新世界訳
エホバの証人の聖書

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テサロニケ第一 4:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
主が天から下り,天使長の声で号令を掛け,神のラッパが鳴り響くと,キリストと結ばれて死んだ人たちがまず生き返るからです。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

◇ リビングバイブル [改訂新版] ◇ (ファンダメンタル)
主は、大号令と、天使の長の声と、神の召集ラッパの響きと共に天から下って来られます。その時、まず最初に復活して主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。



 この句では、新世界訳聖書の改訂版の訳文が、他の聖書と異なる文意になっています。

 この部分を聖書原典で読むと、「号令により、天使長の声により、さらに神のラッパにより」という言い回しになっています。ここは、「さらに」という語の位置のせいで、「天使長の声による号令により、さらに神のラッパにより」とも読めるそうです。つまり、これはどちらにも訳せます。
 ここで「共に」という言い回しが気になる方がおられるかもしれません。原典には「共に」という言い方はありません。これは翻訳の際の訳語の差し替えです。

 改訂版の聖書が文意の採用を変えたのはなぜでしょうか。改訂版の翻訳者は、聖書の書かれた頃のキリスト教はイエスのことを天使長だと信じていた、ということを考慮したようです。
 現代のキリスト教では、イエスと天使長とは別の存在であるということになっています。そうすると、ここは「号令により、天使長の声により」と訳すしかありません。また、繰り返されている「……により」も「……と……と共に」と訳した方が明瞭でしょう。しかし、もしイエスが天使長であるとすると、話は変わってきます。
 また、聖書は「天使長の声によって」という言い方をしています。もしこれが単に「天使長によって」という言い方になっていたら、イエスと天使長を同一であるように読むのは不自然だということになるでしょう。しかし、「声」がつくことによって、ここでも話は変わってきます。
 たとえば、次のような言い回しを考えてください。「隕石が轟音と共に空から落ちてきた」。日本語でこのように言った場合、人々は、轟音を出しているのは隕石だ、と思うでしょう。聖書のギリシャ語の感覚はこれと同じであるようです。

 原始キリスト教ではイエスのことが天使長であると信じられていたということは証明できるでしょうか。それはこの聖句から始めて関連聖句をたどっていくことで証明できます。

 まず、この聖句にはそのもととなった情景描写があることに注目しましょう。この聖句はその描写の言い替えです。



マタイ 16:27

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
人の子は,天使たちを伴い,自分の父の栄光を帯びて来ることになっており,その時,一人一人の振る舞いに応じて報います。

マタイ 24:31

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます。

マタイ 25:31

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
人の子は栄光を帯びて,全ての天使と共に来ると,その時,栄光の座に座ります。

マルコ 8:38

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
この罪深い姦淫の世代において私と私の言葉を恥じるようになる人については,人の子も,聖なる天使たちと共に,自分の父の栄光を帯びて来る時,その人を恥じるのです」。

テサロニケ第二 1:7

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
一方,苦難に遭っている皆さんは,主イエスが明らかにされる時に私たちと一緒に安らぎを得ます。その際イエスは,強力な天使たちと共に天から現れ,



 聖書は、「(「人の子」と称される者である)イエスが天使たちを引き連れて出現する時が来る」ということを繰り返し予告しています。これは一般に“ハルマゲドン”として知られている出来事になります。
 そして、聖書には“言い換えの美学”とも言える言語感覚があって、テサロニケ第一 4:16には2重の適用があります。1つは同じ要素の羅列、もう1つは要素の省略(婉曲表現)です。

 ここで1つ、念頭に置いておくべきことがあります。それは、「神のラッパ」という表現の示す描写です。神のラッパといっても、神がラッパを吹くわけではありません。聖書の中で、神のラッパを吹くのは天使です。たとえば、啓示の書(黙示録)にはラッパを吹く7人の天使が登場します。



啓示(黙示録) 8:2, 7

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
そして私は,神の前に立つ7人の天使を見た。その天使たちに7つのラッパが与えられた。
そして,7つのラッパを持つ7人の天使が,ラッパを吹く用意をした。



 そうすると、テサロニケ第一 4:16の言い回しは、「天使」が省略されて、音に関する二つの表現へと変容したものだと理解することができます。
 イエスは号令の声を上げながら、天使はラッパを吹きながら、人類の前に現れる。このような言い方だけでもじゅうぶんに美しい表現ですが、さらに、記述から「天使」をなくしてしまうことで、その完成度は高まります。イエスの号令が「天使長の声」と表現されるのはテクニックだということになります。

 しかし、これだけでは証明にはなりません。もし仮に、現代のキリスト教で広く信じられているように、イエスと天使長が別個の存在だとすると、どうでしょうか。それは、イエスが号令を発し、天使長がその号令を復唱し、天使たちがラッパを吹きならし、という情景になります。イエスとは別に天使長が存在するために、基盤となっている情景描写からの逸脱が見られますが、だからといって、その情景が破綻するわけではありません。

