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コリント第一 14:40
◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい。
◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
ただ、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。
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ほとんどの聖書で「秩序」と訳されているところ、新世界訳聖書は「取り決め」と訳しています。
エホバの証人に反対する人たちはこの訳を批判してきました。ある人は、聖書で用いられている原語にこのような意味はない、辞書にもこのような訳は載せられていない、と言います。さらにある人は、このような訳は教団が信者に規則集を押し付けることを連想させる、とまで言います。
ここで用いられているギリシャ語は、基本的な意味は「秩序」ですが、用法は幅広く、文脈によってかなり意味が変わってきます。新世界訳聖書は、単に単語の意味を見るのではなく、文意ということを考えたようです。
ここで言うところの「秩序」が何を指しているのかを知るために、文脈を見てみましょう。
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コリント第一 14:26-34
◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
兄弟たち,では,どうすべきでしょうか。あなた方が集まるとき,ある人には詩があり,ある人には教えがあり,ある人には啓示があり,ある人には異言があり,ある人には解釈があります。すべては築き上げることを目ざして行ないなさい。そして,だれかが異言を話すのであれば,多くても二人か三人に限り,順番に[話し]なさい。そして,だれかが翻訳しなさい。しかし,もし翻訳者がいないなら,その人は会衆内では黙っており,自分自身と神に話しなさい。さらに,二人か三人の預言者が話し,他の人たちはその意味を識別するようにしなさい。しかし,そこに座っている別の人に啓示があるなら,初めの人は黙っていなさい。あなた方は皆ひとりずつ預言することができ,こうしてすべての人が学び,またすべての人が励まされるのです。それで,預言者の霊[の賜物]は預言者によって制御されるべきです。神は無秩序の[神]ではなく,平和の[神]だからです。聖なる者たちのすべての会衆におけると同じく,女は会衆の中では黙っていなさい。話すことは許可されていないからです。むしろ,律法が言うとおり,[女]は服していなさい。
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ここで取り扱われているのは、クリスチャンの集会で行われる講話の規則集です。1つ目の要件として「話す人数を絞る」ことが求められています。2つ目に「順番に話す」こと、3番目に「翻訳する」、4番目に「啓示を優先する」、5番目に「女性は聞き役に回りなさい」ということが求められています。これらを総括したものが「秩序」と呼ばれています。
そうするとどういうことが言えるでしょうか。ここで聖書の言う「秩序」とは「規則集を守ること」であるということが言えそうです。
さて、もしかするとあなたは、この句に「翻訳」の話が入っているのはどういうことだろうと思うかもしれません。理解するには、聖書には「異言」という現象が記されていることを知らなければなりません。これについては、コリント第一 14:14-16の項をご覧ください。
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エホバの証人統一協会対策香川ネットの正木弥氏は、新世界訳聖書をこのように批判しています。
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◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)
逐語訳「according to order」(秩序[規律]に従って)は正しい訳です。なのに新世界訳では「by arrangement」に変えました。その日本語訳は"取り決めのもとに"ということです。ものみの塔協会は構成員であるエホバの証人に実に多くの行動規制を加えますが、そのための"取り決め"に従わせる聖書上の根拠が欲しかったのでしょうか。
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私はこれを読んで、なかなか微妙な話だと思いました。
すでに見たように、新世界訳聖書の訳は文脈と調和していて特に問題ではありません。しかし、適正な訳文が出来上がったところで、その訳文が読者にどういう影響を及ぼすかということを考えなければなりません。
正木氏が指摘しているのは、この訳文が、エホバの証人という宗教社会において教団が規則を量産して信徒に押し付ける口実になっているのではないか、ということです。
正木氏が考えたことはかなり神経質なことで、普通は気にもかけないことだと思います。一方で、全く間違ったことを言っているわけでもないので、これはなかなか鋭い指摘じゃないか、ということも言えそうです。
ただ、正木氏はエホバの証人はカルト宗教であるということを主張していますから、それでこういうことを言っているのであれば、これは言いがかりだ、と言うこともできると思いました。
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