新世界訳
エホバの証人の聖書

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裁き人(士師記) 11:40

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
すなわち、年ごとにイスラエルの娘たちは出かけて行き、年に四日ずつギレアデ人エフタの娘をほめるのであった。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
これによって年々イスラエルの娘たちは行って、年に四日ほどギレアデびとエフタの娘のために嘆くことがイスラエルのならわしとなった。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
来る年も来る年も、年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。



 ここは、義人エフタが自分の娘を「焼燔の捧げ物」として神に捧げるという約束を果たすという記述ですが、話の締めくくりの表現が微妙であることから、話全体が異なる意味に読まれてきました。



○ エフタの娘を巡る解釈の対立

『エフタの娘は人身供犠によって殺された』

『エフタの娘は神殿で祭司に仕える奉仕者となった』



 聖書はエフタを義人として描いており、さらに、エホバの霊によって彼は誓いを立てたと述べていますので、その彼が人身供犠をしたとするなら、結果的にそれはエホバによる残虐行為であるということになります。



裁き人(士師記) 11:29-31

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
この時エホバの霊がエフタに臨んだ。彼はギレアデとマナセを通り,ギレアデのミツペを通って行き,ギレアデのミツペからアンモンの子らのところへ進んで行った。その時エフタはエホバに誓約をしてこう言った。「もしアンモンの子らを間違いなくわたしの手に与えてくださるならば,わたしがアンモンの子らのもとから無事に戻って来た時にわたしの家の戸口から迎えに出て来る者,その出て来る者はエホバのものとされることになります。わたしはその者を焼燔の捧げ物としてささげなければなりません」。



 新世界訳聖書はこの記述を人身供犠の記述とは読みませんでした。一方、新共同訳聖書ははっきりと逆の読みを示しています。



◇ 「聖書に対する洞察」, ものみの塔聖書冊子協会 (表記修正)

 一部の批評家や学者たちはその誓約のことでエフタを非難してきました。そのような人たちはエフタが他の諸国民の慣行に倣って,自分の娘を人間の焼燔の捧げ物として火で焼いたと考えているのです。しかし,そうではありません。文字通りの人身供犠であったとしたら,それはエホバに対する侮辱であり,神の律法に反する嫌悪すべき事柄です。神はイスラエルに次のような厳重な命令をお与えになりました。「あなたはそれら諸国民の行なう忌むべき事柄を見習ってはならない。あなたの中に,自分の息子や娘に火の中を通らせる者……がいてはいけない。すべてこうした事を行なう者はエホバにとって忌むべきものであり,これら忌むべき事柄のゆえにあなたの神エホバは彼らをあなたの前から打ち払われるのである」。(申 18:9-12)エホバはそのような人を祝福するのではなく,のろわれます。エフタが戦っていた当のアンモン人は,自分たちの神モレクに対する人身供犠を習わしにしていました。―王二 17:17; 21:6; 23:10; エレ 7:31,32; 19:5,6と比較。

 ……覚えていなければならないのは,その時エフタの上にはエホバの霊があったという点です。これはエフタが軽率な誓約をしてしまうことを阻むものとなったでしょう。では,エフタに勝利の祝いを述べようとして彼を迎えに出て来る人は,どのように「エホバのものとされ」,「焼燔の捧げ物として」ささげられるのでしょうか。―裁 11:31。人を聖なる所に関連したエホバへの全き奉仕にささげる,ということはあり得ました。それは親が行使できる権利でした。サムエルはそのような人でした。誕生前から母親ハンナの誓約によって幕屋で仕えることが決まっていたのです。この誓約については夫のエルカナも承認していました。サムエルが乳離れするとすぐ,ハンナは聖なる所でサムエルをささげました。ハンナはサムエルを連れて来る時に,動物の犠牲も携えて来ました。(サム一 1:11,22-28; 2:11)サムソンも,やはり子供の時にナジル人として神への奉仕のために特別にささげられました。―裁 13:2-5,11-14。民 30:3-5,16 (共同訳系聖書では 30:4-6, 17) に略述されている,娘に対する父親の権威と比較。エフタは,当時シロにあった聖なる所に自分の娘を連れて行った時,娘を差し出すと共に動物の焼燔の捧げ物をささげたに違いありません。

