新世界訳
エホバの証人の聖書

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コリント第一 15:51

◇ 新改訳聖書 [第二版] ◇ (ファンダメンタル)
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。



 今回は新世界訳聖書ではなくて新改訳聖書の話になります。

 この聖句は、死んだクリスチャンが「眠り」に就く場合と就かない場合とがあることを述べているように見えます。しかし、新改訳聖書第三版の翻訳者はそれに異議を唱え、訳文を修正してしまいました。
 新改訳聖書刊行会はこの修正についてこのように説明しています。



◇ 「聖書翻訳を考える ― 『新改訳聖書』第三版の出版に際して」, 新改訳聖書刊行会, いのちのことば社 (表記訂正)

 (第二版で)原文の意味を取り違えていたのではないかと思う箇所……の一つは、コリント人への手紙第一の一五章五一節です。「私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです」と第二版にはありますが、部分否定のようにも受け取れます。そこで、(第三版では)「私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです」と訳しました。原文が「パンテス……パンテス」、「みな……みな……」とあるので、第二版でできるだけそのことばを生かして訳したと思うのですが、その結果、逆に原文の言おうとしていることが誤って受け取られてしまう可能性があります。原文のポイントは、人が眠ってしまうのではなくて復活の体に変えられること、そしてそれがすべての人に起こるということを言っているわけです。ですから、先のように訳しました。



 これは、一見してもっともなことを言っているように思えますが、間違いです。そこで、2017年版では訳文がもとに戻りました。

 というのも、聖書はこのことを言うにあたって前置きを書いているからです。



コリント第一 15:6

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。



 「クリスチャンの中には死んで眠りに就いた者もいるが、今後は死んで眠りに就かない者も現れる」というのが聖書の言いたいところです。

 ここで論点となっている復活ということについては、すでにイエスがこう教えています。



ヨハネ 6:40

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」



 そこで、前置きの部分はさらにこう述べます。



コリント第一 15:22-23

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。



 ここでは、イエスの述べた「終わりの日」は「再臨のとき」と言い替えられています。
 復活についての聖書の教えを要約するとこうなります。復活には予定された時があります。それまでの間、死んだ人は「眠り」に就きます。しかしひとたび復活が始まれば、死んだ人はすぐに復活するので、彼らが「眠り」に就くことはありません。

 文脈がこれだけのことを述べているのですから、第三版の修正はかなり強引なことだと言えそうです。

 さて、ここで気になるのは、『「眠り」に就かずに復活する人は死を経験するのだろうか』という問いです。
 現代キリスト教には、『キリストの再臨の日、クリスチャンは生きたまま天に召される』という教えがあります。聖書のこの言葉がこの教えを説いているということはないでしょうか。もしそうだとすると、この句は『死んでも死の眠りには就かない』ということではなく、『死ぬことはない』ということを説いていることになります。

 疑問の答えは啓示の書(黙示録)にあります。啓示の書は「終わりの日」に復活する人を「十四万四千人の人たち」として紹介したのち、こう述べています。



啓示(黙示録) 14:13

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
また,天から声がした。「こう書きなさい。今から後,主と結び付いて死ぬ人たちは幸福です。聖なる力はこう言います。彼らは労苦から解放されて休みます。彼らの行いはすぐに報われるのです」。



 啓示の書は解釈が難しいというところがありますが、新世界訳の訳文に見るように、この句はコリント第一 15:51-52の言い替えであるように見えます。



コリント第一 15:51-52

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。



 そうすると、ここに「死ぬ」という表現があるのですから、コリント第一 15:51は『死んでも死の眠りには就かない』ということを説いているのだということになりそうです。



○ 課題

 啓示(黙示録) 6:11と啓示(黙示録) 14:13を読み、「しばらくの間休む」、「休む」という似通った表現があることに注目しましょう。
 コリント第一 15章を読み、この二つの表現は復活の時を境にして時期と期間が異なることを説明しましょう。
 また、これらの聖句の文脈を調べ、復活と「十四万四千人の人たち」とがどのように関連しているか説明しましょう。