エホバの証人のコラム

#12 1975年ハルマゲドン説


 エホバの証人は、ハルマゲドンが来るかもしれない年として幾つかの年を算出したことでよく知られています。とはいえ、そのいずれの年にもハルマゲドンは来ませんでした。そのうちの特に1975年については、比較的近年のことであることもあって、今でも証人たちの間で何かと話題になります。
 この件は反対者たちによっても詳しく取り上げられていますが、彼らはエホバの証人のことを“偽預言者”呼ばわりすることに過大な関心を抱いているようで、内容が偏り気味です。また、信者うちでいろいろ話を聞いてまわっていると、実際にあったこととの認識のずれがある方も多いようです。1975年の話はエホバの証人の間で昔話としてよく語られていますが、不正確さが目につきますので、私としては、ここでしっかりとしたものを示しておきたいと思いました。

 1975年ハルマゲドン説を唱えるにあたってエホバの証人が採用したのは、廃れていた『千年王国ヨベル説』です。これはキリスト教成立初期にはよく知られた説で、また広く支持されていましたが、聖書に直接的な根拠となる記述はなく、さらには聖アウグスティヌスによって否定されたこともあって、忘れ去られてしまったということのようです。これをエホバの証人は復活させ、1975年という年を算出することになります。
 ヨベルとは、旧約聖書において大安息の年と定められた年のことです。聖書は、神が創造の業を6日かけて行い、7日目を休みとされたと語っています。それにちなんでまず7日を周期とする安息日が制定されました。さらに、安息日にちなんで7年を周期とする安息年が制定されました。さらに、安息年周期の7年を1日と見立てた二重の安息年が制定されました。この期間は7年が7回で合計49年となります。49というのはきりが良くないですので、二重の安息年の翌年に1年を加えてこれを大安息の年とすることが定められました。これがヨベルです。ヨベルは50年周期で訪れます。
 聖書は、神の創造の7日目の休みの日がまだ続いていることを教えています。さらに聖書には、神にとっての1日は人間にとって1000年であるという内容の記述があります。さらに、イエス・キリストによる王国の支配は1000年である(千年王国である)と預言しています。これらの要素を合わせると、千年王国の支配は1000年を1日とするヨベルであるという興味深い結論がでてきます。この説によると、神の創造の1日の期間は1000年を7回繰り返した7000年となります。よって、神の創造の7日間は合計4万9000年となります。そのあとにキリストの千年王国の支配があって、すべての合計は5万年となります。
 安息日ここに極まれり、といったところです。この見事にして壮大な調和がエホバの証人の注目するところとなりました。
 もっとも、この説には二つばかり問題があります。一つは証明に関するものです。神の創造の休みがいつ始まったかが算出できないと、その7000年後も算出できません。これを算出するには聖書の年代記述を厳密な年表に置き換える作業が必要です。もう一つは現在的終末論との不調和です。聖書の記述は、神の休みが始まったのが今よりおよそ6000年前であることを示しています。これをそのまま千年王国ヨベル説に当てはめると、ハルマゲドンまであと1000年ほど待たなければならないことになります。そこで、あえて1000年を前倒しにする調整が行われました。これについて、「ものみの塔」誌1987年1月1日号はこう説明しています。

『一部の人は,数字の類似性に注目して,49年という古代のヨベルの周期を上述の4万9,000年の創造の週と対比させました。それらの人はそのように論じて,イスラエルのヨベルの年(第50年)は,創造の週が終わった後に起きる事柄を予示もしくは予表しているはずだと考えました。
 しかし,ヨベルは特に人々の解放と回復の年であったことを忘れないでください。創造の週はおもにこの地球とその発展に関係しています。しかし,地上の人間に対する神の目的の展開について言えば,地球自体は奴隷状態に売り渡されていませんから,解放の必要はありません。解放が必要なのは人間のほうで,人間が存在してきた期間は4万9,000年ではなく6,000年ほどです。』

 つまり千年王国は7回目の7000年の最後の1000年に当てはめた方がよいだろうということです。

 1000年のずれのほうはこうしてひとまず済ましておくとして、もう一つの問題は年表です。聖書の年表は構築が難しく、エホバの証人は繰り返し年表の修正を余儀なくされてきました。それによって、千年王国が来る、つまりハルマゲドンが来る年の計算も何度も変わっていくことになります。しかし1943年になると、ようやく満足すべき内容の年表が示されるようになり、「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」という本において1972年が示されました。
 この年表が完成を見たのは1963年の「聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です」と題する本においてです。この本によってはじめて、1975年という年が示されるようになりました。
 ところが、この本はこの計算にさらにもう一つの問題があることを明らかにしました。

『では,これは,エホバが『そのすべての業を休んでおられる』その『日』が1963年までに5,988年経過したことを意味していますか。そうではありません。というのは,アダムが創造された時はエホバの休みの日の始まりに当たるわけではないからです。アダムの創造に続いて,なお創造の第六日のうちに,エホバはさらに動物や鳥などの被造物を形造られたように思えます。また,エホバはアダムに動物の名を付けさせましたが,それにはある程度の時間がかかりました。それからさらに,エバを創造されました。アダムの創造から『六日目』の終わりまでにどれほどの時間が経過したにしても,『七日目』の始まりから1963年までに経過した時間の実際の長さを知るには,その『六日目』の終わりまでに経過した時間を5,988年から差し引かなければなりません。時の流れの中でなお将来の事柄に属する種々の年代について推測するのに聖書の年代記述を用いるのは無駄なことです。

 困ったことに、聖書の年表では、アダムの生まれた年は算出できるものの、そのあとに神によって創造されたエバの生まれた年は算出できません。神の創造の休みがエバの創造のあとに始まったことは確かなことなので、ここで証明のための努力は手詰まりとならざるを得ませんでした。

 しかし1966年に「神の自由の子となってうける永遠の生命」という本が発行され、1975年について踏み込んだ言い回しが用いられるようになりました。これは、反対者たちなどによって「1975年にハルマゲドンが来ることが預言された」とされているものです。

『人類はいま多くの束縛につながれ、おさえつけられていますが、ヨベルの年によって予表されていた実体すなわち全地において全人類に自由のふれ示される時が急速に近づいています。地球上至るところに見られる事態また世界情勢に照らしてみる時、ヨベルの年にもたらされたような解放が早くもたらされることは、緊急に必要でありましょう。機が熟すのは近い将来でなければなりません。文字に記された神のことばは、その時が近い将来に定められていることを示しています。……
 聖書の年代の記録と世界史の年代とを合わせると、今日までの時を計ることができます。そうすると、人類生存の6000年が終わりに近づき、7番目の千年区分が始まろうとしていることが明らかになります。……信頼できるこの聖書年代表に従って言えば、人間創造以来6000年になるのは1975年のことです。そして、人類歴史の第7の千年区分は、西暦1975年の秋に始まります。
 それで人間が地球上に存在するようになって以来6000年になるのは、近い将来、すなわちこの時代のうちのことです。……過ぎ去ろうとしている人間生存の6000年間も、エホバ神の見地からは1日24時間の6日に相当するにすぎません。……ゆえにこの時代のうちに、そして多くの年を経ないうちに、わたしたちは、エホバ神の目から見て人間生存の第7日に当たる日を迎えることになります。
 エホバ神がこの第7の千年期を休息と解放の安息の期間とし、全地の住民に自由をふれ示すための、大いなるヨベルの安息にされるのは、全く適切なことではありませんか。それは人類にとって全く時宜を得たことです。それはまた神にとっても全くふさわしいことでありましょう。忘れてならないことに、人類の前途には、聖書巻末の本に述べられているようにイエス・キリストが千年のあいだ地を治める、キリストの千年統治があるからです。19世紀前、地におられた時、イエス・キリストはご自身について預言的に「人の子は安息日の主である」と言われました。「安息日の主」イエス・キリストの支配が、人間生存の第七の千年期と時を同じくしていることは、単なる偶然ではなく、エホバ神の愛の目的によるのです。
 神の昔の律法に定められていたヨベルの年は、「きたるべき良いことの影」でした。それが予表していた実体は、苦しんでいる被造物、人間すべての益のために、必ず来なければなりません。それがもたらされる祝福の時は、急速に近づいています。まもなく、この時代のうちに、神の力によって象徴的なラッパが吹き鳴らされ、「国中のすべての住民に自由」がふれ示されるでしょう。神はその必要を予見され、預言者モーセを経て与えられた神の昔の律法の中にそれが予表されるように取り計らわれました。きたるべき世界的な大ヨベルの年が神の律法の中に予表されていたことは、それが栄光のうちに全く実現するための完全な法的基礎となっています。したがって、人間の手によらず全能の神によって、被造物の人間がなお解放される十分の理由があるのです。長い間待たれたその時は近づいています!』

 このような見解が発表された背後には、それに両立する二つの見解がこの見解を妥当にするという考えがありました。その一つは、この本が発表されたときに統治体のメンバーが講演した内容にもあるように、「期待はするが断言はしない」という見解です。この講演の内容は「ものみの塔」誌1966年10月15日号(日本語版1966年12月15日号)に掲載されました。

『ボルティモア大会でフランズ兄弟は話の終わりに、1975年に関する興味深い説明を加えました。「私が演壇に上ろうとした時、一青年が近づいて来て、次のようにたずねました。『この1975年という年は何を意味しているのですか。何か色々の意味があるのですか』」とフランズ兄弟はさりげなく話し始め、一部次のように語りました。「皆さんはこの本の年表にお気づきでしょう。6000年にわたる人類の歴史は、これから約9年先の1975年には終わるでしょう。これは何を意味していますか。神の安息の日が紀元前4026年に始まったという意味ですか。それはあり得ることです。「永遠の生命」の本は、それを否定してはいません。この本は年表をのせているだけです。もしそうであるとすれば、それは私たちにとって何を意味しますか」。
 さらにフランズ兄弟は語り続けました。「では1975年についてはいかがですか。それはどういう意味ですか。1975年までには、サタンが束縛され、ハルマゲドンが終わるという意味ですか。それは十分に考えられます。神にとって不可能な事柄は何一つありません。それは、大いなるバビロンが1975年までに滅びるという意味ですか。それもあり得ることです。また、その時までにマゴブのゴグがエホバの証人を滅ぼし去ろうとして攻撃を加え、ゴグ自身が無力にさせられてしまうという意味ですか。それもあり得ます。しかし、私たちがそうだと言うのではありません。すべてのことは神にとって可能だという意味です。私たちには何も決められません。これから1975年までの期間に何が起きるかを明確に告げるようなことはだれもないようにしてください。しかし、皆さん、最も重要なことは、時は縮まっているという事実です。残された時はまさに終わろうとしています。これは疑う余地のないことです。
 かつて、異邦人の時の終わりである1914年が迫っていた時にも、異邦人の時がまさに終わろうとしていることを示すしるしは何もありませんでした。その年の6月になってさえ、何が起ころうとしているかを知る手がかりを何一つ、当時の世界情勢の中に見出すことはできませんでした。ところが突然ある人間が殺され、第一次世界大戦が引き起こされたのです。それから後のことは皆さんがご存じの通りです。イエスの預言どおり飢饉、地震、疫病が続いて起きました。
 1975年に近づいている現在はいかがですか。世界は今も平和がなく、世界戦争、飢饉、地震、疫病が今日まで続いてきました。そして1975年が迫ろうとしている今もこれらの状態は続いています。このような事柄は何かを意味していますか。それは、私たちが『終わりの時』にいるということをたしかに意味しています。イエスは言われました。『これらの事が起こりはじめたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから』。ゆえに、1975年が迫っている現在、私たちの救いはそれほど近いのです。
 では、残された時を最大限に活用し、許された時の間、すべての熱心な良いわざをエホバにささげましょう」とフランズ兄弟は人々に勧めました。』