 ……エフタの娘は自分が死ぬことについてではなく,「処女であること」について泣き悲しみました。イスラエル人の男女はだれしも,子供をもうけて家名と相続地を存続させることを願っていたからです。(裁 11:37,38)不妊は災いとされました。しかし,エフタの娘は「男と関係を持つことはなかった」のです。この言葉は,誓約がそのとおりに行なわれる前の時期だけのことだったとしたら,不必要な言葉であったことになります。彼女は処女であったとはっきり述べられているからです。それが誓約の履行に関して述べられた言葉であることは,それが「彼は,娘について自分が立てた誓約をそのとおりに行なった」という言葉のあとに続いていることから分かります。実のところ,記録は,誓約がそのとおりに行なわれた後も彼女が処女性を保ったことを指摘しているのです。―裁 11:39。欽定; ドウェー; ヤング; 新世それぞれの訳と比較。

 ……ここで用いられているヘブライ語のターナーという言葉は,裁き人 5章11節にも出ており,その箇所では,『語る』(新世),「詳しく述べる」(欽定),「語った」(聖ア),「繰り返して語る」(改標)などと様々に訳されています。その言葉は,ヘブライ語・カルデア語辞典(B・デーヴィス編,1957年,693ページ)では,「繰り返して語ること,詳しく述べること」と定義されています。ジェームズ王欽定訳では,裁き人 11章40節のこの語が「嘆き悲しむ」と訳されていますが,欄外には「一緒に話す」という読み方が挙げられています。エフタの娘は聖なる所で他のネティニム(聖なる所での奉仕にささげられた「与えられた者たち」)と同じような奉仕をしたに違いありませんが,彼女にできる仕事は沢山ありました。それらの人たちは,薪を集めたり,水をくんだり,修繕作業をしたりしたほか,そこの祭司やレビ人たちを助ける者としてさらに多くの仕事を行なったに違いありません。―ヨシュ 9:21,23,27; エズ 7:24; 8:20; ネヘ 3:26。



◇ 岩波訳聖書 (旧約聖書翻訳委員会訳聖書), 士師記(裁き人) 11:40 脚注

 原文は「唱えるため、復唱するため」あるいは「くり返すため」で、「悼んで」(新共同訳)という意味はない。七十人訳は「悼むため」。



◇ 岩波訳聖書 (旧約聖書翻訳委員会訳聖書)(分冊版), 解説

 全焼の供犠として献げるのは、通常は子山羊などの小動物である。人間を全焼の供犠として献げることは、イスラエルの伝統から言えば、忌むべき異教の慣習であった(王下二三10、エレ三二35)。……申命記史家が、約束の地での歴史を語る場合、人間を全焼の供犠として献げる行為を、恐れとおののきを感じないまま叙述したであろうか(創二二章)。このドラマを読む読者は、文字通り娘を全焼の供犠として献げたと解するかもしれない。しかしヤハウェに忠実であったエフタの行為を描く際に、異教的な儀礼をそのまま適用したとは考えにくい。申命記史家の構想による歴史叙述を、この出来事の叙述においても想定しなければならないであろう。……私見によれば、エフタの娘は、「ヤハウェのもの」とされたのであり、いわば儀礼的に全焼の供犠として献げる者(祭司)とされ、その生涯を神に捧げられたと訳しうる。……エフタの娘に「処女のままであることを嘆かせて下さい」と告白させていることに注意を引かれる。



 ここで用いられている語の直接的な意味は「(繰り返し)語る」というもので、「嘆く」という意味合いはないようです。しかし、ギリシャ語七十人訳聖書(セプトゥアギンタ訳聖書)はここを「嘆く(もしくは、悼む)」と訳出していますので、新共同訳聖書の側にもそれなりに言い分があるということになります。






