エホバの証人の聖書

全日本脱カルト研究会(旧「生ける水の会」)の提言について

 エホバの証人に反対していることで有名なある牧師が「生ける水の会」という名前でホームページを公開しており、そこに、私に対する提言が載せられましたので、ここで扱いたいと思います。

 なお、このページにおける著作権の扱いについて最初に一言述べておきます。というのも、「生ける水の会」のホームページにこのように書かれているからです。

『当サイトの内容は, 一部分でも監修者に無断で引用することを堅くお断りします。』

『この記事は, 国際著作権法により保護されています。印刷や電子的な方法によらず無断転載を一切禁じます。』

 日本には、「反論もしくは名誉回復のための引用は大幅に認められる」という判決がありますので、その判決に照らして妥当と思われる範囲で大幅に引用を行わせていただきました。
 また、著作物使用の報告を行おうかと思いましたが、ホームページにメールアドレスが記載されていませんので、そのままにしています。


 まず、この「生ける水の会」の実体についてですが、これは、彼が好んで用いる大げさな名称の一つにすぎないということのようです。ようするに、これは団体ではなく、個人のようです。(そのうち団体に成長するかもしれませんが)
 彼は複数の肩書きや名称を用いることで知られていますので、この名称の使用も、そういう活動の一環として、ということでしょう。

 運営者の牧師は、ネット上でエホバの証人に嫌がらせをすることでも知られています。しかし、彼は匿名でそういう活動をしていますので、一般には良識ある牧師と思われているようです。
 私がインターネットを始めた頃は、宗教掲示板のエホバの証人に関する書き込みに、現役証人や研究生や非信者家族による、うつや自殺や家庭崩壊の報告があまりに多いことにびっくりしたものです。しかも、実際にはあり得ないような矛盾した内容のものがほとんどでした。
 しかし今では、そういう現象はあまり見られなくなっています。この牧師が毎日そういう書き込みを行っているということがばれてしまったからです。この牧師は、自分の主張している、「エホバの証人にはうつの人が多い」とか、「自殺者が多い」とか、「家庭が崩壊している」といった話のウラを自分で作っていました。

 この悪事が組織的に解明されるきっかけとなったのが、今は存在しない「宗教のるつぼ」掲示板です。「宗教のるつぼ」は当時、宗教関係の掲示板としては最大規模を誇っていました。掲示板としての性質は「2ちゃんねる」にいくらか似たものなので、その先駆けと呼べるかもしれません。
 この掲示板での彼の活動はきわめて精力的でした。やっかいなことに、彼はこの掲示板で100近いハンドル名を用いて反対活動を行っていました。そこで、エホバの証人の有志によって「宗教のるつぼ」ログの解析が行われるようになり、その情報を公開するために「浪速の商人情報センター」というホームページも開設されました。
 こうして、彼のネット上での活動の全容が明らかになりました。たとえば、彼が「灯台社研究会」とか「心の泉」といった名称を用いていることが明らかになりました。ほかにも、当時「宗教のるつぼ」やほかの掲示板に出現していた、もと統一協会信者の桜田淳子さんの正体が彼であることなども分かりました。また、彼がエホバの証人以外の宗教にも嫌がらせをしていることも分かりました。
 彼が平気でうそをつく人物であることも分かるようになりました。たとえば、こんな書き込みをしています。

