エホバの証人の聖書

グランヴィル・シャープの法則

 グランヴィル・シャープの法則とは、ギリシャ語の定冠詞と接続詞の用法についての法則で、三位一体論と、三位一体論が関わる聖句の翻訳に大きな影響を与えてきました。
 ここでは、簡単な解説と、関係している聖句の考察を行いたいと思います。

 グランヴィル・シャープの法則は、このように定義できます。
 「一つの冠詞が複数の実詞の前に置かれているとき、冠詞は複数の実詞を関連づける」、あるいは、「複数の実詞の前に置かれた冠詞は、その複数の実詞を修飾する」。

 この定義は、三位一体論を擁護したいと願う人たちによって拡張されてきました。
 三位一体論においてこの法則が問題となるのは、「神と子」、あるいは類似の表現が聖書中にあったときです。そのようなときに定冠詞がどのように用いられているかが問題になります。
 三位一体論者によって拡張されたシャープの法則によれば、複数の実詞をそれぞれ“A”と“B”と仮定した場合において、“the A and B”という定冠詞の用法が見られるときには、AとBは実体において同一であり、“the A and the B”という定冠詞の用法が見られるときには、AとBは実体において別個です。
 もしも、「神と子」という聖書中の表現が、“the A and B”の形になっている場合には、神エホバと子イエスとは同一であると見なされます。

 このような考え方には種々の問題点があります。

 まず、シャープの法則は厳密ではないという問題が挙げられます。
 シャープの法則は、ギリシャ語の用法と完全には一致しません。シャープの法則は、聖書における定冠詞の用法の傾向を明らかにするにとどまります。
 さらに、シャープの法則は、ただ単にものの関連性・共通点を明らかにするにすぎません。
 シャープの法則に適合するからといって、あるものとあるものが必ず同一であると考えるのは軽率です。

 「新約聖書の文法的考察」はこう述べています。

『この時期のギリシャ語に関して,このような規則が本当に決定的なものであったかどうかは定かではない』(「ものみの塔」誌1981年8月15日号より)


 では、三位一体論とシャープの法則との関連が問題となる聖句を、カテゴリ別に挙げていきたいと思います。
 まず、「神と子」が、“the A and B”の形式で記述されている聖句を挙げます。

 まず、エフェソス 5:5です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「あなた方はこのことを知っており、自分でも認めているのです。すなわち、淫行の者、汚れた者、貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの、そして神の王国に何の相続財産もありません。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。」

口語訳聖書(プロテスタント)「あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。」

新改訳聖書[第三版](ファンダメンタル)「あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―これが偶像礼拝者です、―こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」

 ここは、英語にして“kingdom of the Christ and God”の形になっています。

 続いて、テサロニケ第二 1:12です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「それは、わたしたちの神および主イエス・キリストの過分のご親切にしたがって、わたしたちの主イエスの名があなた方の中で栄光を受け、またあなた方も彼との結びつきのもとに[栄光を受ける]ためです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです。」

口語訳聖書(プロテスタント)「それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。」

 ここは、英語にして“the God of us and Lord Jesus Christ”の形になっています。

 続いて、テモテ第一 5:21です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「神とキリスト・イエスと選ばれたみ使いたちの前で、あなたに厳粛に言い渡します。早計な判断を下すことなくこれらの事を守り、何事も偏った見方で行なうことのないようにしなさい。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。」

口語訳聖書(プロテスタント)「わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた御使たちとの前で、おごそかにあなたに命じる。これらのことを偏見なしに守り、何事についても、不公平な仕方をしてはならない。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行ないなさい。」

 ここは、英語にして“the God and Christ Jesus”の形になっています。

 続いて、テモテ第一 6:13です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「すべてのものを生かしておられる神、また、証人としてポンテオ・ピラトの前でりっぱに公の宣言をされたキリスト・イエスのみ前であなたに命じます。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。」