 エフタの娘と似たような問題は聖書に複数あります。



サムエル第一 1:11

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
そこで,彼女は誓約をして言った,「万軍のエホバよ,もしあなたがこの奴隷女の苦悩を必ずご覧になり,実際に私を覚えてくださり,この奴隷女をお忘れにならず,実際にこの奴隷女に男の子をお授けくださいますなら,私はその子をその一生の間エホバにおささげ致します。決してかみそりをその頭に当てることはありません」。



 ここは、サムエルが捧げものとされるという記述です。しかしこの場合、サムエルがどう扱われたかは聖書自身が明らかにしていますので、人身供犠が行われたと考えることはできません。



ローマ 12:1

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
そのようなわけで,兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。



 これは、クリスチャンに対する聖書の命令です。聖書がこのように命令しましたが、当時のキリスト教徒はだれも人身供犠を行いませんでした。キリスト教の思想において人身供犠などということは全くあり得ない行為だからです。この言葉は「神への奉仕に専念する生き方をしなさい」という意味に解釈されました。

 このような聖書の事例がありますから、エフタの娘の場合についても同じように考えることができます。もしかすると、古代のイスラエルには「神への奉仕に専念する生き方をする」ことを指す慣用表現として「焼燔の捧げ物とする」という言い回しがあったのかもしれません。そうすると、「エフタの娘は人身供犠で死んだ」と読むのは読み過ぎということになります。七十人訳がここを「嘆く」と訳出した件についても、エフタの娘が処女であることを嘆いたという意味に読む方がよいということになるでしょう。






 これに似た他の事例としては義人の同性愛者疑惑があります。

 ダビデの場合、友人であるヨナタンについてこのような記述があることが根拠となります。



サムエル第一 18:1

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,彼がサウルと話し終えるや,ヨナタンの魂がダビデの魂と結び付き,ヨナタンは自分の魂のように彼を愛するようになったのである。

サムエル第二 1:26

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
「わたしの兄弟ヨナタン,わたしはあなたのために苦しんでいる。あなたはわたしにとって非常に快い人だった。あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった。



 イエスについては、有名な最後の晩餐についてこのような記述があることが根拠となります。



ヨハネ 13:1

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
さてイエスは,過ぎ越しの祭りの前に,自分がこの世を出て父のもとに行くべき時が来たことを知ったので,[それまでも]世にあるご自分の者たちを愛してこられたのであるが,彼らを最後まで愛された。

ヨハネ 13:21-25

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
これらのことを言ったのち,イエスは霊において苦しまれ,証しをして言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,あなた方のうちの一人がわたしを裏切るでしょう」。弟子たちは,だれについて[そう]言っておられるのかと戸惑いながら互いを見まわした。イエスの懐の前に弟子の一人が横になっており,イエスはこれを愛しておられた。それゆえ,シモン・ペテロはこの者にうなずいて合図をしながら言った,「だれのことを言っておられるのか話しなさい」。それで,その者はイエスの胸もとにそり返って言った,「主よ,それはだれですか」。



 このような、聖書やその義人さらには神にとって屈辱的な聖書解釈には共通の傾向が見いだせます。全体的な状況を考えるよりも特定の語句にその根拠を求め、しかも、その語句は読み手の気分次第で意味が大きく変わるという傾向です。

 こういった主張に接したときは、その人や状況ということを考えることが必要です。そして、もっと善意ある解釈はないものかと考えることも必要です。もしそれができないとするなら、それはその人の意地の悪さであり、欠陥ではないかと私は思います。






◆ ナチスドイツとエホバの証人の協調関係疑惑

 話は変わりますが、エホバの証人に反対する人たちの中には、かつてエホバの証人がナチスドイツに対する全面的な支持と服従を表明したことがあると指摘する人がいます。今検討したことの応用としてこの問題を考察してみましょう。

