エホバの証人の聖書

ペテロ第二 1:11


新世界訳聖書(エホバの証人)
事実,そうすることによって,わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る[機会]が,あなた方に豊かに与えられるのです。

新改訳聖書(ファンダメンタル)
このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。


 この聖句について、「エホバの証人統一協会対策香川ネット」正木弥氏は、「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」においてこう述べています。

新世界訳では、[ ]書きで"機会"ということばが用いられています。そのことばの意味がギリシャ語本文にはないのに、ここで用いられているのは、適切ではありません。残念なことは、キリストの永遠の御国に入ることが"機会"にしかすぎないものにされたことです。わたしたち信徒にとってそれは、単なる機会ではなく、確かな約束であり、予定された事実なのではありませんか。(表記修正)

 正木氏は新世界訳聖書と比較して新改訳の訳文を示していますが、新改訳聖書も原典にない「恵み」という語を挿入しているということには触れないことにしているようです。
 新共同訳聖書は訳文を調整してこのような挿入をなくしています。

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)
こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。

 新世界訳聖書や新改訳聖書の訳文は、挿入語を抜くと「王国に入るが与えられる」という文です。これだと不自然ですので訳文に挿入が必要であるということになります。もっとも基本的な挿入は「こと」となるでしょう。訳文は「王国にはいることが与えられる」となります。しかし、これでも不自然という感はぬぐえませんので、もう少しましな語を考えるということになります。こういったことは翻訳上の制約であり、やむを得ないところがあります。
 挿入された「機会」もしくは「恵み」という語は、どちらも問題ないように思います。ただ、「機会」と「恵み」では神学的意味合いが大きく異なりますので、正木氏はそれを気にしているようです。「機会」という訳語は神学的には何ら意味を持たないいわば空白の訳語です。一方、「恵み(新世界訳聖書では「過分のご親切」に相当)」という訳語は神やキリストの究極的な善意を示しており、神学的に大きな意味を持つ語です。
 これについては、みなさんの個人的な感想に結論をゆだねるしかないように思いました。もともと原典にない語を挿入しているのですから、新改訳を過剰装飾と見なして新世界訳を採るか、新世界訳聖書に神学的配慮がないと見なして新改訳を採るか、それぞれが考えて判断するとよいように思います。あるいは、正木氏が主張するような「確かな約束」とか「予定された事実」などというような挿入語を検討してみてもよいかもしれません。


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