新世界訳
エホバの証人の聖書

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ローマ 10:13

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
エホバの名を呼び求める者はみな救われる」のです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。



 一般的な聖書で「主」と訳出されるところ、新世界訳聖書はこれを「エホバ」としています。これはどうしてでしょうか。新世界訳聖書が新約聖書における『神の名の復元』ということに取り組んでいるからです。

 聖書は大きく分類すると、「旧約聖書(ヘブライ語聖書)」と「新約聖書(ギリシャ語聖書)」とに分けられます。旧約聖書には神名「エホバ」がおよそ7,000回出てきますが、新約聖書には1回も出てきません。このことは聖書の大きな謎だと考えられています。そしてエホバの証人は、新約聖書の神名は失われたに違いないと考えています。
 失われた箇所の判定はある程度できます。たとえばローマ 10:13の場合、これは旧約聖書からの引用ですので、引用元を確認すれば、神名が失われているか判断することができます。
 ただ、この時、気をつけなければならない点が一つあります。新世界訳聖書以外のほとんどの聖書は、この引用元の句で、神名を書き換えているという点です。

 では、引用元を見てみましょう。



ヨエル 2:32 (共同訳系聖書では 3:5)

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる。エホバの述べたとおり,シオンの山とエルサレムに,また生き残った者たちの中に逃れ出た者たちがいるからであり,その者たちをエホバは呼び寄せているのである」。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
しかし、の御名を呼び求める者はみな救われる。が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、が呼び出す者がいる。」



 引用元で神名「エホバ」が用いられていること、よって、新約聖書のこの個所で神名が失われていることが確認できました。しかし、新改訳聖書など国内のほとんどの聖書でこのことは確認できないでしょう。

 新世界訳聖書以外でここに「エホバ」が確認できる聖書に、文語訳聖書があります。また、岩波訳聖書はここを「ヤハウェ」としています。「ヤハウェ」と「エホバ」は、ヘブライ語の同じ綴りを読む際に発音が違うというだけで、同じです。



ヨエル 2:32 (共同訳系聖書では 3:5)

◇ 文語訳聖書 (ルビ付き) ◇ (プロテスタント)
凡(すべ)てヱホバの名を龥(よ)ぶ者は救はるべし そはヱホバの宣(のたま)ひし如く シオンの山とヱルサレムとに救はれし者あるべければなり 其(その)遺(のこ)れる者の中にヱホバの召し給へるものあらん

◇ 岩波訳聖書 (新約聖書翻訳委員会訳聖書) ◇ (エキュメニカル)
ヤハウェの名を呼ぶ者は皆、救われる。ヤハウェが言われたように。シオンの山、エルサレムの山には救いがある。また、ヤハウェが呼び寄せる、残りの者たちのうちにも。



 新約聖書において神名を復元することには多くの益があります。その一つに、読者が「主エホバ」と「主イエス」とを混同することを防げるという点があります。いま考慮しているローマ 10:13は「主イエス」が「主エホバ」に転換する事例ですので、特にそう言えます。



ローマ 10:9-13

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです。聖書は,「彼に信仰を置く者はだれも失望させられない」と言っています。ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,この方はご自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです。「エホバの名を呼び求める者はみな救われる」のです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。



 神名の復元されていない聖書では、多くの読者が、二度目の「主」はイエスのことを指していると勘違いするでしょう。






 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は、神名を復元するという新世界訳聖書の方針を批判しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

 「主」が「エホバ」に差し替えられている。この改竄は、13節で言うところの「主」が9節で言うところの「主」と同じであるという事実をはぐらかすものである。イエスの神性を否定するエホバの証人の教えにしたがって聖句が改竄されたのだ。ギリシャ語キュリオスは「主」と訳される語だが、新世界訳聖書ではこれを200を越える箇所において「エホバ」に訳し変えてしまった。エホバの証人は、これこそが神の唯一にして適切な呼称であると主張する。しかしながら、ギリシャ語を話すユダヤ人たちは、そのギリシャ語七十人訳旧約聖書(セプトゥアギンタ)において、“ヤーウェ(「エホバ」の語源となった)”に代えて「主」もしくは「神」という語を一貫して用いていた。さらに聖書は、「主」や「ヤーウェ」や「エホバ」でない幾十もの名前で神を呼んでいる。



 フリーマインドジャーナルとしては、三位一体の神学にしたがって、イエスとエホバはどちらも「主」であって同一なのだということを言いたいようです。また、聖書がエホバを指して用いているさまざまな称号を「名前」だとも述べています。
 エホバの証人は神を示す適切な呼称は「エホバ」だけであると信じているそうです。エホバの証人出版物にある以下のような記述に反応しているものと思われます。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『エホバ』の項, ものみの塔聖書冊子協会

「神」や「父」は特有の語ではない

 「神」という称号は特定の個人を指すものでもなければ,特有の語でもありません。(人は自分の腹を神にすることさえできる; フィリ 3:19)ヘブライ語聖書では同一の語(エローヒーム)がまことの神エホバにも,またフィリスティア人の神ダゴン(裁 16:23,24; サム一 5:7)やアッシリア人の神ニスロク(王二 19:37)などの偽りの神々にも用いられています。ヘブライ人がフィリスティア人やアッシリア人に向かって,自分は「神[エローヒーム]」を崇拝していると言ったところで,明らかにそれだけでは自分が崇拝の対象にしている方の実体を明示するには不十分だったでしょう。
 インペリアル聖書辞典はエホバの項の中で,エローヒーム(神)とエホバとの相違を実によく例証し,エホバという名について次のように述べています。「それはどんな箇所でも固有の名であり,人格的な神を,そしてただその方だけを表わしている。一方,エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており,確かに普通は至上者を表わすが,必ずしも,またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……」― P・フェアベアン編,ロンドン,1874年,第1巻,856ページ。
 神を表わすギリシャ語テオスについても同じことが言えます。この語はまことの神にも,またゼウスやヘルメス(ローマ人のユピテルやメルクリウス)などの異教の神々にも等しく適用されました。(使徒 14:11-15と比較。)コリント第一 8章4-6節にある次のようなパウロの言葉は,その実情を示しています。「多くの『神』や多くの『主』がいるとおり,天にであれ地にであれ『神』と呼ばれる者たちがいるとしても,わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです」。多数の神々に対する信仰はこの20世紀においても存続しており,そのためにまことの神をそれらの神々から区別するのは肝要な事柄です。
 ……エホバというみ名は「父なる神」を他から区別し(イザ 64:8と比較),そのようにして,その実体や性格を「神」,もしくは「父」という称号が適用されるかもしれない他の者のそれと一緒にしたり,混じり合わせたりするどんな企てをも阻止しています。



 ほかの主張については、「“エホバ”発音問題」ならびに「“エホバ”復元問題」という文書を用意しましたので、そちらをご覧ください。