新世界訳
エホバの証人の聖書

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ローマ 13:1

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
人は皆、上に立つ権力に従うべきです。神によらない権力はなく、今ある権力はすべて神によって立てられたものだからです。



 聖書協会共同訳聖書で「立てられた」と訳されているところ、新世界訳聖書では「その相対的な地位に据えられている」と訳されています。これはどうしてでしょうか。
 この句には、『聖書と戦争』という、深刻な問題が関係しているからのようです。



◇ 「ものみの塔」誌1996年5月1日号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 世のもろもろの王国はサタンのものである,という点をイエスは否定されませんでした。後日イエスは,サタンを「この世の支配者」と呼ばれました。(ヨハネ 12:31; 16:11)西暦1世紀の終わりごろ,使徒ヨハネは,「わたしたちが神から出ており,全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています」と書きました。(ヨハネ第一 5:19)これは,エホバが地に対する主権を放棄されたという意味ではありません。思い出してください,サタンは政治上の諸王国に対する支配権をイエスに差し伸べた際,「この権威すべて……をあなたに上げましょう。それはわたしに渡されているからです」と述べました。(ルカ 4:6)サタンが世の諸王国の上に権威を行使できるのは,神がそれを許しておられるからにほかなりません。
 同様に,国家が権威を行使するのも,主権者なる支配者としての神がそれを許しておられるからにほかなりません。(ヨハネ 19:11)そのような意味で,「存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられている」と言えます。至上の主権者としてのエホバの権威に比べれば,国家の権威ははるかに小さなものです。それでも国家は,必要なサービスを提供し,法と秩序を維持し,悪行者を処罰するという意味で「神の奉仕者」,「神の公僕」です。(ローマ 13:1,4,6)ですから,クリスチャンは次の点を理解する必要があります。つまり,サタンがこの世の,もしくはこの体制の目に見えない支配者であるからといって,国家への相対的服従を認めればサタンに服従することになるわけではない,という点です。クリスチャンは神に従っているのです。1996年の今も,政治上の国家は依然「神の取り決め」,つまり神が存続を許しておられる一時的な取り決めの一部を成しており,エホバの地上の僕たちは国家をそのようなものとして認めるべきです。―ローマ 13:2。
 ……キリストの死後20年余りたったころ,使徒パウロはローマのクリスチャンにあてて,「すべての魂は上位の権威に服しなさい」と告げました。(ローマ 13:1)その時から約10年後,ローマで二度目の投獄に遭って処刑される少し前に,パウロはテトスにあててこう書きました。「政府や権威者たちに服し,自分の支配者としてそれに従順であるべきことを引き続き彼ら[クレタ人のクリスチャン]に思い出させなさい。また,あらゆる良い業に備えをし,だれのことも悪く言わず,争いを好むことなく,道理をわきまえ,すべての人に対して温和を尽くすべきことも思い出させなさい」― テトス 3:1,2。

 ……(エホバの証人の歴史を見ると、) 早くも1886年,チャールズ・テイズ・ラッセルは「世々に渉る神の経綸」の中でこう書いています。「イエスも使徒たちも地上の支配者たちに対していっさい干渉しなかった。……彼らは法律に従い,当局者に対して,その職務のゆえに敬意を払い,……定められた税金を納め,いかなる法律に対しても,神の律法に反するものでない限り(使徒 4:19; 5:29)これに反抗しないよう教会を教えた。(ローマ 13:1-7。マタイ 22:21)イエスおよび使徒たちと初期教会はみな,この世の諸政府から離れ,政治に関与しなかったとはいえ,法律をよく守った」。同書は,使徒パウロの言及した「上にある権威」すなわち「上位の権威」が人間の政府の権威であることを正しく認識していました。(ローマ 13:1,ジェームズ王欽定訳)1904年に,「新しい創造物」という本は,真のクリスチャンは「当代最もよく法律を守る人々の中に含まれていなければならず,政治運動を行なったり,すぐに文句を言ったり,あら捜しをしたりすべきではない」と述べました。一部の人たちはこれを,現存する権力への全面的服従を意味すると理解し,第一次世界大戦中は軍隊での務めを受け入れることまでしました。しかし,軍務に服するのは,「すべて剣を取る者は剣によって滅びる」と述べたイエスの言葉に反する,とみなす人たちもいました。(マタイ 26:52)上位の権威に対するクリスチャンの服従に関して,より明確な理解の必要なことは明らかでした。
 1929年,多くの政府が神の命じておられる事柄を法律で禁じたり,神の律法が禁じている事柄を行なうよう要求したりするようになっていた時期に,上にある権威とはエホバ神とイエス・キリストであるに違いないと考えられるようになりました。 エホバの僕たちは,第二次世界大戦の始まる前から大戦中,またその後の恐怖の均衡と軍備競争の冷戦へと続いた危機の時代の間,そのように理解していました。顧みると,エホバとそのキリストの至上性に重きを置くこの見方は,神の民がその困難な時代を通じて妥協することなく中立を保つ助けになった,と言うことができます。

 ……1961年に「新世界訳聖書」が完成しました。これを準備するには聖書本文の語法を綿密に研究することが必要でした。ローマ 13章だけでなく,テトス 3章1節と2節,またペテロ第一 2章13節と17節などでも使われている語句が厳密に翻訳された結果,「上位の権威」という語は,至上の権威であるエホバとみ子イエスではなく,人間の政府の権威を指していることが明らかになりました。1962年の末,「ものみの塔」誌に,ローマ 13章を正確に説明すると共に,C・T・ラッセルの時代よりも明確な見解を示す記事が載せられました。それらの記事は,政府の権威に対するクリスチャンの服従が全面的なものではあり得ないことを指摘しました。その服従は相対的なものでなければならず,神の僕が神の律法に背く結果にならない場合に限定されます。「ものみの塔」誌のその後の記事でもその重要な点が強調されました。
 こうしてエホバの民は,ローマ 13章を正しく理解するためのかぎを得たことによって,政治上の権威にふさわしい敬意を払うことと,肝要な聖書的原則に基づいて妥協のない立場を保つこととの平衡を取れるようになりました。(詩編 97:11。エレミヤ 3:15)また,神との関係や自分たちと国家とのかかわりについて適正な見方ができるようにもなりました。カエサルのものをカエサルに返しつつ,神のものは怠りなく確実に神に返すことができるようになったのです。



 背景にあるのは、ローマ 13:1に記される命令が、キリスト教世界において戦争を正当化する根拠として用いられてきた、という問題です。

 キリスト教とは本来、平和と非戦を教える宗教です。にもかかわらず、歴史を通してキリスト教は戦争の宗教となってきました。このことは今でもそれほど変わっていません。このサイトを訪れる皆さんも、「どうしてキリスト教の国が戦争ばかりしてきたのだろうか」とか、「どうして教会や牧師が戦争を支援しているのだろう」と思うことでしょう。
 これには、キリスト教の“義戦論(正戦論とも言う)”という神学が深く関係しています。この教えについて、「良心的兵役拒否の思想」という本はこう述べています。



