新世界訳
エホバの証人の聖書

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◆ エホバの証人のコラム ◆
#12 1975年ハルマゲドン説



こちらはコラム #11 「現在的終末論」の付録となります。






 エホバの証人は、聖書預言の年代計算ということに意欲的に取り組み、その結果、ハルマゲドンが来るかもしれない年として幾つかの年を算出したことで知られています。
 とはいえ、そのいずれの年にもハルマゲドンは来ませんでした。
 そのうちの特に1975年については、比較的近年のことであることもあって、今でもいろいろなところで話題になっています。
 この件は反対者たちによって詳しく取り上げられていますが、彼らはエホバの証人のことを“偽預言者”呼ばわりすることに過大な関心を抱いているようで、内容が偏り気味です。また、信者うちでいろいろ話を聞いてまわっていると、実際にあったこととの認識のずれがある方も多いようです。1975年の話はエホバの証人の間でさえ不正確さが目につきますので、私としては、ここでしっかりとしたものを示しておきたいと思いました。

 『1975年ハルマゲドン説』を唱えるにあたってエホバの証人が採用したのは、廃れていた『千年王国ヨベル説』です。これはキリスト教成立初期にはよく知られた説で、また広く支持されていましたが、聖書に明確な記述はなく、さらには聖アウグスティヌスによって千年王国説が否定されたこともあって、忘れ去られてしまったということのようです。これをエホバの証人は復活させ、1975年という年を算出することになります。

 “ヨベル”とは、旧約聖書において「大安息の年」と定められた年のことです。
 聖書は、神が創造の業を6日かけて行い、7日目を休みとされたと語っています。それにちなんでまず7日を周期とする「安息日」が制定されました。さらに、安息日にちなんで7年を周期とする「安息年」が制定されます。さらに、安息年周期の7年を1日と見立てた二重の安息年が制定されました。この期間は7年が7回で合計49年となります。49というのはきりがよくないですので、二重の安息年の翌年に1年を加えてこれを「大安息の年」とすることが定められました。これが「ヨベル」です。ヨベルは50年周期で訪れます。

 聖書は、神の創造の7日目の休みがまだ続いていることを教えています。さらに聖書には、神にとっての1日は人間にとって1000年のようであるという内容の記述があります。さらに、イエス・キリストによる支配は千年王国であると預言しています。これらの要素を合わせると、千年王国の支配は1000年を1年とするヨベルであるという興味深い結論がでてきます。この説によると、神の創造の1日の期間は1000年を7回繰り返した7000年となります。よって、神の創造の7日間は合計4万9000年となります。そのあとにキリストの千年王国の支配があって、すべての合計は5万年となります。

 もっとも、この説には二つばかり問題があります。一つは年表です。神の創造の休みがいつ始まったかが算出できないと、その7000年後も算出できません。これを算出するには聖書の年代記述を厳密な年表に置き換える作業が必要です。もう一つは「現在的終末論」との不調和です。聖書の記述は、神の休みが始まったのが今よりおよそ6000年前であることを示しています。これをそのまま千年王国ヨベル説に当てはめると、ハルマゲドンまであと1000年ほど待たなければならないことになります。

 不調和については、あえて1000年を前倒しにする調整が行われました。



◇ 「ものみの塔」誌1987年1月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 どちらの場合にも49という数字が出て来るので,ヨベルは4万9,000年に及ぶ創造の週が終わった後の時代を予表している,と思えるかもしれません。しかし,神の是認を受ける人類一般にとっては,イスラエルのヨベルの期間に起きた事柄は,創造の週の後の期間ではなく,千年統治の期間中,すなわち創造の週の最後の1,000年間に起きる事柄にもっとよく対応します
 ……一部の人は,数字の類似性に注目して,49年という古代のヨベルの周期を上述の4万9,000年の創造の週と対比させました。それらの人はそのように論じて,イスラエルのヨベルの年(第50年)は,創造の週が終わった後に起きる事柄を予示もしくは予表しているはずだと考えました。 しかし,ヨベルは特に人々の解放と回復の年であったことを忘れないでください。創造の週はおもにこの地球とその発展に関係しています。しかし,地上の人間に対する神の目的の展開について言えば,地球自体は奴隷状態に売り渡されていませんから,解放の必要はありません。解放が必要なのは人間のほうで,人間が存在してきた期間は4万9,000年ではなく6,000年ほどです。
 ……したがって,地上で生きる見込みを持ち,信仰を抱く人類にとって,古代イスラエルのヨベルの年を特徴づけた解放と回復にぴったり対応するのは,来たるべき千年期の安息の期間中に見られる事柄です。その時,人々は解放と回復を経験することでしょう。それはキリストの支配のもとでなされるでしょう。「人の子は安息日の主(だから)です」― マタイ 12:8。



 年表のほうはどうでしょうか。聖書の年表は構築が難しく、エホバの証人は繰り返し修正を余儀なくされてきました。目標とされたのは、『アダムの誕生の年』を特定することです。
 修正によって、千年王国が来る、つまりハルマゲドンが来る年の計算も何度も変わっていくことになります。しかし1943年になると、ある程度満足できる年表ができあがり、「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」という本において1972年が示されました。
 この年表が完成を見たのは1963年の「聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です」と題する本においてです。この本によってはじめて1975年という年が示されます。
 ところがこの本は、ヨベル説には根本的な問題があることを指摘します。



◇ 「聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です」, ものみの塔聖書冊子協会

 では,これは,エホバが『そのすべての業を休んでおられる』その『日』が1963年までに5,988年経過したことを意味していますか。(創世記 2:3)そうではありません。というのは,アダムが創造された時はエホバの休みの日の始まりに当たるわけではないからです。アダムの創造に続いて,なお創造の第六日のうちに,エホバはさらに動物や鳥などの被造物を形造られたように思えます。また,エホバはアダムに動物の名を付けさせましたが,それにはある程度の時間がかかりました。それからさらに,エバを創造されました。(創世記 2:18-22。また,19節に関する新世界訳,1953年版[英文]の脚注もご覧ください)アダムの創造から『六日目』の終わりまでにどれほどの時間が経過したにしても,『七日目』の始まりから[1963]年までに経過した時間の実際の長さを知るには,その『六日目』の終わりまでに経過した時間を5,988年から差し引かなければなりません。時の流れの中でなお将来の事柄に属する種々の年代について推測するのに聖書の年代記述を用いるのは無駄なことです。―マタイ 24:36。



 聖書の歴史記述において、神の創造の7日目の始まりは、アダムの妻エバ(イブとも呼ばれる)の誕生のあとになります。困ったことに、聖書の記述から『アダムの誕生の年』は算出できるものの、エバがその何年後に生まれたのかは算出できません。この『エバまでの期間』が不明なために、ここで年代計算は手詰まりとなってしまいます。

 さて、すこし話が戻ってしまいますが、ここで、年表の構築についての具体的な内容を見ておきましょう。



◇ 「ものみの塔」誌1975年4月15日号, ものみの塔聖書冊子協会

 西暦12世紀以来,ユダヤ人の伝統的な年代計算によれば,アダムの創造は西暦前3761年の秋と算定されてきましたが,エホバのクリスチャン証人はその出来事の年代を西暦前4026年としてきました。このような相違の生じた根本的な理由は,エホバの証人はセデル・オラーム(西暦2世紀ごろのヨセ・b・ハラフタの作とされる)のような,ユダヤ人の古い伝承的史料に頼らない点にあります。そのかわりに,エホバの証人は聖書そのものに見いだされる年代資料を最も重視します。そして,そのような年代資料を,確定されたかなめとなる年代として一般の権威者に受け入れられている年である西暦前539年に起きたバビロンの倒壊と結び付けています。
 今日,セデル・オラームのようなユダヤ教の伝承的な史料が信頼できないものであることは学者も認めています。例えば,その本はゼルバベルの時代に行なわれた神殿の再建の時からアレクサンドロス大王のペルシャ征服までの期間をわずか34年としています。しかし実際には,その期間はそれより約150年も長い期間であり,ユダヤ百科事典(1971年版,第14巻1,092ページ)はその誤りを認めてこう述べています。「ヨセの行なった計算の不正確さを示す最も重大な点は,ペルシャの時代を……34年足らずに縮めたことである」。
 別の誤りはアブラハムの誕生の時に関するものです。ユダヤ人の年代の計算によると,アブラハム(アブラム)が誕生したときテラは,70歳でした。これは,『テラ七十歳に及びてアブラム,ナホル,およびハランを生めり』という創世記 11章26節に関するユダヤ人の解釈に基づいています。この聖句は実際には,アブラハムが生まれたときテラは70歳だったということではなく,テラは70歳になってから3人の息子の父になったということを述べている点に注目してください。創世記 11章32節と同 12章4節を比べてみると,アブラハムの父が205歳で亡くなった後アブラハムはハランを離れましたが,そのときアブラハムは75歳だったことがわかります。ですから,アブラハムが生まれたときテラは70歳ではなく,130歳でした。これは60年の相違をもたらします。
 アブラハムの誕生とペルシャの時代に関する計算上の誤まり(前者は60年,後者は150年)と他の比較的小さな間違いを考慮すると,セデル・オラームに基づくユダヤ人の伝統的年代計算とエホバの証人が発表した聖書年代表との間になぜ265年の相違が生じたかがわかります。



 エホバの証人の完成させた年表は、西暦前539年を基準としつつ、既存の年表の問題点を繰り返し修正することによって得られたものです。
 西暦前539年が基準となっているのは、信憑性というものがあるからです。聖書の記述と他の歴史資料を比較して記録に矛盾がない出来事を選別し、さらに学者たちの研究によってその年代が確定されているものを選別していくと、この年が、聖書の年代記述においてもっとも信憑性の確保できる年だということになります。



◇ 「聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です」, ものみの塔聖書冊子協会

 聖書による信頼できる年代計算は,ある特定の要となる年代に基づいています。要となる年代とは,受け入れるに足る確かな根拠があると共に,聖書に記されたある特定の出来事と符合する,歴史上の暦の年代のことです。それがあれば,その年代を起点として聖書中の一連の出来事を暦の上で正確に位置づけることができます。この要となる時が一度確定されれば,明記されている人々の寿命や王たちの治世の期間など,聖書そのものの中にある正確な記録を用いて,その年代の前後に計算を進められます。こうして,わたしたちはある確証された点から始めて,聖書の数多くの出来事の年代を定めるのに,聖書そのものの中にある信頼できる年代順の記録を用いることができます。
 ……聖書と一般の歴史の双方に記されている一つの顕著な出来事は,キュロスの率いるメディア人とペルシャ人によってバビロンの都が打ち破られたことです。聖書はこの出来事をダニエル 5章30節に記しています。様々な史料(ディオドロス,アフリカヌス,エウセビオス,プトレマイオス,およびバビロニア書板を含む)は西暦前539年がキュロスによるバビロン倒壊の年であることを裏付けています。ナボニドス年代記はその都が陥落した月日(年は不明)を示しています。ですから,一般の年代学者はバビロン陥落の日付をユリウス暦では西暦前539年10月11日,またグレゴリオ暦では同年10月5日としています。



 しかし、1966年に「神の自由の子となってうける永遠の生命」という本が発行され、1975年について踏み込んだ言い回しが用いられるようになりました。これは、反対者たちなどによって「1975年にハルマゲドンが来ることが“預言”された」とされているものです。