 審理委員会の決定が常に正しいとは限らないのは、審理委員会の人たちが一番良くご存知のはずですね。何故必要以上にしばしば審理委員会が開かれるかというと、これが結構儲かるからなんです。
 ある人が輸血して長老にばれたとします。排斥になれば、当然、永遠の命を失うことになるわけですから、なんとか排斥処分を免れようと努力するのは人情というものです。さて、具体的にはどうするかというと、お金なんです。王国会館によって多少違うのですが、相場は500万円ぐらいです。
 長老があちこちに言いふらすと、とても500万円では済まないのですが、長老にしても相手が払いきれなくなれば元も子もなくなるのでそこらへんは、あうんの呼吸でしばらくは黙っていてくれます。
 輸血した人が500万円の現金を持って、そうっと、そうっと長老のところにやって来る。長老は黙って受け取る。すると、審理委員会は開かれずに終わる。これは長老から要求したのではないですから、脅迫にはあたりません。
 金を払わなければ審理委員会が開かれて、排斥処分になるのは、一種の見せしめで「お前ら金を払わないとこうなるんだぞ。」とは言いませんが、無言の圧力をかけているのです。
 輸血した人も排斥処分を免れたので永遠の命を失わずに済んだわけです。永遠の命が500万円程度で買えるのですから安いものです。これで八方丸く収まるわけで、めでたしめでたしの一件落着というわけなのです。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものですね。
 騙されて、うっかりエホバの証人組織に入ってしまった人のほとんどが、すぐに「あっ、何だここは、とんでもないカルト教団だ。」と気づいても全員が辞めるわけではないのは、こういうことなんです。
 頑張って組織内で出世すれば、やがて長老に成れる。そうなればいくらでも儲かる。ここは一つ、自分の将来のために、贅沢な暮らしのために頑張るんだと、自分に言い聞かせて馬車馬のように組織のために働くわけなのです。常温超伝道なんて揶揄されても、世間から後ろ指差されてもひたすら新規会員獲得を目指して町から町へと伝道して廻るのはそのためです。
 なんとなく、ねずみ講に似てますね。最初は取られる側でも、頑張れば取る側に回れる。でも何かを生産するような、まともな経済活動ではないですから長老一人が大儲けして贅沢な暮らしをする陰には、名もない一般信者の血と汗と涙の物語があるのです。
 さて、長老の地位はこのように大変素晴らしい利権ですから誰でも欲しがります。 そしてそれが、血で血を洗うような醜い出世争い、足の引っ張り合い、でっち上げの密告などが横行する原因になっているのです。
 ちょうむす、ちょむす、チョムスなどの言葉を聞いたことは有りませんか。長老の息子のことです。エホバの証人の子供たちにとっては番長よりも恐い存在ですね。ちょうむすに逆らえば、親が排斥される、だからエホバの証人の子供たちは、ちょうむすの奴隷のようなものです。学校内で、上級生が下級生に挨拶に来たり、べこぺこしているのを見たことがあるでしょう。
 一般信者の子供たちは本当にかわいそうです。家では、親に厳しく監視され、絶対的な服従を要求され、学校にいるときは国旗掲揚拒否、剣道拒否を強制され(学校が強制してるんじゃないですよ)、放課後は、ちょうむすの使い走り、家に帰れば伝道に付き合わされる、ハルマゲドンが来るから勉強しても意味がないと言われ、それでも勉強すると不肖の子どもだと親に叱られる。成績が悪いと学校内で馬鹿にされ、せっかくの日曜日は王国会館でつぶれてしまう。
 昔の人はこんな事を言いました。女は三界に棲家無し。幼くしては親に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う。
 こんなことが現代の世の中で、24時間行なわれている。エホバの証人の子供たちがかわいそう。
 人類 対 エホバの証人の最後の戦いが真近に迫っているような気がしますが、主はどちらに味方されるでしょうか。

 ちなみに、この書き込みは、“DANCELION”という名前で書き込まれています。これは、「癒しの翼」という擁護派サイトで知られるDANDELIONさんに対する嫌がらせです。彼は紛らわしい名前を使うだけでは満足せず、偽DANDELIONさんのホームページも作っていました。非常に迷惑な方です。

 彼は、自分の正体と活動内容がばれてしまって以降、この種の嫌がらせはほそぼそと行い、ホームページの更新に力を入れておられるようです。


 さて、そんな彼が私にどのような提言を行っているかを見てみましょう。
 彼は始めに、私の「旧サイト挨拶」から引用し、このように述べています。

『まず, はじめにこの論証は, 個人攻撃のためにあるものではありません。聖書に敬意をささげ, 真摯な態度で聖書研究に取り組んでおられる姿に,感動すら覚えます。……当サイトは, 安易に「新世界訳は改竄された聖書である」とは, 主張しません。その意味においては, 宮原様と意見を同じにするものであります。』

 彼は、すくなくとも「生ける水の会」の肩書きにおいては、「新世界訳は改竄された聖書である」と主張しないことにしているようです。

 続いて、彼は3つの問題点を指摘しています。
 それは、1.エホバの証人の創始者であるラッセルはギリシャ語に通じていなかった、2.ものみの塔聖書冊子協会の4代目会長であるF・W・フランズはヘブライ語の素人だった。3.F・W・フランズは自分の経歴を詐称している、というものです。

 これらの点を指摘した後、彼は私にこう問いかけています。

『嘘で塗り固められた学歴と語学力。これが, 真実のものみの塔である。あなたは、嘘つき教団を擁護したり支持しますか。』

 この文書は、一見してまともに見えます。いたって良識的な方法で私を説得しているように見えます。これは、一般にもよく知られている彼のもう一つの顔です。


 では、最初に1番目の点を引用し、検証してみましょう。彼はこう書いています。

 ものみの塔聖書冊子協会の創始者であり初代会長であるチャールズ・T・ラッセルがギリシャ語に通じていなかったことは, 組織の「1,980年年鑑」93-94頁にも掲載されています。また, 当時の裁判記録でもラッセルは, ギリシャ語が出来なかったことが, 公の場で明らかにされています。ラッセルは, 地方を訪問中, 教会学校の教師の方がギリシャ語の知識があり, 赤面して逃げるという失態を演じたこともあります。