 そこで、続いて注目するのが、旧約聖書に納められている“メシア預言”です。新約聖書において繰り返し語られるこれらの情景は、メシア預言に由来しています。



ダニエル 11:36-37, 45-12:3

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
その王は思うままに行動し,高慢になり,自分はあらゆる神より上だと考え,神の中の神に向かって厚かましいことを語ります。そして,糾弾の時が終わるまで成功を収めます。決められた事柄は必ず起きるからです。彼は自分の父祖たちの神を無視し,女たちの願いも他のあらゆる神々も無視して,自分は全ての者より上だと考えます。
彼は自分の壮麗な天幕を,大きな海と『美しい地』の聖なる山との間に張ります。そして,ついに終わりを迎えます。彼を助ける者は誰もいません。その時,あなたの民のために立っている偉大な長ミカエルが行動を起こします。そして,国が始まってからその時まで生じたことがない苦難の時が来ます。その時,あなたの民,書に記されている人は皆,逃れます。地面の中で眠っている多くの人が目を覚まします。ある人たちは永遠の命を得,ある人たちはとがめられて永久に嫌悪されます。洞察力がある人たちは,天空のように明るく輝きます。大勢を正しい道へと導いている人たちは,星のようにいつまでも永遠に輝きます。



 メシア預言は難解な表現を用いるので、多くの方には難しいと思います。
 預言者ダニエルによるこの記述は、「北の王の破局」と「ミカエルの出現」を予告しています。「北の王」の正体は不明ですが、文脈によると「洞察力がある人たち」はその正体に気づくようです。そして、北の王が破局する時、ミカエルが出現し、「洞察力がある人たち」の祝福と、死者の復活の事業を行います。

 では、この預言が、新約聖書において様々な仕方で語られている様子を見ましょう。(この指摘は2022年06月に行われました。)



マタイ 13:41-43

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
人の子は天使たちを遣わし,天使たちは,人に罪を犯させる人たちと不法なことを行う人たちを王国から取り除き,火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣き悲しんだり歯ぎしりしたりします。その時,正しい人たちは父の王国で太陽のように明るく輝きます。耳のある人は聞きなさい。

マタイ 24:15-22

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
ですから,荒廃をもたらす極めて不快なものが,預言者ダニエルが語った通り,聖なる場所に立っているのを見掛けるなら(読者は識別力を働かせなさい),その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。屋上にいる人は,家から物を持ち出そうとして下りてはならず,畑にいる人は,外衣を取りに帰ってはなりません。その期間,妊娠している女性と赤ん坊に乳を飲ませている人にとっては悲惨なことになります! 逃げるのが冬や安息日にならないように祈っていなさい。その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,いえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その期間が短くされないとすれば,誰も救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのために,その期間は短くされます。

テサロニケ第二 2:3-12

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
誰にも,どんな方法によっても惑わされないようにしてください。まず背教が生じて,不法の者つまり滅びる者が明らかにされてからでなければ,その日は来ないからです。その者は,神と呼ばれているものや崇拝されているもの全てに逆らい,自分の方が上だと考え,ついには神殿の中に座って人々の前で神のように振る舞います。私が皆さんと一緒にいた時にこういうことを話していたのを,覚えていないでしょうか。皆さんは今,不法の者が定めの時まで明らかにされないよう,何が抑制力となっているかを知っています。不法のひそかな力はすでに働いていますが,それがひそかなのは,抑制力となっている者が除かれる時までのことです。その時になると不法の者が明らかにされますが,主イエスは口から出る力によってその者を除き去ります。自分の臨在が知れ渡る時にその者を滅ぼすのです。不法の者が存在するようになるのは,サタンの働きによります。不法の者はサタンの力によって,あらゆる強力な行い,偽りの奇跡,不思議なことを見せ,あらゆる不正な手段を用いて,滅びに向かう人々を欺きます。その人々が滅びるのは当然の報いです。救いをもたらす真理を愛そうとしなかったからです。そのため神は,彼らが欺きの影響を受けて偽りを信じるままにします。こうして彼らは皆,真理を信じないで不正を好んだために,断罪されます。

ヨハネ 5:25-29

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
はっきり言っておきますが,死者が神の子の声を聞き,注意を払った人たちが生きる時が来ます。今がその時です。父は,自分が命を与える力を持っているように,子が命を与える力を持つことを許したからです。そして,裁きを行う権威を彼に与えました。彼が人の子だからです。このことに驚いてはなりません。記念の墓の中にいる人が皆,彼の声を聞いて出てくる時が来るのです。良いことをした人は命の復活へ,悪いことを行った人は裁きの復活へと出てきます。

ヨハネ 6:40

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
私の父が望むのは,子を認めて信仰を抱く人が皆,永遠の命を受けることなのです。私はその人を終わりの日に復活させます」。