◇ 「神の自由の子となってうける永遠の生命」, ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 人類はいま多くの束縛につながれ、おさえつけられていますが、ヨベルの年によって予表されていた実体すなわち全地において全人類に自由のふれ示される時が急速に近づいています。地球上至るところに見られる事態また世界情勢に照らしてみる時、ヨベルの年にもたらされたような解放が早くもたらされることは、緊急に必要でありましょう。機が熟すのは近い将来でなければなりません。文字にしるされた神のことばは、その時が近い将来に定められていることを示しています。
 ……聖書の年代の記録と世界史の年代とを合わせると、今日までの時を計ることができます。そうすると、人類生存の6000年が終わりに近づき、7番目の千年区分が始まろうとしていることが明らかになります。……信頼できるこの聖書年代表に従って言えば、人間創造以来6000年になるのは1975年のことです。そして、人類歴史の第7の千年区分は、西暦1975年の秋に始まります。
 それで人間が地球上に存在するようになって以来6000年になるのは、近い将来、すなわちこの時代のうちのことです。……過ぎ去ろうとしている人間存在の6000年間も、エホバ神の見地からは1日24時間の6日に相当するにすぎません。……ゆえにこの時代のうちに、そして多くの年を経ないうちに、わたしたちは、エホバ神の目から見て人間存在の第7日に当たる日を迎えることになります。
 エホバ神がこの第7の千年期を休息と解放の安息の期間とし、全地の住民に自由をふれ示すための、大いなるヨベルの安息にされるのは、全く適切なことではありませんか。それは人類にとって全く時宜を得たことです。それはまた神にとっても全くふさわしいことでありましょう。忘れてならないことに、人類の前途には、聖書巻末の本に述べられているようにイエス・キリストが千年のあいだ地を治める、キリストの千年統治があるからです。19世紀前、地におられた時、イエス・キリストはご自身について預言的に「人の子は安息日の主である」と言われました。「安息日の主」イエス・キリストの支配が、人間生存の第七の千年期と時を同じくしていることは、単なる偶然ではなく、エホバ神の愛の目的によるのです。
 神の昔の律法に定められていたヨベルの年は、「きたるべき良いことの影」でした。それが予表していた実体は、苦しんでいる被造物、人間すべての益のために、必ず来なければなりません。それがもたらされる祝福の時は、急速に近づいています。まもなく、この時代のうちに、神の力によって象徴的なラッパが吹き鳴らされ、「国中のすべての住民に自由」がふれ示されるでしょう。神はその必要を予見され、預言者モーセを経て与えられた神の昔の律法の中にそれが予表されるように取り計らわれました。きたるべき世界的な大ヨベルの年が神の律法の中に予表されていたことは、それが栄光のうちに全く実現するための完全な法的基礎となっています。したがって、人間の手によらず全能の神によって、被造物の人間がなお解放される十分の理由があるのです。長い間待たれたその時は近づいています!



 もっとも、この本は1975年ハルマゲドン説についてこれ以上のことは言いませんでした。この本をさらに読み進めても何も情報が得られないため、この記述は議論と憶測を呼ぶことになります。

 この本を出版した組織(教団)の側としては、二つの方針がありました。
 ひとつは、「期待はするが断言はしない」いうもので、この本が発表されたイベントで統治体(教団のリーダー)が講話を行い、説明しました。



◇ 「ものみの塔」誌1966年10月15日号 (日本語版は1966年12月15日号), ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 ボルティモア大会でフランズ兄弟は話の終わりに、1975年に関する興味深い説明を加えました。「私が演壇に上ろうとした時、一青年が近づいて来て、次のようにたずねました。『この1975年という年は何を意味しているのですか。何か色々の意味があるのですか』」とフランズ兄弟はさりげなく話し始め、一部次のように語りました。「皆さんはこの本の年表にお気づきでしょう。6000年にわたる人類の歴史は、これから約9年先の1975年には終わるでしょう。これは何を意味していますか。神の安息の日が紀元前4026年に始まったという意味ですか。それはあり得ることです。「永遠の生命」の本は、それを否定してはいません。この本は年表をのせているだけです。もしそうであるとすれば、それは私たちにとって何を意味しますか」。
 ……さらにフランズ兄弟は語り続けました。「では1975年についてはいかがですか。それはどういう意味ですか。1975年までには、サタンが束縛され、ハルマゲドンが終わるという意味ですか。それは十分に考えられます。神にとって不可能な事柄は何一つありません。それは、大いなるバビロンが1975年までに滅びるという意味ですか。それもあり得ることです。また、その時までにマゴブのゴグがエホバの証人を滅ぼし去ろうとして攻撃を加え、ゴグ自身が無力にさせられてしまうという意味ですか。それもあり得ます。しかし私たちがそうだと言うのではありません。すべてのことは神にとって可能だという意味です。私たちには何も決められません。これから1975年までの期間に何が起きるかを明確に告げるようなことはだれもないようにしてください。しかし、皆さん、最も重要な事柄は、時は縮まっているという事実です。残された時はまさに終わろうとしています。これは疑う余地のないことです。
 かつて、異邦人の時の終わりである1914年が迫っていた時にも、異邦人の時がまさに終ろうとしていることを示すしるしは何もありませんでした。その年の6月になってさえ、何が起ころうとしているかを知る手がかりを何一つ、当時の世界情勢の中に見出すことはできませんでした。ところが突然ある人間が殺され、第一次世界大戦が引き起こされたのです。それから後のことは皆さんがご存じの通りです。イエスの預言どおり飢饉、地震、疫病が続いて起きました。
 1975年に近づいている現在はいかがですか。世界は今も平和がなく、世界戦争、飢饉、地震、疫病が今日まで続いてきました。そして1975年が迫ろうとしている今もこれらの状態は続いています。このような事柄は何かを意味していますか。それは、私たちが『終わりの時』にいるということをたしかに意味しています。イエスは言われました。『これらの事が起こりはじめたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから』。ゆえに、1975年が迫っている現在、私たちの救いはそれほど近いのです。
 では、残された時を最大限に活用し、許された時の間、すべての熱心な良いわざをエホバにささげましょう」とフランズ兄弟は人々に勧めました。



 この説明は「ものみの塔」誌において繰り返されました。



◇ 「ものみの塔」誌1967年5月1日号 (日本語版は1967年8月1日号), ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 興味深いことに、1975年の秋は人類の歴史の6000年の終わりに当たります。この事実は、聖書に収められている正確な年代表を用いて確証できます。では、その年は人類にとって何を意味しますか。その時、神は悪い者を処罰し、御子イエス・キリストによる千年統治を開始されるのでしょうか。それは大いにあり得ることですが、私たちは事の成り行きをさらに見守らねばなりません。しかし、これらの出来事を見るであろうとイエスの語った世代がその終わりに至っていることは確実です。時はまさに縮まっています。神の「時間表」によれば、まもなく永遠に過ぎ去ろうとしている悪の事物の制度の最終の時期に私たちは生きており、栄光に輝く新しい秩序は私たちの目前に迫っています。このゆえに、真のクリスチャンはいずこにあっても確かに喜ぶことができます。そうです。長年祈り求めてきた御国の成就が今や迫っているゆえに、喜んでいるのです。



 もうひとつは、『エバまでの期間』を圧縮して0年にしてしまおう、というものです。



◇ 「ものみの塔」誌1968年5月1日号 (日本語版は1968年8月15日号), ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

 聖書にしるされた正確な年代によれば、アダムは創造の6日目の終わり、紀元前4026年のおそらく秋に創造されました。それから神は動物を人間のもとに連れてこられ、動物を名づけさせました。しかしアダムについて創世記はエホバの次のことばをしるしています。「人がひとりでいるのは良くない」。アダムはひとりきりのこの状態をきわめて速やかに、おそらく二、三日あるいは二、三週間のうちに悟ったことでしょう。語り合い、経験をわかち、生活をともにする伴侶の必要を感じたはずです。また動物を名づけるのにもそう長い時間を要したとは思われません。基本的な類に限って言えば、比較的短い時間に名づけることができたでしょう。……それでアダムが動物を名づけ、また伴侶の必要を感じたのは、アダムの創造後、まもなくのことでした。またふえて地をみたすことが人間に対するエホバのお目的であった以上、アダムにつづいて二、三週間あるいは二、三か月後にエバが創造されたと考えることは理にかなっています。それは同じ紀元前4026年のことです。エバの創造後ただちに神の安息である第7の期間が始まりました。
 ゆえに神の第7日は、人間が地上に生存している期間と明らかに一致しています。7000年にわたる神の第7日と関連して人間が時の流れの中でどこに位置しているかを計算するには、アダムとエバの造劇の年である紀元前4026年から何年たっているかを知ることが必要です。……紀元前4026年の秋から1967年秋までの年数を出すと、5992年になります。したがって第7日の6000年を満たすには、8年をあますのみです。1967年秋から8年後には1975年の秋を迎えるわけであり、その時には神の第7日すなわち安息の日にはいって満6000年を経ていることになります。
 サタンの支配の下で6000年にわたる悲惨、労苦、病気と死を味わってのち、人類は確かに救済すなわち安息を必要としています。ユダヤ人の1週の第7日すなわち安息日は、6000年にわたる罪と死から人類がひきあげられる、最後の1000年すなわちキリストの治める神の国の千年統治を表わすものです。ゆえに人類の歴史の6000年が終わりに近づいていることを、神の時の定めから知る時、クリスチャンは期待にみたされます。
 ……目前の将来が刮目すべき出来事に満ちていることは確かです。この古い制度は完全な終わりに近づいているからです。「終りの時」に関する聖書預言の最後の部分は、ここ何年かの間に成就を見、生き残った人類はキリストの栄光ある千年統治の下で解放されるでしょう。前途には困難な、しかし同時にすばらしい時があります。
 これは1975年にハルマゲドンの戦いがあるという意味ですか。どの年ということを断言できる人はひとりもいません。「その日、その時は、だれも知らない」とイエスは言われました。神のしもべにとっては、サタンの支配下にあるこの制度に残された時が急速に短くなりつつあることを知るだけでじゅうぶんです。残された時の短いこと、起ころうとしている、地球をゆるがす出来事そして自分の救いをはかる必要に目ざめない、あるいは気づかないとすれば、それは全く愚かなことです。



 このようなことを無理やり仮定することによって、『エバまでの期間』は無視できるということになりました。

 しかし、この文書もやはり、「期待はするが断言はしない」という方針を述べています。年表における1975年が確定したからハルマゲドンの年も確定した、ということにはなりません。

 ところがこの後、「ものみの塔」誌に載せられた「1975年を待ち望むのはなぜか」という文書において、年表にはさらに未解決の問題があるということが指摘されます。



◇ 「ものみの塔」誌1968年8月15日号 (日本語版は1968年11月15日号), ものみの塔聖書冊子協会 (表記等修正)