 断言こそしませんが、そのつもりになって1975年には大いに期待しましょうということです。この見解は「ものみの塔」誌1967年5月1日号(日本語版1967年8月1日号)でも繰り返されました。

『興味深いことに、1975年の秋は人類の歴史の6000年の終わりに当たります。この事実は、聖書に収められている正確な年代表を用いて確証できます。では、その年は人類にとって何を意味しますか。その時、神は悪い者を処罰し、御子イエス・キリストによる千年統治を開始されるのでしょうか。それは大いにあり得ることですが、私たちは事の成り行きをさらに見守らねばなりません。しかし、これらの出来事を見るであろうとイエスの語った世代がその終わりに至っていることは確実です。時はまさに縮まっています。神の「時間表」によれば、まもなく永遠に過ぎ去ろうとしている悪の事物の制度の最終の時期に私たちは生きており、栄光に輝く新しい秩序は私たちの目前に迫っています。このゆえに、真のクリスチャンはいずこにあっても確かに喜ぶことができます。そうです。長年祈り求めてきた御国の成就が今や迫っているゆえに、喜んでいるのです。』

 もう一つの見解は、アダムが生まれてからエバが生まれるまでの期間を仮定するもので、「ものみの塔」誌1968年5月1日号(日本語版1968年8月15日号)に掲載されました。

『聖書にしるされた正確な年代によれば、アダムは創造の6日目の終わり、紀元前4026年のおそらく秋に創造されました。それから神は動物を人間のもとに連れてこられ、動物を名づけさせました。しかしアダムについて創世記はエホバの次のことばをしるしています。「人がひとりでいるのは良くない」。アダムはひとりきりのこの状態をきわめて速やかに、おそらく二、三日あるいは二、三週間のうちに悟ったことでしょう。語り合い、経験をわかち、生活をともにする伴侶の必要を感じたはずです。また動物を名づけるのにもそう長い時間を要したとは思われません。基本的な類に限って言えば、比較的短い時間に名づけることができたでしょう。……それでアダムが動物を名づけ、また伴侶の必要を感じたのは、アダムの創造後、まもなくのことでした。またふえて地をみたすことが人間に対するエホバのお目的であった以上、アダムにつづいて二、三週間あるいは二、三か月後にエバが創造されたと考えることは理にかなっています。それは同じ紀元前4026年のことです。エバの創造後ただちに神の安息である第七の期間が始まりました。ゆえに神の第7日は、人間が地上に生存している期間と明らかに一致しています。
 7000年にわたる神の第7日と関連して人間が時の流れの中でどこに位置しているかを計算するには、アダムとエバの創造の年である紀元前4026年から何年たっているかを知ることが必要です。……紀元前4026年の秋から1967年の秋までの年数を出すと、5992年になります。したがって第7日の6000年を満たすには、8年をあますのみです。1967年秋から8年後には1975年の秋を迎えるわけであり、その時には神の第7日すなわち安息の日に入って満6000年を経ていることになります。
 サタンの支配のもとで6000年にわたる悲惨、労苦、病気と死を味わってのち、人類は確かに救済すなわち安息を必要としています。ユダヤ人の1週の第7日すなわち安息日は、6000年にわたる罪と死から人類が引き上げられる、最後の1000年すなわちキリストの治める神の国の千年統治を表わすものです。ゆえに人類の歴史の6000年が終わりに近づいていることを、神の時の定めから知る時、クリスチャンは期待にみたされます。……
 目前の将来が刮目すべき出来事に満ちていることは確かです。この古い制度は完全な終わりに近づいているからです。「終わりの時」に関する聖書預言の最後の部分は、ここ何年かの間に成就を見、生き残った人類はキリストの栄光ある千年統治の下で解放されるでしょう。前途には困難な、しかし同時にすばらしい時があります。
 これは1975年にハルマゲドンの戦いがあるという意味ですか。どの年ということを断言できる人はひとりもいません。「その日、その時は、だれも知らない」とイエスは言われました。神のしもべにとっては、サタンの支配下にあるこの制度に残された時が急速に短くなりつつあることを知るだけでじゅうぶんです。残された時の短いこと、起ころうとしている、地球をゆるがす出来事そして自分の救いをはかる必要に目ざめない、あるいは気づかないとすれば、それは全く愚かなことです。』

 アダムからエバまでの期間を短く仮定することで、とりあえず1975年という年は確定したものとなりました。こうして、不完全ながら1975年ハルマゲドン説は体裁を整えていくことになります。

 しかし、「ものみの塔」誌1968年8月15日号(日本語版1968年11月15日号)の「1975年を待ち望むのはなぜか」という記事において、この計算にはさらに問題があることが指摘されることになります。

以上の研究から推して、ハルマゲドンの戦いは1975年の秋までに終わり、また待望のキリストの千年統治がその時までに始まると考えられるでしょうか。それはあり得ることです。しかし、人類生存の第7番目の千年期が、安息日に似たキリストの統治する千年期とどの程度厳密に合致するかをもう少し検討してみましょう。これら二つの期間が暦年において互いに一致するとすれば、それは単なる偶然ではなく、時にかなったエホバ神の愛ある御目的による事柄です。しかし、わたしたちの年代表はかなり正確ですが(絶対に誤りはないと言うことはできないので)、地上における人類生存の6000年が1975年の秋に終わるとせいぜい指摘できるにすぎません。これはエホバの創造の第7番目の“日“の最初の6000年が1975年に終わることを必ずしも意味するものではありません。なぜですか。なぜなら、アダムは、創造されたのちに、その“第六日”内のある期間生活したので、その未知の時間をアダムの生涯930年から引かなければ、第6番目の7000年の期間もしくは“日”がいつ終わったか、またアダムは“第七日”にはいってどれほどの期間生きたかを定められないからです。しかし、創造の第6番目の“日”は、グレゴリー暦によるアダムの創造の年以内に終わったと考えられます。その差は何年ではなく、恐らく何週間か何か月でしょう。……
 しかし、あまり重要ではありませんが、幾つかのむづかしい年代上の問題はまだ解決されていません。たとえばエジプト出国の際、エホバは年の始めを政暦の秋から教暦の春に変えられました。ではユダヤ人の暦に6ヶ月が加算されましたか、それとも引かれましたか。
 絶対に確実なことが一つあります。それは、聖書預言の成就によってさらに強力な裏付けを得た、聖書の年代表によれば、人類生存の6000年間が間もなく、そうです、この世代のうちに終わるということです! ゆえに今は、無関心でいたり、満足感にひたったりすべき時ではありません。「その日その時を知る者なし、天の使たちも知らず、ただ父のみ知り給ふ」と言われたイエスの言葉をもてあそぶ時でもありません。それどころか、今は、現在の事物の制度の悲惨な終わりが足ばやに迫っている事実に十分目ざめるべき時です。まちかわないでください。天の御父ご自身は「その日その時」のいずれをも知っておられますが、それで十分なのです!
 1975年より先の将来を見通すことはたとえできないにしても、そのために手をゆるめてもよいと言えますか。使徒たちはこの年まで見通すことさえできず、1975年については何一つ知らなかったのです。彼らは、割り当てられたわざを成し遂げるのに、わずかの時間しか残されていないことを見通し得ただけです。したがって、その筆になる記録にはすべて、事の急を告げる響きがあふれています。また、それは正しいことでした。もし手をゆるめ、あるいはぐずぐずして、終わりは何千年も先のことだと考え、気をゆるめたのであれば、自分の前に置かれたレースを決して走り抜くことはできなかったでしょう。しかしそうではありませんでした。彼らは懸命に、しかも早く走り、そして勝利を勝ち得たのです! それは彼らにとって生か死かの問題でした。
 この二十世紀後半のエホバの忠実な証人についても同じです。証人たちはクリスチャンとしての正しい見方を持っています。たゆまず続けられるその福音伝道の活動は、ここ十年間に見られる特異な事柄ではありません。証人たちは、単に1975年までエホバに奉仕するために献身したのではありません。キリスト・イエスが、「我に従ひきたれ」とその弟子たちに命ぜられ、歩むべき道を明らかに示されて以来、クリスチャンはいつもこの道を走ってきました。それで、キリスト・イエスのいだかれたと同じ心構えを保ってください。何事であれ、そのために手をゆるめたり、疲れはてたり、また、あきらめたりすることのないようにしましょう。大いなるバビロンや、サタンの支配する現在の事物の制度をのがれる人々は、今や命を目ざし、また神の国を目ざして走っており、1975年が訪れても、走り続けるでしょう。決してとどまることはありません! 彼らは賛美と奉仕をとわにエホバにささげつつ、永遠の命に通ずるこの輝かしい道を走り続けるでしょう!』

 内容的には従来のものとほぼ同じですが、ここでの新たな問題は1年のずれです。エホバの証人の計算法では1年は秋に始まりますが、聖書の大部分では春に1年が始まります。そこで、1年単位の計算をするときにこれを半年進めるか半年遅らせるかで1年の誤差が生じるということです。エホバの証人の統治体は、この1年の問題については解決策を示しませんでした。