 問題にされているのは1933年の大会です。この年、エホバの証人はドイツ政府から活動を禁止され、困った状態にありました。そこで証人たちは、この禁止令を撤回するようドイツ政府に求める決議を採択するために集まりました。
 人によって多少の違いがあるようですが、反対者たちはこのように主張しています。



○ ナチスとの関係についての反対者の主張

1.1933年の大会の大会でエホバの証人はかぎ十字の旗を使用し、自分たちがナチスの支持者であることをアピールした。

2.この大会でエホバの証人はドイツの国歌を斉唱し、ドイツに対する忠誠を表明した。

3.この大会で採択された決議はエホバの証人がナチスに対する全面的な協力を行うことを申し入れるものであった。

4.この時ナチスがエホバの証人の申し入れを受け入れていたなら、エホバの証人はナチスドイツの忠実な飼い犬となっていただろう。



 ここで基本的な状況を考えてみましょう。
 エホバの証人はすでに50年ほどの歴史を持っており、すでにその宗教としての性質は確定していました。そして、当時エホバの証人が自分たちの教えとし、また真剣に考えていたのは、自分たちはナチスドイツを含めた全ての国の政府に対して「聖書の教えに反するのでない限り従順でなければならない」ということでした。逆の言い方をすると、「聖書の教えに反する場合は断固妥協しない」ということです。
 エホバの証人という宗教の信条の固さや信徒たちのまじめさについてある程度知っている人なら、「果たしてあのような人たちが全面的な服従をナチスに申し入れるということがあったのだろうか」と思わずにはいられないでしょう。エホバの証人について詳しく知っている人なら「そういうことは全く考えられない」とはっきり言うでしょう。もし、1933年に開かれた大会が上に述べたようなものであれば、証人たちは大騒ぎしてその大会を阻止しにかかり、決議も破棄されてしまったはずです。

 個別の状況を見てみましょう。エホバの証人がかぎ十字の旗を使用したという話はどうなのでしょうか。これについては当時撮影された写真があります。見たところ、かぎ十字は掲げられていないようです。
 ここでは当時の状況を写真で知ることが重要になってきます。もしあなたがエホバの証人の歴史をよく知っており、こういう写真も見たことがあるという人であれば、反対者の主張を聞いても「あれ? この話はおかしい」と思うでしょう。しかし状況を知らない人であれば、「なるほど」と言って反対者の説明を受け入れてしまうかもしれません。
 さらに詳しく状況を見てみましょう。この件についてものみの塔聖書冊子協会はこのようにコメントしています。



◇ 「目ざめよ!」誌1998年7月8日号

 しかし建物の外側に旗が掲げられていたということはあり得ます。大会前の6月21日,水曜日,ナチの実戦部隊が同ホールを使用していました。その後,大会の前日には,SS(親衛隊員,つまり元はヒトラーの黒シャツ護衛隊員),SA(突撃隊員)その他の人々と共に大勢の若い人たちが,近づいた夏至を祝いました。ですから,日曜日に大会会場に到着した証人たちを迎えたのは,かぎ十字の旗で飾られた建物の光景だったかもしれません。たとえそのホールの外側や廊下,さらには内側さえかぎ十字の旗で飾られていたとしても,証人たちはそうした旗をそのままにしておいたことでしょう。今日でも,エホバの証人が集会や大会のために公共の施設を借りる場合,国家の象徴を取り外したりはしません。しかし証人たちが自ら旗を掲げる,あるいはそれに敬礼するということを示す証拠はありません。



