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このウエブサイトを訪れた方の中には、『エホバの証人』の名称の由来に関心を持たれる方も多いと思います。
“エホバの証人”という名称は、聖書のイザヤ書43章10節に由来しています。
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イザヤ 43:10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバはこう宣言する。「あなたたちは私の証人である。私に仕える者であり,私が選んだのである。あなたたちが私を知り,私に信仰を持ち,私が変わらないことを理解するために。私の前に存在するようになった神はおらず,私の後にもいない。
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この名称について、「とても詳しくてよく解る!」という資料を用意しました。
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まずは要点を抑えましょう。
聖書の示す“エホバの証人”をよく理解するには、その言葉が収められているのが“メシア預言”であるということに留意しなければなりません。
メシア預言は、バビロニアに征服されて捕囚となったイスラエルをペルシャのキュロス王が救い出すというテーマを中心として形成され、歴史上の様々な出来事を引き合いにしながら、将来のメシアの到来を予告しています。その預言は主に、イエス・キリストにおいて実現することになります。
メシア預言には読み替えのルールというものがあります。おおざっぱに言うと、メシア預言では、キュロスはメシアに、イスラエルとエルサレムはエホバ崇拝に置き換えられます。
では、読み替えのルールに注意しながら、基本となる預言の言葉を読みましょう。
メシア預言の“エホバの証人”に関する部分はこのような記述から始まります。
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イザヤ 2:2-3
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
最後の日々に,エホバの家の山は,山々の頂より高くしっかりと据えられ,どの丘よりも高くそびえる。全ての国の人々が流れのようにそこに向かう。多くの人々が行って,こう言う。「さあ,エホバの山に登ろう。ヤコブの神の家に行こう。神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう」。律法がシオンから,エホバの言葉がエルサレムから出る。
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聖書には“終末預言”があり、メシア預言と結びついています。
終末期には、たくさんある宗教の中から、エホバを信奉することを特徴とする教団が現れます。その人たちは「エホバの道」を学ぼうとします。
エホバが彼らに教えるのは「平和」です。
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イザヤ 54:13
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
あなたの子たちは皆エホバに教えられ,豊かな平和を味わう。
イザヤ 2:4
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神は国々の中で裁きを下し,多くの人々を正しい方向に導く。彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。
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この人たちはついに戦争をやめてしまうようになります。
彼らはこのように宣言します。
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ミカ 4:5
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
人々は皆,それぞれ自分の神の名によって歩む。しかし私たちは,いつまでも永遠に,私たちの神エホバの名によって歩む。
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そしてエホバは“エホバの証人”の宣言を行います。
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イザヤ 43:8-11
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
目があるのに見えない民,耳があるのに聞こえない民を連れ出せ。全ての国は1つの場所に集合し,人々は集まれ。彼らのうち誰がこれを告げられるか。誰が最初の事柄を私たちに聞かせられるか。彼らに証人を出させ,自分たちの正しさを証明させてみよ。聞く者たちに,『それは真実だ!』と言わせてみよ」。
エホバはこう宣言する。「あなたたちは私の証人である。私に仕える者であり,私が選んだのである。あなたたちが私を知り,私に信仰を持ち,私が変わらないことを理解するために。私の前に存在するようになった神はおらず,私の後にもいない。私,この私がエホバであり,ほかに救い主はいない」。
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世の中にはたくさんの宗教がありますが、エホバの証人はこれらの宗教に挑むことになります。
対決のテーマとなるのは、その宗教は真実を教えているか、その宗教は人を救うことができるのか、ということです。
エホバは、勝つのは私とその証人だ、と公言します。
“エホバの証人”という言葉には、主に二つの意味、“エホバのことを証言する者”そして“エホバから証言される者”という意味があります。ほかに“エホバによって選ばれる者”、“エホバによって救われる者”といった意味もあります。
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続いて、上に示した預言の言葉にもう一度注目し、宗教団体としての“エホバの証人”がこれらの預言をどう理解しているかを見ましょう。ここでは、メシア預言は発展的であるということも学びます。
まず1つ目です。
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イザヤ 2:2-3
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
最後の日々に,エホバの家の山は,山々の頂より高くしっかりと据えられ,どの丘よりも高くそびえる。全ての国の人々が流れのようにそこに向かう。多くの人々が行って,こう言う。「さあ,エホバの山に登ろう。ヤコブの神の家に行こう。神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう」。律法がシオンから,エホバの言葉がエルサレムから出る。
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◇ 「聖書に対する洞察」, 『終わりの日』の項, ものみの塔聖書冊子協会
イザヤ 2章2節とミカ 4章1節で,「末の日」という言葉は,あらゆる国民から来る人々が「エホバの家の山」に流れのように向かう時に関する預言の前置きとなっています。西暦29年から西暦70年の間の,ユダヤ人の事物の体制の末の日における予型的な成就において,エホバの崇拝は,異教の諸国民が自分たちの偽りの神々に与えている非常に高い地位よりも上に高められました。真の崇拝を高める点で王イエス・キリストが「突破口」を作り,その後にまずイスラエル国民の残りの者が,次いであらゆる国民から来た人々が従いました。(イザ 2:2; ミカ 2:13; 使徒 10:34,35)
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ちょっと難しい言い回しが用いられていますが、キリスト教が誕生した時この預言の言葉は実現した、ということが語られています。
しかしそれだけではありません。
メシア預言の特徴となっているは、歴史の様々な段階で同じテーマが発展的に繰り返されることです。その結果、一つの預言の言葉には複数の成就があることになります。
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◇ 「ものみの塔」誌1995年4月15日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
イエスは……背教が起きることを,小麦と雑草のたとえ話の中で予告され,「小麦」は真のクリスチャンを表わし,「雑草」は偽の,つまり背教したクリスチャンを表わすと自ら説明なさいました。そして,『人々が眠っている間に,敵が』小麦の畑に雑草をまくと言われました。このようにまくことが始まったのは,使徒たちが死の眠りについた後です。たとえ話によれば,そのように真のクリスチャンと偽のクリスチャンとの区別がつかない状態は「事物の体制の終結」の時まで続きます。ですから,だれが真のクリスチャンかということは幾世紀もの間はっきり分かりませんでした。名目だけのクリスチャンが宗教という畑を支配してきたからです。しかし,「事物の体制の終結」の時になると変化が生じます。『人の子が自分の使いたちを遣わし』,偽りのクリスチャンを真のクリスチャンから分けるのです。したがって,その時クリスチャン会衆は容易に見分けられるようになり,使徒たちの時代の会衆のような状態になります。―マタイ 13:24-30,36-43。
イザヤの預言とミカの預言はいずれも,そのようにして真の崇拝者が「末の日に」再び集められることを予告しています。イザヤは次のように述べています。「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」。鋭い目で事実を見るなら,イザヤの預言がわたしたちの時代に成就していることが分かります。―イザヤ 2:2,3。ミカ 4:1-3。
……エホバの証人は自分たちが現在232の国や地域で行なっている教育の業が,それらの預言を成就するものであることを理解しています。偏見のない人が聖書と照らし合わせてみれば,エホバの証人の信条や行動規範や組織は1世紀のクリスチャン会衆のものと一致しているということがはっきり理解できるでしょう。エホバの証人は自分が信じている事柄を「真理」であると言いますが,自分のほうが優れているというせん越な気持ちからそう言うのではありません。むしろ,神の言葉である聖書を徹底的に調べ,宗教を正しく評価するための規準は聖書しかないと考えて聖書に従うがゆえに,そう言うのです。
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イエスの終末預言はメシア預言の終末預言を土台としていて、メシア預言の読み替えのルールに従うかたちでキリスト教の将来を予告しています。言い替えると、この二つの終末預言は一致し、特にキリスト教にあてはまります。
つまり、聖書の予告する“終わりの時代”に、背教して分裂し、たくさんあるようになってしまったキリスト教の諸教派の中から、エホバを信奉する唯一の教派が現れます。エホバの証人は自分たちがその教派であると自任しています。
まとめると、この預言が予告しているのは、ユダヤ教からのキリスト教の誕生と、キリスト教からのエホバの証人の誕生だということになります。
続いて、2つ目です。
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イザヤ 54:13
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
あなたの子たちは皆エホバに教えられ,豊かな平和を味わう。
イザヤ 2:4
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神は国々の中で裁きを下し,多くの人々を正しい方向に導く。彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。
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イザヤ 54:13の預言はイエスによって直接言及されていますので、この預言がキリスト教の誕生において実現したことは明瞭です。
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ヨハネ 6:45
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
預言者の書に,『彼らは皆エホバに教えられる』と書いてあります。父から聞いて学んだ人は皆,私のもとに来ます。
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イエスの言う「父」とはエホバのことです。メシア預言で示されるエホバ崇拝がキリスト教の信仰と結び付けられています。
そして、成立初期のキリスト教は、この預言の言葉を実践し、戦争に参加しませんでした。
やはりこれもそれだけにとどまりません。のちの時代には、キリスト教が背教して戦争に参加するようになることで、同じ預言がもう一度実現する準備が整うことになります。
エホバの証人は、この「戦いを学ばないほどの平和」を自分たちは実践してきたと自負します。
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◇ 「ものみの塔」誌2001年1月1日号, ものみの塔聖書冊子協会
平和が教育と関連づけられていることは注目に値します。今から2,700年ほど前に,預言者イザヤは,「あなたの子らは皆エホバに教えられる者となり,あなたの子らの平安は豊かであろう」と予告しました。(イザヤ 54:13)この同じ預言者は,あらゆる国の民がエホバ神の清い崇拝へと流れのように寄り集い,その方の道を学ぶ時が来ることを予見しました。それはどのような結果になるでしょうか。「彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばな(く)」なります。(イザヤ 2:2-4)先ほどの預言に調和して,エホバの証人は世界的な教育活動に携わっています。その活動によってすでに幾百万もの人々が,大方の戦争の根底にある国家主義的な憎しみや人種的な憎しみを克服するよう助けられてきました。
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エホバの証人の平和主義については ローマ 13:1の項 にていろいろ紹介していますので、読んでおいてください。
さらにエホバの証人は、この預言が将来においても実現すると教えます。
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◇ 「ものみの塔」誌1992年4月1日号, ものみの塔聖書冊子協会
エホバの証人の世界的な教育の業は,この現存する邪悪な世に神が終わりをもたらされた後も続けられるでしょう。イザヤ 54章13節は,「あなたの子らは皆エホバに教えられる者とな(る)であろう」と述べています。この教える業は非常に徹底的なものとなるので,イザヤ 11章9節は,「水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちる」と予告しています。この古い世の終わりを生き残る者たちや,新しい世で生まれるかもしれない子供たちだけでなく,復活によって生き返る何十億という人々にも継続的な教育が必要です。最終的に,地上で生活するすべての人が,神の律法の境界内で自由意志を正しく行使することを教えられるでしょう。その結果どうなりますか。「柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだす」でしょう。―詩編 37:11。
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聖書の“終末預言”には続きがあります。“終わりの時代”は“ハルマゲドン”で終結し、その後には“千年王国”、さらに“新世界”の時代が訪れます。
エホバの証人は、千年王国と新世界において平和は徹底したものとなると信じています。なんと、世の中から戦争がなくなるというのです。その時代には、神とキリストにより死者が生き返るということも生じます。もはや人と人とが憎み合うことも殺し合うこともなく、すべての人が幸福を体験します。
まとめると、この預言で予告されている平和は、キリスト教の誕生、エホバの証人の誕生、千年王国、新世界で発展的に実現し、完成します。
3つ目、要となる預言です。
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イザヤ 43:8-11
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
目があるのに見えない民,耳があるのに聞こえない民を連れ出せ。全ての国は1つの場所に集合し,人々は集まれ。彼らのうち誰がこれを告げられるか。誰が最初の事柄を私たちに聞かせられるか。彼らに証人を出させ,自分たちの正しさを証明させてみよ。聞く者たちに,『それは真実だ!』と言わせてみよ」。
エホバはこう宣言する。「あなたたちは私の証人である。私に仕える者であり,私が選んだのである。あなたたちが私を知り,私に信仰を持ち,私が変わらないことを理解するために。私の前に存在するようになった神はおらず,私の後にもいない。私,この私がエホバであり,ほかに救い主はいない」。
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エホバの証人は、この“エホバの証人”の預言には非常に広範囲な発展的段階があると指摘します。書いていくときりがありませんので、ここでは内容を絞ります。
まず最初に挙げるのはモーセによるイスラエルの救出です。なぜモーセが出てくるのかというと、エホバが「私は変わらない」と宣言しているからです。これは、モーセの時代と変わらない、という意味です。かつて、神がモーセをメシアとして選任し、数々の奇跡を行わせてエジプトからイスラエルを救出したという出来事がありました。そのことを言っています。
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◇ 「ものみの塔」誌1995年9月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
モーセも……証人たちの一人です。モーセはエジプトの富を後にし,後に,イスラエルの子らを自由へと導くために大胆にもその大世界強国の支配者と向かい合いました。モーセはその勇気をどこから得たのでしょうか。自分の信仰からです。「[モーセ]は,見えない方を見ているように終始確固としていた」と,パウロは述べています。(ヘブライ 11:27)エジプトの神々は,目に見え,手で触ることのできるものでした。今日でさえ,それらの彫像は人々に感銘を与えています。しかし,モーセにとってエホバは,目には見えないとはいえ,それら偽りの神々すべてよりもはるかに現実的な存在でした。モーセはエホバが実在しておられ,ご自分の崇拝者たちに報いをお与えになることに一点の疑念も抱いていませんでした。(ヘブライ 11:6)モーセは傑出した証人となりました。
モーセはイスラエル人を自由へと導いた後,エホバと,ヤコブを通してアブラハムの子孫となった人々との間の契約の仲介者となりました。その結果,エホバの特別な所有物としてのイスラエル国民が存在するようになりました。(出エジプト記 19:5,6)こうして初めて,国民全体による証しが行なわれることになりました。その時から約800年後にイザヤを通して語られた次のエホバの言葉は,原則として,その国民が存在するようになった当初から当てはまりました。「『あなた方はわたしの証人である』と,エホバはお告げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理解するためである』」。(イザヤ 43:10)この新しい国民はどのようにエホバの証人として仕えるのでしょうか。それは,彼らが信仰と従順を示すことによって,またエホバが彼らのために取られる行動を通してです。
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続いて、キュロスによる、バビロン捕囚からのイスラエルの解放です。すでに指摘したとおり、読み替えをしない場合の予告されたメシアはキュロスです。
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◇ 「ものみの塔」誌1995年9月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
イスラエル国民のうちの忠実な人たちは,バビロンで流刑の身であった時でさえ,エホバの神性や力について証しすることを躊躇しませんでした。……エホバは,国民による証しがイスラエルの地で再び行なわれることを意図されました。バビロンへ流刑にされたユダヤ人の間で預言していたエゼキエルは,荒れ廃れた地に関するエホバの決意について,こう書きました。「わたしはあなた方の上に人間を,すなわちイスラエルの全家を,そのすべてを殖やす。そして諸都市には必ず人が住み,荒れ廃れた所も建て直されるであろう」。(エゼキエル 36:10)エホバはなぜそうされるのでしょうか。それはおもに,ご自分の名の証しを立てるためです。エホバはエゼキエルを通してこう言われました。「イスラエルの家よ,わたしがこれを行なうのは,あなた方のためではなく,あなた方が入って行った諸国民の中で汚したわたしの聖なる名のためなのである」― エゼキエル 36:22。エレミヤ 50:28。
預言者イザヤがイスラエルはエホバの証人でありエホバの僕であるというイザヤ 43章10節の言葉を霊感のもとに書き記したのは,流刑地バビロンからのイスラエルの帰還を預言していた時です。イザヤ 43章と44章では,エホバがイスラエルの創造者,それを形造った方,神,聖なる方,救い主,買い戻す方,王,またイスラエルを造った方として描写されています。(イザヤ 43:3,14,15; 44:2)イスラエルが流刑の身になったのは,国民がエホバをそのような方としてたたえることを再三怠ったからです。しかし,彼らは依然としてエホバの民でした。エホバは彼らに対し,「恐れてはならない。わたしはあなたを買い戻したからである。わたしはあなたの名であなたを呼んだ。あなたはわたしのものである」と言っておられました。(イザヤ 43:1)イスラエルのバビロンへの流刑は終わることになっていたのです。
さらに言えば,エホバはイスラエルがバビロンから解放されることを,神々に対する試みとされました。エホバは諸国民の神々に証人を出すようにと挑戦し,イスラエルを指してご自分の証人であると言われました。(イザヤ 43:9,12)エホバはイスラエルの流刑のくびきを砕いたとき,バビロンの神々が決して神などではなく,ご自分こそ唯一まことの神である,ということを証明なさいました。(イザヤ 43:14,15)エホバは,その事が起きる約200年前に,ユダヤ人を解放するご自分の僕としてペルシャ人キュロスの名前を挙げ,ご自分の神性をいっそう十分に証明なさいました。(イザヤ 44:28)イスラエルは解放されることになっていました。なぜでしょうか。『イスラエルがわたしの賛美を詳しく話せるようにするためである』と,エホバは説明しておられます。(イザヤ 43:21)解放されれば,証しの機会がさらに開かれることになるのです。
その時が到来して,ペルシャ人キュロスは,預言されていたとおりバビロンを征服しました。キュロスは異教徒でしたが,エホバの神性を公然と認め,バビロンのユダヤ人に対して宣言を出しました。「すべてその民の者で,あなた方の中にいる者はだれでも,その神がその人と共にいてくださるように。それゆえ,その人はユダにあるエルサレムに上って行き,エルサレムにあったイスラエルの神エホバ ― この方はまことの神であられる ― の家を建て直すように」という宣言です。(エズラ 1:3)大勢のユダヤ人がこたえ応じました。彼らは約束の地へ戻って行き,古代の神殿のあった場所に祭壇を立てました。気落ちさせられることや強い反対もありましたが,ついに神殿とエルサレムの都を再建することができました。こうしたことすべては,エホバご自身が言われたとおり,『軍勢によらず,力にもよらず,ただエホバの霊によって』起きました。(ゼカリヤ 4:6)成し遂げられたそうした事柄は,エホバこそまことの神であることの一層の証拠となりました。
このように,エホバはイスラエルを,不完全な,時には反抗的な人々から成る国民であったにもかかわらず,引き続きご自分の証人としてお用いになりました。キリスト教以前の世界において,その国民は,その神殿と祭司職により,真の崇拝の世界的中心となっていました。
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次に、イエス・キリストです。
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◇ 「ものみの塔」誌1995年9月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
イエスはエホバの最も偉大な証人,「忠実で真実な証人」です。(啓示 3:14)
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イエス・キリストが証人であることは極めて重要な論点ですので、このあと項目を作って取り上げます。
続いて、イエスの導きによるキリスト教の誕生です。
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◇ 「ものみの塔」誌1998年2月1日号, ものみの塔聖書冊子協会
西暦33年,神のイスラエルが肉のイスラエルに取って代わり,エホバの「僕」また「証人」となりました。(イザヤ 43:10)それ以降,イザヤ 43章21節および出エジプト記 19章5,6節に記されている,イスラエルに対するエホバの言葉は,神の霊的イスラエルに当てはまるようになりました。神の新しい霊的国民は今や,「選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民」として,『エホバの卓越性を広く宣明する』責任を担うようになりました。(ペテロ第一 2:9)神のイスラエルに属する人は男性も女性も,全員で一つの集合的な祭司職を構成します。(ガラテア 3:28,29)
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“神のイスラエル”という表現は、聖書に出てくる表現で、キリスト教のことです。ほかにもいくつか難解な言い回しが用いられていますが、これらはメシア預言の読み替えのルールに従った言い方です。
最後に、現代の、教派としての“エホバの証人”です。
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◇ 「神権宣教学校の教育から益を得る」, ものみの塔聖書冊子協会
エホバは,「あなた方はわたしの証人である。……そして,わたしは神である」と述べて,わたしたちに一つの責任と大きな特権を与えてくださいました。(イザ 43:12)わたしたちは,単なる信徒ではありません。神の霊感によるみ言葉に収められた,極めて重要な真理について公に証しする証人です。
