新世界訳
エホバの証人の聖書

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ヘブライ 11:5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
信仰によって,エノクは死を見ないように移され,神が彼を移されたので,彼はどこにも見いだされなくなりました。彼は,移される前に,神を十分に喜ばせたと証しされたのです。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
信仰によってエノクは,死を見ないように移されました。神によって移されたので,どこにも姿が見えなくなりました。移される前に,神に喜ばれて高く評価されたのです。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証しされていたからです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。



 いくつかの翻訳では訳文に「天に」という言葉が挿入されています。この言葉は聖書の原典にありません。
 このような言葉が挿入されるのはなぜでしょうか。このことには現代キリスト教の教義が関係しているようです。

 一般的なキリスト教の価値観では、神を信じる人や善い人は死んだら天に、そうでない人は地獄に行くと信じられています。しかも、死ねば直ちに移されると信じられています。さらにキリスト教には、生きたまま天に召される人もいるという教えを採用する教派があります。ですから、「エノクは移された」と聖書に書かれていれば、たいていの人は「エノクは天に行った」という意味を読み取るでしょう。
 しかし、このような解釈には聖書の教えとの相違があります。聖書には贖いと復活の教えがあるからです。これは、別の言い方をすれば、「天に行く」ことについての聖書の教えと現代キリスト教の教えとには相違があるということです。

 ではまず、復活についての聖書の教えを見ていきましょう。
 一般に信じられていることとは異なり、聖書は「人は死んだらすぐに天国や地獄へ行く」と教えていません。聖書の教えでは、人は死ぬと、基本的に死んだままの状態になります。



伝道(コヘレト) 9:5-6

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
生きている人は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。思い出されず,忘れ去られる。また,彼らには愛も憎しみも嫉妬もすでになく,太陽の下で行われることに何の関わりも持たない。



 そこで必要とされるのが「復活」です。人が復活するためには神の力が必要です。



ヨブ 14:14-15

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
人は死ぬと,もう一度生きられるでしょうか。私は捕らわれている間,解放の時が来るまでずっと待ちます。あなたは呼んでくださり,私はあなたに答えます。あなたはご自分の手で造った人に再び会いたいと願います。



 しかし神は、復活のためには「贖い(あがない)」の支払いが必要だと言います。しかもその請求はかなり高額です。その高額の支払いをするために登場するのが、神の子でありメシアであり救い主であるイエスです。なんと、イエスは自分の命を贖いとして支払います。神の子のような高い地位を持つ者が命を支払ったことの効果は絶大で、死んだ人は復活するだけでなく「永遠の命」を得られることになります。



マタイ 20:28

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました」。

ヘブライ 9:15

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
こういう訳で,キリストは新しい契約の仲介者なのです。招かれた人たちは,キリストが死んだことにより,以前の契約下での違反から贖いによって解放され,永遠の財産を与えられると約束されました。

ヨハネ 3:16-17

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛したのです。そのようにして,独り子に信仰を抱く人が皆,滅ぼされないで永遠の命を受けられるようにしました。神が自分の子を世に遣わしたのは,彼が世を断罪するためではなく,世が彼を通して救われるためです。



 イエスが贖いを支払ったことにより復活が可能になりましたが、すぐにではありません。復活にはスケジュールというものがあります。
 聖書は、最初に復活するのはイエスだと教えます。自分の命を支払って人々を復活させるのですから、イエスが最初に復活するのは当然のことでしょう。
 そして聖書には、「終わりの時代」の予告があります。その時代になると、イエスの「臨在」、一般的に言うところの「キリストの再臨」が生じ、こうして、臨在したイエスによって復活のスケジュールが実施されていきます。



ヨハネ 5:28

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
このことに驚いてはなりません。記念の墓の中にいる人が皆,彼の声を聞いて出てくる時が来るのです。

ヨハネ 6:40

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私の父が望むのは,子を認めて信仰を抱く人が皆,永遠の命を受けることなのです。私はその人を終わりの日に復活させます」。

コリント第一 15:20-23

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
しかし,キリストは生き返らされ,死の眠りに就いた人たちの中で最初に復活した方となりました。死が1人の人を通して来たので,死者の復活も1人の人を通して来ます。アダムのゆえに全ての人が死んでいくように,キリストのゆえに全ての人が生かされるのです。しかし,それは各自,順番に従ってのことです。最初にキリスト,その後,キリストの臨在の間に,キリストのものである人たちです。



 このようなわけで、いったん復活が始まると、死の意味するところは変化することになります。それまでは、人は死に、死んだ状態になり、それから復活しますが、この死んだ状態というものはなくなってしまいます。