 さて、ここで非常にやっかいなことが生じました。この「1975年を待ち望むのはなぜか」と題する記事を読んだ証人たちの中に、「この記事のおかげで1975年にハルマゲドンが必ず来るということがはっきりと分かった」などと言う人が現れたことです。記事の内容はまるでそういう趣旨でないのですが、表題が問題だったようです。なにしろ「1975年を待ち望むのはなぜか」という表題が大きな文字で印刷されているものですから、この文字を見ているうちに、もうなんだか1975年には必ずハルマゲドンが来るような気持ちになった人が続出したというわけです。
 この後エホバの証人は内部において二つの派に分裂していくことになります。慎重派と断定派です。結局この分裂は1975年まで続き、大きな破綻へとつながっていくことになります。

 ここですこし1975年ハルマゲドン説との関連について言及しなければならないのが、1960年代に提唱された世界的食糧不足説です。

 1962年に「沈黙の春」と題する本が出版されると、その内容に世界中が衝撃を受けました。この本は、このままだと地球は農薬まみれになって草一本生えない惑星になってしまうだろうと主張しているそうです。ちょうど世界は「農薬をたくさん使えば収穫量も増える」という『緑の革命』を実現しつつあり、食糧増産の意欲と成果にわいていましたが、これは農薬の使用量が飛躍的に増大していることを意味していました。しかも、この緑の革命はやがて破綻することになります。
 続いて1968年には、世界中を恐怖に陥れた「人口爆発」という本が出版されます。この本は、やがて人口の増加に食料の供給が追いつかなくなるだろうということを主張していました。こうして、1960年代には全く新しい形態の、宗教者ではなく科学者によって信奉される終末論が誕生するようになりました。
 この終末論に飛びついたのがいわゆるハリウッドです。この時代、映画や小説は極めて意欲的にこの終末論を扱った作品を送り出すようになりました。彼らは「人類の文明は極限にまで進歩した後に地球ごと崩壊し、残されたわずかな人間たちは……」などというシナリオを大衆の心に深く刻み込み、当たり前のものにしてしまいました。こうして人々の心の中には潜在的な終末への恐怖が植え込まれます。
 そんな社会的背景が要因となって、世界中の科学者や知識人によって引き起こされた一大狂言と言えるのが、この食糧不足説だということのようです。これは、1970年代に人類は未曾有の食糧危機に陥るであろうとするもので、多くの学者たちによって支持されました。特に、1967年に出版された「飢きん―1975年!」という本の影響は大きく、多くの学者たちがその内容に賛同しました。
 当時はまだ、科学の進歩が地球に与える影響がどのようであるかはほとんど理解されておらず、先に挙げた一連の本に書かれているようなことは、現在の知識から見れば妄想にも近いものでした。しかしそれゆえに、当時の知識人の抱く危機感は切実たるものであったようです。当時、この説が知識人の幅広い支持を受けたのは、その内容が確かであるかどうかより、終末の危機感によるところが大きかったと言われています。当時の知識人たちはみな、不完全なしかし最新の科学知識に基づいて「このままだと地球は破滅してしまう」と本気で信じており、「破局に向かう世界の流れを何とかしなければならない」という切迫した認識を持っていました。それで、1960年代に世界的食糧不足説が提唱されると、多くの知識人がそれに賛同したということのようです。
 この説はエホバの証人出版物にも掲載されるようになりました。たとえば、こんな具合です。

『今日,食物や,食物を買うお金だけを追い求める人は,失望に陥る以外にありません。どうしてですか。それは前途の事態のためです。現時点でさえ,南米・アフリカ・インド・中国大陸の合計15億もの人々は必要最少量の食事にことかき,栄養不良に陥っています。事実,南中華モーニング・ポスト紙,1969年1月2日号は,世界では毎分およそ66人が飢えのために死亡していると報じました。しかもこれは前途の事態からすれば序の口にすぎません。
 著名な一科学者はリーダーズ・ダイジェスト誌1969年2月号でこう述べました。「飢えとの戦いで人間が完敗したことは火を見るよりも明らかである。……餓死者の恐るべき増加を食い止めるのはすでに手遅れである。関係資料を豊富に引用した『飢きんの年,1975年!』の著者ウィリアムおよびパウロ・パドックは,世界の飢きんは1975年に猛威をきわめるであろうと予測している。……打つべき手はすでに打たれた。生き残る者がいてほしいと思うが,ほとんどいないことであろう」。
 どんな対策を講じようと,世界的な悲惨な飢きんは回避できないと科学者は見ているのです。なんと暗たんたる見通しでしょう。』

 いまになってみればひどい妄想としか言いようのないことですが、当時はこれが正しい認識であるかのように思われていました。なにしろ、とにもかくにも人類の滅亡は近づいているのですから、何を置いてもまず第一に人類は目前の危機に目覚める必要があったのです。
 ところが、食糧不足は確かにあったとはいえ、世界の滅亡はおろか局地的な滅亡も起こりませんでした。何事もなく予告された1970年代が過ぎていき、1980年代も過ぎていき、1990年代も過ぎていって、いまではこのような食糧不足説があったことも忘れ去られているという状態です。
 この説は断定派の証人たちにとってかなりの追い風になったようです。彼らは、「1975年に世界的食糧不足が生じると多くの学者が言うのだから、1975年には必ずハルマゲドンが来るに違いない」と考えました。

 もう一つ、1975年ハルマゲドン説との関連について言及しなければならないのが、カトリックの聖年です。
 バチカンは1975年を聖年と定め、この年を教会の和解と復興の年と位置づけました。エホバの証人は聖年に対してはいつも批判的で、この度もそうだったのですが、「目ざめよ!」誌1973年7月22日号にこのような表現があったために、断定派の人たちの勢いが増すことになりました。

『5月10日付のAP通信によると,ローマ法王パウロ六世は1975年を“聖年”とすると発表した。同法王は,1975年が,6億人のローマ・カトリック教会の教会員の間の,また彼らと他のクリスチャンとの間の和解のためにささげられるだろうと語った。しかし,1975年がほんとうに,キリスト教世界を祝福する“聖年”となるだろうか。ある人は1933年に,ローマ法王によって宣言された以前の“聖年”中に,ヒットラーが第二次世界大戦をぼっ発させる備えとして権力を増し加えていたことを思い出すだろう。そして今,聖書の預言は,その年がキリスト教世界の教会にとって“聖年”になるのにおよそ程遠いことを示している。法王が1975年を“聖年”として祝福したことは,来たるべき滅びからキリスト教世界の教会を救助するのに役立つだろうか。』

 断定派の人たちにとって、この記述は「1975年は聖年ではなくハルマゲドンの年になるであろう」という意味を持ちました。

 困ったこと、断定派の人たちは、禁じられていたにもかかわらず、「1975年には絶対にハルマゲドンが来るであろう」ということをエホバの証人の公式な教えとして外部の人に言い広めるまでになっていました。そのため、1975年が近づくと、これらの人たちの動きを牽制する記事が幾つか掲載されるようになります。
 世界的食糧不足説については、「ものみの塔」誌1974年4月1日号(日本語版1974年7月1日号)にこのような記事が掲載されました。

『アフリカ大陸は干ばつに見舞われてきました。国際連合の報告によると,エチオピアでは,1973年4月から8月までの間に,女や子どもを中心として5万人から10万人の人が死にました。これよりさらに多くの死者が出たという報告もあり,また,今なお週に1,000人の人が飢がのために死んでいると言われます。さらに西方に進むと,サハラ砂ばくの南側では,“記録に残るアフリカ史上最大の干ばつ”と呼ばれるもののために,幾百万の人が餓死の危険にさらされています。
 一方,アジアでは広い地域に米の不足が生じています。アジア全体について見ると,一人当たりの米の備蓄量はここ30年来の最低であり,その価格は二倍から三倍に急騰したと推定されています。
 しかし,あなたご自身を含め,今のところはそれほどの飢が状態を経験していないかたが多いことでしょう。比較的に言えば,あなたは依然として食糧を豊富に手に入れることができるかもしれません。しかしながら,国連食糧農業機関のA・H・ボエルマ理事長は,今後全世界にわたって事態が悪化することを述べています。生物学者ポール・アーリックは,世界的な飢きんが現実に近づいていることを信じています。それはいつのことですか。1970年当時,彼は次のように述べました。「1975年という推定は依然として妥当なものであるが,いずれにしても,運しだいで1972年から1985年のいつかである。実際の年を指定することはへりくつになろう」。
 世界的な食糧不足の兆候は,大方の“先進”国においてもすでに表われています。ここ数か月,米国,西ヨーロッパ,その他で,食糧品の価格は著しく上昇しませんでしたか。それはなぜですか。食糧の供給が不足しているからです。上まわる需要が価格を上昇させています。』

 断定派の人たちは分かったかのような顔をして「学者たちも食糧不足は1975年に来るんだと言っている」などと言っていましたので、この記事は彼らの話の腰を折る点である程度の効果があったようです。
 さらに、「王国奉仕」(現「わたしたちの王国宣教」)1974年6月号は、断定派の人たちをあからさまに牽制してこう述べています。