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◇ 「ものみの塔」誌1988年2月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
イエスは亡くなられる少し前に「目を天に向けて」祈り,自分が祈りをささげていた方に,「唯一まことの神」と呼びかけました。(ヨハネ 17:1,3)生けるまことの神,宇宙の主権者また創造者はただひとりしかおられないというのは道理にかなったことです。わたしたちの存在はまことの神に依存しているので,わたしたちはその方に然るべき誉れを帰するべきです。啓示 4章11節に述べられているとおりです。「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」。
まことの神が,ご自分の地上の創造物を損なってきた悪い状態を永久には容認されないと考えるのは筋の通ったことでしょう。また,ご自分がこれから行なわれることと,裁きを執行する前にご自分の崇拝者たちが何をするよう願っておられるかを彼らに絶えずお知らせになる,と考えるのも筋の通ったことでしょう。(アモス 3:7)エホバは真理を探究する人々とどのように意思を通わせるのでしょうか。進んで行なう人々をご自分の代弁者としてお用いになるのです。「『あなた方はわたしの証人である』と,エホバはお告げになる……『わたしの前に形造られた神はなく,わたしの後にもやはりいなかった。わたしが ― わたしがエホバであり,わたしのほかに救う者はいない』」。(イザヤ 43:10,11)
……エホバはイザヤに霊感を与えて,他のすべての神々に対する次のような挑戦を記録させました。「彼ら[諸国家と民の神々]のうちにこのこと[正確な預言]を告げ得る者がだれかいるか。また,彼らは[将来に起こる]最初のことでさえわたしたちに聞かせることができるか。[神々としての]彼らにその証人を出させ,[神々としての]彼らが義と宣せられるようにしてみよ。また,彼ら[諸国家の民]に聞かせて,『それは真実だ!』と言わせてみよ」。(イザヤ 43:9)このようにエホバは,人々が崇拝する神々すべてに対して,自分たちが神であることを証明せよ,と挑戦しておられます。それらの神々の証人たちは,自分の崇拝する神々が信頼でき,崇拝されるに値することを示す証拠を提出すべきです。
しかし,それらの神々とその崇拝者たちは何を提出してきたでしょうか。わたしたちを真の平和,繁栄,健康,命へと導いてきましたか。古代の諸国民の多くの神々が無価値で無力であることは,歴史が証明しています。それらの神は今日ではもう存在していないので,崇拝の対象として存続することさえできませんでした。古代エジプト,アッシリア,バビロン,メディア-ペルシャ,ギリシャ,ローマなどの国々の多くの神々は偽りであることが判明しました。それらの神々は歴史書の中や博物館にしか存在していません。博物館にある神々の像は好奇心の対象にすぎません。
それでも,現代の神々とその崇拝者たちは,古代の神々や崇拝者たちより少しでも勝っているのでしょうか。ヒンズー教だけでも幾百万という神々を擁しています。仏教徒,カトリック教徒,儒教徒,ユダヤ教徒,プロテスタント信者,神道信者,道教徒,そのほか大勢の人々が独自の神々を奉じています。アフリカ,アジア,および他の場所で,自然の力や動物,それに種々の物体が神々として崇拝されています。国家主義,物質主義,そして自分自身でさえ,多くの人がそれらを専心の主要な対象にしているという意味で,神々になっています。どの崇拝の仕方が,「わたしはエホバであり,ほかにはいない。わたしのほかに神はいない」と宣言しておられる方を実際に代表しているのでしょうか。―イザヤ 45:5。
……例えば,世の諸宗教のうち,全地にわたって信奉者たちの間に真の平和を確立してきたのはどの宗教でしょうか。言うまでもなく,真の宗教の成員,つまり霊的な兄弟たちであれば,互いに殺し合うはずはありません。ところが,この20世紀の幾つもの戦争で1億人もの人々が殺され,しかもそれらの戦争すべてがこの世の諸宗教の支持を受けてきたのです。その結果,ある宗教を奉ずる人々が別の宗教を奉ずる人々を殺しました。人々が自分と同じ宗教の人を殺した場合も少なくありません。カトリック教徒がカトリック教徒を,プロテスタント信者がプロテスタント信者を,イスラム教徒がイスラム教徒を殺しました。他の宗教の人々も同じ道に従ってきました。
……時間,物質的な資産,それに自分の命さえも進んで犠牲にし,まことの神を支持する証言をしているのはだれでしょうか。まことの神が,「わたしはエホバである。それがわたしの名である」と宣言しておられることを人々に告げているのはだれでしょうか。(イザヤ 42:8)「その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者である」ということを教えているのはだれでしょうか。(詩編 83:18)イエスは地上におられた当時,まことの神に対して,「わたしは……み名を明らかにしました」と言うことができました。(ヨハネ 17:6)現代ではエホバの証人だけがそう言うことができます。エホバの証人というその名は何と適切なのでしょう。
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まとめると、“エホバの証人”の名と職責は、モーセ、イスラエル、イエス、キリスト教、教派としてのエホバの証人に受け継がれてきました。
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イエスはエホバの証人であるということを詳しく見ていきましょう。
聖書の中で、復活したイエス・キリストは自分のことをこのように呼びます。
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啓示(黙示録) 3:14
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
ラオデキアにある会衆の使者に書き送りなさい。アーメンである者,忠実で真実な証人,神に最初に創造された者が,こう言います。
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「忠実で真実な証人」とあります。これは“忠実で真実なエホバの証人”という意味です。イエスはエホバの証人であることのすばらしいお手本であるということです。
どうしてこのように言われるのでしょうか。それは、イエスが人間として現れた時に、エホバの証人の職務を忠実に果たしたからです。
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ヨハネ 7:14-18
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
祭りも半ばを過ぎた時,イエスは神殿に上っていって,教え始めた。ユダヤ人たちは非常に驚いて言った。「どうしてこの人は,学校で学んだこともないのにこんなに聖書の知識があるのだろう」。それに対してイエスは言った。「私の教えは私のものではなく,私を遣わした神のものです。この方の望むことを行いたいと願う人なら,この教えが神からのものか,それとも私が独自の考えで話しているのかが分かります。独自の考えで話す人は,自分が称賛されることを願っています。しかし,自分を遣わした方が称賛されることを願う人は,真実を語り,その人の内に偽りはありません。
ヨハネ 12:44-50
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イエスは大声で言った。「私に信仰を持つ人は,私だけでなく,私を遣わした方にも信仰を持ちます。また,私を見る人は,私を遣わした方をも見ます。私は光として世に来ました。私に信仰を持つ人が誰も闇の中にとどまることのないためです。とはいえ,私の言葉を聞いて守らない人がいても,私は裁きません。私が来たのは,世を断罪するためではなく,世を救うためだからです。私を無視して私の言葉を受け入れない人は裁かれます。私が話した言葉が終わりの日に裁くのです。私は自分の考えで話したのではなく,私を遣わした天の父が,何を言い何を教えるべきかを命じました。私は,永遠の命を得るには父のおきてに従う必要があることを知っています。それで,何でも父から告げられた通りに話しています」。
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イエスは謙虚になり、エホバから受けた教えを忠実に人々に伝えました。このことが「忠実で真実」であると語られています。
さらに、イエスはこのようにも語っています。
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ヨハネ 17:6-8
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私は,あなたが世から取って託してくださった人たちにあなたのお名前を明らかにしました。この人たちはあなたのものでしたが,私に託してくださいました。彼らはあなたの言葉を守っています。彼らは今,あなたが私に与えてくださったもの全てがあなたからのものであることを知るようになりました。あなたが告げてくださった言葉を私が彼らに告げたからです。彼らはそれを受け入れて,私があなたの代理として来たことを本当に知り,あなたが私を遣わされたことを信じました。
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イエスは、弟子たちに神のお名前を知らせました。
この時代、ユダヤ人の間では神の名前を使うことが禁止されていて、そのせいで神の名前を知らないという人がたくさんいました。そこでイエスは弟子たちに神の名前を知らせます。
ちなみにですが、“エホバ”というのは神の名前の正確な発音ではないと言われています。イエスが弟子たちに教えたのは正確な発音だったと考えられますが、現在は失われており、便宜的に“エホバ”が用いられています。この辺りの事情については、 「“エホバ”発音問題」 をご覧ください。
イエスはエホバのことを証言するという意味においてエホバの証人ですが、もう一つの意味、エホバから証言されるという意味においてもエホバの証人です。
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ヨハネ 5:37
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
また,私を遣わした父が私について証言してくださいました。あなた方はこれまで父の声を聞いたことがなく,その姿を見たこともありません。
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イエスは“証人たちの信仰の完成者”とも呼ばれます。
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ヘブライ 12:1-2
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
それで,これほど大勢の証人たちに囲まれているのですから,私たちもあらゆる重荷と,すぐに絡み付く罪を捨て,参加している競走を忍耐して走りましょう。私たちの信仰を導き,完全にしてくださる方であるイエスを一心に見つめながら走るのです。イエスは,前途にある喜びのために,恥を物ともせず苦しみの杭に耐え,神の座の右に座りました。
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すでに述べているとおり、“エホバの証人”の預言には非常に広範囲な発展的段階があります。ここではそのことが「これほど大勢の証人たち」と語られています。これらの証人たちの信仰を導き、完成させるのはイエスであると聖書は教えています。
こうして聖書のいくつもの記述を見ていくと、イエスこそがエホバの証人の最高の手本であり指導者であるという教えが読み取れます。
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教派としてのエホバの証人が自分たちのことをどのように自覚しているかということを見ましょう。
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◇ 「ものみの塔」誌1994年3月15日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
今日のエホバの証人も,自分たちの何世紀も前に生きていた証人たちが抱いていたのと同じ,神に対する信頼を抱いています。これら現代の証人たちも神の約束に自分の命を懸けてきました。彼らは自分の命を神に献げており,信仰を強化するための完成された聖書を持っています。(テモテ第二 3:14-17)これら現代のエホバの証人は,『人間より神に従う』と言明した1世紀のイエスの追随者たちに見倣っています。(使徒 5:29)今世紀においても,これらクリスチャンである証人たちの多くは残忍な迫害を受けました。中には信仰のために殺された人もいます。ほかに,病気や事故,あるいは老衰で亡くなった人たちもいます。しかし,それらの人は昔の忠実な証人たちと同様,新しい世で復活によって生き返らせてもらえることを知っていたので,神を信頼しました。―ヨハネ 5:28,29。使徒 24:15。啓示 20:12,13。
エホバの証人は,すべての国の民の中から一つの全世界的な兄弟関係の中に導き入れられており,そのことが昔から聖書預言の中で予告されていたことを認識し,感謝しています。(イザヤ 2:2-4。啓示 7:4,9-17)そこでエホバは,彼らに世界的な宣べ伝える業を行なわせ,さらにほかの心の正直な人々をご自分の恵みと保護のもとに集めておられます。(箴言 18:10。マタイ 24:14。ローマ 10:13)これらの人は皆,エホバに全幅の信頼を置いています。彼らはエホバが間もなくご自分のすばらしい新しい世を招来してくださることを知っているのです。―コリント第一 15:58; ヘブライ 6:10と比較してください。
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◇ 「ものみの塔」誌1992年11月15日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
エホバの賛美者たちは本当に祝福されています。この幸福な群衆の中にいられるのは何と大きな特権なのでしょう。わたしたちはエホバの証人として,神の言葉 聖書の諭し,律法,教え,約束,預言などを受け入れています。わたしたちは,聖書から学び,「エホバに教えられる」ことをうれしく思います。―ヨハネ 6:45。
エホバの証人は神に対する深い崇敬の念を抱いているので,「だれがわたしたちの神エホバのようであろうか」と問いかけることができます。(詩編 113:5)
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◇ 「ものみの塔」誌1990年11月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
エホバの証人は,イザヤ 43章10節にある,ご自分の契約の民に対するエホバの約束の成就として,勇気をもって自分たちの名を受け入れてきました。……イエスはエホバの証人の指導者であり,彼らはイエスの残された手本に従います。イエスご自身エホバの証人でした。事実,イエスは主要なエホバの証人であられます。―テモテ第一 6:13。啓示 1:5。
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ほかにも多くの記述があります。
彼らが“エホバの証人”を名乗るにあたっては、謙虚と勇気を奮い立たせて聖書の教えに従うことを固く決意していること、こうして“エホバの証人”であることは達成されたと考え満足し感謝していることが読み取れます。
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ここまで学んで、聖書の“エホバの証人”の預言の読み方がだいぶつかめてきたと思います。
では、“エホバの証人”の預言の全体を見ましょう。まだまだ難しいところが多いとは思いますが、かなり解るはずです。
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イザヤ 42:1-45:25
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
見なさい,私が支えている奉仕者,
私が選び,喜んでいる者である。
私は彼の内に聖なる力を宿らせた。
彼は国々に公正をもたらす。
彼は叫ばず,声を上げず,
通りで声を発することもない。
傷ついたアシを折らず,
くすぶるランプの火を消さない。
忠実に公正をもたらす。
彼は消えそうになることも折られることもなく,地上に公正を確立する。
島々は彼の律法を待ち続ける。
真の神エホバは,天を創造し,広げた偉大な方,
地を据え,豊かな産物を生じさせた方,
地上の人々に息を与え,
地上で歩む者に生命力を与える方である。
その方はこう言う。
「私エホバが,正義をもってあなたを呼び,
あなたの手を取った。
私はあなたを守り,民のための契約とし,
国々の光とする。
あなたは見えない人の目を開き,
囚人を監獄から連れ出し,
暗闇の中に座っている人たちを牢屋から連れ出すことになる。
私はエホバ。それが私の名。
私は自分の栄光をほかの誰にも与えず,
自分の栄誉をどんな彫像にも与えない。
最初の事柄はすでに起きた。
今,私は新しい事柄を告げている。
それらが生じる前に,あなたたちに知らせよう」。
エホバに新しい歌を歌え。
地の果てからその方を賛美せよ。
海に乗り出す人たちと,海に満ちる全てのものよ。
島々とその住民よ。
荒野とそこにある町々は声を上げよ。
ケダルの人々が住む集落も。
大岩の住民は歓声を上げよ。
山々の頂から叫べ。
エホバの栄光を認め,
島々でその方を賛美せよ。
エホバは勇士のように出ていき,
戦士のように熱意を燃やす。
叫び,ときの声を上げ,
ご自分が敵よりも強いことを示す。
「私は長い間,静かにしていた。
沈黙し,自分を制していた。
出産する女性のように,
うめき,あえぎ,息を切らす。
私は山や丘を荒廃させ,
そこにある草木を全て枯れさせる。
川を島々に変え,
アシが茂る池を干上がらせる。
目が見えない人たちを導いて彼らの知らない道を通らせ,
なじみのない道を歩かせる。
彼らの前の闇を光に変え,
険しい土地を平地に変える。
私は彼らのためにこれを行い,彼らを見捨てない」。
彫刻像に頼る者たち,
金属像に向かって「われわれの神」と言う者たちは,
退けられてすっかり恥をかく。
耳が聞こえない人たち,聞きなさい。
目が見えない人たち,よく見なさい。
目が見えないのは,私に仕える者だけではないか。
私が遣わす使者ほどに耳が聞こえない者がいるか。
報われた者ほどに目が見えない者,
エホバに仕える者ほどに目が見えない者がいるか。
あなたは多くのものが見えているのに,注意を払わない。
聞こえているはずなのに,耳を傾けようとしない。
エホバは自分の正義のために,
喜んで律法を偉大で輝かしいものとした。
しかし,この民は略奪され,奪い去られた。
皆が穴に捕らわれ,牢屋に閉じ込められている。
略奪されて,誰にも救い出してもらえず,
奪い去られて,誰にも「連れ戻せ!」と言ってもらえない。
あなたたちのうち誰がこれに耳を傾けるだろうか。
やがて来る時のために,誰が注意を払って聞くだろうか。
ヤコブを奪い去られるままにし,
イスラエルを略奪者たちに渡したのは誰か。
それはエホバではないか。私たちはその方に対して罪を犯した。
人々はその方の道を歩もうとせず,
その方の律法に従わなかった。
神は彼に怒りを浴びせ続け,
憤りと戦火で彼を包んだ。
それは彼の周りを焼き尽くしたが,彼は気に掛けなかった。
それは彼に向かって燃え盛ったが,彼は心を留めなかった。
ヤコブよ,あなたを創造した方,
イスラエルよ,あなたを形作った方,
エホバはこう言う。
「恐れてはいけない。私はあなたを救い,
あなたの名を呼んだ。あなたは私のものである。
あなたが水の中を通るとき,私はあなたと共にいる。
川を渡るとき,あなたが水にのまれることはない。
火の中を歩いても,あなたは焼かれず,
炎に焦がされることもない。
私はあなたの神エホバ,
イスラエルの聖なる者,あなたの救い主である。
私はあなたのための贖いとしてエジプトを与え,
あなたと引き換えにエチオピアとセバを与えた。
私はあなたを貴ぶようになり,
重んじ,愛した。
それで,あなたの代わりに人々を与え,
あなたの命と引き換えに国々を与える。
恐れてはいけない。私はあなたと共にいる。
東からあなたの子孫を連れてきて,
西からあなたを集める。
北に向かって『引き渡せ!』と言い,
南に向かってこう言う。『引き留めるな。
私の息子たちを遠くから,娘たちを地の果てから連れてくるように。
彼らは皆,私の名で呼ばれており,
私が自分の栄光のために創造し,
形作った者たちである』。
目があるのに見えない民,
耳があるのに聞こえない民を連れ出せ。
全ての国は1つの場所に集合し,
人々は集まれ。
彼らのうち誰がこれを告げられるか。
誰が最初の事柄を私たちに聞かせられるか。
彼らに証人を出させ,自分たちの正しさを証明させてみよ。
聞く者たちに,『それは真実だ!』と言わせてみよ」。
エホバはこう宣言する。
「あなたたちは私の証人である。
私に仕える者であり,私が選んだのである。
あなたたちが私を知り,私に信仰を持ち,
私が変わらないことを理解するために。
私の前に存在するようになった神はおらず,
私の後にもいない。
私,この私がエホバであり,ほかに救い主はいない」。
エホバはこう宣言する。
「あなたたちの中にほかの神がいなかった時に,
私こそが,救うと告げ,実際に救い,そのことを知らせた。
それで,あなたたちは私の証人であり,私は神である。
また,私は常に変わらない。
誰も私の手から何かを奪い取ることはできない。
私が行動する時,誰が阻めるだろうか」。
あなたたちを救う方,イスラエルの聖なる方,エホバはこう言う。
「私はあなたたちのためにバビロンに人を遣わし,全ての門のかんぬきを外す。
カルデア人は自分たちの船の中で苦悩して叫ぶ。
私はあなたたちの聖なる者エホバ,イスラエルの創造者,あなたたちの王である」。
これはエホバの言葉である。
その方は海の中に道をつくる。
荒れ狂う水の中をも通る道を。
その方は戦車と馬を引き出し,
強い戦士たちから成る軍隊を引き出す。
「彼らは横たわり,起き上がらない。
燃えるランプの火が消されるように,消し去られる」。
「以前のことを思い出してはならない。
過去についてあれこれ考えてはならない。
私は新しいことを行う。
今それは起ころうとしている。
あなたたちは気付いていないのか。
私は荒野に道をつくり,
砂漠に川が流れるようにする。
野獣が私をたたえる。
ジャッカルやダチョウが。
私が荒野で水を湧き出させ,
砂漠に川が流れるようにするからだ。
私の民,私の選んだ者が水を飲めるように。
その民は,私が自分のために形作った。
彼らが私を賛美するようになるために。
しかし,ヤコブよ,あなたは私に呼び掛けていない。
イスラエルよ,あなたは私にうんざりしたからである。
私に全焼の捧げ物の羊を持ってきていないし,
犠牲を捧げて私をたたえることもしていない。
私は供え物を持ってくるようあなたに強要したことはなく,
乳香を要求してあなたをうんざりさせたこともない。
あなたは自分のお金で私のために香りの良いショウブを買うことをせず,
犠牲の脂肪で私を満足させなかった。
代わりに,多くの罪で私を悩ませ,
数々の過ちで私を煩わせた。
私,この私が,私自身のためにあなたの違反を消し去っており,
あなたの罪を思い出さない。
互いに主張を戦わせよう。私に思い起こさせなさい。
言い分を述べて,自分が正しいことを証明してみなさい。
あなたの最初の父祖は罪を犯し,
あなたの代弁者たちは私に反逆した。
それで私は,聖なる場所の長たちを汚れたものとし,
ヤコブが滅ぼされるようにし,
イスラエルが侮辱されるままにする。
今こそ聞きなさい,私に仕えるヤコブよ,
私が選んだイスラエルよ。
あなたを造った者,あなたを形作り,
胎内にいる時から助けてきた者,
エホバはこう言う。
『私に仕えるヤコブよ,
私が選んだエシュルンよ,恐れてはならない。
私は喉が渇いている者に水を注ぎ,
乾いた地面に川が流れるようにする。
あなたの子孫に私の聖なる力を注ぎ,
あなたの末孫を祝福する。
彼らは青草の中から伸び出るかのように,
川のほとりのポプラのように育つ。
ある人は「私はエホバのもの」と言う。
ある人はヤコブの名を名乗る。
ある人は自分の手に「エホバのもの」と書き,
イスラエルを自分の名とする』。
エホバ,イスラエルの王,
イスラエルを救う者,大軍を率いるエホバはこう言う。
『私は最初であり,最後である。
私のほかに神はいない。
私のような者がいるだろうか。
その者は声を上げ,そのことを主張し,私に証明してみよ!
私が昔の民を定めた時からしてきたように,
間もなく起きる事柄や,
やがて生じる事柄を告げてみよ。
あなたたちは恐れてはならない。
恐怖で身がすくむことがないようにしなさい。
私は前もって一人一人にはっきり告げたではないか。
あなたたちは私の証人である。
私のほかに神がいるだろうか。
いや,ほかに岩のような者はいない。私は全く知らない』」。
彫刻像を作る者は皆むなしく,
彼らがあがめている物は何の役にも立たない。
それらの像は何も見ず,何も知らないので,証人にはなり得ない。
それで,作った者たちは恥をかくことになる。
何の役にも立たない神や金属像を,
誰が形作ったり鋳造したりするのか。
その者の仲間も皆恥をかくことになる!
職人たちは人間にすぎない。
皆で集まって立つがよい。
彼らはおびえ,共に恥をかく。
金属細工人は道具を使って炭火の上で鉄を加工する。
金づちでそれを形作り,
力強い腕で作業する。
しかし,空腹になり,力が出なくなる。
水を飲まず,疲れてしまう。
木彫り職人は測り綱で測り,赤いチョークで下図を描く。
のみで削り,コンパスで印を付ける。
それを人の姿に似せ,
人間のように美しくし,
家の中に安置する。
杉を切り倒す仕事をしている人がいる。
彼はある種の木,巨木を選び,
森の木々の中で大きく育つようにする。
また,月桂樹を植え,雨がそれを成長させる。
木は火にくべる燃料となる。
人はその一部を使って暖を取る。
火をたき,パンを焼く。
それだけでなく,神を作って崇拝する。
彫刻像を作り上げ,その前でひれ伏す。
木の半分を火の中で燃やす。
それで肉をあぶり,食べて満足する。
また,暖を取ってこう言う。
「ああ,火を見ていたら温まった」。
そして,残りの木で彫刻像を作り,自分の神とする。
それにひれ伏し,崇拝し,
それに向かって祈ってこう言う。
「救ってください。あなたは私の神です」。
彼らは何も知らず,何も理解していない。
目が閉ざされていて見えず,
心に洞察力がないからである。
誰も心の中で思い巡らすことをせず,
知識も理解力もないので,こう言うことはない。
「私は木の半分を火の中で燃やし,
その炭火でパンを焼き,肉をあぶって食べた。
そうであれば,残りの木で忌まわしい物を作るべきだろうか。
木の切れ端を崇拝すべきだろうか」。
彼は灰を食べている。
自身の欺かれた心によって惑わされた。
自分を救うことができず,
「私の右手にあるものは偽りではないか」と言うこともない。
「ヤコブよ,イスラエルよ,これらのことを覚えておきなさい。
あなたは私に仕える者である。
私があなたを形作ったのであり,あなたは私に仕える者である。
イスラエルよ,私があなたを忘れることはない。
私はあなたの違反を雲で覆うかのように,
あなたの罪を厚い雲で覆うかのように覆い隠す。
私のもとに帰りなさい。私はあなたを救う。
天よ,歓声を上げよ!