「1975を待ち望むのはなぜか」

 以上の研究から推して、ハルマゲドンの戦いは1975年の秋までに終わり、また待望のキリストの千年統治がその時までに始まると考えられるでしょうか。それはあり得ることです。しかし、人類生存の第7番目の千年期が、安息日に似たキリストの統治する千年期とどの程度厳密に合致するかをもう少し検討してみましょう。これら二つの期間が暦年において互いに一致するとすれば、それは単なる偶然ではなく、時にかなったエホバ神の愛ある御目的による事柄です。しかし、わたしたちの年代表はかなり正確ですが(絶対に誤りがないと言うことはできないので)、地上における人類生存の6000年が1975年の秋に終わるとせいぜい指摘できるにすぎません。これはエホバの創造の第7番目の“日“の最初の6000年が1975年に終わることを必ずしも意味するものではありません。なぜですか。なぜなら、アダムは、創造されたのちに、その“第六日”内のある期間生活したので、その未知の時間をアダムの生涯930年から引かなければ、第6番目の7000年の期間もしくは“日”がいつ終わったか、またアダムは“第七日”にはいってどれほどの期間生きたかを定められないからです。しかし、創造の第6番目の“日”は、グレゴリー暦によるアダムの創造の年以内に終わったと考えられます。その差は何年ではなく、恐らく何週間か何か月でしょう。
 ……しかし、あまり重要ではありませんが、幾つかのむづかしい年代上の問題はまだ解決されていません。たとえばエジプト出国の際、エホバは年の初めを政暦の秋から、教暦の春に変えられました。ではユダヤ人の暦に6ヶ月が加算されましたか、それとも引かれましたか。
 絶対に確実なことが一つあります。それは、聖書預言の成就によってさらに強力な裏付けを得た、聖書の年代表によれば、人類生存の6000年間が間もなく、そうです、この世代のうちに終わるということです! ゆえに今は、無関心でいたり、満足感にひたったりすべき時ではありません。「その日その時を知る者なし、天の使たちも知らず、ただ父のみ知り給ふ」と言われたイエスのことばをもてあそぶ時でもありません。それどころか、今は、現在の事物の制度の悲惨な終わりが足ばやに迫っている事実に十分目ざめるべき時です。まちがわないでください。天の御父ご自身は「その日その時」のいずれをも知っておられますが、それで十分なのです!
 1975年より先の将来を見通すことはたとえできないにしても、そのために手をゆるめてもよいと言えますか。使徒たちはこの年まで見通すことさえできず、1975年については何一つ知らなかったのです。彼らは、割り当てられたわざを成し遂げるのに、わずかの時間しか残されていないことを見通し得ただけです。したがって、その筆になる記録にはすべて、事の急を告げる響きがあふれています。また、それは正しいことでした。もし手をゆるめ、あるいはぐずぐずして、終わりは何千年も先のことだと考え、気をゆるめたのであれば、自分の前に置かれたレースを決して走り抜くことはできなかったでしょう。しかしそうではありませんでした。彼らは懸命に、しかも早く走り、そして勝利を勝ち得たのです! それは彼らにとって生か死かの問題でした。
 この二十世紀後半のエホバの忠実な証人についても同じです。証人たちはクリスチャンとしての正しい見方を持っています。たゆまず続けられるその福音伝道の活動は、ここ十年間に見られる特異な事柄ではありません。証人たちは、単に1975年までエホバに奉仕するために献身したのではありません。キリスト・イエスが、「我に従ひきたれ」とその弟子たちに命ぜられ、歩むべき道を明らかに示されて以来、クリスチャンはいつもこの道を走ってきました。それで、キリスト・イエスのいだかれたと同じ心構えを保ってください。何事であれ、そのために手をゆるめたり、疲れはてたり、また、あきらめたりすることのないようにしましょう。大いなるバビロンや、サタンの支配する現在の事物の制度をのがれる人々は、今や命を目ざし、また神の国を目ざして走っており、1975年が訪れても、走り続けるでしょう。決してとどまることはありません! 彼らは賛美と奉仕をとわにエホバにささげつつ、永遠の命に通ずるこの輝かしい道を走り続けるでしょう!



 内容的には従来のものとほぼ同じですが、2つの新たな要素があります。

 一つは、1年のずれの可能性です。エホバの証人の計算法では1年は秋に始まりますが、聖書の大部分では春に1年が始まります。そこで、1年単位の計算をするときにこれを半年進めるか半年遅らせるかで1年の誤差が生じるということです。この問題の解決案は示されませんでした。

 もう一つに、1975年にもハルマゲドンが来なかった場合に、そのことをどう考えるべきかを述べています。1975年に「も」です。
 このコラムの一つ前の記事では“現在的終末論”ということを扱っていますが、そこに解説されているように、キリスト教のハルマゲドンに対する認識は“現在的”です。成立期のキリスト教は、ハルマゲドンがすぐに来ることを休みなく宣言し続けました。わかりやすく言うなら、神は天から啓示を送り、神の子は人の姿になって奇跡を行いながら、その使徒たちは諸会衆(教会)の指導者の座に着いて、「ハルマゲドンはすぐきます」、「もう猶予はありません」と言い続けてきたのです。そして、それらのいわゆる“偽預言”は全部はずれてしまいました。もう2000年たっているのに、何も起こっていません。
 この文書は、そのような過去にあえて言及し、「聖書には使徒たちが事の急を告げる響きがあふれている」、「それは正しいことだった」と主張します。そのうえで、いま自分たちが唱えている1975年についても同じように考えようと読者に呼びかけています。

 さて、ここで非常にやっかいなことが生じます。この「1975年を待ち望むのはなぜか」と題する文書を読んだ証人たちの中には、「この記事のおかげで1975年にハルマゲドンが必ず来るということがはっきりと分かった」などと言う人がいました。文書の内容はまるでそういう趣旨でないのですが、表題が問題だったようです。なにしろ「1975年を待ち望むのはなぜか」という表題が大きな文字で印刷されているものですから、この文字を見ているうちに、もうなんだか1975年には必ずハルマゲドンが来るような気持ちになった人が続出したというわけです。
 この後エホバの証人は内部において二つの派に分裂していくことになります。『慎重派』と『断定派』です。結局この分裂は1975年まで続き、大きな破綻へとつながっていくことになります。

 ちょっと余談になりますが、エホバの証人に対する一般キリスト教会の反対意見に通じている方なら、ここで聖書のこの言葉が気になると思います。



申命記 18:20-22

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
思い上がって私が命じたのではない言葉を私の名によって話したり,他の神々の名によって話したりする預言者がいれば,その預言者は死ななければならない。あなたは心の中で,「エホバが話したのではない言葉だとどのようにして分かるのか」と言うかもしれない。預言者がエホバの名によって話しても,その言葉が実現せず,その通りにならなければ,エホバはその言葉を話していない。預言者が思い上がってそれを話したのである。その人を恐れてはならない』。



 キリスト教会はこの言葉をもってエホバの証人のことを攻撃するのですが、これはルール違反です。

 この命令は、ハルマゲドンの宣言には適用されないことになっています。しかも、このルールはキリスト教が誕生するよりずっと前からあります。というのも、最初にこの命令を無視したのがエホバ神だからです。しかもキリスト教成立期にはいろいろな人がその手本に倣いました。もし、このルールがハルマゲドンに適用されるなら、まず最初に死ななければならないのは神、次にイエス・キリスト、それから天使たちに使徒たち、ということになってしまいますので、キリスト教においてこのルールは強化され不動のものとなっています。



ゼパニヤ 1:14

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エホバの大いなる日は近い! それは近く,すぐにやって来る。 エホバの日には悲痛な音がする。 戦士も叫び声を上げる。



マルコ 1:14-15

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
ヨハネが捕らえられた後,イエスはガリラヤに行き,神の良い知らせを伝えて,こう言った。「定められた時が来て,神の王国は近づきました。悔い改めて,良い知らせに信仰を持ちなさい」。



コリント第一 7:29-31

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
兄弟たち,私は次のことを言います。残された時は少なくなっています。今後,妻がいる人は妻がいない人のようになってください。泣いている人は泣いていない人のように,喜んでいる人は喜んでいない人のように,買っている人は持っていない人のように,世を利用している人は世を十分には利用していない人のようになってください。今の世のありさまは変わろうとしているからです。



啓示(黙示録) 22:6-7

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
天使は私に言った。「これらの言葉は信頼でき,真実です。預言者たちを聖なる力によって導いた神であるエホバが,間もなく必ず起きる事柄をご自分の奴隷たちに示すため,天使を遣わしたのです。私は速やかに来ます。この巻物の預言の言葉を守る人たちは幸福です」。



 こういう言葉は聖書の中にたくさんあります。先の引用にしたがうなら、響きがあふれています。もちろん、その“偽預言”の“被害者”たちはものすごくたくさんいます。それらの人たちは、ハルマゲドンの教理に唆されて、仕事をやめたり家を売ったりしました。これがキリスト教の正体というものなのです。

 というわけで、この聖句を使ってエホバの証人を攻撃する人たちは、ルールを破り、エホバの証人越しに神やキリストや天使や使徒たちに向かって「死ね」と叫んでいることになります。聖書は、神を呪った人は救われないということを説いていますので、ハルマゲドンの時に神やキリストがこの人たちをどう扱うか気になるところです。ハルマゲドンの教義はキリスト教の基本教義ですから、キリスト教徒の中にこういうルールを知らなかったり知っていても無視する方々がいるというのは論外です。

 ここで、1975年ハルマゲドン説との関連について言及しなければならないのが、1960年代に提唱された“世界的食糧不足説”です。

 1962年に「沈黙の春」と題する本が出版されると、その内容に世界中が衝撃を受けました。この本は、このままだと地球は農薬まみれになってしまうということを主張していました。続いて1968年には、世界中を恐怖に陥れた「人口爆発」という本が出版されます。この本は、やがて人口の増加に食料の供給が追いつかなくなるだろうということを主張していました。こうして、1960年代には全く新しい形態の、宗教者ではなく科学者によって信奉される終末論が誕生するようになりました。
 この終末論に飛びついたのがいわゆるハリウッドです。この時代、映画や小説は極めて意欲的にこの終末論を扱った作品を送り出すようになりました。彼らは「人類の文明は極限にまで進歩した後に地球ごと崩壊し、残されたわずかな人間たちは……」などというシナリオを大衆の心に深く刻み込み、当たり前のものにしてしまいました。こうして人々の心の中には終末への恐怖が植え込まれます。
 そんな社会的背景が要因となって、世界中の科学者や知識人によって引き起こされた一大狂言と言えるのが、この食糧不足説だということのようです。これは、1970年代に人類は未曾有の食糧危機に陥るであろうとするもので、多くの学者たちによって支持されました。

 この説はエホバの証人出版物にも掲載されるようになりました。たとえばこんな具合です。



◇ 「目ざめよ!」誌1970年4月22日号, ものみの塔聖書冊子協会

 今日,食物や,食物を買うお金だけを追い求める人は,失望に陥る以外にありません。どうしてですか。それは前途の事態のためです。現時点でさえ,南米・アフリカ・インド・中国大陸の合計15億もの人々は必要最少量の食事にことかき,栄養不良に陥っています。事実,南中華モーニング・ポスト紙,1969年1月2日号は,世界では毎分およそ66人が飢えのために死亡していると報じました。しかもこれは前途の事態からすれば序の口にすぎません。
 著名な一科学者はリーダーズ・ダイジェスト誌1969年2月号でこう述べました。「飢えとの戦いで人間が完敗したことは火を見るよりも明らかである。……餓死者の恐るべき増加を食い止めるのはすでに手遅れである。関係資料を豊富に引用した『飢きんの年,1975年!』の著者ウィリアムおよびパウロ・パドックは,世界の飢きんは1975年に猛威をきわめるであろうと予測している。……打つべき手はすでに打たれた。生き残る者がいてほしいと思うが,ほとんどいないことであろう」。
 どんな対策を講じようと,世界的な悲惨な飢きんは回避できないと科学者は見ているのです。なんと暗たんたる見通しでしょう。



 ところが、食糧不足は確かにあったとはいえ、世界の滅亡はおろか局地的な滅亡も起こりませんでした。何事もなく予告された1970年代が過ぎていき、1980年代も過ぎていき、1990年代も過ぎていって、いまではこのような食糧不足説があったことも忘れ去られているという状態です。

 この説は断定派の証人たちにとってかなりの追い風になったようです。彼らは、「1975年に世界的食糧不足が生じると多くの学者が言うのだから、1975年には必ずハルマゲドンが来るに違いない」と考えました。

 もう一つ、1975年ハルマゲドン説との関連について言及しなければならないのが、カトリックの聖年です。

 バチカンは1975年を聖年と定め、この年を教会の和解と復興の年と位置づけました。エホバの証人は聖年に対してはいつも批判的で、この度もそうだったのですが、出版物中にこのような表現があったために、断定派の人たちの勢いが増すことになりました。



◇ 「目ざめよ!」誌1973年7月22日号, ものみの塔聖書冊子協会

 5月10日付のAP通信によると,ローマ法王パウロ六世は1975年を“聖年”とすると発表した。同法王は,1975年が,6億人のローマ・カトリック教会の教会員の間の,また彼らと他のクリスチャンとの間の和解のためにささげられるだろうと語った。しかし,1975年がほんとうに,キリスト教世界を祝福する“聖年”となるだろうか。ある人は1933年に,ローマ法王によって宣言された以前の“聖年”中に,ヒットラーが第二次世界大戦をぼっ発させる備えとして権力を増し加えていたことを思い出すだろう。そして今,聖書の預言は,その年がキリスト教世界の教会にとって“聖年”になるのにおよそ程遠いことを示している。法王が1975年を“聖年”として祝福したことは,来たるべき滅びからキリスト教世界の教会を救助するのに役立つだろうか。