コリント第一 15:20-26

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
しかし,キリストは生き返らされ,死の眠りに就いた人たちの中で最初に復活した方となりました。死が1人の人を通して来たので,死者の復活も1人の人を通して来ます。アダムのゆえに全ての人が死んでいくように,キリストのゆえに全ての人が生かされるのです。しかし,それは各自,順番に従ってのことです。最初にキリスト,その後,キリストの臨在の間に,キリストのものである人たちです。次いで,終わりとなります。その時,キリストは父である神に王国を渡します。その時までに,キリストは全ての政府,また全ての権威と力を除き去っています。神がキリストに全ての敵を踏みつけさせるまで,キリストは王として治めるのです。そして最後の敵である死が除き去られます。

テサロニケ第一 4:13-18

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
兄弟たち,死んで眠っている人たちについて知らないでいてほしくありません。希望を持っていない人のように悲しんだりしないためです。私たちは,イエスが死んで生き返ったということに信仰を持っています。ですから,イエスと結ばれて死んで眠っている人たちを神が生き返らせ,イエスと共にならせてくださる,ということも信じています。エホバの言葉に基づいて,皆さんに次のことを伝えます。私たちのうち,主の臨在の時に生きている者は,死んで眠っている人たちより先に天に行くことは決してありません。主が天から下り,天使長の声で号令を掛け,神のラッパが鳴り響くと,キリストと結ばれて死んだ人たちがまず生き返るからです。その後,私たちのうち生きている者が雲に包まれて引き上げられ,彼らと一緒になって空中で主に会い,こうして常に主と共にいることになります。それで,これらの言葉によって慰め合っていきましょう。



 この預言を基礎とする記述はほかにもたくさんあります。内容も多様で、かつ連鎖的なので、挙げていけばきりがありません。
 これらの記述は、イエス自身が、そして原始キリスト教の担い手たちが、ダニエルの預言の中で出現が予告されている「ミカエル」とはイエスのことなんだと説明していたことを示唆しています。

 旧約聖書はミカエルのことを「偉大な長」であると述べていますが、「天使長」であると言っているわけではありません。しかし、新約聖書はそう述べます。



ユダ 9

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版]◇ (エホバの証人)
天使長ミカエルは,モーセの体のことで悪魔と意見が分かれて論じ合った時,あえて断罪することも悪く言うこともせず,「エホバがあなたを叱責されますように」と言いました。



 つまり、原始キリスト教では、出現を予告されたミカエルは天使長であり、その実体はイエスである、と信じられていました。

 ところが、キリスト教の誕生から100年もたつと、キリスト教の信仰は変容し始めます。キリスト教はその信仰の土台であるメシア預言から離れていき、メシア預言に基づく多くの信条が消失します。
 さらにキリスト教は、聖書外資料、つまり外典とか偽典とか呼ばれるものの影響を受けるようになります。この種の資料には“天界の秘密”についての妄想が書かれています。それらの妄想はキリスト教絵画の題材になり、こうしてミカエルについての間違った認識が定着することになります。
 キリスト教徒に限らず、現代人の持っているミカエルのイメージは、簡単に言うと「イエスの相棒、補佐である」というものです。それは、キリスト教絵画において、イエスとミカエルが並んで登場するからです。世の中のほとんどの人は、ミカエルについてのエホバの証人の指摘を真に受けません。おかしな主張だ、そんな話は成り立たない、と思うのです。

 しかし、聖書外資料を無視し、聖書のみを考慮した場合、この信条に問題点はありません。たとえば、ミカエルがイエスと並んで登場するというシーンは聖書にありません。一つだけ、この文書のテーマであるテサロニケ第一 4:16が問題になりますが、これをあえてそのように読む理由はありません。
 二人は名前が違うじゃないか、と指摘する人がいるかもしれません。そのことも問題にはなりません。イエスという名前は、イエスが天から地上に派遣され、人間として生まれた時に用意されたものです。ですから、イエスはもともと別の名前を持っていました。旧約聖書においてイエスは別の名前を持つ天使として活躍しているはずです。

 この文章を読まれている方の中には、エホバの証人ではない一般のキリスト教会の信者さんもおられると思います。諸教会にはエホバの証人をむやみに攻撃する傾向が見られますので、これらの人たちにひとこと注意喚起をしておきたいと思います。
 この信条はもともと原始キリスト教の基本的信条の一つだったものです。現代のキリスト教では忘れられたまま放置されていますが、別に間違っているわけでも、撤回されているわけでもありません。では、この信条のことでエホバの証人を笑っている人たちは、どうでしょうか。反論もいろいろなところで聞かれますが、どうでしょうか。それは、キリスト教の基本的なところが理解できていないうえに、救い主としてのキリストを否認していて、醜悪ではないでしょうか。