エホバが行動したからだ。
地の深い所よ,勝利の叫びを上げよ!
山々よ,喜んで叫べ!
森とその全ての木々も。
エホバはヤコブを救い,
イスラエルの上で光り輝く」。
あなたを救う方,
胎内にいる時から形作った方,
エホバはこう言う。
「私はエホバであり,全てのものを造った。
自ら天を広げ,地を据えた。
誰が私と共にいたか。
私は偽預言者たちのしるしを無効にし,
占い師たちを愚か者のように行動させる。
賢人たちを混乱させ,
彼らの知識を愚かさに変える。
自分に仕える者の言葉を実現させ,
使者たちの予告通りになるようにする。
エルサレムについて,『そこに人が住むようになる』と言い,
ユダの町々について,『それらは再建され,
私は廃虚を元通りにする』と言う。
深い水に,『蒸発せよ。
私はあなたの川を全て干上がらせる』と言う。
キュロスについて,『私の牧者,
私が望むことを完全に成し遂げる者』と言う。
エルサレムについて,『建て直される』と言い,
神殿について,『土台が据えられる』と言う」。
私はキュロスの右手を取った。
国々を彼に従わせ,
王たちの武器を取り上げ,
彼の前で2枚扉を開いて,
門が閉じられないようにする。
エホバは自分が選んだ者であるキュロスにこう言う。
「私はあなたの前を行き,
険しい土地を平らにする。
銅の扉を粉々に砕き,
鉄のかんぬきを切り落とす。
暗闇の中にある宝,ひそかな場所に隠された宝をあなたに与える。
あなたは知ることになるだろう。
私がイスラエルの神エホバであり,
あなたを名指しで呼ぶ者であることを。
私に仕えるヤコブ,私が選んだイスラエルのために,
私はあなたを名指しで呼ぶ。
あなたは私を知らなかったが,私はあなたに名誉ある名を与える。
私がエホバであり,ほかにはいない。
私以外に神はいない。
あなたは私を知らなかったが,私はあなたを力づける。
日が昇る所から沈む所まで,
人々は知ることになるだろう。
私以外に誰もいないことを。
私がエホバであり,ほかにはいない。
私は光を形作り,闇を創造し,
平和をつくり,災いを創造する。
私エホバがこれら全てを行っている。
天よ,上から雨を降らせよ。
雲は正義を滴らせるように。
地は開いて,救いを豊かに生み出し,
正義をも芽生えさせよ。
私エホバがこれを創造したのである」。
自分を造った方と争う者には災いがある!
彼はただの土器のかけらであり,
地面に落ちているかけらの1つにすぎないからだ。
粘土が陶芸家に向かって,「何を作っているのか」などと言うだろうか。
あなたの作品が,「この人には能力がない」などと言うだろうか。
父親に向かって,「何の父となるのか」と言う者,
女性に向かって,「何を産もうとしているのか」と言う者には災いがある。
イスラエルの聖なる方,イスラエルを形作った方,エホバはこう言う。
「あなたたちは,これから起きる事柄について私を疑うのか。
私の子たちや行いについて,私に命じるのか。
私が地を造り,その上に人を創造した。
私が自らの手で天を広げたのであり,
天の全軍に命令を出す」。
「私は正義のためにある者を立ち上がらせ,
彼の道を全て真っすぐにする。
彼が私の都市を建てる者であり,
代価も賄賂も求めずに私の捕囚の民を自由にする」と,大軍を率いるエホバは言う。
エホバはこう言う。
「エジプトの利益,エチオピアの商品,背の高いシバ人が,
あなたのもとに来て,あなたのものとなる。
彼らは鎖につながれてあなたの後ろを歩き,
やって来てあなたにひれ伏し,祈ってあなたにこう言う。
『確かに神はあなたと共におられます。
ほかにはいません。ほかに神はいません』」。
イスラエルの神,救い主であるあなたは,
まさしくご自分を隠される神です。
偶像を作る者は皆,恥をかき,辱められ,
不名誉を被って立ち去ることになる。
一方イスラエルはエホバによって救われる。それは永遠の救いである。
あなたたちは永遠にわたり,恥をかくことも不名誉を被ることもない。
エホバは天の創造者,真の神であり,
地を形作った方,それを造ってしっかりと据えた方。
意味もなく創造したのではなく,人を住まわせるために形作った方。
その方がこう言う。
「私がエホバであり,ほかにはいない。
私は,ひそかな場所,暗い土地で語ってはいない。
『私に導きを求めても意味はない』と,
ヤコブの子孫に言ってはいない。
私はエホバであり,正しいことを語り,真実なことを告げる。
集まって,来なさい。
国々から逃れてきた人たちよ,共に近寄りなさい。
彫刻像を持ち運ぶ者たち,
救うことができない神に祈る者たちは,何も知らない。
言い分を述べ,訴え出よ。
一緒に協議するがよい。
誰が昔にこのことを予告し,
以前から告げていたのか。
それは私エホバではないか。
私のほかに神はいない。
正しい神,救い主は,私以外にいない。
地の果てに至るまで,全ての人は私に頼り,救われるように。
私が神であり,ほかにはいない。
私は自分自身に懸けて誓った。
私の口から出た言葉は正しく,
撤回されることはない。
全ての人は私に向かってひざまずき,
私に尽くすことを誓って,
こう言う。『確かに,エホバは本当に正しく,強い方である。
この方に激怒していた者は皆,そのもとに来て恥じる。
イスラエルの子孫は皆エホバによって正しさを証明され,
その方について誇る』」。
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どうだったでしょうか。
この預言の言葉は、基本的に、キュロス王がイスラエルをバビロニアから救出することについて書いています。ですから、まずはその意味でこの預言を理解しましょう。それから、その発展的な適用を考えるとよいでしょう。
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全体像を見ましたので、いくつか、補足的な点の解読をしましょう。
ここには“ヤコブ”という言葉が何度も出てきますが、これは“イスラエル”の別称です。これは、イスラエル人の祖先となったヤコブという人がいて、その別名が“イスラエル”だったことに由来しています。メシア預言にはこのような言い替えが多いですので、こういったことは逐一覚えていく必要があります。
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創世記 35:10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神は彼に言った。「あなたの名前はヤコブだが,もうヤコブではなくなる。イスラエルがあなたの名前になる」。こうして神は彼をイスラエルと呼ぶようになった。
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冒頭の部分、キュロスはたいへん立派な人物であると書かれていますが、……
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イザヤ 42:1-4
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
見なさい,私が支えている奉仕者,私が選び,喜んでいる者である。私は彼の内に聖なる力を宿らせた。彼は国々に公正をもたらす。彼は叫ばず,声を上げず,通りで声を発することもない。傷ついたアシを折らず,くすぶるランプの火を消さない。忠実に公正をもたらす。彼は消えそうになることも折られることもなく,地上に公正を確立する。島々は彼の律法を待ち続ける。
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……聖書は、これがイエス・キリストのことを予告していると教えます。
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マタイ 12:15-21
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イエスはこれを知って,その場を去った。大勢の人が付いてきて,イエスは全員を治した。しかし,自分のことを誰にも話さないようにと厳重に命じた。預言者イザヤを通して次のように語られたことが実現するためである。「見なさい,私が選んだ奉仕者,私が愛し,喜んでいる者である。私は彼に聖なる力を与え,彼は,公正とは何かを国々に明らかにする。彼は言い争わず,叫び立てず,誰も大通りで彼の声を聞かない。彼は,傷ついたアシを折らず,くすぶるランプの火を消さず,やがて確実に公正をもたらす。まさに,国々は彼の名に望みをかける」。
マタイ 3:16-17
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イエスはバプテスマを受けた後,すぐに水から上がった。何と,天が開き,ヨハネは,神の聖なる力がハトのように下ってイエスの上に来るのを見た。さらに天から声がした。「これは私の愛する子,私はこの子のことを喜んでいる」。
ペテロ第二 1:17
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「これは私の愛する子,私はこの子のことを喜んでいる」という言葉が荘厳な栄光によって伝えられた時,キリストは,父である神から栄誉と栄光を受けました。
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聖書は、預言のこの部分をイエスへ適用することによって、預言全体もイエスに適用されるのだということを暗に示しています。
預言にはイスラエルがエホバから背教したことの言及があります。イスラエルがバビロニアに征服されたのはなぜかというと、エホバから背教し、神からの罰を受けたからです。
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歴代第二 36:15-23
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
彼らの父祖たちの神エホバは,使者たちを通して警告し続けた。ご自分の民と住まいのことを思いやって何度も警告した。それにもかかわらず,彼らは真の神の使者たちをばかにし続け,神の言葉を侮り,預言者たちをあざけったので,ついには矯正しようがないほどになった。エホバはご自分の民に激怒した。
神は彼らにカルデア人の王を差し向けた。王は聖なる所の家で若者たちを剣で殺し,若い男女にも老人にも病弱な人にも同情しなかった。神は全てを王の手に渡したのである。カルデア人の王は,真の神の家の大小の器具全部,エホバの家の財宝,王と高官たちの財宝など,全てをバビロンに持っていった。真の神の家を焼き払い,エルサレムの城壁を破壊し,防備された塔を全て焼き,貴重な物を全部壊した。剣から逃れた人たちは捕虜としてバビロンに連れ去られ,ペルシャの王国が治め始めるまで,カルデア人の王とその子たちの召し使いとなった。こうしてエレミヤが語ったエホバの言葉が実現し,守られてこなかったこの土地の安息年の埋め合わせがなされた。荒廃していた期間,ずっと土地は休み,70年を満了した。
ペルシャのキュロス王の治世の第1年のこと,かつてエレミヤが語ったエホバの言葉が実現するよう,エホバはキュロス王の心を奮い立たせ,王国全域に布告を出させた。王はその布告を文書に記した。「ペルシャのキュロス王の言葉。『天の神エホバは,地上の全ての王国を私に下さった。そして,ユダのエルサレムにご自分の家を建てるよう私にお命じになった。それで,その神の民である人は誰でも,上っていくがよい。エホバ神がその人と共におられるよう願っている』」。
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ついに、エホバは世の中に無数にある神々に対して、予告と救いをテーマとした競技の開催を通知します。救いを予告し、そして実際に人を救うことのできる神は誰か、ということです。そこで登場するのが“証人”です。これはわかりやすく言い替えると信者ということです。
しかもエホバは、まだ何も始まらないうちにさっさと勝利を宣言します。救うことのできる神はエホバだけ、救われるのはエホバの証人だけです。
勝利宣言をする理由は明瞭です。エホバ以外の神は人間による作り物で、何の役にも立たないからです。
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続いて、この預言の記述には、特にエホバの証人について語るところで、メシア預言の別のテーマが混じっているという点を学びます。
混じっているのは“エホバの日”のテーマです。これは後に“ハルマゲドン”と呼ばれるようになったもので、神による世界の裁きを指しています。
メシア預言にこのようなテーマが混ざるのは、メシア預言自体がその発展性を自覚しているからです。メシア預言は、当面のこととしては、イスラエルとかバビロニアとかペルシャとかいった狭い範囲の出来事を扱いますが、それが発展していくと、規模も膨らんでいくというわけです。
そういうわけで、エホバが神々に挑戦状をたたきつけるところでは、メシア預言が最終局面と考える状況についての記述が混ざっています。
この、“エホバの日”についてメシア預言がどのように述べているかを見ておきましょう。
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イザヤ 2:1-22
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
アモツの子イザヤがユダとエルサレムに関して見た事柄。
最後の日々に,
エホバの家の山は,
山々の頂より高くしっかりと据えられ,
どの丘よりも高くそびえる。
全ての国の人々が流れのようにそこに向かう。
多くの人々が行って,こう言う。
「さあ,エホバの山に登ろう。
ヤコブの神の家に行こう。
神はご自分の道について教えてくださる。
私たちはその道を歩もう」。
律法がシオンから,
エホバの言葉がエルサレムから出る。
神は国々の中で裁きを下し,
多くの人々を正しい方向に導く。
彼らは剣をすきに,
やりを鎌に作り替える。
国は国に向かって剣を振り上げず,
彼らはもはや戦いを学ばない。
ヤコブの子孫よ,来なさい。
エホバの光の中を歩もう。
あなたはご自分の民,ヤコブの子孫を見捨てました。
彼らが東からのものをたくさん取り入れたからです。
フィリスティア人のように魔術を行い,
外国人の子供が大勢います。
彼らの土地は銀や金で満ち,
財宝が限りなくあります。
その土地は馬で満ち,
兵車が限りなくあります。
その土地は無価値な神々で満ちています。
彼らは自分の手で作った物にひれ伏します。
自分の指で作った物に。
こうして人は自分を卑しめ,堕落します。
あなたが彼らを許すことはあり得ません。
あなたたちは岩の間に入り,
土の中に身を隠せ。
エホバの恐ろしさと荘厳な輝きのゆえに。
傲慢な人は頭を垂れることになり,
高慢な人は卑しめられる。
その日にはエホバだけがたたえられる。
それは大軍を率いるエホバの日。
全ての傲慢な人や高慢な人に,その日は来る。
身分が高い人にも低い人にも,皆に来る。
高くそびえるレバノンの全ての杉と,
バシャンの全ての巨木にも,
全ての高大な山と,
全ての高い丘にも,
全ての高い塔と,
全ての強固な城壁にも,
タルシシュの全ての船と,
全ての美しい小舟にも。
傲慢な人はさげすまれ,
高慢な人は卑しめられる。
その日にはエホバだけがたたえられる。
無価値な神々は完全に消え去る。
神が立ち上がって地上を恐怖に震え上がらせる時,
人々は岩場の洞窟や地面の穴に入る。
エホバの恐ろしさと荘厳な輝きのゆえに。
その日,人々は,
拝むために作った銀や金の無価値な神々を,
トガリネズミやコウモリに向かって投げ捨てる。
神が立ち上がって地上を恐怖に震え上がらせる時,
人々は岩場の穴や大岩の裂け目に入る。
エホバの恐ろしさと荘厳な輝きのゆえに。
単なる人間に頼るのをやめよ。それがあなたたちのためである。
人間は鼻を通る息にすぎない。
考慮に入れる価値があるだろうか。
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イザヤ 13:1-22
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
アモツの子イザヤが見た幻。バビロンに対する宣告。
「岩山の上に旗印を掲げよ。
彼らに向かって呼び掛け,手を振り,
彼らが貴族たちの門から入るようにせよ。
私は任命した者たちに命令を出した。
私の怒りを表明させるために,
私の戦士たち,誇らしげに喜ぶ者たちを呼び集めた。
聞け!
山々に群衆がいる。
数が多い民の音のようだ!
聞け!
数々の王国の騒音,
集められた国々の騒音を!
大軍を率いるエホバは戦いのための軍勢を招集している。
エホバと憤りの武器は,
遠くの土地から,
天の果てからやって来る。
全世界を滅ぼすために。
泣き叫べ。エホバの日が近いからだ!
その日に全能者は滅びをもたらす。
そのため,皆の手は力なく垂れ下がり,
心は恐れにとらわれる。
人々はひどく取り乱している。
子を産んでいる女性のように,
けいれんと痛みに襲われる。
恐怖のあまり見つめ合い,
顔に苦渋の色を浮かべている。
エホバの日が来る。
激怒と燃える怒りを伴う残酷な日が。
土地を恐怖の光景に変え,
罪人をそこから滅ぼし尽くすために。
天の星も星座も輝かず,
昇ってくる太陽は暗く,
月も光を放たない。
私は世界の人々に悪い行いの責任を問い,
邪悪な者たちに過ちの責任を問う。
思い上がった者たちの誇りをくじき,
傲慢な圧制者を卑しめる。
死にゆく人間を,精錬された金よりも,
オフィルの金よりもまれなものとする。
そのため,私は天を震わせる。
大軍を率いるエホバの激怒により,その燃える怒りの日に,
地は揺り動かされる。
追われるガゼルのように,
集める者がいない羊の群れのように,
人はそれぞれ自分の民のもとに帰り,
それぞれ自分の土地に逃げていく。
見つかった者は皆,刺し通され,
捕らわれた者は皆,剣によって倒れる。
彼らの子供たちは目の前で打ち砕かれ,
家々は略奪され,
妻たちは暴行される。
私はメディア人に彼らを攻めさせる。
メディア人は銀を何とも思わず,
金を見て喜びもしない。
彼らは弓で若者たちを打ち倒す。
子供たちを哀れに思わず,
彼らに憐れみを示さない。
最も輝かしい王国,
カルデア人にとって美しく誇らしいバビロンは,
神が滅ぼしたソドムとゴモラのようになる。
そこに人が住むことはなくなり,
いつの時代までも居住地にはならない。
そこにアラブ人が天幕を張ることはなく,
羊飼いが群れを休ませることもない。
砂漠の生き物がそこで寝そべり,
家々にはワシミミズクが群がる。
ダチョウがそこにすみ,
野ヤギが跳ね回る。
遠ぼえする動物が塔でほえ,
華やかだった宮殿でジャッカルがほえる。
バビロンの終わりは近く,先延ばしにされることはない」。
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ヨエル 1:1-3:21
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバがペトエルの子ヨエルを通して語った言葉。
「長老たち,聞け。
この土地の住民たち,皆,耳を傾けよ。
このようなことがあなたたちの時代にあったか。
父祖たちの時代にはどうだったか。
あなたたちの子たちに語れ。
その子たちは自分の子たちに語れ。
その子たちは次の世代に語れ。
食らい付くバッタが残したものは,群がるバッタが食べた。
群がるバッタが残したものは,羽のないバッタが食べた。
羽のないバッタが残したものは,食い荒らすバッタが食べた。
酔っぱらいたち,目を覚まして泣き悲しめ!
ぶどう酒に溺れる者たち,皆,泣き叫べ。
あなたたちの口に入る甘いぶどう酒はもうない。
強くて数の多い国民が,私の土地に来たからだ。
歯はライオンの歯のようで,
顎はライオンの顎のようだ。
私のブドウの木を荒らし,私のイチジクの木を切り株にした。
丸裸にし,小枝の皮まで剝いで,投げ捨てた。
花婿を失って粗布をまとう乙女のように泣き叫べ。
エホバの家から穀物の捧げ物も飲み物の捧げ物もなくなり,
祭司たち,エホバの奉仕者たちは嘆く。
畑は荒れ果て,大地は嘆く。
穀物は荒らされ,新しいぶどう酒は干上がり,油は底を突いた。
耕作人たちは小麦と大麦のことでぼうぜんとし,
ブドウの栽培人たちは泣き叫ぶ。
畑の収穫がなくなったからだ。
ブドウの木は枯れ,イチジクの木もしおれた。
ザクロの木,ヤシの木,リンゴの木,野原の全ての木が枯れた。
民の喜びは屈辱に変わったのだ。
祭司たち,粗布をまとって嘆き悲しめ。
祭壇の奉仕者たち,泣き叫べ。
神の奉仕者たち,中に入り,粗布をまとって夜を過ごせ。
神の家に,穀物の捧げ物も飲み物の捧げ物も集まらなくなったからだ。
断食を呼び掛けよ。特別な集まりを招集せよ。
長老たちとこの土地の住民全てをエホバ神の家に集め,
エホバに助けを叫び求めよ。
災いだ!
その日が来る。
エホバの日は近い。
その日は全能者による破壊のように来る。
目の前から食べ物が取り去られ,
神の家から喜びも楽しさも取り去られた。
シャベルの下で,種はしぼんだ。
倉庫は荒らされ,穀物倉は壊された。
穀物が尽きたから。
家畜までがうめく。
牛の群れはさまよう。牧草がないからだ。
羊の群れも苦しむ」。
エホバ,私はあなたに呼び掛けます。
火が荒野の牧草を焼き尽くし,
炎が野原の全ての木をなめ尽くしたからです。
野獣までがあなたに助けを求めます。
川が枯れ,火が荒野の牧草を焼き尽くしたからです。
「シオンで角笛を吹き鳴らせ!
私の聖なる山でときの声を上げよ。
この土地の住民は皆,震え上がれ。
エホバの日が来るからだ!
それは近い。
闇と暗闇の日,雲と濃い暗闇の日。
山々に広がる明け方の光のよう。
数が多くて強い民がいる。
そのようなものは,これまでいたことがない。
これからも二度と出てこない。
どの世代の年にも。
その前を火が焼き尽くし,
その後ろを炎がなめ尽くす。
その前にある土地がエデンの園のようでも,
後ろでは荒れ果てた荒野になる。
何も逃れられない。
その姿は馬のよう。
軍馬のように走る。
山々のてっぺんを跳ね回る。
兵車のような音,わらを燃やす火のぱちぱちという音を立てて。
戦闘隊形を組んだ強い民のよう。
人々は苦しめられる。
皆の顔が青ざめる。
戦士のように突撃してくる。
兵士のように城壁をよじ登ってくる。
それぞれが自分の進路から離れず,道からそれない。
押し合うこともなく,
それぞれが自分の進路を行く。
誰かが矢に撃たれて倒れても,
誰も隊列を乱さない。
町の中へ突き進み,城壁の上を走る。
家々に上り,泥棒のように窓から入り込む。
その時,地は震え,天は揺れる。
太陽と月は暗くなり,星も輝きを失う。
エホバは自分の軍勢の前で声を上げる。
その陣営には非常に多くの者がいる。
自分の言葉を実行する神は強い。
エホバの日は非常に畏るべき大いなる日。
いったい誰が耐えられるだろうか」。
エホバは宣言する。
「今からでも,心を尽くして私のもとに戻れ。
断食し,涙を流し,泣き叫んで。
衣服ではなく心を引き裂き,
あなたたちの神エホバのもとに戻れ。
神は思いやりがあって,憐れみ深く,
すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ちている。
神は災いについて考え直す。
いったい誰が言えるだろう。
神が怒りを静めて考え直すことはない,とか,
私たちがエホバ神に穀物や飲み物を捧げられるよう,神が祝福を残しておくことはない,などと。
シオンで角笛を吹き鳴らせ!