◇ 良心的兵役拒否の思想, 阿部知二 (表記等修正)

 (キリスト教の平和主義によって)絶対に強大な帝国主義・軍国主義の権力と、ただ良心のみを「武器」とする赤手空拳の人々の平和主義の精神力との戦いが、世界史的な意味ではじめて登場した。しかし、世の事は、必ずしもかんたんに動いてゆくものではない。そのキリスト教の平和の精神の中から、―そののちの歴史の進行につれて「正義の戦争」は可であるという観念が発生するようになってゆくのである。
 ……歴史の流れの中において、状況に応じて、時としては正義の戦争論の根拠を、聖書から引き出そうとすることもなされたのであった。そのような引用をしようとするものは古来跡をたたず、今日にも及んでいる。
 ……アタナシウス(295年ごろ-373年)は、現代まで不動の三位一体論の基礎を定めたとされる教父であるが、彼はいった。「殺すことはゆるされぬが、しかし戦争においては、敵を殺すことは正当であるのみならず、称賛すべきである」。ミラノの大司教アンブロシウス(340年ごろ-397年)も「戦争に際して外敵から祖国を守り、国内の弱き者を保護し、侵略者の手から同盟国を解放するといった勇敢さは、まったく正当なものである」といった。偉大な聖アウグスティヌス(354年-430年)も、このようにいった。「主イエス・キリストがみずから『悪に手向かうな』といわれたゆえ、神が戦争を命じたまうわけはないと考えるものがあるならば、私はいおう、ここに要求されているのは行動ではなく、心の問題であるのだ、と。……愛は善良な人々によっておこなわれる慈悲の戦を認めるものである」。
 (キリスト教における)正義の戦争という概念は、このあたりで基礎づけられることになったと見ていいであろう。今日における戦争の正当化や自衛論も、本質的には何ほどにもこれにつけ加えるものをもっているとは思われない。



 そののち、キリスト教は義戦論の神学を掲げて積極的に戦争を推進するようになります。特にその役割が大きかったのが、20世紀に起こった第一次世界大戦と第二次世界大戦です。



◇ 良心的兵役拒否の思想, 阿部知二 (表記等修正)

 第一次大戦がはじまってまもない1914年の9月、ロマン・ロランは、ジュネーブ新聞に、「今度の伝染病的戦争によって、もっとも弱点をしめした精神力は、キリスト教と社会主義とである」と書いた。ロランはいう。「二万人のフランス司祭が軍旗の下に進軍する。ジェズイト派教徒がドイツ軍に奉仕する。(カトリックの)枢機卿たちが戦争教書を発する。……新聞は、イタリアの社会主義者たちが、ピサの停車場で、神学生たちが彼らの連隊に入るのを歓呼して、ともに軍歌をうたうという矛盾した光景を報じてなんら怪しむ様子もない」。
 ……大戦勃発にあたって、各国の教会はその政府を支持した。ドイツでは、カトリックやプロテスタントの神学者や聖職者たちの多くが、自衛することは、正義の戦争以外のなにものでもないと主張した。(一方のイギリスの、)ロンドンの主教はいった。「ドイツを殺せ ― 殺戮を目的とするのでなく、世界を救わんがために、悪人同様に、善人をも、老人のみならず、若者をも、悪鬼のような人々のみならず、われわれの負傷者に親切を示す人々をも。」



 平和な時期には愛と平和の教えを説いて「戦争はよくない」ということを言うのですが、戦争が始まるととたんに態度を変えて「戦争は正しい」と言い始めるのがキリスト教の伝統的なやり方です。そして、戦争が終わるとまた態度を変えて、愛と平和の大切さを説くということを繰り返しています。最近はいくらか変わったようにも思いますが、果たしてどうなんでしょうか……。
 戦争が始まると、どの教会も前線の兵士たちのために祈りをささげます。さらに、教会に通う若者たちは牧師から「あなたはどこにいますか。どうしてここに座っているのですか」などと言われます。教会で「今は結婚したりして自分の生活を楽しむ時ではありません。軍に志願して国を守りなさい」と牧師に言われて、結婚をあきらめて戦争に赴いた若者はそれこそ何百万といたんじゃないかと思います。

 こんなキリスト教諸教会が戦争を美化するために使っていた聖書の言葉の一つが、今問題となっている聖句です。
 「国家とはすなわち神の権威なのだから、国が戦争をするということは神が戦争をするということなんだ」と教会は説いてきましたし、信徒たちも、「国が過ちを犯すからといって、人間がそれをとがめてはならない。ただ神様だけがそれをとがめることができるのだから、私たち人間は謙虚になって、ただそれに従うのみだ」などと考えました。

 そんな諸教会に対し、エホバの証人は徹底した抵抗を行ってきました。第二次世界大戦前後には、これらの教会が戦争を推進するやり方に対抗して「若者たちは結婚を控えて聖書伝道に励みなさい」ということを熱心に説いたこともあります。エホバの証人はそのような宗教ですから、この聖句を解釈するにあたっても他の一般的な教会と一線を画しました。キリスト教の成立初期から、この聖句については、「“上位の権威”とはキリストのことであって国家のことではない」という見解が少数ながらあって、エホバの証人はその解釈を採用しました。
 しかし、エホバの証人の間で聖書の研究が進むと、間違いが訂正されて「聖書の言う“上位の権威”とはキリストのことではなく国家のことである」ということがはっきりしてきました。そこで新世界訳聖書の翻訳者が考えたのが「じゃあ、この教えを悪用をされないように、ここに『相対的な』という但し書きをつけておこう」ということでした。新世界訳聖書に採用された訳文には、「国家が神の代理機関であるとしても、それは絶対的な権威ではない、国から戦争することを命令されても従う必要はない」という意味合いがあります。

 新世界訳聖書の訳文によって示されたエホバの証人の考え方は、聖書からの裏付けが得られるでしょうか。



◇ 「ものみの塔」誌1993年2月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 しかし明らかに,カエサルに対するそうした服従はすべて相対的なものでなければなりません。わたしたちは,マタイ 22章21節に記されているイエス・キリストの述べた次の原則を常に念頭に置いていなければなりません。「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。「スコフィールドのオックスフォード新国際訳研究聖書」のローマ 13章1節の脚注にはこうあります。「これは,不道徳な法規やキリスト教に反する法規にも従わなければならないという意味ではない。そのような場合は,人間よりも神に従う責務がある(使徒 5:29。ダニ 3:16-18; 6:10以降と比較)」。



使徒 5:29

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った,「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。



 裏付けは十分得られているようです。

 新世界訳聖書には、これまでのキリスト教の聖書解釈の歴史を調べて、過去に曲解や悪用のあった聖句については、訳文を修正してそのような問題を防ぐ、という方針があります。この方針については、キリスト教の他教派から、エホバの証人は聖書を改ざんしているというような非難の声が絶えないのですが、たとえばこの聖句の場合、関係している問題が大きすぎるので、むしろ称賛に値するのではないか、と私は思います。



