切もまた,わたしたちの主イエス・キリストを通して来る永遠の命の見込みを伴いつつ,義によって王として支配するためでした。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。



 新世界訳聖書も新共同訳聖書も共にエイスを将来の結果ととっていますが、文意には微妙な違いがあります。新共同訳はエイスを単純に将来の結果と捉えていますが、新世界訳は現在から俯瞰した将来の結果という捉え方になっています。
 キリスト教世界には新世界訳聖書の訳を攻撃する向きがあります。「見込み」という訳は救いの確実性を否定するものだ、というのがその理由です。しかし、現行の多くのキリスト教が教えるところとは異なり、聖書自身は救いの確実性ということについてかなり否定的です。新世界訳聖書の訳は、聖書が書かれた当時のエイスの理解を正しく表したものと評価することができるでしょう。

 聖書が救いの確実性を認めていないことは多くの記述から認められますが、ここではひとつだけ挙げておきます。



ヘブライ 6:4-8

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
一度かぎりの啓発を受け,天からの無償の賜物を味わい,聖霊にあずかる者となり,神の優れた言葉と来たるべき事物の体制の力とを味わっておきながら,なおも離れ落ちた者たちについては,そうした者たちを再び悔い改めに戻すことは不可能なのです。なぜなら,彼らは神の子を自分であらためて杭につけ,公の恥にさらしているからです。たとえば,その上にしばしば降る雨を吸い込み,その耕作の目的となっている人々に適する草木を生み出す地面は,報いとして神から祝福を受けます。しかし,いばらやあざみを生じるなら,それは退けられ,のろわれたも同然になり,ついには焼かれてしまいます。



 救いの確実性ということについては、ローマ 5:21の項に詳しい情報がありますのでそちらのほうを参照してください。

 今度は、ローマ 6:16です。



ローマ 6:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷となり,死の見込みを伴う罪の[奴隷]とも,あるいは義の見込みを伴う従順の[奴隷]ともなることを知らないのですか。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。



 ここでも似たような違いがみられます。単に結果がどうなるかということを考えるなら訳文は新共同訳聖書のようになりますが、新世界訳聖書は現在から結果を俯瞰していて、救いと裁きの確実性があいまいになっています。ここでの「義」は「救い」の言い換えです。聖書の救いの考え方では、罪を犯す人は神に許されさえすれば救われますが、こうして神に救われた人でも罪に戻るなら救いを失います。新世界訳聖書の訳のほうが、訳文が示している情報は豊富です。

 続いて、ローマ 6:19を見てみましょう。



ローマ 6:19

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしは,あなた方の肉の弱さのために人間的な言い方をします。あなた方は,[かつて]自分の肢体を,不法の見込みを伴う不法と汚れに対する奴隷として差し出したように,今は自分の肢体を,神聖さの見込みを伴う義に対する奴隷として差し出しなさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。



 新世界訳聖書と新共同訳聖書とでは訳文がかなり違います。ここではまず、キリスト教徒が不法に生きることが過去のこととして述べられていますが、エイスが使われている部分で新世界訳聖書は過去から将来を俯瞰しています。また、キリスト教徒が神聖な生き方をすることは現在のことと述べられていますが、エイスが使われている部分で新世界訳聖書はやはり将来を俯瞰しています。どちらの訳も、過去と現在を正しくとらえていますが、エイスの捉え方の違いにより、文意の違いが生じています。

 あとは細かい例をいくつか見ましょう。



ヨハネ 12:25

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
自分の魂を慈しむ者はそれを滅ぼしますが,この世において自分の魂を憎む者は,それを永遠の命のために保護することになります。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る



使徒 11:18

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,これらのことを聞くと,彼らは黙って同意し,それから神の栄光をたたえてこう言った。「それでは,神は命のための悔い改めを諸国の人々にもお授けになったのだ」。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。



使徒 13:48

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
諸国の人たちはこれを聞いて歓び,エホバの言葉に栄光を帰するようになった。そして,永遠の命のために正しく整えられた者はみな信者となった。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。