 1913年3月17日 カナダのオンタリオ州ハミルトン市警察裁判所で, ものみの塔初代会長ラッセルはJ・J・ロスを「中傷的誹毀罪」で訴えました。それは, J・J・ロスが「牧師と称するC・T・ラッセルにまつわる真実」という小冊子の中で「ラッセルは聖書の本文を読めない」と批判したからです。
 その時の裁判所の記録は, 次の通りです。

J・J・ロス側のスタウントン弁護士:「あなたは, ギリシャ語のアルファベットをご存知ですね。」
ラッセル「勿論ですよ。」
スタウントン弁護士:「では, あなたは私に正しいギリシャ語の読み書きを示すことが出来ますか。」
ラッセル「いくらかは出来ると思いますが, 少々間違えることがあるかも知れません。」
スタウントン弁護士:「ここにある聖書(ウェストコットとホートのギリシャ語本文)の447頁の上の部分を読むだけで結構ですから, そこを声に出して読んでください。」
ラッセル「うーん。読めないと思います。」
スタウントン弁護士:「こんなことがわからないのですか。良く見なさい。ギリシャ語を知っているというのならわかるはずです。」
ラッセル「私の読み方では----。」
(ラッセルは, この時点で説明することを中断させられた。)
スタウントン弁護士:「あなたはギリシャ語を良く知っているのですか。」
ラッセル「いいえ。」

 彼がエホバの証人の年鑑の記述に触れていますので、とりあえず、それを引用してみましょう。

 カナダで最も初期に設立されたエホバの民の会衆の一つは,オンタリオ州ハミルトンの会衆でした。強くて非常に活発なその会衆は,当然ながら僧職者の不興をかいました。真理による強力な攻撃に対して,聖書を根拠にして受けて立つことができないので,僧職者たちは個人攻撃に出ました。僧職者たちは,一人の人,C・T・ラッセルを打倒するため必死になって非難しているように見えました。
 ハミルトンでその手を使った牧師は,J・J・ロスという名のバプテスト派の大げさな説教者でした。ロスは1912年に下品な言葉遣いのパンフレットを書き,その中でラッセルに多くの偽りの非難を浴びせました。ラッセル兄弟は法律顧問J・F・ラザフォードの勧めに従い,ロスを名誉きそんで訴えました。そして証拠を提出するため,告訴人として裁判に立ち会い,ほぼ5時間にわたる長い反対尋問を受けました。裁判の後,そのバプテスト派の反対者は,ラッセルがギリシャ語の知識について問われたときに偽証罪を犯したと偽って非難しました。そしてラッセルを攻撃する二番目のパンフレットでその点を取り上げました。そのパンフレットの中で同僧職者は,法廷における反対尋問とラッセルの答えを次のように間違って引用しました。

問「あなたはギリシャ語を知っていますか」。
答「ええ,知っています」。

 ロスは,その質問から「アルファベット」という言葉を削除して,後になされた次のような質問の答えが先の答えと全く矛盾するように仕向けました。

問「あなたはギリシャ語に通じていますか」。
答「いいえ」。

 法廷での実際のやりとりは公式の記録からはっきり分かります。(オンタリオ州ハミルトン市警察裁判所1913年3月17日)それによれば,C・T・ラッセルが偽証罪を犯さなかったことは明らかです。M・ジェイムズ・ペントンが著した「カナダのエホバの証人」と題する本によれば,(ジョージ・リンチ-スタウントン勲爵士が行なった)反対尋問は次の通りでした。

「質問『ではあなたはラテン語の教育を受けたと言っているのではないのですね』。
答え『はい,そう申しているのではありません』。
質問『ギリシャ語についてはどうですか』。
答え『教育を受けてはおりません』」。