○ 新世界訳聖書の翻訳方針

悪用の危険のある句は修正して訳出する






 エホバの証人統一協会対策香川ネット正木弥氏による「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」は新世界訳聖書の訳を批判しています。



◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)

 ギリシャ語本文の"τεταγμεναι"の原形は"τασσω"であって、その意味は英語で言えば"ordain"とか"institute"です。日本語では、規定する、制定する、立てる、といった意味合いのことばです。新世界訳(英文)の"in their relative positions"といった意味はどこにもありません。どこからひねり出してくるのでしょうか。新世界訳(日本語)では「その相対的な地位に」と、神様のなさったことを枠に入れてしまいました。人やその団体がそんな大それたことをしていいのでしょうか



 また、「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は新世界訳聖書の訳文についてこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

 「存在する権威は神によって立てられたものである」が「存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられている」に置き換えられている。
 エホバの証人は、国旗掲揚や兵役やそれに類似した国家崇拝的奉仕について考慮し、神によって公布された国家の権威を弱めようとしてこの語を加えた。






 ではここで、戦争を正当化するためにたびたび援用される聖書の言葉を見てみたいと思います。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 アウグスティヌスを継承して正戦理論を完成させた人は、トマス・アクィナスです。
 ……トマス・アクィナスはその根拠として、聖書の二つの箇所を引用しています。第一の箇所はローマ書13章の「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行なう者に怒りをもって報いるのです」という新約の言葉であり、二番目のものは詩編82篇に出てくる「弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出せ」という旧約の言葉です。



ローマ 13:1-7

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。支配者たちは,善行にではなく,悪行にとって,恐れるべきものとなるのです。それで,あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。善を行なってゆきなさい。そうすれば,あなたはそれから称賛を受けるでしょう。それはあなたの益のための神の奉仕者だからです。しかし,もしあなたが悪を行なっているのであれば,恐れなさい。それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。
したがって,あなた方がどうしても服従するべき理由があります。その憤りのためだけではなく,[あなた方の]良心のためでもあります。それゆえに,あなた方は税を納めてもいるのです。彼らは,まさにこのために絶えず奉仕する神の公僕だからです。すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。税を[要求する]者には税を,貢ぎを[要求する]者には貢ぎを,恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを。



 ここで聖書が述べている「剣」は、犯罪者を処罰する国家の権限を指しているようです。国家には戦争をする権利があるという主張には使えないでしょう。



詩編 82:1-4

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
神は神たる者の集会において立場を取っておられる。[神]は神々の真ん中で裁きを行なわれる。「あなた方はいつまで不正な裁きを行ない, 邪悪な者たちを偏りみるのか。セラ。立場の低い者や父なし子のために裁きを行なう者となれ。苦しんでいる者や資力の乏しい者に公正を行なえ。立場の低い者や貧しい者を逃れさせ, 邪悪な者たちの手から[彼らを]救い出せ」。



 ここで聖書が述べているのは裁判に関することですので、戦争ということには結びつかないでしょう。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 さらにトマス・アクィナスは、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイ 10:34) というイエスの言葉も正戦を擁護する根拠として引用しています。



マタイ 10:34-39

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしが地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく,剣を投ずるために来たのです。わたしは分裂を生じさせるため,男をその父に,娘をその母に,若妻をそのしゅうとめに敵対[させるために]来たからです。実際,人の敵は自分の家の者たちでしょう。わたしに対するより父や母に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。また,わたしに対するより息子や娘に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。そして,だれでも自分の苦しみの杭を受け入れてわたしのあとに従わない者は,わたしにふさわしくありません。自分の魂を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです。



 ここでイエスが述べようとしているのは、宗教によって家庭が破壊されてしまうことについてです。これも戦争とは関係なさそうです。

 さて、ここでちょっと話が脱線してしまいますが、ついでですから、このイエスの言葉についてのエホバの証人の教えがどうなっているかを紹介しておきたいと思います。



◇ 「ものみの塔」誌『研究用』2017年10月号, ものみの塔聖書冊子協会

 イエスは,ご自分の教えによって人々の間に分裂が生じることを知っていました。反対に遭ってもご自分に従うには勇気が必要であることも知っていました。反対によって家族の平和な関係が脅かされることもあります。イエスはこう述べました。「わたしが地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく,剣を投ずるために来たのです。わたしは分裂を生じさせるため,男をその父に,娘をその母に,若妻をそのしゅうとめに敵対させるために来たからです。実際,人の敵は自分の家の者たちでしょう」。(マタ 10:34-36)
 「わたしが……平和を投ずるために来たと考えてはなりません」と述べたイエスは,ご自分に従うことによって生じる結果を考えるよう勧めていました。人々の間に分裂が生じるかもしれないのです。もちろん,イエスが地に来た目的は神についての真理を伝えることであって,人間関係を損なうことではありませんでした。(ヨハ 18:37)それでも,親しい友人や家族が真理を受け入れない時,イエスに従うのは簡単ではありません。
 イエスは,家族の反対も追随者が耐えなければならない苦しみの一部であることを教えました。(マタ 10:38)イエスの弟子たちはキリストにふさわしい者であるために,家族からあざけられたり縁を切られたりしても,それを耐え忍んできました。でも,失ったものよりはるかに多くのものを得てきました。(マルコ 10:29,30を読む。)
 わたしたちはエホバへの崇拝を家族に反対されても,家族を愛し続けます。でも,神とキリストを最も強く愛するべきであることを忘れてはなりません。(マタ 10:37)サタンは家族に対する愛情を利用して神への忠誠を打ち砕こうとする,ということも忘れないようにしましょう。では,幾つかの難しい状況を取り上げ,どのように対処できるかを考えましょう。

