新世界訳
エホバの証人の聖書

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ヘブライ 1:8

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしみ子についてはこうです。「神は限りなく永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は廉直の笏である。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。



 新共同訳聖書において「神よ……」となっているところ、新世界訳聖書では「神は……」という訳文になっています。これはどうしてでしょうか。



◇ 「ものみの塔」誌1984年6月1日号

■ ヘブライ 1章8節の「神」はイエスを指していますか。

 いいえ,イエスを指してはいません。証拠はそれがエホバであることを示しています。新世界訳によると,ヘブライ 1章8節は次のとおりです。「しかしみ子についてはこうです。『神は限りなく永久にあなたの[み子の]王座……である』」。これは,主権者としてのイエスの王座,つまりその職務や権威が全能の神エホバに由来することを示しています。
 しかし,三位一体を信じる人々は,欽定訳つまりジェームズ王欽定訳や日本聖書協会 文語訳聖書の翻訳の方を好みます。そうした聖書は,ヘブライ 1章8節を,「されど御子に就ては『神よ,なんぢの御座は世々限りな(し)』」と訳出しています。ですから,それら三位一体論者たちはイエスが全能の神と同じ方として示されていると考えます。これはどうして正しくないのでしょうか。
 まず文脈に注目してください。多くの翻訳の中で,ヘブライ 1章9節はその本文か欄外で,「神,あなたの神は……油を……あなたにそそがれた」となっています。このことから,8節で語りかけられている方が神ではなく,神を崇拝し,神に油そそがれた者であることが明らかになります。
 次に,ヘブライ 1章8,9節が詩編 45編6,7節の引用であることに注目しなければなりません。その詩編の聖句は本来,イスラエルの人間の王に向かって話されたものです。確かにこの詩編の作者は,この人間の王が全能の神であるとは考えていませんでしたし,ヘブライ人への手紙の筆者もイエスが全能の神だとは考えていませんでした。学者のB・F・ウェストコットは,この点について注解し次のように述べています。「原文では王を指してאלוהים[エローヒーム,「神」]が用いられる可能性はまずない。……それゆえ全体としては,最初の句の訳として,神はなんじの王座(あるいは,なんじの王座は神),すなわち『なんじの王国は神の上に建てらる』を採るのが最善であると思われる」。
 ですから,新世界訳やほかの幾つかの翻訳がヘブライ 1章8節を,「神は……あなたの王座」と訳出していることにはもっともな理由があるのです。(アメリカ訳,モファット訳をご覧ください。また,アメリカ標準訳,改訂標準訳および新英訳聖書の欄外の注もご覧ください。)これは,「み子」,イエス・キリストの上に,イエスよりも高い地位にある神がおられることをはっきりとさせるものとなります。



 ここでは、イエスが神であるかということが問題になるようです。新世界訳聖書ではイエスは神でないという訳文ですが、新共同訳聖書では逆です。

 ここのところ、原典のギリシャ語からは、どちらの意味にも訳出が可能なのだそうです。



ヘブライ 1:8

◇ 岩隈直訳聖書 ◇ (プロテスタント)
しかし御子については(こう言われる)、「神よ、あなたの玉座は永遠の永遠にわたって(つづき)、公正の杖は彼の王国の杖である。



◇ 岩隈直訳聖書, ヘブライ 1:8, 脚注

ο Θεος. 呼格の代用の主語であろう。これを主語とし ο θρονος σου を述語と解する人もある。「神は永遠の永遠にわたってあなたの王座である」と。



ヘブライ 1:8

◇ 岩波書店新約聖書(新約聖書翻訳委員会訳聖書)(分冊) ◇ (エキュメニカル)
他方、子については、
神があなたの玉座、いつまでも世々に。公正の杖は、あなたの王国の杖。



◇ 岩波書店新約聖書(新約聖書翻訳委員会訳聖書)(分冊), ヘブライ 1:8, 脚注

すべての和訳が、国際聖書協会第三版の読点に従って「神よ、あなたの玉座は……」だが、底本に従う。



ヘブライ 1:8

◇ 岩波書店新約聖書(新約聖書翻訳委員会訳聖書)(合本) ◇ (エキュメニカル)
他方、子については、
神よ、あなたの玉座はいつまでも世々に。公正の杖は、あなたの王国の杖。