 そのあとラッセルは個々のギリシャ文字を知っているかと尋ねられ,「幾らか間違うこともあるでしょう」と答えました。前述の本によれば,そのすぐあとで「リンチ-スタウントンはラッセルに『あなたはギリシャ語に通じていますか』と質問し,ラッセルははっきり『いいえ』と答えました」。
 したがって,事の次第に疑問の余地はありませんでした。裁判の後,ロスが偽って非難したように,C・T・ラッセルが偽証したことはありません。その事件自体は起訴陪審に持ち出されましたが,起訴陪審が起訴状案を返すことを断ったため,オンタリオ州最高法廷で審理されることはありませんでした。オンタリオ州の法律上の慣例によると,起訴陪審の前で話すことを許されているのは国選弁護人だけです。したがって,事件がどのように起訴陪審に提出されたか,そこでなぜ受け付けられなかったのかは分かりません。ロスはその後に著した幾つかの本の中で,このような未確定な結末をまるで大勝利を得たかのように扱っています。ロスおよび他の人々は,裁判に掛けられたのはラッセルではなかったことを忘れていたようでした。

 エホバの証人の創始者であり、ものみの塔協会の初代会長でもあるラッセル氏がギリシャ語にあまり通じていなかったことは、彼も指摘しているように、エホバの証人自身が知っていることですから、少なくとも彼に関して「嘘で塗り固められた語学力」などという表現は使えないと思います。
 彼は裁判の内容を変えてしまっています。『ラッセルはJ・J・ロスを「中傷的誹毀罪」で訴えました。それは, J・J・ロスが「牧師と称するC・T・ラッセルにまつわる真実」という小冊子の中で「ラッセルは聖書の本文を読めない」と批判したからです』などと書けば、いかにも、ラッセルが自分の聖書本文を読む能力を弁護するために訴訟を起こしたように聞こえます。しかし実際には、彼は別の名誉毀損をターゲットにして訴訟を起こしていました。ですから、原典が読めるかどうかという問題に関しては、ラッセルは自分の弁護を行いませんでした。

 そもそも、新世界訳聖書が最初に刊行されたのは1950年ですが、ラッセルは1916年に死去しています。ラッセルの語学力は新世界訳聖書とは無関係です。


 続いて、2番目の点を引用し、検証してみましょう。

フレデリック・フランズのヘブライ語能力

1954年11月
場所:イギリスのスコットランドの法廷にて

弁護士:「あなたはヘブライ語に精通してきましたか。」
F・W・フランズ「はい。」
弁護士:「それなら, あなたの語学力には実質が伴っているはずですね。」
F・W・フランズ「はい。聖書研究のためですから。」
弁護士:あなたは聖書をヘブライ語, ギリシャ語, ラテン語, スペイン語, ポルトガル語, ドイツ語, そしてフランス語も読んだり又, 理解できるそうですが---。」
F・W・フランズ「はい。」(原告の証拠書類7頁)
弁護士:「あなたは他人の力を借りずにヘブライ語を読み, 又, 話せるのですね。」
F・W・フランズ「ヘブライ語は話しません。」
弁護士:「話さないですって。」
F・W・フランズ「はい。」
弁護士:「ところで, ご自分でそこの部分をヘブライ語に翻訳できますか。」
F・W・フランズ「どれですか。」
弁護士:「創世記2章4節です。」
F・W・フランズ「ここのことですか。」
弁護士:「その通りですが。」
F・W・フランズ 「いやー。訳そうという気持ちが全然起こりませんので。」
(原告の証拠書類102頁)*

*創世記2章4節をヘブライ語に翻訳する語学力はどの程度なのだろうか。学校で2年ほどヘブライ語コースを選択している学生であるならば誰でも出来るやさしい練習問題である。

F・W・フランズは, 第四代目会長として在任中, 自分を優れた聖書学者として「ものみの塔」誌1977年10月1日号に紹介している。以下引用文

「フランズ兄弟は1945年以来, ペンシルバニア法人の副会長として奉仕しており, 1977年9月12日で84歳になりました。しかし依然として非常に活発にエホバに仕えており, この時もアイルランドからイスラエルまでの11カ国に及ぶ講演旅行から帰ったばかりでした。
優れた聖書学者としての同兄弟の際立った評判, および王国の関心ごとに対する勤勉な業のゆえに, フランズ兄弟はあらゆる所のエホバの証人の信頼と忠節な支持を受けています。」

 そもそも彼は、ギリシャ語(新約)が専門です。彼はギリシャ語聖書原典と、幾つかの翻訳を丸暗記し、ギリシャ語を話すことができました。
 一方、ヘブライ語(旧約)については、ある程度能力があったものの、それを自在に用いられるレベルには達していなかったようです。

 彼の、「いやー。訳そうという気持ちが全然起こりませんので (No. I won't attempt to do that.)」という言葉ですが、私が思うに、この創世記 2章4節は普通の英訳聖書からヘブライ語に訳しても原典通りにはならないので、フランズ氏としては、それでちょっとうんざりしたのかもしれません。
 創世記 2章4節では、翻訳の際に原典の文章を分断するのが通例です。これは聖書翻訳者の常識のうちでも初歩のものですから、フランズ氏がそれを知らなかったとは考えられません。