 ここで注目すべき点は2つあります。
 一つはエホバの証人の大会の直前にナチスがその会場を使用していたことです。この状況を知っていれば、もし会場内にかぎ十字が見られたとしても、エホバの証人がそれを掲げたのだと考えることは難しくなるでしょう。
 もう一つは、旗に対するエホバの証人の神学的スタンスです。エホバの証人は国旗などの旗にはその正しい用い方があると考えています。旗を崇拝したり、旗に忠誠を唱えることは問題と考えますが、旗の使用自体は問題ありません。たとえば「ものみの塔」誌1977年4月15日号は、エホバの証人が「自分の職場での旗の揚げ降ろしをする」というような行為について、特定の状況においてでなければ神学上の問題とはならないと述べています。
 エホバの証人が大会を開くような場合、会場内に国旗が掲げられていると証人はなるべくその国旗を降ろすようにしますが、それは会場の管理者がそうすることを認めればの話です。こういったことはケースバイケースですので、エホバの証人の大会会場に旗があるというだけことでものごとを一概に論じることは困難です。1930年代のエホバの証人の旗に対する見方は現在のものより甘いものでしたので、これはますます困難であるということになります。
 エホバの証人の歴史的大会のひとつに1922年にアメリカのシーダーポイントで開かれたものがあります。この大会の写真はしばしばエホバの証人出版物に掲載されますが、よく見ると会場内にアメリカ国旗があります。この写真のような事例があるのですから、ドイツで開かれた大会は会場内の旗が全て撤去されただけましというものです。
 国歌の斉唱についてはどうでしょうか。これについてものみの塔聖書冊子協会はこう述べています。



◇ 「目ざめよ!」誌1998年7月8日号

 その大会は証人たちの宗教的な歌の本の「シオンの栄えある希望」という題の64番の歌で始められました。その歌詞はヨーゼフ・ハイドンが1797年に作った曲に合わせて作られたもので,64番の歌はいずれにしても1905年以来,聖書研究者の歌の本に載せられていました。1922年,ドイツ政府はハイドンのメロディーにホフマン・フォン・ファレルスレーベン作の歌詞をつけて国歌にしました。それでも,ドイツの聖書研究者たちは,ほかの国の聖書研究者たちと同様,依然として64番の歌を時々歌っていました。
 シオンに関する歌を歌うのはナチを懐柔しようとする試みであるとは,まず解釈できないでしょう。反ユダヤ主義のナチから圧力を受けた他の諸教会は,「ユダ」,「エホバ」,「シオン」などのヘブライ語の言葉を賛美歌や祈祷式文から削除しましたが,エホバの証人はそうしませんでした。



 ここで知っておくべき点は、当時のエホバの証人の賛美歌集がクラシックのメロディーを流用したものであったことです。ドイツ国歌もクラシック曲の流用ですので、メロディがかぶることもあったということです。同じメロディの曲を別の歌詞で歌うことの意義はその歌詞の違いにあります。賛美歌の趣旨はエホバを賛美しエホバに忠誠を表明することであって、国家にそうすることではありませんから、ドイツのエホバの証人にとってこの賛美歌を歌うことには特別な意義がありました。
 また、ナチスは賛美歌から特定のヘブライ語句を削除するよう諸教会に命じていましたが、エホバの証人がそれに従わなかったという点にも注目できます。