断食を呼び掛けよ。特別な集まりを招集せよ。
民を集めよ。会衆を神聖にせよ。
老人たちを集合させよ。子供や乳児たちを集めよ。
花婿は奥の部屋から,花嫁は寝室から出よ。
祭司たち,エホバの奉仕者たちは,
玄関と祭壇の間で泣き悲しんで言え。
『エホバ,あなたの民を哀れに思ってください。
あなたの財産である人たちが国々に支配されて,軽蔑の的になるようにはしないでください。
人々が,「彼らの神はどこにいるのか」などと言ってよいでしょうか』。
そうすれば,エホバは自分の土地への熱い愛を表し,
自分の民を思いやる。
エホバは民に答える。
『私はあなたたちに穀物と新しいぶどう酒と油を送る。
あなたたちは十分に満たされる。
私はもうあなたたちが国々の中であざけられるようにはしない。
私は北から来る者たちをあなたたちから遠ざけ,
乾いて荒れ果てた所に追いやる。
彼らの前衛を東の海に,後衛を西の海に追い払う。
彼らからひどい臭いが立ち上り,悪臭が立ち込める。
神は偉大なことを行うのである』。
大地よ,恐れるな。喜び,歓喜せよ。
エホバは偉大なことを行うからだ。
野原の動物たちよ,恐れるな。
荒野の牧草地は緑になる。
木々は実を付ける。
イチジクの木もブドウの木も豊かに実る。
シオンの子たち,エホバ神のことで喜び,歓喜せよ。
神は秋の雨を程よく降らせる。
あなたたちに豊かな雨を与える。
秋の雨と春の雨を,以前のように。
脱穀場は穀物でいっぱいになり,
搾り場は新しいぶどう酒と油であふれる。
群がるバッタ,羽のないバッタ,
食い荒らすバッタ,食らい付くバッタ,
あなたたちの所に私が送り込んだ大軍が食い尽くした年月を,
私は埋め合わせる。
あなたたちは必ず満足するまで食べ,
エホバ神の名を賛美する。
あなたたちのために神は奇跡を行ったから。
私の民は二度と恥をかかない。
あなたたちは知る。
私がイスラエルの中にいること,
私があなたたちの神エホバであり,ほかにはいないことを。
私の民は二度と恥をかかない。
その後,私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し,
老人は夢を見,若者は幻を見る。
その時,私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぐ。
私は天と地で不思議なことを見せる。
血と火,煙の柱である。
太陽は闇に,月は血に変わる。
エホバの大いなる畏るべき日が来る前に。
エホバの名を呼ぶ人は皆救われる。
エホバが言った通り,逃れた人たちがシオンの山とエルサレムにいることになる。
エホバが呼び寄せる,生き残る人たちである」。
「私がユダとエルサレムの捕らわれている民を連れ戻すその日,その時,
私はあらゆる国の民を集め,
エホシャファトの谷に連れていく。
私はそこで彼らを裁く。
私の民,私の財産であるイスラエルのために。
彼らはイスラエルを国々に散らし,
私の土地を自分たちで分け合った。
彼らは私の民のことでくじを引く。
娼婦を買うために少年を引き渡し,
ぶどう酒を飲むために少女を売る。
ティルスとシドン,フィリスティアの全域よ,
いったい何だというのか。
何かのことで私に報復しているのか。
報復しているというなら,
私はすぐ,速やかに,その報復があなた方の身に降り掛かるようにする。
あなた方は私の銀と金を取り,
私の最上の宝を自分たちの神殿に持っていった。
ユダとエルサレムの人々をギリシャ人に売り渡し,
祖国から遠くに引き離した。
私は,あなた方が売り渡した場所から戻ってくるよう彼らを奮い立たせ,
あなた方の報復があなた方の身に降り掛かるようにする。
私はあなた方の息子や娘たちをユダの人々に売り渡す。
彼らは,その息子や娘たちをシェバの人たち,遠くの国民に売り渡す。
エホバ自身がそう語ったのである。
国々にこう知らせよ。
『戦いの準備をせよ!
戦士たちを奮い立たせよ!
全兵士が進軍し,攻撃せよ!
あなた方のすきを剣に,鎌をやりに作り替えよ。
弱い者は,「私は強い」と言え。
周りの全ての国よ,加勢に来い。集まれ!』」
エホバ,あなたの強い者たちをそこに送り込んでください。
「国々は奮い立ち,エホシャファトの谷に来るがよい。
私は周りの全ての国を裁くためにそこに座る。
鎌を入れよ。作物が実ったからだ。
来て,踏みつぶせ。ブドウ搾り場がいっぱいだからだ。
大おけはあふれる。悪がはびこっているからだ。
群衆,群衆が判決の谷にいる。
判決の谷にエホバの日が間もなく来る。
太陽と月は暗くなり,
星も輝きを失う。
エホバはシオンからほえ,
エルサレムから声を上げる。
天と地は揺れる。
しかしエホバは民のための避難所,
イスラエルの民のための要塞となる。
あなたたちは,私があなたたちの神エホバであり,聖なる山シオンに住んでいることを知る。
エルサレムは聖なる場所となる。
よそ者たちはもうそこを通らない。
その日,山に甘いぶどう酒が滴り,
丘に乳が流れ,
ユダの川はどこも水が流れる。
エホバの家から泉が湧き出て,
アカシアの木の谷を潤す。
エジプトは荒れ果て,
エドムは荒野となる。
ユダの民への暴力のゆえに。
彼らはユダの土地で無実の人の血を流した。
しかし,ユダには常に,
エルサレムには代々ずっと,人が住む。
私はかつて彼らを無実だとは見なさなかったが,無実と見なす。
エホバはシオンに住む」。
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“エホバの日”の預言の発展性について聖書自身がどう語っているかを見ましょう。ここでは、まず上述のメシア預言から引用し、続いてその発展を語る記述を引用します。
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ヨエル 2:28-32
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その後,私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し,老人は夢を見,若者は幻を見る。その時,私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぐ。私は天と地で不思議なことを見せる。血と火,煙の柱である。太陽は闇に,月は血に変わる。エホバの大いなる畏るべき日が来る前に。エホバの名を呼ぶ人は皆救われる。エホバが言った通り,逃れた人たちがシオンの山とエルサレムにいることになる。エホバが呼び寄せる,生き残る人たちである」。
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使徒 2:14-21
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
しかしペテロが11人と一緒に立ち上がり,大声でこう話した。「ユダヤの人たち,そしてエルサレムの住民の皆さん,知っていただきたいことがあります。私が言うことをよく聞いてください。この人たちは,あなた方が思うように酔っているのではありません。今は朝の9時なのです。それどころか,これは預言者ヨエルを通して言われたことです。『神は言う。「終わりの時代に,私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し,若者は幻を見,老人は夢を見る。その時代に,私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぎ,彼らは預言する。私は,上は天に不思議なことを,下は地にしるしを与える。血と火と濃い煙である。太陽は闇に,月は血に変わる。エホバの大いなる輝かしい日が来る前に。エホバの名を呼ぶ人は皆救われる」』。
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エホバの日に関する預言の初期段階がキリスト教の誕生と結び付けられています。
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イザヤ 13:10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
天の星も星座も輝かず, 昇ってくる太陽は暗く,月も光を放たない。
ヨエル 2:10, 31
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その時,地は震え,天は揺れる。太陽と月は暗くなり,星も輝きを失う。
太陽は闇に,月は血に変わる。エホバの大いなる畏るべき日が来る前に。
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マタイ 24:29-31
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その期間の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月は光らず,星は天から落ち,天の力は揺り動かされます。その時,人の子のしるしが天に現れます。そして,地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ,人の子が力と大きな栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見ます。そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます。
ルカ 21:25-28
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
また,太陽と月と星にしるしがあり,地上では,海のとどろきと動揺のために,逃げ道を知らないさまざまな国の人々が苦悩します。人々は,世界を襲う事柄に対する恐れと予想から気を失います。天の力が揺り動かされるからです。またその時,人々は,人の子が力と大きな栄光を帯びて雲と共に来るのを見ます。しかし,これらのことが起き始めたら,真っすぐに立ち,頭を上げなさい。あなたたちの救出が近づいているからです」。
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「人の子」はイエスが自分のことを語る時に用いた表現です。
エホバの日の直前の世界情勢が語られ、いわゆる“キリストの再臨”と結び付けられています。
星々に関する表現を文字通りに受け取る必要はありません。世の中が絶望的な状態になることが黙示表現で、つまり超常的な表現法で語られています。
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イザヤ 2:10, 19
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
あなたたちは岩の間に入り,土の中に身を隠せ。エホバの恐ろしさと荘厳な輝きのゆえに。
神が立ち上がって地上を恐怖に震え上がらせる時,人々は岩場の洞窟や地面の穴に入る。エホバの恐ろしさと荘厳な輝きのゆえに。
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啓示(黙示録) 6:12-17
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
さらに見ていると,子羊が第6の封印を解いた時,大きな地震が起こった。そして,太陽は毛織りの粗布のように黒くなり,月は全体が血のように赤くなった。また,天の星は地に落ちた。イチジクの木が激しい風に揺さぶられて,熟していない実が落ちる時のようにである。天は巻物が巻かれるように取り去られ,全ての山と島も取り除かれた。地上の王,高官,軍司令官,裕福な者,強力な者,また全ての奴隷と自由民は,洞窟や山の岩間に身を隠した。そして山と岩に向かってこう言い続ける。「われわれにかぶさってくれ。王座に座っている方の顔から,また子羊の憤りから,われわれを隠してくれ。あの方々の憤りの大いなる日が来たからだ。誰が立っていられるだろうか」。
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ここで言う「子羊」とはイエス・キリストのことです。ここでもいわゆる“キリストの再臨”とエホバの日が結び付けられています。
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ヨエル 3:2, 9-14
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私はあらゆる国の民を集め,エホシャファトの谷に連れていく。私はそこで彼らを裁く。私の民,私の財産であるイスラエルのために。彼らはイスラエルを国々に散らし,私の土地を自分たちで分け合った。
国々にこう知らせよ。『戦いの準備をせよ!戦士たちを奮い立たせよ!全兵士が進軍し,攻撃せよ! あなた方のすきを剣に,鎌をやりに作り替えよ。弱い者は,「私は強い」と言え。周りの全ての国よ,加勢に来い。集まれ!』」エホバ,あなたの強い者たちをそこに送り込んでください。「国々は奮い立ち,エホシャファトの谷に来るがよい。私は周りの全ての国を裁くためにそこに座る。鎌を入れよ。作物が実ったからだ。来て,踏みつぶせ。ブドウ搾り場がいっぱいだからだ。大おけはあふれる。悪がはびこっているからだ。群衆,群衆が判決の谷にいる。判決の谷にエホバの日が間もなく来る。
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啓示(黙示録) 16:13-16
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
さらに見ていると,カエルのように見える3つの汚れた息が,竜の口と野獣の口と偽預言者の口から出てきた。それらは邪悪な天使たちの息であって,奇跡を行い,全世界の王たちのもとに向かう。全能の神の大いなる日の戦争に王たちを招集するためである。「私は泥棒のように来ます。目覚めていて自分の外衣を守る人は幸福です。その人は,裸で歩いて恥をさらすということがありません」。それらの息により,王たちはヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集められた。
啓示(黙示録) 19:11-16
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私が見ていると,天が開かれ,白い馬が現れた。それに乗っている者は,忠実で真実な方と呼ばれ,正しく裁き,正義のために戦う。この方の目は燃える炎のようであり,頭には多くの王冠がある。この方には,ほかの誰も知らない名が記されている。この方は血に染まった外衣を着ており,神の言葉という名で呼ばれている。天の軍勢が,白くて清い上等の亜麻布の衣服を着て,白い馬に乗り,この方の後に従っていた。この方の口からは長くて鋭い剣が突き出ており,それによって国々を討つ。また,この方は鉄のつえをもって人々を処罰し,全能の神の激しい怒りの搾り場でブドウを踏む。この方の外衣には,そのももの所に,王の中の王また主の中の主という名が書かれている。
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ついにエホバの日は到来します。人間たちはエホバとイエスに戦争を挑みますが、勝てるはずもありません。
“エホバの日”が実施される場所である“エホシャファトの谷”もしくは“判決の谷”が“ハルマゲドン”と言い替えられています。よく誤解されている点ですが、ハルマゲドンは地名です。しかも架空の地名で、人間たちが神とキリストに対して戦争を挑む局面を指しています。
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ここまで読まれて、聖書が語る“ハルマゲドン”の背景と意味とがよく解ってきたと思います。
聖書は、この出来事が人類にとって大災厄になることを予告しています。
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エレミヤ 25:15-33
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イスラエルの神エホバは私にこう言った。「この憤りのぶどう酒が入った杯を私の手から取り,私があなたを遣わす全ての国の人々に飲ませなさい。彼らは飲んで,よろめき,狂人のように行動する。私が彼らの中に送ろうとしている剣のためである」。
それで,私はエホバの手から杯を取り,エホバに遣わされて行った全ての国の人々に飲ませた。まずエルサレムとユダの町々から始め,その王たちや高官たちに。それらを廃虚とし,恐怖の光景に変え,人々がそれらに向かって口笛を吹き,災いがあることを願うようにするためであり,間もなくそうなる。それから,エジプトの王ファラオと,家来たち,高官たち,民全て,あらゆる外国人に。ウツの全ての王に。フィリスティア人の土地の全ての王,すなわち,アシュケロンの王,ガザの王,エクロンの王,アシュドドの残っている人たちの王に。エドム,モアブ,アンモン人に。ティルスの全ての王,シドンの全ての王,海の島の王たちに。デダン,テマ,ブズ,もみあげを短く切っている全ての人たちに。アラビア人の全ての王,荒野に住むさまざまな民の全ての王に。ジムリの全ての王,エラムの全ての王,メディア人の全ての王に。北の全ての王,近くの王にも遠くの王にも次々に,また地上の他の全ての王国に。そして,彼らの後にシェシャクの王が飲む。
「あなたは彼らに言わなければならない。『イスラエルの神,大軍を率いるエホバはこう言っている。「飲んで,酔って,吐いて,倒れて,起き上がれなくなれ。私があなた方の中に送ろうとしている剣のために」』。もし彼らがあなたの手から杯を取って飲もうとしないなら,こう言いなさい。『大軍を率いるエホバはこう言っている。「あなた方は飲まなければならない! 私が,まず私の名が付された都市に災いをもたらすのであれば,あなた方が処罰を免れることがあるだろうか」』。『あなた方は処罰を免れない。私は剣を呼び,地上に住む全ての人を攻めさせるからだ』と,大軍を率いるエホバは宣言する。
あなたは彼らにこれらの言葉全てを伝え,こう言いなさい。『エホバは高い所からほえ,聖なる住まいから声を上げる。自分の居場所に向かって大声でほえる。ブドウを搾り場で踏む人たちのように叫び,地上に住む全ての人に対して勝ち誇って歌う』。『騒音が地の果てにまで響き渡る。エホバが国々と論争をするからだ。全ての人間を自ら裁き,邪悪な者たちを剣で討つ』と,エホバは宣言する。大軍を率いるエホバはこう言う。『見なさい! 国から国へと災いが広がっており,地の果てから激しい大嵐が解き放たれる。その日,エホバに討たれた者たちが,地の果てから果てにまで横たわる。彼らは悲しまれず,集められることも葬られることもない。地面にまかれた肥やしのようになる』。
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全世界で、おびただしい人たちが死ぬことになります。
そして、とても重要な点があります。すでに見てきたように、ハルマゲドンの時に救われるのは“エホバの証人”だけです。繰り返し言いますが、そうなってしまうのは、救う能力を持った神がエホバしかいないからです。
そこで、聖書は世界中の人々にこのように勧告します。
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ゼパニヤ 1:14-2:3
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバの大いなる日は近い! それは近く,すぐにやって来る。エホバの日には悲痛な音がする。戦士も叫び声を上げる。その日は激怒の日,苦難と苦悩の日,嵐と荒廃の日,闇と暗闇の日,雲と濃い暗闇の日,角笛とときの声の日。防備された町々と隅の高い塔は攻められる。私は人々に苦難をもたらす。彼らは目が見えないかのように歩き回る。エホバに対して罪を犯したからだ。彼らの血は土のように,腸はふんのようにまかれる。エホバの激怒の日には銀も金も助けにならない。神の激情の火によって地上全体は焼き尽くされる。神は地上の住民全ての滅び,恐ろしい滅びをもたらすのである」。
恥を知らない国民よ,集まれ,集まれ。布告が施行される前に,その日がもみ殻のように過ぎ去る前に,エホバの燃える怒りがあなたたちに降り掛かる前に,エホバの怒りの日があなたたちに訪れる前に,エホバのもとに行け,地上の全ての温厚な人たち,神の正しい規定を守る人たちよ。正しいことをせよ。温厚であるようにせよ。エホバの怒りの日にあなたたちは隠されるだろう。
イザヤ 45:18-22
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバは天の創造者,真の神であり,地を形作った方,それを造ってしっかりと据えた方。意味もなく創造したのではなく,人を住まわせるために形作った方。その方がこう言う。「私がエホバであり,ほかにはいない。私は,ひそかな場所,暗い土地で語ってはいない。『私に導きを求めても意味はない』と,ヤコブの子孫に言ってはいない。私はエホバであり,正しいことを語り,真実なことを告げる。
集まって,来なさい。国々から逃れてきた人たちよ,共に近寄りなさい。彫刻像を持ち運ぶ者たち,救うことができない神に祈る者たちは,何も知らない。言い分を述べ,訴え出よ。一緒に協議するがよい。誰が昔にこのことを予告し,以前から告げていたのか。それは私エホバではないか。私のほかに神はいない。正しい神,救い主は,私以外にいない。地の果てに至るまで,全ての人は私に頼り,救われるように。私が神であり,ほかにはいない。
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この世の中にはいろんな宗教と国家と神々があります。人々は救いを求めてそれらに頼ってきましたが、いよいよハルマゲドンが近いとなると話は変わってきます。救われるための選択肢が一つだけになるのです。それで、もしハルマゲドンで救われたいと思うなら、人々は急いで宗旨替えをし、エホバに頼らなければなりません。
そして聖書は、実際にそうなるだろうと予告します。
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ゼカリヤ 8:20-23
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
大軍を率いるエホバはこう言う。『国々と多くの町の住民がやって来る時が来る。1つの町の住民が別の町の住民の所に行って,「さあ,誠実な心でエホバに恵みを求めに行こう。大軍を率いるエホバに仕えよう。私も一緒に行く」と言う。多くの人々や強い国々が,大軍を率いるエホバに仕えるため,エホバに恵みを求めるため,エルサレムにやって来る』。
大軍を率いるエホバはこう言う。『その時,あらゆる言語の国々から来た10人の人が,1人のユダヤ人の長い服をつかむ。しっかりつかんで,「あなたたちと一緒に行かせてほしい。神があなたたちと共にいる,と聞いたからだ」と言う』」。
イザヤ 60:1-10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「女よ,立って,光を照らせ。あなたの光が来た。エホバの栄光があなたの上に輝いている。闇が地上を覆い,濃い暗がりが国々を包む。しかし,エホバがあなたを照らし,その栄光があなたの上に現れる。人々はあなたの光のもとに行き,王たちもあなたの光輝に引き寄せられる。
目を上げて,周囲を見なさい! 皆が集まり,あなたのもとにやって来る。遠くからあなたの息子たちがやって来る。娘たちも腕に抱かれて連れてこられる。その時,あなたは見て,顔を輝かせ,胸が高鳴って喜びに満ちる。海の富があなたのもとに向かい,国々の資産があなたのもとに来るからだ。ラクダの大群があなたの土地を覆う。ミディアンとエファの若い雄のラクダが。シェバの人々も皆やって来て,金と乳香を運んでくる。エホバの栄誉を広くたたえる。ケダルの羊の群れは全てあなたのもとに集められる。ネバヨトの雄羊もあなたの役に立つ。それらは私の祭壇の上で捧げられて受け入れられ,私は私の輝かしい家をいっそう美しくする。雲のように飛んでくるこれらの者は誰か。まるでハト小屋に向かうハトのようだ。島々は私に望みをかける。タルシシュの船が先頭を行き,遠くからあなたの子たちを連れてくる。銀や金も携えて,あなたの神エホバの名のもとに,イスラエルの聖なる者のもとに来る。その者があなたに栄光を与えるのである。外国人があなたの城壁を築き,彼らの王たちはあなたに仕える。私は憤ってあなたを打ったが,情けを掛けてあなたを憐れむ。
マラキ 1:11
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「日が昇る所から沈む所まで,国々の中で私の名が偉大なものとなる。あらゆる場所で犠牲が焼かれて煙にされ,私の名のために清い供え物が捧げられる。国々の中で私の名が偉大なものとなるからである」と,大軍を率いるエホバは言う。
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そこで聖書はさらにこう勧告します。「バビロンから出なさい」。
ここで言う“バビロン”は、エホバ以外の神々と、その神々を信奉するあらゆる宗教の総称です。エホバに頼ることにした人は、そうするにあたってまず、それらの神々と絶交しなければなりません。
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エレミヤ 51:6-10, 13, 17-19, 45
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
バビロンの中から逃げなさい。逃れて生き延びなさい。彼女の過ちのために滅びてはならない。エホバの復讐の時が来た。彼女の行いに対して返報するのである。バビロンはエホバの手にある金の杯だった。彼女は全世界を酔わせた。人々はそのぶどう酒を飲んだため,正気を失った。突然バビロンは倒れ,砕かれた。彼女のことで泣き叫べ! 彼女の痛みのためにバルサムを持ってくるように。もしかすると彼女は癒やされるかもしれない」。「私たちはバビロンを癒やそうとしたが,彼女は癒やされなかった。彼女を捨てて,それぞれ自分の土地に戻ろう。彼女の罪は天に達し,雲に届くほどになった。エホバは私たちのために公正に行動してくださった。行こう。シオンで私たちの神エホバの行いについて詳しく話そう」。
「多くの水の上に住み,豊富に財宝を持つ女よ,あなたの終わりが来た。もう利益を得ることはできない。
全ての人は無分別で無知な行動を取る。全ての金属細工人は彫刻像のせいで恥をかく。作った金属像は偽りであり,命がないからである。それらの像はむなしいものであり,あざけられる。処罰の日に滅びることになる。ヤコブの神はそのようなものではない。全てのものを造った方であり,ご自分の財産を支えるつえである。その方の名は,大軍を率いるエホバ」。
私の民よ,彼女の中から出なさい! エホバの燃える怒りから逃れて,生き延びなさい!