『今日の私たちに対するエホバの意志の中には,この体制の終わりが到来する前に王国について宣べ伝える重大なわざを完遂することが含まれています。エホバはこのことをみ言葉の中で明らかにしておられます。同様のわざを行なったイエス・キリストは言われました。「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」。
 イエスはためらうどころか,魂をこめて神への奉仕に携わりました。福音書に記されている歴史的なその奉仕の記録を読むと,王国を宣べ伝えるわざを行なう点でのイエスの行動力と熱心さに何と感動させられるのでしょう! イエスはごく短い時間しか持ち合わせていないことを知っておられたので,骨身を惜しまず働いてご自分の割当てを果たしました。今日,私たちはイエスの模範に見倣うべきではありませんか。王国を宣べ伝えるわざを完了するための残された時間が今やこれほど少なくなっているのですから,なおのことそうすべきではないでしょうか。
 そうです,この体制の終わりはまさに非常に近づいています! それは私たちの活動を増大させるべき理由ではありませんか。この点で私たちは,レースの終わりに近づいて猛然とラストスパートをかけるランナーから大切なことを学べます。イエスを見てください。明らかに彼は,地上におけるその最後の何日かの期間の活動の速度を速めました。事実,福音書の資料の27%余は,地上におけるイエスの奉仕の専ら最後の一週間の活動を扱ったものなのです!
 私たちもまた,慎重に,そして祈りの気持ちをこめて自分自身の事情を吟味してみるなら,現行の体制が終わる前のこの最後の期間中宣べ伝えるわざにもっと多くの時間や精力を費やせるということがわかるかもしれません。私たちの兄弟姉妹の多くはまさにそうしています。このことは開拓者の人数が急速に増えていることからも明らかです。
 そうです。1971年9月以来,開拓者の人数はただ1か月を除いてあとは毎月新最高数を記録し続けており,今日本では正規および特別開拓者は合計3,859人という空前の新最高数に達しました。これは2年半前の時よりも1,717人も増え,実に80%もの増加に当たります。これは私たちの心を暖めるものではありませんか。家や資産を売って,開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが,確かにそれは,邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。
 野外における奉仕の務めの点であなたの行ない得る事柄は,不健康あるいは家族に関する責任などの種々の事情のために制約される場合があるかもしれません。それにもかかわらず,開拓者の隊伍の中には,家族をかかえている人はもとより,健康上の制約を持っている人も少なくありません。しかし,それらの兄弟姉妹は生活を調整して,それぞれの責務を果たし,しかもなお野外の奉仕の務めに,開拓者に要求されているとおり,年に1,200時間,つまり月平均100時間を費やすことができるのです。
 ですから,自分にも開拓奉仕ができるかもしれないという見込みをあまり性急に退けてはなりません。慎重に,祈りの気持ちをこめて考慮してください。事情を分析してみると,もしかして自分の生活は取り除いて開拓奉仕を行なえるような不必要な重荷に煩わされているということがわかるかもしれません。もしあなたが独身だったり,あるいは結婚していても子供がいなかったりする場合は特にそうかもしれません。
 それてはこう自問してみてください。私は自分の命をどのように用いているだろうか。開拓奉仕を行なえるよう物事を調節できるだろうか。もし調節できるのにそうしないとすれば,私はエホバの意志を行なうよりもむしろ,個人的な欲望を充足させるために生きていることをエホバに示すことになるのだろうか。私たちはみな,使徒パウロが述べたように言い得る者でありたいと思います。「実際,わたしは自分が肉にあって今生きている命を,神のみ子に対する信仰によって生きているのです。み子はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださったのです。わたしは神の過分のご親切を押しのけるようなことはしません」。
 種々の事柄を調節して開拓奉仕を行なえる人たちには真実の祝福が待ち受けています。第一に,神がそのしもべたちすべてに今行なわせようと意図しておられる,宣べ伝えるわざに全時間あずかる点で確かに満足感が深まります。開拓奉仕をすれば,「大群衆」の成員となる見込みのある,なお散らされている人々を「救う」機会が増大します。また,奉仕があまり頻繁に行なわれていない区域にあなたが特別開拓者として派遣される特権が差し伸べられるかもしれません。
 それで,自分の命をどのように用いているかというこの問題をさっそく真剣に考慮してください。種々の事柄を整理して開拓奉仕を行なえるかどうかを考えてみてください。既に開拓奉仕をしている人たち,あるいは会衆の長老たちとこの問題を相談してはいかがですか。
 近づいた終わりについて書き記した使徒はこう言いました。「しかし,すべての事物の終わりが近づきました。ですから,健全な思いをもち,祈りのために目ざめていなさい」。ここに述べられている,『健全な思いをもちなさい』という言葉に注目してください。それはクリスチャンは思慮深く,つまり分別のある,道理にかなった仕方で行動することを意味しています。私たちは世の終わりが到来するある特定の年代に万事をかけているのではありません。むしろ,私たちはエホバに対する私たちの献身が全時間のそれであることを認識しています。私たちは来る年も来る年も,つまり永遠にわたってエホバに仕えるつもりでいるのです。「大患難」がどの年に訪れようと,それは義の王国をもたらす一つの段階に過ぎないことを私たちは理解しています。私たちはある年代にではなく,神の新秩序で命を得るということに目をとめていなければなりません。
 「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(英文)と題する1943年に発行された書籍を始めとして現在に至るまで,協会はある年代,つまり1972年,1974年,1975年そして再び1974年がこの地上の人類の歴史の6,000年の満了する年代と考えられることを示す証拠を公表してきました。しかし,それは「大患難」が1970年代の半ばのある特定の時点に起こると考えられるという意味ですか。「その日と時刻についてはだれも知りません」。私たちは「大患難」が非常に近いことは知っていますが,ある年代,もしくはある時期を独断的にふれ告げるべきではありません。統治体のある成員が述べた言葉として注目されているように,年代表に関する協会の見方が正しかったかどうかを調べるのは非常に興味深い事柄です。
 戸口で人々に証言するさい,私たちはある特定の年を「すべての事物の終わり」の時として芝居がかりに表現して,みだりに人騒がせをする軽率な人と思われるようなことがあってはなりません。むしろ,私たちは輝かしい王国の支配と,まもなく王国が地にもたらす幸福と平和と義とについて人々に告げて,人々の心に訴えるべきです。そのすばらしい希望について穏やかに,また暖かさをこめて話すなら,正しい事を好む気持ちのある人はその同じ希望を持ちたいと願って耳を傾けるものです。同様に,千年統治が近づいたことを考える点で『思いが健全で』あれば,開拓奉仕を始めることに関して道理にかなった実際的な取決めを設けるよう私たちは動かされるはずです。単にある年までエホバに全時間仕えるという計画を立てるべきではありません。私たちはいわば「万事を捨てる」のではなく,「健全な思い」をもってあらゆる事情を考慮に入れ,開拓奉仕を行なうため,また今後の年々開拓奉仕を続行するために必要な調節を行なうべきです。計画を立てるさい,自分に課されている責務や今後の年々果たさねばならなくなると思われる責務を考えに入れるべきです。』

 これは、断定派の人たちに対するかなりの牽制になったと思います。この記事のおかげで、断定派の人たちの多くが立場を変えたのではないかと思います。
 しかし、結局のところこの記事によって断定派の人たちの勢いが衰えることはありませんでした。この時期までに、断定派の人たちは、ただ「神の自由の子となってうける永遠の生命」の本のみを用いて1975年ハルマゲドン説を展開し、他の出版物に載せられた記事はほとんど無視するようになっていました。それでこの時彼らがどうしたかというと、彼らはこの記事の後半部分をあっさり無視して、前半部分だけを受け入れることにしました。
 この記事は、断定派の人たちにとっては「ハルマゲドンまでもう1年しかないのだからあなたも家や財産を処分しなさい」という意味でした。この記事を前半部分だけ読んで奮い立った断定派の人たちは、仕事を辞め、保険を解約し、家や資産を処分して、開拓奉仕者(フルタイムの聖書伝道者)になりました。そして「1975年に必ずハルマゲドンが来ます」ということを外部の人々にふれてまわりました。
 もちろん、記事が言いたかったのは、「家や資産を処分して聖書伝道に励むのはたいへん立派なことですが、1975年にハルマゲドンが来るからなどと思って軽々しくそういうことをしないでください」ということなのですが、その同じ記事が逆の意味を持つこともあったわけです。

 1975年になって、「ものみの塔」誌1975年5月1日号(日本語版1975年8月1日号)にこのような記事が載せられました。

『もう一人の講演者である,同協会の副会長F・W・フランズはクリスチャンの行なう宣べ伝える業の緊急性を聴衆に力強い仕方で銘記させました。副会長は,信頼のおける聖書の年代表によれば人類の6,000年の歴史は陰暦に照らしてみると今年の9月に終わることを強調しました。それは人類が公害による汚染や核兵器による破滅に直面するだけでなく,「飢死寸前になる」時期と一致します。フランズ兄弟はさらに,「現在直面している諸問題を抱えた人類が」現在の事物の体制下で,「第7,000年期に生き残れると考える根拠は何もない」とも述べました。
 それは,神がこの古い体制を滅ぼして新しい体制を設立なさる時を,わたしたちが正確に知っているという意味でしょうか。フランズ兄弟は,そうでないことを示しました。というのは,アダムの創造と,7,000年にわたる神の休息の日が始まった時点となるエバの創造との間の時の隔たりがどれほど短いかをわたしたちは知らないからです。とはいえ,エホバは「偉大な年代家」であられることを聖書が証明しており,また,「わたしたちは1914年が異邦人の時の終わりをしるし付ける動くことのない日付であるのを知っている」ゆえに,「この1975年という年が重要でないなどと考えるべきでない」旨同兄弟は指摘しました。さらにフランズ兄弟は,「わたしたちは,近い将来,つまりこの世代に起ころうとしている事柄に対する期待で満たされている」とも述べました。―マタイ 24:34。』

 ここでは、エバまでの期間は数週間か数カ月であろうとされたかつての見解が事実上撤回されています。これも断定派の人たちにとっては無視すべき事柄だったようです。

 さて、何事もなく1975年の10月になると、それに伴う種々の混乱が生じました。多くのエホバの証人が「こんなはずじゃなかった」という反応を示しました。1975年の秋には必ずハルマゲドンが来ると信じていたのに、そうならなかったのですから。
 この混乱に拍車をかけたのが、「ものみの塔」誌1975年10月1日号(日本語版1976年1月15日号)の記事です。

『陰暦によるユダヤ人の新年が1975年9月に始まって以来,人類の歴史は重大な時点に達しました。それはどんな時でしたか。聖書に基づく時の計算によれば,人類が地上に生存して以来,6,000年がその時に終わったのです。最初の人間アダムは,神の支配の下でずっと従順を保ったならば今なお生きており,この年の9月で6,000歳に達していたことでしょう。
 では,これは神ご自身,大「安息日」として『祝福し,神聖なものとされた』7,000年の期間の中で人類の生存が6,000年に達したということですか。そしてこの「安息日」の最後の1,000年であるキリストの千年王国統治が1975年9月から起算されるという意味ですか。
 そうではありません。なぜですか。聖書の記録の示すところによれば,その7,000年の「安息日」のすぐ前の「日」における神の創造は,アダムの創造をもって終了したのではありません。アダムの創造と彼の妻エバの創造の間には時間的な隔たりのあることが示されています。その期間に神はアダムに動物の名前を付けさせました。その期間が何週間,何か月さては何年に及んだものかはわかりません。それでエホバの偉大な「安息日」がいつ始まったのか,正確なことはわからないのです。また,それがいつ終わるのかも,はっきり知ることはできません。キリストの千年統治の始まりについても同じことが当てはまります。日付を確定する方法は聖書中に与えられていません。ゆえにその日付がいつであるか憶測するのは無益なことです。
 しかし聖書に記された時の記録は,人類歴史の6,000年が1975年という年に終わることを確かに示しています。』