 聖書は,結婚する人が「自分の肉身に患難を招く」と述べています。(コリ一 7:28)配偶者が未信者である場合,普通以上のストレスや思い煩いを経験するかもしれません。そのような時,自分の状況をエホバの観点で見ることは大切です。配偶者が今のところキリストに従おうとしないからといって,それは別居や離婚の正当な根拠にはなりません。(コリ一 7:12-16)クリスチャンの妻は,未信者の夫が真の崇拝において率先しないとしても,家族の頭である夫を敬うべきです。また,クリスチャンの夫は,妻が未信者であっても自己犠牲的な愛や優しい愛情を示すべきです。(エフェ 5:22,23,28,29)
 配偶者からエホバへの崇拝を制限される時,どうしますか。ある姉妹は夫から特定の曜日にだけ野外奉仕をするように言われました。あなたがそのような状況に置かれたなら,こう自問してください。「神への崇拝をやめるようにと言われているのだろうか。そうでないなら,譲歩できるだろうか」。道理にかなった対応をするなら,不必要な衝突を避けられるはずです。(フィリ 4:5)
 配偶者が未信者である場合,子どもを教えるのは簡単ではありません。例えば,「あなたの父と母を敬いなさい」という聖書の命令に従うよう教える必要があります。(エフェ 6:1-3)でも,配偶者が聖書の高い行動規準に従わない場合はどうでしょうか。配偶者を敬うことによって,子どもに手本を示せます。配偶者の良い特質に注目し,配偶者に感謝を伝えてください。子どもの前で配偶者のことを悪く言わないようにしましょう。エホバに仕えるかどうかは本人が決めなければならない,ということを子どもに説明します。子どもが良い振る舞いをするなら,未信者の配偶者は真の崇拝に引き寄せられるかもしれません。
 未信者の配偶者が子どもを異教の祝いに参加させようとしたり,偽りの宗教について学ばせようとしたりすることがあります。クリスチャンである妻に対して,子どもに聖書を教えないようにと言う夫もいます。そのような場合でも,妻は子どもに真理を教えるためにできる事柄を行ないます。(使徒 16:1。テモ二 3:14,15)例えば,未信者の夫は妻が未成年の子どもと正式な聖書研究をすることや,子どもを集会に連れて行くことを許さないかもしれません。妻は夫の決定を尊重しますが,様々な機会に子どもの前で神への信仰を言い表わせます。そのようにして,道徳的な訓練を与え,エホバについて教えることができます。(使徒 4:19,20)もちろん,子どもはやがて,エホバに仕えるかどうかを自分で決定しなければなりません。(申 30:19,20)
 ……イエスは,ご自分より他の人を愛する人はご自分にふさわしくない,と述べました。しかし,弟子たちが家族の反対に遭っても忠節を保つ勇気を示す,ということも確信していました。イエスに従うゆえにあなたの家族に「剣」がもたらされているなら,その状況に対処できるようエホバに助けを祈り求めてください。(イザ 41:10,13)あなたが忠実に歩むなら,エホバとイエスはあなたのことを喜び,報いてくださいます。



 「剣を投じる」と言う割には温厚な教えが示されていると思います。

 ほかに、よく示される句にルカ 22:36があります。



ルカ 22:35-38

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
[イエス]はまた彼らにこう言われた。「わたしが,財布も食物袋もサンダルも持たせずに遣わした時,あなた方は何にも不足しなかったのではありませんか」。彼らは,「はい,何にも!」と言った。すると[イエス]はこう言われた。「しかし今,財布のある者はそれを持ち,食物袋も同じようにしなさい。そして,剣を持っていない者は,自分の外衣を売ってそれを買いなさい。あなた方に言いますが,書かれているこのこと,すなわち,『そして彼は不法な者たちと共に数えられた』ということは,わたしに成し遂げられねばならないからです。わたしに関することは成し遂げられてゆくのです」。すると彼らは言った,「主よ,ご覧ください,ここに剣が二振りあります」。[イエス]は彼らに言われた,「それで十分です」。



 イエスはここで伝道活動について述べています。言及されている事柄はルカ 9:1-6にあります。



ルカ 9:1-6

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それから,[イエス]は十二人を呼び集め,すべての悪霊を制し,さまざまな病気を治す力と権威をお与えになった。そして,神の王国を宣べ伝え,また[病気を]いやさせるために彼らを遣わして,こう言われた。「旅のために何も,杖も食物袋も,パンも銀子も携えて行ってはなりません。また,二枚の下着を持ってもなりません。しかし,どこでも家の中に入ったなら,そこにとどまり,その後そこを去りなさい。そして,どこでも,人々があなた方を迎えない所では,彼らへの不利な証しとして,その都市から出る際にあなた方の足の塵を振り払いなさい」。そこで彼らは出かけて行き,村から村へと区域を回り,いたるところで良いたよりを宣明し,また治療を行なった。



 イエスがここで言おうとしているのは、イエスが殺されたあとは迫害が生じるということでした。いったん迫害が生じると、イエスの弟子たちは自分の身を自分で守る必要が出てくるということです。一見してこの句は、武器を用いた正当防衛をイエスが指示しているように見えます。
 ところが、このあと、このように話は続きます。



マタイ 26:46-52

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
立ちなさい。行きましょう。見よ,わたしを裏切る者が近づいて来ました」。すると,[イエス]がまだ話しておられるうちに,見よ,十二人の一人であるユダがやって来た。そして,剣やこん棒を持ち,祭司長および民の年長者たちのもとから来た大群衆が彼と一緒であった。さて,[イエス]を裏切る者は,「だれであれわたしが口づけするのがその人だ。それを拘引せよ」と言って,彼らと合図を決めてあった。それで彼はまっすぐイエスのところに寄って行き,「ラビ,こんにちは」と言って,いとも優しく口づけした。しかしイエスは,「君,何のためにここにいるのか」と言われた。その時,彼らが進み出,イエスに手をかけて拘引した。ところが,見よ,イエスと共にいた者の一人が,手を伸ばして自分の剣を抜き,大祭司の奴隷に撃ちかかってその耳を切り落とした。その時イエスは彼に言われた,「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。



 イエスは、剣を携行するように勧めましたが、それを正当防衛に用いることは禁止してしまいました。
 聖書には時折、禁止を示すための許可や命令というストーリーが見られます。その代表はアブラハムの件です。この出来事もアブラハムの場合と同じように考えることができるでしょう。



創世記 22:1-13

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,こうした事があってからであるが,[まことの]神はアブラハムを試みられた。そして彼に,「アブラハムよ」と言われた。それに対し彼は,「はい,私はここにおります!」と言った。すると,続いてこう言われた。「どうか,あなたの子,あなたの深く愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に旅をし,そこにおいて,わたしがあなたに指定する一つの山の上で,これを焼燔の捧げ物としてささげるように」。
それでアブラハムは朝早く起き,自分のろばに鞍を置き,従者二人と息子のイサクを伴った。そして焼燔の捧げ物のためのまきも割った。それから彼は身を起こし,[まことの]神の指定された場所に向けて旅立った。三日目になってから,アブラハムが目を上げるとその場所が遠くから見えるようになった。そこでアブラハムは従者たちに言った,「あなた方はろばと共にここにとどまっていなさい。わたしとこの子とは,あそこまで進んで行って崇拝をささげ,それからあなた方のところに戻って来ようと思うのだ」。
その後アブラハムは焼燔の捧げ物のためのまきを取って息子イサクに負わせ,自分の手には火と屠殺用の短刀を取った。そして,二人は共に進んで行った。やがてイサクがその父アブラハムに語りかけて,「父上!」と言った。彼はそれに答えて,「わたしはここにいる,我が子よ!」と言った。それで[イサク]は続けて言った,「ここに火とまきがありますが,焼燔の捧げ物のための羊はどこにいるのですか」。これに対してアブラハムは言った,「我が子よ,神が自ら焼燔の捧げ物のための羊を備えてくださるであろう」。こうして二人は共に歩きつづけた。
ついに彼らは[まことの]神が指定された場所に着いた。それでアブラハムはそこに祭壇を築き,まきを並べ,息子イサクの手と足を縛って,祭壇の上,そのまきの上に寝かせた。次いでアブラハムは手を伸ばし,屠殺用の短刀を取り,自分の子を殺そうとした。ところが,エホバのみ使いが天から彼に呼びかけて,「アブラハム,アブラハムよ!」と言った。それに対して彼は,「はい,私はここにおります!」と答えた。すると[み使い]はさらに言った,「あなたの手をその少年に下してはならない。これに何を行なってもならない。わたしは今,あなたが自分の子,あなたのひとり子をさえわたしに与えることを差し控えなかったので,あなたが神を恐れる者であることをよく知った」。そこでアブラハムが目を上げて見ると,ずっと前方に,一頭の雄羊が角をやぶに絡めて動けなくなっているのであった。それでアブラハムは行ってその雄羊を捕まえ,自分の子の代わりにそれを焼燔の捧げ物としてささげた。