口語訳聖書(プロテスタント)「わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。」

 ここは構文が長いので、構文の紹介は行いません。
 調べたい方は、直接原典を見てください。

 続いて、テモテ第二 4:1です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「わたしは、神のみ前、また生きている者と死んだ者とを裁くように定められているキリスト・イエスの[み前]にあって、またその顕現と王国とによって、あなたに厳粛に言い渡します。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。」

口語訳聖書(プロテスタント)「神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。 」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」

 ここは、英語にして“the God and Christ Jesus of ...”の形になっています。

 続いて、テトス 2:13です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「そしてわたしたちは、幸福な希望と、偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの栄光ある顕現とを待っているのです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」

口語訳聖書(プロテスタント)「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。」

 ここは、英語にして“the great God and Savior of us Christ Jesus”の形になっています。

 続いて、ペテロ第二 1:1です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロから,わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義により,わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人々へ:」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。」

口語訳聖書(プロテスタント)「イエス・キリストの僕また使徒であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。」

 ここは、英語にして“the God of us and Savior Jesus Christ”の形になっています。

 続いて、ペテロ第二 1:2です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「過分のご親切と平和が、神およびわたしたちの主イエスについての正確な知識によってあなた方に増し加えられますように。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。」

口語訳聖書(プロテスタント)「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」

 ここは、英語にして“the God and Jesus the Lord of us”の形になっています。

 見ていただいた内容からもおわかりと思いますが、学術的に見て、シャープの法則には三位一体論を擁護するほどの力はなく、たいていの聖書翻訳はこの法則を三位一体に適用しません。
 ただ、ファンダメンタリストによる訳である新改訳聖書には、三位一体論的なシャープの法則の適用が散見されます。

 そのような状況の中で、多くの翻訳が足並みをそろえてこの法則を適用している聖句が、テトス 2:13です。
 この聖句には、「神であるキリスト」と訳すことを可能とする神学上の逃れ道があるため、その逃れ道が適用されている、ということのようです。
 詳しくは、テトス 2:13の項をご覧ください。


 では、続いて、「主とキリスト」が、“the A and B”の形式で記述されている聖句を挙げます。

 まず、ペテロ第二 1:11です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「事実、そうすることによって、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る[機会]が、あなた方に豊かに与えられるのです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。」

口語訳聖書(プロテスタント)「こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。」

 ここは、英語にして“the Lord of us and Savior Jesus Christ”の形になっています。

 続いて、ペテロ第二 2:20です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「確かに、主また救い主なるイエス・キリストについての正確な知識によって世の汚れから逃れた後、再びその同じ事柄に巻き込まれて打ち負かされるなら、その人たちにとって、最終的な状態は最初より悪くなっているのです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。」

口語訳聖書(プロテスタント)「彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」

 ここは、英語にして“the Lord and Savior Jesus Christ”の形になっています。

 続いて、ペテロ第二 3:2です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「それはあなた方が、聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことばと、あなた方の使徒たちを通して[与えられた]主また救い主のおきてを思い出すためです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。」

口語訳聖書(プロテスタント)「それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。」

 ここは、英語にして“the Lord and Savior”の形になっています。

 続いて、ペテロ第二 3:18です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「そうです、むしろ、わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長しなさい。この方に、今も、またとこしえの日に至るまでも栄光が[ありますように]。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。」

口語訳聖書(プロテスタント)「そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」

 ここは、英語にして“the Lord of us and Savior Jesus Christ”の形になっています。

 この、「主とキリスト」の形では、「主」とはだれか、ということがまず問題です。
 ギリシャ語聖書では、「主」という語の用法は曖昧であり、しばしば、それがエホバを指しているのか、イエスを指しているのか分かりません。
 そこで、推察することが求められます。
 「主」がエホバであると考えられる聖句では、そこは「主とキリスト」と訳すことになるでしょう。
 それがイエスなら、「主であるキリスト」と訳します。
 よく分からないところでは、中立的な訳が求められます。