 この記事を読んで、断定派の人たちは激怒しました。「今になって『そうではありません』とはどういうことだ」と彼らは言いました。「これまで、組織は1975年に必ずハルマゲドンが来ると断言し続けたではないか。それなのに、1975年が過ぎると「それは確かなことではありません」と言い始める。なんて卑怯なことだ」と言いました。また彼らはこうも言いました。「エバまでの期間の話など、これまで一度たりとも聞いたことがない、そういう話があるのならもっと早くに信者たちに知らせるべきではなかったか。そうしてくれたら、今になってこんなに失望することもなかった」。
 このように彼らが激怒の炎を上げているところにしているところになみなみと油を注いだのが、「ものみの塔」誌1976年7月15日号(日本語版1976年10月15日号)の記事です。

『邪悪な現体制について言えば,その「終わりの時」である時にわたしたちが住んでいるということを確信させる情報や証拠は十分あります。しかしこの外に,神がわたしたちに啓示しておられない事柄があります。その一つは,エルサレムに臨んだ患難が予表していた「大患難」,すなわちその成就においては地球的なものとなる患難のぼっ発する時です。
 これをわたしたちが知ることができないのには理由があります。まず,聖書の年譜は最初の人間アダムの創造の時から今までに6,000年が経過したことは明示していますが,その出来事からどれほど後に創造の六日が終わり,七番目の創造の期間すなわち「日」,つまり神の大安息日が始まったかは告げていません。創世記 2章3節には,エホバはその「日」を祝福し神聖にされた,と述べられています。したがって,その日のうちに,神のみ子の千年統治という手段によって邪悪な古い秩序が除かれ,神の義の新秩序が確立されるのは,妥当と考えられます。ですから,その1,000年という期間は,その大安息日の終わりの部分に当たり,地球とその住民が完全な状態に回復される時である,と信じてよい理由があるのです。そのときに神は,第七日とその結果について,他の創造の日に関して言われたように,「良し」と仰せになることができます。
 しかし,その大安息日は,アダムの創造の直後に始まったのではありません。アダムが創造された後ですがしかし創造の第六日が終わる前に,他の出来事が生じました。そのうちの一つは,わたしたちすべてにとって大きな重要性を持ちます。それは最初の女エバの創造でした。エバの創造がなかったなら,わたしたちのうちのだれも今日生きてはいないでしょう。なぜなら,使徒パウロがコリント第一 11章12節で,「女が男から出ているのと同じように,男も女を通してあるからです」と言っている通り,わたしたちは皆,生まれ出るのに人間の母を必要とするからです。
 男の創造から女の創造までには,どれほどの時が経過したのでしょうか。聖書はそれを示していません。それが比較的に短い期間であったことは考えられます。アダムは―子供または若者としてではなく―成人として,肉体的にも知能的にも十分に成熟した人として,創造されました。歩けるようになるまではっていることも,話せるようになるまで片言を言っていることも必要ではありませんでした。彼はそうした能力を持つ者として創造されていましたから,天におられる創造者と対話することができ,また彼の住まいの園を耕し,その世話をする仕事に着手することができました。アダムは神の指示や,禁じられていた善悪の知識の木についての禁令も理解できました。ですからそうした面では,いつでも妻を迎える立場にあったでしょう。
 ところがある面ではアダムは創造されたときに,生まれたばかりの子供のようでした。なぜでしょうか。なぜなら,全くの成人であったとは言え,彼が創造された日はまだ彼の生涯の第一日目だったからです。彼の目に映るもの―すべての樹木,花,植物,すべての小川,湖,川,あらゆる鳥,動物,それに魚―は皆,初めて見るものでした。彼がしたことすべてについても同じことが言えます。彼が歩いたとき,彼はまさに初めての第一歩を踏み出したのです。走り,登り,触り,かぎ,味わい,食べる経験も同じことで,彼にとってはすべてが新しい経験でした。エホバ神の魅惑的なみ手の業を観察し,自分の園の住まいを知るようになるにつれ,アダムはどんなにか大きな好奇心を感じたことでしょう。家族の頭として加えられた責任を担うようになるまでに,彼はその好奇心を満たす時間をどれほど許されたのでしょうか。
 そのエデンの住まいは,小さな地所ではなかったようです。創世記 2章によると,その境界内には,あらゆる種類の木が生えていました。またそこには「エデンから発して園を潤」す川がありましたが,それは分かれて四つの大河の上流を成すほどのものでした。そのうちの幾つかは今日も依然として流れています。アダムが,世話をし耕すよう自分に割り当てられた地域をよく知るためにこれらをすべて踏査するには,時間がかかったことでしょう。
 「しかし,最初から人間の伴侶である妻と共にそうした新しい経験をすれば,楽しいだろうに」と言う人もあるでしょう。そうかもしれません。しかしまた一方,アダムが先に相当の知識と経験を積んでいれば,そのほうがもっと良かったとも言えないでしょうか。そうすれば彼は,配偶者と一緒になる時に,彼女の質問に答えたり,物事について彼女に説明してやったりして,博識の頭である自分に対する彼女の尊敬を深め得る立場にあったでしょう。背いて禁じられた木から取って食べた場合の結果について神から直接に警告されたアダムは,神が後ほど人のために創造される伴侶に対する神の預言者の立場に置かれました。
 聖書が実際に与えている唯一の情報はこれです。すなわち神は,エバの創造に先だって,ご自分が造っておられたすべての生き物を人のところへ連れて来ることを始められ,そして「人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣の名を呼んでいたが,人のためには,自分を補うものとしての助け手が見当たらなかった」ということです。このことを説明するには数語で足りますが,実際にはどのくらいの時間がかかっているでしょうか。
 創世記の記録は簡潔で,そこには,神が単に全部の動物と鳥を集めて一つの大きな群れにし,それから彼らを一列にしてアダムの前を通らせ,一方アダムはその一つ一つに大きな声で素早く名前を付けていった,と考えることを要求するような点は確かに見られません。なるほどアダムは,基本となる種族を扱うだけで,それらの種族から生まれ出た変種の動物すべてを扱わなくてもよかったのかもしれません。しかし,たとえそうであったとしても,次の可能性を認めないわけにはいきません。すなわち,神がそれらの動物をアダムのところへ『連れてこられた』ということは,アダムがしばらくの間彼らをよく研究し,彼らの特殊の習性や性質を観察したうえで,それぞれに特に適した名前を選べるように,彼らがアダムに十分近い所までやって来ることであったかもしれないということです。もしそうであったら相当の時間が経過したことが考えられます。また,アダムが新しく創造された妻をついに目にしたとき,彼の口から最初に出た言葉が,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」であったことも注目に値します。このことも,彼が自分と対をなす喜ばしい人間を得るまでにかなり待ったことを暗示していると取ることができます。
 では以上のことは何を意味するでしょうか。それはこういうことに過ぎません。そうした要素や,またそれらの要素から生まれ得る幾つかの可能性がある以上,アダムの創造から最初の女の創造までにどれほどの時が経過したかを,はっきり言うことはできない,ということです。それが一か月,数か月か,または一年といった短い期間であったのか,あるいはもっと長い期間であったのか,わたしたちには分かりません。しかし,それがどれほどの期間であったにせよ,神の第七「日」,すなわち神の大安息日が始まってからどれほどの時がたっているかを知るには,その期間を,アダムの創造以後経過した時間に加えなければなりません。そういうわけで,人間が存在し始めてから6,000年たったということと,神の七番目の創造の「日」が始まってから6,000年たつということは,全く別の問題なのです。そしてこの点に関してはわたしたちは,自分たちが時の流れをどこまで下っているか知りません。
 といってもこれは,わたしたちが年代計算に関心を持たないということではありません。神がそれを,ご自分の霊感による言葉の肝要な要素とすることを良しとされたのですから,わたしたちがそれに関心を持つのは当然です。使徒ペテロは,古代の預言者たちについて,「彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしている時,それが……特にどの時期あるいはどんな時節を示しているかを絶えず調べました」と述べています。
 自分たちが現在どの「時期」にいるかを知ることにわたしたちが今関心を持っているのは正しいことです。ですから神はわたしたちにその必要な情報を与えてくださいます。神の昔の預言者たちは,神の言われたことがすべて確実に成就することを固く信じていました。詳細な事柄や時間的要素に分からないところがあっても,神の目的が不変であることに,わたしたちも同じように不動の信仰を持つことができ,また持つべきです。神のみ子は,その目的の成就を油断なく見守っていなければならない強力な理由を与えてくださいました。……
 エホバの言葉に,わたしたちが今神の休みに入り,その中に入ったまま「大患難」を通過し,そのあとキリストの千年統治が地球を楽園に変える,とあれば,その言葉すなわち音信は真実です。神の言葉は本当に『もろ刃の剣のように鋭い』ものです。それはわたしたちがどんな考えを持ち,心にどんな意向を抱いているかをあらわにして,真のわたしたちを示します。わたしたちは,神を愛し,信頼し,そのみ言葉に全き信頼を寄せているがゆえに,エホバ神に奉仕しているでしょうか。それとも,他の人々の命にはほとんど関心を示さず,わたしたちが楽になるときとしてある特定の日の来るのを第一に求め,『良い事を行なうことに倦み疲れ』ているでしょうか。わたしたちはエホバから頂いたもの,エホバの民との交わりから得たものすべてを感謝しているでしょうか。わたしたちが学んだ事柄は,家族生活を営む上で役立たなかったでしょうか。わたしたちは真理を知った結果として得た,現在の多くの真の友を愛していないでしょうか。
 神に奉仕してきた人の中には,特定の日または特定の年に何か起こる,という間違った考えに従って生活の計画を立てた人たちがいるかもしれません。そしてそういう理由から,さもなければ注意を払ったであろう事柄を延期したり,怠ったりしてきたかもしれません。しかしその人たちは,この事物の体制の終わりに関する聖書の警告の要点を捕えそこない,聖書の年代記述は明確な日を示すと考えていました。
 イエスご自身の言葉は,終わりに関する正しい態度について,どんなことを示しているでしょうか。それはある日を期待することですか。それとも何をすることですか。イエスはこう言われました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事をのがれ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」。
 わたしたちが自分で,終わりの日,と考えるある特定の日まで資力が続けばよいのだから,そのように経済面の事柄や世俗の事柄を調節すべきである,という意味でイエスはこう言われたのでしょうか。もし自分の家がひどく傷んでいるなら,もう数か月必要なだけなのだからと仮定して,放置しておくべきでしょうか。または,家族の中に特別の医療を受ける必要がありそうな人がいる場合に,『まあ,この事物の体制の終わりも間近いことだから,治療は受けないで置きましょう』と言うべきですか。イエスが勧めたのはそのような考え方ではありません。
 では,イエスと使徒たちは,終わりのしるしを油断なく見張ることや,「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」ことについて話したとき,どういうつもりで話したのでしょうか。彼らはわたしたちに,その日は一瞬も遅れることなく,エホバの意図された時に必ず臨む,ということを確信させるつもりでした。ペテロの言葉によると,わたしたちはこのことに鼓舞されて,「聖なる行状と敬神の専念」とに励み,聖書の原則に従って生き,また王国の音信を熱心に宣べ伝えて,神に心を向けることが緊急に必要であることを人々に確信させなければなりません。わたしたちは皆,神を崇拝する仕方を改善して,神との関係をより堅いものにすることができます。今までも最善を尽してきたでしょうし,その間に進歩してきたことでしょう。では終わりが非常に近いということは,わたしたちが自分の生活様式や神への奉仕の仕方を大きく変えなければならないということでしょうか。必ずしもそうではありません。しかしながら,聖書的に見て大いに改善を必要とする点はあるかもしれません。またもし,現体制内でのむなしい仕事から時間を買い取れるようなところがわたしたちの生活の中にあれば,それを買い取るべきです。この方法で多くの人は幾年にもわたり,全時間「開拓」奉仕の喜びを味わっています。わたしたちはだれでも,自分に何ができるかを調べてみることができます。
 しかし,ある特定の日に照準を合わせて,自分や自分の家族に本当に必要な事柄など,わたしたちがクリスチャンとして普通に注意を払うような日常の事柄を怠るのは賢明ではありません。その「日」が来ても,クリスチャンは常に自分の責任をすべて果たさねばならない,という原則は変わらないことを,わたしたちは忘れかけているかもしれません。こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,その人は,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません。
 一方,あなたはある日を非常に重要視し,感心にも時の緊急性と人々の聞く必要とに一層深い注意を払ってきた人であるとしましょう。そして今,一時的に,多少失望を感じているとしましょう。あなたは本当に敗者でしょうか。あなたは本当に傷ついているでしょうか。あなたは,そのように良心的に行動することにより得をし,益を得た,と言えるとわたしたちは思います。またあなたは,本当に円熟した,より穏当な見方ができるようにされました。
 終わりは全く不意に世界の上に臨む,と聖書は繰り返し告げています。使徒はこのことについて次のように述べています。「[裁きが行なわれる]エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです」。イエスは,真のクリスチャンたちが,『盗人が襲われるように』襲われることのないよう,当時の弟子たちにまで,そしてまた今日のわたしたちにこう言われました。「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなたがたは,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」。そしてそのあと,「あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」と言われました。イエスのこうした明確な陳述は次のことを暗示しています。すなわち,キリストが裁きのために「来る」時は,それが実際に生ずる時まで,神のしもべたちに知らされることは決してないということです。実際,その時は,彼らにとって『考えられない』ように思えるときに臨むでしょう。
 しかし,イエスが実際にどんなことについて警告されたかに注目してください。イエスの言葉は,「大患難」が近づくにつれ,あらゆる場所のあらゆる人々が飢餓状態に陥るような世界情勢が出現することを示してはいません。そうでなければ,どうしてイエスの弟子たちがその時に『食べ過ぎや飲み過ぎに押しひしがれる』危険があるでしょうか。またイエスが,大洪水前のノアの日の状態と,ソドムおよびゴモラの滅びる前のロトの日を例として用いておられることも忘れないようにしましょう。当時,人々の生活の仕方が普通の状態に見えたことを,イエスは示しておられます。彼らは,破滅が突如彼らを襲うその日まで,『飲んだり,食べたり,めとったり,嫁いだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたり』していました。
 ですからわたしたちは,「大患難」の必然的前兆として世界の諸体制が今にも停止しそうになる,あるいは事実上崩壊状態に達するのを予期してはいません。また,それらの体制が深刻な危機から明らかに立ち直るように見え,その明らかな回復の影響で神の裁きの日の到来が先に延びるかのように思えても,わたしたちは欺かれません。この体制が無限に続くものであるかのように,この世と共に“再建”に着手するようなことはしません。テサロニケ第一 5章3節の,霊感による使徒パウロの言葉によると,この世の人々は,「突然の滅びが,妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨み」,逃れる可能性が全く断たれてしまう直前に実際に,「平和だ,安全だ」と言います。
 食べたり,飲んだりすることも,めとったり,家族を育てたり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりするのは別に悪いことではありません。悪いのは,ノアやロトの日の人々がしたようにすることです。すなわち,そうした事柄に没頭するあまり神の目的と神の義の規準を見失い,生活の中で肉の事柄を第一にすることです。そうすることは霊的に眠りに落ち入ることです。その道とは反対に,使徒パウロはこう述べています。「しかし,兄弟たち,あなたがたはやみにいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にもやみにも属していません。ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」。
 目ざめている,そしてやみの子ではなくて光の子であることを証明する,とはどういうことかを示して,パウロはローマ 13章11‐14節で次のように述べています。「あなたがたは時節を,すなわち今がすでに眠りから覚めるべき時であることを知っている……今や,わたしたちの救いは,わたしたちが信者になった時よりも近づいているのです。夜はずっとふけ,昼が近づきました。それゆえ,やみに属する業を捨て去り,光の武具を着けましょう。浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,昼間のように正しく歩みましょう。そして,主イエス・キリストを身に着けなさい。肉の欲望のために前もって計画するようであってはなりません」。
 ですから,「大患難」がいつぼっ発するかも,神の子の千年統治がいつ始まるかも知らないからといって,そのために今日警戒している必要が少なくなるわけではありません。目ざめ,用心し,用意している必要は非常に増大します。もし正確な時を知っていたなら,わたしたちは気をゆるめ,その時が近くなったころに用意を始めればいい,という気になるかもしれません。しかし知らないなら,いつも用意していなければなりません。神の言葉である聖書の全趣旨,そして特に神のみ子の助言の趣意はそこにあります。
 したがって使徒の次の助言は,わたしたちにぴったり当てはまります。「それゆえ,互いに慰め,互いに築き上げることを,あなたがたが現に行なっているとおりに続けてゆきなさい」。わたしたちは,「起きることが定まっているこれらのすべてのことを逃れ」させる道を歩むよう,兄弟たちだけでなく,会衆外の人々をも,あらゆる機会を利用して助けます。親であるなら,子供たちが親と共に目ざめていてよく見張っているように,霊的事柄の価値を認めまた用心深い点で優れた模範を彼らに示すことに努めます。
 聖書の中で年代が記述されているのは,良い目的があるからこそです。その年代計算の示すところによると,わたしたちは人類史の6,000年の終わりにいます。この邪悪な事物の体制の上に神の不利な裁きが臨む時を示していないとはいえ,この年代上の事実は,残されている時が非常に短いことを確信し得る,わたしたちがすでに有する他の数多くの理由に今一つの理由を加えることは確かです。神の言葉は生きていて強力であり,わたしたちを義の新秩序に導き入れるという,神の言葉に対する強い確信の一つの根拠として,それらの理由に一層の支持を与えます。
 ですからわたしたちは,神のために,神のみ子のために,真理と義のために,そして命そのもののために常に目ざめていて,霊的に生きており活動していることを日ごとに示すようにしましょう。そうすればわたしたちは,起きることが定まっているこれらすべての事を首尾よく逃れることができるでしょう。真理の神であられるエホバ神は,わたしたちに厳粛な「ことば」を賜いました。「彼に信仰をおく者はだれも失望させられない」のです。どうかエホバとみ子があなたを豊かに祝福されますように。そしてあなたが今,また将来永久に,忠実な奉仕を続けられますように。』