イザヤ 52:11
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
立ち去れ。立ち去れ。そこから出よ。汚れたものには一切触れるな! エホバの器具を運んでいる人たちよ, 彼女の中から出て,身を清く保て。
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メシア預言が発展してキリスト教が誕生すると、「バビロンから出なさい」という勧告は、キリスト教に改宗し、それまで信じていた宗教と縁を切りなさい、という意味になります。
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コリント第二 6:14-18
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
クリスチャンではない人と結び付いてはなりません。それは不釣り合いな関係です。正しいことと不法にいったいどんな関わりがあるでしょうか。光と闇にどんな共通点があるでしょうか。キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。クリスチャンはクリスチャンではない人と何を共有するのでしょうか。神の神殿と偶像にどんな接点があるでしょうか。私たちは,生きている神の神殿です。神が言った通りです。「私は彼らの中に住み,彼らの中を歩く。そして私は彼らの神となり,彼らは私の民となる」。「エホバはこう言います。『それで,彼らの中から出て,離れなさい。汚れたものに触れるのをやめなさい』。『そうすれば私はあなたたちを受け入れよう』」。「『そして私はあなたたちの父となり,あなたたちは私の息子や娘となる』と,全能者エホバは言います」。
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そしてメシア預言の最終局面、ハルマゲドンとなります。
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啓示(黙示録) 18:1-8
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その後,私が見ると,大きな権威を持つ別の天使が天から下ってきた。その天使の栄光によって地は明るく照らされた。天使は強い声でこう叫んだ。「彼女は倒れました! 大いなるバビロンは倒れました! 彼女は,邪悪な天使たちのすみか,あらゆる汚れた空気がこもる場所,あらゆる汚れた忌まわしい鳥が潜む場所となりました。彼女の性的不道徳の欲情のぶどう酒によって全ての国の民が酔わされ,地上の王たちは彼女と性的に不道徳な行為をし,地上の商人たちは彼女の甚だしくぜいたくな暮らしによって富を得たのです」。
また,天から別の声がした。「私の民よ,彼女から出なさい。彼女の罪に関わったり,災厄に巻き込まれたりしないためである。彼女の罪は積み重なって天にまで達し,神は彼女の数々の不正な行いを思い起こしたのである。彼女がした仕打ちの通りに,彼女に返報しなさい。彼女が行ったことを2倍にして返すのである。彼女が混ぜて作った飲み物の杯に,2倍の量を入れて彼女に渡しなさい。彼女がおごり高ぶり,甚だしくぜいたくな暮らしをした分だけ,彼女に苦しみや悲しみを味わわせなさい。彼女は心の中でこう言い続けるからである。『私は女王の座についている。やもめなどではない。決して悲しむことはない』。そのため,彼女は1日のうちに幾つもの災厄に見舞われる。それは死と悲しみと飢えであり,彼女は火で焼き尽くされる。彼女を裁いたエホバは強い神だからだ。
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ここでは“大いなるバビロン”という言い方がでてきます。これは、メシア預言の舞台が全世界になったという意味です。
ハルマゲドンでは、救うことのできない神々とその宗教は地球上から消滅してしまいます。
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ここで問題となってくるのは、メシア預言の最終局面においてキリスト教は背教するという、特にイエスによって説かれたテーマとの関連です。
たとえばイエスはこのようなことを語っています。
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マタイ 7:21-23
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私に向かって『主よ,主よ』と言う人全員が天の王国に入るのではなく,天にいる私の父の望むことを行う人だけが入ります。その日には,多くの人が私に向かって『主よ,主よ,私たちはあなたの名によって預言し,あなたの名によって邪悪な天使たちを追い出し,あなたの名によって多くの強力な行いをしなかったでしょうか』と言います。その時,私ははっきり言います。『あなたたちのことは全く知りません。不法なことをする人たち,離れ去りなさい!』
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「天にいる私の父」とはエホバのことです。ハルマゲドンの時、世の中には立派なキリスト教徒がたくさんいますが、エホバに従う人だけが救われます。
そして、イエスのこのような教えはメシア預言が土台になっています。
メシア預言によると、バビロンから出るようにという勧告に従うのは“残っている者”つまりわずかな人たちだけです。
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イザヤ 4:2-3
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その日,エホバが芽生えさせるものは栄光に輝き,土地の実りは生き残ったイスラエル人にとって誇らしく美しいものとなる。シオンに残っている人とエルサレムに残された人,すなわちエルサレムで生きる者として書き記される人は皆,聖なる者と呼ばれる。
イザヤ 10:20-23
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その日,イスラエルの残っている人たちと,ヤコブの子孫の生き延びた人たちは,自分たちを打った者に頼るのをやめる。エホバに,イスラエルの聖なる方に,心から頼るようになる。残りの者だけが帰る。ヤコブの残りの者が,力強い神のもとに帰る。イスラエルよ,あなたの民は海の砂のように多いが,そのうちの残りの者だけが帰る。滅びが定められており,人々は処罰にのみ込まれる。主権者である主,大軍を率いるエホバが定めた滅びが,全土にもたらされるのである。
ゼパニヤ 3:12-13
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私は謙遜でつつましい人々があなたの所に残るようにする。その人々はエホバのもとに避難する。イスラエルの残っている人たちは不正を行わない。うそを語らず,口には欺きに満ちた舌はない。食べて横たわり,誰にも脅かされることがない」。
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これがキリスト教の誕生の段階になると、背教したユダヤ教からキリスト教に改宗する人たちはわずかであるという話になります。
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ローマ 9:6, 27-28, 31
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
しかし,神の言葉がその通りにならなかったというわけではありません。イスラエルの子孫が皆,真の「イスラエル」なのではないからです。
さらに,イザヤはイスラエルについてこう叫んでいます。「イスラエルの子孫の数は海の砂のように多いが,残りの者だけが救われる。エホバは地上の人々に責任を問い,速やかにそれを終わらせる」。
一方イスラエルは,正しさに導く律法を実践しようとしていたにもかかわらず,その律法にかなうことはできませんでした。
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「真の「イスラエル」」とはキリスト教のことです。
最終局面では、背教したキリスト教徒のうちの「残っている人たち」、という話になります。
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啓示(黙示録) 12:17
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
それで竜は女に対して激怒し,彼女の子孫のうちの残っている人たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている人たちと戦うために去っていった。
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「竜(たつ)」は悪魔のことです。バビロンも「彼女」と呼ばれるので紛らわしいですが、ここの「彼女」はキリスト教のことです。
そしてこの人たちが、ハルマゲドンにおける“エホバの証人”となります。
そのようなわけで、エホバの証人の出版物にはこのような記述があります。
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◇ 「ものみの塔」誌1981年10月15日号, ものみの塔聖書冊子協会
不忠節なイスラエルの現代版であるキリスト教世界に関して,ミカ書 7章2,6節(新)にはこう記されています。「忠節な者は地から滅びうせ,人間の中には廉直な者はいない。……人の敵はその家の者である」。クリスチャンであると公言する,現代のキリスト教世界の一部となっている人々でさえ,この腐敗した状態がもたらす結末を逃れるためにはどうすることが必要でしょうか。腐敗した宗教組織の一部としてとどまりながら,物質の犠牲をささげるのですか。そうではありません。次のミカ書 6章8節(新)の内容に調和した行動を取らなければなりません。「地の人よ,主は何が良いことかをあなたに告げられた。そして,エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか」。神のこの要求を実行するためには,人はキリスト教世界からさえ出なければなりません。クリスチャンであるという同世界の主張は偽りだからです。その宗教的,道徳的腐敗がそのことを証明しています。その内部にとどまり,改革を試みても決して成功しません。キリスト教世界が仕えていると主張する神の手によって,同世界は滅ぶように定められているからです。
キリスト教世界の崇拝の家は,ミカの時代のエルサレムの神殿が西暦前607年に滅ぼされたように,ぬぐい去られてしまいます。ですから,「慎みをもってあなたの神と共に歩む」ためには,キリスト教世界の人々も,偽りの宗教の世界帝国の中にいる人々と同様,現在「エホバの山に,ヤコブの神の家」に流れて来るあらゆる国籍の人々に加わらなければなりません。一人一人が天のシオンから出るエホバの教えを受け入れ,神が今示しておられる道にそって歩まなければなりません。これは,ユダヤ教への改宗者になるという意味ではありません。それは,エホバの独り子の弟子となり,その独り子と同じ種類の証人になるという意味です。何になるのですか。献身し,バプテスマを受けたエホバの証人になるのですか。その通りです。それはとりもなおさず,ミカ書 4章5節(新)に記されている選択を行なうということです。「もろもろの民は皆,自分たちの神の名によって歩む。しかしわたしたちは,定めなく,すなわち永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」。人は,次のような「神の奴隷モーセの歌と子羊の歌」に加わらなければなりません。
「全能者なるエホバ神,あなたのみわざは偉大であり驚くべきものです。とこしえの王よ,あなたの道は義であり真実です。エホバよ,ほんとうにだれがあなたを恐れないでしょうか,あなたのみ名の栄光をたたえないでしょうか。ただあなただけが忠節なかただからです。あらゆる国民はみまえに来て崇拝するのです。あなたの義なる定めは明らかにされたからです」― 啓示 15:3,4。
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エホバの証人たちには、ハルマゲドンで救われるに先立って、果たすべき職務があります。それは“証言”をすることです。言い換えると、伝道、布教を行うということです。
イエスは「忠実で真実な証人」ですから、自ら伝道を行いました。さらに弟子たちにも伝道のやり方を教えました。2人が組になり、家を訪問するのです。
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ルカ 10:1-16
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
これらのことの後,主イエスはほかの70人を指名し,行こうとしている全ての町と場所へ,先に2人ずつ遣わした。その際,こう言った。「収穫は多いですが,働き手は少ないのです。それで,収穫のために人を遣わしてくださるよう,収穫の主人にお願いしなさい。行きなさい。私はあなたたちを遣わします。あなたたちはオオカミの間にいる子羊のようになります。財布も食物袋もサンダルも持っていってはなりません。また道中,誰にもあいさつをしてはなりません。どこでも家に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい。平和を望む人がそこにいるなら,あなたたちが願う平和はその人のもとにとどまります。しかし,いないなら,それはあなたたちに戻ってきます。その家に滞在し,提供される物を食べたり飲んだりしなさい。働く人は報酬を受けるに値します。家から家へと移っていってはなりません。また,どこでも町に入って人々が迎えてくれる所では,出される物を食べ,そこにいる病気の人たちを治し,『神の王国はあなた方の近くに来ました』と告げなさい。しかし,どこでも町に入って人々が迎えてくれない所では,そこの大通りに出て,こう言いなさい。『この町で足に付いた土さえも,あなた方に向かって払い落とします。それでも,神の王国が近くに来たことを知っておきなさい』。
あなたたちに言いますが,その日には,その町よりソドムの方が処罰が軽いでしょう。コラジンよ,あなたには災いがあります!ベツサイダよ,あなたには災いがあります!あなた方の中でなされた強力な行いがティルスやシドンでなされていたなら,そこの人々は粗布をまとって灰の中に座り,とっくに悔い改めていたでしょう。実際,裁きの際には,あなた方よりティルスやシドンの方が処罰が軽いでしょう。カペルナウムよ,あなたが天に上げられるようなことがあるでしょうか。あなたは墓に下るのです!あなたたちの言葉を聞く人は私の言葉も聞きます。あなたたちを無視する人は私をも無視します。さらに,私を無視する人は私を遣わした方をも無視します」。
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そのうえで、このように予告します。
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マタイ 24:14
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
そして,王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。
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さらにイエスは弟子たちにこう命令します。
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マタイ 28:19-20
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
それで,行って,全ての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し,私が命令した事柄全てを守るように教えなさい。私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです」。
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というわけで、ハルマゲドンが来る前に、エホバの証人たちは全世界で伝道を行っていなければなりません。
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◇ 「ものみの塔」誌2012年6月1日号, ものみの塔聖書冊子協会
聖書には,イエスが弟子たちに与えた,「行って,すべての国の人々を弟子とし,……教えなさい」という命令が記されています。(マタイ 28:19,20)この命令はクリスチャンすべてに当てはまるのでしょうか。イエスの初期の弟子たちは,当てはまると理解していました。例えば使徒ペテロは,「この方[イエス]は,民に宣べ伝えるように,そして……徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」と述べています。(使徒 10:42)また,使徒パウロもこう書きました。「わたしにはその必要が課せられてい(ます)。実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです!」―コリント第一 9:16。
パウロとペテロだけでなく1世紀のクリスチャンも皆,イエスの命令に従い,伝道を自分たちの最も重要な活動としました。(使徒 5:28-32,41,42)今日のエホバの証人も,そうするように努めており,イエスが伝えたのと同じ,「天の王国」についての知らせを伝えています。―マタイ 10:7。
この知らせは,イエスの指示によれば,あらゆる場所のあらゆる人に伝えられるべきです。イエスは弟子たちに,「あなた方は……地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」と語りました。(使徒 1:8)さらには,この体制の終わりが到来する前に「王国のこの良いたよりは,……証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」とも予告しました。(マタイ 24:14)それで,1世紀のクリスチャンは,知人や無宗教の人たちだけでなく,あらゆる人に話しかけるよう努力しました。(コロサイ 1:23。テモテ第一 2:3,4)同様に今日のエホバの証人も,あらゆる人に伝道するようにしています。
王国についての知らせを広めるのに一番効果的なのはどんな方法でしょうか。できるだけ多くの人に伝える方法を知っていたイエスは,弟子たちを都市や村,人々の家に遣わしました。(マタイ 10:7,11,12)弟子たちは,イエスの死と復活の後も,「家から家へと」宣べ伝え続けました。(使徒 5:42)また,イエスに倣い,非公式な場でも公の場所でも伝道しました。(ヨハネ 4:7-26; 18:20。使徒 17:17)今日,エホバの証人もそれと同じ方法を用い,あらゆる人々に宣べ伝えています。
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いま、エホバの証人はこの職責を立派に果たしています。彼らは人の住んでいるところにはどこにでも出向いて伝道しています。最近は南極にも行っているそうで、彼らがまだ訪問していないのは国際宇宙ステーションだけということになりそうです。
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さて、当のエホバの証人たちは、ハルマゲドンへの備えということをどう考えているでしょうか。
世の中には、いわゆる“世の終わり”に備え、シェルターを作ってそこに食料を備蓄しています、という人がいたりします。そういうことを教えとして説く団体もあります。
聖書にも次のような言葉があります。
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イザヤ 26:20-21
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私の民よ,行って,奥の部屋に入り,扉を閉めなさい。少しの間,隠れていなさい。憤りが過ぎ去るまで。エホバは自分の場所から来て,土地の住民に過ちの責任を問う。土地は流血をあらわにし,殺された者たちをもはや覆い隠さない」。
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ところがエホバの証人は、これをシェルターを作るという意味には解釈しません。
ここでポイントとなるのは、メシア預言は発展的であるということです。初期の実現において「奥の部屋」はシェルターではなかったということがあります。今風に言えばステイホームです。
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◇ 「ものみの塔」誌2001年3月1日号, ものみの塔聖書冊子協会
エホバの僕たちは,どんなときにも神の保護を必要としています。とはいえ,神は間もなくサタンの世に対して最終的に手を伸ばし,その時,神の崇拝者たちは,かつてなく神の助けを必要とします。(ヨハネ第一 5:19)その危険な時について,エホバはこのような警告の言葉を述べておられます。「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ。見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。その地は必ずその流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはない」。(イザヤ 26:20,21。ゼパニヤ 1:14)この警告は,西暦前539年のバビロンの倒壊を生き残るにはどうすべきかをユダヤ人に示すものでした。それに留意した人々は自分の家から出ないようにして,市街を行く征服軍の兵士から危害を加えられないようにしたことでしょう。
今日,この預言の言う「奥の部屋」は,世界中にあるエホバの民の幾万もの会衆と関連があるようです。それらの会衆は今でさえ保護となっています。会衆は,クリスチャンが兄弟たちに囲まれて安全を見いだし,長老たちの愛ある世話を受けられる場所です。
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◇ 「目ざめよ!」誌1984年3月22日号, ものみの塔聖書冊子協会
ハルマゲドンは,ご自分に敵対する者たちに対する神の行動の時と場所であるゆえに,生き残るための要求を定めるのは神です。その要求の幾つかに注目してください。
「エホバの怒りの日があなた方に臨まないうちに,地の柔和な者たち,神の司法上の定めを守り行なってきたすべての者たちよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」― ゼパニヤ 2:2,3。
自分自身で,また他の人と神のみ言葉聖書を研究することにより,「エホバを求め」るのです。神を知るようになり,神がご自分の友となる人々のために定めておられる要求を満たし,神の不興を買う行為をしないようにすることによって神との交友を勝ち得るのです。(詩編 15編とガラテア 5:19-21とを対照してください。)受け入れられる行動に関する不完全な人間の規準の代わりに,創造者の完全な規準を置くことにより,「義を求め」ます。そして,神の導きを受け入れるだけの謙遜さを持つことによって,「柔和を求め」るのです。
「畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日(に)……エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」― ヨエル 2:31,32。
わたしたちは,み名を知り,それに敬意を払い,そのみ名を持たれる神に全く依存することによって,「エホバの名を」呼び求めることができます。6,000年に及ぶ人間の経験から,わたしたちは,人間や人間の機関が決して保護や救いを保証できないということを学ばされているはずです。詩編 146編3節は,「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」と警告しています。
「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ」― イザヤ 26:20。
「行け」,「入り」,「閉じよ」そして「隠せ」という命令は,行動が求められていることを示しています。神がわたしたちにご自分の指示を漸進的に明らかにされる時,そのすべてにしっかりと付き従い,神ご自身が備えてくださった安全な場所に巧みに導いていただかなければなりません。ダビデ王は,『神は災難の日にその隠れがにわたしを隠し,その天幕の秘められた場所にわたしを覆い隠してくださる』と語りました。―詩編 27:5。
これは,幾年か前にアメリカのある“生き残るためのグループ”がしたように,社会から身をひいて,生き残るための計画を自ら進んで立てることを決して意味してはいません。そうした人々の行なった生き残るための備えが,ハルマゲドンでの保護を保証する性質のものでないことは明らかです。例えば,彼らは秘密の山中の避難所の会員権を1万2,500㌦(約300万円)で購入し,それに加えて1年分の会費300㌦(約7万2,000円)を支払いました。しかし,エホバはハルマゲドンを生き残る権利に値札を付けてはおらず,「その天幕の秘められた場所」に覆い隠すことに対して家賃を請求されることもありません。
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具体的なことは想定していない、とエホバの証人は言います。
昔からある彼らの一般的見解によると、ハルマゲドンの時エホバの証人は、災難から逃げるくらいのことはするかもしれませんが、基本的には何もせずただ事の成り行きを見ているだけです。救ってくださる神であるエホバに頼っているので特に心配はしないということです。
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マラキ 3:17-4:2
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
大軍を率いるエホバは言う。「私が特別な所有物を生み出す日,彼らは私のものとなる。親が従順な子供を思いやるように,私は彼らを思いやる。あなたたちは再び,正しい人と悪い人,神に仕える人と仕えない人の違いを目にすることになる」。
大軍を率いるエホバは言う。「炉のように燃える日が来る。思い上がった人と悪いことを行う人は皆,わらのようになる。後の日に彼らは必ず食い尽くされ,根も枝も残らない。しかし,私の名をたたえるあなたたちには,正義の太陽が照り輝き,その光はあなたたちを癒やす。あなたたちは,肥えた子牛のように跳ね回る」。
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エホバの証人はハルマゲドンを生き残ることになります。
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マタイ 24:21-22
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,いえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その期間が短くされないとすれば,誰も救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのために,その期間は短くされます。
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ここでイエスの言っている「選ばれた者たち」とはエホバの証人のことです。
この人たちには、驚くような変化が待っています。エホバは世界を破滅させましたが、回復の事業を開始します。
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イザヤ 35:1-10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
荒野と乾き切った土地は歓喜し,砂漠平原は喜びに満ちてサフランのように花を咲かせる。必ず花を咲かせ,喜んで歓声を上げる。レバノンの栄光が与えられ,カルメルとシャロンのように輝く。人々は私たちの神エホバの輝かしい栄光を見る。
弱った手を強くし,震える膝をしっかりさせよ。心に不安を抱いている人たちに言え。「強くありなさい。恐れてはいけない。あなたたちの神が来て復讐する。神が来て報復する。神が来てあなたたちを救う」。
その時,目が見えない人は見えるようになり,耳が聞こえない人は聞こえるようになる。その時,足が不自由な人は鹿のように跳びはね,口が利けない人は歓声を上げる。荒野に水が湧き出て,砂漠平原に川が流れる。熱で乾き切った地面はアシが茂る池になり,乾燥した地面は泉になる。ジャッカルが休んでいたすみかには,青草やアシやパピルスが生える。
そこには街道ができる。「神聖な道」と呼ばれる道である。汚れた人がその道を通ることはない。それはその道を歩く人のためのものであり,愚かな人が入ってくることはない。そこにライオンはおらず,どう猛な野獣が来ることはない。そのようなものはいないのである。救い出された人たちだけがそこを歩く。エホバに救い出された人たちが,歓声を上げながらシオンに帰ってくる。いつまでも続く喜びが彼らの冠となる。彼らは歓喜にあふれ,悲しみやため息は逃げ去る。
イザヤ 65:16-25
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
地上で祝福を求める者は,真実の神によって祝福され,地上で誓いを立てる者は,真実の神に懸けて誓う。以前の苦難は忘れられ,私の目から隠される。私は新しい天と新しい地を創造している。以前の事柄は思い出されることも,心に浮かぶこともない。私が創造しているものについて歓喜し,永遠に喜びなさい。私はエルサレムを喜びのもととして,住民を歓喜のもととして創造しているのである。私はエルサレムについて喜び,私の民について歓喜する。その都市の中で泣き声や苦悩の叫びが聞かれることはなくなる」。
「そこには,数日しか生きない乳児も,寿命を全うしない老人もいなくなる。罪人は100歳であっても災いを受け,100歳で死んだ者も少年と見なされるのである。人々は家を建てて住み,ブドウ園を造って実を食べる。建てた家に他人が住むことはなく,植えた物を他人が食べることもない。私の民の寿命は木の寿命のようになり,私が選んだ者たちは働く喜びを存分に味わう。彼らは無駄に労苦することはなく,生まれる子たちが苦しむこともない。彼らとその子孫は,エホバに祝福された民だからである。彼らが呼び掛ける前に私は答え,彼らがまだ話しているうちに私は聞き入れる。オオカミと子羊が一緒に食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇は土を食物とする。これらは私の聖なる山のどこにおいても,荒らしたり危害を加えたりしない」と,エホバは言う。
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啓示(黙示録) 21:1-5
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
また私は,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない。
さらに見ると,聖なる都市である新しいエルサレムが,花婿のために着飾った花嫁のように,天から,神のもとから下ってきた。その時,王座から大きな声がした。「見なさい! 神の天幕が人々と共にあり,神は人々と共に住み,人々は神の民となります。神が人々と共にいるようになるのです。神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります。以前のものは過ぎ去ったのです」。
そして,王座に座っている方が,「見なさい! 私は全てのものを新しくしている」と言い,さらにこう言った。「書きなさい。これらの言葉は信頼でき,真実である」。
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人は若返り、病気にかかることもなく、永遠に生きます。地球の自然環境は天使たちによって管理され、今で言うところの自然保護区のようになります。貧富の差に代表されるような社会問題は一掃されてしまいます。
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回復についての預言の発展性ということは、いま見た啓示(黙示録) 21:1-5によく示されています。預言はバビロン捕囚の時代について語っていますが、啓示の書が扱っているのは“終わりの時代”です。啓示の書が、回復の預言はハルマゲドン後にも実現すると語っているのですから、ここから、この預言の発展性を読み取ることができます。
では詳しく見ていきましょう。
まずはイザヤ35章です。
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◇ 「イザヤ書の預言―全人類の光」, 第一巻, ものみの塔聖書冊子協会
回復されたパラダイスに関する霊感によるイザヤの預言は,次のような言葉をもって始まります。「荒野と水のない地域とは歓喜し,砂漠平原は喜びに満ち,サフランのように花を咲かせる。それは必ず花を咲かせ,喜びと喜びの叫び声とをもって真実に喜びあふれる。レバノンの栄光,カルメルとシャロンの光輝が必ずそれに与えられる。エホバの栄光,わたしたちの神の光輝を見る者たちがいるであろう」。―イザヤ 35:1,2。
イザヤがこの言葉を書いたのは西暦前732年ごろです。それから125年ほど後,バビロニア人がエルサレムを滅ぼし,ユダの民は流刑に処され,その故国は人の住まない荒廃した状態で放置されます。(列王第二 25:8-11,21-26)こうして,不忠実になるならイスラエルの民は流刑に処されるというエホバの警告どおりになります。(申命記 28:15,36,37。列王第一 9:6-8)ヘブライ民族が異国に捕囚になると,十分にかんがいされていた畑や果樹園は,手入れされないまま70年間放置され,荒野のようになります。―イザヤ 64:10。エレミヤ 4:23-27; 9:10-12。
しかし,イザヤの預言は,その地が永久に荒廃したままにはならないと予告しています。紛れもないパラダイスへと回復されるのです。「レバノンの栄光」や「カルメルとシャロンの光輝」が与えられます。どのようにでしょうか。ユダヤ人は流刑から帰還すると,再び自分たちの畑を耕し,かんがいすることができ,その地はかつての豊かな実りを取り戻します。その点で,すべての誉れはエホバのものです。神のご意志によって,また神の支えや祝福があればこそ,ユダヤ人はそうしたパラダイスのような状態を楽しむようになるのです。民は,その地の驚くべき変化のうちにエホバのみ手の働きを認める時,「エホバの栄光,[彼らの]神の光輝」を見ることができます。
とはいえ,回復されたイスラエルの地において,イザヤの言葉はもっと重要な成就を見ます。霊的な意味で,イスラエルは長年の間,乾いた砂漠のような状態にありました。流刑者たちがバビロンにいた間,清い崇拝は厳しく制限されていました。神殿も祭壇も,組織された祭司職もなかったのです。犠牲をささげる日課は途絶えていました。ところが今,イザヤは逆の事柄を預言しています。ゼルバベル,エズラ,ネヘミヤといった人々の指導のもと,イスラエル全12部族の代表者たちがエルサレムに帰還して神殿を再建し,妨げられることなくエホバを崇拝します。(エズラ 2:1,2)まさに霊的なパラダイスです!