 決議文についてはどうでしょうか。これについては、決議文そのものを見てその状況を察することが大切であると思います。
 ここでわかりやすいたとえ話をしてみましょう。あなたはこのところ健康上の理由により生活が困難になっている人だとします。しかし政府が補助金を出してくれましたのでなんとかやっていくことができていました。ところが突然政府の政策が変更になって補助金の支払いが停止されることになってしまいました。これはあなたにとって死活問題ですので、なんとか補助金の支払いを再開してもらうために嘆願状を出すことにしました。なんとか嘆願を聞いてもらえるようにということを一生懸命考えていろいろなことを書きましたから、政府を褒めているのかけなしているのかよくわからないような嘆願状ができあがってしまいました。さて、このような嘆願状をあなたが政府に送ったということは、あなたが政府に対する全面的な服従を申し入れたということでしょうか。このような嘆願状の内容を読んだ人は、これはあなたが政府に全面的な協力を申し入れたものであると思うでしょうか。ふつうの感覚ではそういうことにはならないと思います。たとえ文面に言い過ぎるところがあるとしても、よほどのことがない限り、そういう結論は出てこないでしょう。こういうふつうの感覚があれば、反対者がもっともらしくその種のことを唱えても、「それは違うのではないか」ということを考えるでしょう。
 それに加えて知っておきたい要素がいくつかあります。エホバの証人はこれまで様々な政府に対して、「自分たちは国家に対して無害な宗教団体である」ということを繰り返しアピールしてきました。このような時、エホバの証人は政府の掲げる特定の政策を褒めたりそれに感謝したりすることがあります。ちょうどこのころはヒトラーが首相になってまだ半年にならないという局面でしたから、エホバの証人としてはヒトラーにお世辞を述べるという行為に深刻な問題を見いだすことはありませんでした。また、全く当然のこととして、エホバの証人はあらゆる政府に対して自分たちの従順を約束します。それで、ある程度ドイツの状況が悪くなるまで、エホバの証人の行動は定式通りだったと言うことができます。
 このような言動が聖書の価値観によっていることを知ることも重要です。関係している聖句は多くありますが、たとえばパウロの場合について「ものみの塔」誌1991年2月1日号はこのように解説しています。



◇ 「ものみの塔」誌1991年2月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 わたしたちはどのように政治支配者を敬いますか。一つの方法は,深い敬意をもって彼らに接することです。(ペテロ第一 3:15と比較してください。)また,政治支配者はたとえ邪悪な者であるとしても,その立場のゆえに彼らに敬意を示すべきです。ローマの歴史家タキツスは総督のフェリクスを,「どんな悪事でも罰を受けずにやりおおせると考えていた」人物と評しました。それでもパウロは,深い敬意を示しながらフェリクスの前で自分の弁明を始めました。パウロは王ヘロデ・アグリッパ2世にも同じ深い敬意を示し,王が近親相姦を行なっていることを知っていながら,「あなたの前でこの日に自分の弁明ができますことを幸いに存じます」と言いました。同様に,総督のフェストは偶像崇拝者だったにもかかわらず,パウロは「閣下」と呼びかけて,フェストに敬意を示しました。―使徒 24:10; 26:2,3,24,25。



 聖書の考え方では、政府に、特に背教者や迫害者である政府に対してキリスト教徒が敬意を示すことは正しいことです。こういった政府に対して感謝したりお世辞を述べたりすることは自分たちに器量があることの表明となります。特にキリスト教徒を殺してしまうような政府に対しては、税を支払うだけでなく貢ぎ物もしなければならないと聖書は述べています。
 ガンジーは不服従と非協力の精神を説きましたが、それさえも間違っているとするのが聖書の貴い教えです。エホバの証人は聖書がそういう教えを説いていることをよく知っていましたから、その貴い教えに従って、たとえヒトラーに対してであってもできる限りの従順を示したいと思いましたし、実際にそうしました。