 勘違いした責任は勘違いした当人にあるという説明です。エホバの証人の組織や統治体には責任などないということです。この文を読んで断定派の人たちは爆発状態になったのですが、ここまで話が進展してはっきりとしたのは、断定派の人たちはほんとうに知らなかった、ということです。統治体がものみの塔出版物に繰り返し断定しているわけではない旨の説明を載せていたことや、エバの期間の問題について語ったこと、その後それを数カ月か数週間であろうと仮定してしまったこと、それを外部の人に語ってはならないと指示していたこと、こういったことすべてについて彼らは全く知らないという態度を取っていましたが、それは芝居などではありませんでした。文章を読んでいなかったのか、あるいは読みはしたが完全に忘れてしまったのか、あるいは自分が信じたいものだけを信じ込む気持ちがあったのか、おそらくそんなところだろうと思いますが、とにかく彼らはほんとうに勘違いをしており、そして騙されていたのです。
 この時期にエホバの証人が直面した混乱と危機は、実際にその場にいた人にしか理解できないと思います。ある人は「自分はこの宗教に騙されていた」と言いましたし、また「統治体はこの不始末の責任をとるべきだ」とも言いました。慎重派の人たちはそれに反論し、断定派の人たちを牽制したり、あるときには排除しようとさえしました。さらにその両者には「ある巡回監督はこう言った」、「うちの長老もこう言っていた」、「大会の講演でこのような言い回しが使われた」というような記憶がたくさんあって、断定派の人たちが「それなのに信じた方が悪いというのか」と仕掛けると、慎重派は「しかし別の巡回監督や長老はこう言ったではないか、大会でもそうだ」と切り返すなど、個人の様々な発言を巡る終わりなき論争が生じました。こういった混乱のひとつひとつとその決着とについて語りはじめたらきりがありませんし、言葉を多くしても到底外部の方には理解してもらえないと思います。
 どうしても言葉足らずになりますが、当時の一証言を引用したいと思います。「新宗教時代」第4巻にて、大泉実成氏はこう書いています。