 エホバはアブラハムに自分の息子を生贄にするよう求めましたが、実際にそうすることなど考えていなかったようです。エホバとしては、自分の崇拝者が人身供儀を始めるようになることを未然に防ごうとしたものと思われます。イエスの場合もこれと同じだとすると、これを戦争を正当化する根拠にすることは到底できないでしょう。

 そもそもの話として、イエスが「剣を買いなさい」と命じた時点ですでに弟子たちは剣を持っていた、ということがあります。イエスの時代、旅をする人が剣を持つのは当然のことでした。その目的の一つに、オオカミやライオンといった肉食獣に襲われた際に自分を守る、というものがあります。イエスとその弟子たちはそういう目的にしか剣を使わなかったと思われます。ただ、イエスにしてみれば、弟子たちが剣を携行していること自体が大問題だったのでしょう。自分の死後、たびたび弟子たちに対する群衆の襲撃が起これば、やがて弟子たちは暴走して人に剣を向けてしまうのではないだろうかと心配したはずです。人間というものはえてしてそういうものですから。そこでイエスは、そういうことにならないよう一計を案じたと考えられます。






 続いて、戦争を否定するエホバの証人の教えがどのように実践されてきたかを、いくらか抜粋して見てみたいと思います。



◇ 「ものみの塔」誌『研究用』2016年11月号, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 1914年から1919年までの期間に聖書研究者(エホバの証人)たちの行なったことすべてが,聖書の原則に調和していたわけではありません。誠実に行動していましたが,政府への服従について十分には理解していませんでした。(ロマ 13:1)ですから,グループとして,戦争に関して常に中立の立場を保っていたとは言えません。例えば,米国大統領が1918年5月30日を平和のための祈りをささげる日にすると宣言した時,「ものみの塔」では,聖書研究者たちもその祈りをささげることが勧められました。債券を買って戦争を財政的に支援した兄弟たちがいますし,少数ながら,銃や銃剣を持って前線に赴いた兄弟たちもいます。
 当時の聖書研究者たちは,クリスチャンの中立について今日ほど十分には理解していませんでした。しかし,1つのことははっきり分かっていました。聖書が人の命を奪うことを禁じている,ということです。ですから,第一次世界大戦中,武器を持って前線に赴いた兄弟たちでさえ,武器を使って人の命を奪うことは断固拒否しました。その結果,戦いの最前線に送られた兄弟たちもいます。軍は彼らを殺そうとしたのです。



◇ エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 戦争期間中,個々の聖書研究者たちが直面せざるを得なかった状況は様々でした。また,そのような状況に対する彼らの対応の仕方も様々でした。中には,「現存する権威」― 彼らは世俗の支配者のことをそう呼んでいた ― に従う責務を感じ,銃や銃剣を持って前線の塹壕に行った人たちもいました。しかしそのような人も「汝殺すなかれ」という聖句を覚えていたので,空に向かって発砲したり,相手の手からただ武器を叩き落とそうとしたりしました。(出エジプト記 20:13,欽定)



◇ エホバの証人の年鑑 2015年版, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 「ものみの塔」1915年7月15日号に,あるハンガリー人兵士の経験が掲載されました。その兵士は戦場で負傷し,けがの回復を待っていた間にバプテスマを受けました。その後,再び前線に送り込まれますが,どんなことが起きたのか,記事はこう述べています。「彼ら[ハンガリーの兵士たち]はロシアの戦列の800㌳[約250㍍]の所まで近づくと,『銃剣突撃!』の命令が出た。ハンガリー人の兄弟は部隊左翼の一番端にいた。敵から身を守ることだけを考えていた兄弟は,相対したロシア兵の手から銃剣をたたき落とそうとした。その時,相手も同じことをしようとしていることに気づいた。……ロシア人兵士は自分の銃剣を地面に落とし,泣いていた。兄弟はその“敵”をよく見ると,何と上着には(エホバの証人が当時用いていた)“十字架と冠”の飾りピンが着いていた。そのロシア兵も,主にある兄弟だったのだ」。



◇ エホバの証人の年鑑 2016年版, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 戦争が続くにつれ,兄弟たちの多くが中立の問題に直面しました。英国では兵役法が可決され,18歳から40歳までの男子すべてに兵役義務が課されることになりました。しかし聖書研究者の多くは,中立の立場を貫きました。
 例えば,「ものみの塔」誌(英語)1916年4月15日号に,スコットランドのW・O・ウォーデンの手紙が載せられています。彼はこう述べました。「息子の1人は今や19歳になりました。これまで軍務を拒むことにより主について良い証言をしてきました。それで,今後も拒否すれば銃殺刑になるとしても,私は,息子が天の恩寵により真理と義の原則に固く従うものと信じています」。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 アメリカでは第二次世界大戦中に72,354人が良心的兵役拒否登録をしました。そのうち……監獄に行ったのはわずか6,086人でした。そのうち4,441人はエホバの証人です。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 第二次世界大戦中、ナチスドイツが人種一掃の主たる対象としたのは、ユダヤ人でした。一方で、ナチスによってほとんど皆殺し状態に至りながら誰一人として注目しない集団も出てきてしまいました。そのような「忘れられた犠牲者集団」の中の一つが他でもなく、あのエホバの証人なのです。
 ……ナチス政権は、1938年以後、兵役拒否者の大部分を強制収容所に送って処刑しました。その大部分がエホバの証人だったと記録されています。



◇ 戦争・ナチズム・教会, 河島幸夫 (表記等修正)

 1933年から1945年に至る第三帝国の時代に、ドイツのエホバの証人総数19,268人のうち6,019人が逮捕され、約2,000人が強制収容所に入れられた。刑務所で死亡した者635人、死刑に処せられた者203人を含めて、第三帝国において殉教したエホバの証人の死者数は少なくとも2,500人にのぼるものと推定されている。これは、ドイツ福音主義教会における殉教者総数21名にくらべると、驚くべき数字というほかない。