 後にナチスはエホバの証人をユダヤ人強制収容所に入れ、さんざん迫害した末に、エホバの証人の従順が度を超したものであることに気づくようになります。たとえば、収容所内のエホバの証人を収容所の入り口まで連れて行ってお金を持たせ、町まで行ってあれとこれとを買って戻ってくるようにということを命じると、証人たちはみなその通りにし、収容所まで帰ってきたそうです。ユダヤ人の囚人ならお金を持って逃げてしまうところです。
 このようにしてエホバの証人が政府に対する従順を繰り返し表明した結果、強制収容所のエホバの証人は2つの名誉を獲得するようになります。一つはナチ親衛隊のひげ剃りの仕事です。ある時期から、収容所内で働いているドイツ人や親衛隊員のひげ剃りはエホバの証人が行うということになりました。もしユダヤ人の囚人にそのようなことを任せたら、ひげ剃り用のナイフで斬りかかられるかもしれませんから。しかしエホバの証人なら全く安心だということに彼らは気づきました。もう一つの名誉は子供たちの世話です。アウシュビッツの所長をはじめとする多くのナチス関係者が収容所のエホバの証人を家に呼んで自分の子供の世話をさせました。ユダヤ人の囚人に子供を預けたりしたらその子は死体となって帰ってくるかもしれませんが、エホバの証人についてそのような心配はありませんでした。それどころか、エホバの証人はたいへん熱心に子供の世話をし、そのうえ読み書きを教えたりしつけをしたりもするので、ドイツ人の家政婦を使うよりもエホバの証人を使う方が断然いいということになりました。
 では、エホバの証人はナチスドイツに全面的な服従をしたのかというと、そうではありません。証人たちは「ハイル・ヒトラー」と言うことを断固拒否しましたし、兵役にも応じませんでした。それで彼らは強制収容所に入れられることになったのですが、収容所内でもやはり「ハイル・ヒトラー」と言うことを一切拒否しましたので、毎日のように激しく迫害されました。ナチスはエホバの証人を処刑する時に銃殺刑ではなくギロチン刑を用いたりしました。しかも、処刑の際には顔を上向きにしてギロチンにかけたといいますからその恐怖は並のものではなかったと思います。このようなやり方で収容所の証人たちを一人ずつ処刑していったのに、それでも証人たちはくじけないで、政府に対する従順という原則を貫き、迫害者に奉仕しました。こうして、エホバの証人とナチスドイツとの間にはむしろ堅い信頼の絆が育まれるようになったとさえ言われています。

 それですこし話が脱線しますが、終戦後、ヒトラーの腹心であるヒムラーの手紙にこんな記述があることが発見されています。



◇ ヒムラーがエルンスト・カルテンブルンナーに送った手紙 (「目ざめよ!」誌1993年4月22日号)

 最近得た情報と観察した事柄からある計画を立ててみたので,君にも注意を払ってもらいたい。それはエホバの証人に関することである。……ロシアの広大な領土を征服した暁に……我々はどのようにロシアを支配し制圧するか。……すべての宗教と反戦主義者のグループを支援しなければならない。……その中でもとりわけ,エホバの証人の信条をである。後者の特質が我々にとって非常に都合が良いことはよく知られている。彼らは,兵役や戦争に関連する事柄を一切拒否するという点を除けば……非常に信頼できる人々である。大酒を飲まず,たばこも吸わない。働き者で,まれに見る正直者である。彼らは口に出したことは必ず守る。これらは理想的な特質……,うらやましい性格である。



 エホバの証人のナチスに対する従順は、ヒムラーをしてここまで言わせるほどのものでした。
 戦後、ナチス将校たちが裁判にかけられると、出廷したエホバの証人は証言を拒否したり、逆に彼らの命乞いをしたりしたそうです。こうして、ドイツのエホバの証人は自分たちの迫害者に善をもって報いたのです。

 こうして当時の状況をいろいろと見てみると、反対者たちがしていることは誤解を広めることにほかならないということが分かります。
 エホバの証人は自分たちの直面する問題に聖書にしたがって対処します。それは、証人たちが聖書の教えに反しない限りナチスに従順であることや、ナチスに対して恭しくし、褒め言葉さえ述べることを意味していました。しかし、聖書の教えに反するところでは、エホバの証人は決してナチスに従いませんでした。問題となっている決議はそのような考え方に基づいて作成されています。反対者たちはその状況を利用して、エホバの証人がナチスに対する全面的な服従を表明したかのように語ります。この違いを考えるとき、ここで考慮している点、つまり『状況をどう捉えるか』ということがいかに大きな要素であるかということがよく分かるのではないでしょうか。

 数年後、エホバの証人とナチスとの間でひとつの事件が起こっています。事件の前提となった状況について「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」という本はこのように説明しています。



