新世界訳
エホバの証人の聖書

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マタイ 5:19

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それゆえ,だれであれ,これら一番小さなおきての一つを破り,また人にそのように教える者は,天の王国に関連して『一番小さい者』と呼ばれるでしょう。だれでもそれを行ない,またそれを教える者,その者は天の王国に関連して『大いなる者』と呼ばれるでしょう。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国大いなる者と呼ばれる。



 新世界訳聖書で「……に関連して」と訳されているギリシャ語は εν (エン)です。この語には物理的・領域的用法(「……において」)と手段の用法(「……によって」)があります。そこで翻訳者はここでのエンがどちらの語法であるのかを考えなければなりません。
 これまで一般に、このエンは「……において」の意味に読まれてきました。そうすると、イエスは救われる人の階級差について述べていることになります。
 これを字義通りに読むことはできないようです。そのような読み方では、救いには徹底した階級差別があるということになります。しかも、それは律法の中の最も些細なおきてを守るかどうかにかかっているというのですから、その判断基準はあまりに過酷です。ただでさえ救われる者は少ないというのに、まともに救われる人はさらに少数ということになるでしょう。また、語義においても不自然な点が見つかります。「最も小さな者」という表現がその語の意味を保っていない点です。こういう表現は抜きん出た特定の人を指して用いられるはずですが、ここでは不特定多数の人に対し無原則に用いられています。
 そこで、イエスのこの言葉は救いに関する寓話表現(たとえ話)であると考えなければならないようです。おそらくイエスは、救われる人と救われない人との甚だしい格差を念頭に置いていたのでしょう。そうすると、ここでのエンは「……によって」の意味に読まなければならないのかもしれません。

 新世界訳聖書は、『「神の王国の最も小さい者」とは、神の王国に入らず、救いを得ない者のことである』という解釈を考慮し、どちらの意味にも取れる中立的な訳文を採用したようです。



○ 新世界訳聖書の特徴

複数の読み方がある語句には中立的な訳語を充てる



 イエスのたとえ話において、「神の王国」は救われない人たちにも適用されることがあります。明確な例としては、マタイ 13:47-50があります。



マタイ 13:47-50

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「また,天の王国は,海に下ろされてあらゆる種類の[魚]を寄せ集める引き網のようです。それがいっぱいになったとき,人々は浜辺にたぐり上げ,腰を下ろして,良いものを器に集め,ふさわしくないものは投げ捨てました。事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け,彼らを火の燃える炉にほうり込むのです。そこで[彼らは]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。



 こういった要素があるため、エホバの証人はしばしば、イエスのたとえ話における直接的には救いの階級化を指すと読める表現を救いの可否に置き換えて解釈しています。

 




 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は、この聖句における新世界訳聖書の問題をこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

「天の王国において最も小さな者」が「天の王国に関連して最も小さな者」にすり替えられている。引用部分は、反抗的ではあってもなお許されて永遠の命を受ける信者についてのものである。
エホバの証人は、天は14万4千人の神の特別な奉仕者たちだけのために確保されていると信じている。この改ざんは、この宗教団体における階級的分離を促進するものである。



 後半部分は根本的にずれているようです。

 前半部分についてはどうでしょうか。これはこの聖句についてのキリスト教諸教会の一般的な解釈となります。
 これについて手厳しいことを述べた方がおられます。



◇ 「宗教とは何か (下) ― マタイ福音書によせて」増補改訂版, 田川健三 (表記修正)

「律法の戒命の最も小さなものの一つでも破る者は、天の国において最も小さい者と呼ばれよう」という句も、歪曲して解釈される。
……つまり、最も小さい戒めの一つを破ったり、破るように教えたりするぐらいで、天の国から排除されるわけではない、というのだ。むしろ、たとえ天の国の中の最も粗末な(最も小さい)場所であれ天の国に入れる、と保証するのがこの句の意味だというのである。
……何と申しますか、ここまで原文に書いてあることと正反対のことを「解釈」ないし「解説」と称して臆面もなく言い立てるのは、あきれるべき無恥としか言いようがない。
……この文の基本の意味は、最も小さい者でも「天の国」に入れる、と言っているのではなく、そういう者は「天の国」の価値基準から見れば「最も小さい者」、つまり人間の中で最もだめな奴とみなされることになろう、というものだ。
……「天の国では最も小さい者と呼ばれる」というのは、決して、「天の国に入れることは入れるが(従って、滅ぼさるべきもろもろの民と比べれば、立派に救われる人間なのであるが)、しかしその中では最も小さな者と呼ばれるだろう」などという屈折した意味ではなく、もっと端的に、「神はその者を最も小さい者、最も駄目な者とみなすだろう」と言っているにすぎない。