◇ 「目ざめよ!」誌 2003年3月8日号, ものみの塔聖書冊子協会

 暗雲の垂れ込める1937年,さまざまな思想がヨーロッパ諸国に緊張をもたらす中で,真のクリスチャンは難しい選択を迫られていました。神に従うか,それとも人間に従うかという選択です。(使徒 5:29)兵役の年齢に達していた若者たちは,神への従順を選ぶなら,命を失いかねないことを知っていました。
 アントニオ・ガルガリョという19歳のスペインの青年も,そのような選択を迫られていました。スペイン内戦が長引いてすでに約1年が経過していたころ,フランコ将軍の国民戦線軍に徴兵されたのです。アントニオは,その前年にバプテスマを受けてエホバの証人になっており,神の僕は中立を保ち,戦いを学ぶことさえしないようにという聖書の諭しを読んで知っていました。(イザヤ 2:4。ヨハネ 17:16)兵士になって同国人を殺すことなど望まなかったアントニオは,フランスに逃れようとしました。しかし途中で捕まり,フランスの国境に近いウエスカ州ハカにある兵舎に収容されました。 軍事法廷は厳しい選択を迫りました。武器を取れ,さもなくば死刑にする,と言うのです。アントニオは神に従うことを選びました。処刑される少し前に,アントニオは,エホバの証人ではなかった母親と妹に次の手紙をしたためました。
 「私は逮捕され,まともな裁判も行なわれないまま,死刑の宣告を受けました。今晩をもって地上での命を終えます。動揺したり,泣いたりしないでください……私は神に従ったのです。いずれにせよ,失うものはほんのわずかです。神のご意志であれば,より勝った新たな命を得ることになるのです。……最期が迫っていますが,心はとても落ち着いています。あなたの息子そして兄からの最後の抱擁を受け取ってください。本当に愛しています」。
 3人の兵士の証言によると,アントニオは処刑場に向かいながら,エホバへの賛美の歌を歌っていました。このような犠牲が,神やみ子によって見過ごされることはありません。わたしたちは,アントニオのような忠実なクリスチャンが,復活によって報いを受けることを確信できます。―ヨハネ 5:28,29。



◇ エホバの証人の年鑑 1996年, ものみの塔聖書冊子協会

 20歳になるラヨシュ・デリーという別の兄弟は,オーストリアとの国境から40㌔ほどの所にあるシャールバールという町のマーケット広場で,公然と絞首刑に処せられました。その様子を目撃していた一人の元役人は,1954年に,その日の出来事を思い出して次のように述べています。
 「私たちは,民間人も軍人も,大勢で西へ向かって逃げているところでした。シャールバールを通ったとき,マーケット広場に絞首台が立てられているのを目にしました。その絞首台の下には,大変感じのよい,穏やかな表情の青年が立っていました。見物人の一人に,あの青年は何をしたのかと尋ねたところ,彼は武器を取り上げることもスコップを手にすることも拒否したのだ,という話でした。その近くには,機関銃を持った矢十字党の新兵が数人いました。新兵の一人が,皆に聞こえるような声で,『これが最後のチャンスだ。銃を取れ。さもないと絞首刑だぞ!』と言いました。若者は何も答えませんでした。その言葉に対して微動だにしませんでした。それから,しっかりした声で,『絞首刑にしたければしてください。でも,私は,単なる人間よりも私の神エホバに従います』と言いました。彼は絞首刑に処せられました」。



◇ 兵役を拒否した日本人, 稲垣真美 (表記等修正)

 灯台社というキリスト者集団(現在のエホバの証人)に属した人々の……抵抗の実践でとくに注目に値するのは、その関係者のなかから(日本においては)ほかに例をみない3人の軍隊内での兵役拒否者をだしたことである。



◇ 近代日本の宗教と国家―その相克の諸相, 井上卓治 (表記等修正)

 灯台社にたいする弾圧の直接のきっかけは、明石順三の長男眞人と、灯台社幹部村本一生が、「汝、殺すなかれ」の信条に基づき、前後して兵営において、兵器の返納と宮城遥拝(きゅうじょうようはい)を拒絶するという、いわゆる兵役拒否事件である。……弾圧事件は、昭和14年6月21日払暁、明石順三以下91名の一斉逮捕によって始まった。



 これらの内容には驚かれる方が多いと思います。特に日本ではまったく取り上げられたことのない話なのではないでしょうか。

 ちなみに、当時の日本国内で、エホバの証人のことがどのように報じられていたかというと、たとえばこんな感じです。



◇ 「灯台社の後楯に恐るべき暗殺団」, 大阪時事新報 1933年5月24日, 引用は神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫」より (表記等修正・一部誤植等はそのまま)

 「神の名のもとに」の美しい仮面に隠れて全世界にその魔手を延ばし、細胞組織によってグループの獲得に努め、国際愛を提唱して帝国の危機を招来せんとする、米国ニューヨーク市に本部を有し全世界三百箇所にその支部を有する灯台社の怪るべき行動は、本紙の特報によって暴露され、全国民に異常なセンセーションを捲き起し、我が大阪を始め兵庫京都各府県特高課でも連絡を取って一味の厳重な取調べを行った結果、灯台社極東支部は神戸にあって、全世界の帝政王国の組織破壊を目的とする世界的秘密結社フラン・マッソン結社と連絡あること判明。
 マッソン結社こそ、十八世紀から全世界に活動を開始し、仏国ルイ六世を最初として、千九百十八年露国ニコラス二世、同皇后、皇太子、皇女四名を暗殺するまで、実に二十数名の君主帝王を暗殺し、その間隙に乗じて、ロシア、独逸を始め数箇国に大革命を起さしめ、遂に政体を破壊して彼等の実権下に納め、尚シモン会議の決議条項に基く指令を全世界各国に配布し、恐るべき魔手を延べていたものである。
 一九九〇年には、マッソン結社の幹部、時のフランス首相クレミウウーは、「エホバの証者」として堂々、ウィルヘルム一世、並に皇太子を暗殺している。
 殊に、彼等結社員の全力を傾けたのが、東亜ではロシアで、一八〇〇年パウルー一世を暗殺して以来、アレキサンドル一世、各宮殿下全部に爆弾を投じたのを始め、アレキサンドル二世以後、一九一八年まで近々百二十年間に、皇帝皇族重鎮等二十名を暗殺している。その他、仏国もルイ六世が一七九二年に、スェーデンでは同年グスターゴフ三世、一七九五年に墺国皇室全部を暗殺し、伊太利も一八七〇年ヨゼーフ一世、一八七一年には独逸ウィルヘルム一世、同皇太子を暗殺し、一八九八年には墺国エリザベス皇后、一九〇〇年には同フンベルト一世、一九〇五年には葡国アルフォンソ十三世、一九〇七年には西国国王及び皇太子を暗殺した。



 というわけで、今ではすっかり忘れられていることですが、戦時中には、エホバの証人の正体がマスメディアによって暴露され、その恐るべき実態に人々が戦慄を覚えたということがあったらしいです。