◇ エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々, ものみの塔聖書冊子協会

 ある時,ゲシュタポは証人たちの業をやめさせる全国的な運動を起こし,数多くの証人たちや関心を持つ人々を逮捕しましたが,それからわずか数か月後の1936年12月12日,証人たち自身が一つの運動を繰り広げました。印刷された何万部もの決議文を電撃的な速さでドイツ中の人々の家の郵便受けやドアの下に入れたのです。その決議文は,クリスチャンの兄弟姉妹たちに加えられている残虐な仕打ちに抗議する内容でした。配布が始まってから1時間もたたないうちに警察は必死になって配布者たちを捕まえようとしましたが,捕まったのはドイツ全体で10人ほどにすぎませんでした。
 役人たちは,ナチ政府が業を押さえ込もうと手を尽くしたのにそのような運動を実行できたことにショックを受けました。さらに,彼らは民衆を恐れるようになりました。なぜでしょうか。それは,警官や制服姿の他の役人が家々を回って,そうしたリーフレットを受け取ったかと住人に質問すると,ほとんどの人が受け取っていないと答えたからです。実際,大多数の人は受け取っていませんでした。リーフレットは一つの建物につき二,三家族にしか配られていませんでした。しかし,警察はそのことを知らず,どの家の玄関にもリーフレットが1枚ずつ置かれたものと思い込んだのです。
 その後の数か月間,ナチの役人たちはその印刷された決議文に載せられた告発を声高に否定しました。それで,1937年6月20日,まだ自由の身だった証人たちは別の声明文を配布しました。それは迫害の詳細を歯に衣着せずに述べた公開状であり,役人たちの名前を挙げ,日付や場所を記した証拠資料でした。ゲシュタポはそうした事実の暴露と,そのような配布を行なう証人たちの能力に大変狼狽しました。



 この後ナチスが発行した公式文書の一つに、あるエホバの証人を「ドイツのために戦う国家の英雄」として賞賛するものがあります。実際には兵役拒否を理由に処刑が行われたのですが、文書はこの証人がドイツの前線で立派な戦いをして死んだことにして、お茶を濁そうとしています。



◇ パープル・トライアングル [ テレビ番組 / ビデオ ]

 脅しがきかないと見ると、ナチスはうそを使おうとしました。仰々しい形式の報告書を発行し、ウィヘルムは英雄として死んだ、ヒトラーと第三帝国のために戦った、と書いてありました。



 この時期、反対者たちが述べるのとは全く異なる事情により、ナチスのほうがエホバの証人に歩み寄ってくるということが起こりました。異例のこととして、この証人の遺体は遺族に返還され、エホバの証人であるという理由で収容所に入れられていた父親も釈放されました。そして、ナチス関係者や秘密警察が大勢取り囲む中で葬式が行われました。こうして大きな圧力があったにもかかわらず、同じく証人であった彼の弟が勇気をふるって講話を行いました。この時、兄は実際には兵役拒否で処刑されたのだということを彼は明らかにしたようです。この弟もすぐに強制収容所送りになりました。
 もし、エホバの証人という宗教がナチスによる迫害の停止を安易に求めるような宗教であったなら、これは大きなチャンスであったと言うことができます。しかし、これをチャンスと考えたエホバの証人はそれこそ一人もいなかったのではないかと私は思います。この出来事によってナチスは、たとえエホバの証人を懐柔させようとしても逆効果であるとことを思い知らされました。こうしてナチスとしては、よりいっそうエホバの証人を迫害するよりほかなくなりました。

 最後に、これが反対者による攻撃であるということに注目できるでしょう。
 エホバの証人がナチスに全面的な服従を表明したという宣伝が行われているのはなぜでしょうか。それは、エホバの証人の周囲にはエホバの証人に反対する人たちがいて、エホバの証人の評判を落とそうとしているからではないでしょうか。ですから、もし反対者がエホバの証人に関わる何かを熱心に否定しようとしているのを見たなら、その否定されている事柄にこそ真実があるのではないか、と考えるのはよいことです。