 ちなみに、「聖書ヘブライ語ハンドブック」は、英語をヘブライ語に訳すことについてこう述べています。

『率直に言わせてもらうと、我々聖書ヘブライ語教師のほとんどは、ヘブライ語を話したり書いたりするにあたってたいして流暢ではない。』

 さらにこの本は、聖書ヘブライ語の生徒にヘブライ語の文書を書かせることはしないと述べています。それをすると、どうしても間違いを犯すことになるからです。聖書ヘブライ語学者の語学は、専らヘブライ語を読むことに特化しているというのが実状のようです。

 また、「ものみの塔」誌1977年10月1日号の記事が、フランズ氏自身によって書かれた可能性はないと思います。これは彼の推測でしょう。


 続きまして、3番目の点を見てみましょう。文の最後に、私に対する提言があります。

更に, 先ほどの法廷は続く。

弁護士:「レスリー氏が述べたところによると, あなたはシンシナティ大学を学位を取らずに中退したそうですね。ところが, あなたはご自分についてこんなことも述べられましたね。セシル・ローズ奨学金を提供されたという事ですが, それは真実ですか。」
F・W・フランズ「はい。私は, セシル・ローズの奨学金を獲得しました。私はオハイオ州立大学で選考試験を受けました。」

*4代目会長フランズがセシル・ローズの奨学金を受けたというのは,「ものみの塔」誌1987年5月1日号24−26頁に掲載されている。以下引用文

「ものみの塔」誌1987年5月1日号24-26頁
「私の大学時代の決定的な時期は, 学長のリヨン博士が, 講堂で行なわれた学生集会で, 私が英国オックス・フォード大学への留学資格の得られるセシル・ローズ奨学金を獲得するため, オハイオ州立大学に行って他の学生と一緒に選考試験を受けることになった, という発表したころでした。
志望者の一人は陸上競技の点では私よりも成績が優れていましたが, 私はその人と比べてひけを取らない成績を収めていたため, 大学側はその人と一緒に私をオックス・フォード大学へ送りたいと考えました。私はその奨学金を得る資格があることを認められたので感謝しました。」

ものみの塔を研究している人に送られた手紙を公開しよう。

The Rhodes Scholarship Trust

OFFICE OF THE WESLEYAN UNIVERSITY
AMERICAN SECETARY MIDDLETOWN, CONN 06457

14 January 1981
Mr. William I. Cetnar
Cornerstone financial Services, Inc
Route 2, Weir Lake Road
Kunkletown, Pensylvania 18058

Dear Mr, Cetnar:

Thank you for your letters of December 27.

I have cheked our records and do not find that Fredrick William Franzs was elected to a Rhodes Scholarship. Our records, I shoud note, refer only to Scholars elected from the United Stated. Unless Mr. Franz has cometed successfully as a candidate for the Scholarship in another country, you may conclude that his claim to have been a Rhodes Scholar is incorrect.

Your sincerely,

William J , Barber

フレデリック・フランズの名前は, 記録に見つからない。嘘で塗り固められた学歴と語学力。これが, 真実のものみの塔である。あなたは、嘘つき教団を擁護したり支持しますか。

 まず、英語の部分ですが、読めない方もおられると思います。これは「ローズ奨学金」受給者リストにフランズの名前はないことを報告する文書です。

 さて、指摘にしたがって「ものみの塔」誌1987年5月1日号の24-26ページを見てみましょう。このように書かれています。

 両親は私がさらに教育を受けることを許してくれたので,私はシンシナティ大学に入学し,教養課程を選びました。そのころ,私は長老派教会の説教師になろうと決心していました。
 ラテン語の勉強を続けながら,今度はギリシャ語の勉強も始めました。アーサー・キンセラ教授のもとで聖書のギリシャ語を勉強できたのは,何という祝福だったのでしょう。私は,ギリシャ語に関する何冊かの書物を著したジョセフ・ハリー博士のもとで古典ギリシャ語も勉強しました。長老派教会の牧師になりたいのなら,聖書のギリシャ語を駆使できなければならないことを知っていたので,私は猛烈に勉強して及第点を取りました。
 学校でギリシャ語とラテン語を勉強しているうちに,スペイン語を学ぶことにも興味を持つようになりました。スペイン語がラテン語によく似ていることに気づいたからです。当時,クリスチャンとして奉仕の務めに携わる際,スペイン語をどれほど使うことができるようになるかは,考えてもみませんでした。

