新世界訳
エホバの証人の聖書

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コリント第一 15:2

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それにより,わたしがあなた方に良いたよりを宣明したそのことばをもって救われつつあります。もしあなた方がそれをしっかりと守っているなら,実際,いたずらに信者となったのでなければですが。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私の伝えた良い知らせを固く信じているなら,皆さんはその知らせによって救われています。そうでなければ,クリスチャンになったことは無駄になります。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
これによって救われる福音を、どんな言葉で告げたかを知らせます。もっとも、あなたがたが無駄に信じたのではなく、今もしっかりと覚えていればの話ですが。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。



 この聖句では、訳文の組み立て方に違いが見られています。面白いのは、新世界訳聖書同士で相違があることです。
 その結果、新世界訳参照資料付き聖書は聖書協会共同訳聖書とだいたい同じ、新世界訳聖書2019年改訂版は新改訳聖書2017年版とだいたい同じ、という状況が生じています。

 ここで特に気になるのは「救われる」の部分の違いです。
 問題は、聖書が「救い」の概念を、過去、現在、未来にわたって広い範囲に適用していることです。しかも、聖書のギリシャ語では、どの場合にも一貫して現在形を用いることができますので、区別がつきにくかったりします。



◇ 「新約聖書ギリシア語入門」, 大貫隆 (表記修正)

 直接法能動態現在形は単一の動作 (例「私は解く」) の他に、現在進行中 (「私は解いている」) あるいは継続中の動作の意味にもなり得る。どの意味で訳すかは文脈による。歴史的過去を現在形で表現する「歴史的現在」の用法もある。



 この聖句で用いられている「救い」は能動態ではなく受動態ですが、同じことが言えるでしょう。

 おおざっぱな区切りとして、「救い」は“現在の救い”と“将来の救い”に分けることができます。現在の救いは、人がキリスト教に改心してバプテスマ(浸礼・洗礼)を受けた時に始まり、将来に向かって継続します。将来の救いは現在の救いが継続した結果生じ、神の裁きが施行される時が来て人が永遠の命の報いを得る時に始まります。

 聖書協会共同訳聖書や新改訳聖書は、「救い」の時期ということは考えずに単純な訳し方をしています。一方、新世界訳聖書は、聖書に「救い」という言葉が出てきたときには、その時期ということをよく考察して、区別がつくよう訳文を調整すべきだと考えたようです。聖書を読む多くの読者にとってはこのほうが親切なのでしょう。

 新世界訳参照資料付き聖書はこの救いを継続中の動作であると判断しました。一方、改訂版は進行中の動作としました。
 この違いは何だろうと思われるかもしれませんが、ほとんど同じです。普通、進行中の動作は継続中の動作であり、この二つにたいした区別はありません。とはいえ、継続の訳文は現在の救いよりも将来の救いを示唆しているということが言えるでしょう。読者は「救われつつある」という訳文から「まだ救われていない」という意味を読み取るに違いありません。結果的に、新世界訳参照資料付き聖書は将来の救い、改訂版は現在の救いを述べていると言うことができるでしょう。






 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は、ファンダメンタルな立場から、この聖句における新世界訳聖書の問題をこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

 「この福音によってあなたは救われる」が「それにより救われつつあります」に変えられている。
 上述の使徒 16:30に続いて、この聖句は再び、福音の示す救いの完全性を覆い隠そうとしている。
 エホバの証人の考える救いは発展的 (「救われつつある」) であり、エホバの前で最後の審判が行われるまでは不確定なものである。



 キリスト教ファンダメンタルは、現在の救いと将来の救いを完全に一致させようとします。彼らによると、現在救われている人は、将来の救いを必ず得ることができます。フリーマインドジャーナルはこの考えを「救いの完全性」と呼んでいます。
 それに対してエホバの証人は、聖書はそのようなことを教えていないと指摘してきました。

 この論争については、ローマ 5:21の項に、聖書の見解と私の意見が書いてありますので、ご覧ください。

 ここでは、一つだけ聖書の言葉を挙げるにとどめます。



ユダ 5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなた方は一度すべてのことを知りましたが,それでもわたしは,あなた方に次のことを思い出させたいのです。それは,エホバが,民をエジプトの地から救い出したにもかかわらず,後に,信仰を示さない者たちを滅ぼされたことです。



 ユダ書は、「すでに救われたとしても最後には滅ぼされてしまうということもあり得ますから気をつけてください」という内容になっています。もし、現在の救いが完璧なもので永遠に効力を持つなら、聖書にユダ書は必要ないでしょう。

 言及の使徒 16:30については、使徒 4:12の項で取り上げていますのでそちらをご覧ください。