コリント第一 15:51-52

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私は皆さんに神聖な秘密を知らせます。私たちは皆が死の眠りに就くわけではありませんが,皆が変えられます。一瞬に,瞬く間に,最後のラッパが鳴る間にです。ラッパが鳴ると,死者は朽ちないものとして生き返らされ,私たちは変えられるのです。



 ここでは、死んだ状態のことが「死の眠り」、キリストの臨在が「天でラッパが鳴る時」と表現されています。

 さて、こうして復活についての聖書の教えを見ていくと、終わりの時代より前に復活して天に行った人はいるのだろうか、ということが問題になります。聖書は、そのような人がいるとは述べていません。
 というわけで、聖書に「エノクが移された」と書かれていても、復活したと解釈することはできません。復活していないのであれば、復活によって天に行ったということもあるはずがありません。

 では、エノクが死と復活を経験せずに生きたまま天に召されたという可能性についてはどうなのでしょうか。
 この問題について、「聖書に対する洞察」はこのように述べています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『エノク』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 エノクは「死を見ないように移され」ましたが,これは,神がエノクを預言者としてのこうこつ状態にならせ,そうした状態にあった時に生涯を終わらせて,死の苦しみを経験しないようにされたという意味なのかもしれません。(創 5:24; ヘブ 11:5,13)しかし,ヨハネ 3章13節に記されているイエスのはっきりした言葉からみて,エノクは天に取られたのではありません。モーセの体の場合のように,エホバがエノクの体を処分されたようです。なぜなら,「彼はどこにも見いだされなく」なったからです。―申 34:5,6; ユダ 9。



 ここでポイントとなるのはヨハネ 3:13の指摘です。



ヨハネ 3:13

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
しかも,誰も天に上ったことはありません。しかし,人の子は天から下ってきました。



 聖書の中でイエス自身がこう言っているのですから、エノクは天に行っていないのでしょう。

 加えて聖書は、人は天に召されるにあたっては必ず死んで復活しなければならないと教えています。なぜかというと、地上で生きるための体と天で生きるための体は根本的に作りが違うからです。ですから、生きたまま天に召される人もいるという現代キリスト教の教えはあやしいものです。



コリント第一 15:35-40

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
しかし,中には,「死者はどのように生き返らされるのか。いったいどんな体で来るのか」と言う人がいることでしょう。そう言うあなたは分別がない人です。あなたがまくものは,まず死ななければ,生きたものになりません。そして,あなたがまくのは,後からできる体ではなく,ただの種です。小麦かほかの何かの種です。しかし神は,望みのままにその種に体を与え,一つ一つの種にそれぞれの体を与えます。全ての体が同じ体ではありません。人間の体があり,家畜の体,鳥の体,魚の体があります。そして,天での体と地上での体があります。天での体の栄光と地上での体の栄光は,種類が異なります。



 すでに指摘したように、現代の一般的なキリスト教では聖書が教えていることとかなり違うことが信じられています。そうすると、現代のキリスト教の教えに合わせて聖書の訳文を調整してしまおうとする人たちが現れてしまうということのようです。

 さてここで、そもそも、ということを言っておきたいと思います。
 まず一つ目に、ヘブライ 11:5の言葉は、創世記 5:24の引用です。



創世記 5:24

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
エノクは真の神と共に歩み続けた後,いなくなった。神が彼を取ったからである。



 引用元を見る限り、単に「エノクは行方不明になった」ということが大げさに書かれているに過ぎないように思えます。日本語で「神隠し」というのと同じです。この記述は事件を人間側の視点から見ていて、エノクがある日突然行方不明になった以外に何も真相は判らない、神が何かをしたには違いないがそれが何かは判らない、ということを言っているようです。

 二つ目に、ヘブライ 11:5は、死んでしまった義人がまだ復活していないという記述の中にあります。



ヘブライ 11:13, 39-40

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
これらの人は皆,信仰を抱いて死にました。生きている間には約束されたものを受けませんでしたが,それをいわば遠くから見て喜び,自分たちがよそ者で一時的居住者であることを人々に伝えました。
しかし,これらの人は皆,信仰のゆえに高く評価されながらも,約束されたものを受けませんでした。神は,さらに勝ったものを私たちに与えることにしていたので,私たちなしでは彼らが完全にされることがないようにしたのです。



 ここの「完全にされる」という表現は実質的に復活のことを指しています。この記述には復活を待つたくさんの義人の名前が列挙されていて、そのなかにエノクが混ざっているのですから、彼は死んで復活の時を待っているに違いないということになります。