 私の大学時代の決定的な時期は,学長のリヨン博士が,講堂で行なわれた学生集会で,私が英国オックスフォード大学への留学資格の得られるセシル・ローズ奨学金を獲得するため,オハイオ州立大学へ行って他の学生と一緒に選考試験を受けることになった,という発表をしたころでした。志望者の一人は陸上競技の点では私よりも成績が優れていましたが,私はその人と比べてひけを取らない成績を収めていたため,大学側はその人と一緒に私をオックスフォード大学へ送りたいと考えました。私はその奨学金を得る資格があることを認められたので感謝しました。普通なら,それは非常に喜ばしいことだったでしょう。

 私たちは,イエス・キリストがあるとき弟子たちに,「[あなた方は]真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」と言われたのを思い起こします。(ヨハネ 8:32)その年の前年である1913年のこと,兄のアルバートがシカゴで「真理」を知りました。アルバートはどのようにして「真理」を知ったのでしょうか。
 1913年の春のある日曜日の夜,アルバートは,シカゴで働いていた時に住んでいたYMCAの寄宿舎で,早めに床に就いていました。すると,同室の友達が部屋に飛び込んで来て,困ったことが起きたと言って事情を話しました。友達はその夜,ヒンドマンさんとかいう人の家に招待されており,娘のノーラの女友達も一人,家に来ることになっていました。アルバートの同室の友達にとって,二人の女性の相手をするのは,荷が重すぎたのでしょう。そこで,アルバートはその難局に対処することにしました。その夜,アルバートの同室の友達はその二人の若い女性と共に大変上手に時を過ごしていました。しかし,ヒンドマン夫婦は主にアルバートに注意を向け,ものみの塔聖書冊子協会の教えを持ち出しました。
 その後アルバートは,国際聖書研究者のグラスゴー会衆の一成員であったスコットランド人の医師,ジョン・エドガーの著した,「死者はどこにいるか」という題の小冊子を私のもとに送ってきました。最初,私はその小冊子をわきへ置いていたのですが,ある晩,聖歌隊の練習に出かける前に少し時間があったので,その小冊子を読み始めました。ところが,非常に興味深い内容だったので,途中でやめることができず,長老派教会までの1`半ほどの道のりを歩きながら読み続けました。教会の扉にはまだ錠が掛かっていましたから,入口の冷たい石段に腰かけてずっと読んでいました。オルガン奏者がやって来て,私が読み物に熱中しているのに気づき,「何だかとても興味深そうだね」と言いました。「ええ,実に興味深いんです!」と,私は答えました。

 私は学び始めていた新しい真理がとても面白かったので,その小冊子をどう思うか,説教師のワトソン博士に尋ねてみたいと思いました。それで,実際,その日の晩に小冊子を博士に手渡して,「ワトソン先生,この小冊子のことを何かご存じですか」と尋ねてみました。
 博士はその小冊子を取ってページをめくると,「ああ,これはきっとあのラッセルのくだらない話の一部だ。あの男に終末論の何が分かるものか」とあざけるように言いました。博士の軽べつ的な態度に私はすっかり面食らってしまいました。私はその小冊子を返してもらってそこを立ち去りながら,「博士がこれをどう思おうと構わない。これこそ真理なのだ!」と自分に言い聞かせました。
 それから間もなく,アルバートは帰省した折に,チャールズ・テイズ・ラッセルの著した「聖書研究」の最初の3巻を持って来てくれました。アルバートはまた,私が地元の聖書研究者の会衆と親しく交われるように取り計らってくれました。なんと聖書研究者たちは長老派教会のすぐ隣で集まりを持っていたのです。私は学んでいた事柄から大きな喜びを得ていましたから,ほどなくして,長老派教会との関係を絶つ時が来たと思いました。
 それで,後日,アルバートが再び帰省していた時,私たちは日曜日の夜のワトソン博士の講演に一度出席しました。講演が終わってから,アルバートと私は,教区の人たちとお別れの握手をしていた博士のところへ歩いて行き,私は博士に,「ワトソン先生,私は教会を出ます」と言いました。
 博士はこう言いました。「そうか,そうだろうと思っていたよ! 君があのラッセルのくだらないものを読んでいるのを見た時,すぐにそう思ったのだ。わたしはあのラッセルという男をわたしの教会の中へ踏み込ませたりするつもりはない」。それからさらに,「フレッド,教会のわたしの聖具室へ行って,一緒に祈ったほうがいいとは思わないか」と言いました。私は,「いいえ,ワトソン先生,私は決心したのです」と告げました。
 そう言って,アルバートと私は教会をあとにしました。偽りを教える宗教制度に捕らわれていた状態から自由にされて,実にそう快な気分になりました。神の言葉に大変忠節な国際聖書研究者の会衆に入れていただけたのは本当に良いことでした。私は,1914年4月5日,イリノイ州のシカゴで,水のバプテスマを受けて聖別されたことを表わしました。当時,献身は聖別と呼ばれていたのです。