 ペテロ第二 1:11, 2:20, 3:18では、「主」の対象がまったく不明です。
 ペテロ第二 3:2では、口語訳や新共同訳は「主」がエホバでなく、イエスであると考えています。
 使徒たちが語った主は、そして預言者たちが預言した主はイエス以外に考えられない、ということです。

 新改訳聖書は、事情のいかんに関わりなく訳し方を統一しています。
 これは、ここの「主」はすべてイエスである、と考えたからなのか、それとも、「主」をエホバと読み、かつ三位一体論を擁護したいからなのか、判然としません。

 この、「主」はだれか、という問題に関して参考になるのが、エルサレムの聖書協会の発行するヘブライ語新約聖書です。これは、参照資料付き新世界訳聖書では『エ22(J22)』となっているものです。
 この翻訳は、新世界訳と同様、ギリシャ語聖書中にある「主」がエホバであると考えられる場合には、「主」ではなく、「YHWH(エホバ/ヤーウェ)」を訳語とする方針を立てています。
 これを見てみますと、4カ所すべてで、「主」という訳語が充てられています。


 続いて、「神と子」が“the A and the B”の形式で記述されている聖句を挙げます。
 つまりこれは、グランヴィル・シャープの法則において、冠詞の用法が両者の関連を認めないとされているものです。

 まずは、ヨハネ 20:28です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「それに答えてトマスは彼に言った、「わたしの主、そしてわたしの神!」」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。」

口語訳聖書(プロテスタント)「トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」」

 ここは、英語にして“the Lord of me and the God of me”の形になっています。

 この聖句は、シャープの法則によって三位一体論を擁護したい三位一体論者にとっては頭の痛い聖句です。
 というのも、三位一体論的なシャープの法則をそのまま適用すれば、神とイエスとは別個の存在であるということになってしまいます。

 この問題を解決しようとして、三位一体論者はこう論じます。
 「ここでは、神とイエスとの両方に冠詞が使われている。これは、神とイエスとがお互いに対等であることを意味している。そこで、この聖句は三位一体を証明する聖句である」。
 しかし、これは大きな矛盾です。
 結局、三位一体論者に言わせれば、定冠詞の用法がどちらであっても、結論は同じで、キリストは神ということになります。
 これでは詐欺です。

 あるいは、三位一体論者はこう述べます。
 「ここで、トマスはイエスが主であり、神であると認めたのだ」。
 しかし、このように述べると、その人は、三位一体論を擁護するためにシャープの法則を捨てたことになります。

 続いて、テサロニケ第二 2:16です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「また、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、過分のご親切によって永遠の慰めと良い希望を与えてくださったわたしたちの父なる神が、」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、」

口語訳聖書(プロテスタント)「どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、」

新改訳聖書[第二版](ファンダメンタル)「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、」

新改訳聖書[第三版](ファンダメンタル)「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、」

 ここは、英語にして“the Lord of us Jesus Christ and the God ...”の形になっています。
 新改訳聖書第二版は、“and the God”のところから定冠詞が省かれている写本を底本としているようです。第三版では修正されています。

 続いて、黙示録(啓示) 11:15です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「また、第七のみ使いがラッパを吹いた。すると、大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」」

口語訳聖書(プロテスタント)「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」」

 ここは、英語にして“the Lord of us and the Christ of him”の形になっています。
 ここでの「主」は、「その(彼の)キリストの……」という表現から、エホバであることが分かります。

 こういった聖句は、シャープの法則を用いて三位一体を証明しようとする三位一体論者たちに重大な疑問を投げかけています。
 神とイエスを論じるにあたって、聖書の中には冠詞の用い方が二通りあり、それが互いに逆の意味を持つのであれば、二つある意味のうちのどちらが真実なのでしょうか?
 あるいは、聖書の表現が変わるたびに、神とイエスはくっついて一つになったり、離れて二つになったりしているのでしょうか。