イザヤ 35章の言葉には喜びの響きがあります。イザヤは,悔い改めた国民の明るい将来を宣言しています。しかも,確信と楽観的な見方を抱いて語っています。それから2世紀後,流刑の身のユダヤ人は,回復を目前に控え,同様な確信と楽観的な見方を持たなければなりません。エホバはイザヤを通して預言的に語り,ユダヤ人にこう説き勧めます。「あなた方は弱い手を強くし,よろけるひざをしっかりさせよ。心に思い煩いのある者たちに言え,『強くあれ。恐れてはならない。見よ,あなた方の神はまさに復しゅうをもって,神は実に返報をもって来られる。神ご自身が来て,あなた方を救ってくださる』と」。―イザヤ 35:3,4。
長い間にわたった流刑が終わり,行動の時が来ました。バビロンに対するエホバの復しゅうの道具であるペルシャのキュロス王は,エルサレムでエホバの崇拝を復興するようにとの布告を出しています。(歴代第二 36:22,23)バビロンからエルサレムまでの危険な旅をするために,幾千ものヘブライ人家族を組織しなければなりません。エルサレムに到着したなら,適当な生活設備を建設し,神殿と都を再建するという記念碑的事業の準備をしなければなりません。バビロンにいるユダヤ人の中には,こうしたことすべてに圧倒される人もいるかもしれません。しかし,今は弱くなったり心配したりすべき時ではありません。ユダヤ人は互いに強め合い,エホバに確信を置くべきです。エホバは,彼らを救うと保証しておられます。
バビロン捕囚から解放される人々には,歓ぶべき十分の理由があります。エルサレムに帰還すると,そこには素晴らしい将来が待ち受けているからです。イザヤはこう予告します。「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」。―イザヤ 35:5,6前半。
明らかに,エホバはご自分の民の霊的な状態を念頭に置いておられます。民は,以前の背教のゆえに70年間の流刑という処罰を受けてきました。とはいえエホバは,懲らしめを与える際,民の目や耳や足や口を不自由にして苦しめたりはされませんでした。ですから,イスラエル国民を回復させるために身体的な障害をいやす必要はありません。エホバは,失われたもの,つまり霊的な健康を回復させるのです。
悔い改めたユダヤ人は,霊的な感覚を取り戻すという点でいやされます。霊的な感覚とは,霊的な視力,およびエホバの言葉を聞いたり話したり,それに従ったりする能力のことです。彼らはエホバから離れないことの必要性を意識します。立派な行ないにより,喜びにあふれて神を賛美し,「叫びを上げ」ます。『足のなえていた者』はエホバの崇拝において熱心かつ精力的になります。比喩的な意味で『雄鹿のように登って行く』のです。
水のないパラダイスなどというものは考えられません。エデンにあった最初のパラダイスには豊富な水がありました。(創世記 2:10-14)イスラエルに与えられた土地も,「水のあふれる奔流の谷,また……わき出る泉や水の深みのある地」でした。(申命記 8:7)それで,適切にもイザヤは,気分をさわやかにする次のような約束を述べます。「荒野に水が,砂漠平原に奔流が噴き出るからである。そして,熱で渇き切った地は葦の茂る池となり,渇いた地は水の泉となるからである。ジャッカルの住まい,その休み場には,葦やパピルスの植物と共に青草があるであろう」。(イザヤ 35:6後半,7)イスラエル人が再びその地を世話するようになると,かつてジャッカルが歩き回っていた荒廃した場所には緑の草木が繁茂するでしょう。ほこりっぽい乾いた地面は,パピルスその他,水辺の葦の生育に適した「湿地」に変わります。―ヨブ 8:11。
しかし,もっと重要なのは真理の霊的な水です。故国へ戻るユダヤ人はその水を豊かに受けるでしょう。エホバはみ言葉を通して知識や励ましや慰めをお与えになります。さらに,忠実な年長者や君たちは「水のない地方における水の流れ」のようになるでしょう。(イザヤ 32:1,2)エズラ,ハガイ,エシュア,ネヘミヤ,ゼカリヤ,ゼルバベルなど,清い崇拝を推し進める人々は,まさにイザヤの預言が成就していることの生きた証拠となります。―エズラ 5:1,2; 7:6,10。ネヘミヤ 12:47。
とはいえ,流刑の身のユダヤ人がそうした物質的また霊的なパラダイスの状態を楽しむには,まずバビロンからエルサレムまでの長くて危険な旅をしなければなりません。直線コースを取れば,約800㌔に及ぶ乾き切った荒れ地を横断しなければなりません。それより楽なコースを取れば,1,600㌔もの旅をしなければなりません。いずれにしても,厳しい自然条件にさらされ,野獣や獣のような人間に出くわす危険を冒しながら,何か月も旅をすることになります。それでも,イザヤの預言を信じる人々は過度に心配したりはしません。なぜでしょうか。
エホバはイザヤを通してこう約束されます。「そこには必ず街道が,道が生じ,それは“神聖の道”と呼ばれるであろう。清くない者がそこを通って行くことはない。そして,それは道を行く者のためのものであり,愚かな者がそこをうろつくことはない。ライオンもそこにはいない。飽くことを知らない野獣もそこに上って来ることはない。どれもそこには見いだされない。買い戻された者たちは必ずそこを歩く」。(イザヤ 35:8,9)エホバはご自分の民を取り戻されました! その民は神によって「買い戻された者たち」であり,神は故国への道中の安全を保証しておられます。バビロンからエルサレムまで,盛り土をして柵を設けた,文字どおりの舗装道路があるのでしょうか。そうではありません。しかし,旅をするご自分の民をエホバが確かに保護されるので,民はあたかもそうした街道を歩いているかのようです。―詩編 91:1-16と比較してください。
ユダヤ人は霊的な危険からも保護されます。比喩的な街道は「神聖の道」です。神聖な物事に対して不敬な態度を取る人や霊的に汚れた人には,その道を旅する資格がありません。回復された地において,そのような人は必要とされません。是認される人たちは正しい動機を抱いています。国家主義的な誇りの精神を抱いて,あるいは個人的な利益を求めてユダとエルサレムに帰ろうとしているのではありません。霊的な思いを持つユダヤ人は,帰還の主な理由はその地にエホバの清い崇拝を再確立することである,という点をよく理解しています。―エズラ 1:1-3。
イザヤ 35章の預言は喜びに満ちた調子で結ばれます。「エホバによって請け戻された者たちが帰って来て,歓呼の声を上げつつ必ずシオンに来るであろう。定めのない時まで続く歓びが彼らの頭の上にあるであろう。彼らは歓喜と歓びを得,悲嘆と溜め息は必ず逃げ去るのである」。(イザヤ 35:10)流刑中にこの預言に慰めと希望を求めてきた捕囚のユダヤ人は,預言の様々な詳細な点はどのように成就するのだろうと考えたかもしれません。預言の数多くの面を理解してはいなかったことでしょう。しかし,彼らが「帰って来て,……必ずシオンに来る」ことは一点の曇りもなく明らかでした。
それゆえ,西暦前537年,約5万人の男子(7,000人以上の奴隷を含む)および女性や子供たちは,エホバに対する全き確信を抱いてエルサレムに戻るための4か月の旅をします。(エズラ 2:64,65)それから数か月足らずでエホバの祭壇は再建され,神殿の完全な建て直しの準備が整います。200年前に語られたイザヤの預言が成就します。その国民には,バビロンでの悲嘆と溜め息の代わりに,回復された地における歓喜と歓びが生じます。エホバは約束を果たされました。パラダイスが文字どおりにも霊的な意味でも回復されたのです。
言うまでもなく,イザヤ 35章の西暦前6世紀における成就は限定的なものです。故国に戻ったユダヤ人が楽しむパラダイスのような状態は永続しません。やがて,偽りの宗教の教えや国家主義が清い崇拝を汚染します。霊的な意味で,ユダヤ人は再び悲嘆や溜め息を経験します。結局,エホバはユダヤ人をご自分の民としては退けます。(マタイ 21:43)ユダヤ人は再び不従順になるゆえに,とこしえに歓ぶことはできません。こうしたことすべてから,イザヤ 35章には,ほかの,もっと大規模な成就のあることが分かります。
エホバの予定の時に,別のイスラエル,つまり霊的なイスラエルが存在するようになりました。(ガラテア 6:16)イエスは地上での宣教期間中に,この新しいイスラエルの誕生のための舞台を整えました。清い崇拝を回復し,またその教えによって,真理の水が再び流れ始めるようにしたのです。イエスは,身体的にも霊的にも,病気の人をいやしました。神の王国の良いたよりがふれ告げられると,歓呼の声が上がりました。死と復活から7週間後,栄光を受けたイエスは,クリスチャン会衆,つまり霊的なイスラエルを設立しました。そのイスラエルを構成しているのは,イエスの流された血で請け戻され,神の霊的な子またイエスの兄弟として生み出され,聖霊によって油そそがれたユダヤ人や他の人々です。―使徒 2:1-4。ローマ 8:16,17。ペテロ第一 1:18,19。
使徒パウロは,霊的なイスラエルの成員にあてた手紙の中でイザヤ 35章3節の言葉に言及し,「垂れ下がった手と弱ったひざをまっすぐにしなさい」と述べました。(ヘブライ 12:12)ですから,イザヤ 35章の言葉は西暦1世紀にも成就していたのです。イエスと弟子たちは文字どおりの意味で,奇跡により盲人に視力を,耳の聞こえない人に聴力を与えました。「足のなえた者」を歩けるようにし,口のきけない人を再び話せるようにもしました。(マタイ 9:32; 11:5。ルカ 10:9)さらに重要な点として,心の正しい人たちは偽りの宗教から逃れ,クリスチャン会衆内の霊的パラダイスを楽しむようになりました。(イザヤ 52:11。コリント第二 6:17)それら逃れた人々は,バビロンから帰還するユダヤ人と同様,積極的で勇敢な霊が不可欠であることを知りました。―ローマ 12:11。
わたしたちの時代はどうでしょうか。イザヤの預言には別の成就が,つまり今日のクリスチャン会衆に関するもっと全面的な成就があるのでしょうか。そのとおりです。使徒たちの死後,油そそがれた真のクリスチャンの数は大幅に減少し,偽クリスチャンという「雑草」が世界的にはびこりました。(マタイ 13:36-43。使徒 20:30。ペテロ第二 2:1-3)19世紀に,誠実な人々がキリスト教世界とたもとを分かつようになって清い崇拝を求め始めた時でさえ,その人々の理解は依然として非聖書的な教えに染まっていました。1914年にイエスはメシアなる王として即位しましたが,その後すぐ,それら誠実に真理を求める人々にとって,事態は陰うつな様相を呈しました。預言の成就として,諸国民は『彼らと戦って彼らを征服し』,良いたよりを宣べ伝えようとするそれら誠実なクリスチャンの努力は押しつぶされました。事実上,それらクリスチャンはバビロンへの捕らわれの状態に陥りました。―啓示 11:7,8。
しかし,1919年に事態は変化しました。エホバはご自分の民を捕らわれから連れ出されたのです。民は,それまで自分たちの崇拝を腐敗させていた偽りの教えを退けるようになり,その結果,いやしを受け,霊的なパラダイスに入りました。そのパラダイスは今日でも全地で拡大しつづけています。霊的な意味で,盲人は見えるように,耳の聞こえなかった人は聞こえるようになっています。つまり,神の聖霊の働きに十分に注意を払い,エホバから離れないことの必要性を常に意識するようになっているのです。(テサロニケ第一 5:6。テモテ第二 4:5)真のクリスチャンはもはや口のきけない状態にはなく,意欲的に「叫びを上げ」,他の人に聖書の真理を宣明しています。(ローマ 1:15)霊的に弱い,「足のなえた」ような人たちも,今では熱意や喜びを表わしています。『雄鹿のように登って行く』ことができるかのようです。
それら回復したクリスチャンは「神聖の道」を歩みます。大いなるバビロンを出て霊的なパラダイスに至るこの「道」は,霊的に清い崇拝者すべてに開かれています。(ペテロ第一 1:13-16)それら崇拝者たちはエホバの保護を頼みとし,真の崇拝の根絶を狙うサタンの動物的な攻撃が成功を収めることはない,という確信を抱くことができます。(ペテロ第一 5:8)不従順な人も,飽くことを知らない野獣のように振る舞うどんな人も,神の神聖の街道を歩む人たちを堕落させることは許されていません。(コリント第一 5:11)そうした保護された環境の中で,エホバに請け戻された人たち,つまり油そそがれた者と「ほかの羊」は,唯一まことの神に仕えることに喜びを見いだします。―ヨハネ 10:16。
将来はどうですか。イザヤの預言はいつの日か身体的な意味で成就するのでしょうか。そのとおりです。1世紀にイエスと使徒たちが行なった奇跡的ないやしは,エホバが将来そうしたいやしを大規模に行なおうと欲し,そのための力も有しておられることを実証しました。霊感を受けた詩編は,地上の平和な状態における永遠の命について述べています。(詩編 37:9,11,29)イエスもパラダイスでの命を約束しました。(ルカ 23:43)聖書は,その巻末の書に至るまで,文字どおりのパラダイスの希望を差し伸べています。その時が来ると,盲人,耳の聞こえない人,足のなえた人,口のきけない人は身体的にとこしえにわたっていやされます。悲嘆と溜め息は逃げ去ります。歓びがまさに定めのない時まで,永久に続くのです。―啓示 7:9,16,17; 21:3,4。
真のクリスチャンは,地上の物理的なパラダイスの回復を心待ちにしつつ,今でも霊的なパラダイスの祝福を享受しています。試練や患難に遭っても楽観的な見方を失いません。エホバに対する揺るぎない確信を抱き,互いに励まし合います。「あなた方は弱い手を強くし,よろけるひざをしっかりさせよ。心に思い煩いのある者たちに言え,『強くあれ。恐れてはならない』」という諭しに留意しているのです。そして,次の預言的な保証の言葉に全き信頼を置いています。「見よ,あなた方の神はまさに復しゅうをもって,神は実に返報をもって来られる。神ご自身が来て,あなた方を救ってくださる」。―イザヤ 35:3,4。
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続いてイザヤ65章です。
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◇ 「イザヤ書の預言―全人類の光」, 第二巻, ものみの塔聖書冊子協会
次にエホバは,悔い改めた残りの者をバビロンでの流刑から帰還した後に回復させるという約束についてさらに詳しく説明し,イザヤを通してこう言われます。「いまわたしは新しい天と新しい地を創造している……。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない」。(イザヤ 65:17)回復に関するエホバの約束は必ず成就するので,エホバはその将来の回復がすでに生じているかのように述べておられます。この預言はまず,西暦前537年,ユダヤ人の残りの者がエルサレムに戻った時に成就しました。その時の「新しい天」となっていたのは何でしょうか。エルサレムに中心を置き,大祭司ヨシュアによって支えられた,ゼルバベルの総督職です。回復したユダヤ人の残りの者は,「新しい地」を構成しました。つまり,そのような支配に服し,その地での清い崇拝の再興を助けた,清められた社会です。(エズラ 5:1,2)そうした回復の喜びによって,それまでの苦しみはすべて覆い隠されました。以前の苦難は思い出されることもありませんでした。―詩編 126:1,2。
とはいえ,使徒ペテロがイザヤの預言と同様のことを述べ,その預言に将来の成就があることを示した,という点を思い起こしてください。こう書いています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)1914年,待望久しい新しい天が存在するようになりました。その年に誕生したメシア王国は天そのものから支配しており,エホバはその王国に,全地に対する権威を授けておられます。(詩編 2:6-8)キリストおよび14万4,000人の共同支配者のもとにあるその王国政府が,新しい天です。―啓示 14:1。
新しい地についてはどうでしょうか。古代の成就の場合と同様,新しい地は,新しい天的な政府の支配に喜んで服する人々で構成されることになっています。今でさえ,正しく整えられた幾百万もの人々がその政府に服し,聖書に収められているその政府の法律に従おうと努力しています。その人々は,あらゆる国,言語,人種から来ており,統治している王イエス・キリストに仕えるため,共に働いています。(ミカ 4:1-4)現在の邪悪な事物の体制が過ぎ去った後,このグループは新しい地の中核となります。新しい地は最終的に,神を恐れる人々で成る全地球的な社会となり,その人々は神の王国の地的領域を受け継ぎます。―マタイ 25:34。
「啓示」の書は,来たるべきエホバの日に関して使徒ヨハネが見た幻を記述しています。その日に,この事物の体制は除き去られます。その後,サタンが底知れぬ深みに入れられます。(啓示 19:11-20:3)そうした記述の後,ヨハネはイザヤの預言の言葉と似た事柄を述べ,「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た」と書いています。この栄光に満ちた幻の説明の続きの部分には,エホバ神がこの地の状態を根本的に改善なさる時のことが述べられています。(啓示 21:1,3-5)「新しい天と新しい地」に関するイザヤの約束が,神の新しい世で素晴らしい成就を見ることに疑いの余地はありません。新しい政府である天のもとで,新しい地的な社会は,霊的にも物質的にもパラダイスを楽しみます。「以前のこと[病気や苦しみなど,人間が直面している数多くの災い]は思い出されることも,心の中に上ることもない」という約束は,本当に慰めとなります。何であれわたしたちがその時に思い出すものが,現在多くの人の心に重くのしかかっているような深いきずや痛みを引き起こすことはありません。
イザヤの預言はこう続いています。「あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ。いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しているからである。そして,わたしはエルサレムを喜び,わたしの民に歓喜する。その中で泣き声や,悲しげな叫び声が聞かれることはもはやない」。(イザヤ 65:18,19)故国に戻れることを歓ぶユダヤ人だけでなく,神ご自身も歓ばれます。エルサレムを美しくし,再び地における真の崇拝の中心地となさるからです。何十年か前にその都市のちまたで聞かれた,災いについて泣く声が聞かれることはもはやありません。
今日でもエホバは,エルサレムを「喜びのいわれ」としておられます。どのようにでしょうか。すでに考慮したように,1914年に存在するようになった新しい天には,最終的に14万4,000人の共同支配者が含まれます。その人々は天的な政府の一員となります。「新しいエルサレム」と預言的に呼ばれている人々です。(啓示 21:2)神はその新しいエルサレムに関して,「いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造している」と述べておられるのです。新しいエルサレムは神によって用いられ,従順な人類に計り知れない祝福を注ぎます。泣き声や悲しげな叫び声が聞かれることはもはやありません。エホバがわたしたちの「心の願い」を満たしてくださるからです。―詩編 37:3,4。
今日のわたしたちには,まさに歓喜すべき理由がそろっています。まもなくエホバは,反対する者すべてを滅ぼすことにより,ご自分の輝かしいみ名を神聖なものとされます。(詩編 83:17,18)そして,新しい天は全面的な支配を行ないます。こうしたことは,神の創造しておられるものに関して永久に歓喜し,喜ぶ,なんと素晴らしい理由なのでしょう。
最初の成就において,帰還するユダヤ人の新しい天のもとでの生活はどのようなものでしょうか。エホバはこう述べておられます。「数日しか生きない乳飲み子も,自分の日を全うしない老人も,その場所からはもはや出ない。人は百歳であっても,ほんの少年として死ぬからである。罪人については,その者が百歳であっても,その身の上に災いを呼び求められるであろう」。(イザヤ 65:20)流刑から帰還する人々が復興した故国で享受する安全が,なんと美しく描かれているのでしょう。生後わずか数日の新生児が,時ならず死ぬというようなことはありません。老人が寿命を全うせずにそのような死を迎えることもありません。ユダに帰還するユダヤ人にとって,イザヤの言葉はなんと大きな励みとなるのでしょう。敵に赤子を奪われたり夫や息子を殺されたりする心配をせずに,自分の土地で安らかに暮らせるのです。
エホバの言葉は,来たるべき新しい世での生活について何と述べているでしょうか。神の王国のもとでは,すべての子供に安全な将来の見込みがあります。神を恐れる男性が人生の盛りに死を遂げることは決してありません。それどころか,従順な人類は安らかに,安全に暮らし,人生を謳歌することができます。神に反逆する道を選ぶ人はどうなるでしょうか。そのような人は,命の特権を失います。反逆的な罪人は,「百歳」になっていたとしても死にます。そのような場合,終わりのない命を持ち得たことを考えると,「ほんの少年」ということになります。
エホバは,復興したユダの地に行き渡る状態の描写を続け,こう言われます。「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである」。(イザヤ 65:21,22)神の従順な民は,ユダの荒廃した地,恐らく家もぶどう園もない地に帰還した後,自分の家で暮らして自分のぶどう園の実を食べるという喜びを味わいます。神は民の業を祝福なさり,民は木の日数のように長く生き,自分の労働の成果を楽しみます。
わたしたちの時代にも,この預言が成就してきました。1919年,エホバの民は霊的な流刑から出て来て,自分たちの“土地”,つまり活動と崇拝の領域を復興し始めました。各地に会衆を築き,霊的に実り豊かな畑を耕しました。その結果,今でさえ,エホバの民は霊的パラダイスと神から与えられた平和とを楽しんでいます。そうした平和が,物質的なパラダイスにも引き継がれてゆくことを確信できます。崇拝者たちの進んで働く心と手をもってエホバが新しい世で成し遂げられる事柄は,わたしたちの想像をはるかに超えています。自分の家を建ててそこに住めるのは,なんという喜びでしょう。王国の支配のもとで,満足のいく仕事が不足することはありません。常に自分の労働の成果によって「良いことを見る」というのは,なんと報いの多いことなのでしょう。(伝道の書 3:13)自分の手の業を存分に楽しむ十分の時間があるのでしょうか。あります。忠実な人々の終わりのない命は,「木の日数のように」,つまり幾千年も,いえ,それ以上になるのです。
エホバは,流刑から帰還する人々の前途にある別の祝福について,こう述べておられます。「彼らはいたずらに労することなく,騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫であり,彼らと共にいるその末孫もそうだからである」。(イザヤ 65:23)それら回復したユダヤ人はエホバから祝福されるので,その労働が無駄になることはありません。自分の生んだ子供が結局若くして死んでしまう,ということもありません。かつて流刑の身にあった人々は,復興という祝福を自分たちだけで享受するのではありません。子孫もそれに加わります。神は,ご自分の民の必要を満たしたいと強く願っておられるので,こう約束なさいます。「彼らが呼ばわる前に,わたし自身が答え,彼らがまだ話しているうちに,わたし自身が聞くことになる」。―イザヤ 65:24。
エホバは,来たるべき新しい世で,これらの約束をどのように果たされるのでしょうか。今のわたしたちには分かりません。エホバは詳細な点すべてを明らかにしてはおられないからです。しかし,忠実な人々が「いたずらに労する」ことは二度とない,ということは確信できます。ハルマゲドンを生き残る大群衆と,その人たちから生まれるであろう子供たちには,非常に長くて満足のいく命,つまり永遠の命の見込みがあるのです。復活によって生き返り,神の規準と調和した生き方を選ぶ人々も,新しい世で喜びを見いだします。エホバは,そうした人々が必要とするものについて聞き,それに応じるだけでなく,前もって必要を見越すことさえなさいます。まさにエホバはみ手を開いて,「すべての生きているものの[本来の]願い」を満たされるのです。―詩編 145:16。