 さらに続いて、今度は、エホバの証人は実は平和主義者ではない、という話をしたいと思います。

 世間から全く無視されながら20世紀にもっとも平和主義を実践したという比類のない業績を残したはずのエホバの証人が、実は平和主義者ではないんだという主張は、エホバの証人自身によって唱えられ、彼らの出版物に明記されています。



◇ 「目ざめよ!」誌 1997年5月8日号, ものみの塔聖書冊子協会

 「古代のキリスト教の教理および福音書の精神全体」は本当に平和主義を唱道するものだったのでしょうか。初期クリスチャンは本当に,冒頭で述べた定義どおりの平和主義者であると言えるでしょうか。そのようには言えません。なぜでしょうか。一つには,初期クリスチャンは,神が戦争を行なう権利を有しておられることを認識していたからです。(出エジプト記 14:13,14; 15:1-4。ヨシュア 10:14。イザヤ 30:30-32)それに初期クリスチャンは,地上における神の唯一の機関として仕えていた古代イスラエルが,神に代わって戦うことを承認する神の権利に異議を唱えることは決してありませんでした。―詩編 144:1。使徒 7:45。ヘブライ 11:32-34。
 神は地球から邪悪な人を除き去る権利を有しておられるだけでなく,その公正さに基づいてそうする義務があるのです。悪を行なう者たちの多くは,その道を改めるようにとの神の辛抱強い呼びかけに決してこたえ応じないでしょう。(イザヤ 45:22。マタイ 7:13,14)神はいつまでも悪を許容されるのではありません。(イザヤ 61:2。使徒 17:30)ですからクリスチャンは,最終的に神が実力で悪人を地球から排除されることを認識しています。(ペテロ第二 3:9,10)聖書が予告しているとおり,それは「主イエスがその強力なみ使いたちを伴い,燃える火のうちに天から表わし示される時,……神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をする」時なのです。―テサロニケ第二 1:6-9。
 聖書巻末の書はこの戦いを「全能者なる神の大いなる日の戦争」,あるいはハルマゲドンと呼んでいます。(啓示 16:14,16)それによると,イエス・キリストはこの戦いを導き,『義をもって戦う』ことになります。(啓示 19:11,14,15)イエス・キリストが「“平和の君”」と呼ばれるのは当然です。(イザヤ 9:6)しかし,イエスは平和主義者ではありません。すでに天で戦争を行ない,神に反逆する敵たちを天からすべて一掃したのです。(啓示 12:7-9)まもなく,イエスは「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」ためにもう一度戦争を行なわれます。しかし,イエスの地球上の追随者たちは,この神の裁きに関与することはありません。―啓示 11:17,18。
 真のクリスチャンは平和を愛します。世界の軍事紛争,政治闘争,民族紛争などに対して厳正中立を保ちます。しかし,厳密に言って,真のクリスチャンは平和主義者ではありません。なぜでしょうか。なぜなら,真のクリスチャンは神のご意志が最終的に遂行される神の戦争を歓迎するからです。この戦争は宇宙の主権をめぐる大論争を解決し,平和の敵すべてを地上から永遠に除き去るのです。―エレミヤ 25:31-33。ダニエル 2:44。マタイ 6:9,10。



 ここで問題となるのは「平和主義」という言葉の定義です。おおざっぱに言うと、現代社会においては、あらゆる戦争に完全に反対するのでなければその人や団体を「平和主義」とは呼べないということになっているのです。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 平和主義は「pacifism」を翻訳した言葉です。pacifism は初めて使われた時から反戦主義を意味しました。
 ……整理していけば、大部分の平和愛好家が平和主義者の範疇から脱落します。



 そうすると、エホバの証人は、神が戦争を行う権利を認めているので、平和主義者とは言えないということになります。

 ところがこの話、宗教学の世界ではかなり違った受け止められ方をされてしまったらしいです。



◇ アメリカ宗教の歴史的展開―その宗教社会学的構造, フランクリン・H・リッテル (表記等修正)

 大抵のアメリカ人は……この人々の存在や活動について意識していない。せいぜい、しかもごくまれに、かつてこの人々がナチスや共産主義全体主義者たちから投獄され、残酷な処置を受け、殺されたこと、あるいは、今日でもそのような経験に遭遇している「証者」たちがいることを読んで驚き、不承不承ながら彼らに称賛をおくる人がいるくらいなものだろう。
 ……彼らは、その日が来たならば、悪魔に敵対する王国のために戦おうとしているが、現在は、投票したり、公職についたり、また兵役につかない。彼らは無抵抗主義キリスト教徒というよりはむしろ、待機している「マカビー的キリスト教徒 * 」なのである。(* 古代ユダヤのマカバイ家のような、つまり反乱蜂起を志すキリスト教徒)



 エホバの証人は、近い将来、ハルマゲドンの戦いのために武装蜂起するつもりなのだそうです。
 そしてさらにどういうことになっているかというと……



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 (エホバの証人について最初に書いた時、)主にアメリカ側の資料だけを利用したので、その影響は少なくありませんでした。たとえば私は本の中で「エホバの証人がいわゆるアルマゲドン戦争への参戦を認めているという点で伝統的なキリスト教平和主義とは区別される……」と書きましたが、この部分について(韓国の)エホバの証人から強い抗議を受けたこともありました。彼らによれば、アルマゲドン戦争……の話はすべて根拠のない内容だというのです。
 もちろん、根拠が本当になかったわけではありません。関連分野の専門書籍を読んで脚注をつけただけでなく、アメリカのエホバの証人から出された公式冊子を参考にすることまでしたからです。しかし、同じエホバの証人とは言っても、韓国とアメリカの間に立場の違いがありうりることを考慮せず、韓国側の資料を調べもしなかったことは明らかに私の落ち度でした。アメリカ側のエホバの証人がキリスト教平和主義の立場でないからと言って、韓国もそうだというわけではないはずなのに、即断してしまったわけです。



 ……というわけで、今のところ、エホバの証人はハルマゲドンでの武装蜂起をもくろむ怪しい宗教だが、韓国のエホバの証人だけはそこらへんが根本的に違う、ということになっているらしいです。






 というわけで、韓国のエホバの証人の話もしておきたいと思います。(この部分は2018年12月時点の内容になります。)

 韓国のエホバの証人は、兵役拒否にかかわる迫害のためにたいへんな思いをしていますが、日本のエホバの証人を含め、ほとんどだれもその実態を知らないという悲しい現実があります。

 韓国では割と最近まで、兵役を拒否する人の100パーセントがエホバの証人であるという状況が続いていました。彼らは、兵役を拒否すると、軍に拉致され、暴力を振るわれ、裁判にかけられて有罪となり、刑務所で毎日暴力を振るわれ、出所後は社会から人間扱いしてもらえず、それで就職先が見つからないので日雇いの仕事でなんとか食いつなぎ、家に電気も通わないくらいの貧しい生活を送ってきました。
 しかし、今は状況が大きく変化しつつあります。



◇ 「平和主義」とは何か, キム・ドゥシク (表記等修正)

