新世界訳
エホバの証人の聖書

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マタイ 11:12

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
ただ,バプテストのヨハネの日から今に至るまで,天の王国は人々の押し進む目標となっており,押し進んでいる者たちはそれをとらえつつあります。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。



 この聖句では、新共同訳聖書や口語訳聖書の訳文が字義訳です。
 イエスがここで難解な表現を用いたため、異なる解釈が考えられるようになりました。その一つは「キリスト教の信仰の道に入った者は神の王国の救いを捕らえるために真剣な努力を払う」というもので、新世界訳聖書はこの読みを支持しています。一方、これを「キリスト教の信仰に対する激しい迫害」と読む読み方もあり、そのような場合は必然的に字義訳が採用されることになります。しかし、字義訳が採用されているからといって必ずしも後者の読みが支持されているわけではありません。



マタイ 11:12

◇ 岩波訳聖書 (新約聖書翻訳委員会訳聖書) ◇ (エキュメニカル)
また、洗礼者ヨハネの日々から今に至るまで、天の王国は暴力を加えられている。そして暴力的な者たちが、それを奪い取っている。



◇ マタイ 11:12, 脚注, 岩波訳聖書 (新約聖書翻訳委員会訳聖書)

正確な意味の不明な言葉。「暴力的な者たち」を否定的にとれば、天の王国の運動に逆らう者たちからの迫害が意味されていよう。もし肯定的にとれば、天の王国に入ろうとしている者たちの、激しいまでの積極性を意味していよう。



 最後の「奪い取る」を現在形に翻訳すると神学上の問題が生じるようです。



◇ 「ものみの塔」誌1970年9月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

新英語聖書には,著しく理解の明確さを欠く箇所があります。たとえば,マタイ伝 11章12節は次のとおりです。「バプテスマのヨハネの到来以後このかた,天の御国は暴力をこうむり,乱暴な人々はそれを捕えている」。しかし,こうした訳し方は聖書の他の部分と合致しますか。神の御国は,ともすれば暴力に走る人間や諸国家に対して勝利をおさめようとしているのではありませんか。



◇ 「ギリシャ語新約聖書の語法」, スタンリー・E・ポーター

(聖書のギリシャ語では)行動が未来にまでくりこしている、と話者は見る時に現在時制形を用いることもできる。



 ここは新共同訳聖書が採用しているような「奪い取ろうとしている」といった訳文が無難であるようです。

 異なる読みがあるところでは中立的な訳文を採用する方針を持っている新世界訳聖書がここでそのルールを守っていないのはなぜでしょうか。それは、この聖句で用いられている「激しく襲う」という語のルカ 16:16における用法に注目したからであるようです。



ルカ 16:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「律法と預言者たちとはヨハネまででした。その時以来,神の王国は良いたよりとして宣明されており,あらゆるたぐいの人がそれに向かって押し進んでいます。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。



 ルカ 16:16では、救いの根拠となるものがモーセの律法から神の王国へと変わったことが示されていますので、人々が「神の王国を激しく襲う」のは救われようとしてであるということが考えられます。
 そこで、新世界訳聖書はマタイ 11:12におけるこの語の意味も同様であると考えたようです。
 聖書に同じ表現が二度あることから、この表現が慣用表現であった可能性を考えなければなりません。もしこれが慣用句であったのなら、ここでイエスが難解な表現を用いたと考えるのは間違いだということになります。



○ 慣用句の問題

日本語には「首を長くして」という慣用句があります。これが慣用句であることを知らない人は「これはどういう意味か」とずいぶん悩まされることになるでしょう。



 マタイ 11:12の問題はルカ 16:16に注目することによっておおかた解決されるようです。