新世界訳
エホバの証人の聖書

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伝道(コヘレト) 12:7

◇ 新世界訳参照資料付き聖書英語版 ◇ (エホバの証人)
Then the dust returns to the earth just as it happened to be and the spirit itself returns to the [true] God who gave it.

◇ 新世界訳参照資料付き聖書日本語版 ◇ (エホバの証人)
そのとき,塵はかつてそうであったように地に帰り,もこれをお与えになった[まことの]神のもとに帰る。



 新世界訳聖書の英語版を見ると、聖書原典にはない語“itself”が訳文に挿入されています。他の一般的な英訳聖書とは異なり、英文新世界訳聖書にはしばしばこのような“-self”の挿入があるため、訳文を見て首をかしげられる方もおられるようです。

 ここのところ、ヘブライ語の文法を調べてみると、倒置法が用いられていることが分かります。
 倒置法とは何でしょうか。倒置法とは、文法上一般的な語順を入れ替えてしまう表現法のことです。
 これを英語で考えてみましょう。みなさんは学校の授業で「英語の基本文型は S+V+O (主語+動詞+目的語) である」と学ばれたと思います。しかし、英語ではよく倒置表現が用いられます。たとえば“Jane said, "Yes".(S+V+O)”に対する倒置表現は“"Yes" said Jane.(O+V+S)”となります。

 聖書ヘブライ語の場合、V+S+O (動詞+主語+目的語) が基本文型となります。しかし、これが英語の基本文型のように S+V+O となることがあって、このようなときには動作にではなく主語に焦点があてられています。



◇ 「ゲゼニウス・ヘブライ語文法」, オックスフォード大学出版

普通の動詞句においては、主語の前に置かれる(言い換えると主語が経験する)動作に強調が置かれるため、当然の事として動詞が主語に先行する。……しかし時として通常の動詞句の中で、叙述が連続しているにもかかわらず主語が先行することがある。例えば創世記 7:19; サムエル第一 18:1; サムエル第二 19:12;これは特に主語を強調するためにそうしているのである。例えば創世記 3:13では“(私が悪いのではなく、責められるべきは)蛇なんです、騙したのです、私を”。創世記 2:5とも比較せよ……



 英文新世界訳聖書は、ヘブライ語の倒置表現が用いられている時に、それによって注意が向けられている対象を強調する訳文を採用することがあります。その結果、“itself”といった語が挿入されることになります。

 




 この聖句における「霊」とは何でしょうか。



◇ 岩波訳聖書 (旧約聖書翻訳委員会訳聖書), 伝道(コヘレト) 12:7 脚注

創世記 3:19, ヨブ 34:14-15, 詩編 104:29, 144:4などを参照。霊魂不滅の思想ではない。



 よく誤解されている点ですが、聖書は基本的に霊魂不滅の思想を持ちません。



○ 聖書の生命観

人は肉である
命は肉に神からの霊(命の息)が結びつくことによって生じる
人は霊を失うことにより死ぬ
失った霊は神のもとに帰る
死んだ人間は地面の塵に帰る



創世記 2:7

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。

詩編 146:4

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。 その日に彼の考えは滅びうせる。

伝道(コヘレト) 3:20

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
皆一つの場所へ行く。それはみな塵から出たものであって,みな塵に帰ってゆく。

伝道(コヘレト) 12:7

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そのとき,塵はかつてそうであったように地に帰り,霊もこれをお与えになった[まことの]神のもとに帰る。



 霊魂不滅の思想と何が違っているでしょうか。人の本質の所在が違います。霊魂不滅の思想における人の本質は霊ですが、聖書の思想では肉体です。ですから、霊が残っても肉が死ねば人は死にます。そして霊は神のものです。
 伝道 12:7における「霊」は死んだ人のことではありません。この聖句において死んだ人を表しているのは「塵」です。これはよく間違われる点ですので注意しましょう。
 また、神や天使が霊であると言う時の「霊」と人間の命を表す「霊」が同じではないということにも注意しましょう。肉に宿る生命力を指すときの「霊」は、それ自身が生命体であるわけではありません。



◇ 「ものみの塔」誌2001年7月15日号, ものみの塔聖書冊子協会

生命力としての霊は,機械や器具に流れる電流になぞらえることができます。電気は見えませんが,それが作用する装置に応じて,さまざまな働きをします。例えば,ヒーターでは熱を出し,コンピューターでは情報の処理を行ない,テレビでは画像や音声を作り出します。だからといって,電流がその動かす装置の特性を帯びることはありません。それは電流のままです。同じように,生き物に働く生命力も,その生き物の特性を帯びるようになることはありません。霊そのものに人格はなく,思考力もありません。



○ 「魂」とは

ここでは扱いませんが、聖書の「魂」という語にも同様の誤解があります。聖書における「魂」という語が示しているのは、この聖句で語られている「霊」ではなく「塵」です。



○ 課題

ルカ 23:46やヘブライ 12:23を使徒 10:40やコリント第一 15:23と比較しながら考察してみましょう。ルカの聖句はイエスの霊魂が不滅だったことを示しているのでしょうか。ヘブライの聖句は義者の霊魂が不滅であることを教えているのでしょうか。これらの聖句は、イエスや義者の復活の時期について述べた関連聖句とどのように調和しているでしょうか。

 




 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」はこの聖句についてこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

『霊は帰る(“The spirit returns”)』が『霊それ自身は帰る(“the spirit itself returns.”)』にすり替えられている。引用部分は、死後における人の霊の神への帰還を指し示している。エホバの証人は死後の状態は無意識であると信じており、霊の非人格性を強調するために“itself”という語が挿入された。



 この指摘はいろいろとずれているようです。それはともかくとして、挿入された語が“himself”ではなく“itself”であることに対する神学上の疑念が示されています。