 断定派の人たちにとって、この記述は「1975年は聖年ではなくハルマゲドンの年になるであろう」という意味を持ちました。

 困ったこと、断定派の人たちは、禁じられていたにもかかわらず、「1975年には絶対にハルマゲドンが来る」ということをエホバの証人の公式な教えとして外部に言い広めるまでになっていました。そのため、1975年が近づくと、これらの人たちの動きを牽制する文書が公表されるようになります。



◇ 「王国奉仕」1974年5月号 (日本語版は1974年6月号), ものみの塔聖書冊子協会

 今日の私たちに対するエホバの意志の中には,この体制の終わりが到来する前に王国について宣べ伝える重大なわざを完遂することが含まれています。エホバはこのことをみ言葉の中で明らかにしておられます。(マタイ 24:14)同様のわざを行なったイエス・キリストは言われました。「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」― ルカ 4:43。
 イエスはためらうどころか,魂をこめて神への奉仕に携わりました。福音書に記されている歴史的なその奉仕の記録を読むと,王国を宣べ伝えるわざを行なう点でのイエスの行動力と熱心さに何と感動させられるのでしょう! イエスはごく短い時間しか持ち合わせていないことを知っておられたので,骨身を惜しまず働いてご自分の割当てを果たしました。今日,私たちはイエスの模範に見倣うべきではありませんか。王国を宣べ伝えるわざを完了するための残された時間が今やこれほど少なくなっているのですから,なおのことそうすべきではないでしょうか。
 そうです,この体制の終わりはまさに非常に近づいています! それは私たちの活動を増大させるべき理由ではありませんか。この点で私たちは,レースの終わりに近づいて猛然とラストスパートをかけるランナーから大切なことを学べます。イエスを見てください。明らかに彼は,地上におけるその最後の何日かの期間の活動の速度を速めました。事実,福音書の資料の27%余は,地上におけるイエスの奉仕の専ら最後の一週間の活動を扱ったものなのです!―マタイ 21:1-27:50。マルコ 11:1-15:37。ルカ 19:29-23:46。ヨハネ 11:55-19:30。
 私たちもまた,慎重に,そして祈りの気持ちをこめて自分自身の事情を吟味してみるなら,現行の体制が終わる前のこの最後の期間中宣べ伝えるわざにもっと多くの時間や精力を費やせるということがわかるかもしれません。私たちの兄弟姉妹の多くはまさにそうしています。このことは開拓者の人数が急速に増えていることからも明らかです。
 そうです。1971年9月以来,開拓者の人数はただ1か月を除いてあとは毎月新最高数を記録し続けており,今日本では正規および特別開拓者は合計3,859人という空前の新最高数に達しました。これは2年半前の時よりも1,717人も増え,実に80%もの増加に当たります。これは私たちの心を暖めるものではありませんか。家や資産を売って,開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが,確かにそれは,邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。―ヨハネ第一 2:17。
 野外における奉仕の務めの点であなたの行ない得る事柄は,不健康あるいは家族に関する責任などの種々の事情のために制約される場合があるかもしれません。それにもかかわらず,開拓者の隊伍の中には,家族をかかえている人はもとより,健康上の制約を持っている人も少なくありません。しかし,それらの兄弟姉妹は生活を調整して,それぞれの責務を果たし,しかもなお野外の奉仕の務めに,開拓者に要求されているとおり,年に1,200時間,つまり月平均100時間を費やすことができるのです。
 ですから,自分にも開拓奉仕ができるかもしれないという見込みをあまり性急に退けてはなりません。慎重に,祈りの気持ちをこめて考慮してください。事情を分析してみると,もしかして自分の生活は取り除いて開拓奉仕を行なえるような不必要な重荷に煩わされているということがわかるかもしれません。もしあなたが独身だったり,あるいは結婚していても子供がいなかったりする場合は特にそうかもしれません。―ヘブライ 12:1。
 それではこう自問してみてください。私は自分の命をどのように用いているだろうか。開拓奉仕を行なえるよう物事を調節できるだろうか。もし調節できるのにそうしないとすれば,私はエホバの意志を行なうよりもむしろ,個人的な欲望を充足させるために生きていることをエホバに示すことになるのだろうか。私たちはみな,使徒パウロが述べたように言い得る者でありたいと思います。「実際,わたしは自分が肉にあって今生きている命を,神のみ子に対する信仰によって生きているのです。み子はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださったのです。わたしは神の過分のご親切を押しのけるようなことはしません」― ガラテア 2:20,21。
 種々の事柄を調節して開拓奉仕を行なえる人たちには真実の祝福が待ち受けています。第一に,神がそのしもべたちすべてに今行なわせようと意図しておられる,宣べ伝えるわざに全時間あずかる点で確かに満足感が深まります。開拓奉仕をすれば,「大群衆」の成員となる見込みのある,なお散らされている人々を「救う」機会が増大します。(テモテ第一 4:16。啓示 7:9,14)また,奉仕があまり頻繁に行なわれていない区域にあなたが特別開拓者として派遣される特権が差し伸べられるかもしれません。
 それで,自分の命をどのように用いているかというこの問題をさっそく真剣に考慮してください。種々の事柄を整理して開拓奉仕を行なえるかどうかを考えてみてください。既に開拓奉仕をしている人たち,あるいは会衆の長老たちとこの問題を相談してはいかがですか。
 ……近づいた終わりについて書き記した使徒はこう言いました。「しかし,すべての事物の終わりが近づきました。ですから,健全な思いをもち,祈りのために目ざめていなさい」。(ペテロ第一 4:7)ここに述べられている,『健全な思いをもちなさい』という言葉に注目してください。それはクリスチャンは思慮深く,つまり分別のある,道理にかなった仕方で行動することを意味しています。私たちは世の終わりが到来するある特定の年代に万事をかけているのではありません。むしろ,私たちはエホバに対する私たちの献身が全時間のそれであることを認識しています。私たちは来る年も来る年も,つまり永遠にわたってエホバに仕えるつもりでいるのです。「大患難」がどの年に訪れようと,それは義の王国をもたらす一つの段階に過ぎないことを私たちは理解しています。私たちはある年代にではなく,神の新秩序で命を得るということに目をとめていなければなりません。
 「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(英文)と題する1943年に発行された書籍を始めとして現在に至るまで,協会はある年代,つまり1972年,1974年,1975年そして再び1974年がこの地上の人類の歴史の6,000年の満了する年代と考えられることを示す証拠を公表してきました。しかし,それは「大患難」が1970年代の半ばのある特定の時点に起こると考えられるという意味ですか。「その日と時刻についてはだれも知りません」。(マタイ 24:34,36)私たちは「大患難」が非常に近いことは知っていますが,ある年代,もしくはある時期を独断的にふれ告げるべきではありません。統治体のある成員が述べた言葉として注目されているように,年代表に関する協会の見方が正しかったかどうかを調べるのは非常に興味深い事柄です。
 戸口で人々に証言するさい,私たちはある特定の年を「すべての事物の終わり」の時として芝居がかりに表現して,みだりに人騒がせをする軽率な人と思われるようなことがあってはなりません。むしろ,私たちは輝かしい王国の支配と,まもなく王国が地にもたらす幸福と平和と義とについて人々に告げて,人々の心に訴えるべきです。そのすばらしい希望について穏やかに,また暖かさをこめて話すなら,正しい事を好む気持ちのある人はその同じ希望を持ちたいと願って耳を傾けるものです。同様に,千年統治が近づいたことを考える点で『思いが健全で』あれば,開拓奉仕を始めることに関して道理にかなった実際的な取決めを設けるよう私たちは動かされるはずです。単にある年までエホバに全時間仕えるという計画を立てるべきではありません。私たちはいわば「万事を捨てる」のではなく,「健全な思い」をもってあらゆる事情を考慮に入れ,開拓奉仕を行なうため,また今後の年々開拓奉仕を続行するために必要な調節を行なうべきです。計画を立てるさい,自分に課されている責務や今後の年々果たさねばならなくなると思われる責務を考えに入れるべきです。



 これは断定派の人たちに対する強力な牽制となりました。この文書のおかげで、断定派の人たちの多くが立場を変えたのではないかと思います。

 しかし結局のところ、この文書によって断定派の人たちの勢いが衰えることはありませんでした。この時期までに、断定派の人たちは、ただ「神の自由の子となってうける永遠の生命」の本のみを用いて1975年ハルマゲドン説を主張し、他の出版物に載せられた記述をほとんど無視するようになっていました。それでこの時彼らがどうしたかというと、彼らはこの文書の後半部分をあっさり無視して、前半部分だけを受け入れることにしました。
 この文書は、断定派の人たちにとっては「ハルマゲドンまでもう1年しかないのだからあなたも家や財産を処分しなさい」という意味でした。この文書を前半部分だけ読んで奮い立った断定派の人たちは、仕事を辞め、保険を解約し、家や資産を処分して、開拓奉仕者(フルタイムの聖書伝道者)になりました。そして「1975年に必ずハルマゲドンが来ます」ということを外部の人々に宣伝してまわりました。

 もちろん、この文書が言いたかったのは、「家や資産を処分して聖書伝道に励むのはたいへん立派なことですが、1975年にハルマゲドンが来るからなどと思って軽々しくそういうことをしないでください」ということなのですが、その同じ文書が逆の意味を持つこともあったわけです。

 さらに、このようなことも言われました。



◇ 「ものみの塔」誌1975年5月1日号 (日本語版は1975年8月1日号), ものみの塔聖書冊子協会

 もう一人の講演者である,同協会の副会長F・W・フランズはクリスチャンの行なう宣べ伝える業の緊急性を聴衆に力強い仕方で銘記させました。副会長は,信頼のおける聖書の年代表によれば人類の6,000年の歴史は陰暦に照らしてみると今年の9月に終わることを強調しました。それは人類が公害による汚染や核兵器による破滅に直面するだけでなく,「飢死寸前になる」時期と一致します。フランズ兄弟はさらに,「現在直面している諸問題を抱えた人類が」現在の事物の体制下で,「第7,000年期に生き残れると考える根拠は何もない」とも述べました。
 それは,神がこの古い体制を滅ぼして新しい体制を設立なさる時を,わたしたちが正確に知っているという意味でしょうか。フランズ兄弟は,そうでないことを示しました。というのは,アダムの創造と,7,000年にわたる神の休息の日が始まった時点となるエバの創造との間の時の隔たりがどれほど短いかをわたしたちは知らないからです。(ヘブライ 4:3,4)とはいえ,エホバは「偉大な年代家」であられることを聖書が証明しており,また,「わたしたちは1914年が異邦人の時の終わりをしるし付ける動くことのない日付であるのを知っている」ゆえに,「この1975年という年が重要でないなどと考えるべきでない」旨同兄弟は指摘しました。さらにフランズ兄弟は,「わたしたちは,近い将来,つまりこの世代に起ころうとしている事柄に対する期待で満たされている」とも述べました。―マタイ 24:34。



 ここでは、『エバまでの期間』を0年としたかつての見解が事実上撤回されています。これも断定派の人たちにとっては無視すべき事柄だったようです。

 さて、何事もなく1975年の10月になってしまうと、エホバの証人の間には深刻な混乱が生じました。多くのエホバの証人が「こんなはずじゃなかった」という反応を示しました。1975年の秋には必ずハルマゲドンが来ると信じていたのに、そうならなかったのですから。