 さらに、テサロニケ第一 3:11を挙げます。

新世界訳聖書(エホバの証人)「では、わたしたちの神また父ご自身が、そしてわたしたちの主イエスが、わたしたちの道を都合よくあなた方のほうに向けてくださいますように。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。」

口語訳聖書(プロテスタント)「どうか、わたしたちの父なる神ご自身と、わたしたちの主イエスとが、あなたがたのところへ行く道を、わたしたちに開いて下さるように。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。」

 ここは、英語にして“the God and Father of us and the Lord of us Jesus”の形になっています。
 新改訳聖書は、三位一体論的なシャープの法則はとりあえず無視して、別の文法理論によって訳しています。詳しくはテサロニケ第一 3:11をご覧ください。


 続いて、冠詞そのものが省略されているものを挙げます。
 直接にはシャープの法則には当てはまりませんが、省略された冠詞を復元した場合にどうなるかを考えなければなりません。

 コリント第一 1:3を挙げます。

新世界訳聖書(エホバの証人)「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

口語訳聖書(プロテスタント)「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

 ここは、英語にして“God Father of us and Lord Jesus Christ”の形になっています。

 同じような表現は、ローマ 1:7, コリント第二 1:2, ガラテア 1:3, エフェソス 1:2, 6:23, フィリピ 1:2, テサロニケ第一 1:1, テサロニケ第二 1:1,2 テトス 1:4, フィレモン 3などにもあります。


 最後に、シャープの法則に対する新世界訳聖書の方針を見るために、シャープの法則がただ神に、もしくはただイエスに適用される聖句をいくつか挙げたいと思います。

 まず、ローマ 15:6です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「それは、あなた方が同じ思いになり、口をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神また父の栄光をたたえるためです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。 」

口語訳聖書(プロテスタント)「こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」

 ここは、英語にして“the God and Father”の形になっています。

 続いて、コリント第二 1:3です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「わたしたちの主イエス・キリストの神また父、優しい憐れみの父またすべての慰めの神がほめたたえられますように。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。」

口語訳聖書(プロテスタント)「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。」

 ここは、2カ所がシャープの法則に当てはまります。
 それぞれ、英語にして“the God and Father”、“the Father of the mercies and God of all comfort”の形になっています。

続いて、エフェソス 5:20です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「わたしたちの主イエス・キリストの名により、常にすべての事に対してわたしたちの神また父に感謝をささげなさい。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」

口語訳聖書(プロテスタント)「そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」

 ここは、英語にして“the God and Father”の形になっています。

 続いて、ユダ 4です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「その理由は、聖書によりずっと以前からこの裁きに定められていたある人々が忍び込み、[その]不敬虔な者たちが、わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え、わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっているからです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「なぜなら、ある者たち、つまり、次のような裁きを受けると昔から書かれている不信心な者たちが、ひそかに紛れ込んで来て、わたしたちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからです。」

口語訳聖書(プロテスタント)「そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。」

 このユダ 4はすこし紛らわしいので注意してください。
 ここで注目すべきなのは、「唯一の所有者また主」のところです。「主であるイエス・キリスト」の部分は文法的に関係ありません。
 ここは、英語にして“the only master and Lord of us Jesus Christ”の形になっています。

 ご覧になっておわかりのように、新世界訳聖書は、シャープの法則がどうであれ、「AとB」とか、「AであるB」といった形の訳し方は好まず、なるべく「AまたB」の形に訳すようにするという方針を持っています。
 これは、他の翻訳に比べても特有の傾向だと言えるでしょう。


 一言付け加えておきますが、エホバの証人であれば、新改訳聖書には十分に注意を払うべきです。
 一部に「監禁専用聖書」などと呼ばれる新改訳聖書は、反対者たちが「新世界訳聖書は改竄されている」と主張するのにたいへん都合よくできています。
 職業的反対者によって監禁された部屋の中で、新世界訳聖書と新改訳聖書の比較をやらされ、間違った文法解釈を吹き込まれた人が転んでしまうという事件が度々起きています。

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