『そして本当に懲りない人達というかなんというか、またまたハルマゲドン預言が登場したのであった。今度は1975年の初秋、ということだった。
 しかし笑えないのは、その頃小学生だった僕が、この「1975年ハルマゲドン説」を頭から信じていた、ということである。……
 当時小学生信者だった僕には細かい教理は判らなかった。僕はてひどいおばあちゃん子だったが、その祖母が、『神の自由の子となってうける永遠の生命』というムツかしそうな本の中にある、アダムの創造から現代までの年表を見せてくれたのである。そしてその最後に《1975年 (人類創造)6000年 人類生存の第6の1000年の日の終わり(初秋において)》と書いてあったのだ。
 『6000年の後にイエスの千年王国が来る』これはしつこく教えられていたから、当然のように「ああこの時までにハルマゲドンが来るのか」と思ったのである。……
 会衆の中でも、いくつか年上の兄貴分たちが、高校に進学せずそのまま伝道生活に入ったりした。……
 ジャーナリストの江川透によれば、この他にも「転職した者、結婚を延期しているうちに破談になった者、大学をやめた者、決まっていた就職をキャンセルした者、病気の治療が遅れて命を落とした者……」などがいるそうである。たしかに、全世界に百万人以上の信者を持っていたのだから、このくらいのことが起きても不思議はないと思う。……
 しかし結局のところ、1975年は何ごともなく過ぎていった。
 体の深いところで絶望感があり、何となく集会に行きたくないな、と思っていた頃、会衆で分裂騒動が起こった。
 僕が通っていたのは、茨城県の日立会衆という所だった。その会衆の創立者は小川兄弟という人で、会衆の長老を務め、いわば会衆の“顔”だった。なんとその人が、エホバの証人の首脳部を批判し、会衆を去っていってしまったのである。僕はその頃中学二年生だったので、事の次第は細かくは伝えられなかったが、どうやら背景には派閥抗争があったようだ。会衆の創立者で、いわば叩き上げの小川兄弟のグループと、後になってから長老として迎えられた、アメリカ帰りのエリートH兄弟グループの間にしっくりいかないものがあり、それがハルマゲドン問題を巡って一挙に吹き出してしまったらしい。
 後の会衆の発表では、「小川兄弟は会衆の創設者ということで、おごり高ぶってしまった」ということだったが、およそおごりなどという言葉がにつかわしくないような、腰が低くてやさしいおじさんだった。いずれにせよ、ハルマゲドンはこないわ、会衆の内部抗争は見せつけられるわで、うんざりした僕はその後二度と集会場に行かなくなった。
 この「1975年ハルマゲドン説」を巡って、信者たちの不満は世界中で爆発したようだ。ウッド氏らの試算によれば、この時期、4人に1人が協会を離れているという。
 信者たちからの批判や責任追及の声を、しかし、エホバの証人首脳部はすべて黙殺してしまった。それどころか、批判者を「背教者」として、会衆から追放してしまったくらいだ。責任問題に至っては、「特定の日だけに注目して失望している人は、自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく、自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り、自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」と述べ、75年説がまちがっていたのは、信者自身の理解が足りなかったせいだ、などと言い出したのである。『ものみの塔』や『神の自由の子となってうける永遠の生命』で、あれほどはっきりと「1975年秋に人類創造の6000年が過ぎ、イエスの千年王国がやってくる」と書いたのは、どこの誰なのか。これでは世界中の信者が怒り狂うのは当然である。ウッド氏らの試算が正しければ、1970年代に、約7万人の信者が協会を離れたことになる。』
(表記等修正)

 こんな感じでそれこそ幾万もの事件があり、この時期エホバの証人社会はたいへんな疲弊を経験しました。最終的には、慎重派の人々からも「統治体は何らかの形で責任をとるべきではないか」という意見がでてくるようになります。その要望に応えたのが「ものみの塔」誌1980年3月15日号(日本語版1980年6月15日号)です。

もしわたしたちが常に忠実であるなら,神はわたしたちが自分の身を滅ぼすような間違いをしないようにしてくださいます。しかし時には,間違いをするままにしておかれることもあります。それは,神と神の言葉にいつも心を向けている必要をわたしたちに悟らせるためです。このことは,わたしたちと神との関係を深め,待っている間のわたしたちの忍耐力を強化します。わたしたちは自分の犯した間違いから,今後はもっと注意深くする必要があるということを学びます。全地が完全に新しい事物の体制下に入ることを願うクリスチャンの気持ちは,昔から現在に至るまで非常に強いものがあります。クリスチャン自身の寿命は短いものですから,彼らは自分の生涯中にそういう時が来てほしいと切に願ったに違いありません。神の裁きの時を「思いに留める」ことに努めていた人々が,その日の到来を切望するあまり,自分自身の思いの中でその望んでいる事柄の到来を早めようとしたことは,今までの歴史の上でも一度ならずありました。例えば,第一世紀に使徒パウロは,テサロニケのクリスチャンたちに対して,次のように書き送る必要を認めました。テサロニケ第二 2章1‐3節です。「しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの臨在,またわたしたちが彼のもとに集められることに関して,あなたがたにお願いします。エホバの日が来ているという趣旨の霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないようにしてください。だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされてはなりません。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わされてからでなければ,それは来ないからです」。
 現代においても,それを切望する気持ち―それ自体は称賛に値するものですが―は,全世界の人々の宿命である苦しみと悩みから解放される待望の日を決めようとする傾向を生み出しました。「神の自由の子となってうける永遠の生命」という本が発行され,その中に,キリストの千年統治が人類生存の第七千年期に当たると見るのは極めて妥当であるという注解があったことから,1975年という年に関するかなり大きな期待が生じました。そのときにも,またそれから後にも,これは単なる可能性に過ぎないということが強調されました。しかし不幸にして,そのような警告的情報と共に,その年までの希望の実現が,単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表されました。後者の陳述が警告的情報を覆い隠して,すでに芽生えていた期待を一層高める原因になったらしいのは残念なことでした。
 「ものみの塔」誌は,1976年10月15日号の中で,特定の日だけに目を留めるのが賢明でないことに触れ,次のように述べました。「こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,そういう人はみな,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」。「ものみの塔」誌が「みな」と言っているのは,落胆したエホバの証人全部ということです。したがって,その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々も,これに含まれます。
 それにしても,わたしたちがエホバの約束に対する信仰を弱める理由はありません。結果としてわたしたちは皆,この裁きの日の問題に関し聖書を一層綿密に調べる気持ちになっています。そうするなら,重要なのは日時ではないことがわかります。重要なのは,そういう日があるということ―しかもその日は近づいており,わたしたちはその日に一人残らず申し開きをしなければならないということを,常に思いに留めていることです。クリスチャンは正しく「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」べきである,とペテロは言いました。将来の特定の日ではなく,クリスチャンの日々の生き方が重要なのです。クリスチャンは一日たりとも,自分がエホバの愛のこもったご配慮と指導の下にあることやそれに従わねばならないこと,また自分の行動について申し開きをしなければならないことを忘れて生活してはならないのです。
 イエスは,わたしたちがそういう見方を保たねばならない理由を示し,「人の子は,自分の使いたちをともなって父の栄光のうちに到来することに定まっており,その時,おのおのにそのふるまいに応じて返報するのです」と言われました。使徒パウロも,「わたしたちはみな,神の裁きの座の前に立つことになるのです。……それですから,わたしたちはおのおの,神に対して自分の申し開きをすることになるのです」と指摘しています。「わたしたちはみなキリストの裁きの座の前で明らかにされねばならないからです。そうして各人は,それが良いものであれ,いとうべきものであれ,自分が行なってきたことに応じ,その体で行なった事がらに対する自分の報いを得るのです」。その申し開きをする時までどのくらいあるのでしょうか。イエスは,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と言われました。その「終わり」はいつくるのでしょうか。それはこの事物の体制の終わる時に来るか,それよりも前に当人が死ぬことによって訪れるかのどちらかです。ではわたしたち各自には終わりが来るまでどれほどの時間が残されているでしょうか。自分の死ぬ日を算定できる人はいません。同様に,イエスは神の王国の建てられる時について,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなたがたのあずかるところではありません」と使徒たちに言われました。わたしたちが世の終わる時を前もって算出することは不可能です。

 ここでエホバの証人の統治体は、1975年に関することを「間違い」と呼び、さらに「単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表された」と認め、そのうえで、断定派から「責任転嫁だ!」と非難された記述については、「その内容はわたしたちにも適用される」ということを遠回しに言いました。要するに、統治体は信者たちの同情を乞うた、ということです。これは、断定派の人たちはともかくとして、慎重派のエホバの証人にとっては妥当にして受け入れられる謝罪の言葉となりました。
 この謝罪の言葉には取引とも言える表現が含まれています。この引用の最後にある「わたしたちが世の終わる時を前もって算出することは不可能です」という言葉です。これまでもこういう表現は使用されてきましたが、この時のものについては、「わたしたちはもう二度とハルマゲドンの年を掲げたりしません」という統治体の意思表明であると解されています。そのようなわけで、この謝罪により、エホバの証人組織がハルマゲドンの年代を掲げるのは1975年説が最後であるという暗黙の了解が統治体とエホバの証人社会の間に成立しました。信者側の総意としては、この表現がそういう意味でないとしたらもうやってられない、という気分があったわけです。統治体もそのことはよく理解しており、この後、エホバの証人の出版物には定期的にこの表現が掲載されるようになって現在に至っています。
 この謝罪の言葉によって1975年ハルマゲドン説の問題はひとまず幕を下ろすこととなります。

 1975年ハルマゲドン説を巡る一連の茶番劇は反対論の呼び水となりました。現在、この問題を論じる人たちには大きく2つの思想と3つの歴史観があります。

A.思想について。

A1.1975年説は偽預言である。エホバの証人の統治体とものみの塔聖書冊子協会は1975年にハルマゲドンが来ると預言し、その預言は当たらなかった。(反対者側の見解)
A2.1975年説は預言の解釈であって預言ではない、よって外れたとしても偽預言ではない。(エホバの証人側の見解)

B.歴史観について。

B1.1975年については、断言こそしないものの、断定的な表現が用いられたために多くの混乱が生じた。(エホバの証人の公式見解)
B2.当初は1975年にハルマゲドンが来ると断言していたが、1975年が近づくと態度を変えて慎重な言い回しを用いるようになった。そのため多くの混乱が生じた。(反対者の一部の見解)
B3.1975年が終わるぎりぎりの時期まで1975年にハルマゲドンが来ると断言し続けていたが、1975年が過ぎると急に態度を変えて信者に責任を押しつけはじめた。そのため多くの悲劇が生じた。(反対者の一般的な見解)