 この混乱に拍車をかけたのが、この記述です。



◇ 「ものみの塔」誌1975年10月1日号 (日本語版は1976年1月15日号), ものみの塔聖書冊子協会

 陰暦によるユダヤ人の新年が1975年9月に始まって以来,人類の歴史は重大な時点に達しました。それはどんな時でしたか。聖書に基づく時の計算によれば,人類が地上に生存して以来,6,000年がその時に終わったのです。最初の人間アダムは,神の支配の下でずっと従順を保ったならば今なお生きており,この年の9月で6,000歳に達していたことでしょう。
 では,これは神ご自身,大「安息日」として『祝福し,神聖なものとされた』7,000年の期間の中で人類の生存が6,000年に達したということですか。そしてこの「安息日」の最後の1,000年であるキリストの千年王国統治が1975年9月から起算されるという意味ですか。―創世 1:27,31; 2:2,3。啓示 20:1-6。
 そうではありません。なぜですか。聖書の記録の示すところによれば,その7,000年の「安息日」のすぐ前の「日」における神の創造は,アダムの創造をもって終了したのではありません。アダムの創造と彼の妻エバの創造の間には時間的な隔たりのあることが示されています。その期間に神はアダムに動物の名前を付けさせました。その期間が何週間,何か月さては何年に及んだものかはわかりません。それでエホバの偉大な「安息日」がいつ始まったのか,正確なことはわからないのです。また,それがいつ終わるのかも,はっきり知ることはできません。キリストの千年統治の始まりについても同じことが当てはまります。日付を確定する方法は聖書中に与えられていません。ゆえにその日付がいつであるか憶測するのは無益なことです。―創世 2:18-25。マタイ 24:42,44。
 しかし聖書に記された時の記録は,人類歴史の6,000年が1975年という年に終わることを確かに示しています。



 断定派の人たちは激怒しました。「今になって『そうではありません』とはどういうことだ。組織はこれまで、1975年に必ずハルマゲドンが来ると断言し続けたではないか。それなのに、1975年が過ぎると「それは確かなことではありません」と言い始めた。なんて卑怯なことだ。」と言いました。またこうも言いました。「エバまでの期間の話など、これまで一度たりとも聞いたことがない、そういう話があるのならもっと早くに信者たちに知らせるべきではなかったか。そうしてくれたら、今になってこんなに失望することもなかった。」

 ところが、この人たちの激怒の炎に油を注ぐような内容の文書が追加されます。



◇ 「ものみの塔」誌1976年7月15日号 (日本語版は1976年10月15日号), ものみの塔聖書冊子協会

 邪悪な現体制について言えば,その「終わりの時」である時にわたしたちが住んでいるということを確信させる情報や証拠は十分あります。しかしこの外に,神がわたしたちに啓示しておられない事柄があります。その一つは,エルサレムに臨んだ患難が予表していた「大患難」,すなわちその成就においては地球的なものとなる患難のぼっ発する時です。
 これをわたしたちが知ることができないのには理由があります。まず,聖書の年譜は最初の人間アダムの創造の時から今までに6,000年が経過したことは明示していますが,その出来事からどれほど後に創造の六日が終わり,七番目の創造の期間すなわち「日」,つまり神の大安息日が始まったかは告げていません。創世記 2章3節には,エホバはその「日」を祝福し神聖にされた,と述べられています。したがって,その日のうちに,神のみ子の千年統治という手段によって邪悪な古い秩序が除かれ,神の義の新秩序が確立されるのは,妥当と考えられます。ですから,その1,000年という期間は,その大安息日の終わりの部分に当たり,地球とその住民が完全な状態に回復される時である,と信じてよい理由があるのです。そのときに神は,第七日とその結果について,他の創造の日に関して言われたように,「良し」と仰せになることができます。―創世 1:4,10,12,18,21,25,31,新。
 しかし,その大安息日は,アダムの創造の直後に始まったのではありません。アダムが創造された後ですがしかし創造の第六日が終わる前に,他の出来事が生じました。そのうちの一つは,わたしたちすべてにとって大きな重要性を持ちます。それは最初の女エバの創造でした。エバの創造がなかったなら,わたしたちのうちのだれも今日生きてはいないでしょう。なぜなら,使徒パウロがコリント第一 11章12節で,「女が男から出ているのと同じように,男も女を通してあるからです」と言っている通り,わたしたちは皆,生まれ出るのに人間の母を必要とするからです。
 男の創造から女の創造までには,どれほどの時が経過したのでしょうか。聖書はそれを示していません。それが比較的に短い期間であったことは考えられます。アダムは ― 子供または若者としてではなく ― 成人として,肉体的にも知能的にも十分に成熟した人として,創造されました。歩けるようになるまではっていることも,話せるようになるまで片言を言っていることも必要ではありませんでした。彼はそうした能力を持つ者として創造されていましたから,天におられる創造者と対話することができ,また彼の住まいの園を耕し,その世話をする仕事に着手することができました。アダムは神の指示や,禁じられていた善悪の知識の木についての禁令も理解できました。(創世 2:15-17)ですからそうした面では,いつでも妻を迎える立場にあったでしょう。
 ところがある面ではアダムは創造されたときに,生まれたばかりの子供のようでした。なぜでしょうか。なぜなら,全くの成人であったとは言え,彼が創造された日はまだ彼の生涯の第一日目だったからです。彼の目に映るもの ― すべての樹木,花,植物,すべての小川,湖,川,あらゆる鳥,動物,それに魚 ― は皆,初めて見るものでした。彼がしたことすべてについても同じことが言えます。彼が歩いたとき,彼はまさに初めての第一歩を踏み出したのです。走り,登り,触り,かぎ,味わい,食べる経験も同じことで,彼にとってはすべてが新しい経験でした。エホバ神の魅惑的なみ手の業を観察し,自分の園の住まいを知るようになるにつれ,アダムはどんなにか大きな好奇心を感じたことでしょう。家族の頭として加えられた責任を担うようになるまでに,彼はその好奇心を満たす時間をどれほど許されたのでしょうか。
 そのエデンの住まいは,小さな地所ではなかったようです。創世記 2章によると,その境界内には,あらゆる種類の木が生えていました。またそこには「エデンから発して園を潤」す川がありましたが,それは分かれて四つの大河の上流を成すほどのものでした。そのうちの幾つかは今日も依然として流れています。(創世 2:8-10)アダムが,世話をし耕すよう自分に割り当てられた地域をよく知るためにこれらをすべて踏査するには,時間がかかったことでしょう。
 「しかし,最初から人間の伴侶である妻と共にそうした新しい経験をすれば,楽しいだろうに」と言う人もあるでしょう。そうかもしれません。しかしまた一方,アダムが先に相当の知識と経験を積んでいれば,そのほうがもっと良かったとも言えないでしょうか。そうすれば彼は,配偶者と一緒になる時に,彼女の質問に答えたり,物事について彼女に説明してやったりして,博識の頭である自分に対する彼女の尊敬を深め得る立場にあったでしょう。(エフェソス 5:22,23)背いて禁じられた木から取って食べた場合の結果について神から直接に警告されたアダムは,神が後ほど人のために創造される伴侶に対する神の預言者の立場に置かれました。―創世 2:16,17。
 聖書が実際に与えている唯一の情報はこれです。すなわち神は,エバの創造に先だって,ご自分が造っておられたすべての生き物を人のところへ連れて来ることを始められ,そして「人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣の名を呼んでいたが,人のためには,自分を補うものとしての助け手が見当たらなかった」ということです。(創世 2:18-20,新)このことを説明するには数語で足りますが,実際にはどのくらいの時間がかかっているでしょうか。
 創世記の記録は簡潔で,そこには,神が単に全部の動物と鳥を集めて一つの大きな群れにし,それから彼らを一列にしてアダムの前を通らせ,一方アダムはその一つ一つに大きな声で素早く名前を付けていった,と考えることを要求するような点は確かに見られません。なるほどアダムは,基本となる種族を扱うだけで,それらの種族から生まれ出た変種の動物すべてを扱わなくてもよかったのかもしれません。しかし,たとえそうであったとしても,次の可能性を認めないわけにはいきません。すなわち,神がそれらの動物をアダムのところへ『連れてこられた』ということは,アダムがしばらくの間彼らをよく研究し,彼らの特殊の習性や性質を観察したうえで,それぞれに特に適した名前を選べるように,彼らがアダムに十分近い所までやって来ることであったかもしれないということです。もしそうであったら相当の時間が経過したことが考えられます。また,アダムが新しく創造された妻をついに目にしたとき,彼の口から最初に出た言葉が,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」であったことも注目に値します。(創世 2:23,新)このことも,彼が自分と対をなす喜ばしい人間を得るまでにかなり待ったことを暗示していると取ることができます。
 では以上のことは何を意味するでしょうか。それはこういうことに過ぎません。そうした要素や,またそれらの要素から生まれ得る幾つかの可能性がある以上,アダムの創造から最初の女の創造までにどれほどの時が経過したかを,はっきり言うことはできない,ということです。それが一か月,数か月か,または一年といった短い期間であったのか,あるいはもっと長い期間であったのか,わたしたちには分かりません。しかし,それがどれほどの期間であったにせよ,神の第七「日」,すなわち神の大安息日が始まってからどれほどの時がたっているかを知るには,その期間を,アダムの創造以後経過した時間に加えなければなりません。そういうわけで,人間が存在し始めてから6,000年たったということと,神の七番目の創造の「日」が始まってから6,000年たつということは,全く別の問題なのです。そしてこの点に関してはわたしたちは,自分たちが時の流れをどこまで下っているか知りません。
 といってもこれは,わたしたちが年代計算に関心を持たないということではありません。神がそれを,ご自分の霊感による言葉の肝要な要素とすることを良しとされたのですから,わたしたちがそれに関心を持つのは当然です。使徒ペテロは,古代の預言者たちについて,「彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしている時,それが……特にどの時期あるいはどんな時節を示しているかを絶えず調べました」と述べています。―ペテロ第一 1:10,11。
 自分たちが現在どの「時期」にいるかを知ることにわたしたちが今関心を持っているのは正しいことです。ですから神はわたしたちにその必要な情報を与えてくださいます。神の昔の預言者たちは,神の言われたことがすべて確実に成就することを固く信じていました。詳細な事柄や時間的要素に分からないところがあっても,神の目的が不変であることに,わたしたちも同じように不動の信仰を持つことができ,また持つべきです。神のみ子は,その目的の成就を油断なく見守っていなければならない強力な理由を与えてくださいました。
 ……エホバの言葉に,わたしたちが今神の休みに入り,その中に入ったまま「大患難」を通過し,そのあとキリストの千年統治が地球を楽園に変える,とあれば,その言葉すなわち音信は真実です。神の言葉は本当に『もろ刃の剣のように鋭い』ものです。それはわたしたちがどんな考えを持ち,心にどんな意向を抱いているかをあらわにして,真のわたしたちを示します。わたしたちは,神を愛し,信頼し,そのみ言葉に全き信頼を寄せているがゆえに,エホバ神に奉仕しているでしょうか。それとも,他の人々の命にはほとんど関心を示さず,わたしたちが楽になるときとしてある特定の日の来るのを第一に求め,『良い事を行なうことに倦み疲れ』ているでしょうか。(ガラテア 6:9)わたしたちはエホバから頂いたもの,エホバの民との交わりから得たものすべてを感謝しているでしょうか。わたしたちが学んだ事柄は,家族生活を営む上で役立たなかったでしょうか。わたしたちは真理を知った結果として得た,現在の多くの真の友を愛していないでしょうか。―マルコ 10:29,30。
 神に奉仕してきた人の中には,特定の日または特定の年に何か起こる,という間違った考えに従って生活の計画を立てた人たちがいるかもしれません。そしてそういう理由から,さもなければ注意を払ったであろう事柄を延期したり,怠ったりしてきたかもしれません。しかしその人たちは,この事物の体制の終わりに関する聖書の警告の要点を捕えそこない,聖書の年代記述は明確な日を示すと考えていました。
 イエスご自身の言葉は,終わりに関する正しい態度について,どんなことを示しているでしょうか。それはある日を期待することですか。それとも何をすることですか。イエスはこう言われました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事をのがれ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」― ルカ 21:34-36。
 わたしたちが自分で,終わりの日,と考えるある特定の日まで資力が続けばよいのだから,そのように経済面の事柄や世俗の事柄を調節すべきである,という意味でイエスはこう言われたのでしょうか。もし自分の家がひどく傷んでいるなら,もう数か月必要なだけなのだからと仮定して,放置しておくべきでしょうか。または,家族の中に特別の医療を受ける必要がありそうな人がいる場合に,『まあ,この事物の体制の終わりも間近いことだから,治療は受けないで置きましょう』と言うべきですか。イエスが勧めたのはそのような考え方ではありません。
 では,イエスと使徒たちは,終わりのしるしを油断なく見張ることや,「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」ことについて話したとき,どういうつもりで話したのでしょうか。彼らはわたしたちに,その日は一瞬も遅れることなく,エホバの意図された時に必ず臨む,ということを確信させるつもりでした。ペテロの言葉によると,わたしたちはこのことに鼓舞されて,「聖なる行状と敬神の専念」とに励み,聖書の原則に従って生き,また王国の音信を熱心に宣べ伝えて,神に心を向けることが緊急に必要であることを人々に確信させなければなりません。(ペテロ第二 3:11,12)わたしたちは皆,神を崇拝する仕方を改善して,神との関係をより堅いものにすることができます。今までも最善を尽してきたでしょうし,その間に進歩してきたことでしょう。では終わりが非常に近いということは,わたしたちが自分の生活様式や神への奉仕の仕方を大きく変えなければならないということでしょうか。必ずしもそうではありません。しかしながら,聖書的に見て大いに改善を必要とする点はあるかもしれません。またもし,現体制内でのむなしい仕事から時間を買い取れるようなところがわたしたちの生活の中にあれば,それを買い取るべきです。この方法で多くの人は幾年にもわたり,全時間「開拓」奉仕の喜びを味わっています。わたしたちはだれでも,自分に何ができるかを調べてみることができます。―エフェソス 5:15,16。
 しかし,ある特定の日に照準を合わせて,自分や自分の家族に本当に必要な事柄など,わたしたちがクリスチャンとして普通に注意を払うような日常の事柄を怠るのは賢明ではありません。その「日」が来ても,クリスチャンは常に自分の責任をすべて果たさねばならない,という原則は変わらないことを,わたしたちは忘れかけているかもしれません。こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,その人は,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません。
 一方,あなたはある日を非常に重要視し,感心にも時の緊急性と人々の聞く必要とに一層深い注意を払ってきた人であるとしましょう。そして今,一時的に,多少失望を感じているとしましょう。あなたは本当に敗者でしょうか。あなたは本当に傷ついているでしょうか。あなたは,そのように良心的に行動することにより得をし,益を得た,と言えるとわたしたちは思います。またあなたは,本当に円熟した,より穏当な見方ができるようにされました。―エフェソス 5:1-17。
 終わりは全く不意に世界の上に臨む,と聖書は繰り返し告げています。使徒はこのことについて次のように述べています。「[裁きが行なわれる]エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです」。(テサロニケ第一 5:2)イエスは,真のクリスチャンたちが,『盗人が襲われるように』襲われることのないよう,当時の弟子たちにまで,そしてまた今日のわたしたちにこう言われました。「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなたがたは,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」。そしてそのあと,「あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」と言われました。(マタイ 24:42-44)イエスのこうした明確な陳述は次のことを暗示しています。すなわち,キリストが裁きのために「来る」時は,それが実際に生ずる時まで,神のしもべたちに知らされることは決してないということです。実際,その時は,彼らにとって『考えられない』ように思えるときに臨むでしょう。―ルカ 12:39,40。
 しかし,イエスが実際にどんなことについて警告されたかに注目してください。イエスの言葉は,「大患難」が近づくにつれ,あらゆる場所のあらゆる人々が飢餓状態に陥るような世界情勢が出現することを示してはいません。そうでなければ,どうしてイエスの弟子たちがその時に『食べ過ぎや飲み過ぎに押しひしがれる』危険があるでしょうか。またイエスが,大洪水前のノアの日の状態と,ソドムおよびゴモラの滅びる前のロトの日を例として用いておられることも忘れないようにしましょう。当時,人々の生活の仕方が普通の状態に見えたことを,イエスは示しておられます。彼らは,破滅が突如彼らを襲うその日まで,『飲んだり,食べたり,めとったり,嫁いだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたり』していました。―ルカ 17:26-30。
 ですからわたしたちは,「大患難」の必然的前兆として世界の諸体制が今にも停止しそうになる,あるいは事実上崩壊状態に達するのを予期してはいません。また,それらの体制が深刻な危機から明らかに立ち直るように見え,その明らかな回復の影響で神の裁きの日の到来が先に延びるかのように思えても,わたしたちは欺かれません。この体制が無限に続くものであるかのように,この世と共に“再建”に着手するようなことはしません。テサロニケ第一 5章3節の,霊感による使徒パウロの言葉によると,この世の人々は,「突然の滅びが,妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨み」,逃れる可能性が全く断たれてしまう直前に実際に,「平和だ,安全だ」と言います。
 食べたり,飲んだりすることも,めとったり,家族を育てたり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりするのは別に悪いことではありません。悪いのは,ノアやロトの日の人々がしたようにすることです。すなわち,そうした事柄に没頭するあまり神の目的と神の義の規準を見失い,生活の中で肉の事柄を第一にすることです。そうすることは霊的に眠りに落ち入ることです。その道とは反対に,使徒パウロはこう述べています。「しかし,兄弟たち,あなたがたはやみにいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にもやみにも属していません。ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」― テサロニケ第一 5:4-6。
 目ざめている,そしてやみの子ではなくて光の子であることを証明する,とはどういうことかを示して,パウロはローマ 13章11-14節で次のように述べています。「あなたがたは時節を,すなわち今がすでに眠りから覚めるべき時であることを知っている……今や,わたしたちの救いは,わたしたちが信者になった時よりも近づいているのです。夜はずっとふけ,昼が近づきました。それゆえ,やみに属する業を捨て去り,光の武具を着けましょう。浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,昼間のように正しく歩みましょう。そして,主イエス・キリストを身に着けなさい。肉の欲望のために前もって計画するようであってはなりません」。
 ですから,「大患難」がいつぼっ発するかも,神の子の千年統治がいつ始まるかも知らないからといって,そのために今日警戒している必要が少なくなるわけではありません。目ざめ,用心し,用意している必要は非常に増大します。もし正確な時を知っていたなら,わたしたちは気をゆるめ,その時が近くなったころに用意を始めればいい,という気になるかもしれません。しかし知らないなら,いつも用意していなければなりません。神の言葉である聖書の全趣旨,そして特に神のみ子の助言の趣意はそこにあります。
 したがって使徒の次の助言は,わたしたちにぴったり当てはまります。「それゆえ,互いに慰め,互いに築き上げることを,あなたがたが現に行なっているとおりに続けてゆきなさい」。(テサロニケ第一 5:11)わたしたちは,「起きることが定まっているこれらのすべてのことを逃れ」させる道を歩むよう,兄弟たちだけでなく,会衆外の人々をも,あらゆる機会を利用して助けます。(ルカ 21:36)親であるなら,子供たちが親と共に目ざめていてよく見張っているように,霊的事柄の価値を認めまた用心深い点で優れた模範を彼らに示すことに努めます。
 聖書の中で年代が記述されているのは,良い目的があるからこそです。その年代計算の示すところによると,わたしたちは人類史の6,000年の終わりにいます。この邪悪な事物の体制の上に神の不利な裁きが臨む時を示していないとはいえ,この年代上の事実は,残されている時が非常に短いことを確信し得る,わたしたちがすでに有する他の数多くの理由に今一つの理由を加えることは確かです。神の言葉は生きていて強力であり,わたしたちを義の新秩序に導き入れるという,神の言葉に対する強い確信の一つの根拠として,それらの理由に一層の支持を与えます。
 ですからわたしたちは,神のために,神のみ子のために,真理と義のために,そして命そのもののために常に目ざめていて,霊的に生きており活動していることを日ごとに示すようにしましょう。そうすればわたしたちは,起きることが定まっているこれらすべての事を首尾よく逃れることができるでしょう。真理の神であられるエホバ神は,わたしたちに厳粛な「ことば」を賜いました。「彼に信仰をおく者はだれも失望させられない」のです。(ローマ 10:11)どうかエホバとみ子があなたを豊かに祝福されますように。そしてあなたが今,また将来永久に,忠実な奉仕を続けられますように。