◇ 岩波書店新約聖書(新約聖書翻訳委員会訳聖書)(合本), ヘブライ 1:8, 脚注

底本は二六版で、国際聖書協会も第四版で「神があなたの玉座、いつまでも世々に」とも読みうるよう読点を外した。しかし……判断保留の改訂とみなす。



 これらの解説は何を述べているのでしょうか。



ヘブライ 1:8 原典講読

προς δε τον υιον ο θρονος σου ο θεος εις τον αιωνα του αιωνος και η ραβδος της ευθυτητος ραβδος της βασιλειας αυτου



 原典において ο θεος (ホ テオス) となっているところが、「神よ」または「神は」と訳されている部分です。ここでは主格(ギリシャ語において、主語である場合の言い回し)が用いられています。そのことからすると「神は……」の訳文がよいように思えますが、聖書のギリシャ語では主格が呼格(呼びかけである場合の言い回し)の代用として用いられる場合もあって、もしこの場合がそうだとすると、それを「神よ……」と訳してもよいことになります。
 この時問題になるのが校訂本文(聖書原典の印刷本)の句読点です。もし ο θεος の前後が句読点で区切られていれば、これを呼格と読むのが普通になりますが、絶対にそうだというわけではないそうです。句読点がなければ逆で、これを主格と読むのが普通の読み方になりますが、絶対にそう読まなければならないということでもないようです。
 校訂本文を見ると、古いものでは句読点が用いられているそうです。一方新しいものに句読点は見られません。最新の研究は「神よ……」の読みよりも「神は……」の読みのほうが正しい可能性を示しているからですが、岩波書店新約聖書はこれを「判断保留とみなす」としています。校訂本文においてこの位置から句読点が省かれた場合、どちらの読みが正しいかは保留扱いになっているという解釈です。
 このようなわけで、文法論的に見た場合、これをどちらに訳すべきかは非常に微妙で判断しがたいようです。

 とはいえ、この句の根本的な問題は神学的なところにあるようです。つまり、イエスは神かという問題です。この文はイエスについて解説する文なのですから、もしイエスが神であれば「神よ……」と訳出するのが妥当になるでしょうし、イエスが神でないとすれば「神は……」と訳出するしかないでしょう。

 このような時、キリスト教の諸教会は三位一体論に調和した「神よ……」の訳文を採用したがるでしょう。しかし、聖書を翻訳するのは学者たちですから、彼らは訳文が学術的に正確であることにこだわるでしょう。学者たちは聖書の訳文に三位一体の考えが入ってくることに抵抗します。三位一体論はキリスト教成立後しばらくしてから生まれたもので、聖書が書かれた時代にはまだその概念がなかったからです。教会にとって満足な訳文を得るには、そう訳すべき、あるいはそう訳せるという論拠が必要です。そこで、引用元となる詩編 45:6についての議論が必要になってきます。

 ヘブライ1:8は詩編 45:6からの引用です。詩編 45:6を見てみましょう。



詩編 45:6 (7)

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
神は定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたの王座。あなたの王権の笏は廉直の笏。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
神よ、あなたの王座は世々限りなく あなたの王権の笏は公平の笏。



 ここでも、訳文に同様の違いがみられます。これも、文法論的にはどちらにも読めてしまうそうです。

 この時問題になるのが、ここで言う「神」とはだれかということです。この文章はイスラエルの王について語っています。ですから、新共同訳聖書では王が「神」と呼ばれていることになります。これはおかしいのではないでしょうか。
 そこで、聖書には神でない者を「神」と呼ぶ表現法があるということを思い起こさなければなりません。



詩編 45:6 (7)

◇ バルバロ訳聖書 ◇ (カトリック)
ああ、神よ、あなたの王座は代々とこしえにあり、その王国のつえは正義のつえ。



◇ バルバロ訳聖書, 詩編 45:6 (7), 脚注 (表記修正)