約束されている平和と安全は,どれほど広範囲に及ぶのでしょうか。エホバは,預言のこの部分の結びとしてこう言われます。「『おおかみと子羊が一つになって食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては,その食物は塵となる。これらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない』と,エホバは言われた」。(イザヤ 65:25)忠実なユダヤ人の残りの者は,故国に帰還する時,エホバの庇護を受けるようになります。ライオンは,ユダヤ人やその家畜に害を及ぼすことはないという意味において,いわば雄牛のようにわらを食べます。これは確かな約束です。「エホバは言われた」という言葉で結ばれているからです。神の言葉は必ず実現します。―イザヤ 55:10,11。
エホバの言葉は,今日,真の崇拝者の間で感動的な成就を見ています。1919年以来,神はご自分の民の霊的な土地を祝福し,それを霊的パラダイスに変容させてこられました。その霊的パラダイスに入って来る人々は,注目に値する生活上の変化を遂げます。(エフェソス 4:22-24)仲間の人間を食い物に,あるいは犠牲にしていた人など,かつて獣のような性格を持っていた人たちが,神の霊の助けを得て,望ましくない特性を抑制する点で進歩しています。その結果,仲間の信者との平和と崇拝における一致とを楽しんでいます。エホバの民がいま霊的パラダイスで享受している祝福は,物理的なパラダイスにも引き継がれてゆきます。そのパラダイスにおいては,人々の間に行き渡る平和に加えて,動物との平和も見られることでしょう。わたしたちは,神の定めの時に,次のような人類の当初の任務がふさわしく遂行されることを確信できます。「地……を従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。―創世記 1:28。
「新しい天と新しい地」を創造するというエホバの約束に,わたしたちは本当に感謝しているのではないでしょうか。その約束は西暦前537年に成就し,今日,いっそうの成就を見ています。これら二つの成就は,従順な人類の輝かしい将来に至る道を指し示しています。エホバはご親切にも,イザヤの預言を通して,ご自分を愛する人々のために用意しておられる物事をかいま見させてくださいました。確かにわたしたちには,『わたしが創造しているものを永久に喜べ』というエホバの言葉に留意すべき理由がそろっているのです。―イザヤ 65:18。
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この文書には1914年への言及があり、メシア預言が近代史と結びつけられています。聖書は“終わりの時代”が世界大戦で幕開けすることを示唆していますが、実際にそのようになったのは1914年だ、ということです。
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ではここで、すこし教派的な話をしておきたいと思います。
メシア預言では、エホバだけが救う神であることと、“エホバの証人”だけが救われることが示されています。さらにメシア預言は『エホバを中心としたメシア支配』の概念を提示し、エホバがメシアを用いて証人たちを救うことを予告しています。予告されたメシアはイエス・キリストでした。
ところが、ついにメシアが到来し、キリスト教が成立すると、キリスト教は急速にメシア預言から離れていきます。こうしてキリスト教は、「エホバを中心としてメシアを信奉するキリスト教」から「単にメシアを中心として信奉するキリスト教」へと変調していきます。しかも、その後キリスト教には“反エホバ主義”の台頭ということが起こります。キリスト教はエホバに対して嫌悪感や敵意を抱くようになり、聖書からの“エホバ”の消去ということが正当化されました。
さらに、キリスト教には“ハルマゲドン”の教えに対する拒絶反応ということが生じるようにもなりました。それは、ハルマゲドンのもとになったもの、つまりメシア預言における“エホバの日”の教えを無視することを意味しています。
このような諸般の事情により、現代のキリスト教は、メシア預言が予告したメシアを信奉しているというのに、メシア預言にはほとんど注意を向けなくなっています。
その結果、教会に通う信徒たちのほとんどはメシア預言を知りません。その概要すらも知らないものです。そのうえ、教会で用いられる聖書は“エホバ”が抹消された聖書です。聖書のメシア預言が繰り返し「エホバを中心としたメシア支配」や「エホバの日の到来」について語っていても、それは骨抜きにされています。
しかしこれは、メシア預言の見地からすれば望ましいことでした。というのも、メシア預言は、終末期における“エホバの証人”の誕生に先立って、エホバの崇拝の復興を、エホバ崇拝の復興に先立って、エホバ崇拝の衰退を予告しているからです。つまり、キリスト教はエホバから背教し、エホバを忘れなければならないのです。
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エレミヤ 23:25-27
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「私は,私の名によって偽りの預言をしている預言者たちが,『夢を見た! 夢を見た!』と言うのを聞いた。この預言者たちはいつまで心の中で偽りの預言をし続けるのか。彼らは自分たちの心のたくらみを預言している。彼らの父祖たちがバアルのゆえに私の名を忘れたように,彼らは見た夢について語り合うことによって私の民に私の名を忘れさせようとしている。
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そして驚くべきことに、予告されたとおりのことが生じます。
キリスト教は、成立初期にはエホバの名を用いましたが、やがてエホバの名を消そうという努力を始めます。その努力は実り、エホバをほぼ完全に忘れるまでになります。
そこに出現したのが、“エホバの証人”を名乗る新しい教派です。
ほとんどのキリスト教徒は、「エホバの証人」という教派名を聞いて「なんだこれ」と思いました。「エホバって何?」と言いました。カトリックなどの多くの教会は、「エホバというのは悪魔サタンのことである」、「エホバの証人は悪魔の宗教である」と信徒たちに教えました。エホバの証人になることを宣言した人たちはキリスト教諸教会からの激しい敵意と迫害に直面することになります。キリスト教国とされる多くの国でエホバの証人は法律で規制されたり禁止されたりし、キリスト教徒からなる暴徒がエホバの証人の家や施設を襲撃し焼き払ってしまうというような事件も次々と起こりました。
さすがに今では、そこまでひどいことは起こらなくなっていますが、それでも依然としてキリスト教諸教会による「エホバの証人は“キリスト教の異端”である」という主張が続いています。「“人類史上最悪の悪魔の宗教”である」という言い方もまだ残っています。
そしてどうなったかというと、最近では、キリスト教における反エホバ主義はますますひどくなっています。
今、世界にはキリスト教の宗派が数万もあると言われていますが、エホバ崇拝の復興をやっているのはエホバの証人だけです。しかも、彼らに対する諸教会の嫌悪は相当なものになっています。そして、この状況こそが、メシア預言が予告した状況なのです。
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ミカ 4:5
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
人々は皆,それぞれ自分の神の名によって歩む。しかし私たちは,いつまでも永遠に,私たちの神エホバの名によって歩む。
マラキ 3:16-18
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その時,エホバを畏れる人たちが仲間と語り合っていた。エホバはじっと耳を傾けていた。エホバを畏れる人と神の名について思い巡らす人のために,神の前で記録の書が記された。大軍を率いるエホバは言う。「私が特別な所有物を生み出す日,彼らは私のものとなる。親が従順な子供を思いやるように,私は彼らを思いやる。あなたたちは再び,正しい人と悪い人,神に仕える人と仕えない人の違いを目にすることになる」。
イザヤ 43:10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバはこう宣言する。「あなたたちは私の証人である。私に仕える者であり,私が選んだのである。あなたたちが私を知り,私に信仰を持ち,私が変わらないことを理解するために。私の前に存在するようになった神はおらず,私の後にもいない。
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もし、昨今のキリスト教におけるエホバ崇拝の様相が現実とは異なっていて、一つではなく多様な教派によって実践されていたとしたら、どうでしょうか。メシア預言が示す“エホバの証人”が誰であるかは不明瞭となり、エホバの証人に関連した種々の予告も明瞭には実現しないでしょう。メシア預言が描いた構図は破綻することになります。
メシア預言は訓示でもあります。終わりの時代に、あなたたちキリスト教は「メシアを中心として信奉するキリスト教」という逸脱から脱却して「エホバを中心としてメシアを信奉するキリスト教」へと還り、さらには「エホバの証人であるキリスト教」へと変貌を遂げなければなりません、という訓示です。
メシア預言が予定したとおり、キリスト教世界はそろってこの訓示を拒絶しました。その結果、メシア預言の予告する“エホバの証人”と教派としての“エホバの証人”が見事に一致し、しかもほかに候補はないという状況が生じています。この状況はもう変えられないように思えます。
ただ、全くそうだ、というわけでもないということを少し指摘しておきたいと思います。キリスト教諸教会の中には、エホバの証人にかかわる教会の現状について危機感を募らせている人たちもいます。最近はそのような人たちの声があちらこちらで聞かれるようになっています。
ここでひとつ紹介するのは、2011年にいのちのことば社から発行された「BIBLE navi」です。この聖書は、エホバの証人ということについて、こう書いています。
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◇ BIBLE navi, イザヤ 43:10, 44:8 注釈 (表記等修正)
イスラエルの役目は、神が誰であるか、そして何をしてくださったかを、世界に対して証人として伝えることだった。今日の信者たちは、神の証人としての責任を共に担う。
作り出された偶像は、その偽りの宣伝のために有罪である。彼らは大きな約束をしておきながら、何の価値もなく、助けてもくれない。それと反対に、神は仰せられることを必ず成し遂げ、すべての約束を果たされる。神は私たちにその証人となることを要求される。……自分の信仰を友人、親類、そして隣人たちに伝える大胆さをいただけるよう神に祈ろう。
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この聖書は、教会信徒に向かってエホバの証人となるべきことを説いています。これはかなり勇気のある発言です。しかし、“エホバの証人”という表現は用いず、代わりに「神の証人」という表現にしています。これは今の教会の限界というものでしょう。
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いよいよこの文書も終盤になりました。ここからは、メシア預言は“偽預言者”の台頭を予告しているということを、順を追って学びます。
先ほど見たように、背教したキリスト教ではエホバの名を忘れるということが生じます。そのために活躍するのが偽預言者であると語られています。
この預言の言葉は、もともとモーセの時代に語られた言葉が土台となっています。
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申命記 18:20-22
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
思い上がって私が命じたのではない言葉を私の名によって話したり,他の神々の名によって話したりする預言者がいれば,その預言者は死ななければならない。あなたは心の中で,「エホバが話したのではない言葉だとどのようにして分かるのか」と言うかもしれない。預言者がエホバの名によって話しても,その言葉が実現せず,その通りにならなければ,エホバはその言葉を話していない。預言者が思い上がってそれを話したのである。その人を恐れてはならない』。
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偽預言者は死ななければならない、と書かれています。
そしてメシア預言では、この言葉がこのようになります。
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エレミヤ 23:16-27
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
大軍を率いるエホバはこう言う。「あなたたちに預言している預言者たちの言葉を聞いてはならない。彼らはあなたたちを欺いている。彼らが語る幻は,自分たちの心から出たものであり,エホバの口から出たものではない。
彼らは,私を侮る人たちに繰り返しこう言う。『「あなたたちは平和を楽しむ」とエホバは言った』。また,頑固な心のままに歩む人たち皆にこう言う。『あなたたちに災いが降り掛かることはない』。
誰がエホバの親しい友たちの中に立ち,神の言葉を見聞きしただろうか。誰が神の言葉を聞こうと注意を払っただろうか。見なさい! エホバの暴風が激しく吹き荒れる。渦巻く大嵐のように,邪悪な人たちの頭上で荒れ狂う。エホバの怒りは静まらない。心の中の考えを実行して成し遂げるまでは。最後の日々にあなたたちはこのことをはっきりと理解する。私は預言者たちを遣わさなかったが,彼らは走った。私は彼らに語り掛けなかったが,彼らは預言した。もし彼らが私の親しい友たちの中に立っていたなら,私の民に私の言葉を聞かせて,悪い生き方や行いをやめさせていただろう」。
「私は近くにいる時だけ神で,遠くにいる時は神ではないのか」と,エホバは言う。「誰かがひそかな場所に隠れて,私から見えなくなることなどあるだろうか」と,エホバは言う。「私には天と地の全てが見えているのではないか」と,エホバは言う。
「私は,私の名によって偽りの預言をしている預言者たちが,『夢を見た! 夢を見た!』と言うのを聞いた。この預言者たちはいつまで心の中で偽りの預言をし続けるのか。彼らは自分たちの心のたくらみを預言している。彼らの父祖たちがバアルのゆえに私の名を忘れたように,彼らは見た夢について語り合うことによって私の民に私の名を忘れさせようとしている。
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偽預言者のテーマもやはり発展的ですが、これまで学んできたこととすこし範囲がずれます。
これまでは、バビロン捕囚になったイスラエルがベースでしたが、このテーマでは、そのひとつ前の段階、つまりイスラエルがバビロン捕囚に直面する段階がベースになります。
そのあとは同じです。バビロン捕囚、キリスト教の成立、終末期、と進みます。
偽預言者が伝えるのは平和を保証する預言です。この預言により、人々はエホバの名前を忘れるようになります。
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エホバは預言者を通して、イスラエルがバビロニアに征服されることを告げます。捕囚の期間は70年であると予告されます。
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エレミヤ 21:1-10
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
ゼデキヤ王が,マルキヤの子パシュフルと,マアセヤの子で祭司のゼパニヤをエレミヤのもとに遣わした時,エレミヤはエホバの言葉を受けた。王はこう頼んだ。「どうか,私たちのためにエホバに尋ねてください。バビロンのネブカドネザル王が私たちに戦いを仕掛けているからです。もしかしたら,彼が撤退するように,エホバは過去に行われたような驚くべきことを行ってくださるかもしれません」。
エレミヤは彼らに言った。「ゼデキヤにこう言いなさい。『イスラエルの神エホバはこう言っている。「私は,あなたたちが持っている武器,城壁の外で包囲しているバビロンの王とカルデア人と戦うための武器の矛先を,あなたたちの方に向かせる。そして,それらを都市の真ん中に集める。私は手を伸ばし,力強い腕と怒りと憤りと激怒をもって,自らあなたたちと戦う。この都市の住民を,家畜もろとも打つ。彼らはひどい疫病で死ぬ」』。『エホバはこう宣言する。「その後,私は,ユダのゼデキヤ王と家来たちとこの都市の人々,疫病と剣と飢餓を生き延びる人たちを,バビロンのネブカドネザル王の手に渡す。彼らの敵,彼らの命を奪おうとしている者たちの手に渡すのである。ネブカドネザルは剣で彼らを討つ。彼らを哀れに思わず,同情も憐れみも示さない」』。また,この民に言いなさい。『エホバはこう言っている。「私はあなたたちの前に,命の道と死の道を置いている。この都市にとどまる人は,剣と飢餓と疫病によって死ぬ。一方,出ていって,あなたたちを包囲しているカルデア人に降伏する人は,死ぬことなく逃れ,生き続ける」』。『エホバはこう宣言する。「私がこの都市に厳しい顔を向けたのは,災いをもたらすためであって,良いことのためではない。都市はバビロンの王の手に渡され,火で焼かれる」。
エレミヤ 25:7-14
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバはこう宣言しています。『しかし,あなたたちは私の言うことを聞かなかった。自分の行いによって私を怒らせ,災いを身に招いた』。
それで,大軍を率いるエホバはこう言っています。『「あなたたちが私の言葉に従わないので,私は北の全ての部族を呼び寄せる」と,エホバは宣言する。「私に仕えるバビロンのネブカドネザル王を呼び寄せ,彼らにこの土地と住民と周囲の国々を攻めさせる。それらを滅ぼし尽くし,恐怖の光景に変え,ずっと荒廃したままにし,人々がそれらに向かって口笛を吹くようにする。人々の間で,歓喜や祝福の声,花婿や花嫁の声がもはや聞かれないようにし,ひき臼の音とランプの光を絶やす。この土地全体は荒れ果て,恐怖の光景となり,これらの国の人々は70年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。
エホバはこう宣言しています。『しかし,70年が満了した時,私は,過ちを犯したバビロンの王と国民に責任を問う。そして,カルデア人の土地をいつまでも荒れ果てた所にする。私がその土地に対して語った全ての言葉,この書に記されている全てのこと,すなわちエレミヤが全ての国に対して預言した事柄を実現させる。多くの国の人々と強大な王たちが,彼らを奴隷にする。私は彼らの振る舞いや行いに応じて彼らに返報する』」。
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ところがそこに、エホバの名によって語る偽の預言者が現れます。彼らは、イスラエルは神の民だから、エルサレムには神殿があるから、エホバはイスラエルを守ってくださるんだ、というようなことを宣伝します。
エホバは、モーセの時代にしたように、偽預言者に対して死を宣告します。さらに、偽預言者の言葉に従った者には悲惨な処遇を宣告します。
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エレミヤ 6:13-15
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「身分の低い人から高い人まで,皆が不当な利益を得ている。預言者から祭司まで,皆が詐欺を働いている。彼らは私の民の衰弱を軽々しく癒やそうとして,『平和だ! 平和だ!』と言う。平和ではないにもかかわらず。
人々は自分たちが行った忌まわしい事柄を恥じているだろうか。少しも恥じていない! そもそも恥を知らない。そのため,彼らは倒れた者たちの中に倒れる。私が処罰する時,彼らはつまずいて倒れる」と,エホバは言う。
エレミヤ 14:10-16
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
この民についてエホバはこう言う。「彼らはさまようことを好み,自分たちの足をとどめていない。それで,エホバは彼らのことを喜ばない。彼らの過ちを思い起こし,罪の責任を問う」。エホバはさらに私に言った。「この民に良いことが起きるようにと祈ってはならない。彼らが断食をしても,私は彼らの嘆願に耳を傾けない。彼らが全焼の捧げ物や穀物の捧げ物を捧げても,私は喜ばない。剣と飢餓と疫病によって彼らを滅ぼす」。
それで私は言った。「ああ,主権者である主エホバ! 預言者たちは彼らにこう告げています。『あなたたちは剣を見ず,飢餓に見舞われない。私はこの場所であなたたちに真の平和を与える』」。
すると,エホバは言った。「預言者たちは私の名によって偽りの預言をしている。私は彼らを遣わしておらず,彼らに命じても語ってもいない。彼らがあなたたちに預言しているのは,偽りの幻,無価値な占い,自分たちの心のたくらみである。それで,私が遣わしていないのに,私の名によって預言し,この土地は剣にも飢餓にも襲われないと言っている預言者たちについて,エホバはこう言う。『その預言者たちは剣と飢餓によって滅びる。そして,彼らの預言を聞いている民は,飢餓と剣のためにエルサレムの通りに放り出される。夫も妻も,息子も娘も,誰にも葬られない。私は彼らに見合った災いをもたらす』。
エレミヤ 23:33-40
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「この民か預言者か祭司が,『エホバからのどんな重々しい言葉があるか』と尋ねる時,あなたはこう答えなさい。『「重くて厄介なのはあなたたちだ! 私はあなたたちを捨てる」と,エホバは宣言している』。『これがエホバからの重々しい言葉だ!』と言う預言者や祭司や民についていえば,私はその者と家の人たちに注意を向ける。あなたたちはそれぞれ仲間や兄弟にこう言っている。『エホバは何と答えたか。エホバは何と話したか』。しかし,もうエホバからの重々しい言葉について話してはならない。重くて厄介なのは各自の言葉であり,あなたたちは,生きている神,大軍を率いるエホバ,イスラエルの神の言葉を変えたのである。あなたは預言者にこう言う。『エホバはあなたにどんな答えを与えたか。エホバは何と話したか。もしあなたたちが「エホバからの重々しい言葉!」と言い続けるなら,エホバはこう言う。「私が『「エホバからの重々しい言葉!」と言ってはならない』と告げた後に,あなたたちが『これがエホバからの重々しい言葉だ』と言っているので,私はまさしくあなたたちを持ち上げ,あなたたちと父祖たちに与えた都市と共に捨て去る。そして,永久に続く恥辱と屈辱をあなたたちにもたらす。それは忘れられることがない」』」。
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さらに、エホバでない神々を崇拝する周辺諸国にも、それぞれの神の名によって同じようなことを語る偽預言者が出現します。そこでエホバは、偽預言者の言葉を信じてはならないと諸国に、そして改めてユダに警告します。この「ユダ」は、ユダヤとも言い、イスラエルのことです。