 勘違いした責任は勘違いした当人にありますという説明です。エホバの証人の組織や統治体には責任などないということです。

 この文書を読んで断定派の人たちは爆発状態になったのですが、ここまで話が進展してはっきりしたのは、断定派の人たちはほんとうに知らなかった、ということです。
 統治体がものみの塔出版物に繰り返し「断定しているわけではない」旨の説明を載せていたことや、『エバまでの期間』の問題について語ったこと、その後それを数カ月か数週間であろうと仮定してしまったこと、それを外部の人に語ってはならないと指示していたこと、こういったことすべてについて彼らは全く知らないという態度を取っていましたが、それは芝居などではありませんでした。文章を読んでいなかったのか、あるいは読みはしたが完全に忘れてしまったのか、あるいは自分が信じたいものだけを信じ込む気持ちがあったのか、おそらくそんなところだろうと思いますが、とにかく彼らはほんとうに勘違いをしており、そして騙されていたのです。

 この時期にエホバの証人が直面した混乱と危機は、実際にその場にいた人にしか理解できないと思います。ある人は「自分はこの宗教に騙されていた」と言いましたし、また「統治体はこの不始末の責任をとるべきだ」とも言いました。慎重派の人たちはそれに反論し、断定派の人たちを牽制したり、あるときには排除しようとさえしました。さらにその両者には「ある巡回監督はこう言った」、「うちの長老もこう言っていた」、「大会の講演でこのような言い回しが使われた」というような記憶がたくさんあって、断定派の人たちが「それなのに信じたほうが悪いというのか」と仕掛けると、慎重派は「しかし別の巡回監督や長老はこう言ったではないか、大会でもそうだ」と切り返すなど、個人の様々な発言を巡る終わりなき論争も生じました。こういった混乱のひとつひとつとその決着とについて語りはじめたらきりがありませんし、言葉を多くしても到底外部の方には理解してもらえないと思います。

 当時の一証言を紹介したいと思います。「新宗教時代」第4巻にて、大泉実成氏はこう書いています。



◇ 「新宗教時代」第4巻, 大泉実成氏の回顧録 (表記等修正)