 韓国で良心的兵役拒否と関連して処罰を受けたと思われる最初の朝鮮人は1939年、日本の「灯台社」事件で投獄されたオク・ウンニョンとチェ・ヨンウォンです。
 ……日本で、オク・ウンニョンらが検挙されて以降、6月29日にはオク・ウンニョンの兄であるオク・イェジュンとオク・シジュンが逮捕され、翌年9月には彼の父オク・ケソン、義姉イ・ジョンサン、キム・ホンニョらもすべて逮捕されます。
 ……日本と朝鮮の両方で最後まで転向しなかった者には重刑が言い渡されました。

 ……1974年からは法務庁の職員がエホバの証人の集会場所である王国会館を包囲し、徴集年齢に属する人を令状もなしに軍部隊に強制入所させました。……キム・チャンシクさんの場合、大田三管区憲兵隊で過ごした90日はこれ以上ない過酷な時間でした。90日間ずっと、腕立て伏せ、「元山爆撃(後ろに手を組んだまま、体を曲げて頭を地面につける動作)」が続き、憲兵棍棒で手のひら、胸、足の裏をそれぞれ50回ずつ、合わせて150回たたかれた日もありました。

 ……セブンスデー・アドベンチストが兵役拒否の伝統を放棄したため、エホバの証人は1975年以後、唯一の兵役拒否集団として残ることになりましたが、軍事独裁政権は最後まで残った兵役拒否者に対処するために、さらに極端な暴力行為に及びました。1976年に強制入営させられ、陸軍第三九師団憲兵隊の営倉で殴るけるの暴行を受けた後、亡くなったイ・チュンギルさんはこの強化された暴力の犠牲者でした。

 ……2001年2月、『ハンギョレ21』(韓国を代表するリベラル雑誌)が良心的兵役拒否と代替服務制度導入のためのキャンペーンを開始すると、3月1日には声優のヤン・ジウン氏が自らエホバの証人であることを明かし、息子が兵役拒否で刑務所に入っていることを公表しました。



 韓国で状況が大きく進展するきっかけとなったのは、エホバの証人でない兵役拒否者が現れるようになったことです。この点については、「韓国における良心的兵役拒否に関する考察」と題する論文を見てみましょう。



◇ 韓国における良心的兵役拒否に関する考察―憲法裁判所の決定と国連諸機関における議論を中心に, 申鉉哂 (表記等修正)

 韓国における良心的兵役拒否に関する研究は,良心的兵役拒否が本格的に社会公論化された2000年から始められた。

 大韓民国政府が樹立された後には朝鮮戦争勃発によって本格的な徴兵制が始まり,これに再臨教会やエホバの証人の信者たちは宗教的信念によって兵役を拒否した。また,朴正熙大統領による維新体制以降には徴兵制が強固になり,強制入隊が実施されて兵役拒否者の刑量が増加する等,その処罰が苛酷になった(ハン・ホング [2008])。
 ところが,兵役拒否者の権利や制度改善に対する議論が公論化されず,このような現象があることさえ社会的に認識されなかった。その理由としては,兵役の義務を韓国の国民としての市民的義務と同一視しながら神聖な聖域として扱う韓国社会の過度な軍事主義とそれに基づいた国家安保優先の論理,プロテスタント的影響が強い韓国社会でキリスト系が有する異端宗教に対する烙印と保守キリスト系の国家主義的理念との深い結合,大多数の兵役拒否者を占めていたエホバの証人の政治的中立性の原則や平和運動の不在などが挙げられる。そして,このような理由の為,良心的兵役拒否が公論化され始めた 2000 年以前の韓国では,良心的兵役拒否に関する学術的研究も行われることがなかったのである。
 ……韓国においても良心的兵役拒否者の大多数は「エホバの証人」の信者で,宗教的理由で兵役を拒否する場合がほとんどである。そのため,彼らは究極的に社会統合を阻害し,国家安保を脅威する危険な集団であるという認識が韓国社会において拡散されてきた。ところが,2001年12月,仏教信者でありながら市民運動家であるオ・テヤン氏の兵役拒否をきっかけにして,ただ本人の信念による兵役拒否運動に関しても注目されるようになった。……上述したように,彼の登場までの兵役拒否者の主流は「エホバの証人」であり,彼らに対する韓国社会の否定的な認識のために社会運動団体さえ良心的兵役運動には距離を置いていた。ところが,彼の登場を通して兵役拒否問題は「エホバの証人」だけの問題ではなく,普遍的な良心の問題であることが証明され,特定宗教―良心的兵役拒否者はみんな「エホバの証人」―に限定される問題ではないことが明らかになった。



 韓国では、兵役拒否者がエホバの証人であるうちは、人権団体でさえも兵役拒否者の人権の問題にかかわろうとしないというお寒い状況がみられていました。ところが、エホバの証人でない兵役拒否者が現れたことで、状況は一変し、兵役拒否者の人権の問題は前向きに論じられるようになりました。

 これは、露骨に言えば、エホバの証人は無視された、ということです。これはなかなかひどいのではないでしょうか。
 そして、この論文はこのように話を続けます。



◇ 韓国における良心的兵役拒否に関する考察―憲法裁判所の決定と国連諸機関における議論を中心に, 申鉉哂

 本節では,「エホバの証人」という特定宗教ではなく,自身の信念によって兵役を拒否した人々のうち,3人(オ・テヤン氏,ガン・チョルミン氏,キム・ギョンファン氏)の良心的兵役拒否者たちの事例を中心に,2000年以降韓国社会において良心的兵役拒否運動が本格的に始まって以来,兵役拒否者たちはどのような思想で兵役を拒否したのか,また,彼らの兵役拒否による韓国社会の動きはどのようなものだったか,その実態について考察する。



 この論文もまたしかり、という感じです。
 韓国ではいま兵役拒否者の人権侵害の問題に対する取り組みがみられていますが、エホバの証人のことはなるべく無視するよう努力しながら取り組んでいます、という感じです。それでも、兵役拒否者の大多数がエホバの証人である以上、結局はエホバの証人の話になってしまうというのが、今の韓国でのこの話の進み方です。

 そして、ついに時が訪れることになります。



◇ 韓国の大法院で歴史的な判決, jw.org ニュースルーム 2018年11月1日

 2018年11月1日木曜日,韓国の大法院は9対4で,良心的兵役拒否を無罪とする判決を下しました。今や,宗教信条による良心が,入隊を拒否する「正当な理由」とみなされるようになったのです。



◇ 韓国の兄弟たちが釈放される, jw.org ニュースルーム 2018年11月30日

 韓国支部の報告によると,2018年11月30日,57人の兄弟たちが刑務所から釈放されて家族との再会を果たしました。



 これはたいへん良いことだと私は思うのですが、こうなってくると次に気になるのは、この先、エホバの証人をなにかにつけ人間扱いしないという韓国社会の風潮は改善されるのか、ということです。
 当面はあまり変わらないのでしょう。もしかすると永遠に変わらないかもしれません。