旧約聖書では天使のことを神といっている(詩篇 8:5 (6))。かしら、審判者(詩篇 58:1 (2))、モーゼ(脱出 4:16, 7:1)、ダビドの家(ザカリア 12:8)、メシア(イザヤ 9:6 (5))なども神とよばれる。



 そうすると、一見しておかしいと思える訳文も、おかしくなどないということになります。詩編 45:6は文法に照らしても神学に照らしても、両方の読み方が可能であるようです。
 新共同訳聖書のような訳文では、イスラエルの王は神と呼ばれているだけであって実際には神ではないということになります。

 そうするとどういうことが言えるでしょうか。ヘブライ 1:8の場合も同様であると言うことが可能です。詩篇 45:6において王が神でもないのに神と呼ばれたことに対応して、ヘブライ 1:8においてイエスは神ではないが神と呼ばれている、ということです。
 このように考えることにより、三位一体論の論拠によらずして、ヘブライ 1:8において「神よ……」の訳文を採用することが可能になります。これなら学者たちも不満ありません。

 もっとも、こういった論理は三位一体論の隠れ蓑となっているということに留意が必要です。このことを、「新共同訳新約聖書略解」の解説から見てみましょう。



◇ 「新共同訳新約聖書略解」 (表記修正)

キリストが王また神であることが証言される……御子は神として父なる神から《喜びの油を……



 「聖書には神でない者を神と呼ぶ表現法があって、ここではその表現法が用いられています」、「ですから、イエスは神と呼ばれてはいますが文字通り神であるという意味でそう呼ばれているのではありません」というような説明はありません。単に、「キリストは神である」と解説されています。ヘブライ 1:8は三位一体論に調和してイエスが神であることを証明しているのだ、ということを言っているようにも読めます。

 エホバの証人はここまで見てきたような一連の考え方に反発しています。特にヘブライ 1:8については「あなた」の表現に矛盾が生じることを主張しています。



ヘブライ 1:8-9

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしみ子についてはこうです。「神は限りなく永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は廉直の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえに,神,あなたの神は,歓喜の油をあなたの仲間に勝ってあなたにそそがれた」。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」



 新世界訳聖書の訳文では「あなた」の対象が常に一致しているのに対し、新共同訳聖書では一致していないように見え、不自然です。
 しかし、この問題の見事な解決策が先に引用した「新共同訳新約聖書略解」の解説に見ることができます。解説が述べているように、神には神がいるという読み方をすれば「あなた」の不一致の問題は解決されるようです。

 というわけで、この問題は非常にやっかいで、どの読み方が正しいのか、学者たちの間でもなかなか決着がつかないそうです。一方、翻訳された聖書では、三位一体論の証明に使えるということで、「神よ……」の読みが圧倒的に採用されやすいということのようです。

 ところで、新世界訳聖書の訳文では神がメシアよりも低い地位に置かれたように思えて不適切ということはないでしょうか。これについては、聖書にはエホバを指す多様な表現法があるということが答えになるようです。神の果たす役割が比喩的に表現されている場合、立場の問題はあまり考慮されません。



詩篇 18:2 (3)

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方なのです。わたしの神はわたしの岩。わたしはそのもとに避難します。わたしの盾,わたしの救いの角,わたしの堅固な高台。

詩篇 91:9

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
それはあなたが,「エホバはわたしの避難所です」と[言った]からである。あなたは至高者ご自身を自分の住まいとした。

詩篇 110:5

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
エホバ自らあなたの右にあって,その怒りの日に必ず王たちを打ち砕かれます。



 「右」という表現は王に対する従属と道具を示す表現で、たとえば大臣、この場合は特に軍隊を意味しています。このように、神の役割を説明する比喩表現では人と神の立場が入れ替わってしまうことがあります。

 




 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は新世界訳聖書におけるヘブライ 1:8の訳文についてこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

「神よ、あなたの王座は」が「神はあなたの王座」に替えられている。
このような改訂は、イエスの神性を否定するエホバの証人の信条にしたがって御子イエスを神と呼ぶことを避けるものである。