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エレミヤ 27:2-18
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
「エホバは私にこう言いました。『自分のために縄とくびきを作り,首に掛けなさい。そして,エドムの王,モアブの王,アンモン人の王,ティルスの王,シドンの王に,それを送りなさい。ユダのゼデキヤ王のもとに遣わされてエルサレムに来た使者たちを通して送るのである。
王たちに対する次の命令を使者たちに与えなさい。「イスラエルの神,大軍を率いるエホバはこう言う。あなた方は王にこう言いなさい。『私は,大きな力と伸ばした腕によって,地球と人間と地上の動物を造り,私が良いと思う者に与えた。そして今,これら全ての土地を,私に仕えるバビロンのネブカドネザル王の手に渡した。野獣をも彼に与えて仕えさせた。全ての国の人々が,彼とその子と孫に仕える。しかし,彼の国が終わる時が来ると,多くの国の人々と強大な王たちが彼を奴隷にする』。『ある国民または王国が,バビロンのネブカドネザル王に仕えようとせず,バビロンの王が課すくびきを首に掛けようとしないなら,私は剣と飢餓と疫病によってその国民を処罰し,彼の手によって滅ぼす』と,エホバは宣言する。『それで,「あなた方はバビロンの王に仕えることにはならない」と言っている預言者,占い師,夢を見る者,魔術師,呪術師の言うことを聞いてはならない。彼らは偽りの預言をしている。もしあなた方が聞くなら,自分の土地から遠くへ連れ去られることになり,私はあなた方を散らし,滅ぼす。しかし私は,バビロンの王が課すくびきを首に掛けて彼に仕える国民を,自国の土地にとどまらせる。彼らはその土地を耕してそこに住む』と,エホバは宣言する」』」。
私はユダのゼデキヤ王にも同じように話し,こう言った。「バビロンの王が課すくびきを首に掛け,彼とその民に仕えなさい。そうすれば生き続けることができます。バビロンの王に仕えない国民についてエホバが述べた通り,あなたと民が剣と飢餓と疫病によって死ぬようなことになってよいでしょうか。『皆さんはバビロンの王に仕えることにはなりません』と言っている預言者たちの言葉を聞き入れてはなりません。彼らは偽りの預言をしているからです。エホバはこう宣言しています。『私は彼らを遣わしていないのに,彼らは私の名によって偽りの預言をしている。もしその預言者たちの言うことを聞くなら,私はあなたたちを彼らと共に散らし,滅ぼす』」。また,私は祭司たちとこの民全てにこう言った。「エホバはこう言っています。『「エホバの家の器具は間もなくバビロンから戻ってくる!」と預言している預言者たちの言葉を聞き入れてはならない。彼らは偽りの預言をしているからである。彼らの言うことを聞いてはならない。バビロンの王に仕えるなら,生き続けることができる。この都市が廃虚になるようなことがあってよいだろうか。もし彼らが預言者であり,エホバの言葉を受けているなら,エホバの家とユダの王の家とエルサレムに残っている器具がバビロンに持ち去られないよう,大軍を率いるエホバに懇願するがよい』。
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やがて、予告通りイスラエルはバビロニアに征服されてしまいます。こうして、諸国には、将来のことを告げることのできる神はエホバだけであるということ、イスラエルには、エホバの正当な預言者はだれかということが示されます。
70年のバビロン捕囚の末期に、真の預言者は“物見の塔(見張り台)”に立って将来を見るようになります。
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イザヤ 21:6-9
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバは私にこう言った。「行って,見張りを立て,見たことを報告させなさい」。
見張りは,2頭の馬が引く戦車と,ロバが引く戦車と,ラクダが引く戦車を見た。目を凝らして注意深く見た。そして,ほえるライオンのように叫んだ。「エホバ,私は昼間ずっと見張り台の上に立ち,毎晩自分の見張り所に就いています。ご覧ください。2頭の馬に引かれた戦車に乗って,人々がやって来ます!」それから大声でこう言った。「彼女は倒れた! バビロンは倒れた! 彼女の神々の彫像は全て粉々に砕かれた!」
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物見の塔は未来を見ることのできる不思議な塔です。預言者はその塔から、ペルシャの王キュロスがバビロンを征服する様子を目撃します。
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キリスト教成立の時代には、エルサレムとローマとの対立が生じていました。イエスは、エルサレムはローマによって破壊されてしまうと預言します。
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ルカ 19:41-44
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イエスはエルサレムの近くに来た時,それを眺めて泣き悲しみ,こう言った。「もしあなたが,そうです,あなたが,平和に関係することをこの日に見分けていたなら―。しかし今,それはあなたの目から隠されています。敵があなたの周りに先のとがった杭で柵を築き,あなたを完全に包囲する時が来るからです。敵は,あなたとあなたの子供たちを滅ぼし尽くし,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておきません。あなたが,検分されている時を見分けなかったからです」。
ルカ 21:20-24
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エルサレムが陣営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。都の中にいる人はそこを出なさい。田舎にいる人は都に入ってはなりません。なぜなら,これは処罰が下される期間であり,書かれていること全てが実現するのです。その期間,妊娠している女性と赤ん坊に乳を飲ませている人にとっては悲惨なことになります! その土地はひどい貧困に見舞われ,この民に対する憤りが表されるからです。人々は剣の刃に倒れ,捕らわれて全ての国の人々のもとへ引いていかれます。そしてエルサレムは,異国の人々の定められた時が満ちるまで異国の人々に踏みにじられます。
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イエスは「平和に関係すること」と言います。これはメシア預言が言う偽預言のことです。イエスの時代にも、エルサレムは神聖な都市だからローマ軍が攻めてきても神が守ってくれる、と主張する預言者たちがいました。しかしイエスは、エルサレムは滅ぶ、その時が来たらさっさと逃げなさい、と指示します。
そのうち、ほとんうにローマ軍がエルサレムを攻めにやってきます。キリスト教に改宗した人たちはイエスの指示通りエルサレムから逃げ出しますが、多くの人たちは偽預言者の言葉を真に受け、神が守ってくださると信じてエルサレムに籠城します。ローマ軍はエルサレムを包囲し続け、食糧は尽きてきて、エルサレムにいた人たちは悲惨な状況に追い込まれました。そしてエルサレムは陥落します。ローマ軍はエルサレムの神殿を徹底的に破壊してしまいます。
こうして再び、エホバの真の預言者が誰であるかが明らかになります。救うことのできる神であるエホバが救うのは“残っている者”たちだけであるということも証明されました。
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終末期になると、“ハルマゲドン”、世界に対する“エホバの日”が焦点になります。
聖書は、ハルマゲドンの日時は秘密であると述べます。そのため、預言者によって「目覚めよ!」という呼びかけが行われます。
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マタイ 24:36-44
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その日と時刻については誰も知りません。天使たちも子も知らず,父だけが知っています。人の子の臨在の時はちょうどノアの時代のようになります。洪水前のその時代,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,結婚したりしていました。そして,洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした。人の子の臨在の時もそのようになります。
その時,2人の男性が畑にいて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。2人の女性がひき臼を回していて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。それで,ずっと見張っていなさい。主がどの日に来るかを知らないからです。
しかし,1つのことを知っておきなさい。家の主人は,泥棒がどの夜警時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,家に押し入らせはしなかったでしょう。ですから,あなたたちも,用意ができていることを示しなさい。人の子は予期しない時刻に来るからです。
ルカ 21:34-36
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
とはいえ,食べ過ぎや飲み過ぎや生活上の心配事で心が圧迫されないよう注意していなさい。そうでないと,その日が全く突然に訪れます。わなのようにです。その日は地上の全ての人に訪れます。それで,必ず起きるこの全てのことを逃れて人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,ずっと目を覚ましていなさい」。
テサロニケ第一 5:1-8
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
兄弟たち,時や時期については,皆さんに何も書き送る必要はありません。エホバの日が夜に忍び込む泥棒のように来ることを,皆さんはよく知っているからです。人々は,「平和だ,安全だ!」と言っている時に,突然滅ぼされることになります。妊婦に起こる陣痛と同じように突然で,彼らは決して逃れられません。しかし,兄弟たち,皆さんは暗闇の中にはいませんから,不意に夜が明けて驚く泥棒のように,急にその日が来て驚く,ということはありません。
皆さんは光の子であり,昼の子です。私たちは夜のものでも闇のものでもありません。ですから私たちは,ほかの人のように眠っていてはなりません。目を覚ましていて,頭がさえた状態を保ちましょう。眠る人は夜に眠り,酒に酔う人は夜に酔います。しかし,昼のものである私たちは,頭がさえた状態を保ち,信仰と愛の胸当てを着け,救いの希望というかぶとをかぶりましょう。
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しかし、目覚めていることに疑問をさしはさむ者たちもいます。
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マタイ 24:45-51
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
主人が,召し使いたちに適切な時に食物を与えるため,彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。主人が来て,そうしているところを見るなら,その奴隷は幸せです! はっきり言いますが,主人は自分の全ての持ち物を管理させるためにその奴隷を任命します。
しかし,もしその奴隷が邪悪で,『主人は遅れている』と心の中で言い,仲間の奴隷たちをたたいて,酔っぱらいたちと共に食べたり飲んだりし始めるなら,その奴隷の主人は,奴隷が予期していない日,思ってもいない時刻に来て,最も厳しく彼を罰し,偽善者たちと一緒にならせます。奴隷はそこで泣き悲しんだり歯ぎしりしたりします。
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ここで「主人」と言われているのはイエスのことです。“忠実で思慮深い奴隷”は真の預言者、“邪悪な奴隷”は偽預言者です。
ハルマゲドンの前には、“忠実で思慮深い奴隷”の中から造反者が現れることになっています。その者は、いつ来るかわからないハルマゲドンを今日にも明日にも来るものと信じて待っている仲間を見ているうちに、だんだんばかばかしくなり、ついには彼らと決別し、迫害するまでになります。
彼らはこのように語ります。
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ペテロ第二 3:3-4
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
まずこのことを心に留めてください。終わりの時代には,あざける人たちがやって来てあざけり,欲望のままに行動し,こう言うでしょう。「約束されていた彼の臨在はどうなっているのか。私たちの父祖が死の眠りに就いた日から何も変わっていない。全てのものは創造の始めの時と全く同じではないか」。
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言い替えると、この人たちは、「あなたたちはこれまで、ハルマゲドンはもう来る、すぐ来る、とさんざん言ってきたが、来ないじゃないか。どうせこれからも来ないだろう。ばかばかしい。」と言います。聖書は、ハルマゲドンがいつ来てもいいようにしっかりと目覚めているよう教えていますが、そんなことはどうでもよくなります。
こうして彼らは、ハルマゲドンはいつまでも来ない、という平和の預言を語るようになります。
しかし、ついに“エホバの日”はやってくることになります。
まず裁きを受けるのは“大いなるバビロン”つまり諸宗教です。諸宗教は自らの偽預言によって、自分たちは安泰だと信じ込んでいますが、突然の災厄に見舞われてしまいます。
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啓示(黙示録) 18:1-8
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
その後,私が見ると,大きな権威を持つ別の天使が天から下ってきた。その天使の栄光によって地は明るく照らされた。天使は強い声でこう叫んだ。「彼女は倒れました! 大いなるバビロンは倒れました! 彼女は,邪悪な天使たちのすみか,あらゆる汚れた空気がこもる場所,あらゆる汚れた忌まわしい鳥が潜む場所となりました。彼女の性的不道徳の欲情のぶどう酒によって全ての国の民が酔わされ,地上の王たちは彼女と性的に不道徳な行為をし,地上の商人たちは彼女の甚だしくぜいたくな暮らしによって富を得たのです」。
また,天から別の声がした。「私の民よ,彼女から出なさい。彼女の罪に関わったり,災厄に巻き込まれたりしないためである。彼女の罪は積み重なって天にまで達し,神は彼女の数々の不正な行いを思い起こしたのである。彼女がした仕打ちの通りに,彼女に返報しなさい。彼女が行ったことを2倍にして返すのである。彼女が混ぜて作った飲み物の杯に,2倍の量を入れて彼女に渡しなさい。彼女がおごり高ぶり,甚だしくぜいたくな暮らしをした分だけ,彼女に苦しみや悲しみを味わわせなさい。彼女は心の中でこう言い続けるからである。『私は女王の座についている。やもめなどではない。決して悲しむことはない』。そのため,彼女は1日のうちに幾つもの災厄に見舞われる。それは死と悲しみと飢えであり,彼女は火で焼き尽くされる。彼女を裁いたエホバは強い神だからだ。
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ここでひとつ注意したい点があります。この記述は“大いなるバビロン”について二つの段階を述べているように見えます。まず倒れ、それから死ぬ、という具合です。しかし、この記述が述べているのは一つの段階です。先に見た、もととなっている記述がそうだからです。
「倒れた」という宣言が先に来ていることは、終わりの時代に忠実で思慮深い奴隷が物見の塔に立って未来を目撃し、大いなるバビロンの破滅を証言するということを示しています。
続いて世界が裁かれます。その時には偽預言者も死ぬことになります。
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啓示(黙示録) 19:19-21
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
さらに見ると,野獣と地上の王たちとその軍勢が,馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために集まっていた。そして,野獣は捕らわれ,野獣の前で奇跡を行った偽預言者も捕らわれた。偽預言者は,野獣の印を受けた者たちと野獣の像を崇拝する者たちを,奇跡によって惑わしていたのである。野獣も偽預言者も生きたまま,硫黄が燃える火の湖に投げ込まれた。ほかの者たちは,馬に乗っている方の口から出ている長い剣で殺された。全ての鳥が彼らの肉で満腹になった。
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啓示の書の中で「野獣」は国家を表しています。この文書では扱っていませんが、もともとメシア預言がこのような表現法を用い、それが継承されています。
諸国家とその指導者と軍隊は、偽預言者の言葉にそそのかされて神に対抗します。あろうことか、戦って神に勝てると思うのです。
もちろん、人類は惨敗することになります。生き残るのは、救う神であるエホバに従うことを選んだ人たち、つまりエホバの証人だけです。
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最後に、イエスのこの言葉に注目しましょう。
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マタイ 24:14
◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
そして,王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。
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ここには“良い知らせ”という言葉が出てきます。これは一般には“福音”と翻訳されている表現です。
新改訳聖書の注解・索引・チェーン式引照付版はこの聖句についてこのように解説しています。
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◇ 新改訳聖書 注解・索引・チェーン式引照付, マタイ 24:14 注解
福音の世界宣教も終末の前兆の一つである。激しい世の迫害や教会自体の堕落にもかかわらず、御国の福音は着実に地の果てまで宣べ伝えられていく。
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私が興味深いと思うのは、ここに「教会自体の堕落にもかかわらず」という表現があることです。この表現は何を示唆しているのだろうか、と私は思います。
この答えを出す前に、“良い知らせ”という言葉の定義に注意を向けましょう。
イエスは福音のことを“王国の良い知らせ”と呼びました。しかもイエスは、自分と“良い知らせ”を区別しました。
しかし、イエスの死後、その弟子たちは“王国の良い知らせ”という言葉は用いず、代わりに“イエス・キリストの良い知らせ”という言葉を用います。
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◇ 「聖書に対する洞察」, 『良いたより』の項, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)
イエスが地上におられた時,イエスと弟子たちは,「天の王国は近づいた」と告げ知らせました。……これは,イエスが地上で宣教を行なわれた期間中,良いたよりの主題,もしくは中心点となりました。しかし,イエスの死後,弟子たちが王国を「近づいた」,あるいは間近に迫っているものとしてふれ告げたという記録はありません。むしろ,彼らが宣べ伝えた良いたよりは,イエスは救いのための贖いの代価として命をなげうった後,天へ昇って神の右に座している,というものでした。
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これは、私たちが今“福音”と呼んでいるものの意味が変わったことを意味しています。
では、そもそも“良い知らせ”とは何だったのでしょうか?
イエスにとって“良い知らせ”とは、メシア王国について述べた旧約聖書のメシア預言のことでした。だからこそ、イエスはそれを“王国の良い知らせ”と呼びました。
しかし、イエスの死後、弟子たちが“イエス・キリストの良い知らせ”という表現を多用すると、その意味するところはゆるやかに変わっていくことになります。やがて、“良い知らせ”という語は、旧約聖書のメシア預言ではなく、新たに編纂された、イエス・キリストについての伝記、つまり『福音書』を指すようになりました。こうして、メシア預言こそが“良い知らせ”であった時代は過ぎ去ってしまいます。これは決定的な変化です。
こうして、成立したばかりのキリスト教は急速にメシア預言から離れていくことになります。そしてこのことは、キリスト教におけるエホバ崇拝の衰退へと発展していきます。
では、イエスが「王国の良い知らせは」と語ったあと、「全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます」と言ったのは、何を指してでしょうか。それは間違いなく、メシア預言の中にある、“エホバの証人”による諸国民への証言に関する記述です。
新改訳聖書の注解者は、このことをよく理解していたのではないでしょうか。というのも、「教会の堕落」は、メシア預言のキリスト教への発展的適用によってのみ、ここでのテーマになるからです。そのテーマにおいては、キリスト教の信徒たちの数がたとえ海の砂のように多かったとしても、救われるのはほんの少し、“残っている者”たちだけです。注解者は、このことを理解していて、それをもっとも穏やかな仕方で表現したのではないか、と私は思います。
そして、イエスが示したメシア預言の言葉は、この時代に、確かにその言葉の通りに実現しています。
キリスト教の諸宗派の中から“エホバの証人”と呼ばれる人たちが現れ、その職責を果たしているのです。
このことを思い巡らすとき、私は、メシア預言が非常に困難な条件のもとで見事に達成されていることに気づかされます。
たとえば、終わりの時代にエホバ崇拝が復興するという預言は、エホバ崇拝が衰退していなければ実現のしようがありません。エホバ崇拝が復興する段階においても、もしそれが乱立したなら、メシア預言の示す通りにはならないでしょう。
偽預言者についてもそうです。偽預言者が出現し、エホバの証人を攻撃して「ハルマゲドンはまだ来ていないじゃないか」と言われなければ、預言の通りにはなりません。
こういった諸条件は、エホバの証人の努力によって作り出せるものではありません。
この現代に“エホバの証人”というキリスト教の教派が起こり、メシア預言において彼らが実現するとされる事柄を実現しようとしたとき、実に驚くべきことに、その実現すべき事柄はたしかにそこにあったのです。これは不思議なことではないでしょうか。
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