 そして本当に懲りない人達というか何というか、またまたハルマゲドン預言が登場したのであった。今度は1975年の初秋、ということだった。
 しかし笑えないのは、その頃小学生だった僕が、この「1975年ハルマゲドン説」を頭から信じていた、ということである。
 ……当時小学生信者だった僕にはそんな細かい教理は判らなかった。僕はてひどいおばあちゃん子だったが、その祖母が『神の自由の子となって享ける永遠の生命』というムツかしそうな本の中にある、アダムの創造から現代までの年表を見せてくれたのである。そしてその最後に《1975年 (人類創造)6000年 人類生存の第6の1000年の日の終わり(初秋において)》と書いてあったのだ。
 『6000年の後にイエスの千年王国が来る』 これはしつこく教えられていたから、当然のように「ああこの時までにハルマゲドンが来るのか」と思ったのである。
 ……会衆の中でも、いくつか年上の兄貴分たちが、高校に進学せずそのまま伝道生活に入ったりした。
 ……ジャーナリストの江川透によれば、この他にも「転職した者、結婚を延期しているうちに破談になった者、大学をやめた者、決まっていた就職をキャンセルした者、病気の治療が遅れて命を落とした者……」などがいるそうである。たしかに、全世界に百万人以上の信者を持っていたのだから、このくらいのことが起きても不思議はないと思う。
 ……しかし結局のところ、1975年は何ごともなく過ぎていった。
 体の深いところで絶望感があり、何となく集会に行きたくないな、と思っていた頃、会衆で分裂騒動が起こった。
 僕が通っていたのは、茨城県の日立会衆という所だった。その会衆の創立者は小川兄弟という人で、会衆の長老を務め、いわば会衆の“顔”だった。なんとその人が、エホバの証人の首脳部を批判し、会衆を去っていってしまったのである。僕はその頃中学二年生だったので、事の次第は細かくは伝えられなかったが、どうやら背景には派閥抗争があったようだ。会衆の創立者で、いわば叩き上げの小川兄弟のグループと、後になってから長老として迎えられた、アメリカ帰りのエリートH兄弟グループの間にしっくりいかないものがあり、それがハルマゲドン問題を巡って一挙に吹き出してしまったらしい。
 後の会衆の発表では、「小川兄弟は会衆の創設者ということで、おごり高ぶってしまった」ということだったが、およそおごりなどという言葉がにつかわしくないような、腰が低くてやさしいおじさんだった。いずれにせよ、ハルマゲドンはこないわ、会衆の内部抗争は見せつけられるわで、うんざりした僕はその後二度と集会場に行かなくなった。
 この「1975年ハルマゲドン説」を巡って、信者たちの不満は世界中で爆発したようだ。ウッド氏らの試算によれば、この時期、4人に1人が協会を離れているという。
 信者たちからの批判や責任追及の声を、しかし、エホバの証人首脳部はすべて黙殺してしまった。それどころか、批判者を「背教者」として、会衆から追放してしまったくらいだ。責任問題に至っては、「特定の日だけに注目して失望している人は、自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく、自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り、自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」と述べ、75年説がまちがっていたのは、信者自身の理解が足りなかったせいだ、などと言い出したのである。『ものみの塔』や『神の自由の子となって享ける永遠の生命』で、あれほどはっきりと「1975年秋に人類創造の6000年が過ぎ、イエスの千年王国がやってくる」と書いたのは、どこの誰なのか。これでは世界中の信者が怒り狂うのは当然である。ウッド氏らの試算が正しければ、1970年代に、約7万人の信者が協会を離れたことになる。



 この時期エホバの証人社会はたいへんな疲弊を経験しました。最終的には、慎重派の人々からも「統治体は何らかの形で責任をとるべきではないか」という意見がでてくるようになります。エホバの証人組織もついにその要望に応えることになります。



◇ 「ものみの塔」誌1980年3月15日号 (日本語版は1980年6月15日号), ものみの塔聖書冊子協会

 もしわたしたちが常に忠実であるなら,神はわたしたちが自分の身を滅ぼすような間違いをしないようにしてくださいます。しかし時には,間違いをするままにしておかれることもあります。それは,神と神の言葉にいつも心を向けている必要をわたしたちに悟らせるためです。このことは,わたしたちと神との関係を深め,待っている間のわたしたちの忍耐力を強化します。わたしたちは自分の犯した間違いから,今後はもっと注意深くする必要があるということを学びます。全地が完全に新しい事物の体制下に入ることを願うクリスチャンの気持ちは,昔から現在に至るまで非常に強いものがあります。クリスチャン自身の寿命は短いものですから,彼らは自分の生涯中にそういう時が来てほしいと切に願ったに違いありません。神の裁きの時を「思いに留める」ことに努めていた人々が,その日の到来を切望するあまり,自分自身の思いの中でその望んでいる事柄の到来を早めようとしたことは,今までの歴史の上でも一度ならずありました。(ペテロ第二 3:12)例えば,第一世紀に使徒パウロは,テサロニケのクリスチャンたちに対して,次のように書き送る必要を認めました。テサロニケ第二 2章1-3節です。「しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの臨在,またわたしたちが彼のもとに集められることに関して,あなたがたにお願いします。エホバの日が来ているという趣旨の霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないようにしてください。だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされてはなりません。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わされてからでなければ,それは来ないからです」。
 現代においても,それを切望する気持ち ― それ自体は称賛に値するものですが ― は,全世界の人々の宿命である苦しみと悩みから解放される待望の日を決めようとする傾向を生み出しました。「神の自由の子となってうける永遠の生命」という本が発行され,その中に,キリストの千年統治が人類生存の第七千年期に当たると見るのは極めて妥当であるという注解があったことから,1975年という年に関するかなり大きな期待が生じました。そのときにも,またそれから後にも,これは単なる可能性に過ぎないということが強調されました。しかし不幸にして,そのような警告的情報と共に,その年までの希望の実現が,単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表されました。後者の陳述が警告的情報を覆い隠して,すでに芽生えていた期待を一層高める原因になったらしいのは残念なことでした。
 「ものみの塔」誌は,1976年10月15日号の中で,特定の日だけに目を留めるのが賢明でないことに触れ,次のように述べました。「こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,そういう人はみな,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」。「ものみの塔」誌が「みな」と言っているのは,落胆したエホバの証人全部ということです。したがって,その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々も,これに含まれます。
 それにしても,わたしたちがエホバの約束に対する信仰を弱める理由はありません。結果としてわたしたちは皆,この裁きの日の問題に関し聖書を一層綿密に調べる気持ちになっています。そうするなら,重要なのは日時ではないことがわかります。重要なのは,そういう日があるということ ― しかもその日は近づいており,わたしたちはその日に一人残らず申し開きをしなければならないということを,常に思いに留めていることです。クリスチャンは正しく「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」べきである,とペテロは言いました。(ペテロ第二 3:12)将来の特定の日ではなく,クリスチャンの日々の生き方が重要なのです。クリスチャンは一日たりとも,自分がエホバの愛のこもったご配慮と指導の下にあることやそれに従わねばならないこと,また自分の行動について申し開きをしなければならないことを忘れて生活してはならないのです。
 イエスは,わたしたちがそういう見方を保たねばならない理由を示し,「人の子は,自分の使いたちをともなって父の栄光のうちに到来することに定まっており,その時,おのおのにそのふるまいに応じて返報するのです」と言われました。(マタイ 16:27)使徒パウロも,「わたしたちはみな,神の裁きの座の前に立つことになるのです。……それですから,わたしたちはおのおの,神に対して自分の申し開きをすることになるのです」と指摘しています。(ローマ 14:10-12)「わたしたちはみなキリストの裁きの座の前で明らかにされねばならないからです。そうして各人は,それが良いものであれ,いとうべきものであれ,自分が行なってきたことに応じ,その体で行なった事がらに対する自分の報いを得るのです」。(コリント第二 5:10)その申し開きをする時までどのくらいあるのでしょうか。イエスは,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と言われました。(マタイ 24:13)その「終わり」はいつくるのでしょうか。それはこの事物の体制の終わる時に来るか,それよりも前に当人が死ぬことによって訪れるかのどちらかです。ではわたしたち各自には終わりが来るまでどれほどの時間が残されているでしょうか。自分の死ぬ日を算定できる人はいません。同様に,イエスは神の王国の建てられる時について,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなたがたのあずかるところではありません」と使徒たちに言われました。(使徒 1:7)わたしたちが世の終わる時を前もって算出することは不可能です。



 エホバの証人の統治体は、1975年に関することを「間違い」と呼び、さらに「単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表された」と認めました。そのうえで、断定派から「責任転嫁だ!」と非難された記述について、「その内容はわたしたちにも適用される」ということを遠回しに言います。要するに、統治体は信者たちの同情を乞うた、ということです。これは、断定派の人たちはともかくとして、慎重派のエホバの証人にとっては妥当にして受け入れられる謝罪の言葉となりました。

 この謝罪の言葉には取り引きとも言える表現が含まれています。この引用の最後にある「わたしたちが世の終わる時を前もって算出することは不可能です」という言葉です。これまでもこういう表現は使用されてきましたが、この時のものについては、「わたしたちはもう二度とハルマゲドンの年を掲げたりしません」という統治体の意思表明であると解されています。そのようなわけで、この謝罪により、エホバの証人組織がハルマゲドンの年代を掲げるのは1975年説が最後であるという暗黙の了解が統治体とエホバの証人社会の間に成立しました。信者側の総意としては、この表現がそういう意味でないとしたらもうやってられない、という気分があったわけです。統治体もそのことはよく理解しており、この後、エホバの証人の出版物には定期的にこの表現が掲載されるようになって現在に至っています。
 この謝罪の言葉によって1975年ハルマゲドン説の問題はひとまず幕を下ろすこととなります。

 『1975年ハルマゲドン説』を巡る一連の茶番劇は反対論の呼び水となりました。現在、この問題を論じる人たちには2つの大きなテーマがあります。



○ 『1975年ハルマゲドン説』は“偽預言”なのか

A1. 1975年説は偽預言である。エホバの証人の統治体とものみの塔聖書冊子協会は1975年にハルマゲドンが来ると預言し、その預言は当たらなかった。(反対者側の見解)
A2. 1975年説は「預言の解釈」であって預言ではない、よって外れたとしても偽預言ではない。(エホバの証人側の見解)

○ 『1975年ハルマゲドン説』は断言されたのか

B1. 断言こそしないものの、断定的な表現が用いられたために多くの混乱が生じた。(エホバの証人の公式見解)
B2. 当初は1975年にハルマゲドンが来ると断言していたが、1975年が近づくと態度を変えて慎重な言い回しを用いるようになった。そのため多くの混乱が生じた。(反対者の一部の見解)
B3. 1975年が終わるぎりぎりの時期まで1975年にハルマゲドンが来ると断言し続けていたが、1975年が過ぎると急に態度を変えて信者に責任を押しつけはじめた。そのため多くの悲劇が生じた。(反対者の一般的な見解)



 一般に事実であると認識されているのはA1とB3の組み合わせです。これは、この宗教の犠牲者であることを自認する断定派の人たちと、エホバの証人に反対する活動家の宣伝努力に負うころが多いようです。

 反対者たちにとって、1975年ハルマゲドン説についてのエホバの証人出版物の記述は宝の山のようなものです。いかにも断定的な言い回しがいくつもあるからです。それらを効果的に引用すれば、“エホバの証人は偽預言者である”という話を成立させることができます。

 ここでの問題は、その断定的な言い回しのエホバの証人出版物内における位置づけをどう考えるかだと思います。というのも、その断定的な言い回しには、「ではこれは1975年にハルマゲドンが来るという意味でしょうか。そうではありません。」という但し書きがついているからです。
 出版物において断定的な記述が用いられた理由はいくつかあります。一つは、それがハルマゲドンの年かどうかは別として、聖書年表によれば1975年が人類史の6000年に当たることはほぼ間違いないことであることです。この認識は今でも変わりません。そこで、「人類史6000年は1975年に満了する」ということを断言したとしても、間違っているとは言えません。もう一つに、「ここまで言うとしても断言していることにはならない」という旨の注釈がついているので、多少の断定的な表現は許容されていたことがあります。もう一つは現在的終末論です。現在的終末論の考え方では、ハルマゲドンが来る日に対する絶対的確信を表明しつつも、その日に実際にハルマゲドンが来るかどうかは別であると考えます。それで、期待に対する確信を表明するのは大いに結構ということになります。

 もし私が反対者なら、なるべく正直でありたいと思いますので、「A.そこだけを読むと1975年にハルマゲドンが来るとしか思えないような断定的な表現があって、B.それでもこれはこういう意味ではないという但し書きがつく」という論法自体を問題にすると思います。「こういう綱渡り的な論法を用いたのでは信者たちが混乱に陥るとしても当然ではないか」などと言えば、それだけで充分に批判になると思います。ところが、反対者たちの出している文書を見ても、そういう批判をされている方はあまりおられないようです。それはおそらく、正直に批判をやっていると「エホバの証人とものみの塔は“偽預言者”である」という反対者たちにとって重要な結論に話を進めることが困難になるからだと思います。