 私は,教育当局がセシル・ローズ奨学金資格検定試験の結果を発表する少し前に,当局に手紙を書いて,オックスフォード大学奨学金には関心がなくなったので,志望者の名簿から私を削除してもらいたい旨を知らせましたが,この件で後悔したことは一度もありません。大学で私が師事していたギリシャ語の教授,ジョセフ・ハリー博士から,私がその奨学金を受けるよう選ばれたことを知らされたのですが,私は前述の手紙を当局に出したのです。
 私はシンシナティ大学で下級優等試験合格者として3学期を終えるほんの2週間前の1914年5月に,父の許可を得て退学していました。私は直ちに,ものみの塔聖書冊子協会と打ち合わせて,聖書文書頒布者(コルポーター),つまり今日の全時間奉仕者である開拓者になりました。私はそのころには国際聖書研究者のシンシナティ会衆と活発に交わっていました。

 読んでの通りです。特に説明はいらないでしょう。
 彼がエホバの証人の文書から引用するたびに同じような問題が指摘され、「なぜこういうあくどい引用を行うのか」と苦情が出ていますが、彼がやり方を変えることはないようです。
 それにしても、彼のやりようを見ていつも思うことなんですが、いったいどうやったら、次から次へとこのような手口を思いつくことができるんでしょうか。不思議です。


 あと、細かいところに注目します。

まず, 新世界訳は, ギリシャ語学者やヘブライ語学者が翻訳した聖書ではなく, ギリシャ出身で「ものみの塔聖書冊子協会」で写植の仕事をしていた故人ジョージ・ギャンギャスの協力を得て, クリスチャン・ギリシャ語聖書(一般に言う新約聖書)が刊行されました。1950年8月ニュヨークヤンキースタジアムにおいて発表されました。

 「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」は、1942年の時点でギャンギャスが本部においてギリシャ語の翻訳をしていたことに触れています。「ものみの塔」誌1967年2月15日号には、彼が翻訳者になったのが1928年であることが指摘されています。
 ギャンギャス氏が「写植の仕事をしていた」という指摘の根拠がどうもよく分かりません。


 最後に提言と、それに対する返答を述べておきます。

『あなたは、嘘つき教団を擁護したり支持しますか。』

 私はこれに対して「イエス」とも「ノー」とも言いません。といいますのも、これまでの経験上、今ここでこういう質問にはっきり答えたりすると、後には彼の手玉に取られることが分かっているからです。彼はしたたかですから、正直者を罠にはめる戦術をよく心得ています。


 追記です。

 生ける水の会の提言ですが、この記事公開後、末尾に次の一文が追加されています。

『尚,このサイトの信頼性を失わせるために、立腹した輩が、トンデモない記事を書くに到ることも予測している。』

 これに対するコメントは特にありません。


 さらに追記です。

 私の見た限り、この提言はさらに三度修正されたようです。現在、この提言からは、私のサイトからの引用文と私に対する提言の部分が全て削除され、末尾には上記の文章に代わって次の文章が掲載されています。

『当記事は、生ける水の会が宮原崇という個人への提言のために書かれたものでは在りません。当サイトの主張を甚だしく曲解し、かつ、内容を許諾無く引用し、誹謗中傷している管理者に対して、最寄の警察署の刑事課にて被害者届が受理されたことを告示しておきます。当サイトは、正しい聖書教育の啓蒙運動にのみ関心があり、エホバの証人個人には、何の興味も関心もありません。また、当サイトは、エホバの証人の反対者ではありません。歴史的に見てもエホバの証人が、キリスト教会に反対しているだけです。当サイトは、正しい聖書教育の啓蒙運動にのみ関心がありキリスト教会員の啓蒙運動が主眼目的です。』

 事実と表現とがミスマッチです。彼がエホバの証人の職業的反対者で、反対活動のためにホームページを作っているということや、彼が私に対する提言を書いたことは、今さら変えようのない事実ですが、これを表現の工夫によってなんとかごまかそうとしているように思えます。

 彼が主張する著作権侵害ならびに誹謗中傷、それに基づく被害届については、具体的な内容を見ていませんのでコメントはありません。
 とりあえず、今のところ何ら立件されていないことをご報告しておきます。容疑が固まればまず任意の事情徴収がありますから、そういう進展があればご報告したいと思います。