 一般に事実であると認識されているのはA1とB3の組み合わせです。これは、今やエホバの証人組織の犠牲者であることを自称する断定派の人たちと、エホバの証人に反対する活動家の宣伝努力に負うころが多いようです。
 反対者たちにとって、1975年ハルマゲドン説についてのエホバの証人出版物の記述は宝の山のようなものです。いかにも断定的な言い回しがたくさんあるからです。それらを効果的に引用すれば、エホバの証人組織は偽預言者であるという話を成立させることができます。
 ここでの問題は、その断定的な言い回しのエホバの証人出版物内における位置づけをどうするかだと思います。というのも、その断定的な言い回しには、「ではこれは1975年にハルマゲドンが来るという意味でしょうか。そうではありません。」という但し書きがついているからです。出版物において断定的な記述が用いられた理由はいくつかあります。一つは、それがハルマゲドンの年かどうかは別として、聖書年表によれば1975年が人類史の6000年に当たることはほぼ間違いないことであることです。この認識は今でも変わりません。そこで、「人類史6000年は1975年に満了する」ということを断言したとしても、間違っているとは言えません。もう一つに、「ここまで言うとしても断言していることにはならない」という旨の注釈がついているので、多少の断定的な表現は許容されていたことがあります。もう一つは現在的終末論です。現在的終末論の考え方では、ハルマゲドンが来る日に対する絶対的確信を表明しつつも、その日に実際にハルマゲドンが来るかどうかは別であると考えます。それで、期待に対する確信を表明するのは大いに結構ということになります。
 もし私が反対者なら、なるべく正直でありたいと思いますので、「A.そこだけを読むと1975年にハルマゲドンが来るとしか思えないような断定的な表現があって、B.それでもこれはこういう意味ではないという但し書きがつく」という論法自体を問題にすると思います。「こういう綱渡り的な論法を用いたのでは信者たちが混乱に陥るとしても当然ではないか」などと言えば、それだけで充分に批判になると思います。ところが、実際に反対者たちの出している反対文書を見てみますと、そういう批判をされている方はあまりおられないようです。それはおそらく、正直に批判をやっていると「エホバの証人とものみの塔は“偽預言者”である」という反対者たちにとって重要な結論に話を進めることが困難になるからだと思います。
 1975年に関して反対者たちには悪しき誘惑があるようです。エホバの証人出版物から引用する際、但し書きの部分を隠してそれ以外の記述だけを引用し、それにもっともな解説をつけて話を作ってしまおうという誘惑です。この誘惑に抵抗できた反対者は非常に少ないということのようです。

 さて、ここで話を蒸し返すようなのですが、実はまだ1975年ハルマゲドン説が間違っていることは証明されていない、という点を指摘しておきたいと思います。確かに1975年にハルマゲドンは来ませんでしたが、それはエバの期間を限りなくゼロに近づけた場合の年代であって、限りなく延ばした場合の年代ではありません。この計算法が間違っていることが証明されるのは、後者の年代が過ぎた時であるということになります。
 聖書の年代表によると、アダムは130歳の時に息子セツの父となったとあります。それまでの部分にはアベルとカインの悲劇が記されていますので、これにおよそ15年の期間が必要だったと仮定すると、アダムからエバまでの期間の最大幅は115年であるという事になります。1975年にこれを足すと2090年となります。ですから、2090年になるまで、1975年ハルマゲドン説の間違いは証明されないということになります。
 ここでもう一つの点について気づかれた方もおられると思います。また話をややこしくすることになりますが、この計算法には1000年の調整があったことを思い起こさなければなりません。1975年ハルマゲドン説は2090年になると間違っていることが証明されますが、そのもととなった「千年王国ヨベル説」が間違っていることが証明されるのは、それより1000年後の3090年です。千年王国ヨベル説を信じる人はまだ1000年ほど待たなければならないということです。

 話を戻しましょう。1980年代になると1975年に関する騒動もすっかり落着しましたが、それですべてが終わったわけではありませんでした。「ものみの塔」誌1987年1月1日号(日本語版1987年1月1日号)は、1975年騒動以降放置されていたヨベルの教理に手をつけます。

『ユダヤ人は,モーセの律法契約の中にあるヨベルが大いなるヨベルの予型であることを知りませんでした。クリスチャンのためのこのヨベルとは,人を自由にすることのできる「真理」,つまり,み子イエス・キリストを中心とした真理と関係しています。罪とその影響からの自由をさえもたらすこの大いなるヨベルが祝われるようになったのはいつからですか。西暦33年の春のペンテコステの日からです。この日は,イエスがご自分の犠牲の価値をエホバ神に差し出すために天に上られた十日後に当たります。……
 「全能者なる神の大いなる日の戦争」は足速に近づいており,「小さな群れ」の残りの者も,彼らの忠実で忠節な仲間である「大群衆」も,エホバ神への忠誠を保ち,神から保護されることを期待しています。彼らは,エホバが宇宙の主権者としてのご自分の正しさを立証するため,敵の勢力すべてを徹底的に打ち負かすことを切望しています。この時,彼らが享受するクリスチャンの自由は,その頂点を成すすばらしい特色を帯びることになります。
 エホバの宇宙主権が再び確認され,イエス・キリストが王の王,主の主として地の事柄を完全に掌握するや,勝利を収めた王イエス・キリストの,清められた地に対する統治が行なわれます。次いでイエス・キリストは,復活させられた死者で,信仰を働かせ,神がキリストを通して備えてくださる罪の許しを快く受け入れる人々をも含め,幾百万という人々にご自分の犠牲の価値を直接適用されます。その点は,神が「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」状態が実現することによって立証されるでしょう。これが真の解放でないとしたら,何が真の解放でしょうか。
 それだけではありません。地がもはや貪欲な人々や団体や人間の政府によって支配され,汚染され,破滅させられることはありません。それどころか,地は真の崇拝者たちに戻されます。それらの崇拝者たちには,次のイザヤの預言の文字通りの成就にあずかるという喜ばしい仕事が課されます。「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。……彼らはいたずらに労することなく,騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫……だからである」。千年統治の終わりまでに,受け継いだ罪と不完全さの痕跡はすべて拭い去られ,地上にいる,神の忠節な人々は,ヨベルの終結に当たる最高潮を祝っていることでしょう。ですから,ヨベルによって予示されていた解放は,その時までに達成されていることでしょう。

 これまで、千年王国はヨベルであるという教理が守られていましたが、ここにきて新しい教理が出現しました。ヨベルはイエスの死後から始まり、徐々に発展して、千年王国の終わりに完成を見るだろうという教理です。
 ところが、このあとの記述にこのような表現があります。

『聖書預言の成就に関する研究,および時の流れの中でわたしたちの占める位置に関する研究によってかなりはっきり分かっているのは,創造の日(創世記 1章)は各1日が7,000年であるということです。また,神の7,000年間の『休みの日』,つまり創造の週の最後の『日』はキリストの千年統治によって終わりを告げることが分かります。……
 天へ取られるために選ばれた小さな群れの人々は,西暦33年のペンテコステ以降,それぞれ罪を許されており,そのため既にヨベルを享受していますが,聖書の示すところによると,信仰を抱く人類のための解放はキリストの千年統治の期間中に行なわれます。キリストがご自分の贖いの犠牲の益を人類に適用されるのはその時です。千年期の終わりまでに,人類は人間としての完全さにまで引き上げられ,受け継いだ罪と死から完全に自由にされます。こうして,キリストは最後の敵(アダムから伝えられた死)を終わらせ,4万9,000年にわたる創造の週の終わりに王国をみ父に渡されます。』

 すこし意味が難しいかもしれません。聖書によると、千年王国において救われる人たちは二つのグループに分類されます。一つは、天に召されてイエス・キリストと共に王また祭司として支配する支配層のグループ、一つはその支配を受ける市民のグループです。この記事は、前者のグループにとってのヨベルはイエスの死後に始まり、後者のグループにとってのヨベルは千年王国で始まる、そしてその両者のヨベルは千年王国の終了時に共に完成すると述べています。つまり、大きく教理を変更したものの、エホバの証人の統治体が千年王国ヨベル説を棄てるまでには至らなかったということです。また、1975年にハルマゲドンが来なかったからといって、1975年ハルマゲドン説自体を放棄したわけではないことも間接的ながら明言されています。
 エホバの証人の賛美歌の第7番「人類のヨベルの希望」は千年王国ヨベル説を歌うものですが、この後も歌われ続けました。
 それからこの件についてはほとんど音沙汰がなかったのですが、ちょうどこの記事の草案を立てていたころ、「ものみの塔」誌2004年7月15日号(日本語版2004年7月15日号)が届きました。これはヨベルに関する1987年の教理変更を再確認するものです。

『集団としての油そそがれた者たちにとって、クリスチャンのヨベルは西暦33年のペンテコステの日に始まりました。
 ほかの羊にとって、キリストの千年統治が回復と解放の時となります。イエスはこの千年期のヨベルのあいだ、信仰を持つ人々にご自分の贖いの犠牲の益を適用し、罪の影響を消し去ってゆかれます。キリストの千年統治の終わりには、人々は人間としての完全さに達し、受け継いだ罪と死から全く自由にされます。それをもって、クリスチャンのヨベルは終わりを迎えます。』

 ヨベルについての教理は変わらないということです。しかし、1975年ハルマゲドン説についての言及はありませんでした。この説については1987年以来全く音沙汰がありません。私の個人的見解では、今後も言及はないのではないかと思います。

 最後に、千年王国ヨベル説についての私の見解を述べておきたいと思います。
 イエスははハルマゲドンの日時についてこのように語っています。

『その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます。』

 もし、千年王国ヨベル説がほんとうに正しいとすれば、神の創造の1日は必ず7000年であるということになります。一方、聖書によると、神の創造の業はイエスによって代行されたということになっています。そうすると、創造の1日目が終わった時点で、2日目が終わるのがいつか、3日目が終わるのがいつか、そして最後の7日目が終わるのはいつか、イエスは計算できたはずです。ところがイエスはその日を知らないと言っているわけですから、これは矛盾です。そこから考えられるのは、神の創造の日は7000年と決まっているわけではないだろうということです。

 さて、このサイトには多くの現役エホバの証人が訪れていると思います。そのほとんどの方が、これを読んで「自分の知っている話とはだいぶ違う」と思われたのではないかと思います。1975年ハルマゲドン説の記憶もだいぶ薄らいできていますから、私たちエホバの証人の間でも昔話としておもしろい話ばかりが記憶として残ってしまい、それで話がおかしくなっているというところがあります。さらに一方で、最近はインターネットを通して反対者サイトから1975年ハルマゲドン説についての情報を得る信者が増えていますので、その情報によって事実がゆがみ気味です。
 また、宗教学者などの方々には、反対者によって書かれた本を資料にしたばかりに1975年説について間違った論文を書いてしまったりする方が絶えないようです。
 私たちエホバの証人は自分たちの信仰の歴史を正しく認識してその認識を守っていかなければなりませんし、学者たちもそれは同じです。皆さんのためにこの記事が資料としてお役に立つことがあればうれしく思います。


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