 この聖句についての正しい解釈は諸教会にとって不愉快であるということで避けられているということのようです。

 するとどうでしょうか。諸教会が自分たちにとって不愉快な聖書解釈を避け、ほかにもいろいろとイエスの言葉を曲解しているとすれば、それは大問題ではないでしょうか。私たちはそれをどうやって調べることができるでしょうか。
 ものみの塔聖書冊子協会からは「これまでに生存した最も偉大な人」という本が出版されています。この本には、諸教会にとって不都合であるために無視されてきたイエスのさまざまな言葉の解釈が、いくらかですが網羅されています。これに代わる資料はほかにないようです。
 この本にはこのような強烈な記述もあります。



マタイ 20:1-16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「というのは,天の王国は,自分のぶどう園に働き人を雇うため朝早く出かけた人,[つまりそのような]家あるじのようだからです。彼は,働き人たちと一日一デナリということで合意すると,彼らを自分のぶどう園に送り込みました。第三時ごろにも出て行き,ほかの者たちが仕事をしないで市の立つ広場に立っているのを見ました。そこでその人たちに言いました,『あなた方もぶどう園に行きなさい。何でも正当なものを上げますから』。それで彼らは出かけて行きました。[家あるじ]は,第六時と第九時ごろにも出て行って,同じようにしました。最後に,第十一時ごろに出て行き,ほかの者たちが立っているのを見つけました。それで彼らに言いました,『なぜあなた方は仕事をしないで一日中ここに立っていたのか』。彼らは言いました,『だれもわたしたちを雇ってくれなかったからです』。[家あるじ]は言いました,『あなた方もぶどう園に行きなさい』。「夕方になったとき,ぶどう園の主人は管理の者に言いました,『働き人たちを呼んで,賃金を払いなさい。最後の者から始めて順に最初の者にまでゆきなさい』。第十一時の者たちが来て,各々一デナリを受けました。それで,最初の者たちが来たとき,自分たちはもっと受けるものと考えました。ところが,彼らもやはり一デナリの割で支払いを受けました。それを受けると,彼らは家あるじに向かってつぶやきはじめ,『これら最後の者は一時間働いただけだ。それなのに,あなたは彼らを,一日の重荷と焼けつく暑さに耐えたわたしたちと同等にした!』と言いました。しかし家あるじは彼らの一人に答えて言いました,『君,わたしはあなたに何も不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリで合意したではないか。あなたの分を受け取って,行きなさい。わたしはこの最後の者にもあなたと同じように与えたいのだ。わたしが自分のもので自分の望むことを行なってもよいではないか。それとも,わたしが善良なので,あなたの目はよこしまになるのか』。このように,最後の者が最初に,最初の者が最後になるでしょう」。



◇ 「これまでに生存した最も偉大な人」, ものみの塔聖書冊子協会

この20世紀のキリスト教世界の僧職者たちは,その立場や責任のゆえに,神の象徴的なぶどう園での仕事のために雇われた「最初の者」となってきました。彼らは,ものみの塔聖書冊子協会と交わる献身した伝道者たちを,神への奉仕において何らかの正当な割り当てを持つ者の「最後の」者たちとみなしました。しかし実際には,デナリ,すなわち神の天的王国の油そそがれた大使として仕えるという誉れを受けたのは,僧職者たちが見下げた,まさにそれらの者たちだったのです。



 いかにもエホバの証人らしい反目的な記述です。
 エホバの証人がこのような解釈を説くのはどうしてでしょうか。そうすることによって、一般的なキリスト教会と自教会との差別化を図ることができるし、信徒たちがイエスの言葉の本質的な意味をとらえることによって自教会の質の向上を達成することもできる、と考えているからです。実際、効果は抜群です。

 この本について「新世界訳研究会」というファンダメンタルサイドの反対組織はこのように述べて批判しています。



◇ リスト「参考文献」, 『これまでに生存した最も偉大な人』の項, 新世界訳研究会 (表記修正)

キリスト教世界を否定するため、イエスの例え話を滑稽に解釈している。



○ 課題

テサロニケ(二) 2:3のパウロの言葉に注目してください。それからマタイ 13:24-30を読み、なぜパウロがこのような言葉を述べなければならなかったかを説明しましょう。