 さらに追記です。

 現在、この提言はさらに書き換えられており、書き換え部分はこうなっています。

『また、当記事は、生ける水の会が宮原崇という個人への提言のために書かれたものでは在りません。当サイトの主張を甚だしく曲解し、かつ、内容を許諾無く引用し、誹謗中傷している管理者に対して、最寄の警察署の刑事課にて被害者届が受理されたことを告示しておきます。当サイトは、正しい聖書教育の啓蒙運動にのみ関心があり、憶測により平気で出鱈目な情報を垂れ流している輩には、何の興味も関心もありません。当サイトは、正しい聖書教育の啓蒙運動にのみ関心がありキリスト教会員の啓蒙運動が主眼目的です。警察に協力する気があるなら逃げ回らず、住所氏名顔写真を公開するべきでしょう。所詮破壊的カルト集団は、滅びるのです。』

 実は、彼が警察への被害の届け出を公表したすぐあと、私は自ら警察に出向き、自ら状況の説明等を行っております。私が逃げ回っているという事実はありません。住所氏名等を隠している事実もありません。


 また追記です。
 現在、「生ける水の会」のホームページは「全日本脱カルト研究会」という団体のものとなっています。
 提言にはさらに、私に対する反論として「某新世界訳擁護者の大嘘」という記事がついており、こう書かれています。

(1)ものみの塔の文法解釈を, そのまま納得し, 公開するとは, ギリシャ語能力の底知れず悲しいほどの無知さをさらけ出している。
(2)当HPの管理は, 複数人により運営管理されている。
(3)当管理者は, 他人に成りすましたり見せかけのHPを作ったことはない。
(4)ハンドルネームを100持っているというのも大嘘である。
(5)メールアドレスは, 公開している。
(6)被害届は, 警察に届済みである。

 1については強引な決めつけだと感じました。このサイトの内容を見て「ものみの塔の文法解釈」そのままのように言われるのも困りものです。実際にはかなり違っているのですから。2については、少なくとも現在はそうだということのようです。少なくともある時期まで、エホバの証人反対関係者の間では「このサイトはどこそこの○○牧師がやっている」ということが知られていましたから。たぶん、今も実質は個人サイトなのだと思います。3についてはもはや再調査もしようがありませんので「当人が否定している」と認めるしかないように思いました。4については私自身が管理者情報も含めた「宗教のるつぼ」のデータを持っていますので、「調査の結果は変わらない」としか言いようがありません。5ですが、ホームページをよく見ると確かにメールアドレスが記されています。もっともこれは、2004年2月に「某新世界訳擁護者の大嘘」という記事を書いたときに公開されたものです。といいますのも、私の持っている自動巡回ソフトのログでは、2004年1月の時点ではまだメールアドレスの記載はありませんでしたから。6については異論はありません。

 さらに彼は「「新世界訳聖書」は学問的か」という記事もつけていて、私についてこう書いています。

『「新世界訳」を擁護するのは、せいぜいJバイブル1-3などを集めて出鱈目の情報を垂れ流し、自作自演を繰り返し自己満足に浸る総合失調症のエホバの証人ぐらいだろう。』

 どうやら私は統合失調症(精神分裂症)であるようです。


 またまた追記です。
 現在「全日本脱カルト研究会」のホームページから「某新世界訳擁護者の大嘘」という記事は削除され、代わりに「エホバの証人の誤解」という記事が掲載されています。このようになっています。

(1)ものみの塔の文法解釈を、公開される前にギリシャ語、ヘブライ語を正規に学ばれることをお勧めします。
(2)真摯に聖書を愛し真理を愛するエホバの証人の方とは、話し合いをする用意があります。事実無根の情報を流される方々の救いをお祈りします。

 この内容を誰に対して、ということはどこにも書いてないのですが、状況から考えるにやはり私に対して提言を述べているのだと思います。今回は向こうから「話し合い」ということを言っていますので、そのうちこちらから公開質問状でも作成して送付するかもしれません。


 追記です。
 「全日本脱カルト研究会」のホームページには、削除された「某新世界訳擁護者の大嘘」の続きとして“「新世界訳聖書」は学問的か”という文書が示されています。この文書は私が普段から用いている論法に触れてこのようなことを言っています。

エホバの証人の用いる論法で「他の翻訳にもこう訳しているので新世界訳は間違いとは言えないようです」などと言う事がある。この考え方自体が新世界訳が、ギリシャ語底本に基づいていないことを露呈している。

 この文書についての考察をヨハネ 8:58のところに掲載しました。


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