 反対者たちには誘惑があるようです。エホバの証人出版物から引用する際、但し書きの部分を隠して引用し、もっともな解説をつけて話を作ってしまおうという誘惑です。この誘惑に抵抗できた反対者は少ないということのようです。

 さて、ここで話を蒸し返すようなことになりますが、実はまだ『1975年ハルマゲドン説』が間違っていることは証明されていない、という点を指摘しておきたいと思います。確かに1975年にハルマゲドンは来ませんでしたが、それは『エバまでの期間』を限りなくゼロに近づけた場合の年であって、延ばした場合の年ではありません。この計算法が間違っていることが証明されるのは後者の年が過ぎた時です。
 聖書の年代表によると、アダムは130歳の時に息子セツの父となったとあります。それまでの部分にはアベルとカインの悲劇が記されていますので、これにおよそ15年の期間が必要だったと仮定すると、アダムからエバまでの期間の最大幅は115年であるということになります。1975年にこれを足すと2090年となります。ですから、2090年になるまで、1975年ハルマゲドン説の間違いは証明されないということになります。
 この計算には1000年の調整があったことも思い起こさなければなりません。1975年ハルマゲドン説は2090年になると間違っていることが証明されますが、そのもととなった『千年王国ヨベル説』が間違っていることが証明されるのは、それより1000年後の3090年です。千年王国ヨベル説を信じる人はまだ1000年ほど待たなければならないということです。

 1980年代になると1975年に関する騒動もすっかり落着しましたが、それですべてが終わったわけではありませんでした。エホバの証人組織は、1975年騒動以降放置されていたヨベルの教理に再度言及します。



◇ 「ものみの塔」誌1987年1月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 ユダヤ人は,モーセの律法契約の中にあるヨベルが大いなるヨベルの予型であることを知りませんでした。(コロサイ 2:17。エフェソス 2:14,15)クリスチャンのためのこのヨベルとは,人を自由にすることのできる「真理」,つまり,み子イエス・キリストを中心とした真理と関係しています。(ヨハネ 1:17)罪とその影響からの自由をさえもたらすこの大いなるヨベルが祝われるようになったのはいつからですか。西暦33年の春のペンテコステの日からです。この日は,イエスがご自分の犠牲の価値をエホバ神に差し出すために天に上られた十日後に当たります。―ヘブライ 9:24-28。
 ……「全能者なる神の大いなる日の戦争」は足速に近づいており,「小さな群れ」の残りの者も,彼らの忠実で忠節な仲間である「大群衆」も,エホバ神への忠誠を保ち,神から保護されることを期待しています。彼らは,エホバが宇宙の主権者としてのご自分の正しさを立証するため,敵の勢力すべてを徹底的に打ち負かすことを切望しています。この時,彼らが享受するクリスチャンの自由は,その頂点を成すすばらしい特色を帯びることになります。―啓示 16:14; 19:19-21。ハバクク 2:3。
 エホバの宇宙主権が再び確認され,イエス・キリストが王の王,主の主として地の事柄を完全に掌握するや,勝利を収めた王イエス・キリストの,清められた地に対する統治が行なわれます。次いでイエス・キリストは,復活させられた死者で,信仰を働かせ,神がキリストを通して備えてくださる罪の許しを快く受け入れる人々をも含め,幾百万という人々にご自分の犠牲の価値を直接適用されます。その点は,神が「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」状態が実現することによって立証されるでしょう。(啓示 21:3,4)これが真の解放でないとしたら,何が真の解放でしょうか。
 それだけではありません。地がもはや貪欲な人々や団体や人間の政府によって支配され,汚染され,破滅させられることはありません。(啓示 11:18)それどころか,地は真の崇拝者たちに戻されます。それらの崇拝者たちには,次のイザヤの預言の文字通りの成就にあずかるという喜ばしい仕事が課されます。「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。……彼らはいたずらに労することなく,騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫……だからである」。(イザヤ 65:21-25)千年統治の終わりまでに,受け継いだ罪と不完全さの痕跡はすべて拭い去られ,地上にいる,神の忠節な人々は,ヨベルの終結に当たる最高潮を祝っていることでしょう。ですから,ヨベルによって予示されていた解放は,その時までに達成されていることでしょう。―エフェソス 1:10。



 これまで“千年王国はヨベルである”という教理が守られていましたが、ここにきて新しい教理が出現しました。ヨベルはイエスの死後から始まり、徐々に発展して、千年王国の終わりに完成を見るだろうという教理です。

 ところが、さらにこのような記述があります。



◇ 「ものみの塔」誌1987年1月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 聖書預言の成就に関する研究,および時の流れの中でわたしたちの占める位置に関する研究によってかなりはっきり分かっているのは,創造の日(創世記 1章)は各1日が7,000年であるということです。また,神の7,000年間の『休みの日』,つまり創造の週の最後の『日』はキリストの千年統治によって終わりを告げることが分かります。(啓示 20:6。創世記 2:2,3)このような論拠からすれば,創造の週全体は4万9,000年ということになります。
 ……天へ取られるために選ばれた小さな群れの人々は,西暦33年のペンテコステ以降,それぞれ罪を許されており,そのため既にヨベルを享受していますが,聖書の示すところによると,信仰を抱く人類のための解放はキリストの千年統治の期間中に行なわれます。キリストがご自分の贖いの犠牲の益を人類に適用されるのはその時です。千年期の終わりまでに,人類は人間としての完全さにまで引き上げられ,受け継いだ罪と死から完全に自由にされます。こうして,キリストは最後の敵(アダムから伝えられた死)を終わらせ,4万9,000年にわたる創造の週の終わりに王国をみ父に渡されます。―コリント第一 15:24-26。



 つまり、教理を変更したものの、千年王国ヨベル説を棄てるまでには至らないということです。また、1975年にハルマゲドンが来なかったからといって、1975年ハルマゲドン説自体を放棄したわけではないことも間接的ながら示されています。

 エホバの証人の賛美歌「人類のヨベルの希望」は千年王国ヨベル説を歌うものですが、この後も歌われ続けました。



◇ 「エホバに向かって賛美を歌う」, 7番 「人類のヨベルの希望」, ものみの塔聖書冊子協会

1. 皆 罪に うめき 苦悶するも
  安息の日 来る 救い 近し
2. 安らぎのヨベル 自由 与う
  イエスは 来たらす み旨の下に
3. 千年統治に 人 癒されん
  栄光のヨベル なわめ 砕かん
4. エホバの民 告ぐ 希望の知らせ
  輝く目で 待つ 祈り かなうを



 それからこの件についてはほとんど音沙汰がなかったのですが、ちょうどこの文書の草案を立てていたころ、ヨベルに関する1987年の教理変更を再確認する記事が届きました。



◇ 「ものみの塔」誌2004年7月15日号, ものみの塔聖書冊子協会

 集団としての油そそがれた者たちにとって,クリスチャンのヨベルは西暦33年のペンテコステの日に始まりました。
 地上で永遠に生きる見込みを持つ「ほかの羊」についてはどうでしょうか。(ヨハネ 10:16)ほかの羊にとって,キリストの千年統治が回復と解放の時となります。イエスはこの千年期のヨベルのあいだ,信仰を持つ人々にご自分の贖いの犠牲の益を適用し,罪の影響を消し去ってゆかれます。(啓示 21:3,4)キリストの千年統治の終わりには,人々は人間としての完全さに達し,受け継いだ罪と死から全く自由にされます。(ローマ 8:21)それをもって,クリスチャンのヨベルは終わりを迎えます。



 ヨベルについての教理は変わらないということです。しかし、1975年ハルマゲドン説についての言及はありませんでした。この説については1987年以来全く音沙汰がありません。私の個人的見解では、今後も言及はないのではないかと思います。

 さて、最後にですが。
 私には、今回紹介した一連の文書の中に特に共感する部分があります。



◇ 「ものみの塔」誌1976年7月15日号 (日本語版は1976年10月15日号), ものみの塔聖書冊子協会

 わたしたちは,自分たちが時の流れをどこまで下っているか知りません。
 といってもこれは,わたしたちが年代計算に関心を持たないということではありません。神がそれを,ご自分の霊感による言葉の肝要な要素とすることを良しとされたのですから,わたしたちがそれに関心を持つのは当然です。使徒ペテロは,古代の預言者たちについて,「彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしている時,それが……特にどの時期あるいはどんな時節を示しているかを絶えず調べました」と述べています。―ペテロ第一 1:10,11。
 自分たちが現在どの「時期」にいるかを知ることにわたしたちが今関心を持っているのは正しいことです。



ペテロ第一 1:10-12

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
皆さんが受ける惜しみない親切について預言した預言者たちは,その救いに関して勤勉に探究し,注意深く調査しました。彼らは,自分の内にある聖なる力がキリストに関してどんな時や時期を示しているかを調べ続けました。神が聖なる力によって,キリストの苦しみとそれに続く栄光について事前に告げていたからです。預言者たちは,自分たちのためではなく皆さんのために奉仕していることを,啓示によって知りました。預言者たちが述べていた事柄は,天からの聖なる力によって良い知らせを広めた人たちを通して,皆さんに伝わりました。天使たちはそうした事柄を詳しく知りたいと願っています。



 私が諸教会の牧師たちを集めてこう言ったとしましょう。キリスト教会には聖書を解釈する神聖な務めが課されています。彼らは口をそろえて、そのとおりだ、と答えるでしょう。私はさらにこう言います。聖書には預言の言葉がありますから、預言の言葉を解釈する務めもあるということになります。彼らはこの言葉にもうなずくでしょう。続けて私は言います。預言の中には年代計算ということもありますから、年代計算にも取り組まなければなりません。これを聞くと彼らは黙ってしまうでしょう。ついに私は言います。聖書の年代計算の中で最重要なのはハルマゲドンの年代計算です。これを聞くと彼らは口々に、それは違う、そんなのは間違っている、と言い出すでしょう。

 今のキリスト教の信仰と価値観はそんな感じです。しかし、今私が牧師たちに言ったように、聖書自身はハルマゲドンの年代計算をやるよう教会に求めています。

 また、イエスはこのようなことも言っています。



マタイ 16:2-3

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
イエスは答えた。「あなた方は,夕方になると,『夕焼けだから,晴れる』と言い,朝には,『朝焼けで雲が出ているから,今日は冬のような雨が降る』と言います。空模様から天気を見分ける方法を知りながら,時代のしるしは見分けられないのです。



 すでに指摘したように、イエスはエホバに倣い、ハルマゲドンがもうすぐ来ると宣言してしまう“偽預言”を実践していました。それでイエスは、「あなたたちはどうして、世界情勢を分析し、ハルマゲドンがもうすぐであることに気づかないのですか」と人々に問いかけています。

 そこで私は思うのですが、いま、「時代のしるしを見分けよ」というイエスの言葉に従っている教会はどれくらいあるでしょうか。
 そして、このイエスの教えに従っている限り、どうしても避けられない結論があります。それは、「今こそが聖書の予告した『終わりの時代』であり、ハルマゲドンの日は近い」という結論です。実際にいつその日が来るかは関係ありません。信仰者が生きているのがいつどの時代であってもそう結論するしかない、というのがキリスト教における信仰の正しい姿なのです。



コリント第二 6:2

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神は,「私は受け入れられる時にあなたの言うことに耳を傾け,救いの日にあなたを助けた」と言っています。今こそ特に受け入れられる時です。今こそ救いの日です。



 エホバの証人は、この信仰を守り、1975年ハルマゲドン説を唱えた際にも繰り返しそのことに言及しました。
 この言及の存在は、エホバの証人のハルマゲドン信仰が自演的であることを示しています。私はこの宗教のこういうところに満足しています。キリスト教を信じるというなら、その信じ方はこうでなくてはならない、と思うのです。